民法要義　巻の３債権編（第３３版）

　　　第３編　債権

　債権（Créance,Forderung）とは一定の財産上の行為を為さしむることを得る法律上の力これなり従来債権の目的を与え（dare）為し（facere）及び為さざる（non-facere）の３つに別つを例とせりといえども「与うる」とは権利を移転するの意にして「為す」の中に包含し「為さざる」もまた消極的行為なるのみならず債権の目的は財産上の行為を為したることを要するがゆえに余は前記の定義をもってあれりと為すなり。但し右の行為を「為す」と「為さざる」との二つに分かつは必ずしも不当なりとせず。しかして権利移転以外において「為す」の義務は例えば家屋を建築し，旅行を為す等の如きすなわちこれなり又「為さざる」の義務は例えば同町内において債権者と同一の営業を為さず，債権者の所有に属せる劇場以外において演劇を為さず，使用貸主が借主をして物を使用することを得せしむるためその所有権を行使せずすなわち自ら物の使用，収益を為さず又これを処分せざるの義務の如きすなわちこれなり故に債権の目的は行為又は不作為なりという者あり。これまた当れりというべし。

　債権は一にこれを人権（Droit personnel,Personliches Recht）といえり。これけだし物権に対して言えるものにして物権は直接に物に付いて之を行うことを得るといえども債権は常に人に対して之を行うものにしてたとい間接には物をもってその目的とする場合といえども債権者は直接にその物の上にその権利を行うことを得ず必ず債権者の行為を要するをもって之を人権といえるなり然れども人権なる文字は「各人天賦の権利」の意義にも之を用い日本人の従来の慣例にみて債権と同一の意義に之を用うることを極めて穏当ならざるが故に新民法においては常に債権なる文字を用い敢えて人権なる文字を用いず然れどもその意義においては旧民法にいわゆる人権と少しも異なるところなきなり。

　債権は財産権なること既に之を論じたり（３訂１巻３頁）故にたとい為し又はなさ為さざるの義務といえどもその目的債権者の処分に在らざるものは敢えて之を債権ということを得ず例えば夫が妻をして同居せしむるの権利（７８９，１頁）は妻の行為をもってその目的と為すといえどもしかも之を債権というべからず又未成年の子は親権を行う父が指定したる場所以外に居ところを定むることを得ず（８８０，人１５０）これな為さざるの義務なりしかも之をもって債権とな為すことを得ざるの類即ちこれなり。

　債権の物権と異なるところは一つは直接に物に付てこれを行うことを得ると一つは直接には債務者に対して積極又は消極の行為を求むることを得るに過ぎずしてただ間接には多くの場合において物の上にその債権者の行為を施さしむることを得るに過ぎずこの性質の差異より生ずる両種の権利の区別は（一）物権は優先権を生ずるといえども債権は之を生ぜず故に各債権者は原則として平等の権利を有し若し債務者の財産その全債務を償うに足らざるときは各債権者は皆その債権の額に応じ２分の１，３分の１，４分の１等の救済を受くるに止まるのみ。けだし物上担保を有せざる債権者は債務者の財産の上に直接の権利を有せざるが故に債務者が任意に救済を為さざるに当りその財産に付て強制執行を為さんと欲するときは各債権者の間に甲乙の区別を為すこと能わず勢い平等の割合をもって之に救済するの他あらざるなり之に反して物上担保を有する債権者は在る物の上に（一般の先取特権の如きは全財産の上に）直接の権利を有するが故に物権者として必ずその権利の目的物に付き優先権を有し他の債権者より先に救済を受くべきものとすこれ物上担保の効用というべし（二）物権は追及権を生ずるといえども債権は之を生ぜず故に債務者がその財産を他人に譲渡したるときは通常の債権者は之に付てまたその権利を行うことを得ず之に反して物上担保を有する債権者は債務者が他人に譲渡したる財産に付てもなおその権利を行うことを得ることは既に詳論せしところなり（再訂２巻１頁，２８１頁，２９５頁，３９６頁，４６６頁等）。けだし物に付て直接の権利を有する者はたとい債務者がその物に付き他人に権利を譲渡すもこれに因りて自己の権利を妨げられることあるべからざるは固より論をまたざるところなりといえども通常の債権者は敢えて物の上に権利を有するにあらず単に債務者に対して或積極若しくは消極の行為を求むることを得るに過ぎざるが故にたといその行為或物に関し又は債務不履行の結果債務者の財産に付き強制執行を為すべき場合といえども既に債務者が他人に譲渡したる財産に付ては債権者は敢えてその権利を行うことを得ずこれけだし債権者は債務者の財産に付いてはその権利を行うことを得るも既に債務者の財産にあらざるものに対しては何等の権利をも有せざるが故なり。

　債権は常に人と人との関係たることは前に掲げたる定義に依りて明かなり。しかして債権は権利者の側面より観察したる名称にして若し義務者の側面より之を観察すればこれを債務（Dette,Schuld）又は義務（Ｏbligation,Verbindlichkeit）という。しかして義務なる文字は広く権利に対して用うる詞にして各人は他人の所有権を侵さざるの義務あり，妻は夫と同居するの義務ありというべきをもって新民法には常に債務なる詞を用いもって之を債権に対せり（旧文章の便宜に依り義務なる文字を債務の意味に用いたる例少なからずといえども特に債権に対する義務を指示するには常に債務なる文字を用うるを例とせり（これに由りて債権者（Créancier,Gläubiger）債務者（Débiteur,Schuldner）の称呼を生ずるに至れり。

　旧民法にはローマ法以来欧州諸国に行わるるところの自然義務（Obligation naturelle,Naturalobligation）なるものを認めいわゆる法定義務（Obligation civile, klagbare Obligation）よりも薄弱なる効力を生ずるものとせり然りといえどもこれ元来ローマ法の如く形式に拘泥するの極法律が保護すべき権利にしてただ形式に欠くるところあるがため之を保護すること能わざる場合においてその法律の不備を矯正せんがために完全なる権利としてその効力を認むること能わざるもなまじめてはこれより自然義務なるものを生ずるものとし之に幾分か不完全なる効力を付するをもっていむことを得ざるものとせしは敢えて怪しむに足らずといえども法律の進歩するに従いおよそ法律の保護すべき権利はすべて相当の方法をもって之を保護する以上は敢えてその外にいわゆる自然義務なるものを認むるの要なしこれ新民法においては法律に定めたる普通の義務即ち法定義務の外一種異様の義務を認むることを為さざる所以なり但し旧民法，フランス民法等の如くいわゆる原因なるものをもって法律行為の要素とするときはその原因なきがため無数たるべき法律行為少なからざるべきが故に之を有数とするため往々自然義務の存在を認むるの必要あるべしといえども新民法においてはいわゆる原因なるものの必要を認めざるが故に（３訂１巻２０２頁以下）益，自然義務の必要を認めざるなり。

　債権発生の原因は之を大別して法律行為，不当利得，不法行為，法律の直接規定の四と為す。しかして法律行為の種類は一にして足らずといえどもその最も重なるものを契約となす（第二章）遺言もまた債権発生の一大原因なりといえどもこれは第五編に規定するところに係わるその他の法律行為に至りては総則の一般規定の他更に特別規定を置くの要なし不当利得は純然たる不当利得（第四章）の他いわゆる事務管理なるものありその規定普通の不当利得と同じからざるものあるをもって新民法においては別に之を規定せり（第三章）この二者はいわゆる準契約（Quasi-contrat）なるものを組成せり不法行為（第五章）はいわゆる犯罪，準犯罪（Délit．quasi，délit）なるものをすなわちこれなり。しかして法律の直接規定は法律の各部に散在し敢えて之を包括して規定することを得ず今その二三の例を言わば扶養の義務，後見人の義務，納税の義務等即ちこれなり。

　本編においては右に掲げたる各種の原因より生ずる債権に関する特別規定を掲ぐるのほか別に総則（第１章）の１章を置き各種の債権に通ずる一般の規定を掲げたりいう左に順次之を説明せし。

　　　　第１章　総則

　本章は分ちて五節と為す第１節を債権の目的とし債権の目的の範囲を明らかにし第２節を債権の効力とし債権者の権利義務を定め第３節を多数当事者の債権とし債権者又は債務者が数名ある場合に関する特例を掲げ第４節を債権の譲渡とし債権は果たして之を譲渡すことを得るや否や又之を譲渡すことを得るものとせばその譲渡に必要なる条件如何等を詳にし第５節を債権の消滅とし債権の消滅すべき原因を列挙せり。

　　　　　第１節　債権の目的

　債権の目的は常に債務者の積極又は消極の行為に在ることは既に論じたるが如しただその行為の性質如何又ある行為を目的とする債権に在りてはその当然の結果としてある行為を惹起せざるや否や又その行為が物の給付に在る場合においては如何なる物を給付すべきか又債権の目的が数個の行為中その一を為すに在るときはそのいずれを為すべきか等の問題を決せり。

第３９９条　債権は金銭に見積ることを得ざるものといえども之をもって其目的と為すことを得（財２９３，３２３，１頁，取２６６）

　債権の目的は果たして金銭に見積もることを得るものたることを要するや否やは学者間未だ説の一定せざるところたり。けだしローマ法においては学者動きもすれば債権の目的の金銭に見積もるべきことを要する旨を言い今日に至りてもローマ法系に属する法律に在りては大抵皆この主義に依れり然りといえどもこれ理由なき制限というべし何となれば人生必ずしも金銭のみを利益としその需要又有形の事物のみに止まるものにあらず故に債権の目的もまた必ずしも金銭に見積もることを得ることを要せず例えば教師，医師，弁護士等の勤務は敢えて之を金銭に見積もり難きが如ししかも之をもって債権の目的と為すことを得ざるものとするはすこぶる不便にして到底文明国の需要に適せず故に我が旧民法の如きも原則としては之を債権の目的と為すことを得ざるものとするにかかわらず種々なる間接の方法をもって之を目的とする債権を保護せんことを計れりこれむしろ表面より之を目的とする債権を保護するのまされるにしかずかつや人の名誉，苦痛等の如き無形のものといえども若し之に付いて損害を生ずるときは之を金銭に見積もりて賠償を為さしむるにあらずや若し然らば天下の事物殆ど皆金銭に見積もることを得るものにあらざるはなし故にこの広義をもってすれば債権の目的の金銭に見積もることを得るものたることを要するものとするも殆ど弊害を見ざると同時に特に金銭に見積もることを得るものたることを要する旨を言うはすこぶる不当なりというべしこれ本条において債権の目的の金銭に見積るべきものたることを要せざる旨を断言せる所以なり。

第４００条　債権の目的が特定物の引渡なるときは債務者は其引渡を為すまで善良なる管理者の注意をもって其物を保存することを要す（財３３４，４６２，１項）

　本条以下第４０５条に至るまでは債権の目的が有体物の引渡し又はその譲渡に在る場合に付いて規定せり。しかして本条は引渡しの義務を負える債務者にその物の保存の義務あることを規定し併せてその保存を為すに付き如何なる注意を為すべきかを定めたるものなり。けだし注意の程度には種々の標準ありて古来ローマ法においては過失の程度に三ありとし場合に因りて重過失（Culpa lata）軽過失（Culpa levis）又は最軽過失（Culpa levissima）に付き責任を負うべきものとせることを一般の学説なりといえどもその学理に合わざることは既に定論あるところにしてローマ法においても敢えてこの如き区別を採用せしにはあらざるが如しただ軽過失を別ちて抽象的，成形的（Culpa levis in abstractovel in concrcto）の二と為すは多少理由なきにあらず例えば売主がその売却したる物を保存するに付いては善良なる管理者（Bonus paterfamilias 良家父と訳すべきか）が通常加うるところの注意を加うべきも無償にて寄託を受けたる者は受寄物を保存するにはただ自己の財産に付いて平生加うるところの注意を加うればすなわち足れるが如きこれなり（６５９）すなわち甲は抽象的にして乙は成形的なり。しかしてその理由を問えば曰く売主は通常売買契約に因りて利益を受くべき者なるが故にその売却したる物を買主に引き渡すに至るまで充分の注意をもってその物を保存したとい平生自己の財産は之を等閑に付するの癖あるもその売却したる物は敢えて之を等閑に付することを得ざるものとせざるべからずといえども無償にて寄託を受けたる者は之に異なり他人の利益のために無償にて受寄物を保存する者なるが故に寄託者は偏に受寄者の平生の注意如何を察しただその者が平生自己の財産に加うる注意を寄託物に加えしめんと欲したるに過ぎざるものとみなすは最も当然なるところなり然りといえどもいわゆる成形的の過失をもって注意の程度と為すは今日の法律に在りては全く例外に属するが故に原則はむしろいわゆる抽象的の過失をもって注意の程度と為すものとし例外の場合は皆特別規定を掲ぐることとするを至当とすこれ本条において一般規定として善良なる管理者の注意をもって物の保存を為すべきものとしたる所以なり。

第４０１条　債権の目的物を指示するに種類のみをもってしたる場合におて法律行為の性質又は当事者の意思に依りて其品質を定むること能わざるときは債務者は中等の品質を有する物を給付することを要す

　前項の場合におて債務者が物の給付を為すに必要なる行為を完了し又は債権者の同意を得て其給付すべき物を指定したるときは爾後其物をもって債権の目的とす（財３３２，４６０，３項，旧商３０３）

　本条は不特定物を目的としたる債権に関し（第一）その物は如何なる品質の物たることを要するが（第二）如何なる時期において特定物となるかを規定せりこう順次之を説明せん。

第一　不特定物の品質に関しては従来大半三主義に分かる（一）債権者は最上等の物を請求することを得ずといえども債務者もまた最下等の物を給付することを得ざるものとする主義（二）中等以上の物を給付すべきものとする主義（三）必ず中等の物を給付すべきものとする主義これなり旧民法はフランス法系の例に倣い第一の主義を取りたりといえども新民法においては第三の主義を採用せりこれけだし債権者をも債務者をも偏愛せざるの主義に出たるものなり然りといえども立法論としては余は右の三主義のいずれも採用すること能わずむしろ債務者は最下等の物を給するもいやしくもその目的物の種類中に包含せるもののなれば可なりとすべきものと信ず然れどもこれ立法論に属するが故に深く論ぜず。

　　以上は当事者間に特約なく又法律行為の性質に因りて自らその品質の定まらざる場合にのみ之を適用すべきものとす例えば当事者が武蔵の上米と曰えば必ず上米たらざることを得ずこれけだし債権の目的の種類が単に武蔵米というに在らずして武蔵の上米に在ればなり又或る美宅の襖を張るため唐紙を注文したる場合の如きはたとい明かにその品質を定めざるも必ず上等のものたらざることを得ざるは法律行為の性質上明かなるところなり。

第二　債権が不特定物をもってその目的とする場合においても必ずその不特定物がついに特定物となるの時期あるはけだし疑を容れず何となればこの債権を履行するに付いては必ず物の引渡しを為さざることを得ず。しかして之を引き渡すには必ずその物を特定せざることを得ざればなりただその時期如何はやや疑わしき問題に属し若し本条第２項の明文なくんば必ず実際に種々の疑問を生ずることを免れざるべしこれにおいてか立法者は本条第２項をもってその時期を定めたり。しかして本条に採用するところの主義は債務者と債権者と一致して給付すべきものを指定したるときその指定に因りて不特定物が特定物とためる場合を除く外「債務者が物の給付を為すに必要なる行為を完了し」たる時をもってその変化の時期にとするに在り。けだし債務者が既に物の給付を為すに必要なる行為を完了したるときは履行を為すに付き債務者の権力内にあることを為し終わりたるが故にその物を給付するの意思は全く確定したるものといわざることを得ず若し然らばこの時期をもって目的物の性質変化の時期と為すは最もその当を得たるものとすべければなり。

　　或いは曰わん。右の問題は学理上之を論ずるの必要ありとするも実際において果たして何等の必要あるかと。いわくこれには２つの実用あり。（一）物権は当事者の意思に因りて移転すべきがゆえに（１７６）いやしくもその物にして確定せばその確定と同時にその物権の移転すべきは固よりなり。故に不特定物が特定物となり即ち債権の目的物が確定したるときは物権はその時において移転すべきものとす。（二）双務契約に在りては当事者の一方の債務の目的物が天災に因りて滅失したる場合において他の一方はなおその債務者を履行するの責あることは後の第５３４条の規定するところなり。これを称して危険債権者にあり（Res porit creditori）という。けだし物の債権者は実際その物を受くることなくしてしかもその報償を給付すべきをもってなり然るにこのいわゆる危険問題なるものは特定物に付いてのみ起こるものにして債権の目的物が初め不特定物なりし場合においてはその特定物に変じたるときより危険債権者に移転するものといわざることを得ず。これ不特定物が特定物に変ずるの時期を一定する必要ある所以なり。

　　右の問題はこれを引渡の問題と混淆すべからず。けだし引き渡しなるものは債務者と行為のみに因りて成立するものにあらず必ず債権者の行為をも要するものなり故にただ債務者において自己の権力内にある行為を完了するも未だ必ずしも引き渡しありということを得ず債権者がその給付を受けたる時において始めて物の引渡しありたりというべきのみ故に遠隔の他に在りては債務者がその物を発送したる時においてその物の特定物となること疑いなしといえどもその引渡しは債権者のもとに到達したる時において始めて之ありたりといわざるべからず故に第１７８条，第３４４条等の規定は到達の時より始めて之を適用すべきものとす。

第４０２条　債権の目的物が金銭なるときは債務者は其選択に従い各種の通貨をもって救済を為すことを得但特種通貨の給付を以ッって債権の目的と為したるときはこの限に在らず

　債権の目的たる特種の通貨が救済期におて強制通用の効力を失いたるときは債務者は他の通貨をもって救済を為すことを要す

　前２項の規定は外国の通貨の給付をもって債権の目的と為したる場合に之を準用す（財４６３ないし４６６，旧商３２１，７５４，８年６月２５日告１０８号貨幣条例，９年３月４日告２７号，１１年５月２７日告１２号，同日告１３号，１２年９月１２日告３５号，２１年１１月６日勅７４号，３０年３月２６日法１６号貨幣法）

　本条は債権が金銭をもって目的とする場合について規定せり。けだし金銭なるものは各国の幣制に従い必ずしも一様ならずといえども金貨あり銀貨あり銅貨，白銅貨あり又或いは紙幣あり。しかして法律上は皆之を同一視するものなり（中にその支払額につき制限あるものなきにあらざるも）これ本条第１項本文の規定ある所以なり故に例えば金銀両本位の国に在りて消費貸借として金貨１００円を受け取りたる者は期限に至り銀貨１００円を返済するも貸主は之を拒むことを得ず。しかして我邦は初め金本位の制を採りしが明治１１年以来一時両本位国というも可なる有様とためり実際においては殆ど銀本位国の姿を成ししも明治３０年に至り純然たる金本位の制に復せり（貨幣法２）又１００円の義務を負う者は１０円金１０枚を払うも２円金５０枚を払うも可なりただ補助貨には強制通用の制限あるのみ然りといえどもこれ唯一一般の通則にして若し当事者が之に異なりたる意思を有するときはその意思は固より有数なるものとせざることを得ず例えば前例において貸主が必ず金貨を受けんと欲するときは特に金貨をもって返済を為すべき旨を明言すれば可なり又後例において必ず１０円金を得んと欲するときは之を明言すれば可なりこれ旧民法においては許さざるところなりしもこの禁制は未だ外国にその例あるを聞かざるところにして甚だ理由なき制限といわざることを得ず。けだし法律は如何なる種類の貨幣といえども皆同価のものとみなすに相違なきも固より当事者の便宜に従い時として金貨を喜び時としては銀貨を便とすること在るべきはその予期するところにして種々の貨幣を製するは一にはこの便宜を得せしめんがためなり故に両換なるものは極めて必要なる物にして法律の固より公許するところなり然るに直接に両換をなすは可なるも両換の労を避け且つ一定の時期に或いは貨幣の一定の額を得んがために特に或人より或種類の貨幣を給付せしめることを契約するは不可なりとするの理あるべからずこれ新民法において旧民法の主義を含めて本条第１項但書をもって特約の自由を認めたる所以なり。

　特種の通貨をもって債権の目的とすることを得ること右に述ぶるが如しとせば稀にその指定したる通貨の種類が救済期において既に強制通用の効力を失えることあるべしこの場合においては果たして如何すべきか余の信ずるところによれば純然たる法理より言えばこの場合においては債権の目的は或る種類の通貨にして単に金銭を目的とするものにあらずむしろその通貨を一種の商品とみてこれを債権の目的としたるものというべし故にその通貨がたとい強制通用の効力を失うも債務者は依然その貨種を給付して可なり若し政府がその通貨を引き換えたるがため之を得んと欲するも得べからざる場合においてはすなわち履行不能の場合なるが故に債務者は自らその義務を免るべし然りといえどもこれ多くの当事者の意思に反するものなり。けだし当事者は金貨が単に金なるをもって又銀貨が単に銀なるをもって之を得んと欲したるにあらずむしろ之を貨幣として特に他の貨種よりも自己に便利なりとしたるに過ぎざるべし故にその貨種が強制通用の効力を失いたる後に至りては之を得るもまたその要なくむしろ他の通貨を得るをもって便とするを常とす法律はこの意思を推測し特に本条第２項の規定を設け債務者をして他の通貨をもって救済を為さしむることとせり但し若し当事者が之に異なりたる意思を表示したるときはその意思に従うべきこと固より論をまたざるところなり。

　貨幣なるものはもともと法律の結果に依りて貨幣たる効力を有するものにしてその法律の及ぶ地域内においてのみその効力を有すべきものとす従って外国の貨幣は真の貨幣とみることを得ず然りといえども交際の頻繁にして貿易の絡繹たる今日に在りてはこの狭隘なる法理を株守すること能わず例えば外国に遊ばんと欲する者はかえって外国の貨幣を賽すにあらざれば物品を購買すること能わず故にその者のためには外国の貨幣もまた貨幣の効用を有する物たること固より疑いを容れざるところなりこれにおいてか文明国の間においては互いに貨幣の流通を認め商業その他の取引において外国貨幣の必要を感ずること殆ど内国貨幣に同じきに至れりただ外国貨幣は内国貨幣の如く強制通用力を有せざるが故に日々相場に変動を生ずるは勢免れざるところなりといえどもしかも実際においては外国貨幣が真の貨幣にあらざることを悟らざる者多かるべしこれ本条第３項の規定をもって内国貨幣に適用すべき規定を外国貨幣に準用すべきものとしたる所以なり例えば英貨若干ポンドといえば通常は如何なる英貨を給付するも可なり然れども若し特約あらんには特定の貨種を供せざることを得ず。しかしてその貨種が救済期に至るまでに英国における強制通用力を失いたるときは現に強制通用力を存する貨種をもって救済を為すべきものとするの類これなり。

第４０３条　外国の通貨をもって債権額を指定したるときは債務者は履行地におけるため替相場により日本の通貨をもって救済をなすことを得（財４６５，旧商３２１，７５４）

　本条の場合は債権の目的外国の貨幣にあらずして広く金銭にありといえどもただその額を指示するに外国の貨幣をもってしたる場合とすこの場合においては純然たる金銭債権ありて敢えて或る貨幣を商品の如くみたるものにあらず故に必ずしも外国の貨幣をもって救済を為すことを要せず履行地におけるため替相場に依り之を日本の通貨に換算して救済を為すことを得べし例えばフランスに書籍を注文しその代価仏貨１０００フランなりとせんに若し東京においてその代価を払うべきものとせば東京における仏貨の相場１円に付き２フラン６０とし日本の貨幣３８４円６１銭５厘を払うをもって足れりとするの類これなり但しこの場合において外国の貨幣をもって救済を為すは固より債務者の随意なりとす旧商法第７５４条には手形に付き同様の規定ありたりしも今は当然民法を適用すべきものとし商法には別に明文を掲げず。

第４０４条　利息を生ずべき債権に付き別段の意思表示なきときはその利率は年５分とす（取１８６，２項，旧商３３４，新商２７６０年９月１１日告６６号利息制限法３）

　債権は往々にして利息を生ずることあり利息とは金銭その他の物の使用の報償として主たる債権の額に応じ債権者に支払うべきものをいう民法においては債権の利息を生ぜざるを本則とするといえども法律の特別規定あるとき（４４２，2項，５４５，２項，６５０，１項，６６９，６７１，６９１，1項，７０４，９２７，2項，９４０）又は当事者の特約あるときは之に利息を付すべきものとすこの場合においてはその利率は法律に特別規定ある場合は勿論（新商２７６）当事者が特に之を定めたるときは之によるべきは固よりなりといえども若し之を定めざりしときは年５分の割合をもって之を払うべきものとす。けだし法律は通常の利用方法に依れば金銭等は年５分の利益を生ずべきものとしたれなればなりなお今日は利息制限法（１０年9月11日告66号）の設ありといえどもこれは早晩廃止せらるべきを信ず但しその未だ廃止せられざる間は当事者の特約はこの制限を超えざる範囲内においてのみその効力を有すべく若し之を超ゆるときは制限額に之を減少すべきものとす。しかしてその制限額は１００円未満２割，１００円以上１０００円未満１割５分，１０００円以上１割２分とせり（利息制限法２）なお利息制限法第３条によれば法定利率は６分なりしもこれは民法の施行とともに廃止せられたり（民施５２）。

第４０５条　利息が１年分以上延滞したる場合において債権者より催告を為すも債務者が其利息を払わざるときは債権者之を元本に組入るることを得（財３９４）

　本条は重利（Anatocisme）に関する規定なり。けだし重利は外国においてはおおいに之を嫌悪しきわめて之を妨害せんことをはかれり新民法においては概して契約の自由を認むるが故に利息制限法の廃止を予期せると同時に重利の如きも敢えて之を禁圧するものにあらず故に当事者の自由の契約に依れば月々利を附するも可なり然りといえども若し特約なきときはみだりに重利を附することを許さずこれ他なし当事者の意思に反すること多かるければなり然りといえども債務者が利息の支払いを怠るも債権者は決して之に重利を附すること能わざるものとせば債権者は少なからざる損害を被りすこぶる不公平といわざるべからずかえって之がために債権者は利息の督促をかげんするの結果を生じついに債務者のためにも不利益をかもすことなしとせず故に本条においては延滞せる利息１年分以上に達するまでは敢えて重利を附することを許さずといえども若しその利息１年分以上に及ぶときは債権者は一応催告を為すの後債務者がその延滞利息を支払わざるときは之を元本に組み入れもって之をして更に利息を生ぜしむることを得るものとせり例えば年々利息を払うべき場合においてはその利息を支払うべき時期に至り債権者より一応の催告を為すもなお債務者之を支払わざるときは直ちに之に重利を附することを得べく又月々之を支払うべきときは１２ヵ月間はたとい債務者之を支払わざるも敢えて重利を附することを得ず（１２ヵ月前といえども月々の支払い時期の到来する毎にその督促を為すことを得るは勿論或いは利息のみに付き強制執行を為すもまた可なることは固より言うをまたず）然れどもすでに延滞利息１２ヵ月分に及ぶときは債権者は一応催告をなしたる後なお債務者之を支払わざるときは直ちに之を元本に組み入れ更に之に利息を附することを得べし。

第４０６条　債権の目的が数個の給付中選択によりて定まるべきときは其選択は債務者に属す（財４２８，旧商３２２）

　本条以下第４１１条に至るまではいわゆる選択債務（Obligation alternative）に関せり選択債務とは数個の目的中その一を給付すべき債務これなり選択債務の性質に付いては従来学者の議論一定せずといえども普通学者の唱うるところによれば債権は元来一個にしてただその目的が数個の給付中一に在るものとせるが如し然りといえども余の信ずるところによればいわゆる選択債務はむしろ数個の条件付債務よりなれるものにしてその各債務は「若し債務者，債権者又は第三者が他の債務の履行を為すべきものとせざるときは」といえる停止条件につながれるものといわざるべからず。けだし債権の目的の確定すべきことはその要素にして牛若しくは馬といえるが如きそのいずれとも確定せざるときはこれ債権の要素を欠けるものといわざるべからず故に一の債権は馬を目的とし他の債権は牛を目的とし。しかして甲は「若し債務者又は他の人が牛を目的とする債務の履行を為すべきものとせざれば」といえる条件につながり乙は「若し債務者その他の者の馬を目的とする債務の履行を為すべきものとせざれば」といえる条件につながるものと為さざるべからず。

　或いは曰ん新民法においては条件成就の効力は既往に遡らざるを本則とせるが故に若し選択債務にして条件付債務なりとせば選択の効力もまた敢えて既往に遡らざるものと為さざることを得ず然るに第４１１条に依ればその効力は既往に遡るものとせりこれ新民法においては選択債務をもって条件付債務と為さざりし明証ならんかと余曰く然らず条件成就の効力の既往に遡ると否とは専ら当事者の意思に関するものにして新民法においては一般の場合につき当事者の意思条件成就の効力を既往に遡らしめざるに在ること多しとしたるに過ぎず然るに選択債務の場合において当事者の意思選択の効力を既往に遡らしむるに在ること最も多しとしたるのみ故に之をもって選択債務の性質が条件付債務にあらずとするの理由と為すに足らざるなり但し本条以下の規定は多くは条件一般の規定に合わざるもののみなるが故にたといその性質は条件付なるもこれ普通の条件付債務にあらざることは固より疑を容れざるところなり。しかしてその然る所以のものは専ら当事者の意思を推測し普通の条件付債務におけると同じからざること多したればなり。

　或いは又曰はん選択債務をもって条件付債務なりとせば選択権が債務者に在る場合においてはその条件は単に債務者の意思のみに係るものなるが故に無数ならんと（１３４）曰く然らず債務者が一の給付を選択せざるときは必ず他の給付を為さざることを得ざるが故にこれ単に債務者の意思のみに係るものにあらざるなり。

　選択債務はこれを任意債務（Obligation facultative）と混ずべからず今任意債務の定義を下さんに債務の目的にあらざるものを給付して債務を免るることを得るときはその債務は任意債務なりというべきか例えば債務者は馬を与うるの義務を負うといえども若しこれを与うることを欲せざるときは牛を与うるも可なりというが如き即ちこれなりこれむしろ代物救済の予約を為せるものというべし故に新民法においては別に之が規定を設けず。

　選択債務の性質の条件付なると否とにかかわらず数個の給付中の一を選ぶは果たして何人の権内に存するかは最も中位を要する問題なり。けだし当事者が特にその選択を為すべき者を定めたるときは固より論なしといえども若し当事者が之を定めざりしときは果たして如何曰くこの場合においてはその選択権は当然債務者に属すべしこれ古来各国の法律において皆然るところにして又最も法理に適するものといわざることを得ずそれ債権なるものは常に債務者の行為をもってその目的と為すことは既に論じたるところなり（１頁以下）故に馬又は牛を与うるをもって債務の目的とする場合においてはその行為は債務者に出るべきが故に債務者の選択に依り馬又は牛を与えんに債権者は未だ債務の履行を為さざるものと為すことを得ずこれ各国の法律において皆選択権の債務者に属するを本則とせる所以なり。

第４０７条　前条の選択権は相手方に対する意思表示に依りて之を行ふ

　前項の意思表示は相手方の承諾あるに非ざれば之を取り消すことを得ず（財４３０）

　選択は債務者が之を為すと債権者が之を為すと又第三者が之を為すとに論なく意思表示に依りて之を行うべきものとす。しかしてその意思表示は書面，口頭その他如何なる方法をもってするも可なりただその意思表示は何人に対して之を為すべきかは本条第１項及び第409条第1項の定むるところなり。しかして本条は当事者の一方が選択を為す場合について規定せり本条の規定に依れば当事者の一方はその相手方に対して意思表示を為すに因りてその選択権を行うべきものとせりこれ固より当然の事にしてまた説明を要せざるべし但し相手方数名ある場合においてはその各自に対してその意思表示を為すことを要す。

　当事者の一方が選択の意思表示を為したる後は相手方は之に因りてその権利又は義務の確定せる事を信じ往々にして種々の準備を為し又は目的物中の一を処分することあり然るに選択者は随意にその選択を変ずることを得るものとせば相手方が之に因りて損害を被ることあるべきは固よりなりこれ本条第２項において相手方の承諾なき以上は選択の意思表示を取り消すことを許さざる所以なり。

第４０８条　債権が救済期に在る場合において相手方より相当の期間を定めて催告を為すも選択権を有する当事者が其期間内に選択を為さざるときは其選択権は相手方に属す

　前２条の規定に従い選択あるまでは当事者の権利義務不確定なること勿論なり然るに或いは多少の準備を為し又は目的物中の一を処分することを得るため速にその権利義務の確定せんことを欲する場合稀なりとせざるべし。故に救済期に至るまではその債権の性質上不確定の状態に在るべき始めより当事者の予期せしところなりといえども既に救済期に至りたる後は（しかして特に救済期の定めなきときは債権発生の時より既に救済期に在るべきことは第４１２条に至りて論ずべきところなり。選択権を有せざる当事者は選択権を有する当事者に対して相当の期間を定めその選択を促すことを得せしめ若し相手方が其期間内に選択を為さざるときはこれその選択を放棄したるものとみなし自らその選択を為すことを得せしめたり。

第４０９条　第三者が選択を為すべき場合においては其選択は債権者又は債務者に対する意思表示に依りて之を為す

　第三者が選択を為すこと能わず又は之を欲せざるときは選択権は債務者に属す

　本条は第三者をして選択を為さしむる場合に付いて規定せり。けだし選択債務に在りて第三者をして選択を為さしむることは敢えて稀なりとせざるべし例えば或る物品を購入するに当たり自己はその物の品質を識別するの明なきが故にその鑑識あるものに依頼して選択を為さしめんと欲することあるべし或いは又第三者に贈与する目的をもって或る物品を購買せんと欲するに当たりその第三者をして二物中の一を選択せしむるが如きはまた頻繁なる事例ならんがこの場合において選択の意思表示は誰に対して之を為すべきか曰く債権者又は債務者に対して之を為すべし。けだし債権者及び債務者は共に債権の利害関係者にしてそのいずれかに対して選択の意思表示を為すべきことは殆ど疑いを容れずといえども（第一）双方に対して之を為すべきかはたその一方に対して之を為すをもって足れりとすべきか（第二）若し一方に対して之を為すをもって足れりとせばそのいずれに対して之を為すべきか之いささか疑いあるところなり故に本条において（第一）双方に対して之を為すことを要せずその一方に対して之を為すをもって足れりとし（第二）その一方は必ずしも債権者又は債務者たることを要せずそのいずれかに対して之を為せば足れりとせり然らずんば往々にして不適法の選択を為す者ありてために選択の効力を生ぜざるが如きことあらんには実際の不便少なからざるべければなり。

　前条の規定に依り当事者の一方が選択を為すべき場合においては若しその者がその選択を怠りたるときは他の者代わりて選択を為すことを得るものとせるが故に少しも不便を感ずるのおそれなしといえども第三者が選択を為さざるときは果たして如何すべきか曰く純理より之を言えば第三者が選択を為すをもって条件とせるが故に若し第三者が之を為さざるときは条件の不成就に因りて債権は全く効力を生ぜざるものと為さざることを得ず然りといえども之多くは当事者の意思に反するものなるべし故に本条においてはこの場合には選択権は債務者に属すべきものとせりこれ他なし第４０６条において述べたるが如く債権の目的は常に債務者の行為に在るをもって債務者が選択を為すを本則とすべければなり。

　当事者が選択権を有する場合においてはその選択権を為すこと能わざる場合は決して之あらざるべし何となれば当事者は死亡するもその相続人において選択を為すことを得べく又当事者が無能力とためるもその法定代理人において之を為すことを得べければなり之に反して第三者が選択を為すべき場合においても大抵その第三者自身の選択を必要とすべきが故に若し第三者にして死亡するか又はその精神錯乱するときはついに選択を為すこと能わざるべしこの場合においてもまた選択権は債務者に属すべきはまた本条第２項の規定するところなり。

第４１０条　債権の目的たるべき給付中始より不能なるもの又は後に至りて不能と為したるものあるときは債権は其残存するものに付き存在す

　選択権を有せざる当事者の過失に因りて給付が不能とためりたるときは前項の規定を適用せず（財４２９，４３１ないし４３４）

　本条は債権の目的たるべき数個の給付中始めより不能なるもの又は後に至りて不能とためりたるものある場合に付いて規定せりこの場合においては純理より之を言えば選択を為すべき者は残存せるもの又は不能なるものを選択することを得べきが如しといえどもこの如くんば債権者は常に残存するものを選び債務者は常に不能なる物を選ぶに至るべく当事者の当初の意思に反すること多かるべし故に本条第１項においては旧民法その他外国の法典に倣い債権は常に残存せるものに付いて存するを原則としただ選択権を有せざる当事者の過失に因り給付が不能とためりたる場合に限りその相手方は既に不能となりたるものを選択し従って之が賠償を払わしむることをも得るものとせり（旧民法においては細目に至りいささか本条と同じからざるところあり）例えば馬又は牛を与うべしとせる場合においてその馬が偶然病にかかりて死亡するときは選択権の債務者に属すると債権者に属するとはた第三者に属するとを問わず爾後債権の目的は牛のみに存するものとす又書工が書を描き又は金１００円を払うべき場合においてその書工が不幸病にかかり手の自由を失いたるときは選択権の誰に属するを問わず爾後その書工は単に金１００円の義務を負うべきものとす然りといえども若し選択権を有せざる債務者がその過失に因り馬を死に致したるときは選択権を有する債権者はその馬をもって値ありとせばその馬を選択しその価格その他の損害賠償を債務者に請求することを得べし又書工が選択権を有する場合において債権者がその書工に暴行を加えその手に負傷せしめもって書を描くこと能わざるに至らしめたるときは書工は書を描くことを選択し。しかしてその書を描くことは債権者の過失に因り不能とためりたるが故に全くその義務を免れたりと主張することを得べしなお不法行為に因り債権者に賠償の責あることは固より言うを待たざるところなり（７０９）。

第４１１条　選択は債権発生の時に遡りて其効力を生ず但第三者の権利を害することを得ず（財４３５）

　本条は選択の効力を定めたるものなり元来一の行為は事実上将来に向かいてのみその効力を生ずべきものなるが故に若し本条の明文なくんば選択の効力は単に将来に向かいてのみ生じ普通の学説によるも選択までは債権の目的全く未定なりしものとすべく又余が説に従えば条件の一般規定に従い（１２７）選択までは条件付法律行為の目的たる債権は未だ全く発生せずして単にその債権の発生を妨げしめざる一種の債権を生ずるに止まるべし然れどもこれ実際に不便多くして且つ当事者の当初の意思に反すること多かるべし故に本条をもって特に選択の効力を既往に遡らしめ選択債務発生の当時既にその選択ありたると同一の結果を生ぜしめたり例えば馬又は牛を与うべき場合において選択権者が馬を選択する前にその馬が子を産みたる時はその子も又債権者に属すべく又その馬は選択の当時より債権者の所有に帰したるものとみなさずして債権発生の時より既に属せしものとみなすの類これなり但し第三者の権利を害することを得ざるものとせるが故に例えば不動産又は金若干を与うべき場合において選択権者がその不動産を選択したりとせんに若しその以前において債務者がその不動産に付き地上権，永小作権，質権，抵当権等を設定したるときは敢えてこれらの権利を蔑如すること能わず然らずんば第三者は意外の損失を被ることあるべければなり但し登記法の作用に因り若しその不動産に付き予め選択債務を登記するときは之をもって第三者に対抗することを得べし（登２，２号２頁）故に不動産に付いては本条の規定は単に第三者の登記後に登記を為したる場合においてのみその適用あるべきものとす。

　　　　　第２節　債権の効力

　本節において債権は一般の効力を定め（第一）履行の時期及び方法を規定し（第二）不履行の制裁即ち賠償の事を規定し（第三）第三者に対する債権者の権利を規定しもって之を保護せり。

　　　　　　１　履行

第４１２条　債務の履行に付き確定期限あるときは債務者はその期限の到来したる時より遅滞の責に任ず

　債務の履行に付き不確定期限あるときは債務者はその期限の到来したることを知りたる時より遅滞の責に任ず

　債務の履行に付き期限を定めざりし時は債務者は履行の請求を受けたる時より遅滞の責に任ず（財３３３，３３６，３８４，旧商３０６，３１６）

　本条は債務不履行の時期を定め併せて債務者がその時期を怠るときは遅滞の責に任ずべきことを定めたり。けだし債務不履行の時期は当事者の意思又は法律の規定に依りて定まるべきものなりといえども之を大別すれば三つの場合を生ずべし。

第１　期限附債務

　期限には確定期限（Terme certain）不確定期限（Terme incertain）の二あり。確定期限はその時期確定して何年何月何日又は幾年若しくは幾月の後等の如しこの場合においては債務者は予めその履行を為すべき時期を確知せるが故に必ずその期限到来の時に履行を為すべきものにして若し之を怠るときは直ちに遅滞の責に任ぜざるべからず。

　不確定期限とは人の死亡，今後始めて雨降る時等の如くその到来することは明かなりといえどもその何れの時に到来すべきか不確定なるものをいうこの場合においては債務者は必ず履行の時期の到来すべきことを知れりといえどもしかもその何れの時に之を為すべきかを知らず故に期限到来の即時に履行を為すべしとするときは往々にしてその知らざる間に期限の到来することありために意外に責任を負うべき場合を生ずべしこれすこぶる酷に失するものといわざることを得ず故に本条第２項においては債務者がその期限の到来したることを知りたる時に履行を為すべきものとし若し之を怠るときはここに始めて遅滞の責に任ずべきものとせり例えば人の死亡はその死亡の場所に居るものを除く外特にその通知を受けざれば之を知らざるを常とす又降雨の如きも若し離隔したる土地に居るときは果してその土地に雨降りたるや否やを知らざること多し故にこれらの場合においてはその死亡，降雨などを知りたる時より責任あるものとす。

第２　単純債務

　単純債務とは期限，条件などの如き体様を存ぜざる債務をいう。しかして若し債務原因（法律の規定，法律行為等）に別段の体様を定めざるときはその債務は常に単純なる物とすこの場合においては理論上は債務者直ちに履行を為すべきものなりといえどもこの如くんばいささか苛酷に失するの嫌なきにあらずこれにおいてか本条第3項においては債務者が債権者より履行の請求を受くるまではたとい履行を為さざるも敢えて怠慢者とみなさずただ履行の請求を受けたるときは直ちに履行を為すべく然らずんば遅滞の責に任ずべきものとせり但しこの場合においては元来債務の発生と同時にその債務は救済期にあるものなるが故に若し債務者が債権者の請求を受くるに先だち任意に履行を為さんにはこれ極めてその義務を重したるものというべく固より債権者において之を拒むことを得ざるものとす（期限ある場合といえどもその期限が債務者の利益のみのために設けられたるものなるときは債務者は何時にてもその利益を放棄して直ちに救済を為すことを得べきは１３６の規定に依りて明かなり）

第３　条件附債務

　条件付債務即ち停止条件付き債務は第１２７条の規定に依り条件成就のときに始めて発生すべきを原則とせるが故に（三訂一巻２９９頁，３００頁）条件成就の前に履行の責なきことは固より論をまたずといえども一旦条件成就するときはその債務単純となり前項の場合におけるが如く債権者より履行の請求を受けたる時に履行を為さざるときは遅滞の責に任ぜざることを得ざるものとす故にこの場合においては当然本条第３項を適用すべきものとして特に明文を掲げず。

　以上述ぶるところに依り債務者の責に任ずべき場合においては果して如何なる制裁があるこれ第４１４条乃至第４２２条に規定するところにしてこの場合においては債務者は不履行者となり之に因りて生ずる損害の賠償を為すべく殊に特定物を目的とする債務に在りては債務者が未だ遅滞の責に任ぜざる間において物が天災に因りて滅失したるときは之に付いて債務者は少しも責任を負うことなしといえども（４１５,５３４参観）その遅滞者となりたる後はたとい天災に因りてその物が滅失するもその天災がたとい遅滞の責を生ぜざる前に履行を為すもなお生ずべかりし場合を除く外債務者は必ずその滅失に付き責任を負わざるべからず例えば火災，盗難等はいわゆる天災にして之に付いては債務者責任を負わざるを原則とするといえども若し債務者が遅滞者とためりたる後に火災若しくは盗難に遭いたるときは債権者は若し債務者が速に履行を為したらんにはこの天災を生ぜざりしならんと主張することを得べきが故に債務者はこの天災に付いても責任を負わざるべからず然りといえども若し不動産の如く何人か之を占有するも必ず火災に遭いたらんということを得べき物又は動産にても債務者，債権者共に同時に火災に遭い共にその荷物を搬出するの暇なかりしとせばたとい速に履行を為すもその物は到底火災を免るることを得ざりしならんということを得べし故にこの場合においては例外として債務者は責任を免るることを得べし但し之固より例外なるが故に債務者よりその証拠を提出すべきは固よりなり且つ速に履行を為すも債権者は同一の災害を受けたるならんというの理由に因りてこの例外を生ずるが故に若しその物は天災に因りて消滅すべきこと明かなるも債権者にして速に履行を受けしならんには直ちに之を他に譲渡しもって災害を免るることを得べかりし事情の存するときは債務者またその責に任ぜざることを得ず但しこの場合においては債権者より直ちに第三者に譲渡したらんということを証明すべきは勿論なりとす。

第４１３条　債権者が履行を受くることを拒み又は之を受くること能わざるときはその債権者は履行の提供ありたる時より遅滞の責に任ず（財４５１，４項，４７４ないし４７６，取８０，旧商３０４）

　本条は債権者に遅滞の責ある場合を規定せり。けだし債務者が履行を為さんと欲するに当たり若し債権者が之を受けざるときは之に因りて債権者のために生じたる損害は債権者自ら之を負担せざるべからざるは勿論若し之に因りて債務者に損害を加えたるときは債権者はまたその賠償の責に任ぜざるべからず例えば債務者が適当の時期に履行を提供するも債権者之を受けずために債務者はいむことを得ずしてその目的物を保存するに方りその物が天災に因りて滅失したるときは之に由りて生ずる損害は債権者自ら之を負担すべきは勿論若し債務者が債権の目的物を債権者のもとに運搬したるに債権者が之を受けざるためいむことを得ず更に之を自宅に運搬するため費用を要しその他之を保存するために或いは費用を要し或いは店舗，倉庫等の場所を塞ぎために損害を被りたるときはその損害は債権者をして之を賠償せしむることを得べし。けだしこの場合においては債務者には少しも過失なくしてかえって債権者に履行を受けざるの不当あればなり。

　右は債務者が正当の履行を為さんと欲するに方り債権者が不当に之を拒み又は債権者の方における事情のため之を受くること能わざりし場合に付いてのみ言えるものにして若し債務者の履行が債務本旨に適せず従って真の履行といい難き場合において債権者が之を理由としてその履行を受くることを拒みたる場合の如きはその責固より債務者に在りて決して債権者に在らず故に債権者には何等の責任なくしてむしろ債務者に不履行の責任あるべきこと固より言うをまたざるところなり。

　債務者に過失なくして債権者が履行を受くることを拒む場合はその悪意なる場合を除き債務者が正当の履行を提供するに拘わらず自己は之を不当なりと信じて之を受くることを拒む場合なるべし又債権者が之を受くること能わざる場合は天災，地異若しくは病気などのため債権者が履行地に到ること能わずして遂に債務者の履行の提供を受くること能わざる場合最も多かるべし。

　後の第４９４条には債権者が履行を受くることを拒む場合及び之を受くること能わざる場合の外別に債権者を確知すること能わざる場合を掲げたり本条には之を掲げざるが故にこの場合を包含せざるものとみるべきかいわく否これ或いは法文の欠点ならんといえども債権者を確知すること能わざる場合は即ち債権者が履行を受くること能わざる場合なること勿論なるが故に本条には特にこの場合を掲出せざりしものか。

第４１４条　債務者が任意に債務の履行を為さざるときは債権者は其強制履行を裁判所に請求することを得但債務の性質が之を許さざるときはこの限りに在らず

　債務の性質が強制履行を許さざる場合において其債務が作ためを目的とするときは債権者は債務者の費用をもって第三者に之を為さしむることを裁判所請求することを得但法律行為を目的とする債務に付いては裁判をもって債務者の意思表示に代うることを得

　不作ためを目的とする債務に付いては債務者の費用をもって其行為したるものを除却し且将来のため適当の処分を為すことを請求することを得

　前３項の規定は損害賠償の請求を妨げず（財３８２，民訴７３０ないし７３６）

　本条は債務者が任意に其履行を為さざるに当り之を強制して履行を為さしむることを得べきや否やを定めたるものなり。けだし西洋においては古来各人の自由を重するのあまり債務は債務者が任意に之を履行せざるときは単に之に対して賠償を求むることを得るに止まり敢えて之を強制して履行を為さしむることを得ざるを本則とせりといえども法律ようやく進歩するに従いその誤れることを悟るに至れり。けだし債務なるものは既に債務者の自由の幾分を奪うものにして到底債務在る者は全く自由を享有するものということを得ず若し然らば間接に之を強制するの方法に甘すると更に進みて直接に之を強制して履行を為さしむるとこれ畢竟程度の問題に過ぎず且つや法律の狭発達するに従い各種の権利いよいよその保護を厚うしその効力をして力めて完からしめんことを期するに至りしが故に債権といえども充分その効力を生ずることを得てついに債務者を強制してその目的を達することを得るものとするに至りたるはけだし自然の勢いといわざるべからずこれ本条においては旧民法，フランス民法等の主義を含めて原則としては如何なる債権といえどもその強制履行を許すものとせりただその性質が到底強制履行を許さざるものなるときは自ら他に制裁を求めざることを得ず例えば俳優をして演劇を為さしめ書工をして書を描かしむるが如きは到底任意に之を為すにあらざれば如何ともすること能わざるものなるが故に若し債務者にして任意に履行を為さざるときは損害賠償を求むるの外あらざるなり但し作ための義務に在りてもその行為の性質上必ずしも債務者自ら之を為すことを要せざるものは第三者をして代わりて之を為さしめもって履行に充てただ債務者をしてその費用を負担せしむることを得べし但しこの場合においては真の履行にあらずして一種の賠償方法なりというを妥当とす例えば大工が家屋の修繕を為すべき場合において他の大工をして之を為さしめ，東京より大阪まで旅行を為すべき者が之を為さざるとき他人をしてその旅行を為さしむるの類これなり。

　法律行為もまた意思を要するものなるが故に若し債務者にしてその意思を有することを肯せざるときは到底その履行を望むべからず然りといえども債務者が法律行為を為すの義務を負う場合においては多くは債権者はその法律行為その物を欲するにあらずしてむしろこれより生ずべき効力を得んことを欲すべきをもってこの場合においては裁判所に請求して債務者にその法律行為を為す義務あることを認めしめその裁判をもって直ちに債務者の意思に代うることを得るものとせり例えば甲が乙のために保障を為すべきことを約ししかも乙の債権者に対して保障契約を締結すること拒む場合においては乙は裁判所に請求して甲にその義務あることを認めしめ同時にその裁判をもって甲の意思に代えついに保障契約をして成立するに至らしむることを得べし（民訴７３６，登２７，３５，２頁参観）。

　不作為の義務に在りてもその性質が強制履行を容れる場合においては固より強制して之を履行せしむることを得べし例えば俳優がその劇場に出でて演劇を為さざることを約ししかも之を犯してその劇場に出でんとするに当たり債権者は公力をかりて之を妨げることを得べし然りといえども多数の場合においては債務者が不作ための義務あるに拘わらずその事を為したる後始めて債権者その権利を犯されたりと為して裁判所に救済を求むべきが故に真の強制履行を求むる場合はけだし極めて稀なるべし。しかして債務者が既にその事を為したる場合においては債権者は債務者の費用をもってその既に為したるものを除去しかつ将来のために適当の処分を為さんことを裁判所に請求することを得べし例えば債務者がその所有地に家屋を建築せざることを約しながら之を建築したる場合においては債権者はその家屋を取り除かしめかつ将来その建築を為すべからざることを言い渡さしめもって後日強制執行を為すの便に供することを得べく又例えば俳優がその劇場に出でて演劇を為さざることを約しながらその劇場に出でて演劇をなしたるときは債権者はその演劇を為すことを中止せしめかつ将来その劇場に出でて演劇を為すときは１日に付き若干の金額を債権者に払うべきことを裁判所において定めしむることを得べしなお本条第3項には単に「請求することを得」といい前２項におけるが如く「裁判所に請求することを得」といはざるをもって必ずしも裁判所に訴うることを要せざるものと知るべし。

　以上述べたるが如く債務の性質が強制履行を許す場合においては債権者は之を請求することを得べく又その性質が之を許さざる場合においても履行に代わるべき強制方法あることは右に述べたるが如し然りといえどもこれらの場合において多くは債権者のために多少の損害を生ずべし例えばその履行の遅延するため又は履行に代わるべき方法が真の履行と同一の利益を与えざるため殊に不作ための義務に在りて債務者が既にその義務を犯してある行為を為したる場合においては債権者が損害を被るべきは固よりなりこの損害は債務者をして之を賠償せしむべきことは殆ど疑いを容れざるところなりといえども万一の疑講を避くるため本条第４項において之を名言せり。

　　　　　　２　賠償

第４１５条　債務者がその債務の本旨に従いたる履行を為さざるときは債権者は其損害を請求することを得債務者の責に帰すべき事由に因りて履行を為すこと能わざるに至りたるときまた同じ（財３８３，３８４，旧商３２３，３２５，３２８）

　本条以下第４２２条に至るまでは不履行に因りて生じたる損害の賠償に関せり。けだし債務者がその債務を履行せざるときは前条の規定に従い原則として強制履行を求むることを得るといえどもしかも場合に因りては債務の性質が之を許さざることあり又時としては強制履行を遂くるもなお既に生じたる損害あることなしとせざることは既に前条において論じたるところなりかつ又強制履行を求むれば之を為さしむることを得るといえども遅延したる履行は債権者のために充分の利益を与えざるをもってむしろ損害賠償を請求して履行を求めざるを便とすることありなお契約上の債務に付いては若し債務者が正当の時期にその債務の履行を為さざるときは契約を解除し単に損害の賠償のみを求むることあるべきは後に論ずべきところなり（５４１，５４５右いずれの場合においても賠償の問題を惹起すべく。しかしてここに論ずるところは即ち右の各種の場合に通ずるものなり）。

　履行が不能とためりたるときは法律は不能を責むること能わざるが故にその債務は消滅すべきこと固より論をまたず然りといえども若しその履行の不能とためりたることが債務者の責に帰すべき事由に因れるときは即ち債務者が履行を不能としたるものにしてこれ純然たる不履行の場合とす故にこの場合においてもまた債務者は損害賠償の責に任ぜざることを得ず例えば債務者がその債務の目的たる特定物を故意又は過失に因りて毀滅したるときはその債務の履行不能とためりためにその債務の消滅を来すといえどもこれ固より債務者の責に帰すべき事由に因れるが故に之に由りて生じたる損害を債権者に賠償せざることを得ざるものとす。しかして債務者が履行を遅滞せる間においてそのものが天災に因りて滅失したるときはたとい遂に履行を為すも債権者は同一の損失を被りたらんということを証明することを得ざる限りはなお債務者の責に帰すべき事由に因りて履行の不能を来したるものというべく従って債務者に損害賠償の責あるものとす。

　債務者が遅滞に在らざる間において債権の目的たる特定物が天災に因りて滅失したるときは債権者全然その責を免るべしといえども挙証の責は果たしていずれに在るか債権者より物が債務者の故意又は過失に因りて滅失したることを証明すべきかはた債務者より物が天災に因りて滅失したることを証明すべきかいわく債務者は保存の義務を負う者なるが故に（４００債務者より天災の証明を為すにあらざればその責を免るることを得ざるものとす。

　本条以下の規定は債務者がその債務を履行せざる場合について規定せるものなること固より論をまたずといえども債権者が第４１３条に依りて責任を負う場合にもまた之を適用することを得るや否やいわく之を適用することを得べし。けだし債権者は履行を受くる義務を負える者にしてこの義務は即ち一の債務に外ならざればなり但し法律が之を名言せざりしば或いは欠点と為すべきか。

第４１６条　損害賠償の請求は債務の不履行に因りて通常生ずべき損害の賠償を為さしむるをもって其目的とす

　特別の事情に因りて生死たる損害といえども当事者が其事情を予見し又は予見することを得べかりしときは債権者は其賠償を請求することを得（財３８５，旧商３２４，３２６，３２９ないし３３１）

　本条は賠償義務の範囲内を定めたるものにしてその原則とするところの不履行と損害との間に原因，結果の関係あることを要するものとするに在り。しかして法理上より言えばいやしくも原因，結果のある以上は債務者は一切の損害を賠償すべきが如しといえども本条においては幾分か債務者を保護しこれに制限を附することとせりその制限如何いわくたとい原因，結果の関係あるも若しその損害にして全く特別の事情より生じ当事者之を予見すること能わざるものなるときは債務者は之を賠償することを要せず一般の規定としては通常の場合において不履行より生ずべき損害分を賠償するをもって足れりとせり例えば製造業者がその製造の原料を注文したる場合において若しその注文を受けたる者が期日に履行を為さざるときは製造業者はためにその製造を中止するの止むことを得ざるに至り従って若干の損害を受くるが如きは通常生ずべき損害にして実に当事者の予見すべきものなるをもって債務者が常にその賠償の責に任ぜざるべからざるは敢えて疑いを容れざるところなりといえども若しその製造業者が製造品の買主に対し過分の違約金を特約し注文受けたる者がその債務の履行を為さざるがためについにその違約金を払うの止むことを得ざるに至りたるが如きはその損害全く特別の事情より生じたるものにして又債務者が予見すること能わざりしところなり故に注文当時特にこの事情を債務者に告げ即ち当事者双方がその事情を予見せし場合にあらざれば債権者は債務者をしてこの損害の賠償に任ぜしむること能わざるが如きこれなり（特別の事情より生ずる損害にして当事者が予見することを得べかりしものとは例えば凶作に遭い米価にわかに騰貴するが如きこれなりこの場合において米若干石の債務を負える者は損害賠償として騰貴したる米価を支払うべきものとす）。

　右は本条に規定するところなりといえども余は立法論としては之を取らず。けだしその損害の通常なると非常なると当事者が之を予見せしと予見せざりとに論なくいやしくも不履行なる不法行為より生じたる損害は全て之を賠償せしむべきものと信ず。けだし債務者が予見せざりし損害を賠償せしむるはいささか酷なるに似たりといえども債権者に取りては自己に少末の過失なく全く債務者の過失のみに因りて受けたる損害の全部又は一部を自ら負担し過失者たる債務者をして之を償わしむることを得ずとせば過失なき債権者を保護すること未だ尽くさざるものありといわざるべからずこれ即ち債権の効力を充分に認めざるものにして決して完全なる法律と為すことを得ずしかりといえどもこれ自ら立法論に属するが故に深く論ぜず。

　世の学者動もすれば直接の損害は之を賠償せしむることを得るも間接の損害は之を賠償せしむること能わずというといえどもこれ非なりたといその損害は間接なるもいやしくも原因，結果の関係ある以上は過失者をして之を賠償せしむべきは理の当然なり例えば債務者が履行を怠りたるがため債権者もまた第三者に対してその債務の履行を怠るの止むを得ざるに至りたるときはその損害や間接なりといえどもしかも怠慢ある債務者をして之を賠償せしむるにあらざれば過失なき債権者はために意外の損害を被るべければなりただ不履行と損害との間に原因，結果の関係を認め難き場合においては固より賠償の責を生ずることなし例えば債権者の病中において債務者がその義務を履行せざりしため大いにその神経を病ましめついに精神の錯乱を来し又はにわかに病勢を危篤ならしめ終いに之を死に至らしめたる場合においては債務の不履行は幾分が債権者の精神錯乱若しくは死亡を助成したるに相違なしといえどもしかもこれ不履行のみに因れる損害と為すことを得ず何となれば若し債権者にして当時病体ならざりせば決してこの結果を生ぜざればなり故にこの損害は不履行のみより生じたるものにあらずして不履行と病気との二者より生じたるものなり故にこの損害の責を債務者に帰することを得ずこれけだし学者のいわゆる間接損害ならんが然りといえどもその用語極めて曖昧にして往々誤解を来すのおそれあるをもって余は之を取らず。

第４１７条　損害賠償は別段の意思表示なきときは金銭をもって其額を定む（財３８６，１項）

　本条は損害賠償の定め方に付き規定せるものなり。けだしこの賠償は当事者において予め之を約定することを得るといえども若し特別の約定なきときは必ず金銭をもって之を定むべきものとせりこれ他なし金銭なるものは最も便利なる商品にして之に由りて一切の需要を充たすこと容易なればなり。

第４１８条　債務の不履行に関し債権者に過失ありたるときは裁判所は損害賠償の責任及び其金額を定むるに付き之を斟酌す（財３８７）

　本条は債権者に過失ありたる場合においてなお債務者に賠償の責あるや否やを定めたるものなりこの場合において損害は不履行より生じたるもその不履行は敢えて債務者の過失のみより生じたるにあらず債権者もまたその過失に因りて之を招きたるものなり故に若し債権者の過失のみに因りて不履行を生じたるときは全く債務者に賠償の責なく又たとい債務者に少々の過失あるも主として債権者の過失より不履行を来したるときはまた債務者に賠償の責なく債権者の過失と債務者の過失と共に不履行の原因たるときは債務者に賠償の責あるは勿論なりといえどもしかもその金額に付いては債権者もまたその一部を負担せざることを得ず例えば債権者がその過失に因りて債務の目的たる特定物を毀滅したるときは債務者に賠償の責なく。しかしてこの場合においてたとい債務者がそのものを転覆しやすき場所に置きたりとするも債権者がその過失に因りて之を転覆せしめついに之を毀滅したるときはまた債務者に賠償の責なく又毀壊しやすき物が債権の目的たるばあいにおいて債務者之を持して疾走し債権者もまた疾走して債務者と衝突しためにその物を取り落さしめついに毀滅に至らしめたるときは両人共に過失あるものにしてその過失の程度互いに相如くが故に裁判所は各その損害の半額を負担すべきものとすることを得べし又債権者が債務者の通行すべき場所に足を横へもって債務者の通行を妨げたる場合において若し債務者之につまづきて地上に転倒しためにその手に持せし債務の目的物を毀壊したるときは主として債務者に過失ありといえども債権者もまた幾分か過失なきにあらず故に裁判所は例えば債務者をして損害の３分の２を負担せしめ債権者をしてその３分の１を負担せしむることを得べし。

第４１９条　金銭を目的とする債務の不履行に付いてはその損害賠償の額は法定利率に依りて之を定む但約定利率が法定利率に超ゆるときは約定利率に依る

　前項の損害賠償に付いては債権者は損害の証明を為すことを要せず又債務者は不可抗力をもって抗弁となすことを得ず（財３９１，３９２，旧商３２４，３２５，３３４）

　本条は金銭を目的とする債務の不履行の場合に付いて規定せりこの場合においては一方において金銭の用途は千種萬類にしてその支払いを怠りたる場合において債権者がいずれの用途を妨げられために損害を被りたるかを確知することしいたって困難なるのみならず他の一方においては金銭なるものは相当の利息を払えば之を得ること甚だ難しからず又之を得たる者は相当の利息を取りて之を他人に貸与すること極めて容易なるを常とす故にその支払いを怠りたるより生ずる損害は多くはその利息額に在りとすこれ本条においてこの場合の賠償額は法定利率即ち年５分４０４）を標準として之を定むべきものとせる所以なり（商２７６において商事の法定利率を６分と定めたるをもって商事債権に付いては損害賠償の性質を有するいわゆる遅延利息もまた６分とす）。

　債務が無利息なるが又は法定利率より低利を生ずべき場合においては債権者はその履行を受くべき時期において履行を受くれば直ちに相当の利息即ち法定利息を得べかりしを常とするに債務者がその履行を怠りたるため債権者がこの利息を得ること能わざるものなるが故に履行を為すべかりし時期より法定利息を払わしむるをもって賠償の最も穏当なる方法と為さざることを得ず然りといえども若し債務が法定利息よりたかき約定利息を生ぜし場合においては若し不履行の時より賠償として法定利息を払わしむるときは債務者は不履行に因りてかえって利益を受くべく債権者は之に因りて損害を受くべきを常とするをもってむしろ賠償として引き続き約定利息を支払わしむるを妥当とす。けだしこの場合においては当事者間に在りては金銭の値あたかも約定利息に相当せるものとみるべく従いて債権者は不履行に因りて少なくもその利息額を損すべきものと認むべければなり。

　本条第１項に「約定利率」といえるも必ずしも契約をもって定めたるもののみを言うにあらず。単独行為をもって定めたるものといえども又この中に包含するものとす。例えば遺言をもって定めたるものといえども遺言者が利息を受くべき者に対して之を与うべきことを約したるものということを得べし。但し法文は多少の批難を免れざるか。

　以上述べたる理由に依り金銭債務の不履行の場合においては利息分の損害は常に必ず生ずるものとみなし又これより多くの損害を生ぜざるを常とするものとみなしたるなり故に債権者は別に損害の証明を為すことを要せずして右の利息を請求することを得べく又原則としては実際これより多くの損害を被りたりと主張することを得ず但し例外として利息のほかに賠償を求むることを得る場合少なしとせず（４４２，２項，４５９，２項，５４５，２項，3項，６４７，６６９，６７１，９４０，２項）。

　金銭はあたかも相当の利息を払えば之を得ること容易なるを常とするが故に債務者は不可抗力に因りて履行を怠りたりと主張することを得ず例えば債務者が債権者に支払うべき金銭を準備せしにたちまち強盗に遭いて之を失いために履行を怠るの止むことを得ざるに至りたりとするも法律はその債務者が直ちに相当の利息を払いて之に代わるべき金銭を借り入れざるを不等としなお賠償として利息を払わしむるものとす。

第４２０条　当事者は債務の不履行に付き損害賠償の額を予定することを得この場合においては裁判所はその額を増減することを得ず

　賠償額の予定は履行又は解除の請求を妨げず

　違約金は之を賠償額の予定と推定す（財３８８ないし３９０，旧商３３２，３３７ないし３４０）

　本条の規定は旧民法にいわゆる過怠約款（Clause pénale, Konventionalstrafe）に関するものなり過怠約款とは当事者の一方の不履行の場合においてその賠償として相手方に一定の金額を払い又は他の給付を為すべき約定をいうこれ本条にいわゆる賠償額の予定これなり。けだし債務の不履行の場合においては相手方に損害を生ずべきこと通常なるをもって裁判所に請求してその損害の賠償を求むることを得べきは理論上疑いなきが如しといえども実際においては或いはその損害を証明すること難しく或いはその損害ありたることは之を証明すること容易なりとするも果たして幾何の損害を受けたるかは最も評定に苦しむところなるべし。しかして裁判所は極めて不確実なる標準に因りて賠償額を定むるの外なきをもっていわゆる損害賠償は真の賠償というべきことむしろ稀なりとすこれにおいてか当事者は予め不履行に因りて債権者が被るべき損害を予見しその不履行の場合においては裁判所に出でて損害ありたることを証明しかつその損害の何程の額に達っせるかを争うことを要せず常に一定の金額を払い又は他の給付を為しもって賠償に充つべきことを定むること頻繁にしてその約定の有数なることはけだし言うをまたざるところなりといえどもただその約定の効力に付いては従来の立法例大別して五と為す（第一）一切その増減を許さざるもの（第二）一部履行の場合に限りその減額を許すもの（第三）実損害の多少に応じその額を増減することを許すもの（第四）その著しく不当なる場合に限り之を増減することを許すもの（第五）実際損害の生ぜざりしことを証明するときはその給付を為すことを要せずとするものこれなり。しかして本条においては右の第一の主義を採用したるものなりこれ余が大いに賛成するところなり。けだし当事者は任意に贈与さえをも為すことを得るものなるが故にたとい損害なきも相手方に若干の金額を払い又は他の給付を為すことを約することを得ずんばあるべからずいわんやその損害の多少を論ずることを要せんや殊に裁判所において証明することを得る損害の額なるものは極めて不確実なることは殆ど人の争わざるところにしてはなはだしきに至りては実際損害を受けたること明かなるもただ之を法廷に証明するの方法なきため止む事を得ずついに賠償を請求することを得ざることありかつや損害の証明及びその額の多少の評定は極めて困難なるをもって若し賠償額の予定なくんば動もすれば当事者間に無益の争訟を生じために双方に少なからざる損害を被ること稀なりとせず故に実損害に当らざるにもせよ予め約定したる金銭その他の給付をなしもってこの不利益を避けんと欲するは当事者の極めて正当なる意思にして法律がこの意思を尊重すべきは多弁を費やさずして明かなりこれ余が本条の主義を賛成する所以なり（４１８の場合においても裁判所は予定賠償額を変更することを得ず但不履行が全く又は主として債権者の過失に因るときは債務者の不履行にあらざるが故に一切の賠償の義務なきものとす）。

　賠償額の予定に付きすこぶる困難なる問題は当事者がその予定を為すに当り果たして之をもって契約の履行に代え又は之を請求する以上は更に不履行に因りて契約の解除を求むることを得ざるものとしたるや否やこれなりこれ固より事実問題にして約定の当時の事情により当事者の真意を探求するを第一とす然りといえども人の意思なるものは外部より之を知ること極めて難きが故に約定当時における当事者の意思を探求するは難事中の難事なり殊に当事者の一方の意思は明瞭なるも他の当事者が同一の意思を有せしや否や之を知ること能わざる場合少なしとせずこれにおいてか法律には一定の推定を設け若し当事者の意思判然とせざる場合においては法律上一定の意思を有せしものと為さざることを得ず。しかして本条第２項においては当事者の意思は原則として賠償額を予定するもために契約の履行を求め又はその契約を解除するの権利を放棄したるものにあらずと推定すこれけだし損害賠償なるものは単に履行を遅延したるのみに因りて之を請求することを得べく又契約を解除するに拘わらず既に生じたる損害の賠償を求むることを得べきは固よりなるが故に（５４５，３項）当事者が賠償額を予定したる場合においても敢えてその性質を変じたるものとみなさずその意思たるやなお履行又は解除を併せて請求することを得るものとするに在りたりと推定せり然りといえども当事者は特約をもってこの推定を破ることを得るのみならず契約当時の事情により之に異なりたる意思ありたるものと認むべき場合においては本条第２項を適用すべき限りにあらざることは固より言うをまたざるところなり例えば賠償額非常に多額にして契約の目的物の価格に超過するときは当事者の意思は多くはこれと共になお履行を請求し又は契約を解除して自己の債務の履行を免れんと欲したるものにあらずとすべきは殆ど明かなるところなりこの如き場合においては本条第２項の規定を適用すること能わざるものとす。

　以上は当事者が単に損害賠償として或る金額その他の給付を定めたる場合に付いて論じたりといえども当事者は往々にして特に債務不履行の場合を予想し債務者を強制するため違約金なるものを約定し幾分か契約上の刑罰に類するものを定むることありこれ果たして有数なるや否や学者中或いは之を無数なりと主張するものなきにあらずといえども前に論じたるが如く当事者は贈与さえをも為すことを得るものなるが故に敢えて之を無数とすること能わずただその違約金は単に違約の罰として之を払うべきものなるがはたまたしか然らずしてその実賠償額の予定なるかは往々之を判別し難きことあり故に法律は特に推定を設け原則としては違約金をもって純然たる賠償額の予定とみなし之に賠償額の予定の規定を適用すべきものとせり然りといえども当事者は往々にして之を懲罰的のものとせんと欲することあり故に本条第３項においては単に一応の推定を設くるに止め当事者が反対の意思を有せしこと分明なる場合においては敢えてこの規定に依らず違約金の外若し実際の損害あらば別に之を賠償せしむべきものとせり。

第４２１条　前条の規定は当事者が金銭にあらざるものをもって損害の賠償に充つべき旨を予定したる場合に之を準用す

　前条においては余は金銭とその他のものとを分たずして之を論じたりといえども法文においては単に金額のみに付いて規定したるものというべし何となれば損害賠償は金銭をもってその額を定むるを本則とすることは第４１７条に規定するところなればなり然りといえども金銭以外のものをもって賠償に充つべき旨を約したる場合においてもなお前条の規定によるべきは固よりなるが故に特に本条を置けるなり。

　金銭にあらざるものをもって損害の賠償に充つる場合は米穀その他の財産を与うべきものとする場合の外賠償として広告を為しその他或行為を為すべき旨を約したる場合をも包含す。

第４２２条　債権者が損害賠償としてその債権の目的たるもの又は権利の価格の全部を受けたるときは債務者はその物又は権利に付き当然債権者に代位す

　「債権者が賠償としてその債権の目的たるもの又は権利の価格の全部を受けたるときは」その債権者は既にその物又は権利を失いたるものとして受けたる損害の全部の償還を得たる者といわざることを得ず故に若しこの場合において右の賠償を得たるの外なおその物又は権利を回復することを得るものとせばその債権者は畢竟二重の利益を受くる者にして実に不等の利得といわざることを得ず故にたとい本条の規定なきも前に賠償を為したる債務者は必ず債権者に対してその支払いたるもの又は権利の価格の償還を請求することを得べきは不当利得の原則に依り敢えて疑いを容れざるところなりといえども（７０３）若し債権者が無資力となりたるときは債務者はついに損失を被りたるに至ることなしとせず故に本条においては債権者が既に賠償としてその物又は権利の全価格を受けたるときはその物又は権利を債務者に放棄したるものとみなし債務者をして当然債権者に代位してその物を他人より取り戻し又はその権利を行使することを得せしめたり例えば他人の物の寄託を受けたる者がその過失に因りてその物を紛失したる場合においては債権者は賠償としてその物の全価格を受くることを得るといえども既に之を受けたる以上は後日その物を発見するも債権者は更に之を請求することを得ず。しかして受寄者はその債権者に代わりてその物の所有権を得たるものとみなさざることを得ず又例えば借家の差配人が賃借人に対する家賃の請求を怠りために賃借人をして直ちにその延滞したる家賃を支払わしむること能わざる場合において債権者は賠償としてその延滞家賃の全額を差配人に請求することを得るは固よりなり然りといえどもこの場合においてはその差配人は賃借人に対する権利を取得し後日賃借人が資力を得たるときは之に対して延滞家賃の請求を為すことを得べきものとす。

　　　　　　３　第三者に対する債権者の権利

第４２３条　債権は自己の債権を保全するためその債務者に属する権利を行うことを得但債務者の一身に専属する権利はこの限りにあらず

　債権者に期限が到来せざる間は裁判上の代位に依るにあらざれば前項の権利を行うことを得ず担保存行為はこの限りに在らず（財３３９，２３年１０月３日法９３号裁判上代位法，非訟事件手続法７２ないし７９）

　本条は債権者が自己の債権を保全するため第三者に対してその債務者の権利を行使することを得る旨を定めたるものなり。けだし債権はもともと債権者と債務者との関係に過ぎざるが故にその効力を第三者に及ぼすことを得ざるを本則とす例えば子が他人に対して債務を負うもその父に向かいてその債務の履行を求むることを得ず又甲が乙に対して債務を負いたる後その所有の不動産を丙に譲渡したりとするも乙はその債務の履行を丙に請求することを得ざるが如きこれなり然りといえども例外として債権者が第三者に対して権利を行うことを得べき場合二あり一は債務者に代わりてその権利を行う場合一は債務者が為したる行為を取り消すことを得る場合これなり。しかして本条においては右の第一の例外を定めたるものなり之を間接訴権（Action oblique）という。

　債権者がその債権を保全するためとは因りてもってその債権の履行を確保せんがためにするをいう例えば債務者が取得したる不動産の登記を為すことを怠れる場合において若し速にその登記を為すにあらざればその後譲渡人より更にその不動産の所有権を譲受たる者出でてたちまちその譲渡を登記しもってその債務者の所有権を奪うが如きことなきを保せず然るに若しその不動産にして債務者の所有に在らば債権者はその債権の任意の履行を得ざる場合においてその不動産を差し押さえその代償をもって自己の債権の救済に充つることを得べし故に債権者が債務者に代わりてその登記を請求するはこれ自己の債権を保全するものにあらずして何ぞや又例えば債務者が債務者を有する場合において（これを第三債務者という）その債務者が第三債務者に対してその債務の履行を請求することを怠れるときは債権者はその債務者に代わりて第三債務者に対し請求を為すことを得ずんばあるべからず何となれば若し第三債務者が救済を為せば債権者は之をもって自己の救済に充つることを得るといえども若しその請求を為すことなく第三債務者もまた任意に救済を為すとせば債権者が之に因りてその債権の履行を得ること稀なりとせざればなり。

　右の規定に対して２個の制限あり。

第１　その権利が債務者の一身に専属するときは債権者は之を行使することを得ず例えば債務者がその雇人に対し自己のために役務を執らしむるの債権を有する場合において債権者は之に代わりてその雇人を使役することを得ず又例えば債務者が他人より教授を受くるの債権を有する場合において債権者は之に代わりてその債権を行い自ら教授を受けんと請求することを得ずこれ他なし（第一）右の雇人，教師等は債務者なるなにがしのために役務を執り，なにがしに教授を為すの義務を負うといえども敢えて他の者のために役務を執り，教授を為すの義務を負うことなし（第二）これらの債権は債権者之を行うもために自己の債権を保全するの目的を達すること能わざるを常とすただその労役，教授等を評価しもって自己の債権の救済に充てんと欲することなしとせざるべきも法律は敢えて之を許さざるなり又例えば債務者に対し扶養の義務を負う者之に月々金若干を払うべき場合又は契約，遺言等に因り債務者の食糧に充てるため金若干を支払うの義務を負う者ある場合においても債権者は債務者に代わりてその金額の支払いを請求すること能わざるなり。

第２　債権者はその債権の期限の到来前といえどもなお本条の権利を行うことを得べしただこの場合においては債権者は未だこの権利を行うの必要あらざること多きをもって特に裁判所に請求し裁判所の許可を得て債務者に代位したる後始めてその権利を行うことを得るものとせり但し債権の期限既に到来せる場合においては債権者は速に救済を受けんことを欲するは固よりにしてまた極めて正常なる希望といわざることを得ず故に直ちに債務者に代わりてその権利を行うことも許すといえどもその債権の期限が未だ到来せざる場合においては債権者は元来未だ自己の権利を行使して債権の履行を求むること能わざるが故に債務者に代わりてその権利を行わんと欲するは豊に大早計ならずやしかも特にこの権利を行うの必要ありとせば裁判所に請求してその許可を受くべきものとしもって債権者がみだりに債務者の権利に干渉し遂に累を債務者に及ぼすの弊をためんと欲したるなりこれ本条第２項の規定するところなりなお非訟事件手続法第７２条乃至第第７９条にその手続きを定めたり。

　　右の規定に一の例外あり他なし債権者は期限前といえども裁判上の代位をまたずして保存行為を為すことを得ることこれなり。けだし保存行為の性質たる一方においては速に之を為すにあらざればその数なく又一方においては事体概して簡単なるが故に特に裁判所において裁判所においてその当否を調査するの必要なきものとしたる例えば債務者のために登記を為すこと債務者の権利が時効にかからんとするに当り之を中断すること等之なり。

第４２４条　債権者は債務者がその債権者を害することを知りて為したる法律行為の取り消しを裁判所に請求することを得但しその行為に因りて利益を受けたる者又は転得者がその行為又は転得の当時債権者を害すべき事実を知らざりしときはこの限りにあらず

　前項の規定は財産権を目的とせざる法律行為には之を適用せず（財３４０ないし３４２）

　本条ないし第４２６条はいわゆる廃罷訴権（Action Pauliana，Action paulienne ou révocatoire，Paulianische oder Ａnfechtungs-Klage）に関する規定なり。廃罷訴権とは債務者がその債権者を害すべき法律行為を為したるに方りその債権者より之を取り消すの権利之なりこれには４つの条件を要す（第一）その法律行為が債権者を害すべきものなること例えば債務者の資産と負債と略，同額なる場合においてその債務者がその所有の不動産を他人に譲渡しために無資力とためりたるとき又は既に無資力なりしといえどもこの譲渡に因りて？その無資力を加えたるとき（第二）債務者の悪意なること即ちその債権者を害することを知れること（第三）その法律行為に因りて利益を受くる者の悪意なること即ちその行為が債権者を害すべきことを知れること（第四）裁判所に請求すること。けだし私に之を取り消すことを得るものとせば往々にして弊害なきこと能わず例えば債権者，債務者及び法律行為の相手方皆通謀して本条の条件を欠けるになお之を具備せるものとしもって法律行為を取り消すなきを保せずこの場合において第三者は往々にして損害を被ることあるべければなり。

　右の第二及び第三者の条件なる債務者の悪意と受益者の悪意とはいささかその趣を異にするものあり他なし債務者の悪意は必ず之を証せざるべからずこれ「その債権者を害することを知りて為したる」といえる所以なり之に反して受益者の悪意はむしろ法律においては之を推定し特に受益者より「債権者を害すべき事実を知らざりし」ことを証明するにあらざれば本条の適用を免るること能わず。けだし債務者の悪意なるときはその行為を取り消すことを得るも本則としただ受益者が善意なりしことを証明するときは特に之を保護するためその取り消しを許さざるものがいわんや受益者の悪意を証明すべきものとせば実際その真に悪意なるときといえども之を証明すること難きがため遂に取消権を行うこと能わざる場合多かるべきにおいてをや（本文に受益者といえるは大抵相手方なりといえども第三者の利益を目的とする契約に在りては受益者はその第三者なり）。

　相手方なき行為に付いては本条第１項但書の適用なかるべくしたがって右の第三者の条件を要せざるべし例えば債権者を害することを知りてその所有物を放棄したるが如きこれなり広告もまた相手方なき行為なりといえどもその効力を生ずる場合には常に相手方あるべく遺贈の相手方なき行為なることまた固よりなりといえどもこれ債権者を害すること能わざる者なるが故に（旧民法においては必ずしも然らざるも新民法においては即ち然り〔１０３３，１０４７，３項，１０５０，２項〕なお破産法において相続の破産にあっては被相続人の債務を救済したる後にあらざれば遺贈を履行すべからざることを規定するなランと信ず）相手方なき行為に付き本条を適用すべき場合はけだし極めて稀なるべし。

　法律行為の受益者より更にその目的物を譲受たる者に対しては果たしてその法律行為を取り消すことを得るや否や本条の規定に依ればこの者もまた譲受の当時債権者を害すべき事実を知らざりしことを証明するにあらざれば敢えて本条の適用を免るること能わざるものとせり。けだし受益者とこの者との間に差別を設くるの理由あらざればなり或いは問わん転得者は悪意にして法律行為の相手方は善意なる場合においては果たして本条の訴権を行うことを得るがいわく然りけだし本条の規定は悪意者に対しては之を援用することを得るものなるが故に若し転得者にして悪意ならんが之に対して本条の訴権を行うことを得ずんばあるべからず。しかしてその中間に在りたる法律行為の受益者が善意なると悪意なるとを問うことを要せざるなり或いはいわん法律行為の受益者が善意にして転得者が悪意なる場合においては若し転得者にして廃罷訴権の行使に遭うべきものとせばその転得者が売買その他の有償契約に因りてその物を譲受たる場合においてはその譲渡人に対して担保の請求を為しもってその物の代償を返還せしむることを得べし（５５９，５６１）故に善意の譲渡人は若し譲渡を為さざれば廃罷訴権の行使に遭うことなく不幸にして之を他人に譲渡したるがため自ら廃罷訴権の行使に遭わずといえどもその結果を受くるに至るべし豊に不当といわざるべけんやといわく然らずこの場合においては法律が特に転得者に対して訴権を与うるが故にその転得者が自己の悪意のために受けたる訴の結果をその譲渡人に影響せしむることを得ず故にこの場合に売買の規定を適用せんと欲するは非なり従って法律上の規定は少しも不公平の結果を生ずるのおそれなし。しかして法文の解釈上余の説の誤らざることは本条但書において「その行為に因りて利益を受けたる者又は転得者が債権者を害すべき事実を知らざりしとき」といいそのいずれか悪意なる者に対して廃罷訴権を行うことを得べき旨を明かにせり故に若し両人共に悪意なるときは両人に対して之を行うことを得べくその一人のみ悪意なるときはその悪意者に対してのみ之を行うことを得べし。

　旧民法その他外国の法律においては有償行為と無償行為とを分ち又法律行為の相手方と転得者との間に規定を同じうせざる例少なからずといえども新民法においては理由なしとして之を取らざりき。

　本条の権利もまた一の取消権なり故にこれに規定するものの外取消の通則に従いうべきものとす即ち第１２１条の規定は本条の取消権にも適用すべきものなりただ総則偏第四章第四節の規定は性質上ここに適用し難きもの多し。

　本条の規定はもともと財産上債権者を保護せんと欲するに止まれるが故に之に因りて財産以外の事項に影響を及ぼすことを許さず故に財産権を目的とせざる法律行為即ち隠居，家督相続の承認等に在りてはたとい財産上に影響を及ぼししかして債務者が債権者を害することを知りて之を為すも敢えてその隠居，承認等を取り消すことを得ず（第二）。但しこれらの場合において債権者を保護すべき規定は親族偏及び相続偏に之を設けたり（７６１，９８８，９８９，１０４１乃至１０５０）。

第４２５条　前条の規定に依りて為したる取消は総債権者の利益のためにその効力を生ず（財３４３）

　廃罷訴権の効力は単に之を行いたる者のみのために生ずべきがはた他の債権者のためにの生ずべきかは一問題なり然れども本条においてはその効力は総債権者のために生ずるものとせり例えば債務者がその所有の不動産の譲渡に因りて無資力とためりたる場合においてその譲渡の取り消しは当時既に債権者たりし者の一人より之を請求したりとするもその取り消しの効力は常に当時既に債権者たりし者の全員のみならずその後に債権者とためりたる者のためにも生じて皆その利益を受くべきものとすこれ他なし廃罷訴権は単に債務者の財産中より不当に出でたるものを取り戻してまた債務者の財産中に入るるに過ぎずして敢えて之がために或債権者に特権を与うるものにあらず故に尋常の債権者は皆平等にその財産に付いてその権利を行うことを得るものとすべければなり。

第４２６条　第４２４条の取消権は債権者が取り消しの原因を確知したる時より２年間之を行わざるときは時効に因りて消滅す行為の時より２０年を経過したるときまた同じ（財３４４）

　本条は廃罷訴権の時効を定めたるものなり。けだし法律行為の取り消しは之を行うことを得る場合においては通常第三者に対してもその効力を生ずべく又当事者間に在りても十数年間の久しきにわたるときはその間に既定の関係を生じ之を変更するときは意外の粉離を来たすこと稀なりとせず故に速に取消権を行うべきものとするにあらざれば債権者を保護するの規定適第三者をして意外の損失を被むらしむるの結果を生ずるに至るべし殊に債務者，その相手方等の善意悪意の如きは１０数年の後は之を証明すること極めて困難にして若しその証明を許すときは往々にして際限なき訴権を惹起するのおそれなしとせずこれにおいてか立法者は取消権をもって２年の時効にかかるべきものとせり但しその起算点は債権者が取り消しの原因即ち自己を害すべき法律行為ありたることを確知したる時に在るものとす。

　本条の特別時効もまた時効なるが故に時効の通則を適用しその中断，停止等に関する規定に従うべきは固よりなり。

　本条の規定は普通の時効を長きに失するものとして特に之を短縮するの目的をもって設けたるものなり然るに若し右に論ずるところのみなるときは稀には普通の時効即ち２０年の期間を経過するもなお取消権時効にかからざることなしとせず即ち債権者が取り消しの原因を確知すること遅くして行為の時より２０年に垂とし又は２０年を過ぎて始めて取り消し原因を確知したりとせんにその時効は必ず２０年経過の後若干の歳月を経るにあらざれば完成せざるべしこれ豊に立法者が本条前段の既定を設けたる目的ならんや故に本条後段において特に普通の時効を適用しそのいずれか短きに従うべきものとしたるなり。

　　　　　第３節　多数当事者の債権

　本節は債権者又は債務者が数名ある場合に関し規定を設けたり。この場合においてはまず各債権者または各債務者債権の全部に付いて権利義務を有するがはたまた各々その一部について権利義務を有するかを定めるべからず。これを第１款，総則とす。次に債権の目的が不可分なる場合に関し特別の規定あり。これを第２款，不可分債務とす。次に数人の債務者が各唯一の債務者たるが如く義務を負う場合について規定せり。これを第３款，連帯債務とす。次に主たる債務者の傍らにその者が債務の履行を為さざるにあたりその履行を為すべき従たる債務者あることあり。この従たる債務を名付けて保証債務という。これ第４款において規定するところなり。

　　　　　　第１款　総則

第４２７条　数人の債権者又は債務者ある場合において別段の意思表示なきときは各債権者又は各債務者は平等の割合をもって権利を有し又は義務を負う（財４４０，旧商２８７，新商２７３，１項，６年７月１７日告２４７号訴答文例２３，２５，８年４月２０日告６３号）

　我国においては従来債権者又は債務者の数名ある場合においてはその全員より又はその全員に対して債務の履行を請求すべきを本則とせるが如し。しかしてその結果たるや債権者の一人に対し又は債務者の一人より債務の全部を救済すべきものとせるが如し（訴答文例２３，２５，８年４月２０日告６３号）。然りといえども欧州においてはローマ法以来大抵反対の主義を取り債権者又は債務者数名ある場合においては原則としてその権利義務当然その間に分かるべきものとせり。これ或いは実際に便ならんか。しかして若し当事者にして之を欲せざるときは特に連帯を約すれば可なりこれ本条の現定するところなり。

　一旦権利義務の数人間に分かるるを主義とする以上は特別の事情若しくは当事者の別段の意思表示なき以上は各自平等の割合をもって権利を有し義務を負うべきは殆ど言うをまたざるところなり然りといえども若し明文なくんば時として疑義を生ずるのおそれなしとせず故に本条においてこの義を明かにせり。

　　　　　　　第２款　不可分債務

　債権者及び債務者が各一人なるときは債権の目的の可分なる（divisible，teilbar）と不可分なる（indivisible，unteilbar）とを問うことを要せず若し別段の規定若しくは当事者の別段の意思表示なければ必ず一時に債務の全部の履行を為さざるべからずただ債権の目的がその性質上不可分なるときはたとい当事者が之を分割して履行することを欲するも事実不能なるが故にその意思は到底之を実行すること能わざるべきのみ之に反して債権者若しくは債務者が数人ある場合においては前款の規定に依り原則としては各債権者又は各債務者皆一部の救済を受け又はその一部の救済を為すをもって足れりとするといえども若し債権の目的がその性質上又は当事者の意思表示に因り不可分なる場合においてはその一部履行を許さざるが故に本来債権者又は債務者は各一部の権利義務を有するに過ぎずといえどもしかも各その全部の履行を求め又はその全部の求に応ぜざるべからずこれ不可分債務の可分債務と異なるところなり例えば家屋一棟の建築，馬一頭の引渡し等は物の性質上不可分にして地役権の設定の如きは権利の性質上不可分なるものなり故に之をもって債権，債務の目的と為すときはその債権，債務は不可分なるものなり故に債権者数人あるもその各自より全部の履行を求むることを得べく又債務者数名あるもその各自より全部の履行を為さざるべからずといえども金銭，米穀，土地等の如きは皆有形上之を分つことを得るものにして又家屋その他の所有権はたといその目的物は之を分つことを得ざるもその権利の性質たる之を分ちて数個の共有権と為すことを得べく又金銭，米穀その他分つことを得べき物の引渡し，作成等はまた作ための可分なるものなりこれらのものをもって債権，債務の目的と為すときはその債権，債務は可分なり故に若し債権者若しくは債務者数名あるときはその各自よりその債権の一部の履行のみを求むべく又はその一部の履行のみに付き義務を負うものとす。

　以上述ぶるところに因り不可分債務に在りては債権者の数名あること債務者の数名あることとあるべきこと明かなり。しかして本款においては第４２８条及び第４２９条に債権者の数名ある場合を規定し第４３０条は債務者の数名ある場合に関し第４３１条には二つの場合に通ずる規定を掲げたり。

第４２８条　債権の目的が其性質上又は当事者の意思表示に因りて不可分なる場合において数人の債権者あるときは各債権者は総債権者のために履行を請求し又債務者は総債権者のため各債権者に対して履行を為すことを得（財４４１，担８６）

　本条は不可分債務に在りて債権者数名ある場合を予想したるものなりこの場合に付いては従来三主義あり（一）債権者の全員共同にのみ請求を為すことを得又債務者は債権者の全員に対してのみ履行を為すことを得るものとし（二）各債権者より履行の全部を求め又は債務者より各債権者に対し全部の履行を為すことを得るものとし（三）各債権者より債権者の全員に対し履行を為すべき旨を請求することを得るに止まるものとせり。しかして余の見るところによれば右の第二主義最も法理に適し又実際に便なるが如し。けだしこの場合においては各債権者は元来一部に付いてのみ債権を有するといえどもしかも実際一部履行を為すことを得ざるがため止むことを得ず債務の全部の履行を求め又債務者も全部の履行を為すにあらざれば到底その各自に対する履行をまっとうすること能わざるべし。しかしてその各自の権利は各独立して存するが故に或いは債権者の全員共同するにあらざれば履行を請求することを得ず又その全員に対してのみ履行を為すべきものとし或いは各債権者より独立に履行を請求することを得るも債務者に求むるには債権者の一人に対し全部の履行を為すべき旨をもってせずして全員に対し履行を為すべき旨をもってすることを得るに止まるものとすればこれ不可分債務の性質に戻れるものといわざるべからず。しかして実際においてもまたこの如きは少なからざる煩雑を醸し不便すこぶる多きをもって本条においては第二の主義を取りたるなり。

第４２９条　不可分債権者の一人と其債務者との間に更改又は免除ありたる場合においても他の債権者は債務の全部の履行を請求することを得但其一人の債権者が其権利を失わざれば之に分与すべき利益を債務者に償還すること要をす

　この他不可分債権者の一人の行為又は其一人に付き生じたる事項は他の債権者に対して其効力を生ぜず（財４４５，４４６，５０１，４項，５１５，２項，５２１，４項，５３６，担８９，２項，９１，１項）

　不可分債権の場合においては各債権者の間に分るべきことは既に論じたるが如し故に各債権者の行為又は各債権者に関し生じたる事項は他の債権者に対して効力なきを原則とするは固より当然なり然りといえども立法者は債権の目的の不可分なるにより実際の便宜と当事者の意思とを考え債権者の一人と債務者との間に更改又は免除ありたる場合においては他の債権者は債務の全部の履行を請求することを得るは固よりなりといえどもその更改又は免除を為したる債権者が受くべかりし利益は之を債務者に償還すべきものとせりこれ他なし債権の目的不可分なるに因り債権者は其一部の履行を求むることを得ざるが故にその全部の履行を求むるといえども若しその債権者にしてその受けたるものを保留するときは不当利得を為すべきが故にその一部の利益を他の債権者に分たざることを得ず。しかして理論より之を言えば更改又は免除を為したる債権者もまたその分配を受くべきものとす然るにこの債権者は業にすでに更改又は免除に因りてその権利を失いたるが故に若しその分配を受くるときはかえって不当利得を為すものといわざることを得ず。しかして債務者は一方においてはその債権者に対し更改又は免除に因りてその義務を免れたるにかかわらず他の債権者より全部の履行を求められたるをもって止むことを得ずその履行為しためにその債権者より得たる利益をして水泡に帰せしむるに至るべきをもって立法者は履行を受けたる債権者をしてその債権者が受くべかりし利益を債務者に償還せしめもって相互の間に求償を為すの必要なからしめたり例えば1万円の値ある家屋の建築を目的とする債務に在りて債権者の一人はその全部の建築を求むる権利ありといえどもしかも三人の債権者中一人は業に既に更改又は免除を為して家屋建築の債権を失いたりとせばその債権者各平等の利益を受くべきものとして更改又は免除を為したる債権者は３千３百３３円３３銭３３厘の利益を受くべかりしものなるが故にその履行を求めたる債権者は右の金額を債務者に償還せざることを得ざるの類これなり。しかして債権の目的が当事者の意思によりてのみ不可分なる場合においては右の計算は殊に容易なるものとす。

　混同に付いても右と同一の結果に至るべきは殆ど疑を容れざるところなり然りしかして之を本条中に掲げざるものは他なし混同は理論上真の債務消滅の原因にあらざれば故に債務者が債権者の一人の権利を承継し又は債権者の一人が債務者の義務を承継したる場合においてはその者は債務者としては全部の履行を為さざることを得ずといえども債権者の一人としてはその一部の利益の分配に与かるべきは固よりなればなり然りといえども第５２０条には債権は混同に因りて消滅すべきことをいえるが故に更改，免除に付き明文を要するものとせば混同に付いてもまた明文を要したるが如し但し不当利得の原則により同一の結果に至るべきは余が信じて疑わざるところなり（７０３）。

　相殺は新民法においては一方の意思表示に因り始めて生ずるものとせるが故に債務者が債権者の一人に対し相殺の原因を有するも他の者に対して之を援用することを得ざるは勿論なりただ相殺の原因ある債権者より請求を受けたる場合において相殺を対抗したるときはその債権者は他の債権者の利益を分与すべきはまた勿論なり。

第４３０条　数人が不可分債務を負担する場合においては前条の規定及び連帯債務に関する規定を準用す但し第４３４条乃至第４４０条の規定はこの限りに在らず（財４４１，４４２，４４４，２項，４４７，４４８，５０１，１項，５０６，２項，５０９，２項，３項，５２１，４項，５３６，担８６，８９，１項，９１，１項）

　本条は不可分債務に付いて債務者の数人ある場合を予想せりこの場合においては原則として連帯債務に関する規定を準用すべきものとす例えば債権者はその債務者の一人に対して全部の履行を求むることを得べく（４３２）一人に関する法律行為の無効又は取り消しの原因存するもために他の債務者の債務の効力を左右することなく（４３３）債権者は各破産債務者の財団の配当に加入することを得べく（４４１）履行を為したる債務者は第４４２条乃至第４４４条の規定に従い他の債務者に対して求償を為すことを得べく又当事者の意思に因る不可分の場合に在りて債権者が一人に対し不可分を免除したるときは第４４５条の規定を準用すべきが如し但し（第一）第４３４条乃至第４４０条の規定は之を準用することを得ざるものとし（第二）債権者数名ある場合における更改，免除等に関する前条の規定はまた之を本条の場合にも準用すべきものとせり。

第４３１条　不可分債務が可分債務に変じたるときは各債権者は自己の部分に付いてのみ履行を請求することを得又各債務者は其負担部分に付いてのみ履行の責に任ず

　不可分債務は時として可分債務に変ずることあり例えば債務の目的が一個の特定物の引き渡しなる場合に置いてその目的物は不可分なりといえども若し債権者数名ある場合において債務者の過失に因りてその物を滅失したるときは各債権者は債務者に対し損害賠償を求むるの他あらざるべし然るに金銭は之を分つこと極めて容易なるが故に各債権者は平等の割合をもって各別にその請求を為すべく又債務者数名ある場合において各債務者が期限に至り履行を為さざるうちその物が天災に因りて滅失したるときは債権者はまた損害賠償を求むるの他あらざるべくしかしてその損害賠償は各債務者平等の割合をもって之を分担すべきものとすこれ欧州においてはローマ法以来殆ど疑なきところなり。

　　　　　　　第３款　連帯債務

　連帯（Solidarité ,Gesammtschuldverhältniss）は従来これを分かちて働方（Solidarité active）及び受方（Solidarité passive）の２種とせり。働方連帯とは債権者間に存する連帯にして受方連帯とはその債務者間に存するものなり。しかりといえども西洋においても働方連帯は今日実際に行わるること稀にしてほとんどその必要を見ずといえり。いわんや日本の如く従来右様の約定を為すの慣習なかりし国においては特にこれを法文に規定するの必要なし。故に新民法においては単に債務者間の連帯即ち連帯債務のみに付いて規定せり。

連帯債務は従来分かちて完全なる連帯（Solidarité parfaite）及び不完全なる連帯（Solidarité imparfaite）の２とせり。しかして　旧民法においては甲を単に連帯といい乙を全部義務といえり。しかして２者の分かるる所は代理の有無に在りとせり。しかれども新民法においては連帯をもって必ずしも代理あるものとせず。しかもある場合においては幾分か代理に類する関係を生ずるものとせり。故にその性質たるや旧民法の連帯と全部義務との中間に在るものというべし。しかして当事者は旧民法にいわゆる全部義務の如き義務を約することもとよりその自由なりといえども余の信ずる所によれば特にこの如き義務を約することはけだし極めて稀なるべく寧ろ純然たる連帯を約すべきのみまた立法者も法律上数人の債務者をして各自債務の全部に付き責を負わしめんと欲する場合においては単にいわゆる全部義務あるものといわずして寧ろ連帯義務あるものとすべきのみ故に新民法においては連帯債務のほか別にいわゆる全部義務の如きものを規定せず。但し稀には自らいわゆる全部義務を生ずることなきにあらずといえども特に法文の規定をまたずしてその関係明白なるべきのみ例えば第７１４条，第７１５条及び第７１８条の場合において無能力者の監督義務者及びこれに代わりて事業を監督する者，動物の占有者及びこれに代わりて動物を保管する者は皆各，損害の全部に付き賠償の責に任じ被害者はそのいずれに対してもこれを請求することを得べし。故にこれ旧民法にいわゆる全部義務ならん。しかりといえどもこれらの場合において被害者はその１人より賠償を受くればまた損害なきが故に更に他の者に対して賠償を求むることを得ざるはもとよりにして又その義務者相互の関係においては監督義務者，使用者，占有者は自己に代わりて監督，保管等を為す者に対して求償権を有すべきことは特に明文をまたずして明かなる所なり。これ本款において単に連帯債務に付いてのみ規定する所以なり。

　連帯の性質に付いては諸説紛々として外国の立法例また一様ならずといえども新民法においては各連帯債務者が債権者より唯一の債務者の如くみなさるるをもって連帯の性質とせるが如し。しかしてその問に代理あるものとみなさず。ただ僅かにある場合においては便宜のために又は当事者の意思を推測して幾分か代理関係に均しき効力を生ぜしむるに過ぎず。なおその詳細に至りては本款の各条に付き説明する所あるべし。

　連帯債務は果たして単一の債務に債務者数人あるものと視るべきか将た各債務者１個の債務を負担するものと視るべきか。けだしローマ法においては幾分か単一の債務関係あるものの如くみなしたりといえども今日においてはローマ法の方式は既に跡を収め当事者の意思を重し。実際の便利を大にせんことをつとむるに至れるが故に連帯債務といえども各債務者に付き１個の債務を生ずるものとしただその間に一種の関係あるに過ぎざるものとせり。けだし債務の要素は当事者と目的とに在ることはけだし人の争わざる所なり。しかるに今債務者数人ある以上はその各自が負担する所の債務は必ず別異ならざることを得ず。しかしてローマ法におけるが如くその各自の債務を１個の方式中に包含せしむるが如き形式を要せざるが故にその債務単一なりというは頗る牽強附会の譏を免れざるべし。

　債務が単一ならざるより生ずる結果は債務の原因，目的，体様等皆同一なることを要せざることこれなり。これ旧民法と同じからざる所ありといえども一旦債務の単一ならざることを悟らばこれらは皆必然の結果といわざることを得ず。しかして実際においてもまたすこしも弊害あることを見ざるなり。

　連帯は契約より生ずるを本則とするといえどもまた往々にして法律の規定より生ずることあり。例えば第４４条第２項，第７１９条，第９１３条第２項その他商法にこれを規定せるもの極めて多し（新商６３，１３６，１４６，２項，２１６，２７３，２９９，３３９又刑４７）。旧民法には法律上の連帯の場合頗る多かりき。又旧民法にいえるか如く遺言によりて連帯を生ずること敢えて絶無にあらざるべしといえどもこれ極めて稀なるべきをもって敢えて論ぜず。

　本款に規定する所はこれを大別するときは債権者と債務者との関係と債務者間の関係との２者とす。請う序を逐えてこれを説明せん。

　　　　　１　債権者と債務者との関係

第４３２条　数人が連帯債務を負担するときは債権者はその債務者の１人に対し又は同時若しくは順次に総債務者に対して全部又は一部の履行を請求することを得（担５４，６年１７日告２４７号訴答文例２５）

　本条は連帯の性質を明かにするものにしてこれにより各連帯債務者が債権者より唯一の債務者の如くみなさるべきことを示せり。けだし第４２７条の総則により普通の場合には債務者数人あるときは債務はその間に平等に分かるるものとす。しかるに連帯の場合においては各債務者は１人にて債務の全部に付き責任を負い債権者より請求を受けたる債務者は敢えて自己のほかに他の債務者あることを言いもってその責任の一部を免るることを得ず。但し各債務者を唯一の債務者の如くみなすは全く債権者の権利に属するものにしてもし債権者にしてこれを不利益と思わば敢えてこれ仮定によることを要せざるなり。故に債権者は同時に債務者全員に対して請求を為すことを得べし。いわんやまず甲に請求し次に乙に請求し又次に丙に請求するが如きはもとより債権者の自由に在るものとす。これ今日の法理よりこれを観ればほとんど言うをまたざるが如しといえどもローマ法を主とし未だ充分に発達せざる法律に在りては往々にして１人に対し訴えを起こすときはまた他の債務者に対して請求を為すことを得ざるものとせり。故に本条においては右様の主義を取らざることを明かにせり。

第４３３条　連帯債務者の１人に付き法律行為の無効又は取消の原因の存する為め他の債務者の債務の効力を妨ぐることなし（担５７，１項，５８）

　連帯債務においては各債務者各々１個の債務を負えることは既に論じたるが如し。故にその１人に付き連帯債務の原因たる法律行為の無効又は取消事由あるも敢えて他の債務者の債務に影響を及ぼすことなし。例えば連帯債務者の１人が法律行為の常時精神錯乱せるをもってその行為成立せずためにその者の債務は存せざるももし他の債務者にして完全なる意思を有せしときは他の債務者の債務は全く有効なるものとす。又例えば１人が法律行為の当時無能力なりしによりその行為を取消すことを得るももし他の債務者にして能力者なるときはその者は敢えて義務を免るることを得ざるが如きこれなり。しかして他の債務者数名ある場合においてはその間にのみ連帯の存することはけだし疑いを容れざる所なり。本条以下ほとんど毎条連帯債務者の１人云々といえるもこれ必ずしも１人なるにあらず。ただその１人毎に本条以下の規定を適用すれば可なるをもって単に１人といえなり。

第４３４条　連帯債務者の１人に対する履行の請求は他の債務者に対しても其効力を生ず（担６１，１項，６２）

　第４３２条によれば債権者は連帯債務者の１人に対してその債権全部の履行を請求する権利を有する者なり。しかるにもしその１人に対する請求が他の者に対して効なきものとせんが往々にして同時に各自に請求を為さざれば債権者の不利益となることあるべし。故に各国の法律大抵皆１人に対する請求をもって他の者に対してもまたその効あるものとせり。

　本条の規定の結果として債権者が連帯債務者の１人に対して履行の請求を為したるときは（第１）債務に期限の定なき場合においてはその請求の日より各債務者のために遅滞の責を生じ従って利息その他の賠償を払うの義務を生ずるのみならずその後天災によりて債務の目的物が滅失するももしその物が債権者に引渡されたる後といえどもなお滅失したるならんといえることを証明するにあらざれば各債務者はその滅失の責に任ぜざることを得ず。（第２）請求は時効中断の原因なるが故に（１４７，１号）本条により１人に対する請求は同時に各債務者のために時効を中断するの効力を生ずべし。

第４３５条　連帯債務者の１人と債権者との間に更改ありたるときは債権は総債権者の利益の為に消滅す（財５０１，１項，担５７，２項）

　本条も前条と略，同一の精神により幾分か債務者間の代理を認めたるものなり。けだし純理より言えば各連帯債務者の債務は各，別個に存するをもってたとい債権者がその１人と更改を為すも債権はその一人のためにのみ消滅すべく他の債務者のためには依然として存すべきが如しといえども法律は当事者の普通の意思を推測しこの場合においては更改を為す債務者の意思においてもまた債権者の意思においても債権全部に付いて更改を為し旧債権に付いては各債務者自らその責を免るることとしたるなり。但し１人の意思をもって他人に新たなる債務を負わしむることを得ざるが故に前債務は消滅するも更改によりて生じたる新債務はただ更改を為したる１人の債務者に対してのみ存するものにして他の債務者は全くその義務を免るべきものとす。

第４３６条　連帯債務者の１人が債権者に対して債権を有する場合に於て其債務者が相殺を援用したるときは債権は総債務者の利益の為めに消滅す

　右の債権を有する債務者が相殺を援用せざる間は其債務者の負担部分に付てのみ他の債務者に於て相殺を援用することを得（財５２１，２項，担５７，２項）

　本条は連帯債務者の１人と債権者との間に相殺の原因の存する場合について規定せり。けだし相殺に付いては第５０５条以下においてはこれを詳論すべきが故にここにはただ連帯の場合におけるその効力のみ定めたり。この場合においてあるいは債権者より請求を受けたる債務者相殺の原因を有しあるいは他の債務者これを有することあり。甲の場合においては債務者はあたかも債権者より全部の請求を受くるが故にこれに対して自己の債権を援用しもって連帯債務の全部に付き相殺を為さんと欲するはもとよりにしてもしその債権額連帯債務の額と同じきか又はこれに超ゆるときは連帯債務は相殺によりて全く相殺すべく。しかしてこの消滅は総債務者の利益と為るべきはあたかも債務者の１人が弁済を為したると一般なり。

　債権者が相殺の原因なき債務者に対して請求を為したる場合においてもし他の債務者が債権者に対し相殺の原因を有するときは理論上よりこれを言えば相殺は対抗によりてのみ効力を生ずるが故に（５０６）その債務者は相殺を援用してその債務の全部又は一部を免るることを得ざるが如しといえどもこの如くんは実際に無用の煩労を醸しかつ動もすれば不公平の結果を生ずるおそれあるをもって本条第２項においてはその債務者は他の債務者のために存する相殺の原因をもってこれを債権者に対抗することを得るものとせり。但しこの場合においてもしその債務の全部につき相殺を対抗することを得るものとせば請求を受けたる債務者は自ら弁済を為さずして他の債務者をして代わりて弁済を為さしむると一般なる結果を生ずべきが故にただ相殺の原因を有する債務者が畢竟負担すべき部分に付いてのみ相殺を援用することを得るものとせり。けだしこの場合において相殺を対抗せずしてまず債権者に全部の弁済を了し。しかる後他の債務者に対し求償権を行うときは相殺の原因を有せし債務者は他の債務者に同じく前に弁償を為したる債務者にその負担部分を償還し更に自己が債権者に対して有する債権の履行を請求せざることを得ず。この如くんは１回の弁済によりて両個の債権を消滅せしむることを得る代わりに債権者はまずその受くべきものを受け更にその全部又は一部を払出さざることを得ず。又弁済を為したる債務者も畢竟債権者が払出さざることを得ざるものをこれに払いて更に相殺の原因を有せし債務者にその償還を求め又この債務者も畢竟債権者より受くべきものを弁済者に払いて更に債権者に対してその支払を請求せざるべからざるに至り無用の煩労を醸すのみならずもしその間に無資力を生ずるときはついに何人か不公平の損失を被らざることを得ざるに至るべし。これ本条第２項の規定ある所以（文末欠如）

第４３７条　連帯債務者の１人に対して為したる債務の免除は其債務者の負担部分に付てのみ他の債務者の利益のためにも其効力を生ず（財５０６，２項，担５７，２項）

　本条もまた実際の便宜を図りて設けたる規定なり。各連帯債務者の債務は各，別個に存するが故に純理よりこれをいえばたといその１人が債務の免除を得るも他の債務者はこれによりてすこしも利益を受くることなく債権者はこれに対して全部の請求をなすことを得るが如しといえどもこの如くんは無用の煩労を醸すのみならず動もすれば不公平の結果を生ずるおそれあるをもってあたかも前条の規定と同一の精神により本条は１の簡便法を設けたり他なし債権者が債務者の１人に対し債務を免除したるときはその者の畢竟負担すべき部分に付いてはその者のみならず他の債務者にまた利益を被るべきものとせり。故に例えば甲乙丙３人１万円の連帯債務を負いその債務に付き平等の利益を受けたる場合においてもし債権者が甲の債務を免除したるときはその債権者は免除したる甲に対しては１銭の請求を為すことを得ず。他の乙丙に対しては各々６６６６円６６銭７厘を請求することを得べきのみ。けだし乙丙に対しては依然１万円を請求することを得るものとせば例えば乙は債権者の請求に遭いて１万円を払いたる後甲丙両人に対し各々３３３３円３３銭３厘の償還を求むべし。しかるに甲は既に免除を得たるが故に更に転じて債権者に対し３３３３円３３銭３厘の返還を求むることを得べし。この如くんは３倍の手数を煩わすのみならずもし債権者にして無資力なるときは甲はついに損失を免れざるべし。もししからば債権者はその名甲に債務を免除したるに拘わらずその実これを免除せざるとほとんど一般にして甚だ不当といわざるべからず。これ本条の規定ある所以なり。

第４３８条　連帯債務者の１人と債権者との間に混同ありたるときは其債権者は弁済を為したるものと看做す（財５３５，１項，担５７，２項）

　混同の性質に付いては後に第５２０条に至りてこれを論ずべしといえども要するに債権消滅の１原因なり。故に連帯債務者の１人と債権者との間に混同ありたるときはその債務者の債務は消滅すべきこともとより論をまたずといえども純理より言えば他の債務者の債務は別個に存すべきが故に敢えて影響を被ることなかるべし。しかりといえどもこれ最も不当なる結果を生ずべし何となれば債務者の１人が同時に債権者なるが故にその者は債権者の資格をもって他の債務者に対し債務の全額の履行を求むることを得るものといわざることを得ず。しかるにこの者は債務者としては他の債務者と平等に債務を負担すべき者なりしが故に今混同によりてその債務消滅したりとせばために他の債務者は損失を被るに至るべく不当もまた甚だしというべし。故に債務者としてその者の負担すべき部分はまずこれを控除すべきことほとんど言うをまたず。しかりといえどもこれなお未可なり。もしその者にして連帯して他の二人に請求することを得るものとせばその１人が無資力なる場合において他の１人が両人の負担部分を負担するに至るべくこれまた不公平たるを免れず（４４４）。故に債権者として請求を為したる債務者もまたその無資力の一部を負担するものとせざることを得ず。しかるに一旦他の債務者の１人に対し自己の負担文を除き残余の全額を請求することを得るものとせば他の債務者の無資力なるがため一旦受取りたるものの１部分を弁済者に返済せざることを得ず。もしその間にこれを受取りたる者が無資力と為りたるときは弁済者はついに１人にしてその損失を負担せざることを得ざるに至り実に不公平の結果を生ずべし名けてこれを訴権の輪回（Circuit d`actions）という（前２条の場合にもまた訴権の輪回あり）。抑々混同をもって債権消滅の原因と為したるは債務者たる債権者が直ちに弁済を為したるものとみなすによれることは後に説明すべき所なり。故にこの場合においてもまた混同によりて債権者と為りたる債務者もしくは債務者と為りたる債権者は直ちに自ら弁済を為したるものとみなし第４４２条以下の規定に従い他の債務者に対して求償権を行わしむるをもって至当とす。これ本条の規定ある所以なり。

第４３９条　連帯債務者の１人の為めに時効が完成れたるときは其債務者の負担部分に付ては他の債務者も亦其義務を免る（担６１）

　本条の規定もまた各連帯債務者が別個の債務を負うの理論に拘泥せず専ら公平を旨として設けたるものなり。けだし純理より言えば連帯債務者の１人のために時効が完成するももし他の者のために時効が完成せざるときはその時効の利益を受けたる者は全く義務を免れ未だ時効の利益を受けざる者は債務の全部に付き責を負うべきが如し。しかりといえどもこの如くんはその結果極めて不公平なるべし何となればもし１人時効によりて義務を免るるときはその者は単に債権者に対して義務を負わざるのみならず他の債務者に対しても一切の責任あることなし。故に債権者がもし他の一人に対して債務の全部を請求するときはその者は全部の弁済を為さざることを得ず。しかして他の債務者に対して求償を為すにあたり既に一人は全く義務を免れたるが故にもし２人ならんかその者は全部を負担すべく３人ならんかその者はもともと３分の１を負担すべき者なりしに今は２分の１を負担せざるべからざるが如し。しかして第２の場合においてももし第３の連帯債務者が無資力なるときはついに全額までをも負担することなしとせず。この如くんは過失なき債務者が他の債務者のために時効の完成したるにより不慮の損失を被るに至りもっとも不公平たるを免れず抑々時効なるものは債権者の怠慢によりて生ずること多きをもって（３訂１巻３３５頁）寧ろ債権者をしてその結果を負担せしむることを妥当とす。故に本条においては他の債務者もまたその責を免るべきものとせり。例えば甲乙丙３人連帯して義務を負いその負担部分均一なる場合において甲もし時効の利益を受くるときは債権者はただに甲に対しその債権の履行を求むることを得ざるのみならず乙丙に対しても単に債務の３分の２を請求することを得るに止まるものとす。

　あるいは問わん連帯債務は同時に発生すべきが故にもし１人の債務者のために時効が完成するときは他の者のためにもまた完成すべきが如し如何といわくしからず（第１）連帯債務者は必ず同時に発生することを要せず（第２）その発生は同時なるも１人は期限附きにて義務を負い他の者は無期限にて義務を負い又は各連帯債務者皆期限附きにて義務を負うとするもその各自の期限同一ならざる場合においては（条件に付いてもまた同じ）時効の起算日同じからざるが故にその完成日の同じからざるはもとよりなり（１６６）（第３）時効の起算日は同一なるももし１人に対し中断もしくは停止の原因あるときはその者に対してのみ時効完成せずして他の者に対しては既に完成することあり（１４７ないし１６１）これ本条の規定によりて生ずる所以なり（請求による中断は全員に対して効あることは４３４において論じたる所なり）。

第４４０条　前６条に掲げたる事項を除く外連帯債務者の１人に付き生じたる事項は他の債務者に対して其効力を生ぜず（財５０９，１項，担５７，２項，５９，６０，６２，７１，１項）

　前６条は皆各連帯債務者が別個の債務を負うの原則に対し例外を設けたるものなり。しかして本条においてはその例外は前６条の場合に止まり他は皆原則に従いて連帯債務者の１人に付いて生じたる事項は敢えて他の債務者のその効力を及ぼさざることを明言せり。例えば連帯債務者の１人に対して下したる判決は敢えて他の連帯債務者にその効力を及ぼさず（訴訟法その他手続法において多少の例外を設くることなきを保せずといえども原則としては本文の如し反対，担５９）１人の為したる自白は敢えて他の者に対して効力なき等これなり（反対，同上）。

第４４１条　連帯債務者の全員又は其中の数人が破産の宣告を受けたるときは債権者は其債権の全額に付き各財団の配当に加入することを得（担６７ないし６９，旧商１０３０，１０３１）

　本条は連帯債務者の全員又はその中の数人が同時に破産の宣告を受けたる場合に付いて規定せり。けだし債務者が漸次破産の宣告を受けてその手続を終わりたりとせばまず第一の破産者よりその資力に応ずる弁済を受け漸次下りて他の債務者に及ぶべきこともとより論をまたずといえどももし債務者が同時に破産しもしくは全く同時に破産を為さざるも甲の破産手続未だ終わらざるに及び他の乙丙等も皆破産の宣告を受けたるときは債権者は既に全額に付き甲の破産に加入したるに拘わらずなお全額に付き他の乙丙等の破産に加入することを得べきものとせり。これ連帯の性質のしからしむる所にして敢えて怪しむに足るものなし。ただ各破産より受けたるものの総額が債権額に超ゆることを得ざるはもとより言うをまたざる所なり。例えば甲乙丙３人にて１万円の連帯義務を負える場合において３人皆平等にこの債務を負担すべきものとせんに甲まず破産しその資力各債権の半を償うに足るときは連帯債務の債権者もまた１万円の半額５千円を受くることを得べし。その後乙また破産しその資力僅かに各債権の１０分の３を償うに足れりとせば連帯債務の債権者は残額５千円の１０分の３即ち１５００円を受くべし。しかして丙もまたその後破産を為したりとせんにもしその資力各債権の１０分の２を償うに過ぎずとせば連帯債務の債権者は甲乙２人より受けたるものを控除したる残額３５００円の１０分の２即ち７００円を受くることを得べし。この場合においては債権者は３口を併せて７２００円を受くるに過ぎざるべし。なおこの場合において甲は自己の負担部分より多きこと１６６６円６６銭７厘を支払いたるをもって次条以下の規定に従い乙丙に請求することを得べきはもとよりなり。

　前例において甲乙丙順次に破産を為さずして皆同時に破産を為したりとせんに（全く同時ならざるも未だ１破産の清算あらざる内に他の者が破産を為したるときまた同じ）債権者は全額に付いて各破産に加入することを得るが故に甲より５千円乙より３千円丙より２千円を受け終にその債権の全額を受くることを得べし。「ボワッソナード」氏の如きはこれをもって不当なりと為せども連帯の性質もとよりしからざることを得ざるなり。けだし普通の債権者は債務者の無資力の場合においては必ずその債権の一部を失うべしといえども連帯債務の債権者は特に連帯なる利益を有するが故にこの利益によりて他の債権者より多額の弁済を受くべきはもとよりにして右の場合の如きにおいてはついにその全額を受くるに至るも敢えて怪しむに足らざるなり。但し前例においてもし乙が１０分の４を支払うの資力ありとせば連帯債務の債権者が３人の破産より受くべき全額その債権に超ゆること１０００円なるが故にこの１０００円はもとよりこれを返還せざることを得ず。否破産管財人において必ずこれを控除して債権者に支払うべきのみ。しかしてこの１０００円は甲乙皆自己の負担分より多くを出たしたるが故にこれをその償還に充てざるべからず。しかれども第４４４条によれば甲乙平等に丙の無資力の結果を負担すべきが故にこの１０００円は全くこれを甲に與えもって各４千個を負担せしめざるべからず。

　右の第１例においても甲は自己の部分より多きこと１６６６円６６銭７厘を出たしたるをもって乙丙に対し求償権を有するは勿論なりといえども破産の財団に対しては既に債務の全額に付き請求ありたるが故に更にその求償権を行うことを得ず。ただ破産者が後日取得することあるべき財産に対してのみこれを行うことを得べし。なお後日の財産に対しては第２例の甲乙も各６６６円６６銭７厘の求償権を有すべし。

　　　　　２　債務者間の関係

第４４２条　連帯債務者の１人が債務を弁済し其他自己の出損を以て共同の免責を得たるときは他の債務者に対し其各自の負担部分に付き求償権を有す

　前項の求償は弁済其他免責ありたる日以後の法定利息及び避くることを得ざりし費用其他の損害の賠償を包含す（担６３）

　６条以下第４４５条に至るまでは債務者間の関係を定めたるものなり。けだし連帯債務者は各々債権者に対してはあたかも唯一の債務者の如く義務を負うといえどもその各自の間においては多くは債務の負担を分かつべきものとす。しかして特約又は特別の事情あるにあらざれば第４２７条の通則に従い各々平等の割合をもってこれを分担すべきものとす。故に債務者の１人が債務の全部を弁済し（全部ならざるも自己の負担部分より多くを弁済したるときまた同じ。以下これに做う）又は弁済にあらざるも更改，相殺和解等によりて債務の全部を消滅せしめたるときは他の債務者に対しその各自の負担部分に付き求償を為すことを得べし。

　右の求償は弁済したるものその他の出損の元本に付きこれを為すことを得るのみならずなお弁済その他免責事由の有りたる日以後の法定利息（年５分，商事なれば６分）及び避くることを得ざりし費用例えば債権者より訴えられたる訴訟の費用，債権者が地を隔てたる場合においては送金を為すに付きその為替料，その他金銭以外の物を弁済すべき場合においてはその運送賃等をも包含するものとす。しかしてなおその他にも損害ありたるときはその賠償を求むることを得べし。例えば訴えを受けたる債務者が弁済を為すに必要なる金額を有せず他の債務者に謀るもまたこれを供すること能わず。これにおいて止むことを得ず。法定利息より不廉なる利息を払いもって金銭を借入れたりとせんにこれ利息に付いてもまた求償を為すことを得べし。又例えば同様の場合において止むことを得ずして所有の不動産を売却しその代価をもって弁済に充てたるときは速に不動産を売らんと欲したるがため特に廉価にこれを売ることの止むを得ざることあるべし。その他この売却によりて受けたる損害あるときはその一切の損害の賠償を他の債務者に請求することを得べし。

第４４３条　連帯債務者の１人が債権者より請求を受けたることを他の債務者に通知せずして弁済を為し其他自己の出損を以て共同の免責を得たる場合に於て他の債務者が債権者に対抗することを得べき事由を有せしときは其負担部分に付き之を以て其債務者に対抗することを得但相殺を以て之に対抗したるときは過失ある債務者は債権者に対し相殺に因りて消滅すべかりし債務の履行を請求することを得

　連帯債務者の１人が弁済其他自己の出損を以て共同の免責を得たることを他の債務者に通知することを怠りたるに因り他の債務者が善意にて債権者に弁済を為し其他有償に免責を得たるときは其債務者は自己の弁済其他免責の行為を有効なりしものと看做すことを得（担３２，３３，６５）

　本条は弁済等を為したる債務者に過失あるため求償権を失うべき場合を規定したるものなり。しかしてその場合２あり。

第１　連帯債務者の１人が債権者より請求を受けたるにあたりこれを他の債務者に通知せずして弁済を為し又はその他の方法をもって債務を消滅せしめたる場合においてもし他の債務者が債権者に対し債務の履行を拒むべき理由を有せしときは弁済等を為したる債務者が求償を為すにあたりこれにその理由を対抗することを得べし。例えば甲乙丙３人連帯債務者たる場合において甲が債権者より請求を受け直ちに弁済を為したりとせんにもし乙が債権者に対し同種の債権を有し相殺をもってこれに対抗することを得べかりしときは甲が乙に対し求償を為すにあたりその相殺をもってこれに対抗することを得べし。但しこの場合においては債務の全部に付いてこれを対抗するにあらず。ただ自己の負担部分に付いてこれを対抗するに過ぎざることはけだし言うをまたざる所なり。この場合のおいて甲が乙の部分を負担すべきものとせば不公平たるを免れず。何となれば債権者は一方においては甲より全部の弁済を受け他の一方においては乙がその負担分に付き相殺をもって甲に対抗したるがためその部分に付いては債権者その義務を免るべく従いて二重の利益を受くるに至るべければなり。故にたとい本条第１項但書の規定なきも甲は債権者に対し不当利得の償還を求むることを得べきはもとより論をまたざる所なりといえどもこれのみにてはその利得は果たして初の弁済によりてこれを受けたるが将た相殺によりてこれを受けたるが頗る疑なき能わず。しかして相殺は既往に遡りて効力を生ずべきが故に（５０６，２項）寧ろその相殺効力を生じて甲が為したる弁済却って無効なりしによりその弁済したるものを取戻すことを得るものとするの理なきにあらず。しかりといえども甲が請求を受けて弁済を為したる当時は未だ相殺あらざるのみならず甲より債権者に対しては債務の存せしこともとより疑なく従ってこの弁済を無効とするはその当を得ず。故に勢い後の相殺は甲に対してのみ有効にして敢えてこれを債権者に対抗すること能わざるものとせざることを得ず。故に本条第１項但書をもって甲に與うるに債権者に対し乙が有せし債権の履行を求むるの権をもってせり。しかして甲は法律の規定によりこの権利を有するが故に敢えて乙の代理人としてこれを行うにあらず。自己の名義をもってこれを行うべきのみあるいはいわん甲が自己の弁済したる部分を取戻すは則ち可なりといえども乙が債権者に対して有せし債権の履行を請求するは則ち不可なりといわくしからず相殺には必ず目的物の同種なることを要す。故にその目的物は同一なりというも可なり。もししからば甲は乙に代位したるものとするも敢えて不当と為すべからず。しかして甲が乙に代位したるものとするの利益は債権により担保の附随せることあるをもってもし乙が債権者に対する債権に付き担保あるときは甲はその担保を利用することを得るに在るなり。

　　以上は専ら相殺に付いて論じたりといえども他の事項に関するもまた略同じ。例えば乙が債権者より免除を得し場合においてはもしこれをもって甲に対抗せば甲は債権者に対し乙の負担分の返還を求むることを得べし。けだし第４３７条の規定により１人に対する免除はその負担分に付き他の債務者をも利すべきものなるをもって債権者が債権の全額の弁済を得たるはその１部分に付き不当利得を為したるものなればなり（もし債権者悪意なれば寧ろ不法行為というべし―７０４参観）。

第２　債務者の１人が弁済その他の行為を為したるときは直ちにこれを他の債務者に通知することを要す。もしこれを怠りたるにより他の債務者が債権者の請求をまたず善意にて弁済その他の行為を為したるときはその善意なる債務者は自己の弁済その他の行為を有効とみなしもって他の債務者に対し求償を為すことを得べし。この場合においては先に弁済等を為したる債務者はその行為を無効とみなされたるが故に債権者に対し不当利得としてその弁済したるものを取返し，相殺によりて失いたる債権を行使し更改によりて新たに負いたる債務はもし未だこれを履行せざれば将来において無効たるべく既に履行したりとせばその履行したるものを償還せしむることを得べし。但しこの債務者が債権者の請求によりて弁済等を為したる場合において予めこれを他の債務者に通知せしときは他の債務者の善意なること稀なるべく又他の債務者が債権者の請求によりて弁済等を為したる場合において予めこれを初の債務者に通知せざりしときは本条第１項の規定を適用すべくもしこれを通知せしならば初の債務者が弁済等を為したることを知るべきを常とす。但し初の債務者が直ちに弁済等を為したることを答えざるときはまた本条第２項を適用すべきものとす。

　　善意の債務者が弁済を為したる場合においては本条第２項によりて保護を受くべきはもとよりなりといえどもその他の場合においては必ず有償に免責を得たることを要す。更改，相殺，和解等は則ち可なりといえどももし無償にて免除を得たる場合においては敢えて本条第２項を援用することを得ず。これ他なし。この場合においては善意の債務者は敢えて損失を被りたりということを得ず。しかして債権者は既に消滅したる債務の免除を為したるが故にその免除は当然無効たらざることを得ず。けだしその他の場合においても理論上よりこれを言えば善意の債務者と債権者との間の行為は皆無効たるべしといえども法律は特に善意の債務者をして損失を被らざらしめんがため本条第２項の規定を設けたるなり。しかるに無償にて免除を得たる場合においては善意の債務者はただ意外の利益を得たりと信ぜしにその利益は実際に存せざるをもって大に失望することあるに過ぎざるべし。故にこの場合においては弁済等を為したる債務者は善意の債務者に対し求償を為すことを得るものとせり。

第４４４条　連帯債務者中に償還を為す資力なき者あるときは其償還すること能わざる部分は求償者及び他の資力ある者の間に其各自の負担部分に応じて之を分割す但求償者に過失あるときは他の債務者に対して分担を請求することを得ず（担６６）

　本条は１人が弁済その他の方法によりて債務の全部を消滅せしめたる後他の債務者に対し求償を為すに当たりその中に無資力者あるときは果たして如何すべきかを定めたるものなり。けだしこの場合においてもし求償者は無資力者が償還することを能わざる部分を負担すべきものとせば頗る不公平といわざるべからず。何となれば各債務者同様に義務を負えるに適債権者がその１人に対し請求を為したるがためその者は他の債務者より多くを負担すべきものとする理由なければなり。けだし求償者が為したる弁済その他の行為は債務者全般の利益のために為したるものなるが故にもし損失あらば債務者全般においてこれを負担すべきこと理の当然なり。故に無資力者が償還せざる部分は求償者及び他の資力ある債務者の間においてその各自の負担部分に応じてこれを分担すべきものとす。但し求償者の過失により無資力者をして償還を為さしむること能わざる場合においては他の債務者に対して分担を請求することを得ざるはもとよりなり。例えば求償者が弁済を為したる当時には債務者皆資力ありたるに求償者がその求償を遅延したるがため他の債務者中無資力と為りたる者を生ずるときはこれ求償者の過失によりてその者の負担分の全部もしくは一部の償還を得ざるものなるが故にその過失の結果を他の債務者に負わしむることを得ざるものとす。

第４４５条　連帯債務者の１人が連帯の免除を得たる場合に於て他の債務者中に弁済の資力なき者あるときは債権者は其無資力者が弁済すること能わざる部分に付き連帯の免除を得たる者が負担すべき部分を負担す（担７１，２項）

　本条は債務者の１人が連帯の連帯の免除を得たる後他の債務者中に無資力者を生じたるときはその無資力者が弁済すること能わざる部分は果たして誰が負担すべきかを定めたるものなり。外国においてはこの場合において連帯の免除を得たる債務者をしてその１部分を負担せしむる例鮮からずといえども新民法においては旧民法におけると同じく債権者をしてこれを負担せしむべきものとせりこれ他なし。連帯の免除を得たる債務者は自己の負担部分に付いてのみ義務ある者にして他の債務者の負担部分に付いてはすこしも義務なき者なり。故にたとい他の債務者中に無資力者を生ずるも連帯の免除を得たる債務者のためには痛病相関せざるものといわざるべからず。しからずんば債権者は一旦これに連帯を免除しながらその者をもって依然連帯債務の如き義務を負う者としもって当事者の当初の意思に反する結果を生ぜしむる者というべければなり。しかりといえども無資力者が弁済せざる部分をもって他の連帯債務者の負担に帰せしむるはまた不当といわざることを得ず。けだし債権者の意思をもって債務者中の１人の連帯を免除しこれによりて他の連帯債務者の義務を重からしむることを得ざるは実に言うことをまたざる所なればなり。故にこの場合においては債権者自ら無資力者の弁済せざる部分に付き連帯の免除を得たる債務者が負担すべき部分を負担するを当然とす。これ本条の規定ある所以なり。但し本条は当事者の普通の意思を解釈せるものなるが故にもし当事者が反対の意思を有せしこと明確なるときはもとよりその意思に従うべきものとす。

　　　　　　第４款　保証債務

　保証（Cautionnement,Bürgschaft）は通常契約より生ずるといえども稀には裁判上又は法律上の保証あり。例えば民事訴訟法において裁判所の自由なる意見によりて担保を供せんむる場合においては保証人を立てしむることを得べく。また民法の規定により担保を供すべき場合においても保証人を立つることを得べし（２９，１項，１９９，３０１，３８４，３項，４６１，５７６，６５０，２項，８０３，９３３，１０４９，１０９３）。これらの場合においては契約上保証人を立つるの約なしといえどもしかも保証人を立てざることを得ず。なお法律の規定により当然保証義務を負うべき者あり。例えば合名会社の社員は会社なる法人がその義務を履行することを能わざる場合においてその義務を履行すべき責任あるものとす（旧商１１２，新商６３）この責任の性質は保証義務なり。但しこの保証義務に付いては商法の特別規定あるがため普通の保証義務の規定をこれに適用することを得ざるはもとよりにして総て商法の規定に従うべきものとす。

　本款は分かちてこれを４段とし（第１）総則（４４６ないし４５１）（第２）債権者と保証人との関係（４５２ないし４５８）（第３）保証人と主たる債務者との関係（４５９ないし４６４）（第４）保証人間の関係（４６５）とせり。

　　　　　　　　１　総則

第４４６条　保証人は主たる債務者が其債務を履行せざる場合に於て其履行を為す責に任ず（担４，８年６月８日告１０２号金穀貸借請人証人弁償規則１，２）

　本条は保証の定義を下したるものなり。けだし保証人は従たる債務者にして主たる債務者がその債務を履行せざる場合においてその履行を為す責に任ずることは古来各国において皆同じき所なり。ただ如何なる場合において主たる債務者がその債務を履行せざるものとし保証人をしてその義務を尽さしむべきかは古来各国の規定一様ならざる所にて専ら次段において講究すべき所なり。本条においてはただ保証人の従たる性質を明かにするのみ。

　保証債務の従たる性質より生ずる結果すくなからず次の３条の規定もまたこの結果に外ならずといえども他に言うをまたずとして法文に掲げざりしもの甚だ多し。例えば主たる債務が無効なる場合においては保証債務もまた無効にして主たる債務が取消ざれたるときは保証債務もまた自ら取消ざるるものとし主たる債務に期限あるときは保証債務もまた自ら同一の期限あるものにしてその条件附きなる場合においては保証債務もまた同一の条件を帯うるものとするの類これなり。けだし本条の規定により保証人は主たる債務者が履行を為さざる場合においてのみその履行を為す責に任ずるが故に主たる債務の無効なる場合においてはその債務者は履行すべき債務なきが故に決してその債務を履行せざるの事実あることなし。また主たる債務が取消ざれたる場合においては初はたとい成立せしも今は初より成立せざりしものとみなさるるが故に上の場合と同一の結果を生ずべくまた主たる債務が期限附きなる場合においてはその期限の到来まではその債務は履行すべき時期に至らざるをもって債務者がその債務を履行せずということ能わず。従って保証人は未だその義務を履行すべき責あらざるは勿論なり。主たる債務が条件附なるときまた同じ（担２５）。

第４４７条　保証債務は主たる債務に関する利息，違約金，損害賠償其他総て其債務に従たるものを包含す

　保証人は其保証債務に付てのみ違約金又は損害賠償の額を約定することを得（担４，５，８）

　本条は保証によりて担保せられたる債権を定めたるものなり。けだし保証債務は主たる債務の従たるものにしてその目的は主たる債務と同じきを原則とす。しかして主たる債務の元本のみならずその債務が利息を生ずべき場合においてはその利息，これに違約金の特約あるときはその違約金，主たる債務者が損害賠償の義務を負えるときはその損害賠償，その他一切の従たる債務例えば訴訟費用の如きものに至るまでこれを担保するものとす（これ保証と連帯と異なれる一例なり）。

　保証債務は主たる債務とその目的を同じうすべきをもってもし主たる債務の目的と異なりたる目的をもって保証債務を約したるときはこれ真の保証債務にあらず。寧ろいわゆる主たる債務者がその義務を履行せざるを条件として１の独立なる債務を生ずるものとす。この債務はもとより有効なりといえども保証債務にあらざるが故に敢えて本款の規定を適用すべきものにあらざるなり。

　しからば則ちその債務の性質如何これ独立なる条件附き債務なり。即ちいわゆる保証人は主たる債務者が履行を為さざるを条件としその目的と異なりたるものを目的としたる独立の債務を負いただ債権者はいわゆる保証人の弁済を条件として主たる債務者の債務を免除するものなり。なおいわゆる保証人といわゆる主たる債務者との間においては第７０３条により不当利得の返還を為すべきものとす。

　保証債務の目的が主たる債務の目的より大なることを得ざることは次条に規定する所なり。しかりといえども主たる債務者が違約金，又は損害賠償の額を約定せざる場合において保証人のみこれを約定することを得べし。これ敢えて主たる債務者の目的外のものを約したりということを得ず。けだし違約金及び想定賠償額は皆債務の履行を確保するものにしてもし保証人その債務を履行せば敢えてこれを支払うことを要せざるものなり。故に抵当，質等に同じくこれをもって保証人の負担を増加するものと為すべからず。殊に損害賠償は当然保証人の負担すべき所なるが故に不履行の場合において裁判所をして不確実なる標準に従い損害賠償の額を定めしむる代わりに予め債権者とその額を約することを妨げざるはほとんど言うをまたざる所なり。しかして違約金もまた原則としてはこれを予定賠償額と視るが故に（４２０３項）これまた予定賠償額と同一の規定に従うべきものとするはもとより穏当といわざることを得ず。なお一歩を進みて論ずれば保証人は主たる債務者の不履行の場合に付いてこれと同一の目的を有する債務を負うが故にこの債務を確保するため損害賠償以外においても違約金を約することを得るは敢えて怪しむに足らざるなり。

第４４８条　保証人の負担が債務の目的又は体様に付き主たる債務より重きときは之を主たる債務の限度に減縮す（担６）

　本条もまた保証債務の従たる性質より生ずる結果にしてその目的は主たる債務の目的より大なることを得ず。またその体様は主たる債務の体様より重きことを得ず。例えば主たる債務が１０００円の債務なるに保証人は２千円の義務を負うことを得ず。又主たる債務は期限附きもしくは条件附なるに保証人は単純の債務を負うことを得ず。又主たる債務は１年の後履行すべきものなるに保証人は６ヶ月の後その義務を履行すべきものとすることを得ず。これらの場合においては大抵当事者の錯誤よりこの相違を来したるものなるが故に法律は当事者の普通に意思を考え保証債務をもって主たる債務と同一の目的もしくは体様を有するものと為すなり。即ち前例において保証人は主たる債務者の如く１０００円の債務を負うべく，期限附きもしくは条件附きの債務を負いかつその期限もしくは条件もまた全く同一なるものとしまたは保証人も主たる債務者の如く１年の後始めて履行の責あるものとしたり。但し当事者の意思が明かにこれに反するときはあるいは保証債務を無効としあるいは独立なる債務を生ずるものとすべしといえども当事者がこの如き意思を有することはけだし極めて稀なるべし。

　保証人は主たる債務者より重き債務を負うことを得ずといえども軽き債務を負うはもとより妨なし。例えば主たる債務は２千円の債務なるに保証人は単に１０００円の義務を負い，主たる債務は単純なるに保証人は期限附きもしくは条件附きにてその義務を負い主たる債務は６ヶ月の後履行すべきものなるに保証債務は１年の後始めて履行すべきものたるも可なり。これけだし保証人は主たる債務の一部に付き保証を為すことを得ればなり。その他主たる債務には利息を附すべきに保証人は元本のみに付き義務を負い，主たる債務には違約金あるに保証人はこれに付いて義務を負わず又は保証人は損害賠償その他の従たる債務に付いて責任なきものとするはもとより妨なき所なり。

　主たる債務には他の担保なきに保証債務には質，抵当等の担保あることあり。又主たる債務に付いては私証書のみあるをもって敢えて直ちにその強制執行を求むることを得ずといえども保証債務は公正証書によりて証ぜられ従ってこれに執行力あることあり。これらは敢えて債務の目的，体様を重くするものにあらざるが故に本条の適用を受くべきものにあらず。

第４４９条　無能力に因りて取消すことを得べき債務を保証したる者が保証契約の当時其取消の原因を知りたるときは主たる債務者の不履行又は其債務の取消の場合に付き同一の目的を有する独立の債務を負担したるものと推定す（担９，２５，２項）

　主たる債務が取消されたるときは保証人もまたその義務を免るべきことは既に第４４６条に付いて論じたる所なりといえども余はなお一歩を進みたとい主たる債務者がその債務を取消さざるも保証人が債権者の請求を受けたるときは抗弁としてその取消を対抗することを得べしといわんこれ他なし。保証人は主たる債務の履行を為す責を負う者なるが故に（４４６）もしその債務にして履行することを要せざるものなるときは保証人もまたその履行の責に任ぜざるものとす。故に債務に付いては保証人はいわゆる特定承継人なり。しかるに第１２０条によれば取消し得べき行為はその取消権を有する者の承継人もまたこれを取消すことを得るものとしなお第１２２条によれば取消し得べき行為の追認はもって第三者の権利を害することを得ざるものとせり。しかるに取消し得べき行為の特定承継人は追認に付いてこれを見れば第三者なるが故に保証人はたとい主たる債務者がその取消権を　放棄するもなおその取消権を債権者に対抗することを得べし。いわんや主たる債務者が未だ追認を為さざるにおいてをやしからずんばあるいは保証人が債権者に弁済を為したる後主たる債務者に対して求償を為すにあたり主たる債務者はその債務の取消を申出てもって保証人の求償を免るることを得べく。あるいは主たる債務者１己の意思をもって保証人の権利を左右することを得るに至り甚だ不当なる結果を生ずべし。第１の場合においては保証人は債権者に対し不当利得の返還を求むることを得るといえどももし債権者にして無資力なるときは保証人は到底損失を免るること能わず。殊に債権者は多くは債務者の無能力なることを知りあるいは自ら詐欺もしくは強迫を施したる者なるに却って善意なる保証人に請求を為すことを得てその保証人のみ損失を被るが如きことあらば不当の最も甚だしきものといわざることを得ざるなり。

　以上は保証人の善意なることを予想したりといえども保証人は往々取消の原因を知れることあり。この場合においてはその原因如何によりあるいは義務を負いあるいは義務を負わずその義務を負う場合は取消の原因が無能力なる場合これなり。この場合においては初より主たる債務の取消し得べきことを知れるが故にもしその意思主たる債務者がその債務を取消さざれば己これに付いて保証義務を負うべしというに在るときは特にこれを明言すべきのみ。もしこれを明言せずして単に保証義務を負うときはこれ主たる債務者がその債務を取消すも己はなおその義務を負うべき意思を有したるものと推定せざることを得ず。しかるに純然たる保証債務は主たる債務の取消ざれたる後存在することを得ざるものなるをもってこの場合においてはいわゆる保証人は真の保証人にあらず同一の目的を有する独立の債務を負担する者と認めざるべからず。これ本条の規定ある所以なり。

　取消の原因が詐欺もしくは強迫なるときはこれによりて取消を許すは公益規定にして詐欺もしくは強迫あるも敢えて債務を取消さざることを予約するの不法なると同じくいわゆる保証人は主たる債務者がこの原因によりてその債務を取消すに拘わらず自己はなお義務を負うべきことを約することを得ず。何となればこれ債権者をして詐欺もしくは強迫をもって取得したる債権の履行を得せしむることを確保するものにして間接に詐欺，強迫を奨励するものといわざることを得ず。故にその契約の目的不法なり。従ってその契約は全く無効にして敢えて本条の規定に従うべきものにあらざればなり。

第４５０条　債務者が保証人を立つる義務を負う場合に於ては其保証人は左の条件を具備する者たることを要す

　　一　能力者たること

　　二　弁済の資力を有すること

　　三　債務の履行地を管轄する控訴院の管轄内に住所を有し又は仮住所を定めたること

　保証人が前項第２号又は第３号の条件を欠くに至りたるときは債権者は前項の条件を具備する者を以て之に代うることを請求することを得

　前２項の規定は債権者が保証人を指名したる場合には之を適用せず（担１５，４７）

　本条は契約，法律の規定又は裁判上の命令により債務者に保証人を立つべき義務ある場合において如何なる資格を具うる保証人を立つべきかを定めたるものなり。けだし債務者に保証人を立つる義務ある場合においてはその保証人は必ず有名無実ならざることを要するはもとよりなり。しかるに保証人は債務者が履行を為さざるにあたりこれに代わりて弁済を為すべき者なるが故にその保証人は有効に義務を負い弁済を為すの資力を具えかつこれに対して請求を為すこと容易ならざるべからず。これ本条に規定せる所なりいうこれより本条に規定せる保証人の資格を略説せん。

第１　保証人は「能力者たること」を要す。例えば未成年者，禁治産者，準禁治産者，妻は保証人としてこれを立つることを得ず。何となればこれらの者が独断にて保証契約を結ぶも後日これを取消すことを得るが故に債権者はほとんど保証人を得ざると一般なればなり。但し右の無能力者が法定代理人，保佐人もしくは夫の同意を得たるときはその無能力はために補われて能力完全と為りたる者とみなすべきが故にこの場合においては無能力者もまた保証人たることを得るはほとんど論をまたざるが如し。けだし右の条件をもって承諾を為したるときは無能力者は完全の義務を負うべければなり。

第２　保証人は「弁済の資力を有すること」を要す。しかしてその資産は動産なると不動産なると将た債権なるとを問わず実際財産より負担を控除したる後なお保証債務を履行するに足るの資力を有すれば可なり。けだし保証の目的たる主たる債務者が弁済を為さざるにあたり保証人をしてその弁済を為さしむるに在るが故にもしその保証人にして初より無資力なるときは到底この目的を達すること能わざること明かなり。この如きは保証人を立てしむるもほとんどその効なしといわざるべからず。これこの条件を必要とする所以なり。

第３　保証人は「債務の履行地を管轄する控訴院の管轄内に住所を有し又は仮住所を定めたることを要す」これ他なし。保証人が債務の履行地より遠隔したる土地に住するときは主たる債務者が履行を為さざるにあたり直ちに保証人に請求を為さんと欲するも能わずために時日と費用とを要し。その他保証人をして履行を為さしむるに不便なること多ければなり。

　右の第２，第３の要件は皆確定不動のものにあらず。今日充分の資力を有する保証人も明日商業上の損害等により忽ち無資力と為ること稀なりとせず。又住所の如きは時々これを変更することあり。しかるに一旦保証人に右の２条件を要するものとする以上は偶々保証を為すにあたりてその条件の具備するももって足れりとすること能わず。必ず保証人に対し請求を為すの必要ある場合においてその条件を具備するにあらざればすこしもその効なし。故に本条第２項をもって保証人が右の２条件中の１を欠くに至りたるときは債権者はこれに代うるに他の有資格の保証人をもってせんことを請求することを得るものとせり。但し右の第３条件はたとい保証人が他に住所を転ずるも依然初の場所に仮住所を定むるときは可なり。故に本条第２項の適用あるは従来の住所地に仮住所を定めざる場合に限るものとす。

　あるいは問わん保証人が第一条件を欠くに至りたるときは果たしてこれを代うることを要せざるかといわくしかり保証人は初め義務を負うにあたりては能力者たるにあらざればその義務有効に成立せざるが故にこの条件を必要とするは不当なりといえども一旦義務を生じたる後はたとい保証人が無能力と為るもためにその義務消滅することなくその法定代理人，保佐人もしくは夫の同意を得て弁済を為さざるべからず。又法定代理人は無能力者に代わりて弁済を為すも可なり。故に債権者は保証人を代うることを請求するの必要なし。

　以上は一般の規定なり。これに１の例外なき能わず他なし債権者が自ら保証人を選択しこれを指名してその保証人たることを請求したるときは例令その保証人が右の条件を具備せざるも債務者はすこしも責任を負うことなし。いわんや初め有資格なりし者が後に無資格と為りたる場合をやこれ債権者が自ら招く所の禍にしてもって債務者を責むること能わざればなり。

　債務者が保証人を立つる義務ある場合は例えば債権者より金銭を借用するにあたり必ず相当なる保証人を立つることを約することあり。又法律上保証人を立つべきの明文ある場合は勿論たといその明文なきも相当の担保を供すべき場合においてもし保証人を立てんと欲するときは必ず本条の資格を具うる者をもってせざることを得ず（１３８頁参観）。又裁判所において特に保証人を立つべき旨を命ずることを得る明文ある場合は勿論単に相当の担保を供することを命ずることを得るものとせる場合においても裁判所は保証人を立つべきことを命ずることを得べし。この場合においてもまた本条の資格を具えたる者を立てざることを得ず（同上）。なおこれらの場合商法，民事訴訟法等に多し。

第４５１条　債務者が前条の条件を具備する保証人を立つること能わざるときは他の担保を供して之に代うることを得（担１６，４７）

　債務者が保証人を立つべき義務ある場合においてもし前条の条件を具備したる保証人を立つること能わざるときは質，抵当等の如き他の担保を供するも可なり。但し保証すべき債務の全額を担保するに余ある者たることを要するは勿論なり。けだし旅中の人その他交際狭き人に在りては往々にして前条の資格を具えたる保証人を得ること能わず。しかるに物上担保は概して保証人よりも一層確実なるものなるが故にもしその価格にして充分ならんには債権者に取りて利益あること多きをもって本条においては特にこの便宜法を設けたり。

　　　　　２　債権者と保証人との関係

第４５２条　債権者が保証人に債務の履行を請求したるときは保証人は先ず主たる債務者に催告を為すべき旨を請求することを得但主たる債務者が破産の宣告を受け又は其行方が知れざるときは此限に在らず（担１８，８年６月８日告１０２号金穀賃借請人証人弁償規則１，２）

　債権者が保証人に債務の履行を請求するに付き如何なる条件を要するかは各国の法律一定せざる所にして国によりては学者間に議論ある所なり。旧法においてはドイツ民法，スイス債務法等の如くまず主たる債務者に対し強制執行を為したる後なおその履行を得ざる場合においてのみ保証人に対し請求を為すことを得るものとせり（８年６月８日告１０２号金穀貸借請人証人弁償規則１，２によれば主たる債務者の身代限，逃亡，死去跡相続人なき場合に限り保証人に義務あるものとせり）。これ保証の従たる性質より考うるときは頗る理由ある所なりといえどもこの如きは保証の効力極めて薄弱にして諸事迅速を貴う開明国においてはこれをもって充分の担保と認むることを得ず。これけだし従来連帯多くして保証少なき１原因なるべし。かつ当事者の意思も通常この如き迂遠なることを欲したるにあらざるべし。故に本条においては旧民法及びオーストリア民法等の如く債権者は直ちに保証人に対して請求を為すことを得るといえども保証人はまず主たる債務者に催告を為すべき旨を請求することを得るものとせり。けだし保証人が弁済を為したるときは直ちに主たる債務者に対して求償を為すことを得るが故にもし主たる債務者にして資力あるときは寧ろ主たる債務者より債権者に弁済するをもって保証人のためには勿論主たる債務者のためにも便なりとすべし。これによりて債権者も迅速の弁済を得べきが故に敢えて損害を被るものというべからず債権者もまたこれによりてその債務を免れしかして保証人は他人のために弁済を為し更に本人に対し求償を為すの煩を免るることを得て各利害関係人のため利のみありてほとんど害なき所なり。しかれどももし主たる債務者にして無資力なるか又は資力あるも直ちに弁済を為すの準備なきため速に催告に応ずること能わざるときは債権者は更に保証人に対し請求を為しこれをして弁済を為さしむることを得べきものとせり。これけだし債権者と保証人と共に適度の保護を得たるものというべきが故に本邦においては仏，伊，西等の如く直ちに保証人に対し請求を為すも保証人は敢えて弁済を拒むことを得ざるものとするの主義を取らざりしなり（仏，伊等においては学者間議論なきにあらずといえども余は本文の如く解釈す）。

　右は原則なり。これに２つの例外あり。１は主たる債務者が破産の宣告を受けたる場合１はその行方が知れざる場合これなり。けだしこれらの場合においては主たる債務者に催告を為すも実際その効なきこと顕然せるが故にこれに対して催告を為すは真の徒労に過ぎずというべし。故にこれらの場合においては直ちに保証人に対し請求をなすことを得べし。すなわち破産の場合においては主たる債務者は大抵無資力なるのみならずその不完全なる配当も数月ないし数歳の後にあらざればこれを受くることを得ざるものなるが故に保証人あるに拘わらずその配当を待つべきものとするは実に酷といわざることを得ず。又主たる債務者の行方が知れざるときは通常これに代わりて弁済を為す者あらざるが故に到底弁済を得ること能わざるべし。但し第２５条以下の規定により管理人ある場合においてはその管理人は不在者の代表者なるが故に不在者本人の行方は知れざるもその管理人がこれに代わりて存する以上は法律上敢えて行方の知れざるものということを得ず。かつ実際においても管理人は弁済を為す権限を有するが故にこれに対し催告を為すべきはほとんど論をまたざるが如し。しかして債権者はもとより利害関係人なるが故に自ら管理人の選任を請求することをも得べし（２５）。なお保証人が主たる債務者と連帯せる場合において直ちに保証人に請求することを得べきことは第４５４条に規定せる所なり。「行方知れず」とは単に外出して現在の場所を知らざるの謂にあらざるは勿論にして俗にいわゆる家出，夜逃，逃亡等の場合をいえるものなり。

第４５３条　債権者が前条の規定に従い主たる債務者に催告を為したる後と雖も保証人が主たる債務者に弁済の資力ありて且執行の容易なることを証明したるときは債権者は先ず主たる債務者の財産に付き執行を為すことを要す（担１９，２１，８年６月８日告１０２号金穀貸借請人証人弁償規則１，２）

　本条はいわゆる検索の利益（Bénéfice de discussion）に関して規定せり。けだし主たる債務者の資産を尽したる後にあらざれば保証人に対して請求を為すことを得ずとするときは別に本条の規定を要せずといえども本法の如く単に主たる債務者に催告を為したる後は直ちに保証人に対して請求を為すことを得るものとするときはいわゆる検索の利益の必要を見るなり検索の利益とは保証人が債権者の請求を受くるに当たりまず債務者の財産に付き執行を試みたる後なお足らざる所あればこれを自己に請求すべき旨を債権者に対抗することを得るをいう。ただその条件に至りては各国の規定一様ならずといえども本条においては（第１）主たる債務者に弁済の資力あること（第２）これに対する執行の容易なることこれなり。しかして保証人はこの２条件を証明するにあらざれば検索の利益を対抗することを得ず。「弁済の資力あり」とは債務の全部を弁済する資力あるをいう。又「執行の容易なる」とはその財産遠隔の地に在らずしてかつ争に係らず又は他人がその上に優先権を有せざる等これなり。旧民法及び外国の多数の例においては細密なる条件を規定するといえども新民法においてはこれを取らず単に一般の原則を定めもって債権者に損害を加えざることを期するに止めたり。故に果たして主たる債務者に弁済の資力あるや否や又これに対して執行の容易なるや否やを判断するは１に裁判所の認定に在るものとす。

第４５４条　保証人が主たる債務者と連帯して債務を負担したるときは前２条に定めたる権利を有せず（担２０）

　本条の規定は前２条に定めたる権利に対し１の例外を認めたるものなり。即ち保証人が主たる債務者と連帯して債務を負担したる場合においては債権者は主たる債務者に対して催告を為さざるも直ちに保証人に請求を為すことを得べく。しかして債権者が保証人に対して請求を為すにあたり保証人は敢えて検索の利益を対抗することを得ざるものとすこれ他なし。保証人が主たる債務者と連帯するときは連帯の結果としてその各自をあたかも唯一の債務者なるが如く取扱うべきものなるが故にもし保証人にして唯一の債務者ならんが債権者が直ちにこれに対して請求を為すも何等の辞あるべからず。これ本条の例外を必要としたる所以なり。

　いわゆる連帯保証人に２種あり。１は保証人と主たる債務者と連帯する場合１は保証人間に連帯ある場合これなり。第１の場合においては本条の適用ありといえども第２の場合においてはこれあることなし。けだし保証人が主たる債務者と連帯する場合においては保証人もまた唯一の債務者とみなすが故に債務者より直ちにこれに請求を為すことを得べしといえども単に保証人間に連帯ある場合においては主たる債務者に対しては純然たる保証人なるが故になお前２条の権利を有するものとす。

第４５５条　第４５２条及び第４５３条の規定に依り保証人の請求ありたるに拘わらず債権者が催告又は執行を為すことを怠り其後主たる債務者より全部の弁済を得ざるときは保証人は債権者が直ちに催告又は執行を為せば弁済を得べかりし限度に於て其義務を免る（担２２）

　本条は第５４２条及び第４５３条に定めたる保証人の権利に制裁を附したるものなり。けだし保証人がこの２条の規定によりてあるいは主たる債務者に催告を為すべき旨を請求しあるいは主たる債務者の財産に付き執行を為すべき旨を請求したるに拘わらず債権者は直ちにその請求に応ずることなく後に主たる債務者に対し請求を為すも主たる債務者は既に全部の弁済を為す資力を失える場合においては債権者自らその怠慢の結果を負担すべきはもとより当然なり。故に「保証人は債権者が直ちに催告又は執行を為せば弁済を得べかりし限度においてその義務を免る」るものとせり。例えばもし債権者にして保証人より主たる債務者に催告又は執行を為すべき旨を請求したるとき直ちにその催告を為したらんには全部の弁済を得べかりしにこれを怠りたるがため主たる債務者無資力と為りついに半額の弁済を得るに過ぎざるときは債権者は保証人に対し残余の半額を請求することを得ず。何となれば保証人は債権者にして直ちに主たる債務者に対し請求又は執行を為せば全額の弁済を得べかりしことを対抗することを得ればなり。又例えば保証人が主たる債務者に対し催告又は執行を為すべき旨を請求したる時にあたり債権者にして直ちに催告又は執行を為したらんには半額の弁済を得たらんにこれを怠りたるがためついに１銭を得ること能わざりしとせば保証人は半額に付いてのみ責任を負うものとす。何となれば半額に付いてはたとい債権者に過失なきも到底主たる債務者より弁済を得ること能わざりしが故にその半額に付いては保証人に責ありといえども他の半額はもし債権者にして怠慢なくんは主たる債務者よりこれを得べかりしが故にこの半額に付いては保証人はその責を免るべきものなればなり。あるいはいわん第４５３条の場合においては保証人は主たる債務者に弁済の資力あることを証明せざるべからず。しかるにいわゆる弁済の資力とは全額の弁済の資力をいえることもとよりなるが故にこの場合においてはもし債権者に過失あらんが保証人は常に全額に付いてその責を免るべく敢えて一部に付いて依然その責を負うこと在らざるべしといわく。しからず保証人が債権者より請求を受けたる当時に在りて主たる債務者に弁済の資力あることを証明し得たりとするも債権者が執行に着手するまでには若干の時日を要するはもとより言うをまたざる所にして本条にいわゆる直ちにとは必ずしも即時の謂にあらず。ただ執行に着手するに必要なる時日を超えざることを要するの謂なり。故に保証人が請求を受けたる日に在ては主たる債務者なお全部弁済の資力ありたりとするも債権者が執行に着手する当時に至りては既に無資力と為れること往々にしてこれあり。しかも債権者に過失ありということを得ず。この場合においては保証人はその不足額に付いて責を負わざることを得ざるものとす。

第４５６条　数人の保証人ある場合に於ては其保証人が各別の行為を以て債務を負担したるときと雖も第４２７条の規定を適用す（担２３）

　本条はいわゆる分別の利益（Bénéfice de division）を規定したるものなり。分別の利益とは保証人が数人ある場合においてその各自が債権の全部に付き責を負うことなくしてただその頭数に応じ一部の責任を負うに止まるをいう。しかして旧主義の法律においては保証人は原則として各全部に付き責任あるものとしただ抗弁として分別の利益を対抗することを得るに止まるものとせしよりこの名あるなり。しかりといえども一旦法律をもって保証人にこの権利を認めたる以上はいわゆる分別の利益は寧ろ分別の権利にして敢えて恩恵的のものと視るべからず。殊に第４２７条において一旦債務は平等の割合をもって各債務者の分担に属するものとしたる以上は特り保証人のみ同一の規定に従わざるものとするの理なし。これ新主義の法律において数人の保証人ある場合においてはその保証人は各々平等の割合をもって債務を分担すべきものにして従ってたとい保証人中に無資力者あるも他の有資力者はその無資力者の負担部分を負担することあらざるものとせる所以なり。ただいささか疑あるは保証人が皆同一の行為をもって一斉に債務を負担せず別々にこれを負担したる場合においては（１人は東京において他の１人は横浜において債務を負担し又は１人は今日他の１人は明日債務を負担したるが如きこれなり）その各自又は１人は大抵全額に付き責任あるものと信じて保証を為したるものなるが故にこの場合においてはあるいは分別の利益なきかを疑わしむるといえども元来保証人は皆同一の債務の履行の責に任ずるが故に共同債務者（Codébiteurs）即ち連合債務者（Débiteurs conjoints）なるが故に特に連帯等を約せざる以上は第４２７条の総則に従うべきものとせざることを得ず。これ本条の規定ある所以なり。

第４５７条　主たる債務者に対する履行の請求其他時効の中断は保証人に対しても其効力を生ず

　保証人は主たる債務者の債権に依り相殺を以て債権者に対抗することを得（財５２１，１項，担２７，４４，２項）

　本条は主たる債務者に関する事項の保証人に利害を及ぼすべき場合を定めたるものなり。けだし保証人は従たる債務者にして主たる債務者が履行を為さざるとき始めて履行を為すの義務ある者なるが故に幾分か主たる債務者と運命を共にすべきの理あり故に

第１　「主たる債務者に対する履行の請求その他時効の中断は保証人に対しても其効力を生ず」るものとせり。けだし債権者はまず主たる債務者に対して履行の請求を為したる後にあらざれば保証人に対して請求を為すことを得ざるものなるが故にたとい債務者にして毫末の怠慢なくその希望よりいえば同時に主たる債務者及び保証人に対して請求を為さんと欲する場合においてもなおまず主たる債務者に対して請求を為さざることを得ず。故にこの請求にしてすこしも保証人に対し効なきものとせば過失なき債権者をして不足の損失を被むらしむるのおそれなしとせず。例えば履行の請求を為したる時より不履行によりて生じたる損害の賠償を請求することを得る場合において（期限の定なきときは則ちしかり）債権者はまず主たる債務者に対し履行の請求を為したるも直ちに履行を為さざるにより既に損害を被れりんとせんに後保証人に対し請求を為すにあたりもし保証人にして汝は主たる債務者に対し履行の請求を為したるが故にこれに対しては損害賠償を求むるの権ありといえども吾に対し未だ何等の請求を為したることあらず。故に吾に対しては損害賠償を求むるの権なしといわうことを得ば債権者は法律の命ずる所に従い請求を為したるに拘わらず損害賠償を負担すべき保証人（４４７）に対してその賠償を求むることを得ざるの結果を生じ実に不当といわざることを得ず。又履行の請求は時効中断の方法為るものなり（１４７，１号）。しかるに債権者は時効の未だ完成せざるに及び主たる債務者に対し請求を為しもって時効を中断したるも更に転じて保証人に請求を為すにあたりては既に時効の期間を経過し了わりたりとせんにもし第１の請求にして保証人に対しては時効中断の効なく即ちこの場合において保証人はその責を免るるものとせんが又罪なき債権者をして不当の損失を被らしむるの結果を生ずべし。その他の時効中断の方法に付いては（１４７，２号，３号）全く同一の理由なしといえどもまず主たる債務者に対し差押等を為しもしくはこれをしてその債務を承認せしめ後徐に保証人に対して請求を為すは債権者のためには当然の順序にして寧ろ奨励すべき所なるべし。しかるに主たる債務者に対する時効の中断が保証人に対して効なきものとせば債権者は不本意にも一方においては主たる債務者に対して差押等を為しもしくはこれをしてその債務を承認せしめ他の一方においては直ちに保証人に対して請求，差押等を為さざることを得ざるに至り頗る喜ぶべからざる結果に至るべしこれ本条第１項をもって「主たる債務者に対する履行の請求其他時効の中断は保証人に対しても其効力を生ず」るものとしたる所以なり。

第２　「保証人は主たる債務者の債権に依り相殺を以て債権者に対抗することを得」るものとせり。例えば保証人が１０００円の債務の保証を為したるにあたり主たる債務者もまた債権者に対し同額の債権を有するとせんにたとい主たる債務者はその債権によりて相殺を対抗せざるも保証人はこれを対抗することを得ざるべからず。何となれば後の第５０５条の規定により主たる債務者はこの場合において法律上当然相殺を対抗する権利を有するにこれを行わずして却って保証人をしてその債務を償わしめんとするが如きは法律の宜く許すべからざる所にしてもし主たる債務者がこれを知れるときはこれその悪意又は怠慢により保証人をして他人の債務を弁済せしむるものにして不当焉より甚だしきはなくもし主たる債務者にしてこれを知らずとせんが保証人をして弁済を為さしむるときはその保証人は主たる債務者に対して求償をなすことを得べく（４５９，４６２）。しかして主たる債務者は更に債権者に対してその債権の履行を求めざるべからず。これ実にすくなからざる煩雑なるのみならずもし主たる債務者又は債権者にして無資力なるときは保証人又は主たる債務者は損失を蒙むらざることをえず。法律が相殺を設けたる精神に背馳するものというべし。今幸にして保証人は相殺の原因を知れるが故にこれをして直ちに相殺を対抗せしめば保証ある債務直ちに消滅し（両個の債務同額ならざるときはその少額に付いてのみ相殺ありといえども今便宜のためその同額なる場合を想像す）主たる債務者，保証人倶にその義務を免れかつその債権者が主たる債務者に対して負える債務も又同時に消滅するが故に実際の煩雑を省くこと大にしてかつその間に無資力者を生じ先に弁済を為したる者が損失を被るべき場合において右の如く相殺を対抗することを得るものとせば則ちこの損失を免れ有資力者，無資力者共にその義務を尽し最も公平なる結果を得べし。これ本条第２項の規定ある所以なり（保証人が検索の利益を有する場合においてはその適用として本文の権利を有するものというも可なり）。

　　右のほか主たる債務を取消し得べき場合において保証人がこれを取消すことを得ること及び主たる債務が消滅するときは保証債務もまた従って消滅すべきことは既に論じたるをもって再びここに贅せず。

第４５８条　主たる債務者が保証人と連帯して債務を負担する場合に於ては第４３４条乃至第４４０条の規定を適用す（担２７，２項，２８，２項）

　本条は連帯保証に付いて規定せり。連帯保証の２種あることは既にこれを論じたり（１６３頁）。１は主たる債務者と保証人と連帯せるもの１は保証人間にのみ連帯あるものこれなり。第２の場合においては保証人は主たる債務者に対しては純然たる保証人にして総て本款の規定に従うべしといえども保証人間に在りては純然たる連帯債務者にして総て前款の規定に従うべきものとす。これ最も明瞭にして疑を容れざる所なるをもって特に明文を掲げず。本条は右の第１の場合に付いて規定せるものなり。この場合においては主たる債務者と保証人との間に２種の関係を生じ一方においては互いに連帯せりといえども他の一方においては保証の関係を生ぜり。故に全然本款又は前款の規定によることを得ず。本条の規定によれば第４３４条ないし第４４０条に定めたる連帯の規則はなおこれをこの場合に適用すべきものとせり。即ち保証人に就て履行の請求その他の事項ありたるときはその効力主たる債務者にも及ぶべきものとせり。しかして主たる債務者に就き履行の請求その他事項ありたる場合においては敢えて連帯の規定をまたず保証の性質上自ら保証人に対してもその効力を生ずべきことは既に前数条に付いて論じたる所によりて略明かなるべし。ただ本条に明文を掲げずといえどもこの保証人は通常の保証人に異なりて第４３２条に従い主たる債務者と同時又はこれより先に履行の請求を受くるも敢えて弁済を辞することを得ず。これ暗に第４５４条に規定せる所なり。しかりといえどもこの保証人もまた保証人なるが故に保証の特質は敢えてこれを失わず。例えば第４３３条によれば「連帯債務者の１人に付き法律行為の無効又は取消の原因の存するための他の債務者の債務の効力を妨」げざるものとせるも第４４６条より暗に生ずる保証の性質により主たる債務者が無数又は取消し得べき場合においてはその保証人もまた当然その責を免れ又はこれを免るることを得ることは普通の保証人に異なることなし。又第４３４条及び第４４０条によれば連帯債務者の１人に対抗する履行の請求以外の方法をもってする時効の中断は他の債務者に対しては効力なきものとせるも主たる債務者に対する時効の中断は皆保証人に対してもその効力を生ずべきことは第４５７条第１項によりて明かなり。しかしてこの規定は連帯保証人にもまたこれを適用すべきものとす。又連帯債務者の１人の約したる違約金又は１人の行為より生ずる損害賠償の義務等に付き他の者もまた責任を負うが如きことあらず。これに反して保証人は常に主たる債務に関する違約金，損害賠償等に付き責任を負うべきこと第４４７条の規定する所たり。しかしてこの規定もまた連帯保証人にも適用すべきものとす。又連帯債務者は互いに異なりたる目的又は体様をもって義務を負うことを得るも」保証人は主たる債務より重き目的又は体様をもって義務を負うこと能わざるは第４４８条の規定によりて明かなる所なり。しかしてこの規定もまた連帯保証人にも適用すべきものとす。

　以上論ずる所によれば本条の規定は専ら連帯の結果として主たる債務者が保証人に関する事項によりて影響を受くべきことを定めたるものにして主たる債務に関する事項が保証人に及ぼす影響に付いては寧ろ本款の規定を適用すべきものとす。ただここに注意すべきは連帯債務者間においては通常各債務者皆債務の一部を負担すべきものなりといえども保証人はたとい主たる債務者と連帯するも負担分を有することなし。故に連帯の規定を本条の場合に適用するにあたりては保証人の負担分は皆無にして主たる債務者の負担分は即ち債務の全額たることを忘却すべからざることこれなり。但しこれ必ずしも保証に特別なる効果にあらず。連帯債務者間に在りてもその１人が債務の全部を負担すべきことまた稀なりとせず。

第４５９条　保証人が主たる債務者の委託を受けて保証を為したる場合に於て過失なくして債権者に弁済すべき裁判言渡を受け又は主たる債務者に代わりて弁済を為し其他自己の出損を以て債務を消滅せしむべき行為を為したる（文字欠如）きは其保証人は主たる債務者に対して求償権を有す

　第４２２条第２項の規定は前項の場合に之を準用す（担３０，１号）

　保証人はあるいは主たる債務者の委託を受けて保証を為しあるいはその委託を受くることなくしてこれを為すことあり。甚だしきに至りては主たる債務者の意に反して保証を為すこともまたこれあり。債権者に対してはこの３種の保証人皆同一の責任を負うといえども主たる債務者との関係においてはこの３種の保証人各々殊異の権利を有せざることを得ず。けだし主たる債務者の委託を受けて保証を為したる者はいやしくも自己の過失なき以上は保証によりて毫末の損害をも受くべきの理なし。これに反して主たる債務者の委託を受けずして保証を為したる者は自己の随意にて保証を為したる者なるが故にこれによりて主たる債務者に毫末の損害をも加うることを得ず。従ってこの保証人は主たる債務者に求むるに単にその不当の利得を為さざることをもってするに止まらざることを得ず。いわんや主たる債務者の意に反して保証を為したる者に至りてはその権利又一層薄弱ならざることを得ず。本条ないし第４６１条は保証人が主たる債務者の委託を受けて保証を為したる場合に関し第４６２条は保証人が主たる債務者の委託を受けずして保証を為したる場合に関し主たる債務者の意に反して保証を為したる場合をも併せて規定せり。請うまず本条の説明より始めん。

　保証人が主たる債務者の委託を受けて保証を為したる場合において弁済を為したるときは主たる債務者に対してその賠償を求むることを得べきはほとんど言うをまたざる所なり。しかしてこの請求額は連帯債務者の１人が弁済を為したる場合において他の連帯債務者に対して請求を為すことを得るものに同じ。ただ前条においても述べたるが如く保証の場合においては保証人はすこしも負担部分を有することなく主たる債務者は債務の全額を負担すべき者なるが故に実際自ら両者の間に差異あること多きはもとよりなり。

　以上は専ら保証人が弁済を為したる場合に付いて述べたりといえども保証人が弁済を為さずして更改相殺，和解等の方法により主たる債務者をしてその義務を免れしめたる場合においてもまた同一の求償権を有するはもとよりなり。ただ保証人が無償にて債務を消滅せしめたるとき即ち債権者の単純なる免除を得たるときは保証人は毫末の損失を受けざるが故に敢えて主たる債務者に対して賠償を求むべきものなし。これ本条に「自己の出損を以て」といえる所以なり。

　以上は債務が真に存在せし場合においてこれを消滅せしめたることを予想せりといえども稀には債務の既に消滅したる後保証人がもし債務にして未だ消滅せざればこれを消滅せしむるに足るべき弁済その他の行為を為したるときもまた主たる債務者に対して求償権を有することあり。これ他なし。主たる債務者既に債務を消滅せしめたるもその過失により保証人が善意にて弁済等の行為を為したる場合これなり（４６３，２項）。但しこの場合には主たる債務者に過失ありて保証人に過失なきことを要す故に例えば保証人が債権者の請求を受けたるにあたり主たる債務者に対して未だ弁済を為さざるや否やをも確めずして弁済を為したる場合の如きはこれ保証人に過失あるものにしてもし主たる債務者が既に弁済を了えたる場合においては敢えて主たる債務者に対して求償を為すことを得ず。ただ２重に弁済を受けたる債権者に対し不当利得の取戻を請求することを得るのみ。しかしてその債権者にして無資力なるときは保証人独りその損失を負担せざるべからず（４６３，１項）。これ本条において「主たる債務者に代わりて弁済を為し」「債務を消滅せしむべき行為」及び「過失なくして」といえる所以なり。

　以上は保証人が弁済その他債務を消滅せしむべき行為を為したる場合を予想せりといえども保証人が未だその行為を為さざるに及びても既に弁済を為すべき裁判言渡を受けたるときは債権者に対し直ちに執行を受くべき債務を負えるが故に保証人は主たる債務者に対し求償権を有するものとす。但しこの場合に付いては第４６１条に至り主たる債務者を保護するの規定あり後に論ずべし。

第４６０条　保証人が主たる債務者の委託を受けて保証を為したるときは其保証人は左の場合に於て主たる債務者に対して像め求償権を行うことを得

　　一　主たる債務者が破産の宣告を受け且債権者がその財団の配当に加入せざるとき

　　二　債権が弁済期に在らざるとき但保証契約の後債権者が主たる債務者に許與したる期限は之を以て保証人に対抗することを得ず

　　三　債務の弁済期が不確定にして且其最長期をも確定すること能わざる場合に於て保証契約の後１０年を経過したるとき（担３４）

　本条は主たる債務者の委託を受けて保証を為したる保証人が未だ自ら弁済その他の行為を為さざるに拘わらずまず主たる債務者に対して求償を為すことを得る場合を定めたり。これ一見奇なるが如しといえども元来この保証人は主たる債務者の受任者にして主たる債務者に対し委任契約より生ずる権利を有する者なるが故に（６４３）この保証人は保証によりて何等の損失をも被るべからざるものとす。しかるに本条に定めたる場合においては保証人は未だ現に弁済その他の行為を為さずといえどももし今において主たる債務者に対し求償権を行うにあらざればまたその求償権を行うことを得ざるが又はこれを行うもほとんどその効なきに至るのおそれなしとせざるをもって本条の規定を設けたるなり請う左にその各場合に付いて論ぜし。

第１　主たる債務者が破産の宣告を受けたるとき

　この場合においては主たる債務者は大抵無資力なるが故に債権者は多くは保証人に対し請求を為すべきこと明かなり。しかるにもし債権者にして破産の手続終結後に保証人に対してその請求を為すときは保証人はこの時にあたりて求償を為すも主たる債務者の財産既に皆無と為りまた１銭の弁済を受くること能わざること最も多かるべし。故にこの場合においては保証人は予めその求償権を行うため破産財団の配当に加入することを得べきものとせり。但し債権者が既にその財団の配当に加入したるときはその債権の額に応じて受くべき金額は既に破産財団よりこれを受くべきが故に保証人の義務もその部分に付いては消滅すべくたとい債権者が配当を受けざる前において保証人に対し請求を為すも保証人は弁済の後債権者に代位してその配当に加入することを得べし（５００，５０１）。しかるにもしこの場合において保証人もまた予め財団の配当に加入することを得るものとせばその財団は同一の債権に付き２重の請求を受くるに至るべきをもってこの場合には保証人は本条の権利を有せざるものとせり主たる債務者が破産の宣告を受けたるときは直ちに期限の利益を失うべきが故に（１３７，１号）この場合もまた第２号の場合中に包含せるものなりということを得べし。しかれどもここには債権者がその財団の配当に加入せざるをもって条件と為すが故に特にこれを明言せしなり。

　主たる債務者が破産の宣告を受けたるときは期限の利益を失うべきは右に述ぶるが如しといえども保証人は敢えて破産を為さざるが故にその期限の利益を失うことなし。けだし主たる債務が無期限なるに保証債務が有期なること往々にしてこれあるべきことは既に第４４８条において論ぜし所なり。本条第１号の場合は則ち法律上主たる債務は弁済期に在るも保証債務はなお期限の利益を有する１例なり。故に主たる債務者が破産の宣告を受くるにあたり債権者はあるいはこれを知らずあるいはその財団の配当に加入するの煩労を厭い専ら保証人の資力を信用し保証人が有する期限の到来するをまちて始めてこれに請求を為すこと多かるべく。しかして保証人は弁済の後主たる債務者に求償を為さんと欲するもその破産手続は業に已に終結すること敢えて稀なりとせず。これ本条第１号の規定の特に必要なる所以なり。

第２　債務が弁済期に在るとき

　債務が弁済期に至れるも債権者が敢えてこれに対して請求を為さずかつ保証人に対しても請求を為さざるときは保証人はすこしも損害を受くることなきが如しといえども人の資力は一朝にして耗尽することあるべきをもって現時は主たる債務者有視力なるももし数月ないし数年間これを放棄するときはその終に無資力と為ることなきを保せず。しかるに債権者は保証人あるがためたとい主たる債務者が無資力と為るも保証人に対して請求を為すことを得るをもって安じて数月ないし数年の後まで請求を為さざることあるべく殊に利息附きの債務に在りては債権者はその利息を得んがため故意に請求を為さざることもまたこれなきを保せず。しかるに保証人は速にその義務を免れんと欲するは人情の当にしかるべき所にしてまた正当の希望といわざるべからず。殊に主たる債権者が無資力と為るのおそれあるときは今において主たる債務者をしてその債務を弁済せしむるにあらざればついにこれを弁済すること能わざるに至るべきをもって保証人は自己の利益を保護するため未だ弁済等を為さざるに拘わらず直ちに主たる債務者に対して求償を為すことを得るものとしたるなり。

　債権者は往々にして主たる債務者に猶予期限を與うることあり。この場合においては主たる債務者はその期限の到来するまで弁済を為すことを要せず。従って保証人もまた間接にその利益を受けその期限の到来するまでは敢えて請求を受くるのおそれなし。故にこれ一見保証人のために利益のみありて損害なきが如しといえども退いて考えうるときは主たる債務者は現に有資力なるに拘わらず猶予期限の到来するまでにはあるいは無資力為ることなきを保せず。故にこの場合においては保証人は猶予期限を認めずして債務をもって既に弁済期に在るものとし本条の権利の行うことを得るものとせり。

第３　債務の弁済期が不確定なる場合に於て保証契約の後１０年を経過したるとき

　例えば無期年金，終身年金その他人の終身を期して弁済すべき債務，条件附き債務等これなり。この場合においては保証人は債務の消滅せざる間は依然義務を負うべきが如しといえどもこれ甚だ酷に失するの嫌あり。けだし保証は多くは好意に出ててこれを為すものにして殊に保証人死亡の後はその相続人は主たる債務者に対し何等の関係をも有せざることすくなからず。しかりしかして幾十年の久しきを経るもその義務を免るること能わざるものとせばあるいは当事者の当初の意思に反することなきを保せず。かつ不確定なる債務の長日月間存在するはただにその債務者のために不利なるのみならず間接には国家の経済上に不良の影響を及ぼすべきが故につとめて避くべき所たり。しかるに保証人の債務はその性質不確定なるものにしてもし主たる債務者にして弁済期に資力あらんが保証人は実際義務なきに均しくもし主たる債務者無資力ならんが保証人は往々にして債務の全額を支払わざることを得ざるに至るべし。この如き不確定なる債務にしてかつ多くは好意に出てたるものが保証契約の後１０年を経過するもなお弁済期に至らざるときは保証人はその義務を免れ又はその損失を被らざるべき担保を求むることを得るものとしたるは極めて穏当なる規定といわざるべからず。

　本条第３号に「其最長期をも確定すること能わざる場合」といえるは他なし。未成年者の後見人を保証する者の如きはその後見人が未成年者に対して債務を負担すべきや否やすら確定せざるが故にその弁済期もとより不確定なりといえども未成年者の後見は未成年者の成年に達すると同時に消滅すべきが故にその後見人の義務もまたこれと同時に消滅するか又は既に生じたる義務は直ちに弁済期に在るべきはもとよりなり。故にこの場合においては債務の最長期を確定することを得るものにして敢えて本条の権利を行うことを許さざるものなり。これに反して前に例示せる場合は勿論その他例えば禁治産者の後見人の義務は幾十年の後始めて消滅すべきかを知ること能わざるが故にこれを保証する者は本条第３号の規定により保証契約の後１０年を経過すれば本条の権利を行うことを得べし（９０７，４号，人２２５参観）。

第４６１条　前２条の規定に依り主たる債務者が保証人に対して賠償を為す場合に於て債権者が全部の弁済を受けざる間は主たる債務者は保証人をして担保を供せしめ又は之に対して自己に免責を得せしむべき旨を請求することを得

　右の場合に於て主たる債務者は供託を為し，担保を供し又は保証人に免責を得せしめて其賠償の義務を免るることを得（担３４，３５）

　本条は保証人に対し主たる債務者を保護するものなり。けだし主たる債務者が前２条の規定によりて保証人に対し賠償を為す場合においてもし保証人未だ弁済を為さざるときは主たる債務者より賠償を受けたるに拘わらずこれを費消し敢えて債権者に対して弁済を為さざることなしとせず。この場合においては債権者は主たる債務者に対し請求を為すことを得るが故に主たる債務者は動もすれば２重の弁済を為さざることを得ざるに至るべし。故に本条においては主たる債務者をしてこの危険を免るることを得せしめたり。

　その方法如何いわく（１）主たる債務者が賠償を為すと同時に保証人をして担保を供せしむること（２）保証人が賠償を受くると同時に主たる債務者をしてその責を免るることを得せしむること（３）主たる債務者をして保証人に賠償を為さず単に供託を為さしむること（４）単に賠償の担保を供せしむること（５）同じく賠償を為す代わりに保証人に免責を得せしむることこれなり。けだし本条の場合においては保証人は未だ弁済を為さざるをもって必ずしも直ちに賠償を為すことを要せず。ただ保証人をして損失を被らざらしむるをもって足れりとす。又たとい直ちに賠償を為さしむるも主たる債務者が２重の弁済を為すのやむことを得ざるに至りたるとき敢えてこれをして損失を被らざらしむるため保証人をして担保を供せしめ又は更改等の方法により主たる債務者をして直ちにその責任を免れしむることをつとめしむるはもとより至当なる所なり。

第４６２条　主たる債務者の委託を受けずして保証を為したる者が債務を弁済し其他自己の出損を以て主たる債務者に其債務を免れしめたるときは主たる債務者は其当時利益を受けたる限度に於て賠償を為すことを要す

　主たる債務者の意思に反して保証を為したる者は主たる債務者が現に利益を受くる限度に於てのみ求償権を有す但主たる債務者が求償の日以前に相殺の原因を有せしことを主張するときは保証人は債権者に対し其相殺に因りて消滅すべかりし債務の履行を請求することを得（担３０，２号）

　本条は保証人が主たる債務者の委託を受けずして保証を為したる場合に付いて規定せり。しかして主たる債務者の委託を受けざるも敢えてその意思に反してこれを為さざるときとその意思に反してこれを為したるときとを併せて規定せり。即ち第１項は右の第１の場合に関し第２項はその第２の場合に関せり。この２つの場合において保証人は主たる債務者の委託を受けたるにあらざるが故に敢えて委任による権利を有することなし。ただ主たる債務者をして不当の利得を為さしめざるため保証人に求償権を與うるなり。しかりといえども第１項の場合は事務管理に類し第２項の場合は純然たる不当利得の場合なり（６９７，７０２，７０３）。故に第１の場合においては委任ある場合の如く保証人が過失なくして弁済を為すべき裁判言渡を受け又は主たる債務者に代わりて弁済その他の行為を為したるのみにより求償権を有せずといえども保証人が弁済その他の行為を為したる当時に在りて主たる債務が存在し保証人の弁済その他の行為によりてその債務が消滅したるときは主たる債務者はその当時これによりて受けたる利益の限度において賠償を為す義務あるものとす。けだしこの場合においては事務管理者を保護すると同一の理由あればなり。故に利息，費用その他の損害賠償は皆これを請求することを許さず。その他例えば保証人が弁済を為したる当時に在りて主たる債務者既に一部の弁済を了えたるときはその残額に付いてのみ賠償の義務あるべく又例えば保証人が弁済を為す前に主たる債務者が債権者に対し同種の債権を取得したるときはその債権額に付いては相殺の利益を得べく。従って保証人が弁済を為すもこの額に付いては敢えて利益を被ることなし。故にその残額に付いてのみ賠償を為すべきものとす。但しこの場合においては次条の規定により大抵保証人は主たる債務者に代わりてその債務を行使しもって自己が債権者に対し為したる弁済の中相殺によりて消滅すべかりし債権の額を取戻すと同一の結果を生ぜしむることを得べし。これに反して保証人が弁済を為したる後主たる債務者が債権者に対し同種の債権を取得するもために保証人に対し賠償を為すことを拒むことを得ず。

　本条第２項の場合においては保証人は主たる債務者の意思に反して保証を為したる者なるが故に主たる債務者はすこしもこれによりて不利益を被るべからず。故に保証人が弁済その他の行為を為したる当時に在りてはその行為有益なりしとするも保証人が求償を為すの日において主たる債務者が現に保証人の弁済によりて利益を受けざるときは敢えて賠償を為すことを要せず。例えば保証人が弁済を為したる当時に在りては債務正に成立しかつ主たる債務者如何なる抗弁方法をも有せざりし場合においてももし保証人が求償を為す当時にあたりて主たる債務者が相殺の原因を取得したるときはこれを債権者に対抗すれば敢えて弁済を為すことを要せざりしが故に保証人が弁済を為したるは敢えて主たる債務者に利益を與えたるものということを得ず。故にこの場合においては主たる債務者が保証人に対し賠償を為すことを要せず。但し相殺によりて消滅すべかりし債権の額が保証ある債権の総額に及ばざるときはその残額に付いては賠償を為すべきこともとよりなり。

　主たる債務者が保証人の弁済の後更に弁済を為したる場合の如きは保証人は求償を為すことを得ずといえども債権者に対して主たる債務者が為したる弁済の返戻を求むることを得べきはほとんど疑を容れざる所なり。ただ主たる債務者が相殺の原因を取得せしときはこれをもって求償を為す保証人に対抗することを得べしといえどもその保証人は債権者に対し如何なる権利を有するがこれを詳言すれば債権者はその債権に付き２重の利益を受けたるが故にその１を保証人に償還すべきこと勿論なりといえども保証人は果たして自己が前に為したる弁済の返戻を求むることを得べきが将た主たる債務者が相殺のために対抗することを得べかりし債権の履行を求むることを得べきがけだし理論においては保証人が為したる弁済はもとより有効にして主たる債務者は相殺の原因を対抗してその責を免れたるが故にその相殺の原因によりて債権者が得たる利益の返還を求むることを得べきが如し。しかりといえどもこれただに不確実なるのみならず相殺によりて消滅すべかりし債権者の債務には担保の附着することなきを保せず。元来この場合においては直接に相殺の対抗を受けざる債権者はその債務を履行すべき者なりしが故に保証人は主たる債務者に代わりてその履行を請求することを得るものとするは頗る便利にしてかつ何人をも害することなし。これ本条第２項において右の規定を採用したる所以なり。

第４６３条　第４４３条の規定は保証人に之を準用す

　保証人が主たる債務者の委託を受けて保証を為したる場合に於て善意にて弁済其他免責の為めにする出損を為したるときは第４４３条の規定は主たる債務者にも亦之を準用す（担３２，３３）

　本条は保証人もしくは主たる債務者に過失ある場合に付いて規定せり。しかして連帯債務に関し既に第４４３条の規定あるをもって今これを保証人に準用せり。故に債権者より請求を受けたる保証人がこれを主たる債務者に通知せずして弁済等を為し又は弁済等を為したる後これを主たる債務者に通知せざりしときは保証人は過失ある者とみなざるるなり。これに反して主たる債務者は自ら弁済を為すべき義務あるをもって債権者の請求を受くるにあたり特にこれを保証人に通知し又は弁済等を為したる後これを通知するの義務なきを本則とす。ただ保証人が主たる債務者の委託を受けて保証を為したる場合においては主たる債務者は毫末も保証人に損害を加えざるため自己が債権者の請求を受けたるとき又は弁済等を為したるときはこれを保証人に通知する義務あるものとせり。故にもし主たる債務者がこれ通知を為さざるときは善意にて弁済その他の行為を為したる保証人に対し第４４３条の責任を負うべきものとせり。

第４６４条　連帯債務者又は不可分債務者の１人の為めに保証を為したる者は他の債務者に対してその負担部分のみに付き求償権を有す（担３７）

　本条の規定は旧民法の規定と全く相反せり。けだし連帯債務者又は不可分債務者の１人のために保証を為したる者は（第１）他の債務者に対して求償権を有するや否や（第２）求償権を有するとするときは債務の全額に付いてこれを有すべきが将た各債務者の負担部分に応じてのみこれを為すべきかはやや，疑ある所なり。けだし（第１）保証人は右の債務者中の１人を保証したる者にして敢えて他の債務者を保証するの意思なかりし者なり。故にたとい全額の弁済を為すもただ自己の主たる債務者に対してのみ全額の求償を為すことを得べく。他の債務者に対しては一切の求償を為すの権なしとするをもって妥当と為すべきが如し。しかりといえども他の債務者は現に保証人の弁済によりて利益を受くるが故に保証人に対し賠償を為さざるときは不当の利得を為すに至るべきをもって本条においてはまず保証人が他の債務者に対し求償権を有することを定めたり。（第２）その求償額に付いては旧民法においては債務の全額に付き求償を為すことを得るものとせり。しかしてそのよる所を尋ぬるに他なし。この場合においては保証人は自己の名義をもって他の債務者に対し求償を為すことを得ずして単に債権者に代位して請求を為すことを得るものとしたればなり。しかりといえども余の見る所をもってすれば（１）保証人に固有訴権なしとするはあやまれり。他の債務者は不当利得を為すべきが故に保証人はその利得の賠償を求むることを得べし。（２）代位訴権は後に論ずべきが如く単に固有訴権を確保するに過ぎざるものなるが故にもし保証人にして固有訴権により一部の弁済を得るに止まるべきときは代位訴権によるもまた一部の弁済を得るに止まるべし。（３）他の債務者に対する保証人の固有訴権は単にその各自の負担部分に付いてのみ存するものとす。これ他なし。主たる債務者たる連帯又は不可分の債務者１人が自ら弁済を為したりとするもなお他の債務者はその１部分に付いてのみ賠償を為すべきものなるが故に保証人が右の債務者に代わりて弁済を為したる場合においても他の債務者は各，その負担部分に付いてのみ不当の利得を為すものと認めざるべからず。故に本条においては保証人は固有訴権によるも代位訴権によるも各債務者の負担部分に付いてのみ求償権を有するものとせり。但し主たる債務者のみに対しては全額の請求を為すことを得べし。これ他なし。保証人はその者のために全額の弁済を為したるをもってなり。

　　　　　４　保証人間の関係

第４６５条　数人の保証人ある場合に於て主たる債務が不可分なる為め又は各保証人が全額を弁済すべき特約ある為め１人の保証人が全額其他自己の負担部分を超ゆる額を弁済したるときは第４４２条乃至第４４４条の規定を準用す

　前項の場合に非ずして互に連帯せざる保証人の１人が全額其他自己の負担部分を超ゆる額を弁済したるときは第４６２条の規定を準用す（担３８ないし４０）

　本条は保証人が数名ある場合においてその間の関係を定めたるものなり。けだしこの場合においてはあるいは保証人間の連帯ありあるいは主たる債務の不可分ありあるいは保証人間に連帯なきも特に各保証人全額を弁済すべき旨を約することありあるいは保証人間に右いずれの関係もあらざることあり。しかしてもし保証人の１人が全額その他自己の負担部分より多額の弁済を為したるときはために他の保証人はその義務の全部又は１部を免れるべきをもってこれに対して求償権あるべきはもとより論をまたずといえどもただその求償権の範囲に付き自ら差等なき能わず。けだし右の第１より第３に至るまでの場合は皆保証人法律上止むことを得ずして債務の全部その他自己の負担分より多額の弁済をなさざることを得ざるものなるが故に特にこれを保護しつとめて損失を被むらざらしむることを要す。しかして第１の場合は純然たる連帯あるが故に特に明文を要せず。自ら連帯に関する第４４２条ないし第４４５条を適用すべきものとす。他の２つの場合においては連帯なきをもって当然連帯の規定を適用すること能わざるはもとよりなりといえども保証人が全額を弁済するの義務あることは連帯の場合に同じきが故に本条第１項をもって特に連帯に関する第４４２条ないし第４４４条の規定を準用すべきものとせり。

　右の第３の場合において「各保証人が全額を弁済すべき特約ある」ことを予想せり。これ他なし保証人の１人が全額を弁済すべき特約あるももし他の者にして１部分に付いてのみ義務あるものとせば他の保証人よりこれを観ればその特約を為したる保証人は任意にこれを為したるものにして従ってその全額の弁済を為したるも畢竟任意にこれを為したるに同じ。故にこれ自ら第４の場合に入るべきものにして敢えて第３の場合に入るべきものにあらず。これ「各保証人云云」という所以なり。

　右の第４の場合においては以上３つの場合の関係なきが故に保証人の１人が全額其他自己の負担部分より多額の弁済を為したりとせばこれ全くその任意に出てたるものにしてすこしも法律上の強制を受けたるにあらず。故にこれによりて損失を被ることあるもこれ自ら作せる禍というべし。唯他の保証人は之によりて不当の利得をなさざることを要す。故に主たる債務者の委託を受けずして保証を為したる者が弁済等を為したる場合においてその主たる債務者に対して有する求償権と同一の求償権を有するに止まるものとしすなわち第４６２条の規定を準用せり。しかして保証人が主たる債務者の委託を受けずして保証を為したる場合に付き主たる債務者の意に反する者とこれに反さざる者とあるが如く保証人の１人が他の保証人の意に反して全額を払いたる場合とその意に反せずしてこれを払いたる場合とあるべし。故に甲の場合においては第４６２条第２項を準用し乙の場合においては同条第１項を準用すべきものとす。

　　　　　第４節　債権の譲渡

　本節においては広く債権が譲渡し得べきものなるや否や，これを譲渡すことを得る場合においてその譲渡を第三者に対抗するには如何なる条件を要するか等のことを規定せり。しかして指図債権，無記名債権等に関する規定もまた本節中にこれを網羅せり旧法典においてはこれを商法に規定せりといえどもこれ必ずしも商事に関せざるをもって寧ろこれを民法中に収むるを至当とす。

第４６６条　債権は之を譲渡すことを得但其性質が之を許さざるときは此限りに在らず

　前項の規定は当事者が反対の意思を表示したる場合は之を適用せず但其意思表示は之を以て善意の第三者に対抗することを得ず（取１６９，１７０，９年７月６日告９９号）

　本条は債権の原則としてこれを譲渡すことを得るものなることを規定せり。けだし権利の原則としてこれを譲渡すことを得ることはすこしも疑いなきところなるをもって他の権利に付いては法文にこれを明言せざるを常とす。唯り債権に至りては人と人との関係なるが故にあるいは性質上これを譲渡すことを得ざるものとしあるいは当事者の意思においてこれを譲渡すことを許さざること多きものとする学説なきにあらざるをもって特にこれを名言せしなり。殊に我国においては従来債権の譲渡を許さざるを本則とせしが如し（９年７月６日告９９号参照）。又他の権利は当事者の意思をもってこれを譲渡すことを得ざるものと為すことをえず。しかしてこれ当然明白なるものとし特に明文を掲げざる所なりしかるに債権は本条第２項の規定をもって当事者においてこれを譲渡すことを得ざるものとすることを許せり。けだし外国においてはこの反対意思を許さざる例最も多しといえども債務者は往々某の人に対して義務を負うことはこれを承諾するも他の人に対して義務を負うことはこれを承諾せざるの意思を有すること稀なりとせず。この意思たるや相当の理由あることにして必ずしも公益上これを禁ずるの必要なきが如し。殊に我国においては既に述べたるが如く従来債権の譲渡を許さざるを本則とせしが故に今全く当事者の反対意思をも認めざるときは頗る慣習に反し実際に行われ難きの憂なきにあらず。これ本条において原則として債権の譲渡を許し例外として当事者の反対意思を認めたる所以なり。

　当事者の反対意思とは果して当事者の一方の意思なるか。はた当事者双方の意思なるか。けだし遺言等の如き単独行為に在りては当事者は１人なるが故にその意思をもってこれを定べきは言うを待たざる所なりといえども契約に在りては債権者たるべき当事者もしくは債務者たるべき当事者のみの意思によりてこれを定むることを得べきかいわく。しからず法文において単に当事者といえる場合においてはその規定の性質上一方の当事者を意味せざるときは皆当事者双方を意味するものなり。しかして本条の当事者のその双方を意味することはほとんど説明を要せず。けだし債権を譲渡することを得ざるものとするは債権の性質に重大なる変動を与うるものなるが故にその債権が債権者，債務者双方の意思によりて成立したる以上はこれを譲渡することを得ざるものとするにもまた双方の意思を要すべきは自明の理なればなり。

　当事者の反対意思は法律においてその効力を認むるといえどももって第三者の権利を害することを得ず。けだし債権は第１項の規定により原則としてこれを譲渡すことを得るものなり。故に第三者は通常の場合においてはその債権の譲渡し得べきものなることを信じあるいはこれを譲受けあるいはその債権の上に質権を取得することあるべし（３４３参照）。しかして後日当事者が反対意思を有せし証明に遇いその権利を失うが如きこと本条第１項をもって債権を譲渡すことを得べき原則を定めたる精神に背馳するに至らばその第三者の損害を被るべきは明らかにしてために債権の融通を妨げ折角あるのおそれあり。故に当事者の反対意思はこれをもって善意の第三者に対抗することを得ざるものとせり。

　以上本条第１項の原則の例外として当事者の反対意思のみを論じたりといえどももし債権の性質が譲渡を許さざるものなるときはもとよりこれを譲渡すことを得ず。例えば甲が乙を教授する債務を負える場合において債権者たる乙はその権利を丙に譲渡し丙をして同様の教授を受けしむることを得ず。これ他なし教授の義務の如きはその性質人に着眼するものなるが故にその教授を受くべき人異なるときはその債権もまた異なれりといわざるべからず。語を換えて言えば乙を教授すると丙を教授するとは債権の目的全く異なれりといわざることを得ず。故にこの債権は性質上これを譲渡すことを得ざるものなり（６２５，１項）。その他明文をもって譲渡を許さざる債権すくなしとせず（５９４，２項，６１２，１項９６３等）。なお明文なきものの一例を示せば甲が乙を扶養する法律上の義務なきに拘わらずこれを扶養する義務を負担したるときは乙はその権利を譲渡すことをえず。これけだし人に着眼したるものなればなり。右はほとんど言うをまたざる所なりといえども一旦広く債権はこれを譲渡すことを得と規定したる以上はこの但書を置かざれば往々釈に惑う者なきを保せざるをもってこれを置けるなり。

第４６７条　指名債権の譲渡は譲渡人が之を債権者に通知し又は債務者が之を承諾するに非ざれば之を以て債務者其他の第三者に対抗することを得ず

　前項の通知又は承諾は確定日附ある証書を以てするに非ざれば之を以て債務者以外の第三者に対抗することを得ず（財３４７，１項，３項，４項，９年７月６日告９９号）

　本条及び次条は指名債権（Ｃｒéａｎｃｅ　ｎｏｍｉｎａｔｉｖｅ）の譲渡に関せり。指名債権とは債権者の誰たること確定せるものをいう。けだし指図債権（Ｃｒéａｎｃｅ　à　ｏｒｄｒｅ），無記名債権（ｃｒéａｎｃｅ　ａｕ　ｐｏｒｔｅｕｒ）に対していえるものなり。しかして債権は普通指名なるを本則とす。

　指名債権の譲渡は他の債権の譲渡に同じく当事者間においては当事者の意思のみによりて完成すべしといえども債務者その他の第三者に対しては特に債務者に通知を為し又は債務者がその譲渡を承諾することを要するものとせり。けだし債務者にしてもし譲渡の事実を知らざるときは譲渡人をもって以前正当の債権者なりと信じこれに対し弁済を為しその他債権に関する種々の行為を為すべきのみ。しかして債務者に対しても譲渡は当事者の意思のみによりて効力を生ずるものとせばこの債務者は更に譲受人に弁済を為すの義務ある者といわざるべからず。この如くんばその者はすこしも過失なきに拘わらず二重の弁済を為さざることを得ざるに至り頗る酷に失するものといわざるべからず。故に債務者に対しては譲渡を通知し又はその承諾を得るにあらざればその譲渡をして効力を生ぜしむること能わず。あるいは問わん債務者にたいしてこの手続を要することは理あるが如しといえども他の第三者に対してこの条件を必要とするは果して何の理由によりてしかるかといわく。他の第三者即ち債権の第二の譲受人，その債権の上に質権を得たる者，その債権を差押えたる債権者等にして注意深き人ならんにはまずその債権の債務者に対し果して譲渡人等がその者に対して債権を有するや否やを確かめしかる後にあらずんば敢えて譲受その他の行為を為さざるべくあるいは差押の場合の如き債務者直ちに異議を述ぶれば差押債権者は他の財産に付き強制執行を為すの便あるべし（民訴６０９）。これこれらの第三者に対しても右の条件を必要としたる所以なり。あるいはこれを批難してもし債務者が偽言を為すときは第三者はこれに欺かるべきをもって本条の規定は実際有名無実に帰せんと論ずる者ありといえども（第一）債務者が悪意なることは甚だ頻繁ならざるべく（第二）他に適当なる公示の方法なきをもってこの方法を採用したるなり。外国において稀にこれを登記せしむる例なきにあらずといえどもこれ実際に行われ難き所なるのみならず登記の場所に付き一定の規定を設くること極めて難しかるべし。何となればなるのみならず登記の場所に付き一定の規定を設くること極めて難しかるべし。何となれば仮に債務者の住所においてこれを登記すべきものとするも債務者は何時その住所を変更するか知るべからず。故に変更後において債務者の住所の登記所に至り果して債権譲渡の登記あるや否やを確かむるも未だ安じてその債権に付き取引を為すことを得ず。しかりといえどもこの場合においては債務者の新住所の登記所に登記を為すにあらざれば第三者に対してその効なきものとせば債権者の知らざる間に債務者が住所を転じたるときは債権者はややもすればその知らざる間に権利を失うが如き不幸を見ること多かるべし。これ本条の規定の不完全なるに拘わらず各国大抵皆これを採用する所以なり。

　あるいはいわん債務者が譲渡を承諾する場合においては必ず譲渡人の通知を受けたる後ならん故に単に債務者に通知を為すべき旨を規定するをもって足れりとすべく更に債務者がこれを承諾すると否とを問うの必要なきが如しといわく。しからず通知と承諾とはその効力を異にすることは次条によりて明らかなり。故に予めこの２条件の１つを備うることを要するものと規定するを妥当とす。いわんや未だ譲渡人の通知を受けざる中に債務者が他より譲渡ありたることを伝聞しこれに対して承諾の旨を表示することなきにあらざるをや（殊に確定日付は通知又は承諾の１つに付いてのみ存することあるべし）。

　本条の規定によれば通知は必ず譲渡人よりこれを為すべきものとせり。これ他なし譲渡人より通知を為すにあらざれば未だ真に譲渡ありたるや否やを信ずること能わず。例えば譲受人は譲渡によりて主として利益を受くべき者なるが故にこの点より観察すれば譲受人をして通知を為さしむるを穏当とするが如く現に旧民法その他譲受人をして通知を為すさしむる例すくなしとせずといえどもいわゆる譲受人は実際未だ譲受を了せざるに拘わらず譲渡の通知を債務者に発しもって債権を横領しもしくは譲渡成立の後第１位の権利を得んがため予めこの通知を為すが如き弊あるべきは敢えて喋々をまたず。故に譲渡人をしてその通知を為さしむることとしたるなり。しかしてもし譲渡人がこの通知を怠りたるときはその譲渡人は未だ譲渡によりて生じたる義務を履行したる者と看るべからず。故に譲受人はこれに対して債務者に通知を為すことを促しもし聴かざれば裁判所に訴えその判決をもって譲渡人の意思に代えこれを債務者に送達して本条の通知に代うることを得べく（４１４，２項但書）。なおこれがために損害を被るときはその賠償を為さしむることを得べし。

　右の通知又は承諾は当事者間においては如何なる方法をもってこれを為すも可なり。例えば書簡その他の書面は勿論，口頭，容態等をもってこれを為すも可なり。ただ第三者に対しては確定日付（Ｄａｔｅ　ｃｅｒｔａｉｎｅ）ある証書をもってすることを要するものとせり。これ他なしこの通知もしくは承諾の時日を繰上げもって第三者の権利を害せんと計ることあり例えば明示２９年１１月５日において譲渡の通知を受けまたはその承諾を為したりとせんにその前日即ち１１月４日に既に同一の債権に付き譲渡の通知又は承諾ありたるをもって後の譲渡は全然無効たらざるべからず。しかるに債務者は債権者と通謀して５日に通知もしくは承諾ありたるものを偽って１１月３日にこれありたりといわんに第三者はその反対の証拠を挙ぐること能わざること最も多かるべし。故に本条第二項においては右の通知もしくは承諾をもって第三者に対抗せんと欲せば必ず確定日付ある証書をもってすべきものとせり。けだし確定日付とは後日に至り詐欺を行うこと能わざるまでに日付正に確定せるものをいえるなり。しかしてその方法に至りては民法施行法第５条以下にこれを定め公正証書または（１）登記所又は公証人役場において日付ある印章を押捺したるか（２）その署名者中に死亡したる者あるか（３）確定日付ある証書中に引用したるか（４）官庁又は公署においてある事項を記入し日付を記載したるかの４条件の１つを備うる私署証書にあらざれば確定日付を有せざるものとせり。本条第２項において「債務者以外の第三者」といえるものは他なし。債務者は譲渡よりこれを観れば第三者なりといえども通知又は承諾よりこれを観れば当事者なり。故に第２項の場合においては単に第三者というもあるいは債務者を除外したるものと視るべきが如しといえども既に第１項において第三者中に債務者を包含せしめたるが故にもし「債務者以外」といわざるときはあるいはこれをも第三者中に包含せしむべきものなるかを疑わしむればなり。

第４６８条　債務者が異議を留めずして前条の承諾を為したるときは譲渡人に対抗することを得べかりし事由あるも之を以て譲受人に対抗することを得ず但債務者が其債務を消滅せしむる為め譲渡人に払渡したるものあるときは之を取返し又譲渡人に対して負担したる債務あるときは之を成立せざるものと看做すことを妨げず

　譲渡人が譲渡の通知を為したるに止まるときは債務者は其通知を受くるまでに譲渡人に対して生じたる事由を以て譲受人に対抗することを得（財３４７，２項，５２７）

　本条においては通知と承諾とをその効力において差異あることを明らかにしたるものなり。まず第１項においては承諾の効力を定め債務者が異議を留めずして承諾を為したるときは譲渡人に対抗することを得べかりし事由あるもこれをもって譲受人に対抗することを得ざるものとせり。これ他なし債務者の承諾は爾後譲請人をもって自己の債権者と認むべきことを承諾したるものなればなり。故にもし譲渡人に対抗すべき事由ありてこれをもって譲受人に対抗せんと欲するときは特にこれを留保せざるべからず。しからずんば譲受人をもって完全なる債権者と認めたるものとせざることを得ず。例えば債務者が譲渡人に対し相殺の原因を有せしに承諾の際これに付いて特に留保を為さざるときは後日これをもって譲受人に対抗することを得ず。又譲渡人がかつて全部又は一部の免除を為したりとせんに承諾の際これに関する留保を為さざるときは譲受人は債務の全部に付きその弁済を求むることを得べし。但し譲渡人は不当の利得を為すべからざるが故にもし債務者がかつてその債務を消滅せしむるためこれに払渡したるものあるときはこれを取返すことを得べく又前債務を消滅せしむるため譲渡人に対して負担したる債務あるときはこれを成立せざるものとみなすことを得ずんばあるべからず。例えば債務者が既に譲渡人に対し全部又は一部の弁済を為したるときは譲受人に対しては債務の全部に付き弁済の責に任ずべきも譲渡人に対しては既に為したる弁済の返還を求むることを得べし。又例えば債務者が譲渡人と和解を為しその債務を消滅せしむるため更に新たなる債務を負担するといえどもしかも譲渡人に対しては和解によりて負担したる債務を免るることを得べし。あるいはいわんこの場合においては当然その負担したる債務を免るべきものとすべきが如し。しかも本条第１項の末文によれば単に「之を成立せざるものとみなすことを妨げざる」に過ぎざるもの如何といわく大多数の場合においては債務者は必ずその債務を免るるに利ありといえどもしかも稀には依然その債務を負担するに利ありとすることあり。その負担したる債務が他の権利と牽連せる場合これなり。例えば甲が乙に対し金１０００円の債権を有するものと主張し乙はその債務なきことを主張しついに和解によりて甲はその債権を放棄すると同時に乙は甲にその所有に係る１５００円の価ある不動産を譲与し甲より１０００円を払うべきものとせる場合において乙は通常その不動産譲渡の債務を免れもって１０００円請求する権利をも放棄するに利ありといえどももし乙にしてその不動産を自己の有に復することを欲せず又は金１０００円の必要あるときは寧ろ価格上の損失を顧みずその和解を履行するに利ありとすることあり。いわんや不動産の価格低落することあるにおいてをやこの場合において譲渡人は決してその和解を無効視することを得ず。なお譲渡人に譲渡人に悪意又は過失あるときは不法行為の一般の規定により損害賠償の責に任ずべきはもとより論をまたざる所なり（７０９）。

　あるいは問わん。債務者が譲渡人に対し相殺の原因を有せしときはついにその相殺の利益を失うべきか如何といわく。しかりといえどもこの場合においては譲渡人に対し自己の債権の履行を求むることを得るが故に債務者は敢えて損失を被るものと視るべからず。けだし新民法においては相殺は一方の意思表示により始めてその効力を生ずべきものなるが故に（５０６）債務者が譲渡人に対し相殺の意思を表示せずして譲渡の承諾を為すときは全く相殺の権利を放棄したるものと看做さざるべからざればなり。

　譲渡人が単に譲渡の通知を為したるに止まるときは債務者が承諾を為したる場合に異なりて債務者は未だ譲受人をもって自己の債権者と認めざるものなり。故に債務者が通知を受けたる後生じたる事由はこれをもって譲受人に対抗することを得べし。しからずんば債務者の知らざる間に譲渡ありたるがため債務者は譲渡人に対する権利を失うに至るのおそれあればなり。

第４６９条　指図債権の譲渡は其証書に譲渡の裏書を為して之を譲受人に交付するに非ざれば之を以て債務者其他の第三者に対抗することを得ず（財３４７，５項，旧商３９４ないし３９８，新商２８２，４５７，４６１，４６３）

　本条以下第４７２条に至るまでは指図債権に関する規定を掲げたるものなり。指図債権とは証書ある債権にして証書に指定したる債権者もしくはその指図せる者に対し弁済を為すべき旨を定めたるものなり。例えば左図の如きものは１つの指図債権なり。

　　　　　　　　　　　証

　　　　　米　　　百石也

　　　右何時にても貴殿もしくは貴殿の指図人に御引渡可申候也

　　　　　年月日　　　　　　　　　　　　　　　　　　何の誰

　　　　　　　　　　　　　　　　　　何の誰殿

　債権の性質上当然指図式なるものあり。例えば為替手形（商４５５）約束手形（商５２９）小切手（商５３７）倉荷証券（商３６４）等これなり。その他法律の当然指図式とせざるものにしてその明文により指図式たることを得るものは例えば貨物引換証（商３３５）船荷証券（商６２９）等の如きこれなり。又法律に明文を掲げざるも苟も反対の規定なき以上は一切の債権を指図式と為すことを得べし。この場合において債権の譲渡を為すにはいわゆる裏書（Ｅｎｄｏｓｓｅｍｅｎｔ）なるものを為すことを要す。裏書は通常証書の裏面に記載するものなるが故にこの名ありしかりといえども証書の表面の余白にこれを記載するもまた効力あるべし。しかしてその裏書の体裁概ね左の如し。

　　　表面の金額（表記の米等）何の誰殿又はその指図人へ御支払（御引渡）可被成候也

　　　　　　　年月日　　　　　　　　　　　　　　　　　　何の誰

　第１の裏書においては署名者は必ず証書に指定したる債権者たることを要す。しかして裏書文言中の人名はその第１の譲受人とす。しかしてこの第１の譲受人が更に裏書譲渡を為さんと欲するときは自ら署名者と為り第２の譲受人たるべき者を裏書の文言中に指定しもって第１の裏書の次にその裏書を為すことを要す他は類推すべし。しかして裏書の最も肝要とする所は証書に指定したる債権者第１裏書の署名者と為り第１の裏書に指定したる債権者第２の裏書の署名者となり以下順次債権者の氏名に間断なく各裏書よく連絡しこれによりて権利移転の準じ一目瞭然にして債務者たる者はその順序を検閲しもって現権利者の誰たるを知るの便を得べきことこれなり。

　しかりといえども指図債権の譲渡は裏書のみにては未可なり。譲渡人は必ずその証書を譲受人に交付することを要す。けだしこの債権は証書によりて重きを為し証書以外にその成立を認むること能わざるものなるが故に譲渡人はその証書を譲受人に交付するに非ざれば第三者はその譲受人の果して正当の譲受人たるや否やを確知すること能わず。殊に裏書の順序に間断なく証書の所持人その他中間の譲受人皆正当に権利を得たる者たることを証明するには必ず証書によらざることを得ざるが故にこの種の債権の譲渡は証書に裏書を為したる後これを譲受人に交付するに非ざればその譲渡をもって債務者その他の第三者に対抗することを得ざるものとせり。これもとより債務者その他の第三者に対してのみ存する条件にして譲渡人，譲受人の両当事者間においてはたとい裏書及び交付なきもただ双方の同意によりて譲渡の効あるものとす。故にこの場合における裏書および交付は普通の債権における通知又は承諾に該当するものとす。

第４７０条　指図債権の債務者は其証書の所持人及び其署名，捺印の真偽を調査する権利を有するも其義務を負うことなし但債務者に悪意又は重大なる過失あるときは其弁済は無効とす（財３４７，５項，旧商４００）

　指図債権はもともとその流通を容易ならしむるをもって目的とするものなり。故にその債務者にして通常の債務者の如く必ず債務者の真偽を詳にしたる後に弁済を為すに非ざればもし債権者と信ぜし人真の債権者ならざる場合において債務者その責に任ぜざるべからずとせばその債権の流通を妨ぐること少なからざるをもって指図債権の債務者はその証書の所持人およびその署名，捺印が真の債権者及びその者の署名，捺印なるや否やを調査せずして弁済を為すもその弁済は有効なりとす。但し（第１）もし債務者にして多少の疑いあらばその所持人及びその者の署名，捺印の真偽を調査する権利あり。これけだし指図債権の債務者は真の債権者ならざる者に弁済を為してその義務を免るることを得るも債権者ならざる者に弁済を為すの義務なければなり。（第２）債務者に悪意又は重大なる過失あるときはその弁済は無数なり。例えば所持人が真の債権者たらざることを知るに拘わらず弁済を為したるとき（悪意）又は裏書に間断あるを発見せずして弁済を為したるが如きもしくは所持人が乞丐その他これに類する貧困者にして数千円の指図証券を携え来りもってその弁済を求むるが如き場合においてこれに対しその弁済を為したるときは（重大なる過失）債務者はその相手方の債権者たらざることを知り又はこれを知り得べき者なるが故にもし過ちて弁済を為すときはその弁済をもって有効としこれを第三者に対抗することを得ざるなり。

第４７１条　前条の規定は証書に債権者を指名したるも其証書の所持人に弁済すべき旨を附記したる場合に之を準用す

　本条は証書に債権者を指名ししかもその証書の所持人に弁済を為すべき旨を記載したる場合に付いて規定せり。例えば送金手形，政府の支払命令等にこの類多し。この種の証書の性質に付いては従来実際に疑問ある所にして又学者間説の未だ一定せざる所なり外国においてもこの場合に付き特別の規定を設くるものは稀なりといえどもしかも実際においてはこの種の証券その他これに類似するものは敢えて稀なりとせず。殊に我国においては慣習上この種の証券すくなからざるが故にこれに関する規定を設くるは最も必要なる所なり。しかして本条においてはこの種の証券の性質は依然これを記名証券とし敢えてこれを無記名証券と看做さず。しかりといえども債務者は証書の所持人に弁済を為すべき旨を約したる者なるが故にその所持人に弁済を為してその責を免るることを得ずんばべからず。けだしその意あるにいわく吾某に対して債務を負うことを承諾するといえどもあるいはその某に一面の識なくあるいはその某自ら来りて弁済を促すことなくその代理人をして弁済を受けしむるにあたりその弁済を請求するものが果して某又はその代理人なるや否やを明知すること難し。故に証書を持参したる者をもって直ちに某又はその代理人なりと看做しこれに弁済を為しもって吾義務を免れんと。しかして債権者はその証書によりて債務者が右の如き義務を負うに止まることを知れるが故に敢えて誤解を生ずることなかるべし。これ本条において前条の規定を準用しその債務者をして所持人の果して債権者又はその代理人なるや否や又その署名，捺印が果して真なるや否やを調査することを得せしむるも敢えてこれを調査するの義務を負わしめさる所以なり。但し債務者に悪意又は重大なる過失あるときはその所持人に為したる弁済は無数にして更に真の債権者に弁済を為さざるべからざるものとす。

第４７２条　指図債権の債務者は其証書に記載したる事項及び其証書の性質より当然生ずる結果を除く外原債権者に対抗することを得べかりし事由を以て善意の譲受人に対抗することを得ず（財３４７，５項，旧商３９９，４０１，新商２８２，４４１）

　指図証券はもともと有価証券の１つに数えらるるものなりというもほとんど不可なきなり故に指図債権を得たる者は専らその証書に記載せる所に従いその権利の性質，範囲等を知ることを得るに非ざれば指図債権の用果して何くにか在る。故に「其証書に記載したる事項及び其証書の性質より当然生ずる結果を除く外」たとい債務者が債権者に対してある抗弁を有するもその譲受人にして善意なるときは敢えてこれにその抗弁を対抗することを得ず。例えば何の誰又はその指図人が若干の運賃を持参せば某の荷物をこれに引渡すべき旨を記載するときはその債権の譲受人はその運賃を支払うに非ざれば敢えて債務者に対してその荷物の引渡を請求することを得ず。又たといこれを証書に明記せざるも運賃先払いなる旨を記載するときはその証書の最後の譲受人が運賃を払うに非ざればこれにその荷物を引渡すに及ばざることは第２９５条及び第３１８条によりて明らかなる所なり。故にこれ「其証書の性質より当然生ずる結果」をいわざることを得ず。しかりといえども証書に運賃と引換にその荷物を引渡すべき旨を記載せずその運賃の先払いなることをも掲げざる場合において債務者が初の債権者と特約ありて荷物は運賃と引換にこれを引渡すべき筈なりしというもその債権の譲受人は敢えて運賃を支払うの義務なく直ちに荷物の引渡を請求することを得べし。但しその譲受人が初め右の特約ありたることを知れる場合においてはその譲受の際これを予期してその債権を譲受けたる者なるが故に敢えて本条の保護を受くることを得ざるはもとより論をまたざる所なり（なお商３２４，３４９，６０６，２項によれば運送営業人が本文の証券を発行したるときは荷受人より運賃を受くるに非ざれば運送品を引渡すことを要せざるをもってこれその性質より当然生ずる結果というべし）。

第４７３条　前条の規定は無記名債権に之を準用す（旧商４０４）

　本条は無記名債権に関するものなり。けだし無記名債権はその価格全然証券に存するものなるが故に既に第８６条第３項においてこれを動産と看做し（３訂１巻１７２頁）これに第１７８条を適用するときはその証書の引渡により第三者に対してもその債権の譲渡完全にその効力を生ずべきものとせり（再訂２巻１３頁以下）。故に無記名債権の譲渡に付いては特にここに明文を掲ぐるの必要なきが如し。ただその債権の価格が全然その証券に存するが故に便宜上その債権もまたその証券の如くこれを動産と看做し有体物に関する規定を適用するといえどもしかもその性質の債権たるは敢えてこれを失わず。しかしてこの性質よりついに本条の規定の必要を生じたるものなり。けだし債権の性質，範囲等は場合によりて異なるが故に証書のみによりては往々これを確知すること能わざることあり。従って明文なければ疑わしき問題を惹起するのおそれなきに非ず。しかして無記名債権に在りては債券の価格証券に存すること指図債権よりも甚だしきが故に本条においてはこれに指図債権に関する前条の規定を準用し（第１）その債権の性質，範囲等は証書に記載する所によりて定まるものとし（第２）たといこれを証書に記載せざるもその証書の性質より当然生ずる結果は無記名証券の各所持人皆これを認めざるべからず。（第３）その他の事項はたとい初め証券を作成する時にあたりて債務者と債権者との間には如何なる約定あるも敢えてこれをもって善意なる所持人に対抗することを得ざるものとせり。例えば鉄道の切符は無記名証券なり。これ証券に１日限り効力あるべきことを掲げたるときは翌日に至りその切符によりて乗車せんと欲するも鉄道会社はこれを肯せざることを得べし又たといこれを証書に明記せざるももし法令の明文により又は慣習に従いその切符は１日間のみ効力を有すべきものとせるときはもとよりこれに従わざることを得ず。しかりといえども債務者たる鉄道会社が未だ汽車賃を受け取らずしてその切符を初の債権者に交付したりとするもその後善意にてその切符を譲受けたるものは敢えて汽車賃をその鉄道会社に払うことなくして乗車を求むことを得べきの類これなり。

　　　　　　第４節　債権の消滅

　債権消滅の原因は本節に掲げたるものの外なおすくなからずといえども既に他にその規定あるものは敢えてこれをここに掲げず。例えば無能力又は意思の瑕疵による法律行為の取消（１２０以下）解除条件の成就（１２７，２項）消滅時効（１６７以下）債権者を害すべき行為の取消（４２４）契約の解除（５４０以下）等これなり。右の中取消は初より法律行為なかりしものとみなすが故に債権も初より生ぜざりしものとみなすなり。故にこれ純然たる債権消滅の場合に非ず。また解除は往々にしてその効力を既往に及ぼすことあり。この場合においては取消の場合と異なることなし。但し契約の解除は当事者間においてはその効力を既往に及ぼすといえども第三者に対してはしからず。故にこの場合においては純然たる債権消滅の原因ありということを得べきか。

　本節に定むる所のものは（第１）弁済（第２）相殺（第３）更改（第４）免除（第５）混同これなり。この他履行不能の如き当然言うをまたざる消滅原因あり。新法においてはこれに付いて別段の規定を設くるの必要なしと認めたり。但し前定したる第４１５条，第５３４条ないし第５３６条等の規定あるをもって自ら明らかなる所なり。

　　　　　　第１款　弁済

　弁済（Ｓｏｌｕｔｉｏ，ｐａｙｍｅｎｔ，Ｅｒｆüｌｌｕｎｇ）とは履行により債務を消滅せしむるをいう。故に理論上よりこれを言えば弁済と履行とは全く同一物にしてすこしも異なる所なし。故に履行の規定は即ち弁済の規定にして弁済の規定は即ち履行の規定なり。ただ履行は債権の効力より観察し弁済はその消滅より観察して言えるものなり。しかりといえどもその物は元来同一物なるがゆえにもし履行の規定と弁済の規定とを並べ掲ぐるときは自ら重複を免るること能わず。故に外国の法典においても多くはこれを一処に規定せり。間，両処にこれを規定するの例なきに非ずといえどもその区別すこしも論理に適わず。また敢えて実際の便宜を助くるの利益なし。故に新民法においては弁済の款下において履行の規定を網羅し敢えて債権の効力を節において之に関する規定を掲げざることとせり。ただ第４１２条ないし第４１４条の規定はまた履行に関する規定なりといえどもこれほとんど債権の消滅に関係なきが故に特にこれを債権の効力の節下に掲ぐることとせり。但し理論上より言えば本款に規定せる所は債権の効力の点より観察を下すを妥当とすべきもの多しといえどもその消滅にのみ関する規定もまたすくなからざるが故についにこれを本款に包括したるなり。

　　　　　１　弁済を為すべき人

第４７４条　債務の弁済は第三者之を為すことを得但債務の性質が之を許さざるとき又は当事者が反対の意思を表示したるときは此限りに在らず

　利害の関係を有せざる第三者は債務者の意思に反して弁済を為すことを得ず（財４５２，４５３）

　債権はもともと人と人との関係なることは既に論じたる所なり。故にその履行即ち弁済は債務者自らこれを為すに非ざればその効なきものとすべきが如し。しかして学者中この説を持する者なきに非ずといえども余の信ずる所は即ちこれに異なり。それ債権の人と人との関係たることはすこしも疑いなき所なりといえども某人は必ずしも某某たることを要せざることありこれ他なし債権の人と人との関係たるは寧ろその権利人の行為の上に存するをもってなり。しかしてもしその行為が何人のこれを為したるも債権者に取りて異なることなくんば必ずしも某の行為たることを要せず。故に弁済もまた他の法律行為に同じく代理人をしてこれをなさしむることを得るは人のかつて争わざるところなり。もししからばたとい債務者の位置に在らざることを得ず。しかして金銭の支払その他有体物の上に権利を移転する行為の如きは何人がこれを為すも債権者にとりてすこしも異なることなきものなるが故に債権がこれ等の行為を目的とする場合即ち大多数の場合においては弁済は何人よりこれを為すも有効なりとせざることを得ず。これ本条において弁済は第三者これをなすことを得るを原則としたる所以なり。ただこの原則に３つの例外あり。

第１　債務の性質が第三者の弁済を許さざるとき

　例えば書を描くの義務，人の使役に服するの義務等はその性質上第三者の弁済を許さざるものなり。けだし甲の書は乙の書と同じからざることほとんど言うをまたず。故にもし甲が債務者たる場合において乙をして代わりて書を描かしめんがこれ敢えて義務の履行と為すべからず。従って弁済ありということを得ず。いわんや乙が任意に書を描きもって甲の債務の弁済に充てんと欲するも得べからざるなり。又僕婢等が主人の使役に服する義務を負える場合においてはその義務の目的は某僕某婢の労務にして敢えて他人の労務に非ず。故にまた他人の代わりて弁済を為すことを許さざるものなり（６２５，２項参観）。

第２　当事者が第三者の弁済を許さざる意思を表示したるとき

　例えば債権者が債務者以外の者より金銭を受くることを欲せざる場合において初に債務者と約し必ず債務者自ら弁済を為すべきことを定めたるとき又債務者が他人の自己に代わりて弁済を為すことをいさぎよしとせざるによりたとい他人が弁済を為さんと欲するも債権者はこれを受くべからざるものと定めたるときの如きこれなり。

　本条において当事者というは単独行為においてはその行為者をいい契約においてはその双方をいえるものなり。けだし新法典の用語において当事者といえるときはその法文の前後に拠り当事者２人以上ある場合においてその各自を指せること明らかなる場合の外（例６１９，２項）総て一切の当事者を意味するものにして従って単独行為においては当事者は一人に止まるが故にその一人の当事者を意味するといえども契約においては当事者必ず二人以上あるをもってその全員を意味するものと知るべし。

第３　利害の関係を有せざる第三者が弁済を為さんと欲するにあたり債務者がこれに反対したるとき

　例えば債務者の一面識なき者又は債務者が恩義を受くることを欲せざる者が債務者に代わりて弁済を為さんと欲するにあたり債務者はこれをいさぎよしとせず。又はその者はかえって債権者よりも過酷に求償権を行わんことを慮りその弁済を為すを欲せざることありこの場合においてはその者は敢えて弁済を為すことを得ず。もし強いてこれを為さんがその弁済は法律上無数のものとす。外国においては大抵反対の主義を取れりといえども我国においてはいわゆる武士気質により従来の慣習上本条第２項の規則を認むるが如きをもって新法においては特にこの規則を設くることとしたるなり。但し債務者が何等の意思をも表示せざるときは如何なる第三者といえどもこれに代わりて弁済を為すことを得べし。ただ債務者が明らかに反対の意思を表示したるに拘わらず利害の関係を有せざる第三者が弁済を為さんと欲する場合においてのみ本条第２項の規定を適用すべきものとす。

　利害の関係を有する第三者は連帯債務者，保証人，その債務の担保として自己の財産を供したる第三者，担保財産の第三取得者，他の債権者にして弁済を為すに利ある者等これなり。これらの者は債務者の意思に反して弁済を為すことを得べし。けだしその弁済は単に債務者の利害に関せずして自己の利害に関すればなり。しかして前２者が弁済を為したる場合においてはその弁済は同時に自己の債務及び他の連帯債務者もしくは主たる債務者の債務を弁済するものとす。右等の関係なき者は即ち利害の関係を有せざる第三者なり。

　凡そ第三者が有数に弁済を為したる場合においては債務者はこれによりてその債務を免るるが故に必ずその弁済を為したる者に対して賠償を為さざるべからず。ただその賠償の程度に至りては場合によりて同じからず。例えば連帯債務者が弁済を為したる場合においては第４４２条によりて求償を為すべく保証人が弁済を為したる場合においては第４５９条及び第４６２条によりて求償をなすべし。しかして保証人が主たる債務者の委託を受けたるとこれを受けざると又主たる債務者の意思に反するとこれに反せざるとによりその程度を同じゅうせざることは既に論じたる所なり。自己の財産をもって債務の担保に供したる第三者が弁済を為したる場合においては第３５１条及び第３７２条の規定により保証人と同一の求償権を有すべくその他の者に至りてはあるいは事務管理者の求償権を有すべく（７０２）あるいは単に不当利得による求償権を有すべきのみ（７０３）（財４５４参観）。

第４７５条　弁済者が他人の者を引渡したるときは更に有効なる弁済を為すに非ざれば其者を取戻すことを得ず（財４５５，１項，２項，４項，６項）

　債権の目的が有体物なるときは弁済は債権者をしてその物の上に権利を得せしめざることを得ず。例えば金銭の支払を目的とする場合においては自己の所有に属せる金銭を引渡すに非ざれば敢えて弁済の効なきはもとよりなり。故に弁済者が更に自己の金銭をもって支払を為すに非ざれば敢えて債権を消滅せしむることを得ずといえども初に引渡したる他人の金銭はこれを取戻すことを得ずんばあるべからずしかりといえどももし弁済者が有効なる弁済を為さざる中に引渡したる物の取戻を請求することを得るものとせば債権者の不利益実に想うべし。何となれば債権者はその物の上に権利を得ざるもしかもこれを占有するによりかつて詳論したる種々の権利を有すべし（１８８ないし１９０，１９２ないし１９５）。しかるに今その物の占有を失いかつ弁済者より更に有効なる弁済を受くることなくんば債権者は既に得たる利益を失いなおこれに代わるべき利益を受けざる者なるが故にその地位の不利なることはもとより言うをまたざればなり。これ本条において弁済者が更に有効ある弁済をなすまでは前に引渡したる物の返還を請求することを得ざるものとしたる所以なり。

　前項において余は金銭債務を仮定したりといえどもこれただ実際に最も多き債権の種類を取りて例と為したるに過ぎざるものにして実際本条の適用あるべき場合においてはその債務が金銭を目的とすることは極めて稀なるべし。けだし金銭は最もよく互に代替することを得る物にしてたとい他人の金銭をもって弁済を為すももし他の金銭をもってこれを償うときは前の金銭を所有者も敢えて異議を容れざるべく。しかしてこれをうけたる債権者のためにも敢えてこれを取換えしむるに利益なし。しかして理論上においては債権者はいわゆる即時時効によりてその金銭の所有権を得ること最も多かるべく又たといその金銭が盗品等にしていわゆる即時時効の適用を受くべきものに非ずとするもその所有者にして他の金銭をもって償還を受くれば敢えて前の金銭を取戻さんと欲することあらざるべきをもってついに２年間請求なきため第１９３条の適用によりその債権者もしくはその転得者はその金銭に付いて完全なる所有権を取得すべきのみ。いわんや金銭なるものは概して目標なきものなるが故に某の金銭が果して某の所有に属せしものなるや又果たして某が盗取せしものなるやこれを判別することは極めて難かるべきにおいてをや。故に実際本条の適用を受くること多かるべきは債権が米穀その他の商品を目的とする場合なるべし。これらの場合といえどもいわゆる即時時効の適用により本条の適用を受くることは敢えて頻繁ならざるべし。

　あるいはいわん。たとい弁済者が自己の所有物を出でたすも敢えて前に引渡したる他人の物を取返すことを得ざるべし。何となれば弁済者はその物の上に何等の権利を有せざればなれといわく。しからず弁済者はその上に占有権を有せしをもっていやしくも自己の所有物を引渡してその弁済を了うる以上は前に引渡したる物を取返すことを得ずんばあるべからず。いわんや真の所有者に対し速にこれを返還するの義務あるにおいてをや。

　あるいは問わん。弁済者が他人の物を引渡したる場合において債権者がいわゆる即時時効によりてその所有権を取得したるときは弁済者は他の物を引渡してその物の取戻を請求することを得るか又債権者はその物を返還して更に弁済者の所有に属する物の引渡を請求することを得るかといわく。しからず第１９２条の規定によれば同条に掲げたる条件を具備する動産の占有者は直ちにその動産の上に権利を取得するものとせり。しかるに弁済者は自己の過失により他人の物を引渡したる後債権者が既にその上に権利を得たるに拘わらずこれを取戻さんと欲するも得べからざるなり。又債権者が後日その物の弁済者に属せざることを知りて他の物と交換すべき旨を弁済者に求むるも弁済者は必ずこれに答えていはん。吾（又は他の債務者）は汝に対し権利を移転するの義務を負いしをもって正にその権利を汝に移転したり。故に汝は弁済前にその物の吾に属せざりし事をもって吾を責むること能わざるべしと。しかしてもし債権者が否吾は汝より権利を取得したるに非ず。法律の力によりて直接に権利を取得したる者なりといえば弁済者は必ずこれに答えていわん。吾もし汝に物の占有を移転せずんば汝は汝の権利を取得すること能わざりしならん。故に吾が汝に占有を移転したるは則ち汝が権利を得たる原因にして即ち汝は吾行為によりて汝の権利を取得したる者のみと故にこの場合においては双方の協議をもって物を交換するはもとより可なりといえどももし一方がこれを肯せざるときは他の一方より強いてこれを交換すること能わざるものとす。

　本条の明文によれば本条にいう所の物は初より特定物たるも可なるが如しといえども規定の性質上その不特定物なりし場合のみに適用すべきものとす。しからずんば債権の目的物は唯一にしてその物の上に権利を移転せざれば敢えて弁済と為すことを得ず。故にこれを取戻して更に有効なる弁済を為すが如きは到底不能の事たるべければなり。

第４７６条　譲渡の能力なき所有者が弁済として物の引渡を為したる場合に於て其弁済を取消したるときは其所有者は更に有効なる弁済を為すに非ざれば其物を取戻すことを得ず（財４５５，１項，３項，４項）

　弁済もまた１つの法律行為なるが故にこれを為すには相当の行為能力を有することを要するはもとより論をまたざる所なり。しかるに債権の目的物を譲渡す能力なき物が（４，９，１２，１項３号，１４，１項１号）弁済としてその物を引渡したるときはその弁済はもとより取消し得べきものなり。故にもし弁済者においてその弁済を取消したるときは更に有効なる弁済を為すべきこともとより疑いを容れず。即ち弁済者がなお無能力なる場合においてはおるいは法定代理人，保佐人もしくは夫の同意を得あるいは法定代理人として代わりて弁済を為さしむることを要す。しかれどもこの場合においてもし債権者はいまだ有効なる弁済を受けざるに先ち前に受取りたる物を返還せざることを得ざるものとせばあたかも前条において論じたるが如く債権者は専ら不利益なる位置に立たさることを得ず。故に本条においても更に有効なる弁済を受くるまでは他に受取りたる物を返還することを要せざるものとせり。本条は特定物を目的とする債権に付いても適用あるべきも取戻は主として不特定物の債権においてその弁済すべき物の品質又は数量に付き無能力者が過当の物を与えたる場合にその適用を見るべきか。

第４７７条　前２条の場合に於て債権者が弁済として受けたる物を善意にて消費し又は譲渡したるときは其弁済は有効とす但債権者が第三者より賠償の請求を受けたるときは弁済者に対して求償を為すことを妨げず（財４５５，５項，６項）

　本条は「前２条の場合に於て債権者が弁済として受けたる物を善意にて消費し又は譲渡したる」場合に付い規定せり。この場合においてはもし債権者に返還の義務あるものとせば債権者は非常なる迷惑を被るべきのみならず既に消費したる者又は既に他人の有に帰したる物の如きはこれを返還せんと欲するも得べからざるべし。故にこの場合においては法律はその弁済を有効とし債権者も既に受けたる物を返還することを要せず。債務者もまた更に弁済を為すことを要せざるものとせり。しかりといえどももって第三者の権利を害することを得ざるはもとよりなるが故に債権者が第三者より賠償の請求を受くることあるべきは敢えて疑いを容れず。例えば債権者がその物を善意にて譲渡したる後原所有者は未だその所有権を失わざるがためその譲受人に対して物の返還を請求しついにその返還を受くることを得たりとせばその譲受人は必ず自己の譲渡人たる債権者に対して賠償の請求を為すべきのみ又例えば債権者が善意にてその物を消費したる場合といえどもその消費によりて利益を受くることもっとも多しこの場合においてはその物の所有者は債権者に対して少なくとも不当利得の賠償を求むることを得べし。これらの場合においてもし債権者その賠償を為すときは弁済によりて得たる利益の全部又は一部を失うべきはもとよりなるが故にその債権者は弁済者に対して求償を為すことを得ずんばあるべからず。これ本条但書の規定ある所以なり。

　　　　　２　弁済を受くべき人

第４７８条　債権の準占有者に為したる弁済は弁済者の善意なりしときに限り其効力を有す（財４５７）

　弁済は債権者又はその代理人に対してこれを為すべきを本則とするはもとより言うをまたざる所なり。故に弁済者が誤りて債権者もしくはその代理人ならざるものに対して弁済を為すも無効なり。但しこれに２つの例外あり。本条はその１つにつき規定したるものなり。いわく債権の準占有者に対して弁済を為したる場合これなり。それ第２０５条によれば「自己の為めにする意思を以て財産権の行使を為す」者は準占有者にしてこれに占有の規定を準用すべきものとせり。故に「債権の準占有者」とは自己のためにする意思をもって債権を行使する者なり。例えば相続権なき者が誤りて相続人の権利を行い又は他人の不在に乗じてその財産を横領し世人に対してあたかもその所有者の如き動作を為す者の如し。これらの者に対して為したる弁済は弁済者が善意なりし場合に限り有効なるものとせり。これ他なし弁済者は他人の相続権その他他人間の関係を熟知すること極めて難しきをもってもしこれらの場合において弁済を無効なりとせば往々不足の損失を被る者を生ずるに至るべし。いわんや債権の準占有者が債権証書を持参して弁済を促すにあたりては弁済者がこれをもって正当の債権者なりと信ずるは誠に当然なるにおいてをや。しかるに債権の準占有者ある場合においては多くは真の債権者に怠慢あるものなるが故にこの場合においては寧ろ善意の弁済者を助けて債権者を保護せざるを妥当とす。殊に債権者は債権の準占有者に対して求償権を有することはもとよりなるが故に多数の場合に付いてこれを言えば債権者が全く損失を被ることは稀なるべし。

第４７９条　前条の場合を除く外弁済受領の権限を有せざる者に為したる弁済は債権者が之に因りて利益を受けたる限度に於てのみ其効力を有す（１１３ないし１１７，財４５６，４５８）

　本条は第２の例外を規定したるものなり。他なし債権者が弁済によりて利益を受けたる場合これなり。例えば債権者が債権の準占有者よりその弁済として受けたる者の全部又は一部を受取りたるとき又は事務管理者が弁済を受けてこれを債権者の利益のために使用したるときの如き即ちこれなり。この場合においても理論上は弁済は無効なりといえどももしこれを無効とするときは債権者はその受けたる物を返還せざるべからず。しかして弁済者は更に弁済を為さざることを得ざるに至り頗る無用の煩雑を招くに過ぎざるをもって寧ろ債権者が受けたる利益の限度においては弁済を有効としもし債権者が未だその全部の利益を受けざるときはその不足の部分に付いてのみ更に弁済を請求することを得るものとせり。しかしてその部分に付き弁済者が先に弁済を受けたる債権の準占有者その他の者に対し求償を為すことを得るはもとより言うをまたざる所なり。

第４８０条　受取証書の持参人は弁済受領の権限あるものと看做す但弁済者が其権限なきことを知りたるとき又は過失に因りて之を知らざりしときは此限に在らず（旧商５５，２項）

　本条は弁済を請求するものが債権者にも非ず又その代理人にも非ざる場合において善意の弁済者を保護するために設けたる規定なり。けだしこの場合においてはその者が債権の準占有者に非ざる以上は弁済は全然無効なるべきが如しといえどももし弁済者に過失なきときはまたこれを保護せざるべからず。故にその弁済を請求する者がもし受取証書を持参するときはたといその受取証書は債権者よりこれを交付しもって弁済を受くべき旨を委任したるに非ざるも１００中９９の場合においてはこの委任あるべきをもって弁済者がその物を正当の代理人と信じてこれに弁済を為すはもってその過失と為すことを得ず。故にこの場合においては法律は特にその弁済を有効とせり。いわんやこの場合においてはその者に実際弁済を受くる権利ありしことを証明すること能わざるもその権利を有せしこと多きにおいてをや。但しこの規定は元来善意にして過失なき者を保護せんがために設けたるものなるが故にもし弁済者が受取証書の持参人に弁済を受くる権限なきことを知り又はこれを知ることを得べかりしに過失によりてこれを知らざりしときは敢えて本条の保護を受くること能わず。例えば債権者の手代中債権者が作製し置きたる受取証書を拐帯したる者ありて債権者は直ちにその債務者に対して通知を発しその手代が弁済を請求するも敢えてこれに弁済を為すべからざる旨を警告したるに債務者はその書面を読まざりしとせばたとい善意なるも過失ある者なるが故に敢えて本条の保護を受くること能わざるものとす。

第４８１条　支払の差止を受けたる第三債務者が自己の債権者に弁済を為したるときは差押債権者は其受けたる損害の限度に於て更に弁済を為すべき旨を第三債務者に請求することを得

　前項の規定は第三債務者より其債権者に対する求償権の行使を妨げず（財４５９，民訴５９８）

　本条においては特別の場合において債務者がその債権者に弁済を為すことを得ざることを定めたるものなり。即ちその債務者が支払の差止を受けたる場合これなり。この場合においては債権者の債権者が弁済を受くるため法律の許す手続により債務者に対して支払を為すことを差止たるに拘わらずその債務者が自己の債権者に対し弁済を為したるときは差押を為したる債権者はこれによりて受けたる損害の限度において更に債務者をして弁済を為さしむることを得ずんばあるべからず。これけだしその債務者は自己の不法行為により賠償の責任を負う者なればなり（７０９）。しかりといえども債務者は既に自己の債権者に対して弁済を為したる者なるが故に畢竟ニ重の弁済を為したるに外ならず。しかしてその差押債権者に支払いたるものは間接に自己の債権者の利益を為れるが故にこれに付いて自己の債権者に対し求償を為すことを得るはもとより論をまたざる所なり（７０３）。

　　　　　　３　弁済の目的

第４８２条　債務者が債権者の承諾を以て其負担したる給付に代えて他の給付を為したるときは其給付は弁済と同一の効力を有す（財４６１）

　本条はいわゆる代物弁済（Ｄａｔｉｏ　ｉｎ　ｓｏｌｕｔｕｍ，ｄａｔｉｏｎ　ｅｎ　ｐａｙｅｍｅｎｔ，Ａｎｇａｂｅ　ａｎ　Ｚａｈｌｕｎｇｓｓｔａｔｔ）に付いて規定せり。代物弁済とは債務の目的以外の給付を為してこれを弁済に充つるをいう。例えば金１万円を払うべき義務ある場合において不動産の所有権を与えてこれに代うるの類これなり。代物弁済の性質に付いては古来大いに議論ありてあるいは売買なりといいあるいは弁済なりといいあるいは更改なりといえり。余はこの第３説を可とする者なり。それ売買なるものは一方はある権利を得んことを欲し他の一方はこれに対して金銭を得んことを欲するによりて成るものなるに代物弁済の場合においては当事者の意思は専ら債務を消滅せしめんと欲するに在り。ただ債務者において債務の目的たる給付を為すを不便としこれに代えて他の便利なる給付を為しもってその債務を消滅せしめんと欲するものにして債権者もまたその意思を採用しその債務の消滅を承認するものに外ならず。故に当事者の意思において両者の間に著しき径庭ありといわざることを得ず。しかりといえどもこれをもって弁済なりと為すに至りてはまた謬れり。それ弁済なるものは履行即ち債務の目的たる給付を為すによりて債務を消滅せしむるのいわれなり。しかるに代物弁済の場合においては債務の目的以外の給付を為すものなるが故にこれをもって原債務の履行なりということ能わざるは３尺の童子といえどもこれを知らん。もししからばこれを更改なりと為すに非ずんば到底その説明を為すこと能わざるべし。即ち当事者はまず原債務の目的を変更し例えば金銭に代うるに不動産をもってししかる後直ちにその第２の債務を履行するときはこれいわゆる代物弁済なり。故に本条に規定するものの外総て更改に関する規定を適用すべきものとす。例えば第５１７条の規定は代物弁済に適用すべきものとす。しかりといえども本条においては当事者の意思を考えかつ実際の便利を図り弁済と同一の効力を有するものとしたるが故に第４９９条以下の代位に関する規定その他弁済の規定にして性質上この場合に適用することを得るものは皆これを適用するべきものとす。

　代物弁済が本来更改の性質を有するによりて生ずる１つの結果は代物として給付したる権利が他人に属せし場合においては第５５９条以下の規定により債務者は買主と同一の担保義務を有するものとす。けだし更改の有償契約なることは人の争わざる所なり。しかるに売買の規定はこれを他の有償契約に準用すべきものとす。もしこれを純然たる弁済なりといわば同一の規定を適用するに付き多少疑いあるべし。

　当事者は往々にして代物弁済の予約を為すことあり。名けてこれを任意債務（Ｏｂｌｉｇａｔｉｏｎ　ｆａｃｕｌｔａｔｉｖｅ）という。例えば債務者が債務を負担する初にあたりて債権者と約していわん。吾は汝に金１万円を与うることを約す。しかれとももし期限に至りてこれを与うるを不便とするときは某の不動産を与えもってその弁済に充つべしと。これ即ち任意債務なり。しかしてその性質を探求すれば代物弁済の予約に過ぎざることは多弁を費やさずして明らかなり（３０頁）。

第４８３条　債権の目的が特定物の引渡なるときは弁済者は其引渡を為すべき時の現状にて其物を引渡すことを要す（財４６２，１項）

　本条は債権の目的が特定物の引渡なる場合において弁済者は果して如何なる状況においてその引渡をなすべきかを定めたるものなり。これに付いてはすくなくとも３説を生ずべし１にいわく債権発生の当時の状況においてその引渡を為すべしとするもの。２にいわくその引渡をなすべき時の状況においてこれを為すべしとするもの。３にいわく現に引渡を為す当時の状況においてその引渡を為すべしとするものこれなり。しかりといえども第２説の最も妥当なることはほとんど論をまたざるが如し。けだし法律又は当事者がある物を引渡すべきことを定めたる場合においては主としてその引渡の時期に著眼すべきことはもとよりなり。故に特に債権発生の当時の状況においてその引渡を為すべきことを定めざる以上は引渡を為すべき当時の状況においてその引渡を為すべきことはほとんど論をまたざる所なり。又実際引渡を為すべき時より後れてこれを為す場合においては法律又は当事者は予め債務者が引渡を怠りてこれを為すべき時より後れて引渡を為すならんと想像すべき理なきをもって実際の引渡の当時の状況において引渡を為すべきものとすること能わざるや明らかなり。但し本条の規定は敢えて命令規定に非ざるが故に当事者は随意にこれに反したる特約を為すことを得べし。

　以上は当事者に過失なき場合を仮想して言えるものなり。もしそれ当事者に過失ありてその過失によりて物の状況を変じたるときは過失者はその責に任ぜざることを得ず。しかして債権者がその過失によりて物の状況を変じゅるが如きことは極めて稀なるのみならずこの場合においては通常債務者に損害を加うることあらざるが故に敢えて賠償の責を生ぜざるを常とす。但し債務者がその引渡すべき物の上に権利を留保せる場合においては債権者はこれに対して賠償の責あるは勿論なり。ただ債務者の過失によりて物の状況に変更を来すことは稀なりとせず今その一例を示さんに債権発生の当時に在りてはその目的物は完全，無瑕疵なりしに債務者が保存の注意を怠りたるがためその物に瑕疵を生じたりとせんに債務者はその瑕疵ある物を引渡すの外なしといえどもその瑕疵によりて債権者が受くる損害を賠償せざるべからず。これに反してもしその瑕疵が天災によりて生じたる場合においては債務者はすこしも責任なきが故にその瑕疵ある物を引渡しなお賠償の責に任ずることなかるべし。

　以上は常に物の状況が不利益に変更したる場合を仮想したりといえども往々にして反対の事例なきに非ず。例えば樹木の引渡を為すべき場合において債権発生の当時は未だ花を著けず又実を結ばざりしとせんにもし引渡を為すべき時に至りて花を著け又は実を結びたりとせば債権発生の当時に花又は実なかりしを理由としてその花又は実を適取したる後引渡を為さんと欲するも得べからざるなり。

　債務者が物の引渡を怠りたるがため物の状況に変更を生ずるに至りたるときは如何いわく。物が利益にその状況を変じたるとき例えば実なき樹木に実を生ずるに至りたるときは現状のままにてこれを引渡すべきこと言うを待たず。けだし適当の時期にこれを引渡せば債権者の許しに在りてもその実を生ずべかりしをもってなり。しかれどももし物が不利益にその状況を変じたるとき例えば花時前に樹木を引渡すべかりしに落花の後始めてこれを引渡したるため債権者に損害を生じたるときは債権者は損害の賠償を求むることを得るは勿論場合によりてはその樹木の受取を拒むことを得べし。

　　　　４　弁済の場所

第４８４条　弁済を為すべき場所に付き別段の意思表示なきときは特定物の引渡は債権発生の当時其物の存在せし場所に於て之を為し其他の弁済は債権者の現時の住所に於て之を為すことを要す（財３３３，１項，７項，４６８，１項，旧商３１７ないし３２０，新商２７８）

　弁済の場所は当事者の意思によりて定まるべきを本則とす（法律の規定により直接に生ずる債務に付いては立法者の意思に従うべきはもとよりなりといえども本条の規定の外特に立法者が弁済の場所を示すことは稀なるべし）。しかりといえども当事者が特に弁済の場所を定むることはけだし実際に多からざるべし。故に立法者は本条において当事者の意思を推測しその意思の明瞭ならざる場合において適用すべき原則を定めたり。即ち（第１）特定物の引渡を目的とする場合においてはその引渡は「債権発生の当時其物の存在せし場所に於て之を為」すべきものとし（第２）その場合のおいては常に「債権者の現時の住所に於て」弁済を為すべきものとせり。

　右の第１の原則は各国の法制大抵一致せる所なりといえどもただり第２の原則に至りては各国の法律一様ならず。仏国においては債務者の住所において弁済をなすべきを原則とせり。これあるいは慣習によりたるならんといえどもまたあるいは偏に債務者を保護せんと欲したるによれるものならん。旧民法は即ちこの仏国法の主義を採用したりしといえども我国においては従来の慣習寧ろ反対なるが如きをもって本条においてはついに債権者の住所において弁済を為すを原則とせり（旧商３１７，新商２７８，１項）。けだしこれらの事項は当事者の反対意思をもって左右することを得るものなるが故に一応の規定は如何にこれを定むるも敢えて甚だしき弊害なかるべしといえども当事者はこれらの事を定むることを忘るる場合多かるべきが故に一応の規定といえどもつとめて慣習に従うを可とすべきか。

　　　　　５　弁済の費用

第４８５条　弁済の費用に付き別段の意思表示なきときは其費用は債務者之を負担す但債権者が住所の移転其他の行為に因りて弁済の費用を増加したるときは其増加額は債権者之を負担す（財３３３，１項，２項，４６８，２項，３項，旧商３０３，３２１）

　弁済の費用の負担者もまた当事者の意思によりて定まるべきを本則とするといえども当事者は往々にしてこれらの事に思い及ばざることあり。この場合においてその費用は債権者これを負担すべきかはた債務者これを負担すべきか。本条においては債務者これを負担すべきものとせり。けだし弁済は主として債務者の行為なるが故に別段の定めなきときは債務者においてその費用を負担すべきものとするをもって当事者の意思に副うものとすべきこと多かるべければなり。但しこれ一般の規定にしてもし債権者がその行為によりて弁済の費用を増加したるときはその増加額は債権者においてこれを負担すべきはほとんど論をまたざる所なり。けだし債権者１人の意思をもって特に債務者の負担を重くすることを得べきの理あらざればなり。例えば債権発生の当時に在りては債権者は債務者の住所の近傍に住せしにその後遠隔の地にその住所を移転したる場合においてはこれによりて生ずる旅費，運送業者等によりて容易にこれを送致することを得べき者を給付すべき場合において故らに債務者自ら莫大の旅費を使用してこれを債権者の許にもたらすが如きは実に無益の費用にして敢えて債権者の住所移転の結果としてこれを債権者に負担せしむべきものに非ず。例えば債務者が弁済を提供したるにあたり債権者が故なくこれを受くることを拒みために弁済の目的物を一旦債権者の許に運搬したる後更にこれを債務者の住所に返送し又再びこれを債権者の許に運搬するのやむことを得ざるに至らしめたる場合の如きはその第２，第３の運搬の費用は債権者の負担すべき所たるはもとよりなり。

　　　　　６　弁済受領者の義務

第４８６条　弁済者は弁済受領者に対して受取証書の交付を請求することを得

　本条は弁済受領書の第１の義務即ち受取証書を弁済者に交付するの義務を規定したるものなり。けだし弁済者は弁済を為したるや否やに付き争いあるときはその証拠を提出せざるべからず。しかるにもし弁済受領者より受取証書の交付を受けざるときは弁済者が弁済の証拠を提出すること極めて難しかるべし。しかして弁済受領者のためには正に受取りたるものに付いてその証書を交付するに過ぎざるが故に敢えてこれを拒むの理なし。これ本条において弁済受領者に受取証書交付の義務を負わしめたる所以なり。

　弁済者は受取証書と引換に非ざれば弁済を為さずということを得るかいわくしかり受取証書は元来弁済の証拠なるが故に既に弁済をおえたる後受取証書の交付を請求するも債権者は未だ弁済を受けずといわんにこれを奈何ともすること能わざるべし。故に本条においては弁済者即ち弁済を為す者は弁済受領者即ち弁済を受ける者に対して受取証書の交付を請求することを得るものとせり。

第４８７条　債権の証書ある場合に於て弁済者が全部の弁済を為したるときは其証書の返還を請求することを得

　本条は弁済受領者の第２の義務即ち債権証書返還の義務を規定したるものなり。けだし債権に証書あるときは債権者はこれによりてその債権の発生したることを証明することを得べく。しかしてこれに対してもし弁済の証明なきときは債務者はついに二重の弁済を為すの止むことを得ざるに至ることあるべし。しかるに受取証書は往々にしてこれを紛失することあり。殊に数度に分割して弁済を為したる場合の如きはその１２を失うことは最も頻繁なる所なり。いわんや受取証書は人々皆債権証書の如くこれを貴重せざるが故に数歳月の後は既にこれを所持せざること極めて多かるべし。しかるに債権証書は既に全部の弁済を受けたる債権者のためにはすこしも必要なきものにしてあるいは債務者が初にその証書を債権者に交付するにあたり債権の存在する間のためにのみこれを交付したるものなりというも可なり。故に弁済者が全部の弁済を為したる場合においては債権者に対し債権証書の返還を請求することを得るものとするは実に至当というべし。それ弁済者が一部の弁済を為したる場合においてその証書の返還を求むることを得ざるはほとんど言うをまたざる所なり。

　あるいはいわんいやしくも本条の規定ある以上は前条の規定はあるいは不用ならんが何となれば既に債権者が債権証書を所持せざる以上はまたその弁済を請求すること能わざるべければなりといわく。しからず（第１）債権証書なき場合においてしかも債権の発生を証明し得べきことあり。この場合においてもし受取証書なくんば弁済者はその弁済を証明し難きことあるべし。（第２）弁済者が債権証書を所持するも未だ債権者よりその交付を受けたる証と為すに足らず。故にもし受取証書なくんばあるいは詐欺，錯誤等によりてその債権証書の占有を得たるかの疑いを生ずることなしとせず。（第３）一部弁済の場合においては債権者は債権証書を返還せざるべきをもってもし受取証書なくんば弁済者は何によりてかその弁済を証明することを得んや。これ本条の規定あるに拘わらず前条の規定を必要とする所以なり。

　債権証書の返還は既に弁済をおえたる後始めてこれを請求することを得べし。これ他なし既に受取証書ある以上は弁済の事実を証明すること容易なるべし。故にたとい債権者が不当にも未だ弁済を受けずと主張するも受取証書を対抗してその虚なることを証明することを得べければなり。これ本条に「全部の弁済を為したるときは」といえる所以なり。

　　　　　７　弁済の充当

第４８８条　債務者が同一の債権者に対して同種の目的を有する数個の債務を負担する場合に於て弁済として提供したる給付が総債務を消滅せしむるに足らざるときは弁済者は給付の時に於て其弁済を充当すべき債務を指定することを得

　弁済者が前項の指定を為さざるときは弁済受領者は其受領の時に於て其弁済の充当を為すことを得但弁済者が其充当に対して直ちに異議を述べたるときは此限りに在らず

　前２項の場合に於て弁済の充当は相手方に対する意思表示に依りて之を為す（財４７０，４７１）

　本条以下第４９１条に至るまではいわゆる弁済の充当（Ｉｍｐｕｔａｔｉｏｎ　ｄｅｓ　ｐａｙｅｍｅｎｔｓ，Ａｎｒｅｃｈｎｕｈｇ　ｄｅｒ　Ｚａｂｌｕｎｇ）に関するものなり弁済の充当とは同一の当事者間に同種の目的を有する２個以上の債務の存する場合において債務者がその全部の履行とするに足らざる給付を為したるときはその給付はこれをいずれの債務の履行に充当すべきかの問題これなり。けだしこの場合においてもし当事者の協議が調うときはその協議に従い如何様にもこれを定むることを得るといえどももし当事者の協議が調わざるときは果して如何すべきか。これ本条以下に定むる所なり。

　弁済の充当に付いては従来種々の主義ありてあるいは債務者，債権者同等に充当を為すの権を有すべしといいあるいは債権者は全く充当を為すの権なきものとすべしといえりといえども新民法においては旧民法その他多数の例に倣い第１位において債務者まず充当権を有するものとし第２位において債権者充当を為すことを得るものとし第３位において法律の規定をもって充当の順序を定めたり。けだし弁済はもともと債務者の行為にして債権者がこれに関与することなきに非ずといえどもしかも債権の債務者の行為を目的とすることは人の争わざる所にしてその行為を完了するをもって履行即ち弁済と為すが故にその主として債務者の行為たることはけだし疑いを容れず。しかるに１行為の性質は効意者の意思によりて定まるべきをもって第１に債務者の意思により弁済をもって何れの債務に充当すべきかを定めしむるはこれ理の当にしかるべき所なり。但し行為の性質はその行為の当時において既に定まるものなるが故に弁済の当時における債務者の意思に従うべきはもとよりなる。しかるにもし後日に至りて充当を為すことを得るものとせば債務者は往々にして弁済当時の意志にあらざる充当をなすことなしとせず。故に本条第１項においては弁済の当時においてその充当を為す　きものとせり。ただ利息に先ちて元本に充当することを得ざることは後の第４９１条に規定する所なり。

　債務者が自ら充当を為さざるときは債権者これを為すことを得るものとせり。けだし債務者が充当を為さざるときはその充当権を放棄したるものとみなすことを得べくもししかりとせば弁済を受くる債権者においてその弁済に適当の性質を付することを得るものとするは頗るその当を得たるものというべし。しかりといえども元来債務者自らその性質を定むべきものなるが故にもし債務者にしてその弁済に対し直ちに異議を述べたるときはこれその充当権を放棄したるに非ざることを表示するものなるが故にこの場合においては債権者は充当権を失うものとす。又１行為の性質はその行為の当時に定まるべきをもって債権者の充当もまた弁済の当時において直ちにこれを為すに非ざればその効なし。これ英米法を除き債権者の充当権を認むる各国の法律において皆同じき所なり。

　当事者双方共に弁済の充当を為さざりしときは法律は最も債務者の意思に近かるべき充当の方法を取りもってその順序を定めたり。これ次条に規定する所なり。同種の目的を有する債権とは例えば何れも金銭を目的とするか，同質の米穀を目的とする類にして同一の種類の不特定物を目的をする債権を多しとす。但し大工左官の手間幾人分の如き作為の義務に付いてまたその適用なしとせず。しかれども特定物を目的とする債権に在りては決して弁済の充当の問題を惹起することなきはもとより喋々をまたざる所なり。

　余は説明の便宜のため普通の場合なる債務者が債権者に弁済を為す場合に付いて論じたりといえども弁済者が債務者ならず，弁済受領者が債権者ならざる場合においてもまた同じことは言うをまたざる所なり。

　債務者又は債権者が充当を為すにあたりて果して如何なる方法を取るべきかいわく。相手方に対する意思表示によりてこれを為すべきのみ。けだし当事者が自己の意中において充当をなすも敢えて足れりとせざることはほとんど言うをまたざるのみならずたといその意思を発表するも相手方に対してこれを為さざるときは相手方はその意思を知ることを得ず。殊にその意思の果して確定せるや否やを知ること極めて難しきをもって本条第３項において相手方に対して意思表示を為すべきことを定めたり。

第４８９条　当事者が弁済の充当を為さざるときは左の規定に従い弁済を充当す

　　一　総債務中弁済期に在るものと弁済期に在らざるものとあるときは弁済期に在るものを先にす

　　二　総債務が弁済期に在るとき又は弁済期に在らざるときは債務者の為めに弁済の利益多きものを先にす

　　三　債務者の為めに弁済の利益相同じきときは弁済期の先づ至りたるもの又は先づ至るべきものを先にす

　　四　前２号に掲げたる事項に付き相同じき債務の弁済は各債務の額に応じて之を充当す（財４７２）

　本条は債務者及び債権者が充当を為さざる場合における充当の法定順序を掲げたるものなり。

第１　弁済期に在る債権と弁済期に在らざる債権とあるときはまず弁済期に在るものに充当すべきものとせり。これ他なし弁済期に在らざる債務は未だ弁済を為すべきものならず。故に特にその期限の利益を放棄するに非ざれば未だ弁済あるべからず。しかして債務者が特に期限の利益を放棄する意思を表示せざるが故にまず弁済期に在るものを弁済したるものと推定するは最も妥当なりといわざるべからず。

第２　何れの債務も皆弁済期に在るか又は何れの債務も皆弁済期に在らざるときは債務者のために弁済の利益最も多きものを先にすべきものとせり。例えば有利息のものと無利息のものとあるときはまず有利息のものに充当すべく，違約金の約束あるものとこれなきものとある場合においては大多数の場合において違約金あるものを先にすべきの類これなり（４２０参観）これ他なし法律は債務者の意思を推測して充当の順序を定むるが故に債務者のために利益最も多き充当を為すべきはもとより当然なり。しかして何れの債務も未だ弁済期に至らざるときはその最も利益多きものに付き期限の利益を放棄したるものと推定せるなり。あるいはいはんしからば期限が債権者の利益のために存するときは敢えて本条第２号の規定を適用すべからざるかといわく。しからず債務者が充当を為さざる場合においては債権者自ら充当を為すことを得るものなるが故に未だ期限の至らざる債務の弁済を受くるにあたりては期限が自己の利益のためし存せざる債務に充当を為すことを得たるに拘わらずこの権利を放棄したるが故に暗に充当の法定順序に従わんと欲したる者というべく。従って期限が自己の利益のために存する債務に付いてもその期限を放棄したるものと視てすこしもその当を失えるものというべからず。これ本条第２号において広く債務者のために利益多きものを先にすべきことを定めたる所以なり。

第３　債務者のために利益全く同じきときは弁済期のまず至りたるもの又はまず至るべきものを先にすべきものとせり。これ他なし利害同じき場合においては寧ろ古き債務より順次弁済を為すは人情にして殊に債権者の利益より考うれば古き債務は概して先に事項に罹るべくその他証拠湮滅等のおそれあるがため自らその督促を厳にすべきが故に弁済をもってこれに充当するはまた債務者の利益なりというべし。なお外国においてはただ債務発生時期の古きものを先にするの主義を取るものありといえども人情よりこれを言えば弁済期の前後によりて区別するを当然とするのみならず事項の危険より言えば弁済期の古きものより先に弁済を促すべきが故に我民法においては重を弁済期に置きたるなり。

第４　以上何れの点より観るも全く同様なる債権のみなるときは各債務の額に応じて充当を為すべきものとす。しかして弁済が同時に２個以上の債務を消滅せしむべき場合においてはその１つは前３号の点において先に充当を為すべきものにして他の債務皆同様なることあり。この場合においては他の債務のみに付き本号の規定を適用すべきものとす。これ前３号に付いてもまた同じき所なり。

第４９０条　１個の債務の弁済として数個の給付を為すべき場合に於て弁済者が其債務の全部を消滅せしむるに足らざる給付を為したるときは前２条の規定を準用す

　本条は債務が唯一なるも数個の給付を目的とする場合に付いて規定せり。この場合においては全く数個の債務ある場合と同一の問題を惹起すべし。例えば月々，年々等支払うべき利息借賃，賦金等の場合これなり。この場合においては総て前２条の規定に従うべきものとせり。けだし全く同一の理由あればなり。

第４９１条　債務者が１個又は数個の債務に付き元本の外利息及び費用を支払うべき場合に於て弁済者が其債務の全部を消滅せしむるに足らざる給付を為したるときは之を以て順次に費用，利息及び元本に充当することを要す

　第４８９条の規定は前項の場合に之を準用す（財４７０，２項，４７２，２号）

　本条は元本の外費用及び利息を払うべき場合に付いて規定せり。この場合においてはまず費用を償還し次に利息を払い最後に元本を弁償すべきものとせり。例えば売買の場合において売主が一時買主の支払うべき費用を立替えかつ買主が代価に付き利息を払うべき場合においてもし買主がその全額を弁済するに足らざる金額を支払いたるときはまず費用を控除し次に利息を取りその残余をもって元本の一部に充つべきものとす。けだし費用の如きは大抵一時の立替えにして永くその弁済を延期すべきものに非ず。又利息は元本より生ずる果実にしてその果実は債権者のために通常の収入たるべきものなるが故にこれまた永くその弁済を怠るべきものに非ず。故に何れの国の慣習においても利息は元本より先に支払うべきものとせること全く同一轍に出づるが如し。故に債務者が充当を為すにあたり利息より先に元本に充当せんと欲するも債権者はこれを拒むことを得べく又当事者充当を為さざる場合においては第４８９条の規定に拘わらず本条を適用すべきものとす。ただ債権者が本条の利益を放棄して費用又は利息より元本を先に受けんと欲するときはこれ自ら不利益を甘んずるものにしてもとよりその随意なりとす。

　本条においては費用，利息及び元本の３者に付きその順序を定めたりといえども単に利息及び元本のみを払うべき場合においてもまた利息を先にすべきはもとより言うをまたざる所なり。しかして実際においては利息を元本とのみあること最も多かるべし。

　以上は債務の１個ある場合においても数個ある場合においても同じき所なり。故に甲の債務にも費用，利息あり乙の債務にも費用，利息ある場合においてはそのいずれの元本にも充当するに先ち右の両債務の費用，利息に充当すべきものとす。しかしてもしその費用，利息の全額を弁済するに足らざるものを給付したるときは第４８９条の規定に従いその先後を定むべきものとす。例えば甲の債務の利息は明治２８年分と２９年分とあるに乙の債務の利息は２９年分のみにしてその支払時期は同一なりとせんにまず甲の２８年分の利息に充当しその残額が両債務の２９年分の利息の全部に充つるに足らざるときはその各利息の額に応じてこれを割当つべきものとす。

　あるいは問わん。本条においては第４８９条のみを準用して第４８８条を準用せざるもの如何といわく。費用，利息が別異の債務に関するときは当然第４８８条を適用すべくその同一の債務に関するときは前条を適用すべきのみ。但し費用と利息との間には前条を適用せずして本条第１項を適用すべきこともとよりなり。もしそれ第４８９条を準用すべきことを明言したるは外なし甲の債務に関する費用，利息を乙の債務に関する費用，利息とありてしかも利息の中数分ある場合において当然第４８９条を適用し難きをもってなり。

　　　　　８　弁済の提供

第４９２条　弁済の提供は其提供の時より不履行に因りて生ずべき一切の責任を免れしむ（財４７４，４７６）

　本条及び次条は弁済の提供（Ｏｆｆｒｅ　ｄｅ　ｐａｙｅｍｅｎｔ）に関せり弁済の提供とは債務者が履行に必要なる事項にして自己のみにて為すべきものを為して履行の意思を表示するをいう。例えば債権者の許において金銭を支払うべき場合においてはその金銭を債権者の住宅に持参し又仕事の請負において請負人がその仕事を完成し債権者に対してその仕事の目的物の引渡を為すべき旨を通知するをいう。けだし債務者が債務を履行せんと欲するにあたり債権者がその履行を受けざるときは厳格にこれを言えば未だ履行ありたりということを得ず。しかりといえども債務者をしてその結果を負担せしむるは頗る不当といわざることを得ず。けだし債務者はその債務の履行に付き自己の権内に在る事項を完了したればなり。故に本条においては債務者が一たび弁済の提供を為したるときはその提供の時より不履行によりて生ずべき一切の責任を免るべきものとせり。例えば債務の目的物の滅失，毀損に関する危険が弁済の時より債権者に移転すべき場合においてはその危険は弁済の提供の時より直ちに移転すべく，債務者は弁済の提供の時より遅延利息を払うの義務なきものとす。あにただこれのみならんや。この場合において債権者が弁済を受けざるときは債権者即ち怠慢者なるが故にもしこれによりて債務者に損害を被らしめたるときは債権者これを賠償せざるこおを得ず（４１３）。例えば債権者が債務者の店頭に来りてその商品を受取るべき場合において債務者より催告を為すに拘わらず来りてこれを受取ることを為さざるときはその商品が債務者の店頭に在るため大いに債務者の商業を妨ぐることなしとせず。この場合においては債権者はその妨害に付き賠償の責に任ぜざることを得ず。

　債権者が弁済を受けざる場合においては種々の理由によりてこれを受けざるべし。（第１）弁済が不適法なりとしてこれを受くることを欲せざることあり。（第２）債権者の怠慢によりてこてを受けざることあり。（第３）事実上の故障によりてこれを受くること能わざることあり。（第４）債権者が無能力なるにその法定代理人なきため法律上これを受くることを得ざることあり。（第５）債権者の行方知れずしてしかもこれを代表すべき者なきことあり。（第６）債権者死亡の後相続人未だ確定せずして弁済を受くべき権利者を確知すること能わざることあり。その他やや稀なる場合を想像すればついに枚挙に遑あらざるべし。これらの場合の中に就き債権者に過失あることあり（１）又たとい債権者に過失なきもその意思によりて債務者が弁済を為すこと能わざることあり。（２）あるいは又債権者に過失なきのみならず敢えて弁済を受けざるの意思あるに非ずといえども不幸にしてこれを受くること能わざることあり。（３）この３つの場合において債権者は常に地帯者くる責任を負うべきや否やこれ学説の未だ一定せざる所なりといえども余の信ずる所によれば右のいずれの場合においても債権者は必ず遅滞の責に任ずべき者なり。けだし債務者が弁済期に至りて弁済を為さざるときはたといその原因が全く債務者の不幸に出づるもなお不履行の責に任ぜざることを得ざるはほとんど人の疑わざる所なり。もししからば債務者が既に自己の権力に属する範囲内において履行に必要なる行為を完了したるときは債権者がこれを受けざるはたといその不幸によるとするもその遅滞の責は債権者これを負担せざるべからざればなり。要するに債務者に在りても債権者に在りてもその身に生じたる不幸をもって過失なき他人に嫁することを得ざるものとす。

　以上述ぶる所は債権者が正当の理由ありて弁済を受くることを拒みたる場合には適用なきこともとより論をまたざる所なり。

第４９３条　弁済の提供は債務の本旨に従いて現実に之を為すことを要す但債権者が予め其受領を拒み又は債務の履行に付き債権者の行為を要するときは弁済の準備を為したることを通知して其受領を催告するを以て足る（財４７４，４７５，２３年１０月８日勅２１７号弁済提供規則）

　本条は弁済の提供に必要なる条件を定めたるものなり。しかしてその本則は「債務の本旨に従いて現実に之を為すことを要す」るものとせり。例えば金銭債務において債務者がその支払うべき金銭を債権者の住宅に持参し，仕事の請負においてその仕事を契約に従いて完了しその作成物を債権者の許に持参するの類これなり。この原則に２つの例外なき能わず。（第１）債権者が予めその弁済を受くることを拒みたるとき。（第２）債務の履行に付き債権者の行為を要するときこれなり。この場合においては現実に弁済の提供を為すも債権者がこれを受けざること明らかなるか又は債権者の行為なければ現実の提供を為すことを得ざるが故に債務者は単に弁済の準備を為しこれを債権者に通知しもってその弁済を受くべき旨を催告するときは既に弁済の提供ありたるものとみなさざることを得ず。例えば債権者が債務者の許に来りて債務の目的物の引渡を受くべき場合においては債務者は何時にてもその物を引取るべき旨を催告するときは既に弁済の提供ありたるものとす。又例えば洋服裁縫氏が既に切地を準備し速にその裁縫に着手せんがため注文者の寸法をとらしめんことを促したるときは既に弁済の提供ありたるものとみなすべし。

　　　　　９　弁済の目的物の供託

第４９４条　債権者が弁済の受領を拒み又は之を受領すること能わざるときは弁済者は債権者の為めに弁済の目的物を供託して債務を免るることを得弁済者の過失なくして債権者を確知すること能わざるとき亦同じ（財４７４，４７７，１項，４７８，１項）

　前２条の規定により債務者は弁済の提供を為して不履行により生ずべき一切の責任を免るることを得るといえども提供のみにて未だ全くその義務を免るること能わず。これを免れんと欲せば必ず弁済の目的物を供託することを要す。供託（Ｃｏｎｓｉｇｎａｔｉｏｎ）とは債務者が債務を免るるためその目的物を債権者のために保管せしむるをいう。けだし債権者が故なく弁済を受けざるときは債務者は永久にその義務を負担すべきものと為すことを得ず。何となれば債務者は片時も早くその義務を免れんと欲するは人情の当にしかるべき所にして又その利益の切に命ずる所なり。しかるに債務者に毫末の過失なくして速にその弁済を了わることを得ざるものとせば債務者の保護足らざるものというべからざればなり。

　以上述ぶる所により供託は過失なき債務者をして速にその義務を免れしむるの方法に過ぎざることを明らかにせり。しかして債務者に過失なき場合とは（第１）債権者が故なく弁済を受くることを拒みたるとき。（第２）無能力その他の原因のためこれを受くること能わざるとき。（第３）債務者の過失なくして債権者を確知すること能わざるとき。例えば債権者が死亡してその相続人未だ確定せざる場合の如き即ちこれなり。故にたとい債権者が弁済を受くることを拒むももしその弁済が全く債務の本旨に従いたるものに非ざるをもってこれを拒みたるときは曲，債務者に在るが故に債務者たとい供託を為すもためにその債務を免るること能わず必ず更に適当なる弁済を為すべきのみ又たとい債権者は無能力なるもこれに法定代理人あるときは債務者は宜しくその法定代理人に弁済を為すべきのみ又債権者死亡の後その正当なる相続人が特に債務者に自己の相続を為したることを通知したるに拘わらず債務者の不注意によりその通知を読まずして濫に供託を為すが如きはもってその義務を免れしむるに足らざるなり。

　本条に規定する所の供託は債務者がその義務を免るるため任意に為す所のものなり。この他法令の規定により供託を為すべき場合少なからずこれらの場合においても供託によりてその義務を免るべきはもとよりなり（例３６７，３項，３９４，２項，５７８等）。

　以上余は常に債務者が弁済を為す場合に付いて論じたりといえども正当に弁済を為すことを得る者はたとい債務者に非ざるもまた本条の規定に従いて供託を為すことを得べし（４７４参観）。

第４９５条　供託は債務履行地の供託所に之を為すことを要す

　供託所に付き法令に別段の定めなき場合に於ては裁判所は弁済者の請求に因り供託所の指定及び供託物保管者の選任を為すことを要す

　供託者は遅滞なく債権者に供託の通知を為すことを要す（財４７７，取２２２ないし２２８，２３年７月２５日勅１４５号供託規則，２６年６月２４日大蔵省１３号，同年７月２２日勅７５号，同年９月２０日大蔵省２１号供託物取扱規程，同月２１日同省訓３２号預金保管物及供託物金庫出納事務規程，３２年２月７日法１５号供託法，同年３月１６日大蔵省６号供託物取扱規程，同月１７日大蔵省告示９号，非訟事件手続法８１，８２）

　本条は供託の手続を規定したるものなり。供託の要素たる手続はただ法律に従いたる場所に弁済の目的物を寄託するに在り。しかしてその場所は金銭，有価証券（公債証書，株券，債権，手形等）及び倉庫営業者の保管する物品に付いては明治３２年２月７日法律第１５号供託法の設あり。即ち金銭及び有価証券はこれを金庫に寄託すべきものとし（供託法１）倉庫営業者の保管する物品はこれを司法大臣の指定したる倉庫営業者にこれを寄託すべきものとせり（同上５）。

　右の規定によれば供託は中央金庫及び各地の本支金庫又は倉庫営業者にこれを為すべきものとす。しかりといえども供託はもともともって弁済に代うるものなるが故につとめて債権者のために弁済と同一の利益を得せしむることを要す。しかるに弁済は一定の場所においてこれを為すべきものなるが故に供託もまたその弁済を為すべき土地の供託所にこれを為すべきものとす。しかして各金庫には一定の所管区域あるが故に（２２年１２月１１日勅１２６号金庫規則３，２項，２３年１月４日大蔵省告示１号金庫位置及出納区域[この後出納区域の改正枚挙にいとまあらず]２８年９月２４日勅１２９号）その区域に従い供託を為すべきものとす。

　金銭及び有価証券に付いては一定の供託所を定むること極めて容易にして又これを保管することも敢えて難しとせずといえどもその他の動産，不動産に至りてはこれを金庫に寄託することを得ざるは勿論一定の供託所を設くること極めて難し。ただ倉庫営業者の保管する物品はこれを司法大臣の指定したる倉庫営業者に寄託すべきものとせりといえども司法大臣は未だこれを指定せざるが故に現時に在りては右の規定は全く空文に属するものというべくいわんやその他の動産，不動産に至りては到底一般の供託所を設くること能わず。故に本条第２項において裁判所は弁済者の請求により供託所を指定しかつ供託物の保管者を選任すべきものとせり。しかして不動産の如きは敢えてこれを移転すること能わざるが故にその場所はこれを指定することを要せず。ただその保管者を定むれば可なり。しかのみらず裁判所は債務者をもって新たに保管者と為すももとより妨げなし。この場合においては債務者は債務者たる地位を去りて更に保管者たる地位を占め従ってその義務を免るることは他人がその物を保管するに異なることなし。ただ動産に在りては保管者をしてその住宅にこれを保管せしむること多かるべしといえどもしかも便宜によりこれを他所に置き保管者をしてただその保管の責を負わしむるに過ぎざることあるべし。例えば米穀の如きは一定の倉庫にこれをおさめしかしてその保管者は倉庫の所有者，管理者もしくは無関係の第三者をもってこれを充つること多かるべし。しかして供託所を指定するの必要はただに物の保管をして安全を得せしむるのみならず債権者がこれを受取るに便するに在るなり。

　以上は供託の要素たる手続なり。この手続の外に付随の手続として「供託者は遅滞なく債権者に供託の通知を為すことを要す」。けだし供託はもって債務者をしてその義務を免れしむるものなり。故に債権者はこれに付いて利害を感すること最も深く速にこれを知るに利益を有する者なるが故にこれを債権者に通知せしむるはもとより至当の手続をいわざるべからず。但しこの手続は単に債権者を保護するために設けたる１つの付随の手続に過ぎざるが故にたといこれを欠くもために供託の成立を妨ぐることなく殊に供託の効力はこの通知を為したる日より生ずるものに非ずして適当の供託所にこれを為したる日より直ちに生ずるものとす。ただ債務者にしてこの手続を怠るときはために債権者に生ぜしめたる損害を賠償する責あるのみ。

第４９６条　債権者が供託を受諾せず又は供託を有効と宣告したる判決が確定せざる間は弁済者は供託物を取戻すことを得此場合に於ては供託を為さざりしものと看做す

　前項の規定は供託に因りて質権又は抵当権が消滅したる場合は之を適用せず（財４７８，２項，３項，２３年７月２５日勅１４５号供託規則５，２６年９月２０日大蔵省２１号供託物取扱規程１０，１３，３２年２月７日法１５号供託法８，同年３月１６日大蔵省６号供託物取扱規程１０ないし１２）

　本条は供託を取消すことを得る旨を規定したるものなり。余の信ずる所によれば供託は債務を消滅せしむるの効力を有するものなるが故に債務者は自己の意思のみによりてこれを取消すことを得ざるものとすべきが如し。けだし債務の消滅は往々にして債権者，債務者間の関係に止まらずまた第三者の利害に関することあり。例えば債務者に連帯者あり又は保証人ある場合又は債権に質，抵当等の担保ある場合の如き即ちこれなり。故に供託を取消すことを得るものとしてその取消の効力第三者にも及ぶべきものとせば往々にして第三者の権利を害するおそれあり。しかりといえどももしその取消の効力第三者に及ばざるものとしてしかも債権者に対し有効なるものとせば債権者が損害を被ることもとより論なし。故に理論上一旦消滅したる債務は再び生くべからざるをもって余は立法論としてはあるいは供託の取消を許さざるを可とすべきかと思えども本条の規定はけだし人情に基づきたるものならん。立法者はいえらく債権者が供託を承認せず又判決によりてこれを有効と定めざる間は供託は弁済者の純然たる単独行為にしてその者が意思を表示したる外未だ他人の行為あらず。故に供託が弁済者を羈束せざるものとするも敢えて他人に損害を及ぼすものと為すべからず。しかして弁済者に在りては往々にして供託を悔ゆることあり。しかもその供託を取消したる結果は債務者再び債務を負担するに至るべきをもって自らその行為の不利益を甘受すべきのみ故に供託の取消しを許すもすこしも不可なることなしと。けだしこの人情論よりして外国においても本状に類する規定を設けたる例最も…。

　右は第三者が債務に付き何等の利害を感せざる場合即ち連帯，保証，質，抵当等なき場合においては勿論たとい連帯，保証等ありとするも単に対人関係に止まるときは連帯者は初よりその債務者と利害を共にすることを甘諾せる者にして保証人はその債務者のために義務を負うことを諾したる者なり。故に供託の取消しによりこれらの者が依然義務を負うことと為るも可なりとせり。これに反して質又は抵当ありたる場合においては第三者がその質，抵当を供したるときは勿論たとい債務者がこれを供したるときといえども質権，抵当権は物権なるが故に常に第三者に利害の関係を及ぼし例えば他の債権者は供託ありたるがため質権，抵当権が消滅したることを知ればこれによりて己等の共同担保の増加したるを見るべく又第２位の質権，抵当権ある場合においては第１位の質権，抵当権の消滅したるによりてその質権者，抵当権者は直ちに代わりて第１位を占むべし。しかるに一朝弁済者の随意にてその供託を取消し既に消滅したる質権，抵当権を再生せしむることを得るものとせば右に掲げたる一切の利害関係人は実に意外の損失を受けざるべからず。しかりといえども右の質権，抵当権は供託の取消に拘わらず永久に消滅したるものと認むるとときは債権者は一層甚だしき損害を受くべし。故に此場合においては瑞西債務法に倣い供託の取消を為すこと能わざるものとせり。けだしこの規定あるが故に本条第１項の規定は敢えて甚だしき弊害なきものと為すべし。

第４９７条　弁済の目的物が供託に適せず又は其物に付き滅失若くは毀損の虞あるときは弁済者は裁判所の許可を得て之を競売し其代価を供託することを得其物の保存に付き過分の費用を要するとき亦同じ（非訟事件手続法８１，８３）

　本条は弁済の目的物が供託し難き物なる場合においてその物を売却しその代価を供託することを許せるものなり。これ聊か干渉に失するの嫌なきに非ずといえどもこの場合において供託を為すことを得ずとせば債務者は自己の過失なきにその債務を免るるの方法なくために損害を被るのおそれなしとせず。しかして最も多くの場合においては債権者は弁済の目的物の価額を受くればほとんど弁済を受けたるに均しき利益を得べきが故に特に本条の規定を設けたるなり。

　本条の規定の止むことを得ざるに出でたることは右に言えるが如し。故に弁済の目的物が供託し難き物なることを要す。即ち（第１）「弁済の目的物が供託に適さざる」とき例えば材木，畳，建具等容積大なる物にして殊にその数量の夥多なる場合においては適当の供託所及び保管者を得ること極めて難し。故にこれ供託に適せざる物なり。（第２）「其物に付き滅失若くは毀損の虞あるとき」例えば動物の如きはあるいは逸失のおそれありあるいはその飼養極めて困難にして動もすれば斃死の恐れあり。又は植物の如く枯死し易き物あり又魚茱等の如く腐敗のおそれある物あり。これらは皆供託し難き物とす。（第３）「其物の保存に付き過分の費用を要するとき」例えば飼養し易き家畜動物といえどもこれを飼養するに付きその価格に比し莫大の費用を要するとき又は糠灰等の如く容積甚だ大にしてしかもその価格極めて賎しき物はこれを保存するに付きほとんどその物の価に均しき費用を要することあり。これらの物もまたこれを売却してその代価を供託することを得るものとす。

　右の売却は弁済者において濫にこれを為すことを得ず。必ず（第１）裁判所の許可を得（第２）競売の手続によることを要す。しかしてその詳細は非訟事件手続法（８１，８３）及び競売法にこれを規定せり。

第４９８条　債務者が債権者の給付に対して弁済を為すべき場合に於ては債権者は其給付を為すに非ざれば供託物を受取ることを得ず

　本条は債権者が供託物を受くるに付き必要なることあるべき条件を定めたるものなり。けだし本款に規定する所の供託は債権者のために為すものにして（４９４）原則としては債権者は何時にても供託物を受取ることを得べし。ただ債権者が反対給付（Ｇｅｇｅｎｌｅｉｓｔｕｎｇ）を為すべき場合においてはまずその給付を為すに非ざれば供託物を受取ることを得ず。例えば買主がその売却したる物を供託したる場合においてもし買主未だその代価を払わざるときはその代価を支払うに非ざれば敢えて供託物を受取ることを得ざること多し。又例えば注文者が工事の報酬を供託したる場合において請負人はその工作物の引渡を為すに非ざればその報酬を受くること能わざること多きが如し。なお此場合における手続はこれを供託法第１０条に定めたり。

　　　　　１０　代位

第４９９条　債務者の為めに弁済を為したる者は其弁済と同時に債権者の承諾を得て之に代位することを得

　第４６７条の規定は前項の場合に之を準用す（財４７９，２項，４８０）

　本条以下第５０４条に至るまではいわゆる代位（Subrogation）について規定せり。代位の性質については諸説紛々たりといえども新民法においては第５０１条においてその性質を明らかにし弁済者は自己の権利に基づき求償を為すことを得る範囲内において債権者に代わりてその権利を行うことを得るものとせり。これを詳言すれば債権は弁済によりて既に消滅せりといえども弁済者の権利を確保するため仮に債権者の権利をもって未だ消滅せざるものとし弁済者をしてこの権利を行わしむるものなり。代位に２種あり。１にいわく任意の代位（Subrogation conventionnelle）２にいわく法定の代位（Subrogation légale）これなり。しかして本条は任意の代位について規定せり。旧民法及び数多の外国の法律においては任意の代位を別ちて債権者の意思による代位と債務者の意思による代位との２とせるも新民法においては単に債権者の意思による代位のみを認めて債務者の意思による代位を認めず。けだし債務者の意思による代位は権利者にあらざる者が権利を処分するの不条理あるのみならず実際の弊害また少なからざるをもってこれを認めざりしなり。ひとり債権者の意思による代位は債権者が弁済者の弁済の条件としてその者のために自己の権利を処分するものなるが故に条理においても極めて穏当なるのみならず実際においてもこれに相当の条件を付する以上はすこしも弊害を見ざるが故に本条においては特にこの種の代位を認めたり。けだし債権者は既に弁済を得る以上はその権利の必要なくしかして弁済者は他人のために弁済を為すにあたり単に不当利得の原則により債務者に対して求償権を行うことを得るに過ぎずとせばこの求償権には担保なきがためどうもすれば損失を被るのおそれあり（純然たる不当利得の原則のみによらざる場合といえども債権者の有する担保を有せざること多し）。今債権者の有せし権利は債権者のためには既に不用と為れるをもって他人をしてこれを行使せしむるも債権者に損なし。もし弁済者にしてこの権利を行うことを得はその者のために便利なることもとより言うをまたず。しかも債務者のためには仮にその者が弁済を為さざりしとせばその債務は依然として存すべきが故に債権者が自らその権利を行うも弁済者がこれに代わりてその権利を行うもほとんど痛痒を感ぜざるべきをもってこの代位なるものは何人をも害せずして弁済者を利すべく。しかしてこの代位あるがためその弁済を奨励するの結果あるが故に債権者も容易に弁済を受くることを得べく。間接には一般の信用上に重大なる利益を与うべし。故に債権者にしてこれを承諾せば弁済者は債権者の権利を行うことを得るものとせり。ただこれ債権を譲渡すにあらずして弁済者をして損失を被らざらしむるため法律の仮定により弁済者の利益のためにはその債権をもって未だ消滅せざるものとしもってその求償を容易ならしむるに過ぎず。これによりて生ずる結果は請う第５０１条を説明するにあたりてこれを論ぜん。

　以上述ぶるが如くもし代位にして弊害なくんばその便利なること論をまたずといえどももしこれに相当の条件を付せざるときはその弊害また少なからざるべし。例えば第三者が初め債務者の資力あることを信じこれに代わりて弁済を為したる後その債務者が無資力と為りたるため更に債権者と通謀して弁済の当時債権者の意思により代位を為したる者の如く装いもって債務者の他の債権者の利益を害することあるべし。故に本条においてはその代位は必ず弁済と同時にこれを為すべきものとせり。けだし理論においても既に消滅したる権利をして更に再生せしむることは法理上あたわざる所なるが故に弁済と同時すなわち債権がまさに消滅せんとする瞬間において債権者の意思によりその権利を弁済者に移転するにあらざれば到底代位あることあたわざるべし。又この代位なるものは債務者及び第三者のために重大の結果を生ずるものなるが故に単に弁済者と債権者との間においてこれを遂行し債務者その他の第三者のために公示の方法を取らざるときは債務者はその代位ありたることを知らずして弁済その他の行為を為すべく。殊に他の第三者に至りては代位ありたることを知らずして債権者と取引を為しために少なからざる損害を受くること稀なりとせざるべし。これ債権譲渡の場合とほとんど異なることなし。故に本条第２項においては債権の譲渡に関する第４６７条を準用し債務者の承諾を得又はこれに通知を為すべきものとせり。

第５００条　弁済を為すに付き正当の利益を有する者は弁済に因りて当然債権者に代位す（財４８２，担３６，１項，６４，１項，２５４）

　本条は法定の代位について規定せり。けだし代位なるものは前条について述べたるが如くほとんど利のみありて害なきが故に「弁済を為すにつき正当の利益を有する者」が弁済を為したる場合においては当然債権者に代位するものとするを至当とせり。この代位の至当なることを多弁を費やさずして明らかなる所にして既にローマ法においても純然たる法定代位を認めざるにかかわらず弁済者は債権者に対し代位を求むることを得るものとせし場合少なからず。然りといえどもいやしくも代位をもって正当なりとする以上はことさらに債権者に請求するの迂路を取らずして法律の力により直ちに代位を為さしむるを便とす。故にフランス国法系の国々においては皆法定代位を認めたり。ただ旧民法その他外国の法律においては「弁済を為すにつき正当の利益を有する者」を列挙しもってその範囲を制限せりといえども本条においては広く「弁済を為すにつき正当の利益を有する者」といい敢てその適用を示さず。けだしその適用を列挙するときはどうもすれば脱漏の恐れありその規定往々にして膠柱の憾みなきことあたわざるをもってなり。但しそのおもなる適用は次条にこれを列挙せり。

　「弁済を為すにつき正当の利益を有する者」が弁済以外の行為により債務者をしてその義務を免れしめたるときはまた代位を許すも可なるが如く旧民法においては連帯，保証等につきこれを規定せりといえども新民法においては単に弁済についてのみこれを規定せり。けだし弁済は債務の履行にして債務を消滅せしむるため最も正当なる行為なり。これに反して和解，更改等の如きはその債務者をして債務を免れしむるはすなわち一なりといえどもこれ元来債務を消滅せしむる正道にあらず。故に法律はこれを保護すること必ずしも弁済の如くなることを要せざるものとせしならん。但し立法論としてはあるいは弁済以外の行為についてもまた代位を許すの理なきにあらざるなり。

第５０１条　前２条の規定に依りて債権者に代位したる者は自己の権利に基き求償を為すことを得べき範囲内に於て債権の効力及び担保として其債権者が有せし一切の権利を行うことを得但左の規定に従うことを要す

　　一　保証人は予め先取特権，不動産質権又は抵当権の登記に其代位を附記したるに非ざれば其先取特権，不動産質権又は抵当権の目的たる不動産の第三取得者に対して債権者に代位せず

　　二　第三取得者は保証人に対して債権者に代位せず

　　三　第三取得者の１人は各不動産の価格に応ずるに非ざれば他の第三取得者に対して債権者に代位せず

　　四　前号の規定は自己の財産を以て他人の債務の担保に供したる者の間に之を準用す

　　五　保証人と自己の財産を以て他人の債務の担保に供したる者との間に於ては其頭数に応ずるに非ざれば債権者に代位せず但自己の財産を以て他人の債務の担保に供したる者数人あるときは保証人の負担部分を除き其残額に付き各財産の価格に応ずるに非ざれば之に対して代位を為すことを得ず

　　　右の場合に於て其財産が不動産なるときは第１号の規定を準用す（財４７９，１項，４８３，４８４，担３６，６４，２５４）

　本条は代位の効力を定めたるものなり。その効力他なし。代位者が自己の権利に基づき求償をなすべき範囲内において債権者の権利を行うことを得るにあり。即ち債権者が保証人を有せしときはこれに対して請求をなすことを得べく留置権，先取特権，質権，抵当権，解除権等を有せし場合においてはこれらの権利を行うことを得べくその他債権者が公正証書を有せし場合においてはその証書によりて直ちに強制執行をなすことを得べき等これなり。

　代位の性質に付いては従来大いに学者間に議論ありてあるいは債権の譲渡なりといいあるいは前債権消滅したるに拘わらずその担保をもって特に弁済者の求償権に移すものなりといえりといえども右２説は共に本条の取らざるところなり。本条によれば債権は本来弁済によりて消滅したるに相違なしといえども法律は特に弁済者の求償権を確保せんが為その債権をもってあたかも未だ消滅せざるものの如くみなしもって弁済者をしてこれを行使することを得せしむるものなり。故にもし弁済者にして求償権なくんば決して代位を得ること能わざるのみならずたとえその求償権を有する場合といえども代位によりて請求をなすことを得る範囲は単に自己の権利に基づきて求償をなすことを得るものに限れり。例えば保証人が過失ある為第４６３条第１項の規定により求償権を有せざる場合においては前条の規定に従って代位をなすこと能わず。又保証人が債権の全額を弁済したる場合においてもし第４６２条の規定によりその一部に付いてのみ求償権あるときは代位によりてもまたその部分に付いてのみ主たる債務者に対して請求をなすこと得べきの類これなり。ただ代位はもともと債権者の権利を代わり行うものなるが故にたとえ代位者が自己の権利に基づきては債権者が請求することを得べかりし範囲よりも大いなる範囲において求償をなすことを得べき場合といえどもなお代位によりては債権者の権利の範囲内においてのみ請求をなすことを得べし。例えば保証人が弁済をなしたる場合においては第４５９条第２項の規定により損害賠償の請求をもなすことを得るといえども債権者は通常この如き権利を有せざるをもって保証人もまた代位によりては損害賠償の請求をなすことを得ざるが如きこれなり。

　これによりてこれを観れば代位者はあるいは自己固有の権利を行うに利あり。あるいは代位による権利を行うに利あり。しこうしてこれただ右に述ぶるところのみならず。（第１）代位者固有の求償権には特別の担保あることあり。（第２）債権者の権利は時効によりて消滅したる後といえども代位者の固有の権利は未だ時効にかからざることあり。けだし債権者の権利はその弁済期至りたる時より時効の起算を始むるといえども代位者の固有の権利は弁済の時よりその時効を起算すべきのみならず債権者の権利は特別時効にかかるべきものにしてその期間６ヶ月（商４４３），１年（１７４，２４５，商，３２８，３２９，３５６，３７４，３８３，４１７，５７５，６１８，６５１），２年（１７２，１７３，商４１７），３年（１７０，１７１，７２４，商４４３），５年（１６９，８９４，９６６，商２８５）等なることあるも代位者の固有の権利は通常１０年の普通時効によりてのみ消滅すべきものとす。故に代位者たる者はその利益に従いあるいは固有の権利を行いあるいは債権者の権利を行うの選挙権を有するものにしてもし固有の権利の範囲が債権者の権利の範囲よりも大いなる場合においてはその一部に付いては代位権を行い残部に付いては固有の権利を行うことを得べし。

　以上は代位の効力に関する原則なり。請うこれより特別の場合に付き法律の規定するところを述べん。

第１　保証人は前条にいわゆる「弁済をなすに付き正当の利益を有する者」なるが故に当然債権者に代位すべき者なりといえどもその代位の範囲は一般の原則に従いその固有の求償権の範囲に止まり一部の弁済によりて全部の免除を得たる場合においてはその現に弁済したる数額に付いてのみ代位権を行うことを得。又その債権に先取特権，不動産質権又は抵当権ある場合においてはこれらの権利の登記にその代位を附記するにあらざればこれらの権利の目的たる不動産の第三取得者即ち買主，受贈者その他その不動産の上に権利を取得したる者に対してその代位権を行うことを得ず。けだし保証人と担保不動産の第三取得者との間において互いに代位あるべきや否やの問題はローマ法以来学者間にやかましき議論ある問題にして学説，立法例共に一定せずといえども本条においては旧民法におけるが如く（旧民法の第１草案には反対説を取れり）保証人は担保不動産の第三取得者に対し代位をなすべきものとせり。しこうして右の第三取得者は保証人に対して代位をなさざることは次に論ずるが如し。これ他なし。登記法の備われる今日にありては第三取得者は登記簿を一覧したる後その権利を取得する以上は敢えて損失を被るのおそれなしといえども保証人は一旦債務者の無資力に遭わば常に損失を被るのおそれあるをもって保証人と第三取得者と利害相反する場合においてはむしろ保証人を保護して第三取得者を顧みざるを妥当とすればなり。これを詳言すれば保証人にして債権者の担保権を行わばその損失を免るることを得るももしその権利を行うことを得ずとせば主たる債務者の無資力なる場合においては常に損失を被ることを免れずといえども第三取得者は初めに登記簿を一覧する以上はその不動産が担保権の目的たることは予めこれを知れるが故に無償にてこれを取得したる者は何時債権者の為にその不動産を奪い去らるることあるべきか計り難きを予知すべく有償にてこれを取得したる者は直ちにその代価を支払わざる以上は敢えて損失を被るのおそれなく殊に滌除によりて担保権を消滅せしむることを得べく（３７７ないし３８６）又交換者の如く代価支払の義務なき者といえども滌除権を有するの外解除権を有するが故に（５５９，５６７）その損失を免れるることを得る場合多かるべく又たとえ損失を被ることありとするも登記によりこれを予知し得べかりしをもって特にこれを保護するの必要なし。酷論すればその損失を被るは自らなせる禍といわざることを得ず。これ本条において保証人をして第三取得者に対し代位をなさしむる所以なり。

　故に原則として保証人が第三取得者に対し代位をなすは至当なりといえども一旦保証人を正当に保護したる上はその正当の利益を害せざる範囲内において第三取得者をも保護するはけだし立法者の力むべきところなり。そもそも第三取得者は右に論ずるが如く保証人よりも保護を受くべき理由すくなしといえどもしかも先取特権，質権，抵当権等は多くは債務者の無資力なる場合においてのみ行なわるべきものにして十の七八はこれが為に不動産を奪い去らるることあらざるべしと予想すべき場合すくなからざるべし。この予想をもって不動産を譲受けたる第三者がもし不幸にして右の権利の行使の為その不動産を奪われんとする場合においてはでき得べきだけこれを保護するは公平なるのみならずもしこれを保護せざれば担保権の目的たる不動産の取引を渋難ならしめ大いに不動産の融通を妨ぐるおそれあり。これ法律が滌除を設けたる理由にして又本条において保証人に対し第三取得者を保護する所以なり。けだし第三取得者は登記によりて先取特権，質権，抵当権等の存在することを知り滌除等の方法によりこれらの権利の消滅を計るべきは当然なりといえども一旦その債権者に弁済等をなしてこれらの権利を消滅せしめたる以上は他に一部の弁済をなしたる保証人の代位によりて更にこれらの権利を行うことあるべきを予期せざるはもちろん既に弁済によりてこれらの権利が消滅したりと聞くときは第三取得者は又これらの権利の行使に遭わんことを思わず安んじて不動産の代価を買主に支払う等の事あるべし。しかるにその弁済は保証人がなしたるところなりとて更にこれらの担保権を行うに遭わば第三取得者は意外の損失を被ることあるべし。故に本条第１号においては保証人をして予め右の担保権の登記にその代位を附記せしめもって第三取得者をしてたとえ債権は弁済によりて消滅するもなお保証人が代位権によりこれらの権利を行使することあるべきを知らしめもしこの附記を怠るときは第三取得者に対して代位をなすことを得ざるものとせり。しこうしてこの附記は保証人の為にも頗る有益なるものというべし。何となれば第三取得者が滌除をなす場合においては登記をなしたる債権者にのみその滌除の提供をなすべきが故に（３８３）保証人の附記なければ単に債権者に対してのみ滌除の提供をなすべきもこの附記をなすときは保証人もまた登記をなしたる条件付債権者なるが故に第三取得者はこれに対してもまた滌除の提供をなすべくしこうして債権者は保証人より弁済を受くべきことを思いて第三取得者が不当なる提供をなすもなおこれを承諾するのおそれなきにあらずといえどもこの場合においては保証人より増価競売の請求をなしてその不動産相当の価額に売却することを得べければなり。

　保証人間においては通常債務当然その間に分かるるが故にその１人は全部の弁済をなすに付き正当の利益を有せず。従って代位なきを常とす。ただ保証人間に連帯ある場合及び第４６５条第１項の場合においては全部の弁済をなすに付き正当の利益あり。従って代位あるべきこともとよりなり。しこうしてその求償の範囲は固有訴権の範囲に同じきこと他の場合に異なることなし（４４２ないし４４４，４６５，１項）。

第２　第三取得者は既に述べたるが如く保証人に対して代位をなさず。しこうしてその理由は既にこれを論じたるが故に再びここに贅せず。

第３　第三取得者数人ある場合即ち担保不動産数個ある場合においてその各不動産が同一の取得者に帰せざるとき又は１個の不動産が担保権の目的たる場合においてこれを分割して数人の取得者に譲渡したるときはその各自は平等の位置にあるが故にその１人が弁済をなしたる場合においては各取得者その不動産の価格の割合に応じてその債務を分担すべきものとせり。けだし本条第３号の規定なくんば各取得者は債務者に対して債務の全額に付き求償権を有するが故にその債務を担保する先取特権，質権，抵当権等もまたその全部に付いてこれを行うことを得べく従って他の第三取得者に対して全部に付き代位をなすべきが如し。しかりといえども第三取得者は皆同一の位置にあること既に論ずるが如きをもって単に甲が先んじて弁済をなしたるが為甲は損失を被ることなくして１つにその損失を他の乙，丙等に嫁することを得るとするは頗る不当といわざることを得ず。いわんや多くの場合においては甲は債権者の随意にてたまたま先に訴追を受け止むを得ずして弁済をなしたること多きにおいてをや故にこの点においてもローマ法以来頗る議論ありといえども本条においては旧民法におけるが如く第三取得者は皆平等に損失を被るべきものとして各自の代位権をこの範囲に限れり。

第４　物上保証人（Caution reelle）即ち自己の財産をもって他人の債務の担保に供したる者はその性質頗る保証人に類するものありて既に第３５１条及び第３７２条において債務者に対し保証人と同一の求償権を有するものとせりといえども（これ物上保証人の名ある所以なり）自己の全財産をもって義務を負うべき保証人の如く頭数に応じて債務を分担すべき理なきが故にこの点においてはむしろ第三取得者の位置に類するものあり。即ち本条第４号の規定なしとせば一般の原則に従い各物上保証人は債務者に対しその弁済したる全額に付き求償権を有すべくしこうしてこの求償権の範囲内において代位をなすべきが故に他の物上保証人に対しても全額に付きその権利を行うことを得べきが如し。しかりといえどもこれ前段において第三取得者に付いて述べたるが如く頗る不公平の結果を生ずべきが故に本条第４号において第三取得者に関する規定をこの場合に準用すべきものとせり。即ち各物上保証人はその担保に供したる財産の価格の割合に応じて損失を分担すべきものとしこの割合においてのみ互いに代位をなすことを得るものとせり。

第５　保証人が数人ある場合においては別段の契約なき限りは各自の頭数に応じて債務を分担すべく（４５６）従って保証人の１人が全額その他自己の負担部分を超ゆる額を弁済したるときは各自平等の割合をもって互いに求償権を有すべきことは既に論じたるところなり（４６５）。故に代位の場合においてもまた右の割合をもって求償をなすべきこともとよりなりといえども保証人と物上保証人と並び存する場合においては果たして如何なる割合をもって代位をなすことを得べきかこれ頗る困難なる問題に属す。けだし一方は全財産をもって義務を負うべき身上義務者なるに他の一方は特定の財産をもって担保に供したる第三者にして自ら義務を負うことなき者なるが故にその間に公平なる分担法を定むること極めて難し。しかりといえどもこの場合に関して別段の明文なきときは一般の原則に従い弁済をなしたる者は他の者に対して全部に付き代位権を行うことを得べし。これもとより公平といい難きことは既に前２段において論じたるが如し。これにおいてが本条第５号をもって保証人と物上保証人との間においては頭数に応じて互いに代位をなすべくしこうして物上保証人間においてはなお前号の規定に従い財産の価格の割合に応じて互いに代位をなすべきものとせり。例をもってこれを示さばここに甲乙両名の保証人と１０００円の価ある不動産を抵当に供したる丙と５００円の価ある時計を質物に供したる丁とありてその債権の額１５００円なりとせばそのいずれか弁済をなしたるに拘わらずその１人より全額を弁済したるときは代位によりて畢竟各自が分担すべき額は（第１）まず甲乙丙丁の間において仮に各自平等に３７５円を分担すべきものとし甲乙は実にこの額を負担すべし。（第２）丙丁の間においては両人が負担すべき総額７５０円を３分し丙はその２即ち５００円丁はその１即ち２５０円を負担すべきものとす。

右の場合において物上保証人が供せし財産が不動産なるときは保証人はその担保の登記に代位を附記するにあらざればその者に対して代位をなすことを得ざるものとせり。これ既に第１号において論じたるところと同一の理由あればなり。

連帯債務者間にありては第４４２条ないし４４４条の規定に従い互いに求償をなすことを得べく従ってその求償権の範囲内において代位をなすべきことは本条本文によりて明かなるが故に明文を設けず。

第５０２条　債権の一部に付き代位弁済ありたるときは代位者は其弁済したる価額に応じて債権者と共に其権利を行う

　前項の場合に於て債務の不履行に因る契約の解除は債権者のみ之を請求することを得但代位者に其弁済したる価額及び其利息を償還することを要す（財４８５，４８６）

　本条は一部の代位弁済に付いて規定せり。けだし弁済者が債権の一部を弁済したるに過ぎざるときは古来債権者は自己に反して代位をなさしめたるものとみなさず（Nemo contra se subrogasse censetur）という格言により代位者は債権者が権利を行いたる後にあらざればその代位権を行うことを得ざるものとせる。例多しといえどもいやしくも代位をもって正当と認めたる以上は一部弁済の場合においても一部の代位ありとするを妥当とす。けだし債権者は普通の場合においては一部弁済は真の履行にあらざるが故にこれを拒むことを得べく又これを拒まざる場合においてもその代位を拒むことを得べく又たとえ全くこれを拒まざるも特約により債権者が権利を行いたる後にのみその代位権を行うべきことを約するも可なり。その法律上当然代位ある場合において保証人その他他人の為に義務を負う数名の債務者ある場合において債務が当然その間に分るるにより一部弁済を受けざるべからざるときは債権者をしてその担保の一部を失はしむるはいささか酷に失する嫌いなきにあらずといえどもしかもこの場合においては債権者は初めより連帯を約せしめその他１人にて全額を弁済すべきことを約せしめて可なり。かつたとえこれを約せしめざるも代位により担保の一部を失わざらんと欲せばまず他の担保権を行いしかる後保証人等に対して請求をなして可なり。これ本条においては断然一部弁済の場合には一部代位あるものとせる所以なり。例えば１０００円の債権に付き５００円の価格ある不動産を抵当とせる場合において代位者がその債権の半額５００円を弁済したりとせば抵当不動産の価額は債権者その全部を受くること能わずして代位者と各々その半額２５０円を分たざることを得ざるが如きこれなり。

　以上は債権者の権利が分割してこれを行うに適せる場合においては即ち可なりといえども分割してこれを行うに適せざるときは果たして如何すべきか。本条第２項はすなわちこれに答えていわくこの場合においては債権者のみその権利を行うことを得べし。しこうして代位者にはその弁済したる金額及びその利息を償還すべしと。しこうしてその適用は実際債務の不履行による契約の解除権のみにあるが故に本条第２項においては単にこの解除権に付いてのみ規定せり。例えば甲が代金１００００円にてその所有の不動産を乙に売却し乙はその代金支払いの担保として丙をその保証人としたるに後日乙その代価を支払わざるをもって甲は丙に対しその支払を請求し丙はその全額を支払うこと能わずして僅かにその半額５０００円を支払いたりとせんに甲はなお５０００円の支払を受くる権利ありといえどもその支払を請求せんよりはむしろ売買契約を解除して不動産を取戻すの利あるにしかずとしその解除権を行わんと欲せばその契約の全部に付きこれを解除することを得べし。ただ甲は先に丙より受取りたる５０００円に年五分の法定利息（４０４）を加えてこれを償還すべきものとす。

第５０３条　代位弁済に因りて全部の弁済を受けたる債権者は債権に関する証書及び其占有に在る担保物を代位者に交付することを要す

　債権の一部に付き代位弁済ありたる場合に於ては債権者は債権証書に其代位を記入し且代位者をして其占有に在る担保物の保存を監督せしむることを要す（財４８７）

　本条は代位弁済の場合において債権者が弁済者に対し負担するところの義務を定めたるものなり。けだし全部の弁済を受けたる債権者の為にはその債権に関する証書及びその占有にある担保物は既にその用なくしかも代位者の為にはその代位権を行うに付き最も必要なる物なり。故に本条第１項において債権者をして右の証書及び担保物を代位者に交付せしむることとせり。

　右は代位者が全部の弁済をなしたる場合においてはすなわち可なりといえどももし代位者が一部の弁済をなしたる場合においては債権者はその権利の残部を行うに付き依然その証書及び担保物を必要とするが故に敢えてこれを代位者に交付すること能わず。しかりといえども代位者もまたこれを利用することを得ずんばあるべからざるが故に本条第２項において債権者は債権証書即ち債権の存在を証明する主たる証書にその代位の旨を記入しかつ代位者をして債権者の占有にある担保物の保存を監督せしむべきものとせり。例えば債権者がその担保物の保存に付き注意を欠けるときは代位者は特に信用すべき保管者を定めこれをしてその保管をなさしめんことを請求することを得べし。

第５０４条　第５００条の規定に依りて代位を為すべき者ある場合に於て債権者が故意又は懈怠に因りて其担保を喪失又は減少したるときは代位を為すべき者は其喪失又は減少に因り償還を受くること能わざるに至りたる限度に於て其責を免る（財５１２，担３６，３項，４５，７２，９１，２項）

　本条は第５００条に規定せし法定代位者を保護する為設けたる規定なり。けだし旧民法及び外国の法律においては未だ本条の如き概括的規定を設けず。単に保証人又は連帯債務者に付いてのみ同様の規定を存せりといえども一旦法律において当然代位権ある者と定めたる弁済者はすなわち皆弁済をなすに付き正当の利益を有する者なるが故にその間に保護の厚薄あるは頗る了解し難きところなり。殊に本条の規定の如きは極めて公平なる規定にしてその適用を拡充するも敢えて不当の結果を生ずるのおそれなし。これ本条において他の例によらず。特に概括的規定を設けたる所以なり。請うこれよりその規定を説明せん。

第５００条に掲げたる者は法律上当然代位権ある者とせるが故に債権者たる者は自己の正当の利益を害せざる限りはその代位者の権利を全うせしめざるべからず。しかるに債権者にして故意又は懈怠によりてその担保を喪失又は減少したるときは代位者が弁済をなすにあたりその債権者の故意又は懈怠の為代位の利益の全部又は一部を失うべきが故にこの場合においてはその代位をなすべき者は担保の喪失又は減少よりついに償還を受くること能わざるに至りたる限度においてその責を免るべきものとせり。けだし債権者はその担保を放棄するも損のみありて利なく又その保存に注意すべきは自己の利益の為にも当然なるところなり。しかるに故意にその担保を放棄し又はその担保の保存に注意せざる為その全部又は一部を喪失するに至りたるときはこれによりて法律上代位権ある者を害することを得ざるものとするは実に至当といわざることを得ず。いわんや債権者は往々にして保証人その他法定代位者より弁済を受くること確実なるが為他の担保の必要を感せず為にあるいは故意にその担保を放棄しあるいは自らその担保の保存に注意せざるの弊あるにおいてをやこれを要するに本条の規定は普通の注意をなすところの債権者を害することなくして代位権者を保護する者なるが故に至当の規定といわざることを得ず。

本条はもとより公平を旨とするものなるが故にたとえ債権者に故意，懈怠等の責ありといえどもしかも代位権者に不当の利得をなさしむることを許さず。即ち債権者の故意又は懈怠の結果によりて代位権者が被るべき損害の限度においてのみその責を免るべきものとせり。例えば金１０００円の債権者が５００円の価ある抵当を有せし場合においてこれを放棄したりとせんに代位者はたとえその放棄なしとするも残額５００円に付いては到底損失を免れざるが故に債権者の放棄は５００円に付いてのみ代位者を害するものなり。故に代位者は５００円に付いてのみその義務を免れ残額５００円は債権者の請求に応じこれを支払わざることを得ず。又例えば抵当不動産が各５００円の価ある２棟の家屋なりとせんにもし債権者が不注意によりその１つを焼失したるときは代位者は同じく５００円に付いてその責を免れ残額５００円に付いては代位により残存せる家屋の抵当を得べきが故にその５００円に付いては債権者に対してその責を免るることを得ざるの類これなり。

　　　　　第２款　相殺

　相殺（Compensatio,compensation,Aufrechnung）とは２人互いに債権者となり又債務者となれる場合において各々その債権をもってその債務の弁済に充てもって双方の債権，債務を同時に消滅せしむるをいう。けだし当事者が任意の契約をもって相殺をなすはもとよりその随意にして為に第三者の権利を害せざることを要するのみ。例えば既にその債権を質入したる者がこれをもってその債務と相殺することを契約するもその契約はもとよりもって質権者に対抗することを得べからざるなり。この１条件をもって契約上の相殺は自由にこれをなすことを得るが故に特に法文に規定するところなし。その法律上当然相殺あるものとし又は当事者の一方の意思のみによりて相殺をなすことを得べきものとせんには特に法律の規定を要すべきのみ。本款は即ちこの場合に付いて規定を設けたるものなり。しこうして旧民法においては法律上当然に相殺あるものとせりといえども新民法においては当事者の一方の意思表示を要するものとせり。なおその詳細に至りては請う第５０６条に至りてこれを説かん。

　右いずれの主義を取るに拘わらず当事者の契約以外において殊に相殺を認むるは果たして如何なる理由によりてしかるがいわく相殺は実際に便利にしてかつその結果公平なればなり。何をもって実際に便利なりというか。甲より乙に弁済をなし又乙より甲に弁済をなし二重の煩労を取る代わりに弁済をなすことを止めてしかも二重の弁済をなしたると同一の効力あるものとするが故にその便利なることもとより言うを待たず。何をもってその結果公平なりというか。もし相殺なしとせば一方は速やかに履行をなさざることあり。為に誠実なる者は損し怠慢ある者もしくは狡猾なる者は益することなしとせず。これあに不公平といわざるべけんや。今相殺を認むればいずれも履行をなさずしてしかも双方同時に履行をなしたると同一の結果を得るが故に右の不公平を避くることを得るなり。故にその主義は一様ならずといえどもしかもローマ法以来各国皆相殺を認めざるはなし。

第５０５条　２人互に同種の目的を有する債務を負担する場合に於て双方の債務が弁済期に在るときは各債務者は其対当額に付き相殺に因りて其債務を免るることを得但債務の性質が之を許さざるときは此限に在らず

　前項の規定は当事者が反対の意思を表示したる場合には之を適用せず但其意思表示は之を以て善意の第三者に対抗することを得ず（財５１９，５２０）

　本条は相殺の条件を定めたるものなり。けだし相殺の条件もまた各国皆一様ならず旧法典また新法典と同じからずといえどもわれの信ずるところによれば本条に定むるところの条件は最もその当を得たるものというべきが如し。請うその条件を左に列挙せん。

第１　双方の目的の種類同一なることを要す。例えば何れも金銭をもってその目的とし又は何れも同質の米穀をもってその目的とするの類これなり。しこうして一方は金銭をもって目的とし一方は米穀をもって目的とし又は一方は土地をもって目的とし一方は労役をもって目的とする場合の如きは到底相殺を行うこと能わず。けだしこの場合において強いて相殺を行わんと欲すれば金銭を得べき者米穀を得，米穀を得べき者却って金銭を得。又は土地を得べき者労役を得，労役を得べき者却って土地を得ると同一の結果に至り相殺の目的たる双方の履行に均しき利益を得せしむるの趣意に反し法律が徒に当事者の法律関係に干渉し当事者をしてややもすれば意外の損失を被らしむるに至り頗る不当なればなり。

　旧法典その他外国の多数の例においては相殺すべき債権の目的は必ず代替物たることを要するものとせり。これけだし本条にいわゆる同種の目的たるに外ならざるべしといえども抑々代替物（res fungibiles,chosos fongibles,vertretbare Sachen）なる文字はその意義いささか不明なるところありて往々誤解を招き易きをもって新民法においては一切この文字を使用することを避けたり。しこうして多数の場合においては不特定物なる文字を用いたりといえども本条においては単に不特定物たるのみをもって足れりとせず。必ず同種の物たることを要するが故に特に同種の目的といえるなり。あるいはいわん甲の土地を目的とする債権と乙の土地を目的とする債権とは共に同種の目的を有するものにあらずや。しからばその間に相殺を行うことを得べきかといわくしからず普通の場合においては土地と土地とは同種のものなりといえども本条の場合においては主として当事者の意思を探求せざるべからざるが故に当事者の眼よりこれを見れば甲の土地と乙の土地とはこれを同種のものとせざることあたかも土地と米穀とにおけるが如し。故に本条にいわゆる「同種の目的」なる文字の意義は当事者の意思において甲乙いずれを得るも全く同一なりと認むることを要するものなり。故に債権の目的を指示するには米穀をもってするも当事者の意思にしてその米穀の額はむしろその価額を表明する標準となしたるに過ぎずとせば金銭をもって目的となすも一方は必ず金貨を得んと欲し他一方は必ず銀貨を得んと欲する場合においてはその間に相殺をなすことを得べからざるが如し。但しこれらはもとより例外の場合なるが故に当事者の意思最も分明なる場合にあらざれば敢えてこの如き決定をなすことを得ず。外国においては右の第一例は頗る頻繁なるをもって旧法典の如きは法律の明文をもって一般に相殺を許せり（財５２２）。

第２　双方の債権共に弁済期にあることを要す。しからずんば一方の意思により相手方の期限の利益を奪うの結果に至りその不当なること言うを待たざればなり。但し新民法においては相殺は当事者の一方よりこれを対抗するによりてその効力を生ずべきものとせるが故にこれを対抗する当事者において自己の利益たる期限を放棄しもって相殺を対抗することを得るはもとより論を待たざるところなり（１３６参看）。

第３　双方の債権の性質が相殺を許すことを要す。例えば甲乙２名の農民が互いにその田地の耕作を助力すべき目的をもって各々毎年若干日間の労力を供すべきことを約せる場合において（仮にその労力者を明定せざる場合とすべし。しからずんば債権が同種の目的を有するものとなすことを得ず。）もし相殺を行うときは全く契約の目的を達すること能わざるべし。又例えば両替屋に至り甲種の貨幣をもって乙種の貨幣と両替せんと欲するにあたりたとえ両替屋はその者に対して他の債権ありとするも敢えてその間に相殺をなすことを得ず。これその債権の性質が相殺を許さざるをもってなり。

第４　当事者が反対の意思を表示せざりしことを要す。けだし相殺は特に当事者の利益を慮りて設けたる制度なるが故にもし特別の理由ありて当事者がこれを欲せざるときは敢えてこれに強いうるの理由なし。例えば甲が乙に金銭を寄託しその入用の時いつにてもその全部又は一部の返還を求むることを得んが為特にこの債権は相殺の目的となすべからざることを約することあるべし。又あるいは一定の期日に一定の金額の入用あるをもって甲が乙よりこれを受くべき債権を有する場合において特にこれをもって相殺の目的となさざることを約することあり。これらの特約は皆公益を害せざるのみならず特別の理由ありて当事者に便利なる特約なるが故にその有効なることはもとより論を待たず。ただこの特約によりて第三者を害せざることを要す。しかるにもし第三者がこの特約を知らざるときはその債権をもって相殺の目的となすことを得るものと信じてその債権を譲受け又はこれを保証する等善意の第三者がその債権に付き利害の関係を有することあり。この場合においてはその特約はもって善意の第三者に対抗することを得ざるものとす。

第５　法律が特に相殺を禁ぜざることを要す。これもとより言うを待たざるところなりといえども後の第５０９条及び第５１０条においてその重要なる適用を見るをもって予めその条件を掲出せるなり。なお交互計算に関し商法に特別の規定あり。これまた相殺の制限即ち一部の禁止とみることを得べきか（商２９１ないし２９６）。

　旧民法その他外国の法律にはなお他の条件を必要とせる。例えばすくなからず殊に双方の債権の明確（liquide）なることを要するものとせり。この文字の意義は頗る不明にして学者往々その説を１つにせずといえども債務の条件付なることもしくは選択債務なること（われが説によればこれまた条件付債務なり〔２８頁をみよ〕等をもって明確ならざるものとせんがこれあるいは弁済期の未だ至らざるものあるいは同種の目的を有するものといい難きものにして自ら他の条件に合わざるものなり。もし又債権の成立に付き争いあるもの及び損害賠償の債権等をもって明確ならざるものとせんがこれ頗る理由なきところにしてたとえ当事者間にありては即時その債権の成立もしくは数額を確知すること能わずとするも一旦法廷においてこれを確定する以上はすこしも相殺をなすを妨げざるべし。しからずんば単に当事者の一方が相手方の権利を争うのみにより相殺を行うことを得ざるに至るべくもししからずとせば如何なる標準によりて成立又は数額に付き争いある債権中において明確なるものと不明確なるものとを区別することとせる以上はその当事者は自己に債権あることを主張しかつその債権の数額に付いても一定の主張額あるべく又相手方の債権に付いても同様なるべきが故にもし相手方がこれを争うときは勢い法廷を煩わさざることを得ず。面じて法廷の判決によりその債権が双方成立せりとせばその判決において認めたる数額に付き相殺ありたるものとみなさざることを得ず。これ本法において債権の明確なることをもって相殺の１条件となさざりし所以なり。

　双方の債権必ずしも同額なること能わず。故にその額を同じうせざるときはその寡額に付き相殺を行うことを得べし。　

第５０６条　相殺は当時者の一方より其相手方に対する意思表示に依りて之を為す但其意思表示には条件又は期限を附することを得ず

　前項の意思表示双方の債務が互に相殺を為すに適したる始に遡りて其効力を生ず（財５１９，５２０，５３１，５３２）

　本条は相殺を行う方法に付いて規定せり。これに付いては従来３主義あり。（第１）旧民法，フランス民法等の如く相殺は法律上当然行わるるものとするなり。（第２）ローマ法の如く法廷においてこれを対抗するにより始めて行わるるものとするあり。（第３）ドイツ民法の如く当事者の一方の意思表示によりて行わるるものとするあり。第１の主義は最も便利にしてかつ公平なりといえども往々にして当事者の意思に反することなきを安んぜず。第２の主義は最も正確にして誤なかるべしといえども必ずしも裁判所に訴えざることを得ざるが如きは頗る不便にしてかつ狡猾なる者，苛酷なる者は速やかに相殺の利益を受け循良なる者寛大なる者はややもすればその利益を受けずして頗る不公平の弊あり。第３の主義は専ら当事者の意思によるが故に極めて便利なるが如しといえども同じく狡猾者，苛酷者を利して循良者，寛大者に不利なるの弊あり。これを要するに右の３主義各々一利一害ありといえどもわれは立法論としては第１の主義を可とする者なり。しかりといえども新民法においてはついに第３の主義を採用することとなれり。これもとより第２の主義に勝ること万々なりいえどもわれは全然これに同意を表すること能わず。但し本条第２項及び第５０８条の規定あるをもって実際においてはほとんど第１の主義と同一の結果に帰し我邦の今日の程度においてはあるいは本条の主義を可とすべき理由なきにあらず。

　相殺の意思表示は必ず当事者の一方よりその相手方に対してこれをなすことを要す。けだしこの意思表示は当事者間の法律関係を変更するものなるが故に一方より他の一方に対しこれをなすべきは当然にしてほとんど言うを待たざるところなり。しこうして相手方数名ある場合においてはその各自に対してこれをなすべきを原則とす。

　右の意思表示は必ず単純なることを要し敢えてこれに条件又は期限を附することを得ず。けだし相殺は速やかに債務を消滅せしむる便法なるにもしこれに条件又は期限を附することを許せば当事者間の関係未だこれによりて確定せざるべく立法者が相殺を設けたる主意と背馳するものあるをもってなり。

　右の意思表示は必要方式なるが故に純理より言えば相殺の効力は意思表示の時より始めて生ずるものとせざることを得ず。しかりといえどもこの如くんば狡猾者は自己の利益を考えあるいは速やかに相殺を対抗しあるいは故意にこれを遅延すべくしこうして循良者の利益はややもすれば狡猾者の為に左右せらるるに至るべし。例えば甲の乙に対する債権には利息ありて乙の甲に対する債権には利息なき場合においては甲は努めて遅く相殺を対抗するに利あり。故に甲，狡猾者にして乙，循良者ならんが甲は乙より請求を受くるまでは敢えて相殺を対抗せず。もって利息を貪らんと謀るべく乙，狡猾者にして甲，循良者ならんが乙はその債権の弁済期の至るを待ち直ちに相殺を対抗しもって利息の負担を免れんと謀るべし。故に本条第２項において相殺の意思表示は双方の債務が相殺に必要なる条件を具備したる初めに遡りてその効力を生ずべきものとせり。例えば甲の乙に対する債権は明治３０年１月３１日をもってその期限とし乙の甲に対する債権は同年２月２８日をもってその期限とせりとせば同年３月１日において双方の債務が相殺をなすに適するをもってたとえ当事者の一方が相殺の意思表示をなしたるは同年３月３１日なりとするもなお同年３月１日より相殺ありたるものとみなすなり。

第５０７条　相殺は双方の債務の履行地が異なるときと雖も之を為すことを得但相殺を為す当事者は其相手方に対し之に因りて生じたる損害を賠償することを要す（財５２５）

　本条は双方の債務の履行地が異なる場合といえども為に相殺を妨げざることを定めたるものなり。けだし債務の履行地が異なるときはその利益自ら同一ならざるが故に厳格にこれを言えばあるいは全く同種の目的を有するものとなし難しといえども一般にこれを言えば単に履行地の異なるが為に当事者が受くべき便利は相殺によりて受くる利益に比して同日の論にあらざるが故に各国の法律大抵皆この場合においても相殺を許せり。但しその履行地の異なるが為多少当事者の利益を害することあるべきは明らかなるをもってこの場合において相殺を対抗する当事者はその相手方に対してこれによりて生じたる損害を賠償すべきものとせり。例えば甲は乙に対し東京において履行をなすべく乙は甲に対し大阪において履行をなすべきものとせんにもし甲が相殺を対抗せば乙はあたかも東京において受取るべきものを大阪において受取ると同一の結果を得べきが故に乙が更にその債権の目的を大阪より東京に輸送する費用をこれに償わざるべからず。なお金銭に付いては往々為替相場の相違により損害を受くることあるべし。この場合においてはもとよりその差額を賠償すべきものとす。又特別の場合においてはその他の損害を賠償すべきことあるべし。例えば前例において乙が東京にて受取りたる金銭を直ちに東京において他人に弁済すべきものとせんに甲が相殺を対抗したる為に乙は特に大阪より東京にその金銭を送致せざることを得ず。為に数日を遅延して他の債権者より違約金又は遅延利息を徴収せらるることなしとせず。この場合においては甲はその違約金又は遅延利息をも賠償せざることを得ざるが如し。

第５０８条　時効に因りて消滅したる債権が其消滅以前に相殺に適したる場合に於ては其債権者は相殺を為すことを得

　本条は時効によりて消滅したる債権をもって相殺の目的となすことを得るや否やを定めたるものなり。けだし理論よりこれを言えば既に消滅したる債権をもって他の債権と相殺せんと欲するもこれ到底なし得べからざるところなるが如しといえども本条においては実際の便利と公平とを考え特にこれをもって相殺の目的となすことを得るものとせり。例えば甲が乙に対し金１０００円の債権を有し乙もまた甲に対して同額の債権を有したりとせんに甲の債権は明治３０年１月３０日にその期限に至り乙の債権は同年１２月３１日にその期限に至りたりとせば明治３１年１月１日より双方の債務互いに相殺するに適せりといえども双方皆履行をもなさず。又相殺をもなさずして明治４０年２月に至りたりとせん。この時にあたりて乙より甲に対しその債権の履行を求むるときは乙の債権は未だ時効にかからざるをもって甲はもとより履行の責あるべし。しこうして甲の債権は既に期限到来の後１０年を経過せるをもって時効により消滅せり（１６７，１項）。故に本条の規定なくんば甲は相殺をもって乙に対抗することを得ず。又例えば甲乙の債権同時に弁済期に至りたりとするも甲の債権は１年の時効によりて消滅すべきものにして（１７４）乙の債権は１０年によりて消滅すべきものなるときは甲の債権が時効にかかりたる後乙よりその債権の請求をなすことを得る場合最も多かるべし。この場合においてもまた本条の規定なくんば甲は相殺をもって乙に対抗することを得ざるべし。この如くんば相殺はほとんど陥穽の如く狡猾者は往々にして自己の債務の時効にかかるを待ちその債権の請求をなしもって相手方をして相殺を対抗することを得ざらしむることあるべし。あに不公平といわざるべけんやこれ本条の規定ある所以なり。即ち本条の規定によれば相殺を対抗する当時にありては一方の債権既に消滅せるもその未だ消滅せざるに及び一旦相殺の条件を具備したるときはなお相殺を対抗することを得るものとせり。

第５０９条　債務が不法行為に因りて生じたるときは其債務者は相殺を以て債権者に対抗することを得ず（財５２６，１号）

　本条及び次条は相殺の一般の条件を具備するに拘わらず特別の理由によりて相殺を許さざる場合に付いて規定せり。しこうして本条は不法行為によりて生じたる債務に関せり。けだし債務が不法行為によりて生じたるときは債務者は速やかにその債務を履行し被害者をして毫末の損失を被むらざらしめんことを計らざるべからざる者なるにもしその債務者が被害者に対して債権あるを幸としこれをもって相殺をなさんと欲するも法律はこれを許さず。けだし相殺は特に当事者を保護せんが為に設けたるものなり。しかるに不法行為によりて債務を負う者はすこしも法律の保護を受くべき価値なきのみならず。債権者は相殺を頼みて不法行為を敢えてするのおそれあればなり。右は不法行為による債務者がその債権をもってその債務と相殺することを得ざることを言えるものにしてもし不法行為による債権者がその債務者より他の債権の履行を請求せらるるにあたりむしろ自己の債権をもってこれと相殺をなすを便利なりとするときはもとより相殺をなすことを妨げざるなり。しからずんば不法行為により債権者を保護せんが為設けたる本条の規定が却ってその者の為に不利益となるべければなり。

第５１０条　債権が差押を禁じたるものなるときは其債務者は相殺を以て債権者に対抗することを得ず（財５２６，３号）

　本条は差押を禁じたる債権に関せり。けだし差押を禁じたる債権はその履行が特に債権者に必須なるものなるをもってその差押を禁じたるものなり。しかるにこれと他の債権と相殺をなすことを得るものとせばこの種の債権を有する者は為に非常の困難を感じあたかもその債権を差押えられたると一般の苦境に陥るのおそれあり。これ法律の欲せざるところなり。故に本条においてその債務者は他の債権をもってこれと相殺をなさんと欲するも得べからざるものとせり。例えば法律上扶養を受くるの権利，労役者が受くべき報酬等の如きは（民訴６１８）差押を禁ずる範囲内においてはその債務者より他の債権をもってこれと相殺をなすことを得ざるなり。

　本条の債権もまた前条の債権に同じく債権者がその債務者より他の債権に付き請求を受くるにあたりこれを相殺をなすはもとより妨げざるところなり。けだしこの場合においてはその債権者は自己の債務の履行をなすよりも相殺によりて自己の債権を失うをもって却って便利なりとするものと認むべければなり。但し扶養を受くる権利は第９６３条の規定によりこれを処分することを得ざるものなるが故にこれをもって相殺をなすことを得ず。

第５１１条　支払の差押を受けたる第三債務者は其後に取得したる債権に依り相殺を以て差押債権者に対抗することを得ず（財５２８）

　本条は支払を差止られたる債務をもって相殺の目的となすることを得るや否やを定めたるものなり。けだし債権者が民事訴訟法の規定に従いその債務者の債権の支払を差止たるときは（民訴５９４以下）その債務者はその債権の弁済を受くる権利を失いその債権者これに代わりて弁済を受くる権利を有するが故にその債務者の債務者たる第三者は支払の差止ありたる後自己の債権者に対して取得したる債権あるもこれをもって自己の債務と相殺をなすことを得ざるはほとんど言うを待たざるところなり。ただその者が支払の差止を受くるの前既にその債権者に対して相殺し得べき債権を取得したるときは支払の差止ありたる後に至りてもなおこれをもって自己の債権と相殺をなすことを得べし。けだし支払の差止はその目的たる債権の当事者の従来の法律関係を変更するものにあらざればなり。

第５１２条　第４８８条乃至第４９１条の規定は相殺に之を準用す（財５３３）

　本条は弁済の充当に関する規定をもって相殺に準用せるものなり。けだし相殺は二重の弁済に均しき効力を生ずるものなるが故にこれに弁済に関する規定を準用することを得べきはもとより当然なり。しこうして相殺することを得べき債権が数多ある場合においては相殺によりてそのいずれを消滅せしむべきかを知るの必要あり。しこうしてこれに関し弁済の充当と異なりたる規定を設くるの理由なきが故に全く弁済の充当の規定をもってここに準用せり。即ち（第１）相殺の意思表示をなすものが数個の債務を負う場合においてはその相殺の意思表示をなすと同時にいずれの債務に付いて相殺をなすかを指定することを得べし（４８８，１項）。（第２）もしその者が自ら相殺すべき債務を指定せざるときは相手方は自己の便宜に従いそのいずれの債務にも充当することを得べし（同条２項）。（第３）もし双方共に右の指定をなさざりしときは第４８９条に従い相殺すべき債務を定むべきものとす。但し元本の外利息及び費用あるときはまず費用を消滅せしめ次に利息に及び最後に元本を消滅せしむべきものとす（４０１）。もし相殺を対抗するものが数多の債権を有する場合においてはいやしくもその債権が相殺の条件を具備する以上はそのいずれをもって相殺をなすも敢えて妨げなし。何となれば相殺はもともと当事者の一方の意思表示によりてのみこれを行うべきものなるが故にその者は甲の債権に付いては相殺の意思表示をなすも乙の債権に付いてはこれをなすことを欲せざることあるべし。故にこの場合においては直ちに第４８８条の文字を適用すべからず。すべからく弁済の意思表示の意味を決するは弁済者の意思によるべきと同じく相殺の意思表示の意味を決するもまたその表意者の意思によるべし。これ準用の準用たるところなり。しこうしてもしその者がいずれの債権をもって相殺をなすかを指定せざりしときは相手方において直ちにその充当をなすことを得べく（４８８，２項）もし相手方においてもその充当をなさざりしときはまた第４８９条を準用すべきものとす。かつ第４９１条の規定はこの場合においてもまたこれを準用すべきはもとより論を待たざるところなり。

　　　　　第３款　更改

　更改（Novatio,novation,Neuerung）とは旧債を消滅せしめ新債をもってこれに代わるをいう。ただその条件に至りては各国の法律一様ならず。新民法において取りたる主義は請う第５１３条を説くに至りてこれを論ぜん。

　本款は分かちて２段となす。第１は更改の条件。第２は更改の効力これなり。

　　　　　１　更改の条件

第５１３条　当事者が債務の要素を変更する契約を為したるときは其債務は更改因りて消滅す

　条件附債務を無条件債務とし，無条件債務に条件を附し又は条件を変更するは債務の要素を変更するものと看做す履行に代えて為替手形を発行する亦同じ（財４８９，４９０）

　更改の条件はローマ法以来各国の法律一様なることを得ずといえども本条においては債務の要素を変更する契約これを更改といえり。故に更改の要素は（第１）契約なること（第２）債務の要素を変更することこれなり。契約の何物たることは請う次章にこれを論ぜん。ただ特に方式を必要とせざるが故に他の契約と同じく如何なる方法をもってその意思を表示するも可なり。これいわゆる諾成契約（Contrat consensuel）なるものなり。しこうしてその契約なる結果として当事者皆これに同意することを要す。例えば債権者を変更して更改をなす場合においては（１）旧債権者（２）新債権者（３）債務者の意思の合致あることを要するが如きこれなり。

　債務の要素とは果たして何をいうか。これ多少の議論あることを免れざるべしといえども新民法の全般を通覧してその意義を求めばけだし一定の解釈を得べきのみ。即ち（第１）債権者（第２）債務者（第３）債務の目的これなり。他は皆債務の附随事項にしてその要素にあらず。従って更改の種類３を得べし。（１）債権者の交替による更改（２）債権者の交替による更改（３）債務の目的の変更による更改これなり。旧民法においてはこれに原因の変更による更改を加えたり。けだし物として原因なくして生ずるはあらざるが故に原因もまたその要素なりということを得ざるにあらずといえどもしかもその発生の方法如何に拘わらず既に生じたる債務が一定の債権者，債務者及び目的を有するときはその債務は厳然成立するものにしてまた原因を問うの要なきこと多し。もしそれ原因によりて債務の効力を変ずることあらばこれもとより附随の事項にしてあたかも債務に期限あり，担保あり，履行の場所あるが如し。故に新民法においては原因の変更をもって債務の要素の変更とせず。従ってこの場合には更改あることを認めず。更に一歩を進みて論ずれば１つの債務は一定の原因によりて生じたるものとすればこれ１つの詐欺といわずんばあるべからず。けだし一旦貸借によりて生じたる債務が後日売買より生じたるものと変ずることを得ざればなり。しこうして法律は貸借に関し一定の規定を設け又売買に関し他の一定の規定を設け中に往々命令的規定あり。これけだし公益上の理由により甲の契約を保護する規定と乙の契約を保護する規定と同一なること能わざるものと認めたればなり。しかるに今当事者の意思のみをもって貸借より生じたる債務をして売買より生じたるものと同一の効力を生ぜしめんと欲するも為に命令的規定を左右すること能わざるは炳焉として明かなり。もししからば債務の原因の変更によりて更改をなすことを得ざることもまた明かなり。もしそれ売買その他の契約によりて金銭その他の消費物を目的とする債務を負う者がその債権者と契約をなして更に貸借の名義をもってその債務を負担すべきことを約するは敢えて法律の禁ぜざるところなりといえどもこれ更改にあらずして消費貸借の一法なり。しこうして第５８８条にこれを規定せり。旧法典において原因の変更をもって更改の一法となしたるはけだし法律行為の原因をもってその要素とせるによれるがしかりといえども（第１）新民法においては原因をもって法律行為の要素とせざることは既に論じたるところなり（３訂１巻２０２頁以下）。（第２）法律行為の要素債務の要素とは大いに同じからざるものあるのみならずいわゆる法律行為の原因と債務の原因とはその名同じくしてその実全く異なれり。甲は当事者が法律行為をなすに至りたる理由即ち例えば売買において買主は代金を得んが為に売買の目的物に関する権利を買主に移転することを約し買主はその権利を取得せんが為に代金を支払うことを約するが如きこれなり。乙は債務発生の原因にして即ち多くの場合においては法律行為そのものなり。故に仮に甲をもって法律行為の要素とするも敢えて乙をもって債務の要素となすことを得ざるや多弁を待たずして明かなり。

　法律行為の要素と債務の要素と同じからざることは右に論じたるが如し。けだし法律行為の成立の為に当事者を要することはもとよりなりといえどもその当事者の某なることは概してその成立に必要ならざるをもってこれを要素とみざることはかつて論じたるところなり（３訂１巻２００頁以下）。これに反して債務の成立には必ず一定の債権者と債務者とを要し（法律行為には当事者１人なること稀なりとせず。例えば遺言，催告，通知等の如きこれなり）。もしこれを変更するときはまた同一の債務にあらず。故に債権はこれを譲渡すことを得ざるものなりといえる。学説は古来近世に至るまで人の争わざるところなりき。しかりといえども譲渡の場合においては新債権者は旧債権者の資格を承継ぎたる者なるが故に法律上これを同一人とみて可なり。その他の場合においては債権者を変更するときは旧債務は必ず消滅して１つの新債務必ず発生すべきものとす。これ法律行為の要素と債務の要素と同一なることを得ざる所以なり。

　更改と債権譲渡（Cession de creance,Uebertragung der Forderung）とは頗る似るところありてドイツ民法の如きは債権譲渡と債務引受（Schuldubernahame）とのみを認めて更改を認めず。しかれども当事者の意思は大いに同じからざるものあり。更改にありては当事者は前債務を消滅せしめて更に新たなる債務を生ぜしめんことを欲し債権譲渡及び債務引受にありては従来の債務をそのままにて譲受け又は引受くるものなるが故にその効力に至りてもまた全く異ならざることを得ず。甲にありては前債務の性質及びこれに附随せる権利義務皆ことごとく消滅するを本則としただ例外として第５１８条の規定を設けたるに過ぎず乙にありては従来の債務の性質及びこれに附随せる権利義務すこしも変更を受くることなく全く従来のままにて譲受人，引受人に移転すべし。しこうして債権譲渡に関しては既に前節の規定あり。債務引受は甚だ頻繁ならずしてその効力専ら当事者の契約によりて定まるべきものとするもすこしも支障なく又弊害の憂うべきものなきをもって特に明文を置かず契約一般の規定に従わしむるをもって足れりとせり。

　目的（Object Gegenstand）なる文字は法律行為に付いて論じたるが如く（３訂１巻１９９頁以下）少なくも２つの意義を有することを得べし。即ち甲は債務の包含物全体をいい乙は単に債務の履行より生ずべき利益のみをいえるなり。即ち甲の意義をもってすれば条件付債務にありては某の事実が発生したらんには債務者は某の権利を債権者に移転すべき義務を負う場合においては「某の事実が発生したらんには某の権利を移転すべし」ということこれ目的なり。乙の意義をもってせば単に「某の権利の移転」これなり。われは前に論じたるが如く（同上）甲の意義をもって正確なるものと信ずれども世の学者はこの説を取らず。皆乙の意義によれり。甚だしきに至りてはその権利の目的物を指して直ちに債務の目的なりといえり。故に「条件付債務を無条件債務とし無条件債務に条件を附し又は条件を変更する」が如きは敢えてこれを目的の変更とみず。従ってこの場合には更改なきものと認むる学説及び立法例最も多し。しかりといえども条件付債務は畢竟成立するに至るべきや否や未確定のものにしてこれを直ちに確定に成立すべき無条件債務となし又はその反対の契約を結び又は甲の事実発生すれば成立に至るべき債務を乙の事実発生するときは成立すべきものとするが如きは単に債権者，債務者を変更し又は１０００円の債務を１２００円の債務とし若しくは金１０００円の債務を同一の価ある不動産と変更するよりは一層激甚なる変更にしてこれをしも更改といわずんば右に述べたる各種の変更をも敢えて更改となすべきにあらず。故に新民法においてはこれを更改とせり。しこうして目的の意義に付き一般の学説はわれが説を容れざるをもって特に右の更改の場合を明言するにあらざれば往々疑義を招くべくことに旧民法その他多数の立法例においては皆これに更改なきものとせるが故に特に本条第２項の規定を設けたるなり。但しローマ法においてはこれをもって更改とせりといえどもこれと同時に期限の変更もまたこれを更改とせり。しかりといえども期限の同じからざるは単に履行の時期の異なるのみにして敢えて債務の要素に変更を来たさざるが故にこれをもって更改となすはいささか当らざるものあるが如し。故に新民法においてはこれを取らざりき。

　旧民法においては目的物の数量もしくは品質を変更するは更改にあらずとせりといえどもこれ明らかに目的物を変更するものにしてこれをして更改といわずんば目的の変更は皆更改にあらずとせざることを得ず。何とならば１０００円の債務を２０００円とし武蔵上米の債務を相模下米とするは往々にして土地を家屋とし金銭を米穀とするよりも大いなる利害を有することあるべければなり。但し数量の変更は往々にして旧債務に１つの新債務を加え又は原債務の一部の消滅を約するに過ぎざることあり。すべからく当事者の意思を探求してこれを決すべきものとす。

　債務者が債権者の為に１つの手形発行するは果たして更改なるや否やは従来学者間に議論あるところにして各国の法制また一様ならざるところなり。新民法においては為替手形を発行するは更改にして約束手形もしくは小切手を発行するはこれを更改とせず。これ他なし。為替手形は支払人をもって主たる債務者となさんと欲するものにして振出人は不履行の場合における償還請求を受くべき者に過ぎず。故にこの場合においては条件付をもって債務者の交替による更改をなしたりというも可なり。これに反して約束手形を発行する場合においては単に自己の義務あることを表明したる証書を発行するに過ぎずしてただその効力幾分か従来と異なるところありといえどもしかも全くその性質変ずるにあらず。従来の債権者依然債権者にして従来の債務者依然債務者なり。かつその目的も同一なりとせば到底これを更改と認むること能わず。もしそれ小切手はその性質甚だ為替手形に頗るところありといえども小切手は当事者の意思において金銭支払の方法としてこれを利用すること最も多きが故にこれを更改とせざるをもって当事者の意思に適し従って実際に便なるものとすべきのみ。これ第１の場合には更改ありとして第２，第３の場合には更改なきものとしたる所以なり。しこうしてこれに付いては明文なければ議論を惹起するのおそれあるをもって特に本条第２項末文の規定を設けたり。

第５１４条　債務者の交代に因る更改は債権者と新債務者との契約を以て為すことを得但債務者の意思に反して之を為すことを得ず（財４９６，４９７）

　本条は債務者の交替による更改に付いて規定せり。前条の原則よりこれを言えばこの場合においてもまた各当事者即ち（第１）債権者（第２）旧債務者（第３）新債務者の意思の合致あることを要すべし。しかりといえどもこれ実際に必要なきところなり。けだし一方においては債務の弁済は何人よりもこれをなすことを得べく（４７４）又一方においては免除は債権者の意思表示のみによりてこれをなすことを得べし（５１９）。故にいやしくも債権者と新債務者との間に意思の合致ある以上は敢えて旧債務者の意思を要せざるものとするも可なり。しこうして取引の便利上よりいうも債務は速やかに消滅するを貴うべく又旧債務者の利益よりいうもその債務を免るるは利のみありて害なきところなるが故に本条においては旧民法及び外国多数の例におけるが如く旧債務者の意思を要せざるものとせり。ただ弁済の場合におけるが如く（４７４，２項）旧債務者が反対の意思を表したるときはこれに拘わらず更改をなすことを許さず。これ外国に例あるを聞かざるところなりといえども弁済に付き同一の主義を取りたる理由により本条においてもまた右の但書を置けり。

第５１５条　債権者の交替に因る更改は確定日附ある証書を以てするに非ざれば之を以て第三者に対抗することを得ず（財５００）

　本条は債権者の交替による更改に規定せり。この更改は各当事者即ち（第１）旧債権者（第２）新債権者（第３）債務者の意思の合致あることを要することは既に論じたるが如し。ただこの更改により往々にして第三者を害するのおそれあり。例えば甲がその債権を乙に譲渡したる後更に丙をもって債権者となすべきことを約して更改を行いしかもその証書の日付を繰上げ債権の譲渡前に既に更改ありたるものの如く装うもその債権の譲受人その他の第三者はその詐欺たることを看破すること能わず。たとえこれを看破するもこれを証明すること能わず。為にその譲受人その他の第三者は甲丙の詐欺により不慮の損失を被るに至るべし。しこうして甲に対し損害の賠償を求むるももしこれに資力なくんばまた如何ともすること能わざるべし。本条はこの詐欺を防がんが為債権者の交替による更改は必ず確定日付ある証書をもってすべきものとししからずんばこれをもって第三者に対抗することを得ざるものとせり。確定日付の何物たることは既に第４６７条に付いて論じたるところにして確定日付ある証書を要するものとせば右に述べたるが如き詐欺を行うこと能わず。これ本条の規定ある所以なり。これを要するに債権者の交替による更改と債権の譲渡及び質入とは互いにその確定日付の先後により権利の甲乙を定むべきものとす。しこうして他の第三者は各々その権利の関係上よりあるいは更改における新債権者あるいは譲受人あるいは質権者と同一の保証を受くべきものとす。

　　　　　２　更改の効力

第５１６条　第４６８条第１項の規定は債権者の交替に因る更改に之を準用す（財４９５）

　本条は債権者の交替による更改の効力に付き規定せるものにしてこの場合には債権の譲渡に関する規定を準用せり。第４６８条によれば債務者が異議を留めずして債権の譲渡を承諾したるときはその譲渡人対抗し得べかりし事由あるもこれをもって譲受人に対抗することを得ざるものとせり。債権者の交替による更改の場合においても債務者が異議を留めずしてその更改を承諾したるときはその旧債権者に対抗し得べかりし事由あるもこれをもって新債権者に対抗することを得ず。その他第４６８条第１項は全くこれをこの場合に準用すべきものとす。けだし債権者の交替による更改と債権の譲渡とは当事者の意思において大いに径庭ありといえどもしかもその結果に至りてはほとんど同一なるが故にこれに同一の規定を適用するはもとより理の当然というべきのみ。

第５１７条　更改に因りて生じたる債務が不法の原因の為め又は当事者の知らざる事由に因りて成立せず又は取消されたるときは債務は消滅せず（財４９４）

　更改はもともと唯一の法律行為にして旧債務の消滅と新債務の発生とこれを区別し独立の２行為あるものとみるべからず。故に新債務発生せんが旧債務消滅すべく旧債務消滅せざらんが新債務また発生せざるべし。本条はすなわちその重もなる適用を示したるものなり。けだし新債務が成立せず又は取消されたるときはその債務は発生せず又は発生せざりしものの如くみなさざるが故に旧債務は消滅せざるものとせり。これその債務が不法の原因の為成立せざる場合においては絶対にしかるところなりといえどもその他の場合においてはいささか区別を要するものあり。他なし。更改の当時にありて当事者が既に不成立若しくは取消の原因あることを知りて更改をなすべきことを約したるときはあるいは純然たる更改にあらず。単に旧債務の消滅を約するものにしてただこれに法律上効力なき一種の約束を加えたるに過ぎざるものとみるべきか又は旧債務は取消さざるることなき性質のものなりしに特に取消し得べき債務をもってこれに代えんことを約したるものにしてその行為の効力は敢えて新債務の不成立又は取消によりて妨げらるることあるべからざるが故にこの場合においては旧債務は全く消滅すべきものとせざることを得ず。故に本条においては特に「当事者の知らざる事由によりて成立せず又は取消されたるときは云云」といえる所以なり。あるいは問わん新債務が不法の原因の為成立せざる場合においてはたとえ当事者がその原因を知れるも旧債務はなお消滅せざるものとしたる理由如何といわく新債務が不法の原因を有するときは更改はあたかも唯一の行為なるが故にその更改全部が不法の原因を有するものといわざることを得ず。例えば新債務が殺人をもってその目的とせるときは単にその債務のみが不法の目的を有するにあらずして（本条に不法の原因の為といえるは成立せずに対していえるものにして即ち不成立の原因なることをいえるなり。故に債務の目的の不法なるときは即ちその債務は不法の原因の為に成立せざるものなり）更改全部が不法の目的を有するものといわざることを得ず。故にその更改は無効なり。既にその更改にして無効なるときは更改の効果たる旧債務の消滅を生ずることあるべからざるなり。

右に述べたる理由により旧民法その他外国の法律において新債務が条件付なるときはその条件が成就するにあらざれば旧債務は消滅せざるものとせる例すくなからずといえどもこれ当事者の意思の解釈に属するものにしてもし当事者の意思真にこの如くんばもとよりこの意思に従うべしといえども単に当事者が新債務に条件を附したるのみによりこの意思あるものと推定することを得ず。もし当事者が無条件の旧債務に代わるに条件付の新債務をもってせんと欲したるときは旧債務は直ちに消滅するに拘わらず新債務は条件成就の時に始めて成立すべきのみ。但し更改によりて生ぜしめんと欲したる債務その物は条件成就の時に始めて発生すべしといえどもその以前において既に一種の債務を生ずることは既に論じたるが如し（３訂１巻３００頁以下）。故に更改の性質上旧債務の消滅と新債務の発生と必ず相伴うべきに拘わらず右の場合において有効なる更改あるものとす。

第５１８条　更改の当事者は旧債務の目的の限度に於て其債務の担保に供したる質権又は抵当権を新債務に移すことを得但第三者が之を供したる場合に於ては其承諾を得ることを要す（財５０３）

　更改は旧債務を消滅せしめて新債務を発生せしむるものなることは既に履々論じたるところなり。しかるに債務の担保なるものはその債務が消滅するときはこれと共に必ず消滅すべき従たるものにしてその債務が消滅したるに拘わらず残存して他の債務の担保たることを得るものにあらず。故に純理よりこれを言えば旧債務の担保は更改によりて皆必ず消滅せざることを得ず。しこうして対人担保たる保証，債務の性質によりて存する留置権，先取特権等は皆この原則に従いて消滅すべきものにして当事者の意思によりてこれを新債務に移すことを得ず。但し保証は保証人これを承諾する以上は新債務に付いても存すべきこともとよりなりといえどもこれ同一の保証にあらず。旧債務を保証したる者が更に新債務をも保証するに過ぎずこれに反して質及び抵当は例外として旧債務よりこれを新債務に移すことを得るものとせり。これもとより厳格なる理論には適せずといえども立法者は実際の便宜を考えこれを許したるなり。けだし旧債務は更改なしとせば依然存すべきものにして当事者は多くは更改によりて同一の利益を得んと欲し足るものなり。しかるに旧債務の担保たる質及び抵当は更改によりて必ず消滅すべきものとせば新債務は旧債務同一の利益を与えざることとなり大いに当事者の希望に副わざるものあるべし。殊に更改の性質は債権の譲渡に類するものあり。従って国によりては債権の譲渡のみを認めて更改を認めざる例さえあるほどなり。しかるに債権譲渡の場合においては担保もまた従いて譲受人に移るべきはもとよりなるが故にその性質これに類似せる更改にありてもまた同一の効力を生ずるものとするも可なり。あるいはいわん保証の場合におけるが如く新債務に付き旧債務の担保たる質又は抵当と同一のものを設定することを得べしと。しかれどもこれ決して同一の効力を生ずるものにあらず。けだし同一の目的物が数個の質又は抵当の目的たること稀なりとせず。しかるに旧債務の質又は抵当は第一順位にあるももし更改の時にあたり更に新債務を担保する為質権又は抵当権を設定するときは往々にして他の質権者若しくは抵当権者の権利よりも劣等なる権利を得るに至るべきことあり。これ本条において特に旧債務の質権又は抵当権をもって直ちに新債務に移すことを得るものとしたる所以なり。しこうして通常の場合においては更改の当事者即ち債務者の交替による更改にありては債権者と新債務者と，債権者の交替による更改にありては新旧債権者と債務者と，目的の変更による更改にありては債権者と債務者との意思をもって随意にこれを定むることを得るといえども唯り第三者が質又は抵当を供したる場合においてはその第三者は元来旧債務に付いてその財産を担保に供することを承諾したるも未だ新債務に付いてこれを承諾したるものにあらざるが故にこれを新債務に移さんと欲せば特にその第三者の承諾を得ることを要するはもとより論を待たざるところなり。

　　　　　第４款　免除

　免除（Remise de dette Erlass）とは債権者がその債権を放棄するをいう。しこうしてその免除は有償なることあり。無償なることあり。有償なるときは往々にして他の法律行為を構成すべし。例えば更改，和解等これなり。しかりといえども新民法においては法律行為に原因を必要とせざるが故にたとえ実際は有償の免除なるも報償たるべき行為と免除その物と各々別個の行為としてこれをみることを得べくしこうしてこの場合においては当事者の意思はしばらく置き法律の眼よりこれを観れば免除はなお無償なりといわざることを得ず。その他純然たる無償免除あり。債権者が特にその債務者に恩恵を施さんと欲する場合即ちこれなり。

　免除は旧法典その他外国の法律においては皆債務者の承諾を要するものとしこれをもって常に１つの契約たるべきものとせり。故に旧民法の如きは特にこれを合意上の免除といえり。これけだし債務の免除は直接に債務者に利益を与うるものなるが故にその承諾なくしてこれを強うるは穏当ならずとせるが故なり。しかりといえども利益は何人といえどもこれを放棄することを得べきは法家の格言にして特に言うことを待たざるものとして新民法にはこれを掲げざりしなり。ただ第１３６条第２項の如きは但書の規定を要するが為に特にこれを掲げたるなり。故に物権は皆権利者１人の意思をもってこれを放棄することを得るは古来人の争わざるところ又各国の法律の皆認むるところなり。又債務に関しても期限の利益の如きはいやしくも債権者のみの為に存するものなるときはその１個の意思によりてこれを放棄することを得べきはまた人の争わざるところにして第１３６条第２項の明らかに認むるところなり。もししからば債権もまた１つの権利なるに物権はこれを放棄することを得るも債権はこれを放棄することを得ずというは頗る不権衡たるを免れず。論者道うことを休めよ。債権の放棄は直接に債務者を利するものなりと地上権，永小作権の放棄の如きは直接に所有者を利し，地役権の放棄の如きは直接に承役地の所有者を利するにあらずやしかも未だその所有者の承諾を要するものとする者あるを聞かず。殊に期限の利益は要するに債権より生ずる利益の一部に過ぎずこの一部は債権者の意思のみをもってこれを放棄することを得るにその全部はこれを放棄することを得ずというはまた権衡を得たるものにあらず。これ新民法においては従来の立法例及び学説を改めてここに債権者の意思のみをもって債務の免除をなすことを得るものとしたる所以なり。

第５１９条　債権者が債務者に対して債務を免除する意思を表示したるときは其債権は消滅す（財５０４，５０５，５０７）

　債務の免除は債権者の意思のみをもってこれをなすことを得ることは既に論じたるが如し。しかれどもこの意思は他の場合におけるが如くこれを表示することを要するはもちろんその表示は必ず債務者に対してこれをなすべきものとせり。これ他なし。免除はもって債務者の法律上の位置に変更を加うるものなり。故にこれに対して意思を表示するにあらざれば法律にいわゆる意思の表示となすに足らず。殊に実際においては債権者が債務者に対してその意思を表示せざる以上は未だその意思を決定せるにあらざること多きをもって特に本条の規定を設けたるなり。但し本条の意思表示も他の意思表示の証書を返還するが如き即ちこれなり。

　　　　　第５款　混同

　混同（Confusion,Vereinigung）とは併有することを得ざる両資格が同一人に帰するをいう。これ既に物権に付いてその例を見たるところなり（１７９）。しこうして債権に付いてこれを言えば債権者と債務者との資格が同一人に帰したることこれなり。例えば債権者が債務者に相続し又は債務者が債権者に相続しあるいは債務者が債権者の権利を譲受け（特定の債権を譲受くることは絶無希有のことなりといえども一括したる権利を譲受けその中に自己に対する債権をも包含せしむることは敢えて稀なりとせず）又は債権者が債務者の包括財産を譲受けたる場合の如きこれなり（包括財産は常に債務をも包含せることを記憶すべし）。この場合においては理論上よりこれを言えば債権は当然消滅すべきものにあらず。故に例えばその債権が質権目的たる場合においてその債権消滅して同時にその質権もまた消滅すべきものにあらざることはほとんど疑いを容れざるところなり。又一旦相続によりて得たる財産を一括して他人に譲渡すことあり。この場合においても債務者たりし相続人はその債務の消滅によりてその価格に相当する利益を受け債権者たりし相続人はその債権の消滅によりてその価格に相当する利益を失うものとすべからざることまた一般に認むるところなり。しかりといえども専らこの理論に拘泥するは実際の不便実に言うべからず。例えばその債務に抵当ある場合において混同ありたるに拘わらず債務は依然消滅せざるものとせばその抵当もまた依然存するものといわざることを得ず。又その債務に保証人ある場合においてもその保証人は依然その義務を免れざるものとなさざることを得ず。しかるに債権者兼債務者は自己に弁済をなすことあらざるべきをもってこの抵当及び保証は時効によりて消滅するの外永く消滅することなかるべし。この如くんば徒に不要の抵当若しくは保証を存せしめ意外の時において債権の行使に遭い不慮の損失を被る者を生ずるに至るべし。例えばその債権者兼債務者がその債権を他人に譲渡したる場合の如き即ちこれなり。故に便宜上法律の力をもってその債権者兼債務者は混同あると同時に直ちに弁済をなしたるものとみなしその債権を消滅せしむること各国の法律の大抵皆同じきところなり。但しその説明に至りては必ずしも上述の理由をもってせずといえどもわれは右に述べたるところをもって最も正確なるものなりと信ず（４３８参看）。

第５２０条　債権及び債務が同一人にしたるときは其債権は消滅す但其債権が第三者の権利の目的たるときは此限に在らず（財５３４）

　本条は即ち右に論じたる主義を明らかにしたるものなり。しこうして混同による債権の消滅は債権者兼債務者が自己に弁済したるものとみなしたるものなるが故にこれをもって第三者の権利を害することを得ざるは敢えて論を待たざるところなり。即ちその債権が第三者の権利の目的たるときは混同あるも為に消滅せざるものとせり。例えばその債権が第三者の為に質権の目的たる場合の如き即ちこれなり。但し質権設定者が同時に債務者たる場合においてはその質債権の債権者としても債務者としても皆弁済の義務あるものにして実際この２資格の間に区別を立つること能わざるをもって本条但書の規定を適用すること能わず。故に第三者よりその質権を設定したることを仮想すべし。又右と同一の理由により債権が第３０４条の規定により先取特権の目的たる場合においてもまた本条但書の適用なきものとす。

　相続財産を一括してこれを他人に譲渡したる場合においてその中に存する債権，債務は混同によりて消滅せざるものとすること古来一般に認むるところにして外国の法律においては往々これを明言せりといえども本条にはその規定を設けず。これ他なし。相続財産の譲渡の如きは当事者の意思を解釈してその効力を定むべきものなるが故にたとえその債権債務は混同によりて消滅したりとするも当事者の意思解釈によりてあたかもその債権債務が消滅せざりしと同一の利益を与うべきものとすることを得べければなり。即ちこの場合においても法理上より言えば債権債務は本条の規定により消滅せざりしといえども当事者の意思解釈によりいやしくも当事者が相続財産を一括してこれを譲渡すという以上は混同によりて消滅したる債権の価額は譲渡人よりこれを償うべく又混同によりて消滅したる債務の価額は譲受人よりこれを償うべきものとすべきのみ。但し当事者の意思がこれに反する場合においてはもとよりその意思に従うべきものにしてこの場合においては本条の規定は全然その適用を受くべきものなり。

　　　　　第２章　契約

　契約なる文字は通例ラテン語の「コントラクトゥス」（Contractus）フランス語の「コントラー」（Contrat）ドイツ語の「フェルトラグ」（Vertrag）を訳していえるものなり。これらの文字はローマ法以来主として債務を創生する意思の合致を指ししも近世に至り当事者の意思のみによりて物権の設定，移転をもなすことを得るものとせる。例多きにより自ら契約の意義を拡充しおよそ権利の創生を目的とする意思の合致は皆これを契約とし（われの信ずるところによれば物権の設定，移転を目的とする契約もまた必ず債務を生ずるものなり）しかのみならず近世の法律においては権利の創生を目的とする契約と他の意思の合致との間に規定の異なるなきをもって学者中「コントラー」をもって一切の意思の合致を意味するものとする者あり。イタリア民法の如きは明らかにこの意義をもって「コントラット」（Contratto）なる文字を用いたり。しかりといえども語源よりこれを言えば債務の創生を目的とせざる意思の合致はフランス語の「コンヴンション」（Convention 旧民法に合意といえるもの）なる総称を用うるを可とすべきがドイツの如きはつとに「フエルトラグ」なる文字をもって一切の意思の合致を意味するものとせり。我邦においては従来右様の区別なく又今日にあたりてその区別を設くる必要なきが故に契約なる文字をもって一切の意思の合致を意味するものとし本章にこれを規定せり。けだし従来使用せしところの合意なる文字は真の熟語というべきや甚だ疑わしきのみならず２人の意思が偶然符合するもまた合意というべきが如く又約束，約定なる文字は極めて穏当なる文字なりといえども従来俗語としてこれを用うること多く法律上の効力を生ぜざるものにもまたこの語を用うるを常とするが故に新民法においては少々厳格なる意義を有する契約の文字を選びたり。

　これを要するに新民法において契約とは法律上の効力を生ぜしむるを目的とする２人以上の意思の合致これなり。例えば売買，贈与，期限の許与，弁済，更改等これなり。

　契約法律行為中の最も重なるものなることは敢えて喋々を待たず。故に本章においてはただ契約に特別なる規定のみを掲げ他は総て法律行為に関する一般の規定によるべきものとせり。

　本章は分ちてこれを１４節とす。その第１節は一切の契約に通ずる総則を掲げ第２節以下は贈与，売買，交換，消費貸借，使用貸借，賃貸借，雇用，請負，委任，寄託，組合，終身定期金及び和解の各種の契約に関し特別の規定を設けたるものなり。

　　　　　第１節　総則

　本節は分ちてこれを３款とし第１款においては契約の成立に関する一般の規定を掲げ第２款においては契約の効力に関する通則を定め第３款においては契約の解除に付き普通の原則を設けたり。

　　　　　第１款　契約の成立

　本款においては契約の成立に関する一般の規定の外特に広告によりて生ずる義務を規定せり（５２９ないし５３２）。

第５２１条　承諾の期間を定めて為したる契約の申込は之を取消すことを得ず

　申込者が前項の期間内に承諾の通知を受けざるときは申込は其効力を失う（財３０８，２項，３項，旧商２９３，２９７，新商２６９，２７０，１項）

　契約は２人以上の意思の合致なるが故に必ず何人かこれを発議し他人がこれを承諾するによりて成立すべきはもとよりなり。甲を申込（Offre,Autrag）といい乙を承諾（Acceptation,Annahme）という。契約の当事者は往々にして２人より多きことあり。殊に組合においてしかりとす。しかりといえどもその中の１人又は数人が申込をなして他の者が承諾をなすこと当事者の２人なる場合と異なることなき故に本条以下必要なき限りは常に当事者を２人として論ずべし。けだし当事者が３人以上なる場合においてはただ２人の意思の合致あるももし他の当事者が承諾をなさざるときは契約成立せざるを常とす。しかりといえどもこれ畢竟当事者の意思の解釈に属するものにしてもし当事者の意にして他の者が承諾をなさざるときは２人のみにて契約を成立せしめんと欲しくること明らかなる場合においてはもとよりその意思に従うべきものとす。

　申込と承諾とは共に１つの意思表示にして特別の規定なき限りはこれに意思表示の通則を適用すべきはもとより論を待たざるところなり（９３ないし９８）。殊に両者ともに同一の目的を有するものなるが故にこれを区別する必要なきを常とす。しかりといえども申込のみにては未だ契約の成立を見ざるにもし承諾のこれに加わるあるときは契約直ちに成立すべきをもって自らその性質に同じからざるところあり。従って法律の規定もまた異なるところなくんばあるべからず。本条はすなわち申込に付いて規定せるものなり。けだし申込はその性質上単独に成立することを得ざるものにして必ず承諾に逢いて始めて完全の１行為をなし現にいわゆる契約の成立を来たすべきものなるをもって理論上よりこれを言えば申込は未だ承諾に逢わざる間は全く覊束力なきものにして申込者は何時にてもこれを取消すことを得るものといわずんばあるべからず。しこうして特別の明文なき以上は必ずこの理論に従うべきことはわれが疑わざるところなり。しかりといえども被申込者が申込を受けたる後承諾をなすに至るまでには往々にして特別の調査をなし又は一定の準備をなすことを要することあり。しかのみならずもし同時に２人以上の同種の申込を受けたるときはその１つを承諾する為他の１つに対しては承諾をなさざることあり。しかるに突然申込の取消に遭わば被申込者は意外の損失を被ること稀なりとせざるべし。この如きは取引の頻繁なる今日にありては不便最も甚だしきところにして殊に商業界にありては到底その不便に堪えざるべし。これにおいてが申込者は一定の期間を定めその期間内に承諾をなすべき旨を附言して申込をなすこと稀なりとせず。この場合においてはたとえ申込者はこれを明言せざるもその意味たるや期間内はその申込を取消さざることを約するものとせざれば前に述べたる弊害あるべきをもって本条第１項においてはその趣意を明らかにせり。

　申込もまた１つの意思表示なり。しかるに意思表示の通則として隔地者に対する意思表示は到達の時よりその効力を生ずるものとせり（９７）。故に申込に関し反対の規定なき以上は申込もまた到達の時よりその効力を生ずべきこともとよりなり。従って申込の到達前にその取消が到達したる時はその取消の有効なることけだし言うを待たざるところなり。

しかりといえども申込者が期間を定むるは被申込者の利益の為にのみこれを定むるものとなすべからず。むしろ自己の利益の為にこれを定めたるものとみなさざることを得ず。その意にいわく何時もし承諾をなさば必ず若干日以内にこれをなすべくもし後れて承諾をなすもその承諾無効たるべしと。即ちその申込は期間内のみ効力を有するものにして期間を過ぐれば当然その効力を失うべきものとせしなり。しこうしてこれ申込者の便利の為に定めたるところなるが故に被申込者が単に承諾の通知を発するも未だ可なり。必ずその通知が申込者に到達することを要す。しからずんば期間後は一切覊束を免れんと欲したる申込者が期間後既に覊束を免れたりと信ぜし時に至りて始めて承諾の通知を受け為に意外の結果を生ずるに至るのおそれあればなり。けだしこれ意思表示の通則よりこれを言えば第９７条においては受信主義を採用せるが故に当然言うを待たざるが如しといえども後の５２６条においては契約の承諾に付き特に発信主義を採用せるが故に本条においては申込者が期間内に承諾の通知を受くべきことを明言するの必要あるなり。但し本条の規定は必ずしも隔地者間の契約にのみ適用すべきものにあらざることはもとより言うを待たざるところなり。

　以上述ぶるところは特別の意思表示なき場合においてのみ適用すべきところにしてもし申込者が期間を定むるに拘わらずその期間内においてもなお申込を取消すことあるべき旨を附言し又はその期間後に承諾の通知を受くるもいやしくも申込者において明らかにその申込を取消さざる以上はその承諾なお有効なるべきことを予告し又は被申込者が期間内に承諾の通知を発すればたとえその到着は期間後にあるもなお承諾の効あるものと定めたるときは皆その意思に従うべきものとす。これけだし公の秩序を害せざるものなるをもって第９１条の適用により自ら明かなるところなり。

第５２２条　承諾の通知が前条の期間後に到達したるも通常の場合に於ては其期間内に到達すべかりし時に発送したるものなることを知り得べきときは申込者は遅滞なく相手方に対して其延着の通知を発したるときは此限に在らず

　申込者が前項の通知を怠りたるときは承諾の通知は延着せざりしものと看做す（財３０８，６項，旧商２９９）

　本条は前条の規定の適用に対し１つの例外を設けもって被申込者を保護せり。他なし。被申込者の承諾の通知を発したる後果たしてその通知が期間内に申込者に到達したるや否やを知ること能わず。しかりといえども電信，郵便，使者等自ら一定の時期間に相手方に到達すべき普通の標準あり。故にその標準によりて承諾の通知を発しもってその通知が適当の時期に相手方に到達したるものと信じその契約の履行の為相当の準備をなすを常とす。しかるに意外の故障によりその通知が延着したる場合においては前条の規定により承諾の効なきはもちろんなりといえどもしかも申込者はその通知を度外に置くこと能わず。必ず遅滞なくその延着の通知を相手方に発することを要するものとせり。これけだし申込者に取りては極めて容易なる手続きにしてしかも相手方の為には極めて有益なるべきをもって特にこの義務を申込者に負わしめたるなり。但し（第１）申込者が承諾の通知を受けたる時にあたりて書面の日付等により通常の場合ならんには必ず期間内に到達せしならんと想像することを得べき場合に限る。（第２）もし申込者が未だ承諾の通知を受けざるに及び予め相手方がその期間を空過せしにより申込その効を失いたることを通知したるときは承諾の通知を受けたる後更にその延着の旨を通知することを要せざるは同より論を待たざるところなり。（第３）申込者がなすべき通知は意思表示の通則に従い相手方に到達することを要せず。ただこれを発送すれば足れり。けだし申込者にして既にその通知を発送する以上は過失なき者なるが故にまたこれに責任を負わしむべき理由なければなり。

　申込者が右の通知をなすことを怠りたるときは法律上の義務をつくさざる者なるが故にもしこれによりて相手方に損害を生ずるときは不法行為の一般の規定により（７０９）その賠償をなすべきはもとよりなりといえども損害賠償の不確実なることは既にしばしば論じたるところなり。故に本条においては賠償に代わるに１つの便法をもってせり。他なし。この場合においては承諾の通知が延着したるに拘わらずあたかも延着せざりしものの如く契約をして成立に至らしむるにあり。けだし申込者が義務を怠りたるによりて相手方が被るべき損害は要するに正に成立せりと信ぜし契約が成立に至らずしかも申込者よりその通知なきをもって契約の履行の準備をなし甚だしきに至りては既にその履行に着手せるによりて生ずべければなり。

第５２３条　遅延したる承諾は申込者にて之を新なる申込と看做すことを得（新商２７０，２項）

　第５２１条によれば申込者が期間を定めて申込をなしたる場合においてはその承諾の通知が期間内に到達したるにあらざれば契約は成立することを得ざること明かなり。しかりといえども申込者は往々にして期間の経過後なお前の意思を変ぜざることあり。この場合においては延着したる承諾をもって直ちに有効なるものとしもって契約成立せりということを得ずといえどもしかも申込者においてこれを新たなる申込とみなしこれに対して自己の承諾を与えもって契約して成立するに至らしむることを得ばその申込者の為に便利なることはもちろん相手方もまた既に承諾の通知をなしたるほどなるをもってもとよりその契約の成立を希望せしこと明かなり。故に本条の規定は双方の為に便利のみありて些細の弊害なきものとす。但し遅延したる承諾は元来無効たるべきものなるをもって当然申込の効力を有するものとせず。ただ申込者においてこれを新たなる申込とみなすことを得るものとせしなり。

第５２４条　承諾の期間を定めずして隔地者に為したる申込は申込者が承諾の通知を受くるに相当なる期間之を取消すことを得ず（財３０８，１項，旧商２９７，新商２７０，１項）

　前３条は皆申込者が承諾の期間を定めたる場合を仮想せりといえども本条においては申込者がその期間を定めざりし場合を仮想せり。この場合においては対話者間にありては特別の規定なきをもって申込の当然の性質により承諾に曽わば直ちに契約の成立を来たすべきこと及び相手方が承諾をなすまでは何時にてもこれを取消すことを得べきことはもとより明らかなるところなり。ただ隔地者に対して申込をなしたる場合においてはその申込者は承諾の通知を受くるに相当なる期間これを取消すことを得ざるものとせり。これけだし対話者間にありては直ちにその意思を相手方に知らしむることを得るをもって特別の規定を要せずといえども隔地者間においては直ちにその意思を知らしむること能わざるをもって第５２１条に付いて述べたるが如き不便あることを免れず。故に本条の規定を設けもって被申込者をして意外の損失を被ることなからしめたり。但しこれまた反対の意思表示を許すものなることはもとより論を待たざるところなり。例えば申込者は申込をなすと同時にこの申込は何時これを取消すか測られざる旨を附言したるときはもとより承諾の通知を受くるに必要なる期間を待つことを要せず。その申込を取消すことを得べきのみ。

　「承諾の通知を受くるに相当なる期間」とはただに承諾の通知を受くるに必要なる期間をいうにあらず。必ず多少の勘考をなすべき時間を加うべきものとす。例えば東京より大阪に電報を発して申込をなしたりとせんにその電報は通常１時間の後に相手方に到達すべくしこうして相手方直ちに返信を発したりとせばまた１時間にして申込者に到達すべく従って２時間を要するのみなりといえども大阪の被申込者は申込の電報を受けたる後多少勘考をなすべきが故にその契約の性質によりあるいは半日あるいは１日の猶予を与えざるべからず。又書簡をもって右の申込をなしたりとせば書簡は通常１日の後に相手方に到達すべくしこうして相手方直ちに答書を発したりとせばまた１日にして申込者に到達すべし。故に２日間を要するのみなりといえども大阪の被申込者は多少勘考をなす為なお半日若しくは１日の猶予を得べきが如き即ちこれなり。

第５２５条　第９７条第２項の規定は申込者が反対の意思を表示し又は其相手方死亡若くは能力喪失の事実を知りたる場合には之を適用せず（財３０８，５項）

　第９７条第２項によれば表意者がその意思の通知を発したる後に死亡し若しくは能力を失うもその意思表示はこれが為にその効力を妨げらるることなきものとせり。この規定は原則としてはこれを申込に適用すべしといえども本条においては２つの例外の場合を認めたり。（第１）申込者が反対の意思を表示したるとき例えば申込者が病人にしてその命旦夕に迫れることを知れる場合においてもし相手方が承諾をなさざるの前死亡せば契約はまた成立せざるべきことを附言し又は申込者がややもすれば心神を喪失するをもって既に禁治産の宣告を請求せる場合においてはもし自己が禁治産者とならば後見人をしてその契約を履行せしめざることを得ざるを慮りこの場合にはむしろ契約の成立なきものとするを便利としその旨を附言せしときは相手方が承諾をなさざる前既に禁治産の宣告ありたりとせんにその申込は効力を失うべきものとす。（第２）もし相手方が承諾をなさざる前既に申込者が死亡し若しくは能力を失いたることを知れる場合においてはまたその申込の効なきものとす。しこうして実際においては相続人若しくは後見人より死亡若しくは能力喪失の事実を通知しもって契約の成立を妨ぐることを得べし。

第５２６条　隔地者間の契約は承諾の通知を発したる時に成立す

　申込者の意思表示又は取引上の慣習に依り承諾の通知を必要とせざる場合に於ては契約は承諾の意思表示と認むべき事実ありたる時に成立す（財３０７，２項，３０８，旧商２９２，２９４，２９５，２９８）

　本条は契約の承諾に付き意思表示の通則たる受信主義を採用せずして特に発信主義を採用したる旨を規定したるものなり。けだし発信主義，受信主義の利害得失に付いては第９７条において既にこれを論じたり（３訂１巻２１８頁以下）。故に再びここに贅せずといえども契約の承諾に付いては取引の迅速を貴う為特に発信主義を取るの必要ありとして本条の規定を設けたるなり。けだし受信主義によるときは承諾者がその承諾の通知を発したるも果たして相手方に到達したるや否やこれを確知すること能わざるのみならずたとえ相手方に到達したりとするもそのいずれの時に到達したるかを知ること能わず。従って契約はいずれの時に成立せしかを知るべからず。しこうして契約成立前に前条の事実が発生したるときは契約はついに成立するに至らざることあるべく又契約成立の時期により期間の計算，利息の計算等に影響を及ぼすのみならず。もし承諾の通知が相手方に到達せずとせば契約は成立せざるべきをもって承諾者の位置の不確定なることもとよりにして取引上すくなからざる不便あることは実に喋々を待たざるところなり。故に実業家の多数は皆発信主義の採用せられんことを希望せり。

　第５２１条によれば申込者が承諾の期間を定めて申込をなしたるときはその期間内に承諾の通知を受くるにあらざれば契約は成立せざるものとせり。これ果たしてこの場合に限り契約の承諾に付いても受信主義を採用したるものとみるべきかいわく否この場合においては契約の成立の為には承諾の通知の期間内に到達することを必要とするといえどもその通知が一旦到達したる以上は契約は本条の規定により承諾の通知を発したる時より成立したるものとす。これ第５２１条と本条とをこの照らしてこれを解釈するときは敢えて疑いを容れざるところなり。

　本条の規定によれば隔地者間の契約はまず甲より乙に対し申込をなし乙がその申込を受けたる後これに対して承諾の通知を発するによりて成立するものとせること明かなり。故に双方同時に同一の契約に付き申込をなしたる場合においては契約は右の申込の中，後に発したるものによりて成立するものとなすことを得ず。但し契約に必要なる意思の合致をもって単に当事者双方の意思が偶然吻合したるのみをもって足れりとすべきかまた一方の意思表示に対する他の一方の意思表示あることを必要とすべきかは従来学者間に議論あるところにして両説共に理由なきにあらずといえども本条の規定により契約は申込に対する承諾の通知を発したるときに成立するものとせるが故に即ち一方の意思表示に対する他の一方の意思表示を要するものとしたること明らかにして単に同一の契約の申込を行違いにて双方より発したるも未だ契約成立せりとなすことを得ず。この場合においてはその申込を受けたる一方において承諾の通知を発するによりここに始めて契約成立するものとすべし。しこうして双方共に承諾の通知を発したるときはその先に発したる承諾の通知と同時に契約成立するものとす。

　隔地者間においても申込者の特別の意思表示により承諾は必ずこれを申込者に通知することを要するものとせざることあり。殊に商業上においては慣習上これを必要とせざること多きが如し。これらの場合においては契約は果たしていずれの時に成立すべきか本条第２項はこれに答えていわく「契約は承諾の意思表示と認むべき事実ありたる時に成立す」べしと。例えば被申込者が契約の履行に着手しあるいは商品又は代金を申込者に発送しあるいは契約の目的物の製造に着手したる時に成立すべきが如し。

第５２７条　申込の取消の通知が承諾の通知を発したる後に到達したるも通常の場合に於ては其前に到達すべかりし時に発送したるものなることを知り得べきときは承諾者は遅滞なく申込者に対して其延着の通知を発することを要す

　承諾者が前項の通知を怠りたるときは契約は成立せざりしものと看做す（財３０８，１項，６項，旧商２９９）

　本条は第５２２条と同一の精神に出でたる規定にして第５２４条の場合においては申込は申込者が承諾の通知を受くるに相当なる期間の後は何時にてもこれを取消すことを得べし（第５２１条の場合においても特別の意思表示より本文の如きことあるべし）。しこうして承諾は前条の規定により発信の時直ちにその効力を生ずべきものなるをもってたとえ申込者が承諾の通知の発送前にその申込の取消をなしたる者なるが故にその取消が果たして承諾の通知の発送前に到着せしや否やを知らず。従って契約果たして成立せしや否やを知らざること多かるべし。しこうして通常取消の通知が承諾の通知の発送前に到達せしならんと信ずべき場合においては申込者はその取消の適当の時期に到達せしことを信じ従って契約の成立せざりしものと思えること多かるべきをもって本条にはこの場合において承諾者に負わしむるに遅滞なく取消の通知が延着せし旨を通知するの義務をもってせり。もし承諾者がこの義務を怠るときは取消はその効を生じたるものとし契約はついに成立せざりしものとみなすなり。その他第５２２条に付いて論ぜしところと同一なるが故に再びここに詳論せず。

第５２８条　承諾者が申込に条件を附し其他変更を加えて之を承諾したるときは其申込の拒絶と共に新なる申込を為したるものと看做す（旧商２９６）

　本条は承諾者が申込に条件を附しその他変更を加えてこれを承諾したる場合においてその承諾の性質如何を定めたるものなり。けだし真の承諾なるものは申込を変更せずしてこれに同意するのいにしてもし条件を附しその他変更を加うるときは真の承諾にあらず。即ち未だ意思の合致あらざるなり。しかりといえども承諾者はその条件その他の変更をもって申込者と契約をなすの意思を表示したる者なるが故に前の申込はすなわちこれを拒絶したるものとみなさざることを得ずといえどもその条件その他の変更を加えたる意思はすなわちこれを新たなる申込とみなさざることを得ず。従って先の申込者は更に承諾者の地位に立ちこの新たなる申込に対し承諾をなしもって契約を成立するに至らしむることを得べし。例えば甲が乙に対し金１０００円の代価をもって百石の米を売らんことを申込たるに乙はもし現に丙に対してなしたる米の買入の申込を丙において承諾せざるときは甲の申込を承諾すべしといい又は１０００円の価にてはこれを買うことを欲せずといえども９００円の価をもってせばこれを買うべしと答えたるときは先に乙がなしたる申込は既に拒絶せられたるものとみるべくしこうして甲より更に乙に対し右の条件若しくは変更をもって新たなる申込をなしたるものとみなすべきが故に甲はその条件若しくは変更をもって米を乙に売らんと欲せば更に承諾の旨を乙に通知しもってその契約を成立せしむることを得べし。

第５２９条　或行為を為したる者に一定の報酬を与うべき旨を広告したる者は其行為を為したる者に対して其報酬を与うる義務を負う

　本条以下第５３２条に至るまでは広告に関する規定を掲げたるものなり。けだし近世に至りては広告の用大に進歩しこれによりて種々の取引をなすことは各国皆同じきところなり。しこうして広告の性質に付いては従来種々の学説ありておよそこれを３主義に別つことを得べし。いわく単独行為説即ち広告は一種の単独行為にして独立に成立して義務の原因となるものとするものこれなり。いわく申込説即ち広告は契約の申込にしてこれをみたるもの承諾をなすによりて契約成立すべきものとするものこれなり。いわく申込誘起説即ち広告は単に他の申込を誘起するの方法に過ぎずしてこれをみたるものが更に広告者に対し申込をなし広告者これを承諾するによりて契約始めて成立するものとするものこれなり。第１説は現にドイツ民法の採用するところにして第３説もまた学者のこれに賛同する者すくなしとせず。しかれども新民法においては第２説を採用せしものの如し。しこうしてわれは最もこれを妥当なりとする者なり。けだし広告の１つの意思表示なることは人の争わざるところにしていやしくも意思表示という以上は既に決意せるものなるが故に単に他人の申込を誘起するの方法に過ぎざるものとなすことを得ず。しかれども広告者は相手方を現出するを待ちて始めて義務を負うの意思あること最も多かるべきをもってこれを単独行為となし広告の事実のみによりて直ちに義務を負うものとなすは頗る当らざるものあるが如し。しからばこれを契約の申込となすをもって至当となすべきはほとんど論を待たざるところなり。但し広告の申込たるにはその目的の確定せることを要す。故に某の酒１樽価若干にて売るべしというが如きはその目的確定せるをもって直ちに契約の申込をなすといえども某の家屋を家賃若干にて貸すべしといえるが如きは未だその目的確定せざるをもって契約の申込となすことを得ず。けだし賃貸借契約は通常単にその目的物と借賃の金額とのみを定むるものにあらず。必ず修繕の義務，借賃支払の時期，契約の存続期間，敷金の有無，多少等に付き予め約定をなすものとす。故に貸主もこの広告によりて何人にても単にその借賃額を払う者にはこれを貸すべき意思を表示したる者とみるべからず。又この広告をみたる者も単にその広告をみたるのみによりて直ちにその意を決すること能わず。必ず他の条款を約定したる後始めて賃貸借契約を取結ぶの意思を確定するものとす。故にその広告は単に申込を誘起する方法に過ぎずして借主が借賃の外他の条款を定めてその家屋を借るべき旨を表示したる時始めて申込の成立を見るべく貸主がこれに対して承諾をなすによりてここに始めて契約の成立を見るべきのみ故に各場合に付き事情によりて当事者の意思を探求しもって広告の性質を定むべきのみ。しこうして本条以下に規定するところは一切の広告に関するものにあらずして単に請負を目的とする広告のみに関せり。即ち広告者がある行為をなしたる者に一定の報酬を与うべき旨を表示したる場合これなり。この場合においてもし広告をみたる者がその広告せる行為をなしたるときは契約ここに成立して広告者に対し先に広告したる報酬を請求することを得べし。例えば行衛知れざる飼犬を連来る者には金若干円を与うべしと広告したる場合においてその犬を連来る者あるときはこれに広告したる金額を与うべきの類これなり。

　広告に類するものその数多し。例えば正札附にて商品を店頭に陳列するもの家屋に貸家札を貼附するもの，鉄道停車場に汽車の賃金及び発着時限を掲示するもの等これなり。これらは果たして契約の申込とみるべきや否やはまた学者間に議論あるところなりといえどもわれの信ずるところによれば第１及び第３の例においては契約の申込あるも第２例を既に広告に付いて論じたると同一の理由により単に契約の申込を誘起する方法に過ぎざるが如し。これらは総て事実問題として新民法にはその規定を掲げざるなり。

第５３０条　前条の場合に於て広告者は其指定したる行為を完了する者なき間は前の広告と同一の方法に依りて其広告を取消すことを得但其広告中に取消を為さざる旨を表示したるときは此限に在らず

　前項に定めたる方法に依りて取消を為すこと能わざる場合に於ては他の方法に依りて之を為すことを得但其取消は之を知りたる者に対してのみ其効力を有す

　広告者が其指定したる行為を為すべき期間を定めたるときは其取消権を放棄したるものと推定す

　本条は広告の取消に付いて規定せり。けだし前条の規定により広告の申込なることは既に明らかなりといえどもその申込は果たしてこれを取消すことを得るや否やこれいささか疑いなき能わず。けだし広告は対話者間の行為にあらざることはもとより明らかなりといえどもしかも普通の隔地者間の行為とその趣を異にするところあり。故に第５２１条及び第５２４条の規定は果たしてこれを広告に適用すべきかこれ頗る疑わしきところなり。しかりといえども理論上よりこれを言えば広告は一種の隔地者間行為とみて可なり。ただその相手方定まらざるが故に第５２４条におけるが如く申込者たる広告者の取消の自由を束縛するの必要なし。ただ承諾の期間を定めたるときは第５２１条と同一の理由によりその期間内はこれを取消すことを得ず。従って実際第５２１条の適用を見るに至るべし。これすなわち広告者の意思を推測したるものなり。故に広告者が反対の意思を表示したるときはその意思に従うべきことまた第５２１条の場合におけるが如し。

　以上述ぶるところにより承諾の期間を定めずして広告をなしたる場合においては何時にてもその広告を取消すことを得ること明かなり。しかりといえどもその取消の方法に付いては多少の制限なき能わず。けだし世人は広告をみて直ちにその申込を承諾せんと欲ししこうしてここに規定せる広告はまずその指定したる行為をなしもって承諾の意思を表示すべきものとせるが故にその行為をなす為労力を費やし費用を出す等の事あるべし。しかるに路傍に貼紙をなしてもって広告をなしたる者が新聞紙に広告してこれを取消すも初めに貼紙をみたる者は必ずしもその新聞紙をみることを期すべからず。故にその行為着手したる者は往々取消を知らずしてその行為を完了することあるべし。この如きはその者に損害を加うること甚だしかるべきをもって本条第１項においては広告の取消は必ず初めの広告と同一の方法をもってすることを要するものとせり。即ち前例において貼紙によりて広告をなしたる者はまた貼紙によりてこれを取消すべく某の新聞紙によりて広告をなしたる者はまた同一の新聞紙によりてこれを取消すべきの類これなり。けだしこの如くんば前に広告をみたる者はその取消をもみるの便利あるを常とすればなり。

　しかりといえども時としては同一の方法をもって取消をなすこと能わざることあり。例えば前に広告の貼紙をなしたる場所は取消をなすのときにあたりては既に貼紙をなすことを禁ずるの場所たることあり。又某の新聞紙によりて広告をなしたるにその後その新聞紙は休刊をなし又は発行禁停止を受けこれによりて取消をなすこと能わざることあり。これらの場合においては広告者は他の方法によりて取消をなすことを得べし。例えば広告をなす為甲の場所に貼紙をなしたる者乙の場所に取消の貼紙をなし又は新聞紙に取消の広告をなしまた甲の新聞紙に広告をなしたる者乙の新聞紙若しくは官報にその取消を広告し又は貼紙によりてその取消をなすことを得るの類これなり。但しこの場合においては初めに広告をみたる者その取消の広告をみざること極めて多かるべきをもってこれを何人にも対抗することを得べきものとするときは為に損害を被る者すくなからざるべし。故に本条第２項但書においては単にその取消の広告を知りたる者に対してのみ効力あるべきものとせり。

　以上は一般の規定なりといえども広告者はその広告の効力を確保する為特にその取消をなさざる旨を広告中に明言することあるべし。この場合においてはその特別意思に従い後日の取消を許さざるはもとよりなり。

第５３１条　広告に定めたる行為を為したる者数人あるときは最初に其行為を為したる者のみ報酬を受くる権利を有す

　数人が同時に右の行為を為したる場合に於ては各平等の割合を以て報酬を受くる権利を有す但報酬が其性質上分割に不便なるとき又は広告に於て一人のみ之を受くべきものとしたるときは抽選を以て之を受くべき者を定む

　前二項の規定は広告中に之に異なりたる意思を表示したるときは之を適用せず

　広告に定めたる行為には往々にして数人同時に之を為すことを得るものあり。例えば人又は犬の行方知れざる場合において単にその行方を報知したる者に若干の報酬を与うべき旨を広告したる場合の如き即ちこれなり。この場合においてはその行為を為したる者同時に数人あること稀なりとせざるべし。この者は果たして皆各々の広告の報酬を受くべきかはたまたその一人がこれを受くべきかはたまたその数人共同にてこれを受くべきかこれ本条の規定するところなり。しかして原則としては最も先にその行為を為したる者唯り広告の報酬受けたるものとす。ただ数人が全く同時にその行為を為したるとき例えば人若しくは犬の所在を報知するの書面が同郵便によりて到達したる場合の如きにおいては権利の先後分かつこと能わず。しかりといえども広告者は各自に広告の報酬を与うる意思ありたるにあらざるをもって勢いこの数人は平等の割合をもって報酬を受くるの他あらざるなり。但しその報酬の性質が分割に不便なる時又は広告において明らかに一人のみに報酬を与うべきことを言いたる場合においては抽選をもってその報酬を受くべき者を定むべきものとせり。けだし他に適当の方策なければなり。しかして報酬の性質が分割に不便なりとは例えば一個の器具又は賞牌をもって報酬と為すが如き即ちこれなり。

　以上は広告中に別段の意思を表示せざる場合にのみ適用すべきところにして広告者がこれに異なりたる意思を広告したるときはその意思に従うべきはもとより論をまたざるところなり。

第５３２条　広告に定めたる行為を為したる者数人ある場合に於て其優等者のみに報酬を与うべきときは其広告は応募の期間を定めたるときに限りその効力を有す

　前項の場合に於て応募者中何人の行為が優等なるかは広告中に定めたる者之を判定す広告中に判定者を定めざりしときは広告者之を判定す

　応募者は前項の判定に対して異義を述ぶることを得ず

　数人の行為が同等と判定せられたるときは前条第二項の規定を準用す

　本条は広告に定めたる行為を為したる者の中につき優等者を定めその優等者のみに報酬を与うべきことを広告したる場合について規定せり。例えば一定の条件をもって最も優等なる小説を投寄したる者又は一定の目的を有する最も便利なる器械を発明したる者に若干の報酬を与うべき旨を広告したる場合の如き即ちこれなり。この場合においては時の長短により優劣を判定すべき範囲に広狭あるをもってもし初めより応募の期間を定めたるときは広告者の意思によりみだりにその期間を伸長しいずれの時を待ってその優等者を判定すべきかを知らざるに至るべし。この如きはもって権利義務の発生の原因と為すに足らず。故に本条第一項において必ずこの種の広告には応募の期限を定むべきことを定めたり。

　本条の場合においては優等者に報酬を与うべきものなるも，果たして何人の行為が優等なるかを定むるにはいかなる方法を用うべきかこれもとより広告中にこれを定むること多かるべし。しかしてその最も重きを置くべきは何人がこれを判定すべきかこれなり然れどももし広告中にその判定者を定めざりしときは広告者自らこれを判定すべきものとせざることを得ず。しかして応募者は広告中に定めたる者が判定を為したると広告者がこれを為したるとを問わずその判定に対し敢えて意義を述ぶることを得ざるものとせざるべからず。これ本条第２項及び第３項に規定するところなり。

　往々にして数人の行為が同等に優等なりと判定せらるることあり。この場合においては果たしていかすべきか本条第４項はこれに答えていわく前条第２項の規定を準用すべしと。即ち原則としては各自平等の割合をもって報酬を受くべきものとしただその報酬の性質が分割に不便なるとき又は広告において一人のみにこれを与うべき旨を定めたるときは抽選をもってこれを受くべき者を定むべきものとす。例えば最優等の小説２編ありたるとしその報酬金千円なりとせば両小説の著者各々五百円を受くべく。もしその報酬が一の金牌なるか又は広告において必ず金千円を与うべき旨を定めたるときは抽選をもってこれを受くべき者を定むべきの類これなり。

　右に述ぶるところは広告中優等者を一人と定めずして二人又は三人に差等をもって報酬を与うべき旨を定めたる場合にはこれを適用することを得ず。例えば最優等の者には甲賞を与えその次には乙賞又その次には丙賞を与うべき旨を定むるの類これなり。この場合においてはすべて広告の趣旨に従いて報酬を与うべきこともとよりなり。

　　　　　第２款　契約の効力

　本款においては契約の一般の効力を定めたるものにして（第一）一切の双務契約に通ずる規定（第二）他人のためにする契約に関する規定を掲げたり。

　　　　　　１　双務契約

　双務契約（Contrat synallagmatique, gegenseitiger vortrag）とはその成立によりて直ちに当事者双方に債務を負担せしむるものをいう。例えば売買，賃貸借，組合等の如きこれなり。使用貸借は古来これを片務契約とせりといえども余は双務契約なりと信ず。旧民法においても初めの草案の理由書きにはこれを片務契約とせりを言えどもついにその双務契約たることを認めたり。また委任又は，寄託はその報酬ある場合においてはまた双務契約なり。その他ローマ法以来不完全双務契約（Contrat synallagmatique imparfait, unvollkommener gegenseitiger Vertrag）と名たるものあり。これ初めは一方の義務を生ずるのみなりといえども後日他の一方にもまた義務を生ずることあるべきものをいう。例えば質契約，無報酬の委任及び寄託の如き即ちこれなり。従来使用貸借もまたこの種に属せる者とせりといえども其の誤れることは右に論じたるが如し。

　双務契約に対するものを片務契約（Contrat unilateral, einseitiger Vertrag）という。その成立によりて当事者の一方のみに債務を負担せしむるものをいう。例えば贈与，消費貸借，債務免除の契約等即ちこれなり。その他いわゆる不完全双務契約なるものはまた片務契約にしてローマ法においては不完全双務契約に特別なるものありたりといえども今日においてはすこしもこれを区別する必要を見ざるなり。

第５３３条　双務契約当事者の一方は相手方が其債務の履行を提供するまでは自己の債務の履行を拒むことを得但相手方の債務は弁済期に在らざるときは此限りに在らず（取４７，３項，７４，１０９，１項）

　本条は双務契約の同時履行に関する規定なり。けだし双務契約においては契約によりて直ちに当事者双方に義務を生ずるものなるにその一方はこれを履行するに拘わらず他の一方はその債務の履行を怠るときは同一の契約の履行につき義務を守る者は損し義務を怠る者は益するの不公平を生ずるのおそれあり。故に本条においてはドイツ法その他の例に倣いもし当事者の一方が其債務を履行せざるときは他の者もまた自己の債務を履行せざることを得るものとし畢竟一方がその履行を提供するにあらざれば他の一方においても履行を為すことを要せざるものとせり。これ留置権（２９５）及び不履行による解除権（５４１）を与うると同一の理由に基づきたるものなり（再訂２巻２７６項）。

　履行の提供は即ち弁済の提供にして第４９３条の規定に従いてこれを為すことを要す。しからずんば当事者の一方は単に債務の履行を為すべき旨を申し出てもって相手方の履行を促ししかもその申し出でたる履行は，実際これを為さざるに終わることなしとせず。

この如くんば本条の規定は却って不公平の結果を生ぜんのみ故に第４９２条の規定に従い不履行の責任を免れるるに十分なる提供を為すことを要するものとせざることを得ざるなり。

　以上は，双方の債務を共に弁済期にある場合を仮想せり。もし一方の債務が未だ弁済期に至らざるときはその履行をなさざるはもとより当然にしてこれがためにその相手方が自己の履行を拒むことを得べからざるは殆ど言うをまたざるところなり。しからずんば一方の有する期限の利益は相手方の意思によりて画餅に属するにあらずんばその相手方は元来期限の利益を有せざるに拘わらずついにその利益を占むるに至るべく極めて不公平なること明らかなればなり。（一方の債務条件付なる時はその弁済期に在らざることはもとよりなりといえどもこの場合においては厳格にこれを言えば寧ろその債務未だ発生せざるものといわざることを得ず。）なお第２９５条を参観せよ。本条の規定は双務契約に関する規定なるが故にもし，恵契約より直接に当事者双方に債務を生ぜざる場合においてはたとい後日に至り双方ともに債務を負担するも敢えて直接に本条の規定を適用するを能わず。いわんや契約以外の関係によりて甲乙丙人の間に互いに債権，債務を生じたるが如き場合においてをや。しかりといえども本条の規定は極めて公平なるものにして双務契約以外の場合においても往々同一の規定に従うを至当とすることあり。これ第５４６条，第５７１条及び第６９２条において本条の規定を準用する所以なり。

第５３４条　特定物に関する物権の設定又は移転を以て双務契約の目的と為したる場合に於て其物が債務者の責に帰すべからざる事由によりて滅失又は毀損したるときは其滅失又は毀損は債権者の負担に帰す

　不特定物に関する契約については第４０１条第２項の規定に依りて其物が確定したる時より前項の規定を適用す（財３３５，旧商３２０）

　本条以下第５３６条に至るまではいわゆる危険問題（Risques, Gefahr）に関するものなり。危険問題とは双務契約において当事者の一方が履行を為すこと能わざるに至りたるときはその相手方は果たして履行を為す責めあるや否やこれなり。本条及び次条の規定は特定物に関する物権の設定又は移転をもって双務契約の目的と為したる場合に関せり。しかしてローマ法以来有名なる危険問題は即ちこの場合について生ずるなり。本問題に関し従来行なわるるところの立法例及び学説は大別してこれを二主義と為すことを得べし。（一）危険の負担債権者にありとするもの（二）債務者にありとするものこれなり。しかしてこれ第二の主義は又分かちて二と為すことを得べし。（甲）危険の負担所有者にありとするもの（乙）物の引渡しまで債務者にありとするものこれなり。フランス民法を主とし従来多数の立法例は皆第一の主義を取りローマ法においてもまた既にこれを採用し新民法においても旧民法におけるが如くまたこの主義によれり。第二の主義中甲はイギリス法の取るところ乙はいわくポルトガル法の主義にして即ちドイツ新民法の取るところなり。こうこれより我新民法において第一の主義を採用したる所以を説明せん。

　危険の負担債権者にありとは例えば甲が乙よりその所有の家屋を買い受けたる場合において契約成立の後その家屋が類焼，水害等のため売主の過失なくして滅失又は毀損したるも買主たる甲はなお約定の代価を乙に支払わざることを得ざるものとするを言う。けだし甲がその家屋を買い受けたる後はその家屋の運命は利害共に買主たる甲に帰するものにして家屋の価増加せんが甲は為に代価を増加することなきをもってその利益は一に甲の所得に属す。その価減少せんが甲はために代価を減少することを得ざるが故にその損失はまた甲に帰すべし。これ利の帰する所害もまた帰す（Ubiemolumentum, ibi onus）といえるローマ法以来の原則に従うものなり。今その家屋が毀損を受くることなくしてその価を滅したる場合を想像せずして家屋その物が毀損しためにその価を滅したるときといえどもいやしくも売主の過失なき以上はまた買主その損失を負担せざるべからず。しかして毀損の極めは滅失にして減少の極めは消滅なり｡故に物の全部が天災により滅失しためにその全価額が消滅したう場合においてもまた買主はその損失を負担せざるべからず｡しかして家屋の如きは有形に増殖することなしといえども禽獣草木の如き生物に至りてはときと共に成長し実質上成長するを常とす。しかるにその増殖によりて生ずる利益は一に買主たる甲に帰すべきが故にその減少及び減少の極めなる消滅の損失もまた買主たる甲の負担に帰すべきが故にその減少及び減少の極めなる消滅の損失もまた買主たる甲の負担に帰せざることを得ず。これローマ法以来の国多数の立法例が第一主義の採用したる所以にして又新民法において本条の規定を設けたる所以なり。

　従来危険問題は大抵所有権の移転を目的とする契約についてこれを論ずるといえども他の物権の設定または移転についてもまた同じからざることを得ず。例えば地上権，永小作権又は地役権の設定もしくわ移転を目的とする契約の如きこれなり。但しこれらの権利を設定する場合においては地上権者は大抵定期に地代を払うべく，永小作人は必ず定期の小作料を払うべく，地役権者もまた定期の償金を払うべきこと多し。これらの場合においてはその地代，小作料及び償金はその各期間に対する使用もしくは収益の対価としてこれを支払うべきをもって物の滅失によりその使用，収益を為すことを得ざるに至るときはこれらの権利たちまち消滅すると同時にこれに伴える報酬もまた将来これを払うことを要せざるべし。また毀損の場合においては原則としてその減額を請求することを得ざるは勿論なりといえども（２６６，２７４）その甚だしきに至りては特に契約の解除を許せり。（２６６，２７５）但し地役権については何らの規定なきをもって本条の規定により以前約定の償金の全額を払うべきものとす。

　不特定物は契約履行のときに至りては必ず特定物に変ずべきことはけだし疑いを容れず。これ他なし。物権を設定し又は移転せんと欲すれば必ずその目的物を確定せざることを得ざればなり。しかして何れの時より不特定物が特定物に変ずるかは第４０１条第２項にこれを規定せり。いわく「債務者が物の給付を為すに必要なる行為を完了し又は債権者の同意を得てその給付すべき物を指定したるとき」これなりと。けだしこの場合においては債務者の意思又は債権者及び債務者の意思が確定して従いてその物もまた確定したればなり。危険問題についてもこの規定により物が確定したる時より危険の負担債権者にあるものとせり。

　本条の規定は以下２条の規定と同じく当事者の普通の意思を推測して定めたるものにしてもし当事者がこれに異なりたる意思を表示したるときはもとよりその意思に従うべきものとす。

第５３５条　前条の規定は停止条件附双務契約の目的物が条件の成否未定の間に於いて消滅したる場合には之を適用せず

　物が債務者の責に帰すべからざる事由に因りて毀損したるときは其毀損は債権者の負担に帰す

　物が債務者の責に帰すべき事由に因りて毀損したるときは債権者は条件成就の場合に於いて其選択に従ひ契約の履行又は其解除を請求することを得但損害賠償の請求を妨げず（財４１９，４２０）

　本条は停止条件付き双務契約に関して危険問題を規定したるものなり。余の信ずるところによればこの場合においても他の場合と規定を異にするいわれなきが如しといえども外国の立法例及び学説の多数は皆前条と反対の主義を採用せり。新民法においても旧民法に同じくまたこの多数説によれり。けだしその意にいわく条件付法律行為は条件成就の時にその効力を生ずべきものなるが故にその行為の要素は条件成就のとき即ちその行為が効力を生ずべき時に存在せざるべからず。しかして物の滅失の場合においては既に目的物なきが故に法律行為の要素を欠けるものというべく。従いてその行為は無効に帰せざることを得ず。これ物の全部の滅失の場合においてその物に関する債務者が債権者に対してその対価を請求することを得ざるものとしたる所以なりと。これ法理上大に非難すべきところなきにあらずといえどもいたずらに立法論にわたるを恐れてここに論ぜず。（本条の規定は本文の理由によれることは余が信じて疑わざるところなりといえども外国の立法例及び学説は必ずしもこの理由によれるものとすることを得ず。）

　以上論じたる理由により物が全部滅失せずしてその一部が毀損したるに止まる時はその毀損は債権者の負担に帰しその債権者は物の一部を受けてその対価の全部を弁済せざることを得ず。これ他なし。たとい毀損せるも目的物が存在する以上は敢えて行為の要素にかくるところなければなり。しかりといえどもその毀損の程度甚だしくして殆ど全部毀滅したるときは債権者は対価の全部を払い物の全部が滅失したるときはまた一銭を払うことを要せずとしたるは実際において不公平なる結果を生ずることは余が喋喋をまたざるところにしてまたもって本条の規定のその当を得ざることを知るべし。

　以上は物が天災によりて滅失又は毀損したる場合について規定したるものなり請う。これより物が債務者の責めに帰すべき事由によりて毀損したる場合について論ぜん。けだし物が債務者の責めに帰すべき事由によりて滅失したる場合においてはその損失は当然債務者の負担に帰すべきこと殆ど言うをまたず。しかれども本条においては物が天災によりて滅失したる場合においてもまた債務者の損失に帰すべきものとせるが故に特にその過失によりて滅失したる場合につき規定を設くるの必要なし。但し理論上よりこれを言えば物が天災によりて滅失したる場合においては純然たる危険問題を生ずるといえども物が債務者の過失によりて滅失したる場合においては債務者は債権者に対し損害賠償を支払うべきものにして多くの場合においてはその物の価格即ち代価及び物の価格以外において債権者が被りたる損害の賠償を為すべきものとす。しかして物の価格と約定の代価との間に差違あること稀なりとせず。この場合においては物の価格が約定の代価より高しとせんが債務者はその代価を失うの外（既に受け取りたるときはこれを返還すべし）物の価格の中より右の代価を控除したるものを償還せざるべからず。物の価格が約定の対価より安しとせんが損害の賠償としては単に物の価格を償還すれば足れり。（価格以外の損害は仮にこれを参入せず）しかりといえどもこの場合においては第５４３条の規定により債権者は契約の解除を為しもってその代価支払いの責めを免れ又は既に支払いたる代価を取り戻すことを得べし。しかも価格以外の損害の賠償もまたこれを請求することを得べし。（５４５，３項，既に代価を支払いたるときは同情２項により利息をも請求することを得べし。）故に実際上においては右いずれの場合においても同一の結果に至るべきをもって本条には特にこの場合に関する規定を設けず。

　本条第３項においては物が債務者の責めに帰すべき事由によりて毀損したる場合について規定せり｡この場合においてはもし条件成就せばその選択に従いあるいは契約の履行を求め単にその毀損によりて生じたる損害の賠償を請求しあるいは契約を解除しあわせてこれによりて生じたる損害の賠償を請求することを得べし。これ第５４３条の規定によりて明らかなるところなり｡ただ本条第３項にこれを明言したるは前２項の場合と対照して一目瞭然たる事を欲したるにすぎず｡

　解除条件付き双務契約における危険の負担者いかにこれ本款に規定せざるところなり｡けだしこれ純然たる危険問題にあらざればなり｡それ危険問題とは双務契約より生ずる双方の債務の内その一方が不能となりたる場合において他の債務の履行を請求することを得るや否やこれなり｡しかるに解除条件付双務契約が条件の成就によりてその効力を失うに先立ちその目的物が天災によりて滅失したるときはその物の返還を請求する権利を有すべかりし｡当事者は果たしてその対価を返還する義務をあるや否やというは双務契約より生ずる債務の履行に関するものにあらずしてその終了より生ずる債務の履行に関するものなり｡故にこれに前条の規定を適用することを能はざるはけだし疑いを容れざるところなり｡

　あるいはいわん解除条件付双務契約にありては各当事者停止条件付き債務を負うべし。即ち解除条件付買主は停止条件付きにてその買取たる物を売主に返還する義務を負い売主もまた停止条件付きにて代金を買主に返還する義務を負うべきが故にこれより本条を適用すべしとこれ非なり。本条は「停止条件付き双務契約」に関するものにしてこれを解除条件付双務契約より生ずる停止条件付き債務に適用すること能わず｡殊に解除条件付双務契約より必ずしも双方に停止条件付き債務を生ずべきにあらず｡もし売主が売買の目的物を買主に引き渡さざる内に条件が成就したりとせんに買主は条件の成就によりて履行すべき何らの義務を負うことなし｡しかして権利は一旦買主に移転するを常とするといえどもこれは条件の成就によりて当然売主に復帰するものなり｡否初めより買主は条件成就の時までの権利を取得したる者なるが故に条件の成就によりてその権利当然に消滅して売主又その権利者たるべきのみ又買主が未だ代金を払わざる内に条件が成就したりとせんに売主はまた条件の成就によりて履行すべき何らの義務を負うことなし｡しかれどもこれらの場合においてもなお売買目的物が条件成就の前に滅失したるときは買主は代金を払い又は既に払いたる代金を失うべきや否やの問題あり｡故に到底これに本条の規定を適用すること能わず｡

　以上論ずるところによれば本問題は一般の原則によりてこれを決するの他あらざるなり｡即ち解除条件の成就は契約の効力を消滅せしむるものなるが故に売主は将来において代金の利益を収むること能わず｡既に受取たる代金は速やかにこれを返還すべく未だ受け取らざる代金はこれを受け取ること能わざるべし。しかして買主もまたもし物が滅失せざりしならばこれを返還すべく又はこれを受け取る権利を失うべしといえども今や既に滅失せるをもってたといこれを受取たるも別にこれを返還するの義務なきのみ。しかして売主がこれに対して不平を鳴らすことを得ざる所以はもしこれを売らざりしとせばもとよりその損失に帰すべく。しかして解除条件成就の結果は将来に向かいてあたかも初めより契約なかりしと一般の状況に復すべきものなればなり｡これを要するにこの場合における危険の負担者は売主なりといわざることを得ざるなり。

第５３６条　前二条に掲げたる場合を除く外当事者双方の責に帰すべからざる事由に因りて債務を履行すること能わざるに至りたるときは債務者は反対給付を受くる権利を有せず

　債権者の責に帰するべき事由に因りて履行を為すこと能わざるに至りたる時は債務者は反対給付を受けくる権利を失わす但し自己の債務を免れたるによりて利益を得たるときは之を債権者に償還することを要す（財５４２）

　本条は特定物に関する物権の設定又は移転を目的とせざる一切の双務契約について規定せり｡即ち不特定物に関するもの及び作為，不作為を目的とするものこれなり｡例えば米若干石を売りたる場合，動産もしくは不動産を賃貸したる場合，一定の土地において一定の営業を為さざることを約しこれに対して相当の報酬を受くべき約定を為したる場合等の如し。これらの場合においては不可抗力によりて一方がその契約を履行したること能わざるに至りたるときは他の一方もまたその契約を履行することを要せざるものとせり｡例えば一定の土地に産したる米を給付すべき場合において凶作によりその年はその土地に米を産せず。古米は既に全くその後を絶ちたりとせば売主は履行不能のためにその義務を免がるべしといえども買主もまた代価を払うの義務を免がるべし｡（但しこの場合は実際には極めて稀なるべし。）また賃貸物が天災により滅失しために賃貸人その義務を履行すること能わざる場合においてはその義務を免がるべきは勿論なりといえども賃借人もまた借り賃支払の義務を免がるべし｡但しこの場合においては第５３４条において地上権，永小作権等について論じたるが如く当事者の意思の解釈によるも賃借人は借賃を払うことを要せざるべし。また一定の土地において一定の営業を為さざることを約したる者が政府の命令によりその土地においてその営業を為さざる事を得ざる場合においてはその者はその営業を為さざるの義務を免がるべしといえども相手方もまた報酬を払うの義務を免がるべし。（この場合もまた実際においては極めて稀なるべし。）その他請負契約において請負人が疾病若しくは傷痍により約定の工事完成すること能わざる場合においてもまた注文者より報酬を受くるの権なきものとす。これ他なし｡これらの場合においては特定物に関する契約の如く契約の目的の運命が既に債権者の手中にありということを得ざればなり｡例えば請負の場合においては注文者が工事の目的物の引渡しを受くるまでは果たしていかなる物の上にその権利を取得すべきかを知らず｡仮に請負人が注文者のためにある物を製造したりとするも請負人は必ずしもその物を引き渡すの義務なく更に他の同一なる物を製作してこれを注文者に与うるも可なり｡故に注文者はその物の引渡しを受くるまでは物又はその価格の増加によりて利益を受くることなく。従いて物又はその価格の減少によりて損失を受くることなかるべく。従いてまた物の製造の不能となりたる場合において注文者が報酬を支払うべきいわれなきものとす｡（同種の物が価格を増加したるときは注文者は間接に利益を受くるべきは勿論なりといえどもその注文によりて製造したる物の価格のみが増加するも注文者はその引き渡しを受くるまでは未だ利益を受くることあらざるなり。）

　以上は契約の履行が債権者及び債務者の責めに帰すべからざる事由によりて不能となりたる場合について論ぜり。しかしてその履行が債務者の責めに帰すべき事由によりて不能となりたる場合においては債権者は単に反対給付を為すの義務なきのみならず債務者に対して損害の賠償を請求することを得べし｡（４１５,５４３,５４５，３項）唯り債権者の責めに帰すべき事由によりて履行が不能となりたる場合においては債務者は単にその義務を免がるるのみならず債権者より反対給付を受くる権利あること疑いなし｡けだし双務契約においては同時に双方に義務を生ずるといえどもその義務が一旦生じたる以上は各々独立の存在を有し必ずしも相牽連するものにあらざることは既に第５３４条の規定によりて明らかなり。故に債権者の過失により債務者がその義務を履行すること能わざるも債権者はためにその義務を免がるること能わず｡ただ債務者がその義務を免れたるにより多少の利益を得たるときはその利益は反対給付の利益と相重複するをもって之を債権者に償還するにあらずんば債務者はついに不当の利得を為すに至るべきが故に本条但書きにおいてはこれを債権者に償還すべきことを規定せり。例えば甲が乙に依頼して一定の期間内に一幅の絵画を描かしめんとする場合において甲が乙を殴打しこれに負傷せしめついにその期間内に絵画をまっとうすることを得ざらしめたるときは乙は絵画を描く事を能わざるによりてその義務を免がるべしといえどもしかも甲に対して負傷より生ずる損害賠償の外絵画に対する約定の報酬額を請求することを得べし｡ただ乙が既に絵の具を買い絵絹を買いたるときはその絵の具絵絹の価額は既に報酬中に包含せるものとせば乙は二重の利益を受くべきが故にその絵の具絵絹の代価はこれを甲に償還せざることを得ざるの類これなり｡

　　　　　　２　第三者のためにする契約

第５３７条　契約に依り当事者の一方が第三者に対して或給付を為すべきことを約したるときは其第三者は債務者に対して直接に其給付を請求する権利を有す

　前項の場合に於いて第三者の権利は其第三者が債務者に対して契約の利益を享受する意思を表示したる時に発生す（財３２３）

　第三者のためにする契約はローマ法以来無効なりとせること学者の通説なりき｡しかしてその理由を尋ぬればいわく利益なければ訴権なし（Sans interet, point d'action）。故に自己の利益とならざる契約を為したる当事者は自ら訴権を有すること能わず｡しかして訴権なければ権利なしというも可なるが故に右の契約は当事者のために権利を生ぜず｡しかも第三者は敢えてその契約にあずからざりしをもってある人の間に為したる事は他人を害し又は利することを得ず（Res inter alios acta, aliis neque nocere neque prodesse potest）といえる格言に従いその契約によりて権利を得ること能わず｡究竟するに右の契約は法律上何らの効力なきものなりと然れども近世の学者は漸くこの説の誤れることを悟り第三者のためにする契約といえどもまた法律上効力あるものとしなお進みて第三者のために直ちに権利を生ずることを認むるに至れり。けだし利益なければ訴権なしとは従来の学説におけるが如く有形の利益を必要とするものとせばその誤れること殆どいうをまたず｡何となれば人は必ずしも有形の利益のためにのみ動作するものにあらざればなり｡もしこの格言にして無形の利益にても足れりとせるものとせば第三者のためにする契約は必ず当事者の一方のために無形の利益あるがためこれを結べるなり｡例えばその第三者が自己の近親又は親友なるが為愛情によりその利益たるべき契約を結ばんと欲し又は慈善心の富める者は貧困者に利益を得せしめんがため特に契約を締結することなしとせず｡これらの場合においては当事者は有形の利益を有せずといえども愛情，慈善心等の如き無形の利益のためその契約を締結せんと欲するものにしてその目的少しも不法なることなく寧ろこれを奨励するの理由あるところにしてしかも法律これを保護せずとせばこれらの契約皆極めて不確実なるものにして動もすれば不徳義漢をしてその約を守らざることを得せしむるの弊あり。故に古来の学説においてももし当事者が些少にても自己に直接の利益を与うべき契約を結びその条件として第三者の利益たるべき事項を約するとき又は当事者の一方が第三者のためにする契約を履行せざるときはその制裁として違約金その他予定賠償額を払うべきことを約するときはその契約は有効なりとせり｡しかれどもこれ実に兒戯に均しきところにしてこれらの契約はその目的第三者を利するにありといえどもこれに法律上の効力を付するため止むことを得ずして付随の条項を付加するにすぎず｡しかりしかしてこの契約を有効なりとするはローマ法その他後世のローマ法心酔家が好みて利用せる牽強付会の法理論に従える者なりとはいえどもしかもその真の目的は右等の有益なる契約をして法律上効力を生ずることを得せしむるにあるやけだし疑いを容れざるところなり｡もししからば断然第三者のためにする契約もまた法律上の保護を受くべきものとするも何の不可がこれあらん。

　故に当事者間においては右の契約の有効なるべきは余が信じて疑わざるところなりといえども唯りその契約は第三者に対しても直ちに効力を生ずべきや否やに至りては大いに疑いなき能わず｡余の信ずるところによれば純然たる法理論よりこれを言えばある人の間に為したる事は他人を害し又は利することを得ざるの格言により第三者は右の契約によりて敢えて権利を得ざるものとせざることを得ず｡しかりといえども元来その契約の履行は直接に当事者を利せずして却って第三者を利するものなるが故にもしその第三者にしてこの契約の利益を受けんことを欲するときは直ちにその利益を受くることを得せしめて可なり。これたとい法理論には合わずとも実際の便宜上簡単にして少しも弊害なきのみならずよく当事者の意思に適合するものというべしこれ本条において右の契約が直ちに第三者に対して効力が生ずるものとしたる所以なり｡しかしてその契約が当事者間において効力あることは言わずして明らかなるものとし特にこれを明言せず｡

　一旦右の契約が第三者に対して効力を生ずるものとするも果たして第三者の意思を要するや否やこれ更に研究すべき問題に属す｡しかして法律上何らの関係なき第三者にその欲せざる利益を強うることを得ざるは単に法理上において明らかなるのみならず実際においても当然なるところなるが故に契約が畢竟効力を生ずるには必ず第三者の承諾を要する事はけだし疑いを容れざるにあり｡ただ契約が第三者に対して効力を生ずるは果たして契約締結の当時よりしかるかはたまた第三者がその契約の利益を受くる意思を表示したる時よりしかるかはこれ学説の分かるるところなり｡ドイツ民法においては契約の当時直ちに第三者に対して効力を生ずるものとせりといえども（但し当事者の意思をもって特にその効力の発生時期を定めたるものはこれによるべし｡しかも第三者の意思はこれを要せず｡）既に他人間の契約が第三者に対して効力を生ずるすら一般の法理に違えるに第三者が知らざる間にある権利を取得せりとするは一般の法理を離るること最も遠くしかして実際の便宜上より考うるも敢えて契約の当時より第三者の権利を発生せしむる必要なきが故に本条においては第三者が承諾を為したるときよりその契約の効力第三者に及ぶものとせり｡けだし当事者の一方が第三者の利益のために契約を結び第三者がその利益を受くることを承諾するときは当事者と第三者との間において契約に類する関係を生じしかして当事者の意思よりこれを見ればあたかも二個の契約が相牽連せるものの如くみなすべきことけだし疑いを容れざるが故に本条の規定の如きは最も理論と実際とに適合するものというべし。

　第三者の意思表示は誰に対してこれを為すべきかいわく債務者に対してこれを為すべし。けだし第三者と債権者との間に贈与あるものとせば第三者は寧ろ債権者に対してその意思を表示すべきが如しといえども贈与は一つの契約にして債権者が第三者に対しその意思を表示し第三者が債権者に対しこれを承諾する意思を表示するにあらざれば成立する事を能わざるが故に（５４９）第三者の権利が贈与より生ぜざることもとよりなり｡もししからばその権利の発生によりて最も利害を感ずべき債務者に対して第三者の意思を表示すべきものとするはその当を得たるものというべし｡これ本条第２項の規定するところなり｡

　以上述ぶるところにより第三者に権利を得せしむるを目的とする契約の有効なることは既に明らかなり。これに反して第三者に義務を負わしむるを目的とする契約の無効なることはけだし言うをまたず｡ただ代理権なくして他人のためにその負担となるべき契約をなしたるときはその契約は追認によりてその効力を生ずる事あるべく。（１１３乃至１１７）また他人をしてその義務を負担せしむることに尽力すべきの契約はもとより自己の行為の目的とするものにしてその有効なることは敢えて論をまたざるところなり｡しかしてもしその他人がその義務を負担する事を肯せざるときは相当の賠償を為すべしと約するもまた有効なり｡これらは当然言うをまたざるところなるをもって特に明文を置かざりしなり｡

　本条の適用はもとより一にして足らずといえども左に最も頻繁なる一，ニの例を示さん。

第１例　甲が乙と契約し之をして丙に年々若干円の金額を支払わしむることとしたりとせんにもし乙がその契約を履行せざるときは甲は乙に迫りてこれを履行せしむることを得ること他の契約に異ならざるのみならず丙もまたこの契約の利益を受くることを承諾するときはその承諾の時より乙に対し直接に債権を取得するが故に丙もまた乙に対してその契約の履行を求むることを得べし｡

第２例　甲が乙保険会社と契約を為し甲死亡の後丙に若干円の保険金を支払うべきものとするときは甲の相続人は乙保険会社に迫りてその保険金を支払わしむることを得べきのみならず丙もまたその保険契約の利益を受くる意思を表示したる時はその意思表示のときより保険会社に対し直接に債権を取得するが故に甲の死亡の後は丙もまた保険会社に迫りて保険金を支払わしむることを得べし。（実際においては本文の丙が相続人たること最も多きはもとより言うをまたざるところなり。しかれどもたとい丙が相続人たらざるも本文の権利を有すべきが故に本文においては丙が相続人たると否とを区別せず。）他人のためにする契約を無効とせる従来の学説による時は尋常の生命保険契約は皆無効ならざることを得ず｡故に世の学者は種々牽強付会の説を逞しゅうしてこの契約を有効とすることに力むるといえども一旦本条の主義を認めるときはまた牽強付会の説を為すの必要なきなり｡

第５３８条　前条の規定に依りて第三者の権利が発生したる後は当事者は之を変更し又は之を消滅せしむることを得ず（財３２５）

　前条において一旦第三者が直接に権利を取得することを認むる以上はたとい当事者双方の同意あるも敢えて第三者が一旦取得したる権利を左右すること能わざるは殆ど言うを待たざるところなり。故に本条においては第三者が一旦契約の利益を受くる意思を表示したるときは当事者はまたその権利を変更しまたはこれを消滅せしむることを得ざることを定めたり。

第５３９条　第５３７条に掲げたる契約に其因する抗弁は債務者之を以て其契約の利益を受くべき第三者に対抗することを得

　第三者は新たに当事者の一方と契約を為す者にあらざるが故にその権利は当事者間の契約より生じたる権利なり。従いてその契約に基因する抗弁は全てこれを第三者に対抗することを得べきこともとよりなり｡例えば当事者の契約が債務者の無能力のため取消し得べきものなるときは第三者がその権利を行わんと欲するにあたり債務者はその契約を取消すことを得べく又例えば契約中第三者が利益を受くるについては反対給付を為すべきことを定めたるときは第三者はその反対給付を為すにあらざれば自己の権利を行うこと能わざるの類これなり｡

　　　　　第３款　契約の解除

　契約の解除（Resolutio, resolution, Ruektritt）とは契約の効力を消滅せしめて会て契約をなさざりし状態に復するをいう。この解除には種々の場合ありてあるいは当事者の意思によることあり｡あるいは法律の規定によることあり｡しかして法律の規定による場合の中においてもあるいは当然解除あることあり｡あるいは当事者の意思表示によることあり｡あるいは裁判所においてこれを言い渡すことあり｡また原因に至りても千差万別にしてことごとくこれを一款中に網羅すること能わず。故に本款においては当事者の意思によりて契約を解除する事を得る場合につき一般の通則を掲げかつ法定の場合中の最も重きもなるものたる不履行による解除に関し各種の契約に通ずる規定を設けたり。この他条件の成就によりて契約を解除すべき場合の外（１２７，２項）各種の契約に特別なる解除の場合は請うこれを他の条文の説明に譲らん。

　本款はこれを分かちて３段と為す｡（一）解除の方法（ニ）解除の条件（三）解除の効力（四）解除権の消滅これなり｡

　　　　　　１　解除の方法

第５４０条　契約又は法律の規定に依り当事者の一方が解除権を有するときは其解除は相手方に対する意思表示に依りて之を為す

　前項の意思表示は之を取り消すことを得ず（財４２１，２項，４２２，５６１，取８１）

　本条は解除権を有する者がその権利を行うに必要なる方法を示したるものなり。けだし当事者の一方が解除権を有する場合にはその権利の契約より生ずるものあり。また法律の規定により生ずるものあり。しかしてその契約より生ずる場合においても単に当事者の一方の意思のみによりてこれを解除することを得ることあり。あるいはある事実の発生したるとき例えば相手方がその債務を履行せざる場合においてその解除を為すことを得ることあり。また解除権が法律の規定より生ずる場合はその原因種々ありて第５５７条，第６１０条，第６１１条第２項，第６２１条，第６２８条，第６３１条，第６４１条，第６４２条，第６５１条，第６６２条，第６６３条第２項，第６７８条，第６８３条等に規定したるものをもって最とす。本款においては解除権が法律の規定より生ずる場合の最も重なるもの即ち不履行による解除権の通則を掲げなお各種の契約に特別なる規定はこれを各所に掲げたり。しかして不履行による解除につき従来三主義ありて一つは一定の時期を過ぎて履行を為さざるときは直ちに解除あるものとし一つは解除を裁判所に請求することを要するものとし一つは単に相手方の意思表示のみをもって足れりとするものこれなり。この三主義は各々一長一短ありて第１の主義は極めて便利なるが如しといえどもこの主義に従えば当事者が時期に遅れたるに拘わらずなお契約の履行を欲する場合といえども契約は必ず解除すべきをもって往々当事者の意思に戻ることあるのみならず多少の怠慢あるは人情の常なるに少時の怠慢あるも契約は必ず解除するものとせば当事者は意外の損失を被ること多くして却って実際に便ならざるものあるべし。第２の主義は最も確実にしてかつ時としては不幸なる債務者を保護するの利あるが如しといえども，一々裁判所によらざることを得ざるは実に煩労に堪えざるのみならず法官が契約を左右してみだりに猶予期限を与えるが如きはけだし干渉に過ぎたりというべし。唯り第三の主義は前二主義の短所を補い，最も実際に便利なりとすべきが如し。これ即ち本条においてこれ第三主義を取りたる所以なり。しかして契約不履行の場合の外法律が当事者に解除権を与える場合においては全て類似の理由により同一の主義を取れり。また当事者が契約によりて解除権を有する場合といえどももし特別の意思を表示せざるときはなお同一の方法によりて解除を為すべきものと推定せり。

　解除の意思表示は他の意思表示のごとくいかなる方法をもってこれを為すも可なりといえどもただ相手方に対してこれを為すことを要す。けだし相互間に成立したる契約を解除してその関係を絶たんと欲するものなるが故に相手方に対してその意思表示を為すべきはもとより当然なればなり。なお，相手方が数名ある場合においてはその各自に対して意思表示を為すべきことはなお第４０７条，第５０６条等におけるが如し。右の意思表示は重大なる効力を生ずべきものなるが故に解除権を有する者は充分の決意ありたる場合においてのみこれを為すべきはもとより論をまたず。故に一旦その意思表示を為したる以上はまたこれを取り消すことを得ざるものとすべきはもとよりなり。けだしその意思表示を取り消すことを得るものとするときは為に相手方の権利上の位置を攪乱すること甚だしきを常とすればなり。なお第４０７条第２項においては選択債務につき選択の意思表示は相手方の承諾あるときはこれを取り消すことを得るものとせるも本条においてはこの例外を認めずこれ他なし。一旦解除を為す以上は当事者間の契約上の関係全く消滅せるが故にたとい相手方の承諾あるも一旦解除したる契約をして再び効力を生ぜしむること能わず。故にこの場合においては同一の目的を有する新契約を結ぶことはもとより随意なりといえども敢えて旧契約を蘇生せしむることを得ざるものとせり。

　　　　　　２　解除の条件

第５４１条　当事者の一方が其債務を履行せざるときは相手方は相当の期間を定めて其履行を催告し若し其期間内に履行なきときは契約の解除をなすことを得（財４２１，４２２，取８１，旧商３２３，５４５）

　本条以下第５４３条に至るまでは不履行による解除の一般の条件を定めたるものなり。しかして本条はその本則を定め次の2条は例外の場合を定めたるものなり。本条の規定によれば契約当事者の一方がその債務を履行せざるも相手方は直ちにその契約を解除すること能わず。必ず相当の期間を定めてその履行を催告しもしその期間内に履行を受けざるときはここにはじめて契約の解除を為すことを得るものとせり。けだし解除はその性質契約の履行と正反対なるものなるをもってたとい当事者の一方にその債務の弁済期にあるに拘わらずこれを履行せざるの責めあるも直ちに契約の解除を為すはその者に対し酷に失するのみならず当事者が契約を締結せし当時の意思に反すること甚だしきこと多ければなり。

　本条の規定は第２９５条及び第５３３条の規定とその精神を同じうせり。けだし当事者の一方が自己の債務を履行せざるに相手方をしてその債務を履行せしむるは公平を失すればなり。

　｢相当の期間｣とは場合によりて同じからざるは元よりにして契約の性質により自らその履行に難易あるをもって一定の法定期間を設けるは膠柱の嫌あるが故に当事者をして各場合につき適当の期間を定めしむることとしたるなり。但し当事者が不相当なる期間を定めて催告を為したるときは相手方は法廷に訴えその期間の不相当なることを確認せしむることを得べし。

第５４２条　契約の性質又は当事者の意思表示に依り一定の日時又は一定の期間内に履行を為すに非ざれば契約を為したる目的を達すること能わざる場合に於て当事者の一方が履行を為さずして其時期を経過したるときは相手方は前条の催告を為さずして直ちに其契約を解除を為すことを得（新商２８７）

　本条は前条の規定に対する一つの例外を定めたるものなり。けだし｢契約の性質又は当事者の意思表示により一定の日時又は一定の期間内に履行を為すにあらざれば履行を為したる目的を達すること能わざる場合においてはもし当事者の一方がその契約を怠るときはその遅延して為したる履行は相手方に利益を与えざるべきをもってその相手方をして相当の期間を定めて催告をなさしむるは全く無用の手続きに過ぎず。故にこの場合においては直ちに契約の解除を為すことを得るものとせり。例えば一定の慶事又は凶事にあたり使用すべき衣服，食物等はその慶事もしくは凶事を行うべき日にこれを得るにあらざれば全く不用に属すること多し。また旅行を為さんと欲するものがその旅装を注文したる場合の如きは出発前にその履行を受くるにあらざれば全く契約の目的を達すること能わざるべし。これらの場合においてはその期間を過ぎて履行を為さざる相手方に対し催告を為しその相手方が催告に応じて履行を為すもこれによりて注文者に契約の利益を与えざるべきをもってむしろ直ちに契約の解除を為すことを得せしむるを可とすべし。これ本条の規定ある所以なり。

第５４３条　履行の全部又は一部が債務者の責に帰すべき事由に因りて不能と為りたるときは債権者は契約の解除の為すことを得

　本条もまた第５４１条の通則に対する例外を掲げたるものなり。けだし｢履行の前部又は一部が債務者の責めに帰すべき事由によりて不能となりたるときは｣債権者より催告を為してその履行を求むるも到底全く履行を為すこと能わざるか又は完全なる履行を為すこと能わざるべし。故にその催告は畢竟形式に止まり実に無用の手続きに過ぎさるべし。

　故にこの場合においても又直ちに契約の解除を為すことを得るものとせり。例えば甲が乙に対しその家屋を引き渡す義務を負いたる場合において甲が過失によりてその家屋の全部又は一部を焼失したるときは乙は直ちに契約の解除を為すことを得るが如きこれなり。

第５４４条　当事者の一方が数人ある場合に於いては契約の解除は其全員より又は其全員に対してのみ之を為すことを得

　前項の場合に於て解除権が当事者中の一人に付き消滅したるときは他の者に付ても亦消滅す

　本条は解除権ある一切の場合に適応すべきものにして当事者の一方が数人ある場合において解除権はこれを分割することを得るや否やを定めたるものなり。それ解除権の性質は過分なるやはたまた不可分なるやは古来学者の議論あるところなりといえども余は原則としてその性質の可分なることを疑わず。けだし契約の目的が可分なるとはその一部はその目的の一部について存し他の一部はその目的の他の部分について消滅することを得ればなり。もしそれ契約の目的が不可分なる場合においては契約はその一部について存することを得ざるが故にその一部を解除することを得ざるはもとよりなり。故に従来学者の議論あるはただ契約の目的の可分なる場合に関してのみなり。例えば契約が土地，金銭らの所有権を目的とする場合の如き即ちこれなり。この場合において契約の一部を解除するときは土地の一部又は金額の一部に付ては契約成立し他の部分に付ては契約消滅することを得べし。

　以上は理論上より説けるものなり。しかれども実際上においては契約の一部の解除は多く当事者の意思に反し又実際に不便あることを免れず。故に本条においては特に解除権の行使を分かつことを得ざるものとせり。即ち解除権者数人ある場合においてはその全員より解除を為すべく又解除権者の相手方が数人ある場合においてはその全員に対してこれを為すべし。かつ解除権が一人の放棄又は一人に対する放棄によりて消滅したるときは他の解除権者より又は他の相手方に対してもまた解除をなすことを得ず。その他解除権者の一人は時効を中断したるが故になおその権利を行うことを得べきももし他の解除権者が中断を為さざるためその者に付て解除権が消滅したるときは第一の解除権者もまたその権利を行うことを得ざるべく。また解除権者の相手方が数人ある場合においてその一人に対し時効を中断するももし他のものに対してこれを中断せざるときは又その全員に対して解除権を行うことを得ず。その他すべて解除権が当事者中の一人に付き消滅したるときは他の者に付いてもまた消滅すべきものとす。但し解除権の不可分はこれに論ずるところに止まりこれをもって純然たる不可分債権と同一視すること能わざるはもとよりにして第４２８条以下をここに適用することを得ざるはもちろん解除権行使の後その効力の当事者間に分かるることは敢えていうをまたざるところなり。なお第５６３条第一項の場合は一部解除の場合なりといえども誤解を避けんが為敢えて｢一部解除｣の文字を用いず。故に民法において単に解除というときは常に契約全部の解除を意味するものと知るべし。

　　　　　　３　解除の効力

第５４５条　当事者の一方が其解除権を行使したるときは各当事者は其相手方を原状に復せしむる義務を負う但第三者の権利を害することを得ず（財４０９，２項，４２１，１項，４２４，５６１，１項，取８１，１項，８２，８３，旧商３３６）

　前項の場合に於て返還すべき金銭には其受領の時より利息を附することを要す

　解除権の行使は損害賠償の請求を妨げず

　解除の効力は款首に述べたるが如く当事者をして契約なき初めにおけると同一の位置に復せしむるにあり。例えば甲が乙より物の引渡しを受けたるときはこれを返還すべく又乙が甲より金銭の支払いを受けたるときは又これを償還すべし。しかしてその物が果実を生じたるときはその果実もまたこれを返還すべきこともとより言うをまたず。しかして金銭に付いてはたといこれを受け取りたる乙がこれを他に貸与して利息を取らざるもなおこれを甲より受け取りたる日以後返還の時に至るまでの利息を附すべきのもとせり。これ他なし。金銭は自らこれを使用すると他人をしてこれを使用せしむるとに拘わらず当然法定利息に均しき利益を生ずるものとみなせばなり。（４１９参看）その他厳密なる理論より言えば物を使用したる者はその使用の対価を払わざることを得ざるが如くドイツ民法の如きは現にこれを払わしむるといえどもこれ密かに過ぎて実際の不便すくなからざるのみならず金銭以外のものは金銭の如くその使用によりて必ずしも一定の利益を得るものと為しがたきが故に本条においてはこれを支払うことを要せざるものとせり。

　当事者の一方がその不履行により相手方に損害を生せしめたるときは必ずこれを賠償すべきことを第４１５条の規定するところなり。しかしてこれ契約の解除によりて変更を受くべきところにあらざるなり。故に当事者の一方の不履行によりて相手者が解除権を行いたる場合においてはその解除の一般の効力の外相手方をしてその不履行より生ずる一切の損害を賠償せしむることを得べし。（契約上の解除権を行使する場合その他不履行によらざる解除の場合にありてももし同時に契約の全部又は一部の不履行の事実あるときは同じく賠償の責めを生ずるものとす。）

　以上は解除の当事者間の効力を定めたるものなり。第三者に対しては解除はその効力を及ぼすことを得ず。例えば甲が乙より家屋の所有権の移転を受けたる後これを丙に転売したるときは後日甲が乙に対しその家屋の代価を払わざるため乙よりその契約を解除するも丙が得たる所有権はすこしも侵害せらるることなし。けだし解除の効力については従来立法例往々なりといえども解除の性質より論じて第三者の権利にまで及ぶべきものとする例すこぶる多く旧民法の如きもまたこの主義を取れり。しかりといえどもこの如きは第三者をして往々不慮の損失を被らしめために取引の安全を欠き実際の不便少なからざるももって本条においては敢えて第三者の権利を害することを得ざるものとせり。

第５４６条　第５３３条の規定は前条の場合に之を準用す

　本条は第５３３条の規定を解除の場合に準用したるものなり。けだし当事者間双方より互いに返還すべきものある場合においてその一方のみ履行を為して他の者は履行を為さざるときはその結果の不公平なることもとより言うをまたす故に一方がその返還を提供するにあらざれば他の一方においてもまた返還を為すことを要せざるものとせざることを得ず。しかれども第５３３条の規定は双務契約の履行に関する規定なるが故に契約の解除により当事者各自に不当の利得を返還すべき義務ある場合においては敢えてこれを適用すること能わず。これ本条において特にこの条を準用する所以なり。

　　　　　　４　解除権の消滅

第５４７条　解除権の行使に付き期間の定なきときは相手方は解除権を有する者に対し相当の期間を定め其期間内に解除を為すや否やを確答すべき旨を催告することを得若し其期間内に解除の通知を受けざるときは解除権は消滅す（取３）

　解除の効力の容易ならざることは既に第５４５条によりて明らかなり。故に解除権を有する者の相手方は速やかに解除権の行使あるや否やを確知せんと欲するはもとより当然なるところなり。しかるに一般の原則より言えば権利者は何時にてもその権利を行うこと得べきか故に解除権が時効にかからざる間はいつ解除権の行使あるべきかを知ること能わず。これ相手方に対して酷なるのみならず取引の安全を妨ぐること少なからざるべし。故に本条において特に解除権の行使に付き期間の定めなきときは相手方は解除権を有する者に対し相当の期間を定めて解除を為すや否や確答すべき旨を催告することを得るものとせり。しかしてもし解除権者がその期間内に解除を為さざるときは解除権は消滅すべきものとせり。しかして解除の意思表示もまた一般の原則に従い受信主義によるべきが故に(９７)その解除の通知は必ず期間内に相手方に到達することを要するものとせり。

　本条の｢相当期間｣もまた事実問題にして解除を為すに利あるや否やを勘考するに十分なる期間を定むることを要す。もし過短の期間を定めたるときは解除権者はこれに対し異義を述べもってその解除権の消滅を防ぐることを得べし。

第５４８条　解除権を有する者が自己の行為又は過失に因りて著しく契約の目的物を毀損し若しくは之を返還すること能わざるに至りたるとき又は加工若しくは改造に因りて之を他の種類の物に変したるときは解除権は消滅す

　契約の目的物が解除権を有する者の行為又は過失に因らずして滅失又は毀損したるときは解除権は消滅せす（財４１９，２項，３項，４２０）

　解除は各当事者をして現状に復せしむるをもって目的と為すが故にもし契約の目的物が既に消滅したるときはまた解除を為すこと能わざるものの如く思う者あるべし。しかれどもこれ誤見取るに足らざるもののみ。けだし解除が各当事者をして現状に復せしむるはもとよりなりといえども物の滅失が解除権者の行為によらざるときはたとい契約を締結せさりしものとするもその滅失はなお生ずべかりしものと視るべきが故にその目的物の債務者は契約の解除によりて物を取り戻すことを得ざるもこれ即ち現状なりということを得べし。故に本条第二項においてはこの原則を明らかにせり。しかして全部焼失の場合においても解除権の消滅することあらざるが故にその一部滅失即ち毀損あるもために解除権に影響を及ぼさざることはもとより論をまたざるところなり。

　これに反して解除権者の行為又は過失により手契約の目的物を滅失せしめたるときは自己が解除によりてその目的物の返還を受くべかりしとき解除を為すは自己の不利益なるが故に必ず解除を為さざるべく。従いて解除権の消滅するや否やを論するの必要なしといえども（但し理論上は解除権消滅せず）解除権者が解除によりて契約の目的物を相手方に返還すべき場合においてもしその行為又は過失によりてこれを滅失せしめもってこれを返還すること能わざるに至りたるときは理論上よりこれをいえばその物は依然解除を為すの権利を有ししかもその物を滅失せしめたるが為に損害賠償の責めを負うべしといえども

（７０９）既に縷々論じたるが如く損害賠償なるものは極めて不確実なる標準により金額を以って損害を見積もるものなるが故にむしろ解除権を失わしめこれによりて真の損害の全部を賠償せしむるのまされるにしかずとせり。しかしてこれを説明するにまた自ら法理の存するあり他なし。解除権者が故意に物を滅失せしめたるときはもちろんたとい過失によりてこれを滅失せしめたる場合といえどもあたかもその物の保存に注意せざりしはこれ解除権を行いその物を相手方に返還することあるべからざることを思いしによるなり即ちその行為によりて解除権を放棄したるものと得べし。

　右は解除権者が契約の目的物を滅失せしめたる場合について論したるところなりといえども解除権者がその物を第三者に譲渡し為にこれを相手方に返還すること能わざるに至りたるときその他｢著しく契約の目的物を毀損したるとき及び加工もしくは改造によりてこれを他の種類の物に変じたるときも又同しからざることを得ず。例えば家屋買受たるものがその家屋の一室又は数室を取り崩し又は金塊を譲り受けたる者がこれをもって指輪を製したるときまたは指輪を譲り受けたる者がこれをもって印を造りたるときは既に解除権を放棄したるものとみなして可なり。あるいはいわん解除権者が契約の目的物を毀損したるときはたといその毀損が著しからざるも又解除権を消滅せしめてかなるにあらずやと。しかれども買受たる家屋の壁に小穴穿ち又は譲受けたる指輪に小疵を加えたるが如きはもって解除権を放棄したるものとみなすことを得ざるはもちろん相手方がその返還を受くるも甚だしき損害を受くることあらざるべきをもって単に一般の規定によりて損害賠償を受くるときは必ずしも契約の解除を拒むの理あらざるをもって本条においては特に著しき毀損を必要とせり。

　　　　　　第２節　贈与

　贈与（Donatio, donation, Schenkung）の性質に付いては古来各国の法律及び学説一定せざるところにしてあるいはこれを契約とせず。遺贈をもこの中に包含せしむるあり。あるいは贈与をもって贈与者の単独行為とし受贈者の承諾なきも既に贈与なる行為は成立するものとするなり。またたといこれを契約とするも義務を生ずるものとせずして単に権利移転の方法とするなり。しかりといえども新民法においては旧民法同じくし（第一）贈与はこれを契約とし（第二）これをもって義務発生の原因とせり。これこれを債権編に規定しかつ契約の章にこれを掲げ各種契約の第一としてこれを規定する所以なり。

第５４９条　贈与は当事者間の一方が自己の財産を無償にて相手方に与うる意思を表示し相手方が受諾を為すに因りて其効力を生ず（取３４９，３５８）

　本条は贈与の定義を掲げたるものなり。それ贈与の定義に付ては右に述べたる諸種の学説により異なるところあるはもちろん一旦贈与の性質につき同一の主義をとるもなおその定義に同じからざるものあり。（第一）贈与をもって要式契約とすること古来欧州においては大抵皆しかり。これけだし贈与なるものは贈与者にとりて損のみありて益なく殊にその相続人のためには極めて不利益なる行為なるが故に各国の立法者はきわめてこれを丁重にし容易にこれを為すことを得ざらしめたるなり。しかりといえどもいかなる贈与にも皆方式を要するものとするは到底実際に行われざるところなること各国の法律皆例外を認むるをもって知るべし。しかして方式の必要は有益なる贈与を妨ぐること多きに比して果たして有害なる贈与を妨げ得るかいささか疑いなき能わず。ことに当事者の利益を保護せんがためにその自由契約に干渉するか如きは文明国の法律の最も忌むべきところなるが故に新民法においては断然旧民法の主義を改め贈与もまたこれを諾成契約とせり。但し次条に多少の制限なきにあらずといえどもこれ敢えて契約の成立に必要なるものにあらざるなり。

　（第二）贈与の目的についてもまた広狭の別ありてあるいは一切の無償行為をもって贈与と為すものありといえどもこれ普通の観念に反するが故に本条においては旧法典におけるが如く｢当事者の一方が自己の財産を無償にて相手方に与うる｣をもって目的とするものに限りこれを贈与とせり。例えば無償にて所有権，地上権，永小作権等を移転若しくは設定するは勿論新たに債権を与え又は毀存の債権の為に無償にて質権抵当権等を与え得るもまた贈与なり。これに反して相手方の利益のために物権又は債権を放棄し又は無利息にて金銭を貸与しその他無償にて自己の労力を他人の用に供するなどは皆贈与にあらず。

第５５０条　書面に依らざる贈与は各当事者之を取消すことを得但履行の終わりたる部分については此限に在らず（取３５８）

　本条は贈与をもって要式契約とせる学説の遺物にして余は立法論としてはこれをとらずといえども強いてこれを説明せず。けだし書面を作らざる贈与はあるいは贈与者の意思未だ全く確定せざることなきを保せず。かつ書面なきときは後日争いを生じ易きをもってなり。この理由たる敢えて贈与に限らずといえどもしかも贈与は一時惻隠の心よりこれを為すべきことを要したちまちこれを悔ゆるが如きこと稀なりとせず。従いてこれにつき後日争いを生じ易きは人情の免れざるところなるをもって特に書面を要するものとせるか。

　右の理由によりて本条においては贈与は書面を作らざるももとより成立するといえどものその履行なき間は各当事者よりこれを取り消すことを得るものとせり。しかしてもし贈与の一部を履行したるときはその履行したる部分に付いてはこれを取り消すことを得ずといえども未だ履行せざる部分についてはまたこれを取り消すことを得べし。例えば年々百円の金を与うべきことを約したる場合において一年これを履行したる後贈与者においてその贈与を悔ゆるときは翌年よりその贈与を取り消して受贈者に一銭をも与えざることを得べく。また受贈者においても一年百円を受け取りたる後贈与者より金銭を受けくることを良しとせざるときはまた贈与を取り消して翌年分以降の年金を受け取らざることを得べし。

第５５１条　贈与者は贈与の目的たるもの又は権利の瑕疵又は欠缺に付き其責に任せず但贈与者が其瑕疵又は欠缺を知りて之を受贈者に告げざりしときはこの限にあらず。

　負担附贈与に付ては贈与者は其負担の限度に於いて売主と同じく担保の責に任す（財３９５，３９６，取３５１）

　本条は贈与契約における担保義務を定めたるものなり。けだし理論よりこれを言えば贈与は義務を生ずるものなるが故に贈与者が単にその物を与うべきことを約したるときは即ち瑕疵なき物を与え又はそのものに関し完全なる権利を与うべきことを約したるものと認むべきが如し。しかりといえども元来贈与なるものは大抵贈与者の好意に出て単に受贈者のみに利益を与うる恩恵的行為になるが故にその物を与うべきことを約したるときはその物に瑕疵あると否とを問わず現在のままにてこれを与うるの意思ありたるものとみなすべく又その権利を与うべきことを約したる場合においては自己の有するだけの権利を与うるの意思ありたるものとみなすべくもし全く権利を有せざるときはこれを有せしことを信じたればこそ贈与を為したるものなれ。これを有せざれば敢えてこれに代うるに他の権利をもってするの意思なかりしものとみなさざることを得ず。これ本条において旧法典その他各国の例に倣い贈与者は原則として担保の責めなきものとしたる所以なり。

　右の原則には一つの例外あり他なし。贈与者が贈与物の瑕疵又は贈与したる権利の欠缺を知りたるもこれを受贈者に告げずして贈与をなしたるときはその責めに任ずべきことこれなり。

　けだしこの場合においては贈与者の行為はいささか詐欺に類するものあり。自己の有せざる権利を与え又は瑕疵ある物を贈りしかも完全なる権利を与え又は完全なる物を贈りたるものの如く装いもって受贈者をして過実の利益を受けたるものの如く思わしめたるものればなり（５７２参看）但しこの場合においては担保義務の効力は売買の場合と同じからざるものあり。売買の場合においては契約を解除しかつ損害を賠償せしむること多しといえども贈与においては受贈者が契約を解除するもすこしも利益なきが故に単に損害の賠償を請求すること得べきのみこれ本条第一項において本条に｢その責めに任せずと伝えるに対し但し書きにおいて｢この限りにあらずといい即ち｣その責めに任す｣べきことを伝えるによりて明かなり。けだし｢その責めに任す｣とは通常賠償の責めあることを伝えるものにして殊に本条の如きはその意最も明らかなるが如し。

　以上は純然たる贈与について論じたるところなり。しかるに贈与中にはいわゆる負担附贈与（Donation avec charge）なるものありて余の信ずるところによればその性質は有償契約なり。しかれども当事者の意思においてはこれを贈与も視うるものなるが故にいやしくもその性質の許す限りこれに贈与の規定を適用し例えば前条の書面に関する条件の如く又次条の贈与の効力消滅に関する規定の如きはまた又これを負担付贈与にも適用すべきものとす。しかれどもその他の事項については双務契約の一般の規定を適用すべきことは第５５３条に規定するところなり。しかして担保についても又他の有償契約におけるが如く贈与者にその責めあるべきはもとよりなりといえどもただ本条第２項においては当事者の意思を推測し単に負担の限度においてのみ売主と同一の担保義務を負うものとせり。

　例えば甲が乙に一つの不動産の所有権を与え乙はその負担として年々金百円を甲に払うべきことを約したる場合においてはもしその不動産が他人の所有物なりしか為受贈者はその所有者たることを得ざるときは将来その負担たる百円を払うことを要せざるのみならず。もし既に支払いたるものあるときはこれに利息を付してその返還を求むることを得べし。（５４５，２項５６１）しかしてたといその不動産に数千円の価あるもその価に対する損害賠償を請求することを得ず。また例えば甲が乙に贈与したる馬に人を噛むの病あり。もしその病なしとせば二百円の価あるもその病あるがために百円の価を有するに過ぎず。しかるに受贈者が負担として甲又は第三者に支払うべき金額ありとせしにその金額が百円いかなるときは贈与者に対して一銭をも請求すること能わず。もし百円を超ゆるときはそのこれを超過する金額に限りあるいはその負担を免れあるいは既に払いたるものに利息を付してその返還を求むることを得べし。

第５５２条　定期の給付を目的とする贈与は贈与者又は受贈者の死亡に因りて其効力を失う

　本条の規定もまた当事者の意思を推測してこれを定めたるものなり。故に当事者が反対の意思を表示したるときはもとよりその意思によるべきものとす。けだし金銭その他のものを定期に給付するを目的とする贈与は多くは受贈者の生活のためにするものにして又贈与者の定期の収入の幾分を割り引いてこれを給すること多し。またたといしからざるも大抵贈与者と受贈者との身上の関係によりこれを給すること最も多し。故に当事者が反対の意思を表示せざる限りは贈与者又は受贈者が死亡するときはその贈与は将来に向いて効力を失うべきものとしたるなり。

第５５３条　負担附贈与に付ては本節の規定の外双務契約に関する規定を適用す（取３６３）

　本条は暗に負担付贈与の性質を定めたるものなり。けだし負担付贈与の性質については将来学者間に議論ありといえども本状においては本節の規定の外双務契約に関する規定を適用すべきことを明言せるが故にその性質の双務契約即ち有償契約なることけだし明かなり。ただ当事者の意思を推測し本節の規定即ち前三条の規定を適用すべきものとしたるに過ぎず。しかして余はこれをもって最も正鵠を得たる学説によれるものなりと信ず。けだし贈与者が自己の財産を相手方に与え相手方もまたこれに対して一つの義務を負担する以上はこれもとより報償あるものにしてかつ当事者双方に義務を生ずるものなること最も明らかなればなり。ただ当事者が贈与の名称を用うるときは幾分が贈与に特別なる規定によるの意思ありたるものとみなさざることを得ざるが故に特にこれに贈与の規定をも適用するは又至当なるところなり。但し実際においては往々負担付贈与と他の純然たる有償契約とを区別しがたきことあるべく必ずしも当事者が附したる名称のみによることを得ざるべきはもとよりなりといえどもこれ全く事実問題にしてよろしく法官の公平なる認定に一任すべきところなり。しかして法官たる者は契約当時の当事者の意思を探求してその性質を定むべきはもとより言うをまたざるところなり。

第５５４条　贈与者の死亡に因りて効力を生ずべき贈与は遺贈に関する規定に従う（取３８９）

　新民法においては旧民法におけるがごとく贈与をもって契約とせるが故に寧ろ遺贈に近きが故にこれに贈与に関する規定を適用せんよりは遺贈に関する規定を適用するをもって妥当とすべきものあり。他なし。｢贈与者の死亡によりて効力を生ずべきものこれなり。例えば贈与者が受贈者と約しその死亡のときにその所有の不動産を受贈者の所有に移すべきことを定めたるが如きこれなり。外国の法律においては往々この種の贈与をもって遺贈と為すといえどもしかもその性質は純然たる贈与にして遺贈にあらず。ただその効力は遺贈に同じきものとするをもって妥当とすべきのみ。

　　　　　第３節　売買

　売買（Emptio-venditio,vente,Kauf）は各種の契約中最も頻繁なるものにして契約の総則も売買について最も多くその適用を見るべし。ことに売買は有償契約の最なるものにして第５５９条において売買の規定を他の有償契約に準用せり。故に本節の規定は最も重要なるものとす。

　本節を分かちて三款と為す。第一款を総則と為し売買の定義その他売買の成立に関する規定を掲げ第二款を売買の効力とし売買より生ずる売主及び買主の権利，義務を定め第三款を買い戻し売主が買主に代金を返還して売買を解除することを得べき規約を規定せり。

　　　　　第１款　総則

第５５５条　売買は当事者の一方が或財産を相手方に移転すること約し相手方が之に其代金を払うことを約するに因りて効力を生ず（財２４，２５）

　本条は売買の定義を掲げあわせてその成立の時期を定めたるものなり。けだし売買の性質はローマ法以来多少の議論あるところなりといえども本条においてはまずこれをもって諾成契約とし物の引渡し，代価の支払い等はすこしも売買の成立に必要ならざることを明らかにせり。次に売買は財産権の移転を目的とするものとせり。これについては二派の議論を生ず。一つは売買をもってあるいは直ちに権利を移転し，あるいはその移転を義務を生ずるに過ぎざるものとせり。例えば売買が特定物の所有権を移転するを目的とする場合においては所有権直ちに移転しすこしも義務を生ずるの暇なくこれに反して不特定物の所有権を移転するを目的とする場合においては単にその義務を生ずるに止まるものとせり。一つは売買をもって常に権利移転の義務を生ずるものとせり。即ち右の第一例においてもまず所有権移転の義務を生じその義務直ちに履行せられて売主の所有権が買主に移転するものとせり（１７６）しかして本条はこの第二節を取りたるものにして余はその至当なることを信ず。けだし売買が特定物の所有権の移転を目的とする場合においてももしその所有権が売主に属せさりしときは直ちに権利の移転なきはもとよりなりといえども売主に権利移転の義務あることは第５６０条の明らかに規定するところにしていわゆる追奪担保の義務なるものはその実この権利移転の義務にすぎず。しかるに売主，買主共に善意なるときは当事者の意思はこの場合においても所有権が売主に属せし場合においても少しも異なるところにあらず。もししからば売買は常に権利移転の義務を生ずるものと認むるをもって妥当と為さざることを得ず。

　地上権，永小作権，地役権等を設定するは所有権の一部を他人に移転するものなるが故にこれをもって売買の目的と為すことを得るは敢えて論をまたざるところなり。

　以上は売買の一つの目的即ち売主の義務たる権利移転の義務についてのみ論じたりといえども売買は必ずなお一つの目的を有し買主をして代金（Protium,prix,Preis）支払いの義務を負わしむるものなり。代金は読みて字の如く必ず金銭をもってこれを定むることを要す。これ売買の交換と異なるところにして理論上よりこれを言えば売買は寧ろ交換の一種にすぎず広義をもってこれを言えば交換は一つの権利移転に対し相手方より他の権利を移転するを目的とするものなり。しかして売買はその中につき一方より必ず金銭の所有権を移転するを目的とするものなりというべし。しかれども今日においては売買は最も頻繁にして他の交換は実際に甚だ多からざるをもって特にこれを二節としまず売買を規定し次に他の交換即ち狭義の交換を規定せり。しかして売買においては必ず金銭の代償あることを要するものとするはローマ法においては議論ありし。ところにしてなお今日においても多少の議論ある場合なきにあらずといえども本条においては明らかに代償の金銭たること要するものとし当事者の一方が金銭を与えざる場合においては皆これを交換とせり。

　これを要するに売買は（第一）売主をして財産権移転の義務を負わしむるものなり。しかしてその財産権は所有権，地上権，永小作権，地役権，債権，特許権，意匠権，商標権，著作権等みな可なり。ただ財産権以外の権利たとえば親権，後見権等はもって売買の目的と為すことを得ざるのみ（第二）買主をして代金支払いの義務を負わしむるものなり。但し代金の額は必ずしも初めより確定することを要せず。後日これを定むるものとするももしこれを定むる標準を示すときは可なり。

第５５６条　売買の一方の予約は相手方が売買を完結する意思を表示したる時より売買の効力を生ず

　前項の意思表示に尽き期間を定めざりしときは予約者は相当の期間を定め其期間内に売買を完結するや否やを確答すべき旨を相手方に催告することを得。若し相手方が其期間内に確答を為さざるときは予約は其効力を失う（財４１５，取２６ないし２８，３１，３２，旧商５３２）

　本条は売買の予約（Promesse de vente）に関せり。売買の予約の性質については旧来学者間に議論ありといえども要するにこれ当事者間の意思の解釈にすぎずしかして従来予約と約したるもののうちに真の予約にあらずして単に約束なるものあり。即ち売主，買主相互の約束（Promesse synallagmatique）は即ち純然たる売買契約にしてたといその履行の時期は将来にかかるも契約は直ちに成立すべきものとす。しかして売主，買主相互の予約なるものは実際極めて稀なるべく，従いてこれを規定するの必要なかるべし。これに反して売主又は買主の予約は実際に頻繁なるところにしてその解釈につき多少の疑義を生ずるおそれなきにあらざるをもって本条においてはこの場合に関する規定を設けたり。しかして理論上より予約の性質を尋れば売主又は買主のみある条件をもって売買契約を締結する義務を負い相手方は単にその売主又は買主が自己に対して右の義務を負うことに承諾を与えたるに過ぎず。故にこの予約を実行せんにはさらに売買契約を締結することを要すべし。しかりといえどもこれ無益の煩労に過ぎざるをもって本条第一項においては特に予約の相手方が売買を完結する意思を表示したるときは売買直ちに成立するものとせり。しかしこの場合においては予約を持って申し込みに等しき効力を生ずるものとしたるなり。但しこの予約はその性質上申し込みと異なることは敢えて喋喋をますそれ申込みなるものは単に一方の意思表示にとどまり未だ相手方の意思表示あらざるものなり。これに反して予約は双方の意思表示により一つの契約を生ずるものなり。即ち一方が義務を負うべきことを申込みたるに対して他の一方は相手方が義務を負ふことを承諾したるものなればなり。しかりとも予約者は申込みよりも一層強力なる意思表示をなしたるものにしてこの意思表示は到底相手方の承諾なければこれを取り消すことを得ざるものなるが故に，相手方が売買を完結せんと欲するにかりに特にその者新たなる意思表示を要せざるものとするを敢えて条理に反するものとすべからずして，しかも実際においては大いに便利なるところなるをもって特に本条第一項の規定を設けたるなり。

　以上述るところによれば予約者は相手方の承諾なくしてその予約を取り消すことを得ず。しかも，相手方は，いつにても売買完結の意思の表示を為して売買契約を成立せしむることを得るものなり。しかるにこの予約者の位置ははなはだ哀れむべきものあり。何となれば，自己はその予約を破ること能わずして相手方はこれを実行せしむると否との自由なる選択権を有し，その権利はいつこれを行うか予め測知すべからざるか故に予約者は常にその予約を実行するの準備を為さざるべからざるに拘わらず，畢竟これを実行せざるに終わるやもまた測りがたければなり。例えば，甲が乙に対し一定の代価を持って米千石を売らんことを予約するときは甲はいつにても米千石を乙に引き渡すことを得るため常にその準備を為さざるべからず。これ甲にとりてはすこぶる不利益なるところなるべし。これにおいてが本条第２項をもって｢予約者は相当の期間を定めその期間内に売買を締結するや否や確答すべき旨を相手方に催告することを得｣るものとせり。しかして｢もし相手方がその期間内に確答を為さざるときは予約はその効力を失う｣べきものとせり。但し相手方の意思表示につき特に期間を定めその期間内に限り売買を完結することを得るものとしたる場合においては，その期間内に右の催告を為すことを得ざるはもとよりなり。しかしこの場合においては予約者は永久に不利益の地位に立つものにあらざればなり。例えば甲が乙に対し一定の代償を持って米千石を売らんことを予約ししかしてこれに付加して乙は一か月内に右の予約を実行すべきことを請求するにあらざればその予約は効力を失うべきものとしたるときは甲は未だ一ヵ月を経過せざるうちに乙に催告して速やかに売買を完結せんと欲するも得べからざるなり。

第５５７条　買主が売主に手附を交付したるときは当事者の一方が契約の履行に着手するまでは買主は其手附を放棄し売主は其倍額を償還して契約の解除をなすことを得

　第５４５条第３項の規定は前項の場合には之を適用せず（取２９，３０）

　本条は手附（Arrhes, Draufgabe）に関するものなり。手付の性質は古来各国において慣習の一致せざるところなり。けだし当事者の意思はあるいはこれをもって解約の方法としあるいは単に売買完結の表徴と為し又これを解約の方法と為せるものも単に一方のために解約の方法と為せるものあり。又双方のために解約の方法と為せるものあり。故に法律は単に原則たる推定を設けもし当事者がこれに異なりたる意思表示をしたるときはもとよりその意思に従うものとするは各国皆同じきところなり。ただその原則をいずれに定むるかは即ち研究を要するところにして各国の法律またその発を一つにせざるところなり我邦においては余が調査したるところによれば古来手付は当事者双方のために解約の方法たるものとせる慣例最も多きが如し即ち手附損倍戻しの諺ある所以なり。故に本条においては原則としてこの主義を採用し他は当事者の特別の意思によるべきものとしたるなり。例えば甲が乙より一つの不動産を買受けんと欲するによりまず手付として金若干を乙に与えるときは特約または特別の慣習なき以上は（９１，９２）甲はその手付を放棄して不動産の買受けを拒み乙はその手付を倍してこれを甲に返還しもって不動産の売渡を拒むことを得るものとせり。

　右は各当事者が未だ契約の履行に着手せざる場合においてのみしかるところなり。もし一方が契約の履行に着手し例えば買主が代価の全部又は一部を払い又は売主が売買の目的物を引き渡したる後は双方共に解約を為すことを得ず。これまた習慣のつとに認むるところなるが如し。

　本条もまた契約の解除の場合なり。故に第５４５条の通則によれば当事者の一方が解除によりて損害を受くるときはその賠償を求むることを得るが如し。しかりといえどもこの如くんば殆ど手付をもって解約の方法と為したる精神を水泡に属せしむべく当事者は寧ろ手付を自己のものとし又は手付の倍額の返還を受くるときはまた損害を受くることなきものと認めたりというべし。これ本条第２項において特に第５４５条第３項の適用なきものとしたる所以なり。

第５５８条　売買契約に関する費用は当事者双方平分して之を負担す（取３４）

　本条は売買契約の費用の負担者を定めたるものなり。これもとより当事者の特約によりて定まるべきこと多しといえどももし当事者がこれについて何等の特約を為さざるときは本条においては当事者双方平分してこれを負担すべきものとせり。これ他為し。有償契約にありては通常双方共に平等の利益を受くるものとすべく殊に売買においては当事者相互の関係上売主は売買の目的たる権利を失う代わりにその価格に相当する代金を得，買主はその支払うところの代金に相当する権利を得るものとみなすべきをもってなり。

第５５９条　本節の規定は売買以外の有償契約に之を準用す但其契約の性質が之を許さざるときは此限りにあらず（財３９５ないし３９７）

　本条は既に述べたるが如く売買の規定をもって他の有償契約に準用せるものなり。けだし手付の規定，追奪担保，瑕疵担保等の規定はその適用売買において最も多きをもって右古来外国に行なわるる多数の例により新民法においても売買についてこれを規定せりといえどもその規定の事項たる他の有償契約においてもまた適用を見るべくしかして売買と他の有償契約との間に差別を設くるの理由なきをもって売買の規定を他の有償契約に準用するは最も当然なるところなり。但し契約の性質により往々右の準用を許さざることあり。負担付贈与の如く特別の明文あるものを除くも（５５１，２項）組合契約にありて甲組合員は不動産の所有権を出資とし乙組合員は若干の金額を出資とせる場合においてたとい不動産の引渡しにつき期限あるも金額の支払いにつき同一の期限あるものと推定すること得ざるべく（５７３）和解契約において甲が係争物の所有権を全然乙に放棄しさらに乙より金若干を受け取りたる後その係争物が第三者の所有に係われること判然し甲はついに係争物を第三者に返還せざることを得ざるに至るも敢えて和解を解除して乙に与えたる金額の返還を求むることを得ざるべきが如きこれなり（５６１）。

　　　　　第２款　売買の効力

　本款を分かちて買主の権利及び売主の権利の二段とす。

　　　　　　１　買主の権利

　買主の権利即ち売主の義務は主として売買の目的たる権利の移転に在り故に本段においてはこれに付いてのみ規定せり。但し権利移転の通則は第１７６条ないし１７８条，第４６６条ないし第４７３条等によりて明らかなるが故に特に売買に付いて之を規定せず。殊に不特定物に関する権利をもって売買の目的となしたるときは第４０１条ないし第４０３条，第４７５条等の規定をもって足れりとす。また特定物に関する権利を目的とする場合といえどもいわゆる危険問題に付いては第５３４条ないし第５３６条にその規定あるが故に再びここに贅せず。その他売主は売買の目的物を相手方に引き渡すの義務及びその引渡しに至るまでこれを保存するの義務ありといえどもこれ権利移転の当然の結果にして別に明文を要せざるのみならず既に第４００条，第４８３条，第４８４条等の規定あるをもって足れりとす。その他売主に担保義務ありとは通常学者の称うる所にして旧民法その他外国多数の法律において規定するところなり。しかりといえどもこれその実権利移転の義務の当然の結果たるに過ぎず。けだし権利移転の義務あればこそもし売主がこれを移転すること能わず又は約定したる所に違わざる権利を移転すること能わざる場合即ち権利の全部又は一部が他人に属せし場合，目的物の数量が不足せし場合，物の一部が既に滅失せし場合，売買の目的物に負担ある場合，売買の目的物に隠れたる瑕疵ある場合等において売主に担保の義務あるなれが故に余りはこれをもって独立の義務とせず。権利移転の義務中に包含せるものと認むるなり。

　これを要するに本段においては権利移転の義務に付いて規定せりといえどもただ未だ全２編及び債権，契約の総則中に規定せざる事項のみを規定せり。即ち（第１）他人の物の売買の効力（５６０）（第２）同じく他人の物の売買に付いてもし売主がついにその権利を移転すること能わざるときは買主は果たして如何なる権利を有するか即ちいわゆる追奪担保の主なるもの（５６１ないし５６４）（第３）数量不足及び物の一部滅失の場合に関する規定（５６５）（第４）売買の目的物に負担ある場合に関する規定（５６６，５６７）（第５）強制競売の場合における前３種の規定（５６８）（第６）債券の売買における資力担保（５６９）（第７）いわゆる瑕疵担保（５７０）（第８）前各種の規定の結果により契約の一部解除を為す場合又は売主より損害の賠償を為すべき場合において特に買主を保護する規定（５７１）（第９）無担保の特約の効力（５７２）これなり。

第５６０条　他人の権利を以て売買の目的と為したるときは売主は其権利を取得して之を買主に移転する義務を負ふ（取４２，６２，旧商５２５，５２６）

　他人の売買の有効なりやは従来学者間に議論のあるところにして各国の法律その揆を一つにせざる所なり。けだしローマ法においては他人の物の売買の有効なることをすこしも疑いなき所にしてその後近世に至るまで敢えてこれを無効とせし者あらざりしがフランス民法において一たび契約の効力によりて特定の所有権直ちに売主より買主に移転すべきものとしてより所有権の即時移転を売買の要素なりと誤信しついに他人の物の売買をもって目的不能なるが故に無効なるものとするに至り。しかしてフランス民法におくれて編纂したる法典中には同じくこの誤りを伝えたるもの多し。我旧民法またこの誤説に従い他人の物の売買をもって無効とせり。しかしてその説明に至りては余は所有権の即時移転の不能なるより目的不能の為売買を無効とするものなりと信ずるといえども学者は往々他の理由をもってこれを説明せり。これ誤謬に誤謬を重ねぬるものというべし。けだし所有権の即時取得が売買の要素にあらざることは特約によりその移転を後日に延ばすことを得。（「ボワッソナード」氏の如きはこれを取らざるも〔３訂１巻３１９頁〕不特定物の所有権をもって売買の目的とする場合においてはその所有権は必ず売買成立の後はじめて移転すべく（多くは若干の時日を経てはじめて移転すべし）特定物に関しても所有権以外の権利を目的とする場合においてはその権利移転の時期を後日に延ばすことを得るはけだし何人といえどもかつて争わざる所又契約の効力のみによりて権利を移転することを認むるは近世の法律の創作に関わり昔時の法律においては決してこれを認めず。又今日においてもドイツ法系の国々においては大抵これを認めざるに拘わらず売買なるものは皆契約の最なるものとしてこれを認むるによりて明らかなり。もししからばたとい契約当時に在りては売買の目的たる権利が他人に属するをもって直ちにこれを買主に移転するをこと能わずとするももし売主がその権利を取得してこれを買主に移転するの義務を負はば即ち売買の要素たる権利移転の義務は正に成立すべくしかして他人の権利を取得することは決して不能のことにあらず。現に不特定物の売買に在りては買主は全くその物を所有せる契約締結の後はじめてその物を他人より取得しもってこれを買主に給付すること稀なりとせず。いわゆる供給契約の如きは大抵皆しかりとす。これ本条において他人の物の売買を有効としただ他の場合におけるが如く売主に権利移転の義務あるものとし従って売主はその権利を取得するの義務あるに至るものとせる所以なり。

第５６１条　前条の場合に於て売主か其売却したる権利を取得して之を買主に移転すること能はさるときは買主は契約の解除を為すことを得但契約の当時其権利の売主に属せさることを知りたるときは損害賠償の請求を為すこと得す（財３９５，取５６ないし５９）

　本条以下はいわゆる追奪担保（Garantie d'eviction）に関する規定なり。しかして本条は他人の権利をもって売買の目的となしたる場合において之を取得して買主に移転すること能わざるため買主は契約の解除を為すことを得るものとしたるなり。けだしこの場合においては売主はその義務を果たさざる者なるが故に第５４１条の通則により買主に解除権あるはもとよりなり。ただ本条の明文なきときは第５４１条に従い相当の期間を定めて催告をなしたる後にあらざれば解除をなすことを得ざるべしといえども既に売主が権利を取得してこれを買主に移転すること能わざる場合においては買主より催告をなすも何らの効力なかるべきが故に本条においては買主をして直ちに契約を解除することを得せしめたり。しかして売主が果たして権利を取得することを得るや否やは全く事実問題に属するものにしてもし争いあれば法官の認定に一任するの他あらざるなり。但し実際においてはもし売主が権利者に対しその権利の譲渡を求めたるも権利者これに応ぜざるときは即ち権利を取得すること能わざるものと認めて可なるべし。

　売買の当時に在りては売主売買の目的たる権利を有せりといえども後日無能力，強迫等の原因により売主がその取得行為の取消にあいたるがため買主もまた買受けたる権利を失うに至りたるときは取消は既往に遡りて行為を無効ならしめ初めよりその行為なかりしと同一の結果を生ぜしむるものなるが故に(１２１)売主は売買の当時既にその権利を有せざりしものとみなされ即ち本条の適用により買主は契約の解除をなすことを得べし。

　解除の効力に付いては一般の規定を適用すべく殊に第５４５条の規定によるべし。故に買主は既に支払いたる代価に利息を付してその返還を求むることを得るのみならずもし損害を受けたるときはその賠償を請求することを得べし。しかりといえども損害賠償は相手方に過失ある場合に限りこれを請求することを得べきが故にもし売主に過失なければ敢えて損害賠償の責めに任ぜず。しかして買主が契約の当時売買の目的たる権利の売主に属せざることを知らざりしときは売主は自己の売らんとする権利が果たして自己に属するや否やを究めずしてこれを売りたる過失あるが故に損害賠償の責めに任ぜざることを得ずといえども買主が契約の当時その権利の売主に属せざることを知れるときは売主は果たしてその権利を取得してこれを買主に移転することを得るや否や明らかならざることは買主が予知せし所なるをもって後日売主がその権利を取得してこれを買主に移転すること能わざるも敢えて売主に過失ありたるものということを得ず。故にこの場合においては買主は損害賠償の請求をなすことを得ざるものとせり。

第５６２条　売主か契約の当時其売却したる権利の自己に属せさることを知らさりし場合に於て其権利を取得して之を買主に移転すること能はさるときは売主は損害を賠償して契約の解除を為すことを得

　前項の場合に於て買主か契約の当時其買受けたる権利の売主に属せさることを知りたるときは売主は買主に対し単に其売却したる権利を移転すること能はさる旨を通知して契約の解除を為すことを得(取６０，６１)

　本条は他人の物の売買において善意の売主を保護せんがために設けたる規定なり。けだし売主がその売却する権利の他人に属することを知らずしてこれを売却したるときは必ず過失ある者とするを原則とするが故に損害賠償の責めは通常これを免るることを得ずといえどもしかもその権利を取得してこれを買主に移転すること能わざるときは到底その売買を履行すること能わず。しかるにもし売主にしてその売却したる権利が自己に属せざることを発見したるに拘わらずあるいは新たにその目的物を買主に引渡し又は既に引渡したる物を以前買主の手に留むるときは売主は真の権利者に対して責めを負わざることを得ず。しかして売主が買主にこの事を注意したるに拘わらず買主がその物を滅失，毀損したるときは買主もまた真の権利者に対して責任を負うべきは勿論なりといえども既に売主に他人の物を売りたる過失あるをもって真の権利者はこれに対して損害賠償を請求することを得べし。しかして売主は又買主に対して損害賠償を請求することを得るといえども(７０９)しかも(第１)まず真の権利者に損害賠償を為すの責めを負い(第２)もし買主が無資力なるときはついに売主の損失に帰すべきをもって売主があるいはその物の引渡しを拒みあるいは既に引渡したる物を取り戻さんと欲するは実に正当の希望といわざることを得ず。しかしてこの売主はたとい過失ありとするも善意者なるが故に特にこれを保護するの理由あり。これ本条第一項においてこの売主は損害を賠償して契約の解除を為すことを得るものとしたる所以なり。

　右は買主もまた善意なりし場合に付いて言えりといえどももし買主が契約の当時その買受けたる権利の売主に属せざることを知れるときは売主は損害賠償の責めを負わざること既に前条において論じたるが如きをもってこの場合においては売主は買主に対し単にその売却したる権利を移転すること能わざる旨を通知しもって契約の解除を為すことを得るものとせり。

第５６３条　売買の目的たる権利の一部か他人に属するに因り売主か之を買主に移転すること能はさるときは買主は其足らさる部分の割合に応して代金の減額を請求することを得

　前項の場合に於て残存する部分のみなれは買主は之を買受けさるへかりしときは善意の買主は契約の解除を為すことを得

　代金減額の請求又は契約の解除は善意の買主か損害賠償の請求を為すことを妨けす(財３９５，取６３，６４)

　本条は一部追奪の場合に関する規定なり。一部追奪とは売買の目的たる権利の一部が他人に属するにより売主が買主に移転すること能わざるをいう。例えば売主は共有者の１人なりしに完全なる所有権を売りたるとき，物の一部が売主の所有に属せしにその全部を売りたるとき，売買の目的たる権利が期限もしくは条件の到来によりて消滅すべき場合において永久の権利を売りたるときの如き即ちこれなり。この場合においては全部追奪の場合における原則を適用し契約の一部を解除しその足らざる部分の割合に応じ代金の減額を請求することを得るものとせり。例えば売買の目的が完全なる所有権なる場合において売主が半分共有者なるときは売買の代金１００００円なりとせば買主は５０００円の減額を請求することを得べく。又１０００坪の土地を売りたる場合において売主が７００坪の所有者なりしときはその代価を１００００円とせば買主は３０００円の減額を請求することを得べく。又５０年間の地上権を売りたる場合においてその権利が解除条件の成就により１０年の後消滅したりとせば売買の価を１０００円としその８００円の減額を請求することを得べきが如し。

　以上は売買の一部解除なりといえりといえどもこれ学者の往々認めざるところにして解除権は不可分なりとは通常人の唱うるところなり。しかりといえども余はその誤れるを信ず。けだし売買の目的たる権利が可分なるときは売買はその一部に付いて成立することを得るが故にたといその一部を解除するも他の部分に付いて売買の残存することを得るは実に疑いを容れざる所なり。しかして代価の減額は正に契約の一部解除といわざることを得ず。何となれば売買の目的たる権利の一部は買主に移転すること能わず。しかしてこれに対する代価の減額を求むるは売買の構成分たる権利及び代金の一部の求むるものといえければなり。故に余は理論においては本条は一部の解除を認めたるものなりと信ずれどもただ次に論ずべき全部解除の場合と明らかに用語を区別するがため特に特に代金の減額なる文字を用いて敢えて一部解除なる文字を用いざりしなり（５４４参看）。

　あるいはいわん。第５０２条において解除権の一部代位を許さざるは解除権をもって不可分と為したるものにあらざるなきを得んやと。これ非なり。解除権の性質が敢えて不可分なるにあらずといえども元来契約の一部につき解除の原因存するに拘わらず一人はその一部につき解除を行い他の一人は他の部分につきこれを行わざることを得るものとせば遂に当事者の意思に反する契約を成立せしむるに至ればなり。

　以上は全部追奪に関する原則を一部追奪に適用したるに過ぎずといえどもここに一部追奪に特別なるものあり。他なし。一部追奪の結果残存する部分のみにては買主に利益を与うることすくなくして買主これを保存することを欲せざることあり。この場合においてはもしその買主が善意なるときは契約全部の解除をなすことを得せしむるにあらざればただに買主が非常なる不利益を被るのみならずその得たる権利は買主の手に在りてはほとんど用を為さざるがため経済上においてもすこぶる不利益なることあり。これ本条２項の規定ある所以なり。例えば買主が１００坪の家屋を建てこれに相当の庭園を附せんと欲し１０００坪の土地を買いたるにその９００坪は全く第三者の所有に係りついに追奪に遭いわずかに１００坪を余すに過ぎざるときは買主はその住居に適する家屋を建築することを得ず。故に初めよりこれを知りならば決してその土地を買受けざりしこと明らかなり。この如き場合においては買主は単に代金の減額を請求することを得るにとどまらずしてその契約の全部を解除することを得べし。

　あるいはいわん。右の場合においては買主は損害賠償の請求を為すことを得べきをもって敢えて損失を被ることあらざるべく又その土地全く買主のために不要なりとせばこれを他に売却するも可なり。何ぞ必ずしも契約の全部を解除することをもちいんと。それしかり。あにそれしからんや。それ損害賠償なるものは常に不確実なる標準によりてこれを定むるが故に真の損害を償うこと稀なることは既にしばしば論ずる所なり。又買主がその土地を売らんと欲するも直ちに適当なる買主を発見せざるときはその土地久しく用を為さざるにあらざれば買主は不当の廉価をもってこれを売らざることを得ざるに至り益々損失を被るに至るべし。これむしろ契約の全部を解除することを得せしむるのまされるにしかずとしたる所以なり。

　契約全部の解除権は善意の買主に限りこれを有するものとせり。けだし悪意の買主は売買の当時既にその買受けたる権利の一部は畢竟これ得ること能わざることあるべきを知れるが故に後日これを得ること能わざるを口実として敢えて契約の全部を解除することを得せしむるの理あらざればなり。但し第一項に規定せる一部解除の権利は悪意の買主といえどもまたこれを有せり。これ他なし。畢竟買主が得ること能わざりし部分に付きなお代価の減額を請求することを得ざるものとせば買主は権利の一部を買(ママ)主に与えてしかも代価の全部を受くるに至り不公平の結果を生ずべければなり。

　買主が善意なるときはその一部解除を為す場合と全部解除を為す場合とを問わずすべて売主に対し損害賠償の請求を為すことを得べし。これ前二条に付いて説明せし所によりて略々明らかなる所といえども(第１)善意の買主に限りこの権利を有することを明言するを可とす。(第２)代金減額の請求は余が信ずる所によれば契約の一部解除なりといえども世の学者中疑う者あるべく殊に用語の同じからざるよりあるいは第５４５条の通則を適用すること能わざるかを疑わしむべきか故に特に本条第３項においてこれを明言せり。

第５６４条　前条に定めたる権利は買主か善意なりしときは事実を知りたるときより悪意なりしときは契約のときより１年内に之を行使することを要す(取４３，３項，５４)

　前条に定めたる権利はあるいは権利の足らざる部分を測定しその割合に応じて代金の減額を為すべくあるいは果たして残存する部分のみにても買主がこれを買受けたるや否やを調査すべき等調査に困難なる事実多し。故に長日月の後前条の権利を行うことを得るものとせば事実の証拠を得ること難くしてために困難なる争いを生じ易きおそれあり。故に本条においては右の権利を行使すべき期間を定めたり。しかしてその期間たる普通の時効によりこれを２０年とせば(１６７，２項)はなはだ長きに失するものというべし。故に本条においてはこれを１年とせり。しかしてその起算点は買主の善意なると悪意なるとによりてこれを分かちその善意なるときは売買の当時買主は前項の権利あることを知らざるはもとよりなるが故にそのこれを行わざるはもって買主の怠慢と為すことを得ず。故に買主がその｢事実｣即ち買受けたる権利の一部が他人に属することを知りたるときとしその悪意なるときは初めより買受けたる権利の一部が他人に属することを知れるが故に契約の即時とす｡

　右の期間はいわゆる予定期間にして敢えて時効にあらず。故にこれに時効の中断もしくは停止の規定を適用することを得ず。但し買主が善意なるときは事実を知りたる時より右の期間を起算すべきが故に往々にして右の期間は普通の時効の期間を超ゆることあり。この場合においては買主の権利は既に普通の時効によりて消滅するが故にたとい本条の期間内にあるもまたこれを行うことを得ざるものとす。

　あるいは問わん。第５６１条及び第５６２条の場合即ち全部追奪の場合においては買主の権利の行使につき別段の期間を定めるが故に普通の時効即ち２０年の時効によりて始めてその権利消滅すべきに前条の一部追奪の場合においては特に期間を短縮したる所以のもの如何と。これ他なし。全部追奪の場合においては買主または売主は契約の全部を解除することを得るものなるが故に単に売買の目的たる権利が他人に属せしことを証明すれば即ち可なり。故に特別の短期間にその権利を行わしむることを要せず。これに反し一部追奪の場合においては前に述べたるが如く証明の困難なる事実を証明すべきをもって特に短期間内にその権利を行うべきものとしたるなり。

第５６５条　数量を指示して売買したるものか不足なる場合及ひ物の一部か契約の当時既に滅失したる場合に於て買主か其不足又は滅失を知らさりしときは前ニ条の規定を準用す(取４３，４８ないし５４，旧商５３４，５４４，新商２８８)

　本条は物の数量の不足及び物の一部の滅失の場合に付いて規定せり。これらの場合は旧民法においてはこれを担保問題以外に置けりといえども第１の場合は瑕疵担保の問題とするを最も妥当とす。第２の場合は全く担保の問題にあらずといえどもしかもこれに関する規定は一部追奪の場合と同一なるを至当とす。けだし物の一部が他人に属せしにより買主が一部追奪を受くるも物の一部が初めより滅失せしも，物の数量が不足なるも，その買主に損害を加うる程度に至りてはほとんど異なる所なきをもってこの３つの場合の規定を区別するもすこしも理由なきが如し。これ本条において一部追奪の規定を右の２つの場合に準用したる所以なり。但しこの場合には必ず買主の善意なることを要す。しからずんば売買の目的物は一部滅失たる残部又は欠けたる数量に在りしというも可なればなり。

　あるいは問わん。物の数量不足の場合は瑕疵担保の場合なりといえり。しかるに前２条の一部追奪の規定を準用して第５７０条の瑕疵担保の規定を適用せざるもの果たして如何と。余はこれに答えていわん。学理上の性質より言えば問う者の疑洵に理ありといえども成法は必ずしも理論に拘泥せず実際の便否を考えて規定を設くるが故にあるいは性質の異なるものに付いて規定を同じゅううする例枚挙にいとまあらず。本条の如き即ちその一例なり。けだし瑕疵担保の場合においても理論上は一部追奪と同一の規定に従うべきものとするを妥当とするといえども瑕疵あるがために物の価格の幾分を減ずべきかはすこぶる困難なる問題にして従ってこれに第５６３条の規定を準用するはすこぶる不便とするところなり。これに反して数量の不足なる場合においては不足の部分と残存の部分とを比較して直ちにその割合を知ることを得べきが故に第５６３条の規定によること最も容易なること多し。これ前者は第５６３条の規定によらずして後者はこれによる所以なり。

第５６６条　売買の目的物か地上権，地役権，留置権又は質権の目的たる場合に於て買主か之を知らさりしときは之か為めに契約を為したる目的を達すること能はさる場合に限買主は契約の解除を為すことを得其他の場合に於ては損害賠償の請求のみを為すことを得

　前項の規定は売買の目的たる不動産の為めに存せりと称せし地上権か存せさりしとき及ひ其不動産に付き登記したる賃借権ありたる場合に之を準用す

　前二項の場合に於て契約の解除又は損害賠償の請求は買主か事実を知りたる時より１年内に之を為すことを要す(財３９５，取６５)

　本条は一種の一部追奪即ち売買の目的物に他の権利が付着せる場合及び売買の目的物の利益のために存すべき地役権が存せざりし場合に付いて規定せり。これらの場合においては理論上よりいえばまた一部追奪ありといわざることを得ず。けだし完全なる所有権を買わんと欲したる者が１つの共有権を得たるに過ぎざると完全なる所有権を買わんと欲したる者がその中より地上権，永小作権，地役権などを控除したる不完全なる所有権を得るに過ぎざると学理上毫末の差異あることなし。完全なる所有権に加うるに1つの地役権をもってしたるものを買わんと欲したる者が単に所有権のみを得たるときもまた同じからざることを得ず。その他売買の目的物につき留置権，質権，賃借権の存する場合においてはこれらの権利は敢えて所有権の支分権にあらざるも(再訂２巻９０頁)あるいは所有権者の占有を妨げあるいはその使用，収益を妨ぐるの結果を生ずるが故にまたその権利の一部をそがるるものといいて可なり。もししからばこれらは皆一部追奪なりとしこれに第５６３条及び第５６４条の規定を適用すべきが如し。しかれども実際の便益よりこれを観ればこれらの権利が売買の目的物につき存するにより物の価格の幾分を減するかは極めて量定し難きところなり。故に本条においては理論を捨てて便益に従い右の欠陥の損するため契約を為したる目的を達すること能わざるときは買主より契約の解除を為すことを得べくその他の場合においては単に損害の賠償を求むることを得るに過ぎざるものとせり。けだし買主が現に受くる損害は権利欠缼の割合を評定するより容易なること多ければなり。否損害額の評定は敢えて難からざるにあらずといえどもこれ到底免るることを得ざる所なるが故に(５６３，３項)これに加うるに権利欠缼の割合を定るの困難をもってするときは益困権を重ぬべければなり。

　本条は善意の買主のみを保護せり。けだし権利の一部が他人に属する場合においては当事者は往々にして売主まずこれを取得しもってこれを買主に移転すべきものとするの意思を有すべきが故に悪意の買主といえども代金の減額を請求することを得べきも本条に規定せる権利の欠缼あることを知りて売買を為したる買主は必ずその欠缼に相当する廉価をもってするにあらざれば売買を為さざりしならん。故に悪意の買主はすこしもこれを保護することを要せず。殊に本条においては代金の減額なるものを認めざるが故に到底第５６３条第１項の如き規定によることを得ざるなり。

　本条の権利もまた一部追奪の場合と同一の理由によりその権利の行使期間を１年に短縮せり。しかして本条の買主は常に善意なるが故に右の期間の起算点は買主が事実を知りたる時なりとす。

　賃貸借は特に登記あるもののみに付いて言えり。これ他なし。登記なき賃貸借はこれを第三者たる買主に対抗することを得ざればなり(６０５)。

第５６７条　売買の目的たる不動産の上に存したる先取特権又は抵当権の行使に因り買主か其所有権を失いたるときは其買主は契約の解除を為すことを得

　買主か出捐を為して其所有権を保存したるときは売主に対して其出捐の償還を請求することを得

　右孰れの場合に於ても買主か損害を受けたるときは其賠償を請求することを得(財３９５，取６６)

　本条は条件付き全部追奪というも可なる場合にして理論上はまたこれを一部追奪の中に加うることを得べし。他なし。売買の目的物につき先取特権又は抵当権の存するときは買主は必ずしも追奪を受くべきにあらず。ただ債務者がその債務を履行せざるときは先取特権又は抵当権者はその権利を行使しついに買主をしてその物の所有権を失わしむるに至るべし。これ余が条件付き全部追奪なりといえる所以なり。しかりといえども右の権利は債務者の履行によりたちまち消滅してついに累を買主に及ぼさざること稀なりとせず。又たとい畢竟右の権利を行使するのやむを得ざるに出ずることありとするもその権利の行使あるまでは買主は純然たる所有者としてその買受けたる物を使用することを得べきが故に敢えてこれを他人の物の売買と同一視することを得ざるはもとよりなり。これ余がこれを一部追奪なりという所以なり。しかりといえども一旦これらの権利の行使ありたるときはその結果全部追奪と異なるなきをもって第５６１条と同一の原則に従い買主に契約の解除権を与えたり。ただこの場合に特別なる点２つあり。

第１　たとい買主が右等の権利の行使によりその所有権を失わざるももし出捐を為してこれを保存したるときは例えば債権者に対し滌除を行い又はその債務の全部を弁済しもって右の権利の行使を妨げたるときはもとより契約を解除するの理由なしといえどもしかもその出捐の償還を売主に請求することを得べきはもとよりなり。しからずんば売主不当の利益を為すべければなり(３４１，３７７ないし３８４)

第２　本条の場合においては買主の善意，悪意を問わざることなお全部追奪の場合におけるが如し。しかれども全部追奪の場合においては悪意の買主は損害賠償の請求を為すことを得ざるも(５６１条但書)本条の場合においては悪意の買主といえどもまた損害賠償を請求することを得べし。しかしてこれ契約解除の場合も前項の場合もみな同じき所なり。これ他なし。先取特権，抵当権の性質たる必ずしもこれを行使することを要せず。債務者にしてよくその債務を弁済せばついに先取特権，抵当権を行使することなかるべし。故に買主は正にこれらの権利の存することを知るもなお完全なる所有権を取得する意思をもって売買を為すこと最も多し。この場合においては買主は速やかに債務を弁済し(たとい自分が債務者ならざるも)もって買主をして安全にその権利を得せしめざるべからず。しかるに売主がこの義務をつくさざりしため買主はついにその所有権を奪われ又は出捐を為して僅かにこれを保存することを得るはもとより当然なり。

　本条においては不動産上の先取特権のみをいい敢えて動産上の先取特権をいわざるものはなし。動産の先取特権は第三取得者に引渡したる物の上にはこれを行うことを得ず(３３３)。しかして動産の買主はその引渡しを受くるにあらざれば敢えてその権利を第三者に対抗することを得ざればなり(１７８)。但し理論上においては引渡しは第三者に対するの条件にして当事者間においてはたとい引渡しなきも売買正に成立すべきをもって動産の先取特権に付いても敢えて本条の適用を想像し得られざるにあらずといえどもこれもとより稀有の事例なるが故に法律は特にこれが規定を設けざりしなり。

　本条はなお２点においていささか不完全なる所あるが如し。

第１　所有権をもって売買の目的となしたる場合のみをいい他の権利をもってその目的となしたる場合をいわず。故に本条の規定は地上権又は永小作権の上に存する先取特権もしくは抵当権に関してはこれを適用すること能わず。これいささか欠点と為すべきが如し。しかりといえども本条の規定は本来当然ほとんど言うをまたざる所なるが故にたとい明文なきも右の一切の場合に本条に等しき原則を適用して可なり(動産の先取特権に付いてもまたこれを適用することを得べし)。けだし買主が買受けたる権利を失うときは権利移転の義務ある売主は未だその義務を履行したるものというべからず。故に買主が不履行による解除権を有するはもとよりなり。しかして通常の場合においては一旦催告を為したる後始めて解除をなすことを得べしといえども(５４１)この場合においては履行が売主の責めに帰すべき事由によりて不能となりたるが故に買主は第５４３条の規定に従い直ちに契約の解除なすことを得べし。又買主が出捐を為してその買受けたる権利を保存したるときは売主は不当の利益を為すを常とするが故に買主に対して償還の義務を負うを通例とす。しかして右いずれの場合においても売主に債務不履行の責めがある故に損害賠償の義務あることはまた言うをまたざる所なり。

第２　先取特権および抵当権のことのみをいい質権をいわず。これまた欠点というべきがしかれども質権に付いては既に前条の規定あり。故に買主が善意なるときは前条の規定によりて契約を解除し又は損害の賠償を請求することを得べし。ただ買主が悪意なるとき又は買主が善意なるに拘わらず前条の権利を行うことを欲せざるとき又は前条の権利を行いたる後本条の事実を生じために本条の権利を行わんと欲する場合においては全くその規定なきが故に前段に述べたる所に従い一般の原則によりて同一の権利あるものとせざることを得ず。あるいはいわん。不動産質には抵当権に関する規定を準用すべく(３６１)又動産質に在りては買主は物の引渡しを受くるにあらざればその権利を第三者に対抗することを得ざるが故に大抵前条の規定によりて契約を解除すべくしたがって本条の規定の適用をまつと。けだし稀なるべしとしかれども(1)不動産質には一般に抵当権に関する規定を準用すべきにあらず。ただ抵当権の章に規定するところを準用すべきのみ(３６１)。故に第５０１条第１号，第５７７条等には皆抵当権のほか質権を列挙せり。故に本条中に質権を包含せざること明らかなり(初めは不動産質には抵当権に関する規定を準用すべきものとししたがって抵当権と不動産質権とを列挙せりしが後これを改めたるも本条，第３３９条等は原案のままに存せしが故にこの欠点をのこししなり)。(2)動産質に付いてはある者の言える所大抵あたれりといえども買主に質権者をして自己のために占有をなさしむることを得るが故に既に物の引渡しを受けしかも質権の消滅せざることあり。但しこれ稀有の場合なるが故に動産の先取特権に等しく特に規定を設けざるも敢えて欠点となし難きか。

第５６８条　強制競売の場合に於ては競落人は前７条に規定に依り債務者に対して契約の解除を為し又は代金の減額を請求することを得

　前項の場合に於て債務者か無資力なるときは競落人は代金の配当を受けたる債権者に対して其代金の全部又は一部の返還を請求することを得

　前二項の場合に於て債務者か物又は権利の欠缼を知りて之を申出てす又は債権者か之を知りて競売を請求したるときは競落人は其過失者に対して其損害賠償の請求を為すことを得(取６７)

　本条は強制競売の場合における担保の義務を定めたるものなり。けだし強制競売もまた一つの売買なることは人の疑わざる所なりといえども何人が果たして売主の地位に立つべきかは従来学者間に議論ある所なり。余の信ずる所によれば売主は債務者にして債権者にあらず。けだし債務者は強制を受くるをまたずその債務の履行を為すべきはもとよりにしてもし金銭の支払いによりて履行を為すべき場合においてその嚢中に金銭なきときはすべからく速やかに他の財産を売却して金銭を得もってその債務の弁済にみつべきものとす。しかるに債権者が強制執行によるのやむを得ざるに至れる場合においては債務者自らその尽くすべきの義務を尽くさず故に債権者は第４２３条に認むる権利と同一の権利により債務者に代わりてその所有の財産を売却するに過ぎずもししからば債権者が執達吏によりて競売を為す場合においては自ら売主と為りてその競売を為すにあらず。即ち債務者に代わりてこれを為すものとみなさざることを得ず。これ即ち本条の認むる所なり。

　本条においては普通の場合即ち債権者が債務者の財産を競売に付したる場合に付いて規定せり。しかれども例外として競売の目的物が債務者に属せざることあり。第三者が担保を供したる場合即ちいわゆる物的保証の場合これなり。この場合においてはその財産債務者に属せざるが故に売主は債務者にあらずしてその財産を担保に供したる者即ち物的保証人これなり。けだし本条は普通の場合のみを予見して債務者なる文字を用うるといえどもこれただ多数の場合に付いて規定せるに過ぎずして(Lex statuit de eo quod dlerumque fit)極めて例外なる物的保証の場合には思い及ばざりしなりといえどもしかもこの場合において本条を適用しただ債務者に代わうるに物的保証人をもってすべきは敢えて疑いを容れざる所なり。但し法文はあるいは幾分の不備あるを免れざるか。

　一旦債務者又は物的保証人をもって売主とする以上はこれに前７条の規定を適用すべきは論をまたざるが如し。しかりといえども実際この者が自ら売却を為したるにあらず。多くはその意思に反して債権者が競売を為したるものなるが故にこれをして不当利得を収めしむべからざるは勿論なりといえどもしかもまたこれを責むるに過失をもってすること能わず。故に競落人は前７条の規定に従い契約の解除をなし又は代金の減額を請求することを得るも(実際は代金の一部の償還を請求すべし)敢えて債務者に対して損害賠償の請求を為すことを得ず。但しその者が物又は権利の欠缼を知れるときはこれを申し出つべきは当然の義務なるに敢えてこれを為さずして競落人の損害を受くるを座視するときはほとんどこれを欺きたると異なることなきが故にこれに対して損害を賠償せざることを得ず。

　前条の規定は強制競売の場合においてはその適用をみざるべし。何となれば先取特権及び抵当権は競落によりて消滅すべきこと民事訴訟法の規定する所なればなり(民訴６４９，２項ないし４項，民施５１)。故に｢前７条｣はむしろ｢第５６１条ないし第５６６条｣と改むべきか。

　以上は債務者又は物的保証人の義務に付いて論じたる所なりといえども債権者もまた場合によりて責任なきこと能わず。けだし理論上においては債務者又は物的保証人の売主たることは敢えて疑いを容れずといえども実際においては債権者が自己の利益のために競売を為したることもとより争うべからざる所なり。故に原則としては債権者に責任なしといえどももし債務者が無資力なるときは代金の配当を受けたる債権者に対しその代金の全部又は一部の返還を請求することを得ずんばあるべからず。けだし債権者は物又は権利に欠缼ある場合においてはその全部又は一部につき競落人より不当の代金を受けたる者にほかならず何となれば物が全然債務者の所有に属せざる場合においては債権者は元来その物に付いて弁済を受くべき理なきをもって競落人が契約を解除するにあたりその受け取りたる代金を返還すべきはもとよりなり。又物又は権利の一部が他人に属せし場合又は数量が不足せし場合においては債権者は代金として過当の金額を受けたるものなるが故にその一部を返還すべきは勿論もし競落人においてその欠缼あることを知りたらんには敢えてその物を買受けざりしならんといえること分明なる場合においてはついにその契約を解除して代金の全額の返還を求むることを得べきは理の当然なればなり。しかして債務者に資力ある場合においては債権者は元来その債権の弁済として代金を受け取りたるものなるが故に債務者の他の財産をもって競落人に代金の全部又は一部を償還せしむべきももし債務者にして無資力なるときは勢い債権者に対してその返還を求むることを得せしめずんばあるべからざるなり。

　以上述べたる理由により債権者が代金の全部又は一部を返還するは一つに不当利得の返還に他ならずといえどももし債権者にしてもの又は権利の欠缼を知れるときはあるいは競売を請求すべからず。あるいはその欠缼を明示して競売を請求すべきにこれを為さずしてみだりに競売を請求したるときはほとんど競落人を欺きたるに等しきが故にこれに対して損害賠償の責めに任ずべきはもとより当然なる所なり。

第５６９条　債権の売主か債務者の資力を担保したるときは契約の当時に於ける資力を担保したるものと推定す

　弁済期に至らさる債権の売主か債務者の将来の資力を担保したるときは弁済の期日に於ける資力を担保したるものと推定す(取６８)

　債権の売買においても他の売買におけるが如く売主に担保の義務あるはもとよりなり。例えば売主が誤りて他人に属する債権を売却したるときはその債権を取得してこれを買主に移転することをつとめもしこれを移転すること能わざるときは買主は売買の解除を請求することを得べくかつ多くの場合において損害の賠償を請求することを得べし。又賣主と他の者との共有に属する債権を自己一人に属するものとして売却したるときは買主は場合によりあるいは契約全部の解除を請求することを得べくあるいは契約の一部を解除し単に代金の減額を請求することを得べし。又債権の額が賣主の明言したる額より少なきときは買主はまた同一の権利を有すべし。又債権が質権の目的たる場合においては買主は契約の解除を請求することを得べき場合多かるべし。なお世の学者及び立法者は大抵再建の全く成立せざる場合をもって担保の一つの場合と為すといえどもこれあたかも普通の売買において目的物の存せざるに等しきが故に敢えて担保の問題を生ぜず。ただ売買が目的物なきため成立せざる場合なりとす。

　以上は当然言うをまたざる所なるが故に新民法においては別に明文を設けず。ただ債権の売買に特別なる担保問題あり。他なし。資力担保の問題即ちこれなり。けだし債務者に資力あるや否やはあたかも土地に収穫あるや否やを知るべからざると同じく通常売主において担保すべきものにあらざるなり。しかりといえども債権の買主は往々にして賣主が債務者の資力あることを保証せんことを欲することあり。これけだし買主は債務者を知らざること多きが故に一つに売主の言を信じその債権を買うをもって売主が債務者に資力ありと言える場合においてはこれに言責を負わしめんと欲するはもとより至当といわざることを得ず。故に債権の売買においては資力担保の特約あること稀なりとせず。この場合においてその特約の効力果たして如何。これ本条の規定する所なり。理論よりこれを言えば売主が債務者の資力を担保すという。以上は買主がその債権の履行を求むるにあたり必ず債務者に資力あることを保証したるものなるが如しといえどもこれ通常当事者の意思にあらずして売主の義務重きに過ぐるものというべし。それ人の資力なるものはなお浮雲のごとく今日巨万の富を有する者も明日路頭に迷うことなきを保せず。故に某に資力ありというは今日において資力あるをいえるにて将来某は決して無資力となることなしと保証するが如きは到底能わざる所なり。故に本条においては事物の常理を考え結約者の普通の意思を推測しもし当事者が単に債務者の資力を担保するに止まるときはこれただその契約の当時における資力のみを担保したるものと推定せり。しかれども売主が特に債務者の将来の資力を担保したるときは敢えてこの契約を無効とするの理なし。ただこの場合においてはその債権が既に弁済期に至れると否とにより区別を為さざることを得ず。債権既に弁済期にあらんが買主は直ちに弁済を請求することを得べきにしかもなお売主をして債務者の将来の資力を担保せしむるものなるが故に幾年の後に至り買主がその弁済を請求するももしその時において債務者に資力なきときは売主は担保の責めに任ぜざることを得ず。但しこの場合においても事情を斟酌して当事者の意思を推測し必ずしも売主に永久の義務あるものと為すことを得ざる場合少なからざるべし(この義務もまた１６７，１項の時効にかかるべきは勿論なり)。債権未だ弁済期に至らざらんが当事者が将来の資力といえる最も多くの場合において弁済期に至りてなお債務者に資力あることをいえるならん。これ本条第２項において弁済の期日における資力を担保したるものと推定する所以なり。

　資力担保の義務とは果たして如何なる義務をいうか。いわく債務者が無資力なる場合においてその弁済することを得ざる債務の部分は売主代わりてこれを弁済すべきことこれなり。なお通常の場合においては債務の不履行より生ずる利息その他の損害賠償の如きもまたその中に包含すべし。

第５７０条　売買の目的物に隠れたる瑕疵ありたるときは第５６６条の規定を準用す但強制競売の場合は此限に在らす(取９４ないし１０３，旧商５３４，５４４，新商２８８)

　本条は瑕疵担保(Garantie des vices caches)に関するものなり。けだし売買の目的物に隠れたる瑕疵あるときは買主が取得したる権利はその希望したる価値を有せざるが故にこれによりて買主が損害を受くべきはもとより言うをまたざる所なり。しかるに通常売主は買主よりもよくその売らんと欲するものを知れるが故にこれに隠れたる瑕疵あるときはこれを買主に告げしかもこれを買うべきや否やを確かめざるべからず。しからずんば売主はその物に瑕疵なきことを保証したるものとみなすも敢えて過酷と為すべからず。これ瑕疵担保のよりて生ずる所以なり。しかしてこれに付いては各国大抵皆細密の規定ありといえども新民法においては本条をもって単に第５６６条の規定を準用しもし買主がその瑕疵を知りたらんには敢えてその物を買わざりしならんと認むべき場合においては買主は契約の解除をなすことを得べくその他の場合においては単に損害賠償の請求のみを為すことを得るものとせり。けだし外国の法律においては多くこの場合に代金減額の請求を許すといえども瑕疵あるがために代金の幾分を減額すべきかは極めて算定しがたき所にしてどうもすれば法官の専断に一任せざることを得ず。これあたかも売買の目的物に地上権，永小作権等の如き物権の附着せる場合と一般なるが故にむしろ第５６６条を準用し解除権の他は総て損害要償権のみを認むることとしたるなり。

　瑕疵担保は強制競売の場合にはこれを認めず。けだし強制競売の後に至り担保権を行うが如きは極めて煩雑なる結果を惹起すべきのみならず競売において物を買いたる者はその物に多少の瑕疵あることを予期して幾分か廉価にこれを買い取るを常とするが故にたといこれに瑕疵担保の権を認めざるも敢えて不公平なる結果を生ずることなかるべし。

第５７１条　第５３３条の規定は第５６３条乃至第５６６条及ひ前条の場合に之を準用す

　買主が損害賠償を請求することを得る場合即ち第５６３条ないし第５６６条及び前条の場合においては買主は損害の賠償を請求することを得るに拘わらず代金支払いの義務を負うが故にもし売主にして狡獪ならんがまず買主より代金を受け取りしかも損害の賠償為さざることあるべくもし買主にして狡獪ならんがまず損害の賠償を受けしかも代金はこれを支払わざることあるべし。これふたつながら不公平といわざることを得ず。故に第５３３条の規定を準用し双方共相手方よりその債務の履行を提供されるまでは自己の債務の履行を拒むことを得べきものとせり。しかして第５３３条は双務契約の履行に関する規定なるが故に損害賠償の如き契約より生ぜざる義務に付いては当然同条の規定を適用すること能わず。又契約解除の場合に付いては第５４６条の規定ありといえども契約を解除せざる場合に付いては別に明文を置かざることを得ず。しかして代金減額の場合は理論上契約の一部解除なること既に論じたるが如しといえども便宜のため解除の文字を用いざるが故に明文なきときは必ず適用上の疑問を生ずべくあるいはこれに解除の規定を適用すること能わざるものとするを至当とする者あるべし。これ本条の明文を要する所以なり。

第５７２条　売主は前十二条に定めたる担保の責任を負はさる旨を特約したるときと雖も其知りて告けさりし事実及ひ自ら第三者の為めに設定し又は之に譲渡したる権利に付ては其責を免るることを得す(財３９６，取７１，９７)

　以上第５６９条の場合を除き総て当事者の特約なきも法律上当然売主が負担すべき義務を定めたるものなり。しかれどもこれ敢えて公益規定にあらず。故に当事者はあるいはこの義務を重くしあるいは軽くすることを得べし(５６９の場合においても特約をもって売主の義務を増減すること得べきはもとよりなり)。例えば追奪ありたるときは売主は買主に代価を返還するの他さらに違約金としてその代価に等しき金額を払うべき旨を約することを得べくあるいは追奪あるも単に代価を返還するに止まり敢えて損害を賠償せざるべきことを約することあるべくあるいは買主が追奪に遭い瑕疵を発見する等のことあるも賣主は一切担保の責めに任ぜざるべきことを約することあるべし。本条は即ちこの最後の場合に付いて規定を設けたるものなり。けだし売主が担保の責めに任ぜざることを約するはもとより当事者の随意なりといえどもしかもこれによりて詐欺の責めを免るること能わず。けだし自ら詐欺を行いしかもその責めに任ぜずというは不法の最も甚だしきものにしてこの如き契約はその目的不法なるをもって全く無効なりといわざるべからず。しかして売主が自ら権利なきこと，その権利の一部の他人に属すること，その数量の不足すること，者の一部の既に消滅せしこと，物に瑕疵あること等を知りてこれを告げずしかも担保の責めに任ぜざるべきことを特約するときはこれ明らかの法律上事故に責任あるべきことを知りてしかもその事実を隠蔽しことさらに担保の責めを負わざる旨を約するものなるが故にこれ詐欺にあらずして何ぞや。故にこれらの場合においてはたとい無担保の特約あるもその特約は無効にして売主は以上定めたる所の担保の責めに任ぜざることを得ず。もしそれ売主が売買を為したる後その目的物の上に自ら第三者のために権利を設定し又は既に売りたる権利を第三者に譲渡しこれにより買主をしてその買受けたる権利の全部又は一部を失わしめたるときはこれ契約以後の事実なりといえどもしかも売主の行為により買主をして権利を失わしむるものなるが故にこれに付いて責任を負うべきはもとより言うをまたざる所なり。しかりしかしてこれを本条に明言すものは他なし。一旦売主が知りて告げざりし事実に付いて責任あることを明言する以上は併せてこの場合をも明言しもって売主の責任を明らかにせんと欲したるのみならずこの場合におらば普通の不法行為の場合とその結果を同じゅうせず。むしろ売主が事実を知りてこれを告げざりし場合と同一の結果を生ずべきをもって特にこれを本条に明言せしなり。即ち甲の場合は純然たる担保の場合にして乙の場合はむしろ売主の所為により買主の権利を奪いたるに等しきが故に理論上においてはこの２つの場合同じからずといえどもしかもいずれの場合においても売主はその権利を買主に移転するの義務を尽くさざりし者と看ることを得べきをもってその責任もまた同一ならざることを得ず。けだし売主が買主にその権利を移転するの義務ありとはただ一時これを移転して直ちにこれを奪うことを得るの謂にあらずして全くこれを移転して更にこれを取り返すことなきの謂なることもとよりなり。故に一旦これを移転したるに拘わらず更にこれを奪いたるときはなお売主は権利移転の義務を尽くさざる者ということを得べし。

　あるいはいわん。売主が権利移転の義務を尽くさざるも又は不法行為により義務を負うもその結果において異なることなかるべしといわく。しからず不法行為の場合においては単に被害者が現に被れる損害の賠償を加害者に請求することを得るに止まるといえども売主がその義務を尽くさざるときは買主はその契約を解除しあるいは代価支払いの義務を免れあるいは既に支払いたる代価の返還を求むることを得べし。しかしてその額往々にして現在の損害額より多きことあり。例えば売買の目的物の時価が１０００円なる場合において買主もしこれを１２００円に買いたりとせばその権利を取得することを得ざるによりてうくる所の損害は１０００円なりといえどももし売主がその義務を履行せざるにより買主その契約を解除するときはその１２００円の義務を免れ又は既に支払いたる１２００円の返還を求むることを得べし。

　あるいは又いわん。売主既に一旦その権利を買主に移転する以上はたとい第三者のために権利を設定し又は既に売りたる権利を譲渡すも権利なき者が設定し又は譲渡したる権利なるが故に法律上何らの効力なくあえて買主の権利を害することなかるべしといわく。またしからず。当事者間においては既に権利を移転したるももし買主にして未だ登記を為し又は引渡しを受けざるときはその権利をもって第三者に対抗することを得ず(１７７，１７８)。この場合には売主と買主との関係においては売主既にその権利を失い買主既にその権利を取得せりといえども第三者に対しては売主依然権利者なるが故にその設定し又は譲渡したる権利はもしこれを登記し又は者の引渡しを為したるときは買主もまたその権利を認めざることを得ず。これ右の問題のよりて起こる所以なり。

　　　　　　２　売主の権利

　売主の主たる権利は買主に対して代金の支払いを請求するに在り。しかしてその代金には利息を付すべきことあり(５７５，２項)。この他買主をして物の引渡しを受けしむるの権利あることありといえどもこれむしろ売主の義務たる物の引渡しに付随したる事項にして債権者の遅滞の責めに関する第４１３条の一般の規定にて足れりとし別に本節においてこれが規定を設けず。

第５７３条　売買の目的物の引渡につき期限あるときは代金の支払に付ても亦同一の期限を附したるものと推定す(取７４，旧商５４１，２項)

　本条は代金支払いの時期を定めたるものなり。けだしこの時期は契約においてこれを定むるを通例とするといえどももしこれを定めざるときは原則としては売主は何時にてもその支払いを請求することを得べきものとす(４１２，３項)。しかりといえども売主の義務たる物の引渡しにつき期限あるときは代金の支払いに付いては何等の契約なきもその支払いは物の引渡しを為すべき時期においてこれを為すべきものと推定す。これ他なし。売買は双務契約の最なるものにして第５３３条の趣旨に従い双方の義務を同時に履行するを本則とせざるべからず。しからずんば買主唯り直ちに代金を支払いたるに売主は直ちに物の引渡しを為さざるのみならず期限に至りてもなおこれを怠ることなきを保せず。この如くんは買主のみ契約の履行に忠にして売主はその義務を尽くさざるものなるをもって不公平たるを免れず。故に慣習上においても物と引き換えに代金を支払うを常とし又当事者の意思もここに存すること多きをもって本条においては一般の推定として物を引き渡すべき時期において代金の支払いをも為すべきものとせり。但し本条の規定は１つの推定に過ぎざるが故にもし当事者が異なる意思を有せしこと明らかなるときはもとよりその意思に従うべきものとす。即ち物の引渡しは１年の後にこれを為すべきも代金は直ちにこれを支払うべく又は６ヶ月の後にこれを支払うべきものとするの類これなり。

第５７４条　売買の目的物の引渡と同時に代金を払ふへきときは其引渡の場所に於て之を払ふことを要す(取７５)

　本条は代金支払いの場所を定めたるものなり。この場所は第４８４条の通則により特約なきときは債権者即ち売主の現時の住所においてこれを為すべきものとす。しかして物の引渡しと代金の支払いとその時期を同じゅうせざるときは常にこの原則に従うべきものとす。しかれどももし物の引渡しと同時に代金を払うべきとき即ち前条の規定あるにより普通なる場合においては物の引渡しの場所において代金を支払うべきものとす。即ち第４８４条により別段の契約なきときはその物が特定物なる場合においては売買の当時その物の存在せし場所，物が不特定物なる場合においては債権者即ち買主の現時の住所の置いて物の引渡しを受くると同時に代金の引渡しを為すべきものとす。これ前条と同一の理由により同時履行の原則に従いたるものなり。

第５７５条　未た引渡ささる売買の目的物か果実を生したるときは其果実は売主に属す

　買主は引渡の日より代金の利息を払ふ義務を負ふ但代金の支払に付き期限あるときは其期限の到来するまては利息を払ふことを要せす(取７６)

　本条は売主が物の果実及び代金の利息に付いて有する権利を定めたるものなり。

第１　果実

　果実はもともと物の一部を成せるものにして物の所有権者当然果実を取得すべきことは言うをまたざる所なり。故に純利よりこれを言えば売買の目的物の所有権が買主に移転したるときより果実もまた買主に属すべきものとす。(売買の目的必ずしも所有権にあらざることもとよりにして地上権，永小作権，賃借権，使用借権売買したるときにもまた同一の問題を生ずるといえども煩を避けてしばらく所有権に付いてのみ言う)殊に新民法においては旧民法，ローマ法等の主義により物の危険は売買の時より直ちに買主に移転することを本則とせるが故に(５３４)これと権衡を得せしめんがためにも果実をもって買主に帰せしむるを当然とす。しかしてこの理由より言えばたとい物の所有権が特約により直ちに買主に移転せざるときといえどもなおその果実は買主に属すべきものの如し。しかりといえどもこれ実際に不便多き所なり。その故如何いわく。もし買主をして果実を取得せしむるときは(第１)売主に与うるに買主に対し物の保存費の償還を請求する権利をもってせざることを得ず。(第２)買主をして契約の当時より代金の利息を払わしめざるべからず。(第３)なお一歩進みて論ずれば物が果実を生ずる場合においてその果実を買主に与うべきものとせばたとい物が果実を生ぜざるももし売主これを使用するときはその使用の対価を買主に払わしめざるべからず。しからずんばその結果の不公平なることは更に喋々をまたず。しかりといえどもこれ極めて煩雑なる所にしてほとんど実際に行い難き所なり。故に本条においては便宜のため物の引渡しまではその果実を売主に属せしめその引渡し後において始めて買主に属せしむることとせり。しかしてこれ所有権の移転に伴わざる問題なるが故に所有権が売買の当時直ちに買主に移転すると物の引渡しありたるも所有権未だ移転せざるとに拘わらざるものとす。

第２　利息　

　一般の規定によれば買主は利息を払うべき特約を為さざるときはいやしくも遅延の責めなき以上はすこしも利息を払うことを要せざるものといわざることを得ず。しかして代金の支払いにつき期限あるときは(５７３参照)その期限過ぎてなお代金を支払わざれば遅延の責めあるが故に(４１２，１項)期限到来のときより利息支払いの義務を生ずべく期限なきときは売主より代金支払いの請求を受けたる時より遅滞の責めに任ずべきが故に(同３項)その請求を受けたる日より利息を払うべきものとす。しかれども売買の目的が有体物に関し売主がその物を引き渡すべき場合においては前項に論じたるが如く公平を保たんがためその引渡しの日より代金の利息を支払うべきものとせり。けだし買主は引渡しの日より過日を取得すべきが故に代金につき利息を払わざるときは利買主のみに在りては不利売主のみに在るべし。しかれども引渡し以前においては果実は売主に属すべきが故にもしこの場合において買主に利息支払いの義務あるものとせば利売主のみに在りては不利買主のみに在るべければなり。故に買主が物の引渡し前に代金を支払うべき場合に在りては売主はもとよりその代金を請求することを得べくしかして買主が任意にこれを支払わざるときはこれに対して強制執行なすことを得べしといえども敢えて第４１９条の通則により買主をして利息を支払わしむることを得ず。これと権衡を保たんがために代金支払いの時期が物の引渡し以後にある場合といえどもなお引渡しの日より代金の利息を支払うべきものとすべきが如し。しかれども本条第２項においては特に当事者の意思を推測し代金支払いの時期が物の引渡しの時期の後にある場合においては当事者は買主に特別の利益を与うる意思ありたるものとし買主は物の果実を取得するに拘わらず期限到来までは代金の利息を払うことを要せざるものとせり。これ果たして当事者の意思に適すべきや否やはいささか疑いなき能わずといえども畢竟本条の規定は当事者の意思を推測して一応の規定を設けたるに過ぎざるが故にもし当事者にしてこれに異なりたる意思あるときはこれを特約すれば即ち可なり。故に深く本条の当否を論ずるの必要なきか。

第５７６条　売買の目的に付き権利を主張する者ありて買主か其買受けたる権利の全部又は一部を失ふ虞あるときは買主は其危険の限度に応し代金の全部又は一部の支払を拒むことを得但売主か相当の担保を供したるときは此限に在らす(取７７)

　本条は買主の代金支払いの義務につき特にこれを保護すべき場合について規定せり。けだし買主に代金支払いの義務あるは売主より権利を取得すべければなり。しかるに買主がその買受けたる権利を取得したること不確実なるときは暫らく代金の支払いを止めもって損失を免れんと謀るは実に至当といわざることを得ず。故に本条においてはもし売買の目的につき権利を主張する者あるときは買主はこれによりてその買受けたる権利の全部を失うべきと一部を失うべきとによりあるいは代金全部の支払いを拒みあるいはその一部を拒むことを得るものとせり。例えば売買の目的物の所有者なりと称するもの出たるときは買主はその買受けたる権利の全部を失うおそれあるが故に代金の全部の支払いを拒むことを得べくもし第三者が売買の目的物の半分の所有者なることを主張するときは物の価格の半ばを失うおそれあるが故に半額の支払いを拒むことを得べく第三者が売主の目的物の上に地上権を主張しこれがために価格の３分の１を失うおそれあるときは代金の３分の１の支払いを拒むこと得べくもし第三者が売買の目的物の上に抵当権を主張しその物の価１００００円なるに第三者の債権７０００円なりとせば買主はその買受けたる権利に付き７０００円の価格を失うおそれあるが故にその７０００円の支払いを拒み単に３０００円を支払うべきことを主張することを得べし。但し売主が相当の担保即ち第１例においては全部の価格に相当する担保，第２例においてはその半額，第３例においてはその３分の１，第４例においては７０００円に相当する担保を供したるときは買主は代金の支払いを拒むことを得ず。

　あるいはいわん。もし買主にしてついにその権利を失わば第５６１条以下の規定により請求をなしもってその損失を免るることを得べし。しかるに今たとい権利を主張する者あるにもせよ未だ買主がその買受けたる権利を失うや否やを確知せざるに及びにわかに代金の支払いを拒むはあに不当ならずやと。いわくしからず。第５６１条以下の規定において買主の権利を認むることは誠にある者の言うの如しといえどももし買主にして一旦代金を支払うときは(第１)更に売主に対し請求を為すには多少煩雑なる手続きをふまざることを得ず。(第２)売主は往々にして無資力なることあり。この場合においては買主はついに先に支払いたる代金の全部または一部を失わざることを得ざるべし。これ買主のために甚だ不利益なる所あり。故に本条においてはこれに代金の支払いを拒むの権を与えもって右様の危険を避くることを得せしめたり。しかしてもし売主にして相当の担保を供するときは直ちに代金の支払いを受くることを得べきが故に敢えて買主にのみ厚くして売主に薄きものということを得ざるべし。

第５７７条　買受けたる不動産に付き先取特権，質権又は抵当権の登記あるときは買主は滌除の手續を終はるまて其代金の支払を拒むことを得但売主は買主に対して遅滞なく滌除を為すへき旨を請求することを得(取７８)

　本条の規定は売買の目的物が不動産にしてこれに付き先取特権，質権又は抵当権の登記ある場合に関せり。この場合においては前条に論じたる危険常に存するが故に買主は常に代金の支払いを拒むことを得べし。しかりといえども買主には滌除権あるが故に(３４１，３６１，３７８以下)もし買主にしてこの権利を行わば直ちに右の権利を消滅せしむることを得べし。故に滌除権を行いたる後は買主がこれを行いたるによりて売主に請求すべき金額を除き(５６７，２項，３項)その残額を売主に支払うべきものとす。しかして買主が滌除権を行うと否とはその随意にあるをもって果たしてこの権利を行うや否や又畢竟。これを行うべしとするもいずれの時にこれを行うべきかは全く不確定にしてために売主は長く代金の支払いを受くること能わざる場合あるべし。ここにおいてが本条は売主に与うるに買主に対し遅滞なく滌除を為すべき旨を請求するの権利をもってせり。

第５７８条　前二条の場合に於て売主は買主に対して代金の供託を請求することを得(取７９)

　前２条の規定によれば買主は代金お支払いを拒むことを得る場合あり。これ畢竟損失の危険を免れんがためなり。しかりといえどももし買主にして漫然その支払いを拒むことを得るものとせば今日は資力ある買主も明日は無資力となることなきを保せず。本条においては売主に与うるに買主に対して代金の供託を請求する権利をもってせり。この如くんは買主も損失を被るのおそれなく売主もまた損失を被るのおそれなきが故に両者の保護並び行われて最も公平を得たるものとすべければなり。

　　　　　第3款　　買戻

　買戻(Remere’ Wiederkauf)とは売買当時の特約により売主の意思をもって契約の解除を為すを調う。けだし買戻に関する規定は各国一様ならずしてあるいはドイツ法の如く真の買戻とし即ち前売買は敢えて解除せらるることなくただ買主より更にその買受けたる物を売主に売り渡すをいえりといえどもこの如くんはほとんど特別の規定を要せず。しかしてその契約の有効なることはすこしも疑いを容れざる所なり。しかりといえどもフランス法及び我が国の慣習等におけるが如く買戻の効力をしてその実原売買の解除たらしめはこれ特に明文を要するのみならずその利益，弊害共に少なからざるが故に一方においてはこの契約をして充分の効力を生ぜしむると同時に他の一方においてはこの契約を適度の範囲内に制限しもってその弊害を矯正することをつとめずんばあるべからず。これ本款の規定を要する所以なり。但し買戻の効力にして果たしてこの如くんはその文字すこぶる穏当ならずといえども既に従来一般に行わるる所の用語にしてその効力の如きは本款の規定によりて自ら明らかなるをもって敢えて新たなる名称を用いざりしなり。旧民法にはこれを受戻(Retraitを訳せしものなり)といえるもの我が国の慣用語によれば受戻なる文字はむしろ質もしくは抵当について用うる所なるをもって新民法においてはこれを取らざりき)。買戻の特約は如何なる場合に必要なるかいわく。主として物の所有者がこれを売却すること欲せずといえども一時金銭の入用あるがためこれを売却するのやむことを得ざるに出でて数ヶ月乃至数年の後その金を得るの目的あるをもってその時に至り買主に代価を償還してその売買を解除せんと欲する場合においてその必要あり。しかしてこの必要はほとんど不動産についてのみ存せり。殊に動産に在りては第１９２条の規定あるをもって一旦これを他人に売り渡す以上はたといこれに買戻の特約を付するも不動産におけるが如く登記によりてこれを第三者に公示するの便なきが故にその特約は畢竟有名無実たるを免れず。これ新民法においては旧民法その他外国多数の例に反し不動産についてのみ買戻の特約を認むる所以なり。但しドイツ法におけるが如く買戻をもって再売買と為す。以上は以下にその適用を広くするもすこしも弊害なきが故にたといその必要は稀なるも動産の買戻をも認むべきはもとよりなりといえども我が国におけるが如く買戻をもって原売買の解除と為す以上は大いに取引の自由を害しその弊害少なからざるをもってこれを必要とやむことを得ざる範囲内に限りその他においてはこれを認めざることとせり。但しドイツ法におけるが如き真の買戻はこれを為すことを得べく又一般の規定によりて売主は解除権を留保することを得るといえどもこの場合においては本款の規定を適用することを得ず。即ち真の買戻の場合においては新たなる売買と同一の効力を生ずべく又解除権を留保したる場合においては第５４０条以下の通則に従い契約の解除を為すことを得るに止まるべし。したがってその解除は敢えて第三者の権利を害することを得ざるものとす(５４５，１項)。

　買戻は如何なる弊害あるかいわく。買戻権の存する間は買主は未だ完全なる所有権を得たりということを得ずして何時その権利を失うか知らず故に買主はその買受けたる物に付き莫大の費用を投じもって充分の改良を図ること能わず。又その権利を処分せんと欲するも第三者は何時売主の買戻に遭うかを知らざるをもって容易にこれを譲り受くることを肯んじせざるべし。この如くんは物の充分の改良を受くること能わず。又その融通極めて困難にして無用の手より有用の手に移りもって充分の効用を致すことを得ず。これ国家の経済上最も憂うべきところなり。殊に法律の不完全なる時代に在りては第三者はややもすれば買戻権の存することを知らずしてその物に付き権利を譲り受け後日買戻に遭いて不慮の損失を被るおそれあり。従って遠謀なき者は往々意外の損失を被り深慮ある者は容易に物を買い受けざるに至り一般の取引の安全を害することを鮮少ならざりしといえどもこの弊害は今日はほとんどその跡を収めたりというべし。何となれば不動産に付いては登記の制在り。もって買戻の特約を第三者に知らしむることを得べく(旧登記法においては買戻特約の登記を認めざるがため反対の裁判例ありよって不慮の損失を被る者多きことは人の知る所なりといえども本条第５８１条には明らかにこれを登記すべきことを言えるが故にまたこの弊害を見ざるべし）又動産に付いては第１９２条の規定あるが故に善意にして過失なき者は決して損害を被るのおそれなければなり。

　買戻の特約は第３４９条の適用を潜脱せんがためにこれを用うることあり。即ち債務者が債権者に質物を供しもって金銭を借りらんことを欲する場合において債権者は期限に至りもし債務者が弁済を為さざるときは直ちに質物の所有権者たらんことを欲するも第３４９条のこれを禁ずるあるをもって両人協議の上まず債務者より債権者にその物を売り数ヶ月ないし数年の後その代価を債権者に返還すれば債務者はその物の所有者と為ることを得べきものとするときはその名は買戻の特約なりといえどもその実は質契約に関し第３４９条に禁ずる所の特約を為したると異なることなし。余は第３４９条の規定をもってその当を得ざるものなりとすれても一旦その規定の存する以上はその適用を潜脱せんとする契約はもとより不法にしとこれを無効とせざることを得ず。しかるに表面よりその規定に違背するときは無効にして名を買戻の特約に借りその適用を潜脱するは可なりというべきとは法律の制禁は毫末の価なきにおわらんとす。しかしてたとい名を買戻の特約に借りるもその実第３４９条の適用を潜脱せんと欲したるものと認定することを得るときはその契約の無効なることもとより論をまたずといえどもこの如きは証拠は実際にこれを挙ぐること最も困難なるをもってたとい当事者に右の意思あるも実際その証拠挙ぐること能わざるためついにその契約を有効とせざることを得ざること最も多かるべし。これまた買戻特約の弊害というべきがなお利息制限法の存する間は買戻の特約により利息制限法の適用を潜脱せんと欲することあるべし。例えば債務者が表面上その所有物を債権者に売り数ヶ月ないし数年の後その代金を返還するときは債務者更にその所有者と為ることを得べきものとししかしてあるいは１０００円の金を借りたる者が１年の後買戻を為すには１２００円の代金をもってすべきことを定むるときはこれ暗に年２割の利息を付するものなり。これまた買戻特約の弊害というべきか。但し前例において当事者の意思を証明することを得ばその無効なることもとよりなり又後例においてはあたかも右様の弊害あるのみならず真正なる買戻に在りては売主が受け取りたる代金を返還して契約の解除を常とするが故に第５７９条において売主は代金及び契約の費用より多額の金銭を買主に支払うべき旨を定むることを得ざるものとせり。かつ利息制限法は民法の実施と同時にこれを発することを得ざりしといえども到底長くその効力を保つこと能わざるべきを信ずるが故にもしこの弊害のみを慮りたらんにはあえて買戻の特約に制限を付するの必要あらざりしならん。

第５７９条　不動産の売主は売買契約と同時に為したる買戻の特約に依り買主か払ひたる代金及ひ契約の費用を返還して其売買の解除を為すことを得但当事者か別段の意思を表示せさりしときは不動産の果実と代金の利息とは之を相殺したるものと看做す(取８４，１項，５項，６項，旧商５２９)

　本条においてはまずいわゆる買戻の特約は必ず不動産の売買に限ることを明言し(第１の制限)次に買戻の特約は必ず売買契約と同時にこれを為すべきことを規定し(第２の制限)終わりに売主より買主に支払うべき金額は決して代金及び契約の費用を超過することを得ざるものとせり(第３の制限)。しかして第１及び第３の制限を設けたる理由は既にこれを論じたるが故に今は単に第２の制限を設けたる理由のみを説かん。これ他なし。売主は売買契約によりて解除権を留保することはもとよりその随意なりといえども一旦この権利を留保せずして売買を為したる以上はその権利はまったく買主に移転し売主はまた何等の権利も有せざるが故に(売買の目的たる権利に付いて言う)売主，買主更に契約を為し原売買を解除して一旦買主に移転したる権利を更に売主に移転することを得るはもとよりなりといえどもこの如くんはその解除の効力を既往に遡らしめ売主をしてかつてその権利を失いたることなく買主をしてかつてその権利を取得したることなき者の如くならしむること能わず。従ってただに第５８１条の規定によりてその解除の結果を第三者に対抗することを得ざるのみならず第５４５条によりて当事者間においてのみ解除の効力を既往に遡らしむることをも得ずといわざるべからず。但し事，当事者の関係のみに止まるときは特約をもって第５４５条に規定すると同一の結果を生ぜしむることを得るといえども第三者に対してはまた如何ともすること能わず。これ右の第２の必要なる所以なり。本款に規定する所の買戻権はもとより解除権たるこというをまたず。故に本款に規定するものの他第５４０条以下の規定を適用すべきはもとよりなり。故に(第１)買戻は買主に対する意思表示によりてこれを為すべくかつその意思表示はこれを取消すことを得ざるべし(５４０)。(第２)当事者の一方が数人ある場合においては買戻はその全員より又はその全員に対してのみこれを為すことを得べく又買戻権が当事者中の１人に付き消滅したるときは他の者に付いてもまた消滅すべし(５４４)。(第３)売主が買戻を為したるときは各当事者はその相手方を原状に復せしむる義務を負うべし(５４５)。(５４８の規定も理論上は買戻に適用すべきが如しといえども実際その適用稀なるをもってここに論ぜず)しかりといえども右の第３点に付いては第５４５条の通則によれば第三者の権利を害することを得ずといえども買戻はこれを第三者に対抗することを得べきの差在り。なお各当事者その相手方を原状に復せしむるの結果買主が物の引渡しを受けたるときはその果実を賣主に返還せざることを得ざるべく又同条第２項によれば売主が返還すべき代金にはその受領の時より利息を付せざることを得ず。しかりといえどもこれすこぶる煩雑なる所にしてしかも(１)物の果実は通常代金の利息と大抵同一の価格を有すべく(２)者が果実を生ぜざるときといえども買主はこれを使用して利益を受けたる者なるが故に代金の利息を受くるときは二重の利益を受くる者というべし。故に本条においては第５７５条と同一の精神により物の果実と代金の利息とはこれを相殺したるものとみなすべきことを規定せり。但しこれ当事者の意思を推測して定めたるものなるが故にもし当事者にしてこれに異なりたる意思を表示したるときはもとよりその意思に従うべきものとす。

第５８０条　買戻の期間は十年を超ゆることを得す若し之より長き期間を定めたるときは之を十年に短縮す

　買戻に付き期間を定めたるときは後日之を伸長することを得す

　買戻に付き期間を定めさりしときは５年内に之を為すことを要す(取８４，２項ないし４項)

　本条は買戻の特約の第４の制限たる期間の制限について規定せり。けだし買戻は既に論じたるが如く経済上すこぶる弊害あるものなるが故にその期間を制限しもってその弊害をして甚だ長からざりしめんことを期せり。しかして本条においては１０年を最長期とせり。旧民法においては不動産に付き５年をもって最長期とし政府案にはこれによりしも衆議院においてこれを１０年に伸長せり。けだし我が国においては買戻の特約の慣習最も広く行わるるが故に専らこの慣習に激変を生ぜざらしめんことを期せるなりしかりといえども既に買戻に弊害ある以上はたとい慣習を打破するもこれを制限するに利あり。故に余は立法論としては最長期を５年に短縮するを可とす。

　もし当事者が１０年より長き期間をもって買戻の特約を為したるときはこれを１０年に短縮すべきものとせり。これけだし右の特約を違法なりとして全くこれを無効とせんよりはなお１０年の期間をもってこれを保持せんこと当事者の意思に適すべければなり。

　一旦当事者が買戻に付き期間を定めたるときはたといその期間は１０年未満なるも後日に至りこれを伸長することを得ず。これ他なし。買戻の特約は解除権の留保なること既に論じたるが如し。しかして解除権の留保は原契約と同時にこれを為さざるべからざることもまたこれを論じたり。故に当事者は新たなる契約により買主より更にその権利を売主に移転するはもとより可なりといえどもこれに買戻の効力を付せんと欲するも得べからざるなり。

　以上は当事者が買戻に付き期間を定めたる場合に付いて論じたりといえどももしこれを定めざりしときは果たして何時にても買戻を為すことを得べきか。いわく否。既に買戻をもって弊害ありとしてその期間を制限する以上はたとい当事者が期間を定めざるときといえどもなお相当の期間内に買戻権を行うべきものとせざることを得ず。しかして当事者が期間に付き特約を為すも決して１０年を超ゆることを得ざるものなるが故に当事者が何等の特約も為さざるときは最長期間買戻を為すことを得べきものとしたりということを得ず。故に本条においては最長期の半ば即ち５年内にこれを行うべきものとせり。

第５８１条　売買契約と同時に買戻の特約を登記したるときは買戻は第三者に対しても其効力を生す

　登記を為したる賃借人の権利は其残期１年間に限り之を以て売主に対抗することを得但売主を害する目的を以て賃貸借を為したるときは此限に在らす(取８５)

　本条は買戻の特質たる第三者に対する効力に付いて規定せり。この効力たる一般の通則に反することは既に論じたるが如し。しかしてその当事者の意思に適すると同時に弊害のこれに伴うこと多きはまた既に論じたる所なり。故に本条においてはこれに一つの条件を付したり。他なし。売買契約と同時に買戻の特約を登記すべきことこれなり。けだし不動産権をもって第三者に対抗せんと欲せば当にこれを登記すべきことはほとんど言うをまたざる所なりといえども(但し１７７には単に｢不動産に関する物権の得喪及び変更｣を登記すべきことをいえるが故にもし本条の明文なくんば果たして買戻の特約を登記すべきや否やに付き必ず疑いを生ずべし。なお登記法３８において明らかにこれを規定せり。)登記の通則によれば買戻は登記の時よりこれを第三者に対抗することを得べきもその登記は何れの時においてこれを為すも可なりとせざることを得ず。しかれども買戻の特約に付いては大いに弊害あること既に論じたるが如きをもってもしこの通則に従うときはその実売買の当時には買戻の特約なきも売主と買主通謀して売買の当時買戻の特約ありたりと為しもってその登記を請求することあるべし。故に本条においては特に売買契約と同時に買戻の特約を登記すべきものとせり。

　本条にいう所の第三者は買主より更に不動産を買受けたる者，贈与を受けたる者，地上権，永小作権，地役権，先取特権，質権，抵当権等を取得したる者，使用借主，賃借人等とす(その他一般の債権者あれども煩にわたるるを恐れてこれを省く)。しかして本条第1項の規定は右の各種の第三者に適用すべきものなりといえども唯り賃借人については第2項の特別規定あり。これ他なし。不動産は自らこれを使用せざる者に在りては必ずこれを他人に賃貸するにあらざればその効用を為さしむること能わず。故に賃貸は利用の普通方法としてこれを認めざることを得ず。しかるに売主は買戻の期間内何時にても買戻を為すことを得べく(特約をもってある時期の間買戻を為さざることを定むるはもとより随意なりといえどもこれ実際に稀なる所なるべし)しかして売主が買戻を為すときは賃借人の権利たちまち水泡に属すべきものとせば誰が安じてその不動産を賃借するものあらんや。もしこれを賃借する者ありとするも必ず低廉なる賃借をもってするにあらざればこれを借りらざるべし。この如くんは買戻の弊害をして益々深からしむるものといわざることを得ず。故に本条第2項においては短期にしてかつ悪意なき賃貸借はもって売主に対抗することを得るものとせり。即ち賃借人の権利は買戻を為したる後1年間に限り売主に対して有効なるものとせり。但し賃借人の権利はこれを登記するにあらざればもって第三者に対抗することを得ざるものとせるが故に(６０５)その権利を賣主に対抗するには必ず登記を為すことを要するはもとよりなり。

　あるいはいわん。買主及び賃借人が売主を害する目的をもって賃貸借を為したるとき例えば特に低廉なる借賃をもって賃貸借を為しもって買戻を為したる売主に損害を加えんことを謀りたる場合においては本条の明文なきも第４２４条の適用によりこれを取消すことを得べし。故に本条第２項但書の規定は全く重複にわたるものにあらざるなきを得んやと。いわくしからず。第１売主は果たして第４２４条にいう所の債権者なるや否やすこぶる疑いなき能わず。けだし売主が既に買戻の意思表示を為したる後はその債権者なることもとよりなりといえども未だ買戻の意思表示を為さざる間は一種の条件付き権利を有するに止まるをもって本条の明文なくんばすくなくも適用上の疑問を惹起することほとんど明らかなり。(第２)第４２４条によれば特に法律行為の取消を裁判所に請求せざることを得ずといえども本条によれば売主を害する意思あるときは当然その賃貸借は売主に対抗し得べからざるものにして特にその取消を裁判所に請求することを要せず。これ本条第２項但書の規定の第４２４条の規定と重複せざる所以なり。

第５８２条　売主の債権者か第４２３条の規定に依り売主に代はりて買戻を為さんと欲するときは買主は裁判所に於て選定したる鑑定人の評價に従ひ不動産の現時の価額より売主か返還すヘき金額を控除したる残額に達するまて売主の債務を弁済し尚オ余剰あるときは之を売主に返還して買戻権を消滅せしむることを得(取８６)

　買戻権は一つの財産権なるが故に売主の債権者は第４２３条の規定によりこの権利を行使すべきこと得べきはほとんど疑いを容れざる所なり。しかして売買の代価が不当に廉なる場合においては買戻を為して更にその物を相当代価にて売却するときは多少の余剰を生じこれによりて債権者が弁済を受くることを得ること稀なりとせざるべし。しかりといえども債権者はもともとこの権利によりて弁済を受けんと欲するに他ならざるが故に必ずしも買戻を為して売買を解除することを要せず。ただこれによりて受くべき利益を得れば即ち可なり。故に本条においては買主は鑑定人の評価に従い不動産の時価より売主が返還すべき金額即ち代金及び契約の費用(利息は特約あるにあらざればこれを払うことを要せず)を控除したる残額に達するまで売主の債務を弁済しなお余剰あるときはこれを売主に返還しもって買戻権を消滅せしむることを得るものとせり。例えば売買の代金１００００円にして契約の費用に３００円なりとせんに不動産の時価が１５０００円にして債権者が受くべき金額が５０００円なりとせば買主は４７００円を債権者に与えもって買戻権を消滅せしむることを得べし。もし債権者の受くべき金額を３０００円とせば買主は３０００円を債権者に与えなお残額１７００円を売主に返還しもって買戻権を消滅せしむることを得べきの類いこれなり。

　右は極めて公平なる規定なりといえどもその公平を全うせんには１つの条件を要す。他なし。不動産の評価確実なることこれなり。しかしてその評価の確実ならんことを欲するがため本条においては必ず鑑定人の評価に従うべき事を定めなおその鑑定人は裁判所において選任したる者たることを要する旨を規定せり。しかして民事訴訟法の一般の規定によれば裁判所は鑑定人の意見を採用すると採用せざると１つにその自由に在り(証１１参観)。しかるに本条の場合においては鑑定人の選定は全く裁判所の自由に在りて場合によりては半途にしてこれを改選し又は一旦鑑定を為さしめたる後更に鑑定を命ずることをも得べしといえども(非訟事件手続法１９，８４，民訴３２４，１項，３３０，４号参観)裁判所は鑑定人の評価を不当なりとしこれを増減することを得ず。けだし本条の場合は１つの非訟事件にして訴訟の一般の規定を適用し難きものあればなり。

第５８３条　売主は期間内に代金及ひ契約の費用を提供するに非されは買戻を為すことを得す

　買主又は転得者か不動産に付き費用を出たしたるときは売主は第１９６条の規定に従い之を償還することを要す但有益費に付ては裁判所は売主の請求に因り之に相当の期限を許与することを得(取８８)

　売主が買戻権を行うには必ず買主が払いたる代金及び契約の費用を返還すべきことは既に第５７９条に規定せる所なり。ただ本条においては売主は果たして買戻の意思を表示したる後代金及び契約の費用を返還することをもって足れりとすべきかはた買戻の意思表示を為すにはまずこれを返還すべきものとすべきかを定めたるものなり。けだし売主は買戻の意思表示を為しもって売買を解除したる後代金等の返還を為すをもって足れりとせば売買によりて移転したる権利は売主に復帰したるに拘わらず買主は未だその払いたる代金等の返還を受けざるが故にややもすれば容易にその返還を受くること能わず甚だしきに至りては売主の無資力に遭いついにその代金等の全部もしくは一部を失うに至ることなしとせず。しかりといえどももし売主にしてまず代金等の返還を為すべきものとせば買主は往々にして自己の受け取るべきものを受け取りたるに拘わらず不動産を返還し肯ぜず甚だしきに至りては契約解除の登記をも拒むことなしとせず。ここにおいてか本条は双方のために最も公平なる規定を設け売主は代金及び契約の費用を提供するにあらざれば買戻を為すことを得ざるものとせり。この如くんは一方においては買主はそこ買い受けたる権利を失うに拘わらず代金等の返還を受けざることあるべからず。他の一方においては売主は未だ代金等の返還を為さざる内についに買戻の意思表示を為すことを得るが故に代金等を失うに拘わらず不動産を取り戻すことを得ざることなかるべし。なお買主はこの場合において留置権を有するが故に(２９５)売主が単に代金等を提供するに止まり直ちにその弁済を為さざるときはたとい権利は既に売主に復帰するもなお不動産の返還を拒むことを得べし。

　本条第１項の規定はなお１つの重大なる必要あり。他なし。買戻には必ず期間あるべきことは既に第５８０条の規定する所なり。故に売主はその期間内に買戻を為さざればその権利を失うべきはもとよりなり。しかるに実際未だ代金等を返還するの準備なき売主にして期間の将に経過せんとするにあたり買戻権を失わざらんがためにみだりに買戻の意思表示のみを為ししかも代金等の提供を為さざることあるべし。これ売主のためには便利な利といえどもしかも買戻に付き期間を定めたる精神に反するや明らかなり。けだしたとい買戻の意思表示を為すももし売主にして代金等の返還を為すこと能わずんば幾歳月の後に至りて果たして真に買戻の実を見ることあるべきか知るべからざればなり。故に本条第１項において必ず買戻期間内に代金及び契約の費用を提供することを定めたり。

　買主又は買主より不動産を取得したる者はその不動産を占有する間においてこれに費用を加うることあり。土地に建物を設け，家屋に修繕を施すの類いこれなり。この場合においてはその買主又は転得者は第１９６条の規定に従い費用の償還を売主に求むることを得るはもとよりなり。ただ同条の適用に付きその買主又は転得者は果たして善意の占有者なるやはた悪意の占有者なるやの疑いあることあたかも留置権者に異ならざるべし(２９９)。余は理論上はこれを善意の占有者なりといわざることを得ざるものと信ず。けだし買主又は転得者は不動産の所有者なるが故に(売買の目的必ずしも所有権ならずといえどもその所有権なること最も多きをもって姑く所有権に付いてのみ言う)不動産に付き建築，修繕等を為すは全くその随意に在ればなり。しかりといえども第１９６条の適用に付いては特にこれを悪意の占有者と同一視せざることを得ざるの理由あり。それ買戻の特約ある場合においては買主又は転得者は不動産の所有者たるに相違なしといえどもしかも将来売主の買戻に遭いその所有権を失うことあるべきを予知せる者なり。故に莫大の費用を投じて不動産に建築，修繕等を為すが如きは必ずしもこれを穏当の行為と視るべからず。しかして実際においては買戻の特約をもってその不動産を売却するが如き売主は多くは金銭の蓄えなき者なるが故にもし買主が為したる莫大の費用を償還するにあらざれば不動産を取り戻すことを得ざるものとせばついに買戻をなすこと能わざるに至るべし。これ買主又は転得者を悪意の占有者に視え裁判所は売主の請求により有益費の償還に付き相当の期間を許与することを得るものとしたる所以なり。けだし売主もまた不当の利得を為すべからざるはもとよりなるが故に買戻を為したる後相当の期間内にその費用を償還すべきものとせば一方において売主はこれがために買戻を為すことを得ざること稀なるべく他の一方においては買主又は転得者も敢えて損失を被ることなかるべし。

　右の理由により買主又は転得者は費用に付いては悪意の占有者と同一の権利を有するものとせり。故に(第１)必要費に付いては直ちにその全額を売主に請求することを得べく(但し｢通常の必要費｣は買主これを負担すべきこと多かるべし，１９６，１項但書)しかしてこれに付いては留置権をも行うことを得べし(２９５)。(第２)有益費については売主の選択に従いその全額又はこれによりて生じたる増加額を償還すべきものとす。ただその償還は必ずしも即時にこれを為すことを要せず。例えばその金額の巨多なるにより又は売主の資力に乏しきにより半年ないし１年等の猶予期間を請求することを得べし。しかしてもし裁判所がこの猶予期間を与うるときは有益費は直ちに弁済期に在らざるをもって買主又は転得者はこれに付いて留置権を行うことを得ざるべし(２９５，１項但書)。

　これを要するに買主又は転得者が不動産に費用を加えたるときは売主は必ず代金及び契約費用のほか必要費を償還するにあらざれば不動産を取り戻すことを得ざるべく有益費に付いては猶予期間を得ざるときは同じくこれを償還するにあらざれば不動産の取戻しを為すことを得べからずといえどももし猶予期間を得るときは不動産を取戻したる後その期間内に弁済を為すをもって足れりとす。

第５８４条　不動産の共有者の一人か買戻の特約を以て其持分を売却したる後其不動産の分割又は競売ありたるときは売主は買主か受けたる若くは受くへき部分又は代金に付き買戻を為すことを得但売主に通知せすして為したる分割及ひ競売は之を以て売主に対抗することを得す(取９０，９１)

　本条及び次条は共有者の１人が買戻の特約をもってその持分を売却したる場合について規定せり。けだし不動産の共有権もまた買戻の特約をもってこれを売却することを得べきはもとよりにしてもし各共有者が共同してその権利を１人の買主に売却したるときはすこしも普通の場合に異なることなくもし買戻をなさんと欲せば各共有者また共同してこれを為さざるべからざるはもとより言うをまたざる所なり。又共有者の１人が買戻の特約をもってその持分を売却したる場合においても買主が依然その持分のみを有するときはまた一般の規定により売主たる共有者より買主に対し買戻を為すことを得べきは論をまたざる所なり。ただこの場合において未だ買戻を為さざるうちに不動産の分割又は競売あるときは多少買戻権に変更を生ぜざることを得ず。これ本条及び次条の規定の必要ある所以なり。

　本条において不動産の分割又は競売によりて買主が既に不動産の一部の全所有権を得又はその代価の一部を受け取りたるときあるいは未だこれを受け取らざるも既にその権利の確定せる場合において売主はその売却したる共有分につき買戻を為すことを得ずして分割又は競売によりて買主が既に受けたる又はまさに受くべきものに付き買戻の為すことを得るものとせり。これ純然たる理論より言えばいささか不当なるが如し。何となれば買戻は売買の解除なるが故に売主は初め売買を為したる当時の状態に復すべきものにしてしかもこの効力は第三者に対してもまた生ずべきものなり(５８１)。しかるに売買の当時に在りては不動産の共有者の有様に在りて売主は１つの共有権を有せし者なればなり。しかりといえどもこの理論は到底これを採用すること能わず。請うその理由を述べん。(第１)共有物の分割は何時にてもこれを請求することを得るものなるが故にたとい売主が終始その権利を失わざりしものとするもなお分割もしくは競売を避くること能わざざりしならん(２５６)。但しこの理由はこれを買主が自ら分割を請求したる場合に適用し難し故に第２の理由なかるべからず。(第２)法律が何時にても共有物の分割を請求することを許す所以のものは他なし。共有なるものは経済上最も忌むべきものなるが故にその速やかに消滅せんことを欲すればなり。しかるに一旦この権利によりて分割をなしたる後売主が買戻権を行いたるがため更に共有に復帰するが如きは法律の精神に背馳すること最も明らかなるものにしてなおこれがために分割によりて生じたる権利義務を消滅せしめて更に共有の旧形に復するが如きは利害関係人の権利義務に重大なる撹乱を生ぜしむることを得べきものなるが故に今日共有に復して明日また分割を為さざることを得ざること多かるべし。これ錯雑に錯雑を重ね弊害に弊害を加うるものといわずんばあるべからず。いわんや買主は将来解除に遭うことあるべきにもせよ純然たる共有権を有せし者なるが故にこれと他の共有者との間に行われたる分割または競売は正当のものにして後日取消等に遭うことなかるべきは他の共有者が正当に信ずべき所にしてもししからずとせば買戻権の存する間はほとんど分割を為すこと能わざるべし。何となれば現在の共有者たる買主と分割をを為すもその分割は後日解除によりて取消さるることあるべくしかも売主が現に共有者にあらざるが故にこれと分割を為すことを得ざるはもとよりなればなり。故に本条の規定は最も妥当なるものといわざることを得ず。

　以上は分割又は競売が正確，公平なることを予想して論じたりといえども分割又は競売は往々にして不正又は不当なることあり。然るに不正，不当の分割，競売といえどもまたこれを売主に対抗することを得るものとせばために売主の権利を害すること鮮少ならざるべし。しかしてその不正，不当を避くるにはすべからく売主をしてこれに参加せしむべし。これ本条但書において分割及び競売は必ずこれを売主に通知すべくもしその通知を為さずしてこれを為したるときはもって売主に対抗することを得ざるものとせり。但しこれを売主に通知したるにかかわらず売主が参加を為さざるときは売主はあるいはその権利を放棄しあるいは買主及び他の共有者の公明なることを信じたるものなるが故に後日に至り敢えて異議を述ぶること能わざるはもとよりなり。

第５８５条　前条の場合に於て買主か不動産の競落人と為りたるときは売主は競売の代金及ひ第５８３条に掲けたる費用を払ひて買戻を為すことを得此場合に於ては売主は其不動産の全部の所有権を取得す

　他の共有者より分割を請求したるに因り買主か競落人と為りたるときは売主は其持分のみに付き買戻を為すことを得す(取８９)

　前条においては買主が分割により不動産の一部を受け又は競売において他人が不動産の競落人と為りたるものとし買主がその代金の一部を受くる場合に付いて規定せり。本条においてはこれと異なり買主自ら不動産の競落人と為りたる場合を予想せり。この場合においては原則としては売主はその売却したる部分のみに付き買戻を為しもって買主と共にその共有者たることを得るものとせりといえどもこれ実際に不便多きことは喋々をまたざる所なり。故に(第１)売主もし不動産の全部に付き買戻を為さんと欲するときは競売の代金及び契約のその他第５８３条第２項に規定せる費用を払いて不動産の全部の所有権を取得することを得るものとせり。(第２)買主自ら分割を請求したるときは売主は右の選択権を有するといえども他の共有者より分割を請求したる場合においては売主はその持分のみに付き買戻を為すことを得ず。必ず不動産の全部に付きこれを為すべきものとせり。これ他なし。第１の場合においては買主が自ら求めて不動産の競落人と為りたるものにしてかつ前条の場合におけるが如く第三者の権利に直接の影響を及ぼさずただ売主と買主との間に従来の共有関係を保存せんと欲するものなるが故に売主はその売却したる持分に付いてのみ買戻を為すことを得るものとせざることを得ず。これに反して第２の場合においては買主が自ら求めたるにあらずして他人の請求により競売を為すにあたり買主は単に不動産を失わざらんがため自らその競落人と為りたる場合なるが故に売主は必ず不動産の全部に付き買戻を為すべきものとせざれば買主はすこしも自己の過失なきに意外の損失を被ることあるべし。又一方においては買主自ら分割を請求したるときは売主はもし自己が共有者たりしならばこれを請求せざりしならんということを得べしといえども他の共有者より分割を請求したる場合においては買主が共有者たりしと売主が共有者たりしとを論ぜず。必ず分割又は競売を為さざることを得ざりしが故にもし買戻の特約なかりせば共有はその時より消滅すべかりしに会々買戻の特約ありしため一旦消滅したる共有者が更に蘇生することあらんには法律が何時にても分割を請求することを許したる精神に背馳するの恐れあり。これ本条第２項の規定のやむを得ざる所以なり。但し売主，買主協議の上更に共有者となるはもとより妨げなき所なり。

　　　　　第４節　交換

　交換（Permutatio, echange, Tauch）は広義をもってこれを言えば取引の大多数は皆この中に包含せり。しかれども貨幣の創定以来貨幣と他の貨物とを交換するは特にこれを売買と名づけその他のものに限りこれを交換と称するに至れり。しかして各国皆古代に在りては売買以外の交換最も盛りにして近世にいたりても国際の商業に在りては往々これによれること多く従って交換貿易等の名称を用うるを例えとせり。しかりといえども今日においては国内は勿論国際においても商業は概ね金銭をもってその媒介とし金銭以外の貨物と他の貨物とを互いに交換するが如きは実に異例に属せり。民事の取引に在りても大抵は売買により狭義の交換によることは稀なりとす。これ文明国の法律において売買に関しては詳密なる規定を設けるに拘わらず狭義の交換に関しては大抵売買の規定を準用するに止まる所以なり。

　新民法においては第５５９条をもって売買の規定を他の有償契約に準用せるが故に交換に付いて特に売買の規定を準用すべきことを言わず。しかれども最も多く売買の規定を準用すべきものはけだし交換ならんか。

第５８６条　交換は当事者か互に金銭の所有権に非さる財産権を移転することを約するに因りて其効力を生す

　当事者の一方か他の権利と共に金銭の所有権を移転することを約したるときは其金銭に付ては売買の代金に関する規定を準用す(取１０７ないし１０９)

　本条第１項は暗に交換の定義を掲げたるものなり。けだし本説に論ずる所の交換はもとより狭義のものなり。故に金銭と他の貨物とを交換するが如きは売買にしてここにいわゆる交換にあらず。しかれどもその他においては売買と性質を異にせざるが故にその定義も自ら売買と略々同一の文字を用いざることを得ざるなり。右の定義によれば交換の性質左の如し

第１　諾成契約なること

第２　有償契約なること

第３　双務契約なること

第４　金銭の所有権以外の財産権の移転を目的とすること

　右の定義によれば金銭と金銭と交換を為すはここにいわゆる交換にあらざるが如し。しかしてこれに付いては３つの学説を生ずべし。１つにいわく。これ交換なり。何となれば当事者がある種類の金銭と他の種類の金銭とを交換する場合においてはその金銭を純然たる金銭と視ずしてこれを１つの商品とみなしたるものなればなり。２つにいわく。これ売買なり。何となれば当事者の一方はある種類の金銭を得んと欲しこれを商品とみなして自己は純然たる金銭を出しもってこれを買い受けんと欲したるものなればなり。３にいわく。これ無名契約なり。何となれば売買は金銭の所有権と他の権利との交換にしていわゆる交換は金銭の所有権以外の財産権の交換なり。しかして金銭と金銭との交換は法律中これに特別の名称を付して特別の規定を設くることを見ざればなりと。この各説皆一理なきにあらずといえども余は第１説をもって最も当たれりと信ず。しかりといえどもこの問題たる新民法においては純然たる空理問題なるが故に本条においても敢えてこの問題を決せず。余もまた深くこれを論ずることを欲せざるなり。何となれば第５５９条によれば売買の規定はこれを他の有償契約に準用すべきものとせり。しかして当事者双方が給付すべきもの皆金銭なるときは本条第２項の規定をこれに適用すること能わざるは勿論売買の先取特権の如き敢えてこれをこの場合に適用すること能わざればなり。交換においては当事者の一方が給付するものと他の一方が給付するものと全くその価格を同じゅうすることはむしろ稀にして大抵一方の得る所他の一方の得る所にしかざるものとす。この場合において当事者は往々金銭を補足しもってその差額を充填することあり。この場合において契約はなおこれを交換と称すべきかはたこれを売買と名づくべきか。これ古来学者間説の一定せざる所にして各国の立法例またその揆を１つにせざる所なり。外国においては一方が金銭と他のものとを給付する場合において他の物の価が金銭の額に及ばざるときはこれを売買とししからずんばこれを交換とする学説及び立法例すくなからず旧民法においてもまたこの主義を取れりといえどもこの主義によれば他の物の価と金銭の額と全く同一なるときは売買，交換のいずれに属するかを知ること能わず。しかして理論上はむしろ当事者が主たる部分とみなしたるものにより契約の性質を定むるを妥当とすべきが如し。しかりといえども新民法においては既に第５５９条をもって売買の規定を他の有償契約に準用すべきものとしたるが故に強いてこの問題を決するの要なし。しかして先取特権の如く売買代金及びその利息に付いてのみ存するものに関してはたとい補足金(Soulte)の額如何にすくなくもこれに先取特権の規定を適用するを穏当と為すべきが如し。これ本条第２項の規定ある所以なり。なお相手方が交換の目的物を引渡したる日より補足金の利息を払うべきが如きは(５７５，２項)たとい本条第２項の規定なきも売買の規定の準用により自ら明らかなる所なるべし。

　　　　　第５節　消費貸借

　貸借には消費貸借（Mutuum，prêt de consommation，Darlehen）使用貸借（Commodatum，comodat，Leihe）賃貸借（Locatio-，louage，Miethe und Pacht）の三種あり。その性質自ら一様ならざるをもって西洋においては我が貸借の如き広義の文字なし（フランスのprêtは初めの二種にのみ通ずるものなり）。新民法においても旧法典と同じくこの三種の貸借を分ち各々別節にこれ規定せり。けだしその規定頗る同じからざるものあるをもってなり。

　西洋においては貸借に広汎の文字なきに反し賃貸借なる文字は雇傭及び請負にもこれを用い普通の賃貸借を物の賃貸借といい雇傭，請負を仕事の賃貸借といえる例最も多し（Locatio rerum avt operis faciendi，louage des dhoses，de services，d’ ouvrage ou d’industrie，Sachen-Dienst-oder Verdingungsmiethe）。しかれどもこれ本邦の慣例に反するが故に新民法においてはまた旧民法と同じく右の名称及び類別を取らざりき（旧民法フランス文草案には雇傭，請負にも賃貸借の文字を用いたり）。

　本節はすなわち右の各種の貸借の中消費貸借に関する規定を設けたるものなり。但し本節に規定せざるものは総て債権者もしくは契約の一般の規定に従うべきこともとよりなり。なかんずく第４０２条ないし第４１９条，第５０５条等は消費貸借に付いてその適用を見ること殊に多かるべく又借主が約定の利息を払わざる場合においては第５４１条を適用すべきは勿論なり。けだし消費貸借は売買と並びて最も頻繁なる契約にして殊に債務は消費貸借より生じたるもの最も多かるべし。これ我が邦において俗に債権の総称として貸といい債務の総称として借といい甚だしきに至りては資産を称して貸方といい負債を称して借方といえり。もって債権，債務の消費貸借より生ずること多きを知るべし。

第５８７条　消費貸借は当事者の一方が種類，品等及び数量の同じき物を以て返還を為すことを約して相手方より金銭其他の物を受取るに因りて其効力を生ず（取１７８，旧商５８０ないし５８３）

　本条は消費貸借の定義を掲げ併せてその成立の時期を定めたるものなり。本条の規定によりて消費貸借の性質を挙ぐれば左の如し。

第１　践成契約なること

　消費貸借の践成契約なることはローマ法以来西洋各国においては皆しかる所にして我が邦においても未だ金銭その他の授受を為さざるに先ち既に貸借を為したりとはいわざるを例とす。故にスイス債務法の如きはこれを諾成契約とし法理上あるいはこれをもって進歩せる主義と為すべきが如しといえども本条においては旧慣に従いこれを践成契約とせり。故に金銭その他の物の授受を為すまでは未だいわゆる消費貸借なるものあらず。従って本節の規定を適用すること能わず。しかりといえども消費貸借の予約はもとより有効なる契約にしてこれに契約一般の規定を適用すべきは勿論本節においても特にこれに関して第５８９条の１条を設けたり。なお初め予約なりしものが物の授受によりて純然たる消費貸借と為りこれに本節の規定を適用すべきに至るべきはもとより論をまたざる所なり。故に新民法においては消費貸借を践成契約としたるより生ずる結果はほとんど理論上に止まり敢えて実際の利害なきものといって可なり。

　これを要するに消費貸借の成立には必ず物の授受を要す。しかりといえども代理占有の結果により実際実物の授受を要せざること稀なりとせず。例えば甲が乙のために金銭その他の物を占有するにあたり乙がその物を甲に貸与するときは実際物の授受を為さずといえども甲は従来乙のために占有せしを改めて自己のために占有しもって貸借を成立せしむることを得べし（１８２，２項）。又例えば丙が乙のために占有せる物を甲に貸与ししかして甲は直ちにその物を受取ることを為さず依然丙を代理人として暫く物を保管せしむることあり。この場合においては実物の授受なしといえども丙が従来乙のために代理占有を為ししを改めて甲のために代理占有を為しもって消費貸借を成立せしむることを得べし（同上，１８４）。又例えば甲が乙より物を借りたるも実際に直ちにこれを受取ることを為さず暫く乙をして自己のためにこれを保管せしむることあり。しかれども消費貸借の成立を妨げざること勿論なり（１８３）。なお次条においては本条の例外と観ることを得べき場合あり。次に論ずべし。

第２　貸主は借主に物の所有権を移転する義務を負うこと

　消費貸借は借主をして物を消費せしむるをもってその目的と為すが故に外国の法律には往々消費貸借の定義中にこれを明言するものあり。旧民法においては消費貸借の践成契約なることを言わずして却って所有権を移転するによりて成立すべき契約なることを言えり。しかりといえども（第１）所有権は第１７６条，及び第４０１条第２項の規定により当事者間においては物を指定したる時より直ちに借主に移転すべしといえども消費貸借は践成契約なるが故に借主が物を受取るにあらざれば成立せず。（第２）貸主は所有権を移転する義務を負うといえども必ずしも物の引渡しの常時においてこれを移転することを要せず。けだし貸主は直ちに所有権を移転する義務を負うが故にもし引渡しの常時これを移転すること能わざるときは貸主が貸借の予約によりて負いたる義務を履行したるものということを得ずといえどもしかれどもあるいは第１９２条の適用によりあるいは他の場合においても後日貸主が物の所有者に償いたるにより借主は所有者の請求に遭うことなく従って消費貸借の目的を達するに妨げなきが故に消費貸借はこれらの場合においてもなお物の引渡しによりて成立すべし。これ本条において所有権移転の事を言わざる所以なり。ただ借主をして物を消費し種類，品等及び数量の同じき物をもって返還を為すことを得せしむるが故に自ら貸主に所有権移転の義務あることを知るべきのみ。

第３　片務契約なること

　消費貸借は践成契約なるが故にその契約成立せる常時に在りてはただ借主に返還の義務あるのみにして貸主は何等の義務を負うことなし。余が前段において貸主に所有権移転の義務あることを言えるはこれいわゆる消費貸借契約より生ずる義務にあらずして寧々その予約より生ずる義務なり。故に予約は双務契約なるも消費貸借は片務契約なり。故に貸主が借主に物の所有権を移転せざるときは借主は貸借契約の前に必ず存すべき予約に基づき買主の義務不履行を責むることを得るといえども多くは貸主が予約を履行せざるにより更にその履行を求め即ち既に与えたるその所有物にあらざる物に代うるにその所有物をもってせしむべし。この場合においては前に与えたる物は当事者の予約を履行したるものにあらざるが故にこれによりて消費貸借成立せず。後に貸主の所有物を与えたる時において始めて消費貸借成立するものとみなさざることを得ず。けだし初めの消費貸借は暗にこれを解除したるものなればなり（４７５参観）。

　右は普通の場合なりといえども時としては貸主が現に占有する物をもって消費貸借の目的と為ししかしてその物は貸主の所有に在らざることあり。この場合において利息の約定あるときは（新商２７５によれば商事の消費貸借に在りては約定なきも利息を払うべきものとす）第５５９条の規定により第５６０条以下の規定を準用すべきものとす。しかして無利息の場合に付いては特別の規定なきが故に当事者の意思を探求しもって貸主の責任の有無，広狭を定めざるべからず。しかして最も多くの場合においては当事者は第５６１条に規定せる所と同一の意思を有せしものとすべし。しかれどもこれ稀有の場合なるが故に法律は特に明文を置くの必要なきものと認めたるなり。

第４　借主はその受けたる物と同一の種類，品等及び数量の物を返還するの義務を負う

　旧民法を初めとし世の学者及び外国の法律は消費貸借の目的物の代替物たるべきことを言えり。しかれどもこれ余が取らざる所なり。けだし代替物に二義ありてあるいは当事者の意思において必ずしも特定の物たることを要せず種類，品等及び数量の同じきものなれば足れりとせる物をいいあるいは金銭，米穀等の如く通常特定したるものたることを要せずとする物をいえり。第二義をもってすれば代替物なる語は法理上ほとんど意味なきものにして金銭，米穀等といえども特定してこれを法律行為の目的と為すときは土地，家屋等と異なることなく又土地，家屋等といえども当事者が特定したるものたることを要せずとし単に某地方における幾町歩の土地，某種の構造をもってせる幾坪の建物等の如く単に種類，数量等のみをもって指定したる物はまた金銭，米穀等と異なることなし。故に代替物なる文字をもって法理上多少の意味あるものたらしめば必ず第一義を取らざることを得ず。しかりといえども消費貸借の目的物は返還のときにおいては必ず第一義の代替物なりといえども契約成立の常時に在りては必ず特定物なりということを得べく甚だしきに至りては前に論じたるが如く貸借の予約の常時に在りても既に特定物たることなしとせず。故に旧民法におけるが如く「当事者の一方が代替物の所有権を他の一方に移転し云々」というが如きは誤謬の最も甚だしきものと言わざることを得ず。これ本条において代替物又はこれに類する物をもって消費貸借の目的と為すことを言わざる所以なり。

　消費貸借の目的物は金銭なることを１０に８，９なり。しかして金銭に在りては既に第４０２条及び第４０３条の規定あるをもって消費貸借に特別なるものあらず。故にいわゆる「種類，品等及び数量の同じき物」とは１０円金貨１００枚を借りたる者は必ず１０円金貨１００枚を返還すべきものいうにあらずしていやしくも通貨なる以上は如何なる種類のものを用うるも可なり。しかりといえども金銭以外の物をもって消費貸借の目的と為したる場合においては「種類，品等及び数量の同じき物」とは読んで字の如く例えば武蔵の上米１００石を借りたる者は同じく武蔵の上米１００石を返還すべきが如し。

　利息貸に在りては元本の外利息を加うるをもってあるいは「同一の数量」と言い難きが如きもこれ金銭等の使用の寸価として支払うものにしてたとい元本と同時にこれを支払うもこれ偶然の事にして厳正にこれを言えば敢えて返金の一部を成すものにあらず。但し利息制限法の存する以上は１００円未満年２割，１００円以上１０００円未満ねん１割半，１０００円以上年１割２分を超ゆる利息を約することを得ず（１０年９月１１日告６６号利息制限法２，４）

第５８８条　消費貸借に因らずして金銭其他の物を給付する義務を負う者ある場合に於て当事者が其物を以て消費貸借の目的と為すことを約したるときは消費貸借は之に因りて成立したるものと看做す（財４８９，２号）

　本条に規定するものは前条の定義によれば純然たる消費貸借にあらざること勿論なり。しかりといえども当事者はいわゆる消費貸借と同一の効力を生ぜしめんと欲したるものなるが故に法律は特にこれを消費貸借とみなしもってこれに本節の規定を適用すべきものとせり。例えば買主が代価として金１０００円の義務を負う場合において特に買主と約し爾後消費貸借としてその義務を負うべきものとしたるときは前条の規定によれば物の授受なきをもって消費貸借成立すること能わずといえども本条の規定により右の契約の当時消費貸借成立したるものとみなすなり。しかしてこれを消費貸借と為すの利益は主として第５９１条の規定によることを得ると先取特権なきとに在るべし（３２２，３２８）。なお実際においては買主が売買の代価を支払うことを怠りたりとせんよりはむしろ買主との間において貸借契約を為し当然若干の時期の間その金額を払うことを要せざるものとするを快しとすることあるべし。

　旧民法においては本条の場合をもって更改の場合とせり（財４８９，２号，３４９頁以下）。しかれどもその当らざることは既にこれを論じたり。本条の規定によれば前例において買主は代価支払いの義務を履行し更に同一の金額を消費貸借として受け取りたると同じく前債務は当事者の意思により消滅し（免除）更に買主は借主として新たなる義務を負うものと言うべし。

第５８９条　消費貸借の予約は爾後当事者の一方が破産の宣告を受けたるときは其効力を失う（６２１，旧商９９３）

　本条は消費貸借の予約に付いて規定せり。この予約は契約一般の規定に従うべきことは既に言えるが如しといえども本条はこれに関する唯一の特別規定を設けたり。けだし契約一般の規定より言えば一旦当事者が契約を為したる以上はたとい後日に至り当事者の位置に変更を生ずるも敢えて契約の効力に影響を及ぼさざるものとす。故に消費貸借の予約を為したる後当事者の一方が破産を為すもその予約はなおこれを履行すべきが如し。しかりといえどもこれその者又は相手方に取りて非常の不利益あるを免れず。何となれば借主が破産の宣告を受けたる場合においては貸主は約定の金額の全部を破産管財人に引き渡すべくしかれども破産管財人は借主を代表して返還を為すにあたり大抵全額を払うこと能わずあるいは半額あるいは３分の１甚だしきは１０分の１，２０分の１を返還するに止まるべし，この如きは貸主のために最も過酷なるものにして甚だ不公平たるを免れず。殊に破産宣告の場合においては債務者は期限の利益を失うべきが故に（１３７，１号）貸主はたちまち貸してたちまちその返還を求むることを得るが故にむしろ初めよりこれを貸し渡さずもってその煩労と不公平とを免るることを得せしめずんばあるべからず。又貸主が破産の宣告を受けたる場合においては貸主が予約によりて貸渡しの義務を負いたる金額の全部を引き渡すことを得ざること多くこれまた半額３分の１，１０分の１，２０分の１等を引き渡すに止まるべし。この如くんば借主は初めに予期せし用途にこれを使用すること能わざること多く従って契約の目的を達すること能わず。故に契約一般の規定によるも借主はその契約を解除することを得べし（５４１）。殊に破産者は畢竟返還を受くべき金額を借主に引渡ししかれども動もすれば借主の無資力と為るの危険あり。況や貸借の期限甚だ長きときは破産管財人はその債権を競売しその代価を債権者間に配分するのやむを得ざるに出づることあるべし。かくの如きは単に手続きの煩雑なるのみならず破産財団のため少なからざる損失を醸すべし。これ本条において消費貸借の予約は当事者の一方の破産によりて当然その効力を失うべきものとしたる所なり。

第５９０条　利息附の消費貸借に於て物に隠れたる瑕疵ありたるときは貸主に瑕疵なき物を以て之に代うることを要す但損害賠償の請求を妨げず

　無利息の消費貸借に於ては借主は瑕疵ある物の価額を返還することを得但貸主が其瑕疵を知りて之を借主に告げざりしときは前項の規定を準用す（取１８２）

　本条は瑕疵担保の一種に関する規定なり。けだし純然たる瑕疵担保の問題は特定物を目的とする契約に在りてのみ生ずるものにしてなおその担保の目的たるや契約を解除しもしくは損害を賠償せしむるに在りといえども（５７０）消費貸借は初めその予約を為すにあたりては不特定物をもって目的とすること多く又その担保の目的も普通の瑕疵担保に異なるものあり請う利息付の消費貸借と無利息の消費貸借とを別ちて論ぜん。

第１　利息付の消費貸借

　利息付の消費貸借は有償契約なるをもってもし本条の規定なくんば第５５９条の明文により第５７０条を準用すべきものとす。しかして同条に規定する所は右に言えるが如く（第１）特定物を目的とする契約（第２）契約の解除又は損害の賠償に関せり。しかるに本条第１項の規定によれば（第１）消費貸借の目的は不特定物なること最も多きに拘わらずこれに関して瑕疵担保に類する責任を定め（第２）たといその目的物が特定物なるときといえども単に契約を解除せずして瑕疵なき物をもって瑕疵ある物に代うべきもの　せり余の信ずる所に担れば不特定物を目的とする契約に在りては純然たる担保の義務なしといえどもしかれども本条第１項に規定せるが如き結果を生ずべきことけだし疑いを容れず。それ不特定物の給付の義務を負う者は特に瑕疵なきことを明言せざるも当事者の意思は瑕疵なき物を給付すべきに在りたるものと推測せざるべからず。故にもし瑕疵ある物を給付したるときはこれ真の履行にあらず。故に債権者はこれに迫りて他の瑕疵なき物を給付しもってその義務を履行せしむることを得ずんばあるべからず。故に売買に付いても単に「売買の目的物」といえるに拘わらずその特定物なる場合を予想したるものなることけだし疑いを容れず。しかして不特定物を目的とする売買に付いては右に述べたる理由によりて別に明文を要せざるものとしたるなり（４０１，１項参看）。故に本条第１項の規定にして単に不特定物に付いてのみ適用あるものとせばむしろこれを掲げざるを妥当とするといえども本条の規定はたとい消費貸借の目的物が特定物なる場合といえどもまたその適用を見るべきものなるが故に単に一般の原則を適用したるものにあらず。けだし特定物をもって消費貸借の目的と為すことは甚だ多からざる所にしてかつこの場合においては当事者の意思は普通の契約におけると大いにその趣を異にするものあり。何となればたとい消費貸借の当時は勿論消費貸借の当時に在りては目的物常に特定せるものなることは既に論じたるが如し）その予約の時において貸主が特定物を貸与することを約するも借主は直ちにこれを消費せんと欲するものなるが故に決してその物が特定せる物なるが故にこれを借るにあらず。借主の眼中においては単に金若干円，米若干石を借らんと欲したるものなり。故に貸主がその物を引渡したる後借主がこれに隠れたる瑕疵あることを発見したるときはこれを返還して更に瑕疵なき物を貸与すべきことを請求するの権あるものとしたるなり。しかしてこの場合においては初めに物を与えたるは貸借の予約の履行と視ざるが故に消費貸借は瑕疵なき物を給付したる時に成立したるものと視るべし。なお貸主は隠れたる瑕疵ある物をあたかも瑕疵なき物の如くして貸与したる者にして即ち予約の不履行者なるが故にその不履行より生じたる損害を賠償すべきはほとんど言うをまたざる所なり。

第２　無利息の消費貸借

　無利息の消費貸借に在りてはあたかも贈与におけるが如く（５５１１項）物に瑕疵あるも敢えて貸主に責任なきを本則とせりこれ他なし貸主が無利息の貸借即ち恩恵的行為を為す場合においては多くはあたかもその目的物を占有するをもってこれを貸さんと欲すること多くたといしからざるも隠れたる瑕疵に付き責任を負うべきものとするときは貸主が初めに借主に自己の利益の一部を割与せんと欲したる出捐の外に更に以外の損失を被るに至るべく従って当初施さんと欲したる恩恵より一層大なる恩恵を施さしむるの結果を生ずべければなり。但し右の理由によりて無利息の貸主には瑕疵に関する責任なきものとしたるが故にもし貸主がその瑕疵を知りてしかれどもこれを借主に告げざりしときは貸主に悪意あるにあらずんば過失あるものとみなさざることを得ざるが故にこの場合においては本条第１項の規定を準用し（第１）瑕疵なき物をもって瑕疵ある物に代えしめ（第２）損害を賠償せしむることを得るものとせり。これ第５５１条第１項とその精神を同じうするものなり。

　以上は一般の規定にして当事者の特約をもってこれに異なりたる定を為すはもとより随意なり。例えば利息付貸借において貸主が瑕疵を担保せざる旨をいい又は無利息貸借において貸主に瑕疵に関する責任あるものとすることを得べし。但し買主が瑕疵あることを知りてしかれどもこれを借主に告げずしかして瑕疵に付き責任を負わざる旨を約するときは往々詐欺あるものと視るべく従ってその特約の取消を為すことを得る場合多かるべし。但し右の特約が貸借契約の一部を成せる場合においては貸借全部を取消すべきこと多かるべし。

第５９１条　当事者が返還の時期を定めざりしときは貸主は相当の期間を定めて返還の催告を為すことを得

　借主は何時にても返還を為すことを得（取１７９，１項）

　本条は消費貸借より生ずる最も重要なる義務を定めたるものなり。けだし消費貸借より生ずる当然の義務は借主の返還の義務これなり。しかしてその返還すべき物に付いては既に第５８７条の規定あるをもって再びここに贅せずといえどもその返還を為すべき時期果たして如何。これ本条の定むる所なり。けだし当事者が特にその時期を定めたるときはこれに従うべきこともとより論をまたずといえどももしその時期を定めざりしときは債権の一般の規定によれば債権者たる貸主は何時にてもその返還を請求することを得べきが如し（４１２，３項）。しかりといえども元来貸借なるものは借主をして物を使用せしめんと欲するに在るが故に右手をもって貸与を為し左手をもってその返還を促すが如きはもとより当事者の意思に適合するものにあらず。殊に消費貸借に在りては借主は直ちにその目的物を消費すべきをもってこれが返還を為すには必ず更にこれに代わるべき物を準備せざることを得ず。故に一定の期間の後にあらざればその返還を求むることを得ざるものとすべきはとうぜんと言うべし。しかりといえども当事者が返還の時期を定めざりし場合において法律をもって一定の期間後にこれを返還すべきものと為すが如きは頗る膠柱の嫌なき能わず。故に本条においては貸主は相当の期間を定めてその期間内に返還を為すべき旨を催告することを得るものとせり。けだし「相当の期間」といえば頗る漠然たるの嫌なきにあらずといえども既にしばしば論じたるが如く各場合に付き一定の期間を設くること甚だ困難なるをもって当事者をして相当と認むる期間を定めしめんこと最も実際の便宜に副うものと言わざることを得ず。しかして貸主が相当と認むる期間を定むるももし借主においてこれを不相当と認むるときはこれを伸長せんことを請求することを得べくしかして貸主がその請求に応ぜざるときはあるいは裁判所をしてその期間を伸長せしむることを得べし。例えば金額の巨多にして借主が資産に乏しき者なるときは１月ないし２月の期間をもって相当とすべくその金額が寡少にして借主に相当の資産あるときは１週ないし１０日をもって相当と為すべきが如きこれなり。

　以上は貸主の請求権に付いて論じたりといえども借主は果たして何時にても返還を為すことを得るや否や。一般の規定によればこの場合においては期間の定なきをもって借主が何時返還を為すも貸主はこれを拒むことを得ざること勿論なるが如し（たとい期間の定あるもその期間は多くは債務者の利益のために設けたるものなるが故に１３６の適用によりその利益を放棄して何時にても返還を為すことを得べきが如しなお３訂１巻３２２頁，３２３頁を看よ）。ただこれに付き多少の疑いあるは他なし借主が突然返還の催告を受けて大いに困難を感ずることあると同じく貸主もまた突然返還を受くるときはその保存及び利用に苦しみために損害を受くることなしとせず。殊に利息付貸借に在りては貸主は直ちにその受取たる物を他に貸与もしくは寄託して相当の利息を得ること能わざる場合多かるべきをもって借主もまた相当の期間前に予告を為したる後にあらざれば返還を為すことを得ざるものとしたる立法例及び学説なきにあらず。しかりといえども貸主が突然返還を受くるの困難はもって借主が突然返還の催告を受くるの困難に比すべからず。しかして借主が返還を為さんと欲するは大抵既に貸借の目的を達し終わりたるをもってなり。故に直ちに返還を為すことを許すも敢えて貸借の性質に反するものと為すべからず。故に本条第２項において我が邦従来の慣習に従い借主は何時にても返還を為すことを得るものとしたり。

第５９２条　借主が第５８７条の規定に依りて返還を為すこと能わざるに至りたるときは其時に於ける物の価額を償還することを要す但第４０２条第２項の場合は此限に在らず（取１８０，旧商５８２）

　本条は極めて実際に適用少き規定なりといえどもその適用ある場合においては頗る必要なる規定なり。けだし貸主が借受けたる物と同種類，同品等，同数量の物を返還すること能わざるに至ることあり。例えば金銭の種類を定めて貸借を為したる場合においてその種類が通用力を失いてついに市場より引上げらるることあり。又古物等世に稀なる商品は国中もしくは世界中を捜索するも到底これを得ること能わざることあり。これ等の場合においては借主は果たして如何なる義務を負うか純然たる理論よりこれを言えば借主は履行不能によりてその義務を免るべきが如し。しかりといえどもこの如くんば借主は不当の利得を為すものと言わざることを得ず。故に如何なる方法をもってか借主はその貸借によりて受けたる利益を貸主に返還せざるべからず。しかして金銭に付いては既に第４０２条２項の規定あるをもってこれに従い他の通貨をもって同一の金額を返還すべきものとす。この他の場合に在りては本条の規定に従い返還を為すこと能わざるに至りたる当時における物の価額を償還すべきものとす。あるいはいわわんこの場合においては借主は貸借契約当時の価額を償還すべしと。あるいは又いわわん返還を為すべき時の価額を償還すべしと。これ両なから非なり。貸借の当時に在りては借主は直ちに返還を為すべきものにあらざるをもってもし貸借契約が無事に履行せらるるときは貸主は貸借当時の物の価額に相当する利益を受けずして返還の時の価額に相当する利益を受くべきのみ。しかりといえども本条の場合においては返還を為すべき時期に在りては返還すべき物既に存せざるが故にその価格を評定すること能わず。仮に非売品は何人かの手中に存するとするも市場においてこれを得ること能わざる場合の如きはその評価なるもの極めて困難にして動もすれば過当の高価たるを免れず。故にやむことを得ず本条においては返還を為すこと能わざるに至りたる時即ち物が市場において消滅したる時（物の少量はなお存するも借主が借受けたる数量を得ること能わざるときまた同じ）における物の価額を返還すべきものとしたるなり。

　　　第６節　使用貸借

　本節に規定する使用貸借と次節に規定する賃貸借とは共に特定物の使用を目的とするものなりといえどもただ使用貸借は無償にして賃貸借は有償なるをもってその差異とす。なお古来の慣習により使用貸借はこれを践成契約と為すといえども賃貸借はこれを諾成契約とせり。その他両者の規定の異なることは本節及び次節の規定を看てしるべし。

第５９３条　使用貸借は当事者の一方が無償にて使用及び収益を為したる後返還を為すことを約して相手方より或物を受取るに因りて其効力を生ず（取１９５）

　本条は使用貸借の定義を掲げたるものなり。本条の定義によれば使用貸借の性質左の如し。

第１　無償契約なること

　使用貸借の無償なるはすなわち賃貸借と異なる所にしてただ如何なる報酬あるも必ず賃貸借を構成すべきや否やは後に論ぜんと欲する所なり。

第２　践成契約なること

　純理よりこれを言えば使用貸借に限り践成契約にして賃貸借は諾成契約なるべき理由あることなし。しかりといえども諸国の古来の慣習により使用貸借は貸主が物を借主に引渡したる時より成立するものとし賃貸借は双方の意思の合致ある以上は直ちに契約成立すべきものとするを例とす。これけだし使用貸借に在りては貸主に貸与の義務ありとするもこの義務は通常引渡によりて履行せられ借主は既に物の引渡を受けたる後始めてその返還の義務を生ずるに止まり未だ物の引渡を受けざるに既に返還の義務ありというは普通の観念に反するものと言うべし。しかるに賃貸借に在りては一方は物を使用せしむるの義務を負い他の一方は借賃を支払うの義務を負うが故に双方の義務初めより成立し多くはたとい借主において物の使用を始めざるも借賃は既に契約の日よりこれを払うべきが如く返還の義務の如きはむしろ付随の義務たるに過ぎざるの観あればなり。なお物の引渡は何れの時に完成するかは請う占有権に付いて論ずる所を看よ（再訂２巻２７頁ないし３１頁）。

第３　双務契約なること

　使用貸借によりて貸主は借主をしてその所有物の使用及び収益を為さしむるの義務を負い借主はその使用，収益を為したる後その物を返還する義務を負う。古来一般の学説に拠れば使用貸借はただ借主をして返還の義務を負わしめ貸主は何等の義務をも負わざるものとせり。けだし使用貸借は概ね貸主の好意によれるものなるが故に古代の法律に在りては借主は敢えて物を使用する権利を有するにあらず。ただ貸主の好意が変ぜざる限りは道徳上借主をして物の使用を為さしむるに過ぎざるものとし即ち貸主は何時にても物の返還を求むることを得るものとせしをもって使用貸借は真に借主に義務を負わしむるのみにしてこれに権利を与えざりしものと言うべし。しかりといえども法律漸く進歩するに及びては敢えて貸主が故なく物の返還を求むることを許さずただ自己の入用あるときはこれを求むることを得るものとしついに普通の入用あるも未だ返還を求むることを許さずただ臨時の必要を生じたる場合に限りその返還を促すことを得るものとするに至れり。殊に新民法においては貸主は自己のために如何なる必要あるも敢えて契約を無視して物の返還を求むることを得ざるものとせるが故に借主は純然たる権利を有すること敢えて疑いなしといえどもフランス法，旧民法等においてはある場合に貸主をして物の返還を求むることを得せしむるに拘わらず余は夙に借主が１の債権を有することを信じて疑わざりしなり。しかして「ボワッソナード」氏がこれを認めたるはフランス法学者中に在りては実に卓見と言うべし。けだし所有者は自由にその所有物を使用し他人をしてこれを使用せさらしむることを得べきは当然なり。しかるに貸主がその所有物を借主に貸与するときは貸主は一定の時期の間自らその物を使用すること能わず借主をしてこれを使用せしめざることを得ず。これ豈に貸主の義務，借主の権利にあらずして何ぞや。しかしてこの場合において物権を認めざるがゆえにすなわち債権債務を生ずるものと言わざることを得ず。もしこれ返還の義務は古来学者の皆認むる所なり。古来の学説に従えばむしろ返還の義務は使用貸借より生ずる唯一の債務にして即ち使用貸借の性質は片務契約なりとせり。しかして借主が物に費用を加え又は物の瑕疵によりて損害を受けたるときは貸主においてこれを賠償すべきこと多し。この場合においては貸主に義務を生ずるが故にあるいはこれを不完全片務契約とせるも使用貸借によりて必然生ずる債務はただ借主の返還の義務のみなりとせり。

　使用貸借は従来その名称の示すが如く借主をして単に物の使用のみを為すことを得せしむるものとせりといえども土地の如き一定の収穫あるものに付いては借主においてその収穫を取ることを得るものとすべきはけだし当然なり。故に新民法においては特に「使用及び収益」といえり。けだし古は使用貸借を動産に限りたりしが動産には収益あるものはほとんど稀にしてまた不動産の使用貸借を許すも実際にはその適用極めて少なくたといこれありとするも家屋，宅地等の如く通常収穫なき物を使用せしむることはあるいはこれあらんといえども田畑等の如き一定の収穫ある物を使用貸借の目的と為すが如きはけだし絶無稀有の場合なるべし。これ従来の立法例及び学説において単に使用の事のみをいえる所以にして新民法においても契約の名称には依然「使用貸借」の文字を用いたる所以なり。

　使用貸借における返還の義務は消費貸借における返還の義務と同じからず消費貸借に在りては借受けたる物と種類，品等及び数量を同じうする物をもって返還を為すといえども使用貸借に在りては必ず借用物その物を返還せざるべからず。故に使用貸借の目的は常に特定物なりとしるべし。

第５９４条　借主は契約又は其目的物の性質に因りて定まりたる用方に従い其物の使用及び収益を為すことを要す

　借主は貸主の承諾あるに非ざれば第三者をして借用物の使用又は収益を為さしむることを得ず

　借主が前２項の規定に反する使用又は収益を為したるときは貸主は契約の解除を為すことを得（取１９７）　

　本条以下第５９６条に至るまでは借主の権利を定めたるものなり。しかして本条は借主の主たる権利即ち物の使用，収益の権利に付いて規定せり。先ず第１項において使用，収益の方法を定め契約又は其目的物の性質に因りて定まりたる用方に従うべきものとせり。例えば甲が乙に書籍を貸与するにあたりて乙はこれを謄写するために借受けたりとせんに既にこれを借受たる後敢えて謄写を為さずして単にその書籍を閲読するが如きは契約違反と言うべく又契約に特にその目的を示さずといえども元来書籍はこれを読みこれを謄写する等の用に供すべきものにしてこれを枕に代え又は踏台と為すが如きはもとよりその性質に反するものにしてまた契約違反と言わざることを得ず。

　使用貸借は無償契約にして貸主は報酬を受くることなく借主をしてその借用物の使用，収益を為さしむるものなるが故に大抵借主の性行を信じてこれを貸与するものなり。しかるに物はたといその用方に従いてこれを使用するもその使用の方法により破損の危険に多少あり。故に平生疎暴なる人には貴重なる物品を貸与せざるは人情の常なり。故に借主は貸主の承諾あるに非ざれば必ず自ら借用物を使用すべく敢えて他人をしてこれを使用せしむることを得ず。しからずんば注意深き借主を信じて貴重なる物品を貸与したるにその子弟，僕婢等をしてその使用を為さしむるときはその子弟，僕婢等は往々借主の如き注意深き人にあらずしてために物を破損するのおそれあり。これ貸主の当初の意思に反すること多かるべし。但し貸主の承諾は必ずしも都度都度これを得ることを要せず。契約の初め又は中頃に至り一般に第三者をして借用物を使用せしむるの許可を得たるときは敢えて本条第２項の規定を適用すべき限りに在らざるなり（法文には「使用又は収益」といえるも余は単に使用の事のみをいえりこれ他なし。借主が収益を為す場合に在りては大抵貸主の明示又は黙示の承諾により第三者をしてその使用を為さしむることを得ること多かるべければなり。但し牛乳を搾取り又は羊毛を刈取るが如きは自ら巧拙ありて濫に第三者をしてこれを為さしむるときは多少の危険なきに非ざるをもって貸主の承諾なき以上は借主は自らその搾取又は刈取を為すべきものとす）。

　借主もし物の用方に違いてその使用，収益を為し又は貸主の承諾を得ずして第三者に物の使用，収益を為さしめたるときはこれその権利以外の事を為したるものにしてこれによりて生じたる損害を賠償すべきはもとよりなりといえども本条第３項においては特に貸主に与うるに契約解除の権をもってせり。けだしかくの如き借主をして永く物の使用収益を為さしむるは頗る危険多き所なるをもって借主は直ちにその契約を解除して物の返還を請求することを得ずんばあるべからず。これ第５４１条とその精神を同じうするといえどもただこの場合においては借主はその債務を履行せざるにあらずしてむしろその権利以外の事を為したるものなるが故に当然第５４１条を適用すること能わざるをもって特に本条第３項の明文を設けたるなり。なお第５４１条においては先ず催告を為してしかる後契約を解除すべきものとせりといえども本条においては既に権利以外の事を為すが如き無法の借主に対して将来その無法行為を止むべきことを催告するが如きはほとんど児戯に均しきをもって借主は直ちに契約の解除を為すことを得るものとせり。

第５９５条　借主は借用物の通常の必要費を負担す

　此他の費用に付ては第５８３条第２項の規定を準用す（取１９９，２０４，１項）

　本条は借主が借用物に費用を加えたる場合においてその償還を求むる権利を定めたるものなり。第１９６条の原則によれば占有者たる借主は必要費の全額の償還を求むることを得べくただ借用物が果実を生じたるときは通常の必要費は借主これを負担せざるべからず。又有益費に付いては物の価格の増加が現存する場合に限り貸主の選択に従いその費用額又は増加額を償還すべきものとす。しかして借主は理論上善意の占有者なるが故に裁判所は有益費の償還に付き貸主に期限を許与こと能わざるが如し（再訂２巻２８８頁ないし２９０頁）。この原則には２点においてこれを借主に適用し難きものあり。

第１　借主はたとい借用物が果実を生ぜざる場合といえどもこれを使用しもって利益を受くるが故に通常の必要費は皆これを負担せしむるを至当とす。例えば馬を借用したる者はその馬の食料を負担すべきはほとんど疑いを容れず。又家屋を借用したる者は畳の表替え，障子の張替え等の費用を負担すべきはまたほとんど疑いを容れざるが如し。

第２　有益費に付いては借主を悪意の占有者に視うるをもって正常と為すべきが如し。何となれば借主が物を使用するは善意をもってするといえども畢竟自己の所有物にあらずして一定の時期に達すれば必ずその物を貸主に返還せざることを得ざることを知れり。故に濫にこれに有益費を加うるが如きはその当然の所為と言うべからず。況や莫大の費用を投じて借用物の改良，装飾等を為すが如きはその宜しく憚るべき所にしてあるいはこれによりて貧困なる貸主にその負担に堪えざる費用償還の義務を負わしめもしこれを償還せざるときは留置権を行いもって物の返還を拒み窃に事実において借用物を横領せんと謀ることなきを保せず。故に本条第２項においては留置権，買戻等の例に倣い裁判所をして貸主の請求によりこれに相当の期限を許与することを得せしめたり（２９９，２項，５８３，２項）。

第５９６条　第５５１条の規定は使用貸借に之を準用す（取２０４，２項）

　本条は貸主の担保の義務を規定したるものなり。けだし貸主は贈与者に均しく無償にて他人に利益を与うる者なり。故にこれを買主，賃貸人等と同一視すること能わず。故に本条においては贈与に関する規定を準用すべきものとせり他なし貸主は貸与物又はその所有権の瑕疵又は欠缺を知りてこれを借主に告げざりしときはこれによりて生ずる損害の賠償を為すべきものとせり。

第５９７条　借主は契約に定めたる時期に於て借用物の返還をなすことを要す

　当事者が返還の時期を定めざりしときは借主は契約に定めたる目的に従い使用及び収益を終わりたる時に於て返還を為すことを要す但其以前と雖も使用及び収益を為すに足るべき期間を経過したるときは貸主は直ちに返還を請求することを得

　当事者が返還の時期又は使用及び収益の目的を定めざりしときは貸主は何時にても返還を請求することを得（取２００，２０３）

　本条は借主の返還の義務に付いて規定せり。この義務はほとんど借主の唯一の義務にして又使用貸借より生ずる主たる義務なることは既に論じたるが如し。けだし当事者は随意に返還の時期を定むるの自由を有する者にしてその時期を定めたるときは貸主はその時期以前に物の返還を請求すること得ざることはまた既に論じたる所なり。これ当然言うをまたざるが如しといえどもしかれども従来各国の法律において認むる所と異なれることはまた既に論じたるが如し。ただ当事者が返還の時期を定めざりしときは果たして何れの時にその返還を為すべきがこれ聊か疑いなき能わず債権の一般の規定よりこれを言えば履行の時期の定めなき債権は債権者より何時にてもその履行を求むることを得べきが如しといえども元来貸借なるものは借主が物を使用することを得るがためにこれを為すものなるが故にたとい明らかに返還の時期を定めざるも借主が物を使用するに必要なる時期はその返還を促すことを得ざるものとせざることを得ず。ただ物の使用なるものは１日これを使用するも使用なり１０年これを使用するもまた使用なり。故に如何なる時期において返還を求むることを得べきかは最もこれを定むるを難しとする所なり。本条第２項においては先ず借主が契約に定めたる目的に従い使用及び収益を終わりたる時において返還を為すべきものとせり。例えば試験の準備のため書籍を借りたる者はその試験を終わりたる後直ちにこれを返還すべく人を招きて饗応を為すがために器具を借りたる者はその饗応の終わりたる後直ちにこれを返還すべきが如し。しかりといえども借主は往々にして物の使用，収益を為さずしかしてこれがために長日月の間物の返還せざることあらんには貸主の不利益は勿論実に契約締結の当時の当事者の意思に違うものと言うべし。故に借主が未だ物の使用，収益を為さずといえどもこれを為すに足るべき時期を経過したるときは貸主は直ちにその返還を請求することを得るものとせり。例えば書籍を一読するためにこれを借りたる者はたとい自己の怠惰にてその一読を終わらざること久しきに彌るも既に通常人がこれを一読するに充分なる期間を経過したるときは貸主は直ちにその返還を請求することを得べく又某の土地に１回往復するために船を借りたる者はたとい自己の都合により数日ないし数月間これを使用せざるも通常出帆の準備を為すに必要ある時間，通常の速力をもって目的地に到着する時間，目的地において一定の用務を終うるに必要なる時間及び目的地より出発地に帰来するに必要なる時間を経過したる後は貸主は直ちにその船の返還を請求することを得べきの類これなり。

　以上は当事者が明らかに返還の時期を定めざるも契約に使用，収益の目的を示したるをもって暗に返還の時期を知ることを得べき場合なりといえどももし当事者が返還の時期をも使用，収益の目的をも定めざりしときは一刻使用するもまた使用にして千日使用するもまた使用なるが故にここに債権の総則の規定を適用し貸主は何時にても物の返還を請求することを得るものとせり。けだし使用貸借は常に無償なるが故に右の場合の如く当事者の意思を推測するに由なきときはむしろ貸主の便宜のために契約を解釈すべければなり。

第５９８条　借主は借用物を原状に復して之に付属せしめたる物を収去することを得

　本条は主として借主の返還の義務に伴う権利を定めたるものなり。けだし借主は物の使用に便するため往々これに他物を付属せしめてこれを使用することあり。この場合においてはその付属せしめたる物は貸主の所有物にあらざるをもってこれを収去することを得るはほとんど疑いを容れざる所なり。あるいは添付の原則によりこれを収去することを得ざるかを疑う者なしとせざれとも第２４２条によれば権原によりて不動産に物を付属せしめたる場合においては敢えて添付の規定を適用すべからざるものとせり。しかして借主は物の使用，収益を為す権利の結果としてその使用，収益のために他の物を付属せしむることを得るが故にこれに添付の規定を適用すべからざるや明らかなり。又動産に付いては毀損するにあらざれば分離すること能わざるまでに物を附合せしめたる場合に限り添付の規定を適用せるが故にもし単に借用物に他物を付属せしめたるに止まるときは復添付の規定を適用すること能わず。故に借主がその付属せしめたる物を収去することを得るは言うをまたざるが如し。ただこの場合において借主はもともと自己の使用，収益の権利に基づいてその物を付属せしめたるものなるが故にこれを収去したる結果として使用物が多少原状に異なりたる形状に在るも借主は敢えてこれを原状に復するの義務なきかの疑いなき能わず。これ本条において「借主は借用物を原状に復してこれに付属せしめたる物を収去することを得」る旨を規定したる所以なり。地上権，永小作権に付いては土地の所有者に工作物及び竹木を買取る権利を与えたりといえども（２６９，２７９）使用貸主は同一の権利を有せざるものとせりこれ他なし使用貸借はほとんど常に動産に付いてのみ存するものにしてこれに他の物を付属せしむるが如きは極めて例外に属ししかれどもこれを分離するときは大いに国家の経済に害ありと為すべき場合極めて稀なるべきをもってなり。なお賃貸借に付いても同一の規定なき理由は後に論ずべし。

　今借主が借用物に他の物を付属せしむる１２の例を示さば土地の借主がその土地に竹木を植えたる場合においてその竹木を収去することを得るといえどもしかれどもこれを収去したる跡に穴を生じたるときはこれを埋むることを要するが如く又袷を借りたる者がこれに綿を入れたるときはその綿を抜取るはもとより可なりといえども必ずこれを元の袷に復して貸主に返還せざることを得ざるが如きこれなり。

第５９９条　使用貸借は借主の死亡に因りて其効力を失う（取１９６）

　本条は使用貸借の終了に関して規定せり。即ち使用貸借は返還時期の到来によりて終了する外借主の死亡によりて終了するものとせり。けだし使用貸借は常に無償にして特に借主一身の利益のためにこれを為すものとせざるべからず。加これ第５９４条第２項の原則に反するものと言うべし。これ本条の規定を設けたる所以なり。但し特約をもって借主の死亡の後使用貸借関係の継続すべきものとすることを得べきはもとよりなり。

第６００条　契約の本旨に反する使用又は収益に因りて生じたる損害の賠償及び借主が出だしたる費用の償還は貸主が返還を受けたる時より１年内に之を請求することを要す

　本条は返還の義務の外使用貸借より生ずる債務関係をして速に結了に至らしめんことを欲したるものなり。けだし貸主が契約の本旨に反して物の使用，収益を為したるによりて生じたる損害及び貸主より借主に償還すべき費用は共にその額多からざる常としかつ一定の期間を経過するときはその確実なる証明を為すこと極めて難く従って裁判に困難なる訴訟を惹起するのおそれあり。故に本条においては貸主が返還を受けたる時より１年内にこれ等の請求を為すべきものとせり。

　契約の本旨に反する使用，収益とは主として用方に従わざる使用，収益及び貸主の承諾を経ずして第三者に為さしめたる使用，収益を言う（５９４）。

　　　　　第７節　賃貸借　

　従来の借地，借家，損料借等は皆この中に入るべきものにして契約中最も頻繁なるものの１なり。旧民法においてはこれによりて物権を生ずるものとせしも新民法においては外国多数の例に倣い敢えて物権を生ずるものとせず。ただ不動産に付いてはこれを登記するときはもって第三者に対抗することを得るものとしこれによりてほとんど物権に均しき効力を生ずることを得せしめたり。なお後にその詳細を論ずべし（６０５）。

　本節はこれを３款に分ち第１款を総則とし賃貸借の定義及びその成立に関する事項を規定し第２款を賃貸借の効力とし賃貸人及び賃借人の権利義務を定め第３款を賃貸借の終了とし賃貸借終了の原因及びその結果を規定せり。

　　　　　　第１款　総則

第６０１条　賃貸借は当事者の一方が相手方に或物の使用及び収益を為さしむることを約し相手方が之に其賃金を払うことを約するに因りて其効力を生ず（財１１５，１１７）

　本条は賃貸借の定義を掲げ併せてその成立の時期を明らかにせり請う左に賃貸借の性質を示さん。

第１　諾成契約なること

　賃貸借は消費貸借及び使用貸借と異なりて物の引渡を要せず。当事者双方の意思の合致のみによりて契約正に成立するものとせり。これ各国の慣習においてほとんど一様なる所にしてそのしかる所以は既にこれを論じたるをもって再びここに論ぜず。

第２　有償契約なること

　これ主として賃貸借の使用貸借と岐るる所なり。即ち使用貸借に在りては借主は少しも報酬を払わずといえども賃貸借に在りては必ず借賃を払うべきものとす。本条においては賃金といえるが故に必ず金銭をもって借賃とすべきが如しといえどもこれけだし大多数の場合において金銭をもって借賃を払うが故に爾いえるものにして土地の貸借に在りては往々収穫の一部を地主に与えもって借賃と為すの例敢えて稀なりとせず。しかして収穫の一部をもって借賃と為す場合に２様あり。１は米若干斗麦若干石の如く一定の額をもって借賃に充つるものにして１は年々の作況に応じ全収穫の幾分を地主に与うるものなり。後者は学者これを分果小作（Colonage partiaire）といえり。

　有償の貸借は果たして皆賃貸借なるがいわくしからず一時に金若干円を与えもって数年間物の使用を為す権利を取得し又は家屋を使用する報酬として労務を供するが如きは敢えて賃貸借にあらず。これ等の契約の有効なることはもとより論をまたずといえどもこれに本節の規定を適用すること能わず。ただ契約一般の規定を適用すべきのみ。但し右の第２例においては往々雇傭契約の存することあるべし。

　しからば即ち借賃とは如何なる性質を有するものなるがいわく定期に支払うべき金銭その他の物これなり。ただその支払時期に付いてはあるいは毎年これを払うものあり。あるいは毎月これを払うものあり。甚だしきに至りては毎日これを払うものもまたこれなきにあらず。要は一定の時期間物を使用するに対し一定の金額その他の物を支払うに在るのみ。

第３　双務契約なること

　賃貸借の双務契約なることはけだし論をまたず。何となれば当事者の一方は他の一方に物の使用，収益を為さしむるの義務を負いこれがためにただに自己の所有物を自ら使用せずして賃借人をしてこれを使用せしむるのみならず進みて必要なる修繕を為しもって賃借人がその物を使用するに便ならしむるの義務を負うものにして他の一方は又賃貸借終了の時において物を返還する義務を負うのみならず定期に借賃を支払うの義務を負うものなればなり。

第６０２条　処分の能力又は権原を有せざる者が賃貸借を為す場合に於ては其賃貸借は左の期間を超ゆることを得ず

　　一　樹木の裁植又は伐採を目的とする山林の賃貸借は１０年

　　二　其他の土地の賃貸借は５年

　　三　建物の賃貸借は３年

　　四　動産の賃貸借は六ヶ月（財１１９，１２２，１２３）

　賃貸借は物の所有者が自らこれを使用せざる場合における最も普通の利用方法にして又必要なる土地，家屋，寝具等を所有せざる者に在りてはこれを賃借することその生活に必要なる行為にして共に各人の財産処理上最も頻繁なる行為なりとす。故にその性質の管理行為たることはほとんど人の争わざる所なり。しかりといえども長歳月の間賃貸もしくは賃借を為すときは第１借賃の相場の最低により貸主又は借主のために非常に不利益なること少なからざるのみならず所有者は自己の必要あるもその物を使用すること能わず借主はその物が既に不用に属するもなお借賃を払いて依然これを借受けざることを得ず。この如くんばその財産上その他の不利益実に鮮少ならざるべし。故に各国の法律において大抵長時間の賃貸借をもって処分行為に視えり。ただその期間の長短に至りては各国その揆を１にせず。本条においては先ず動産と不動産とを分ち又不動産中に在りても土地と建物とを分ち更に土地の中に就いて樹木の裁植又は伐採を目的とする山林に付き特例を設けたり。けだし動産の賃貸借はその期間極めて短きを常とす。故にその期間６ヶ月を超ゆるときは動産の賃貸借としてはほとんど異常の長期なるものと為さざることを得ず。これに反して不動産は稍々長期なるもの稀なりとせずといえども建物の賃貸借は概して土地の賃貸借よりも短く初めより３年以上の期間をもって建物の賃貸借を為すが如きは稍々実際に稀なる所なり。これに反して土地の賃貸借は２３年ないし４５年のもの敢えて稀なりとせず。ただ永小作にあらずして初めより５年以上を期するものは稍々稀なるべし。ただり樹木の裁植又は伐採を目的とする山林に在りては賃貸借の期間稍々長期に亘るにあらざればその目的を達すること能わず。ゆえに１０年以下のものはなおこれを管理行為とみなせり。しかして山林中特に樹木の裁植又は伐採を目的とするもの稀なりとせず。殊に山林の賃貸借を為す場合においてはこの種の目的を有するもの最も多し。しかるにこの類の山林賃貸借は耕地，牧場等の賃貸借とその期間を異にするの理由なく従って実際の慣習においてもその期間短きもの多きをもってなり。

　本条の適用は能力と権限とに付いてこれあり。能力に付いては第１２条第１項第９号により準禁治産者は本条の期間を超ゆる賃貸借を為すには必ず保佐人の同意を要するものとせり。しかして権限に付いては台０３条第２号にいわゆる「物の性質を変ぜざる範囲内に於て其利用を目的とする行為」とは賃貸借に在りては本条の期間を超えざるものをいい（２８参看）又第８０２条によればこれが本条の期間を超えて妻の財産の賃貸を為すには妻の承諾を必要とし又第９２９条によれば本条の期間を超えざる賃貸借は後見人その専断をもってこれを為すことを得るも本条の期間を超ゆる賃貸借は必ず親族会の同意を要するものとせり。

　本条の能力と権限とに付き適用あることは右に論ずるが如しといえどもその制裁に至りては自ら差異なき能わず。けだし無能力者即ちドイツ学者のいわゆる限定能力者の行為は敢えて無効なるにあらず。ただこれを取消すことを得るのみ（１２，３項，３訂１巻１１頁，３４頁）。これに反して権限なき者の行為は本来全く無効なるべきものなり。ただ第１１３条以下の規定により新民法においては便宜のため追認によりてこれを有効と為すことを得るものとせり。これによりてその追認なき間といえども相手方においてこれを取消さざる以上はその行為は仮に成立せるものの如くみなせるに過ぎず（１１５なお無能力者，無権限者の行為の追認又は取消を促すため相当の期間を定めて催告を為すことを得べきは第１９条及び第１１４条に規定せる所なり。但し後見人の越権行為はこれを無効とせずただ無能力者又はその代理人においてこれを取消すことを得るものとし又第１９条の規定はこれに準用すべきものとせり（９３６，なお８８７によれば親権を行う母に付いても同様の規定あり）。

第６０３条　前条の期間は之を更新することを得但其期間満了前土地に付ては１年内建物に付ては３ヶ月内動産に付ては１ヶ月内に其更新を為すことを要す（財１２０）

　前条の規定は無能力者又は本人を保護するため設けたる規定なりといえどもその無能力又は代理人の権限が長年月の間継続する場合においては既に前条に規定せる１期を経過せる後なお継続して賃貸借を為すを必要とすること稀なりとせず。しかれども一旦前契約の終了したる後更に契約を結ばんと欲するも既に当事者の一方においてこれを欲せざることあり。故に未だ期間の全く満了せざるに及び次期に付き契約を更新せんと欲すること稀なりせざるべし。しかりといえどももしこの更新にして何時にてもこれを為すことを得るものとせば前条の規定はほとんど死文に終わらんのみ。何となれば今日３年の期間をもって賃貸を為すべきことを約するときはこれほとんど６年の期間をもって賃貸を為したるに同じ。あるいは次条における如く更新の時より前条の期間を超ゆることを得ざるものとするときは幾分かその幣を矯正することを得べしといえどもこれ未だ全く前条の精神を貫徹するに足らざるなり。何となればこの主義に拠れば更新の時より３年を超ゆること能わざるが故に前例の如き弊害なしといえどもしかれども毎年更新を為すときは更に３年間その契約に羈束せらるべし。しかるに立法者が前条の規定を設けたる所以のもの他なし。一方においては借賃の相場に高低あるが故に同一の借賃をもって長年月の間賃貸借を為すは不利益なりとし他の一方においては貸主のために物の入用を生じ又は借主のために物の不用と為りたる場合において数年月の間なおその物を使用する能わず又は空しく借賃を払わざることを得ざるの不利益あることを恐れてなり。しかるに前例において年々更新を為すときは５年間同一の条件をもって賃貸借を継続すること稀なりとせざるべし。しかるに初めの３年の期間将に満了せんとするにあたり俄かに借賃の高低を生じもしくは土地の入用又は不用を生じたるときはなお２年有余の間初めの条件をもって賃貸借を継続せざるべからざるの不利益あればなり。故に本条においては一旦前条の期間内において賃貸借を為したるときはその期間が将に満了せんとするに至りたる後にあらざれば敢えて更新を為すことを得ざるものとせり。しかして土地と建物と動産とに付きその期間を同じうせざるものは更にこれを他に貸与し又は他よりこれを借受くるため自ら難易の別あればなり。

第６０４条　賃貸借の存続期間は２０年を超ゆることを得ず若し之より長き期間を以て賃貸借を為したるときは其期間は之を２０年に短縮す

　前項の期間は之を更新することを得但更新の時より２０年を超ゆることを得ず（財１２５）

　本条は賃貸借の最長期を定めたるものなり。けだし一切の契約皆永久にこれを継続することを許さざるは文明国の法律の一般に認むる所なり。故に雇傭，組合等に関しても皆期間に付き多少の制限あり（６２６ないし６２８，６７８，６８３）。殊に賃貸借はその期間甚だ長からざる場合においては経済上極めて有益なるものなりといえどもその期間長きに失するときは経済上大いに不利益なるものなり。けだし貸主は自ら物の使用収益を為さざるをもって物の改良を為すが如きはむしろ例外に属す。しかして借主はもとより他人の物に改良を施すこと稀なりとすただ貸主は借賃を求むることを得るが故に物を改良すれば従ってその価格を増加しその価格を増加すれば従ってその借賃を増加することを得るを常とするが故にもし賃貸借の期間にして甚だ長からざるときは敢えて物の改良を妨げずといえどももしその期間長きに失するときは竟に物の頽敗，毀損を顧みざるの幣なき能わず（なお物の融通を妨ぐるの幣あり）。これ本条の制限を設けたる所以なり。しかして最長期を２０年としたる所以は他なし。永小作権は必ず２０年以上なるべく（２７８）又地上権も２０年以上なること多かるべし（２６８，２項）。故にもし当事者にして２０年より長き期間をもって土地を貸借するの要あらば永小作権もしくは地上権を設定することを得べく従って必ずしも賃貸借を為すを要せざればなり。あるいはいわん既に公益上２０年を越ゆる賃貸借を許さざる以上は２０年を超ゆる永小作権，地上権の設定もまたこれを禁ずべきにあらずやといわくしからず。永小作人，地上権者は皆土地の上に物権を有し地主は敢えて義務を負うことなきが故に第１，契約のためにその自由を拘束せらるることなく又永小作人，地上権者はほとんど土地を自己の所有物の如くみなしこれに改良を施すこと稀なりとせず。殊に地上権者に在りては他人の土地の上に建物を建造し又は竹木を裁植するをもってその必要上自ら多少の改良を土地に施すこともとよりなり。これ賃貸借の２０年を超ゆるものを禁じて永小作権，地上権の２０年を超ゆるものを禁ぜざる所以なり。

　以上は土地に付いてのみ言えりといえども建物もしくは動産の賃貸借に在りては５年もしくは１０年の期間をもってするものすらほとんど聞かざる所なるが故に本条の規定はほとんどこれ等の賃貸借に適用なきものと視て可なり。

　本条の期間は初め政府案にはこれを１０年とせしが衆議院においてこれを２０年に伸長せり。余は２０年は聊か長きに失するものと信ず。しかして従来の慣習においても１０年以上の小作はこれを永小作とするの例多きが如し（民事慣例類集５５２頁以下）。しかれども衆議院においては２０年以上にあらざれば敢えて永小作と視るべからざるものとせるをもって本条においても１０年を改めて２０年とせしなり。

　本条においては賃貸借の存続期間は２０年を超ゆることを得ざるものとし第２７８条においては永小作権の存続期間は２０年以上５０年以下とせり。故に耕地の貸借にしてその期間２０年なるものはあるいは賃貸借たることあり。あるいは永小作たることあり。これあるいは立法者の粗漏ならんがいわくしからず。永小作権と賃貸借とはその性質全く同じからざるが故に両者に同じく２０年の期間をもってするものあるも何の不可がこれあらん。これ立法者が賃貸借をもって２０年未満のものとし又は永小作をもって２０年を超ゆるものとせざりし所以なり（再訂２巻２２０頁ないし２２２頁）。本条の規定は第２７８条及び第３６０条とその性質を同じうするをもって右２条説明に譲りここに詳細せず（再訂２巻２３８頁，２３９頁，４４６頁）。

　　　　　　第２款　賃貸借の効力

第６０５条　不動産の賃貸借は之を登記したるときは爾後其不動産に付き物権を取得したる者に対しても其効力を生ず（財２，２項３号，３４８，１号）

　本条は不動産の賃貸借を登記するときはこれを第三者に対抗することを得る旨をさだめたり。けだし賃貸借は債権，債務の関係のみを生ずるものなるが故にこれを第三者に対抗することを得ざるを原則とす。しかりといえども不動産に付いてはこれを第三者に対抗することを得ざるときは実際の不便少なからざるをもって登記によりてこれを公示するときはあたかも物権の如くこれを第三者に対抗することを得るものとせり。けだし登記はもともと物権に付いてこれを為すべきを本則とするといえども（１７７）本条においては便宜に従い例外にて債権を登記せしむることとせり。けだし賃貸借は債権を生ずるに過ぎずといえどもしかれどもその債権は間接に不動産を目的とし登記によりてこれを公示すること極めて容易なればなり。しかして登記によりてこれを公示する以上は第三者はこれを知ることを得るが故にこれを第三者に対抗するもために第三者が不慮の損害を被るが如きことは万有るべからざるなり。

第６０６条　賃貸人は賃貸物の使用及び収益に必要なる修繕を為す義務を負う

　賃貸人が賃貸物の保存に必要なる行為を為さんと欲するときは賃借人は之を拒むことを得ず（財１２８，１２９，１項）

　本条は賃貸人の修繕の義務及び権利を定めたるものなり。けだし賃貸人は賃借人に対し物の使用，収益を為さしむる義務を負うが故にその使用，収益に必要なる修繕を為すの義務は必ずこれに伴いて生ずるものとせり。但し特約又は慣習によりて修繕の全部又は一部を賃借人の負担と為すこと稀なりとせず。例えば井戸，下水道の浚渫畳の表替，障子の張替等は特約又は慣習により賃借人これを負担すべきこと稀なりとせず。本条においてはただ原則を示せるのみ。

　賃貸人は右の義務を負うと同時に又修繕を為す権利を有す。けだし賃貸人は賃貸物の所有者なるが故に（所有者ならざることありといえどもこれもとより例外に属す。なおその所有者たらざるときといえども多くは賃貸物を保存するに正当の利益を有する者なり。）これを保存するため必要なる修繕を施しもって自己の利益を保護するの権利あるはもとよりなり。しかるにこれがため賃借人が物の使用，収益を為すに付き妨害を与うるときは賃借人は往々これを欲せざることあり。殊に賃貸借の将に終了せんとするに臨んでは賃借人は自己のためには物の破損せるを忍びむしろ目下物の使用，収益を為すことを妨げられざらんことを欲するは人情の常なり。しかりといえども賃貸人のためには修繕１日を怠れば物の毀損益甚だしきことあるをもって直ちにその修繕を為さんことを欲するはこれまた人情の常にしかるべき所にして最も正常なる希望と言わざることを得ず。故に本条第２項においては賃借人はその修繕を拒むことを得ざるものとせり。但し次条においてこの場合における賃借人の権利を保護せるをもって敢えて不公平の恐れなし。

　あるいはいわわん賃貸人がこの権利を有することけだし明文をまたざらんといわくしからず。賃貸人は賃借人をして物の使用，収益を為さしむる義務を負うが故にもし修繕が賃借人の使用，収益を妨ぐるときは賃借人においてこれを拒むことを得るものとすべきの理なきにあらず。これ本条第２項の明文を設けたる所以なり。

第６０７条　賃貸人が賃借人の意思に反して保存行為を為さんと欲する場合に於て之が為め賃借人が賃借を為したる目的を達すること能わざるときは賃借人は契約の解除を為すことを得（財１２９，２項）

　本条は賃貸人が賃借人の意に反して修繕を為さんと欲するにあたり賃借人の権利を保護せんがために設けたる規定なり。けだし前条第２項の規定により賃貸人は多少賃借人の不便を醸すことを顧みずして修繕を為すの権利ありといえどもしかれどもこれがために賃貸借の目的をして水泡に帰せしむることあらんには法律の保護唯り賃貸人に厚うして賃借人に薄きものと言わざることを得ず。故に本条においては賃借人が修繕のため賃借を為したる目的を達すること能わざる場合に限り賃借人をして契約の解除を為すことを得せしめたり。例えば家屋の壁に破損を生ぜし個所ありて賃貸人がこれを修繕せんと欲するときは通常賃借人は多少の不便を感ずることなしとせざれどもためにその家屋に住すること能わざるが如きこと稀なりとす。故に賃借人は前条第２項の規定によりその修繕を拒むことを得ざるのみならずために損害を被るも敢えて賠償を求むることを得ず。況や契約の解除を為すことを得んや。しかりといえどももし賃貸人が家屋の壁の全部を改造せんと欲する場合の如きは賃借人はためにその家屋に住すること能わざることあるべし。この場合においては賃借人はその賃借の目的を達すること能わざるが故にその契約を解除しもって借賃支払の義務を免るることを得ずんばあるべからず。

第６０８条　賃借人が賃借物に付き賃貸人の負担に属する必要費を出だしたるときは賃貸人に対して直ちに其償還を請求することを得

　賃借人が有益費を出だしたるときは賃貸人は賃貸借終了の時に於て第１９６条第２項の規定に従い其償還を為すことを要す但裁判所は賃貸人の請求に因り之に相当の期限を許与することを得（財６９，１項，２項，１２６）

　本条は賃借人が費用を出だしたる場合において賃貸人に対しその償還を請求することを得る旨を規定せり。けだし修繕は賃貸人これを為すべきを本則とするが故にもし賃借人が一時自己の費用をもって修繕を為したるときはその償還を賃貸人に請求することを得るはもとよりなり。これ賃借人が修繕の一部を負担する場合においてその負担に属せざる修繕をも為したるときまた同じき所なり。但しその費用が過当なるときは正当なる額まではこれを賃貸人に請求することを得べしといえどもその残余はもとより賃借人の負担すべき所とす。これけだし必要なる費用にあらざればなり。

　有益費もまたその償還を賃貸人に請求することを得べきはもとより言うをまたず。ただ必要費と異なる所は（第１）必要費はその全額を請求することを得べしといえども有益費は賃貸人の選択に従いあるいはその全額あるいはこれによりて物の価を増加したる額を償還すべきものとし（第２）必要費は賃貸借関係の継続する間においてもその費用を出だしたる後直ちに賃貸人に請求することを得べきも有益費はしからず。賃貸借終了の時において始めてその償還を請求することを得るのみ。（第３）必要費は賃借人よりその償還を請求するときは賃貸人は敢えて猶予を請うことを得ず。しかして賃借人はこれに付いて留置権を有すべし。これに反して有益費は賃貸人の請求によりその償還に付き裁判所において相当の期限を許与することを得べく従って賃貸人が物の返還を請求するときは賃借人は敢えてこれを留置することを得ず。けだしこの点においては賃借人は留置権者（２９９，２項）買戻特約付き買主（５８３，２項）及び使用借主（５９５，２項）に同じく悪意の占有者に視うべき物とせしなり。

第６０９条　収益を目的とする土地の賃借人が不可抗力に因り借賃より少き収益を得たるときは其収益の額に至るまで借賃の減額を請求することを得但宅地の賃貸借に付ては此限に在らず（財１３１）

　本条は賃借人が不可抗力によりて僅少の収益を得たる場合において借賃の減額を請求する権利を規定せり。けだし借賃は賃貸借の要素なること既に第６０１条において論じたる所にしてしかれどもその額は契約によりて定まるべきものとす。故に純理よりこれを言えばたとい賃借人が凶作その他一切の不可抗力により如何程僅少なる収益を得るも将た一銭の収益を得ざるもなお約定の借賃はこれを払わざることを得ざるが如し（但し，毛見小作に在りては毎年の収穫高に応じその何分を借賃として地主に納むべきものなるが故にこの場合においては本条の適用を見ざるべし）。しかりといえども小作人は通常細民にして家に儋石の余財なく層々凶作に遭うときは僅かに飢餓を免るるをもって幸いとし動もすれば哀れを地主に乞いてその恩恵により僅かに生命を維くことを得る者多し。故にこれをして約定の借賃を払わしむるは甚だ残酷にして実際に行われざること多かるべし。あるいはいわんかくの如き場合において賃借人は一時借賃支払の猶予を乞い豊年に至りてこれを弁済すべきものとせば可ならん。何ぞ必ずしもその義務を免除することを要せんやといわく全国中地方によりてはこの慣習を存する処なきにあらざるが如しといえどもこれをもって一般の規定と為すときはなお過酷なる場合多かるべし。けだし凶年には賃借人はたとい一時借賃支払の猶予を得るも自己及びその家族の生活費を得ざること稀なりとせず。この場合においては多くは一時負債を起して僅かに危険を免るる者多し。しかるに翌年豊作なるときは直ちに前年の借賃をも弁済すべきものとせば賃借人は前年生活費のために借入れたる金額までも弁済することを得ること稀なるべく従って賃借人は常住負債に苦しめらるるの惨境に陥ることなしとせず。凶作１年に止まるときなおかつしかり。況やその比年実らざるの不幸に遭遇したる場合においてをや故に一般の規定としては甚だしき凶作に遭えば必ず借賃の減免を請求することを得るものとせざることを得ず。故に西洋においても古来大抵賃借人に与うるに借賃の減免を請求する権利をもってせり。ただその減免の程度に至りてはただに各国その慣習を一にせざるのみならず同じく日本国中においても慣習極めて区々に渉れり。しかして従来の慣習は大抵徳義に一任し敢えて法律上賃借人に減免を請求する権利あるものとせざるが如しといえども実際の必要に迫られ凶作には必ず賃借人において減免を承諾するを常とするが如し。ただその標準に至りては元来法律問題としてこれを視ざるが故に時宜に従いこれを定め敢て一定の標準を設くるものは殆ど稀なるが如し。本条においては一方には力めて当事者間の自由の契約を重んじ已むことを得ざるに非ざるよりは一方の意思をもってその効力を左右することを得ざるものとし又一方には賃借人が実際借賃を払うことを能はざるまでに不幸に陥りたるときはこれをその悲境より救済するに必要なる程度において借賃の減免を請求することを得るものとせり。即ち「賃借人が不可抗力に因り借賃より少き収益を得たるときは其収益の額に至るまで借賃の減額を請求することを得」るものとせり。けだし賃借人に余財なきものとする以上はその年の収益中より借賃を払うに非ざれば到底これを払うこと能はざるものとせざることを得ず。故にいやしくも賃借人が借賃に相当する以上の収益を得たるときは敢てその減免を請求することを得ずといえどももしこれより少なき収益を得又は全く収益を得ざるときは実際得たる収益の額まで借賃を減額し又は全くその免除を請求することを得るものとせり。この如きもまた賃借人は自己及びその家族の生活の費用を得難きの恐れありといえどもこれは一時負債を起こすも可なるものとしもって賃借人を保護せり。もし然らずして賃貸人は如何なる豊作に遭うもなお約定の借賃より多額の収益を得ずして少しく凶作に遭えば忽ちその借賃の減額を為さざることを得ざるものとせんには法律の保護賃借人にのみ厚くして賃貸人に薄きものというべく為に当事者の結約当時の意思に反する結果を生ずべければなり。

　以上はほとんど田畑の小作についてのみ慣習の存するところにして宅地の賃貸借についてはかつて右様の慣習あるを聞かず。これ本条において「収益を目的とする土地の賃借人」としなお但書の例外を設けたる所以なり。

第６１０条　前条の場合に於て賃借人が不可抗力に因り引続き２年以上借賃より少き収益を得たるときは契約の解除を為すことを得（財１３１，２項）

　凶作が１年に止まるときは前条の規定のみにて賃借人の保護足れりといえどももしその凶作２年以上継続するときは上に述べたる理由により賃借人は到底その賃貸借を継続すること能わず。けだし既に賃借人に余財なきものとせば１年間収益の全部を借賃として賃貸人に支払うすらほとんど堪え難き所なるに２年以上継続してこの義務を負うときは到底飢餓を免れ難きこと多かるべし。故にこの場合においては先ずその賃貸借を解除し更にこれより利益多き又はこれより安全なる土地を賃借するかしからずんば職業を転ずるの他あらざるべし。これ本条において特に賃借人に解除権を認むる所以なり。但し本条は初めより２年を超ゆる期間をもって契約を為したる場合にのみその適用を見るべき所にしてもし我が邦において一般に行わるる如く契約は１年限りにしてただ当事者が反対の意思を表示せざれば毎年引続きて小作を為すものとする場合においては本条の適用をまたず。賃借人は１年の後においても直ちに前賃貸借を止めて更に他の土地を賃借し又は他の職業に移ることもとより随意なり。ただ実際においては慣習上賃借人は特に賃貸人に賃貸借を継続せざる旨を通知することを要すること多きが如し。

第６１１条　賃借物の一部が賃借人の過失に因らずして滅失したるときは賃借人は其滅失したる部分の割合に応じて借賃の減額を請求することを得

　前項の場合に於て残存する部分のみにては賃借人が賃借を為したる目的を達すること能わざるときは賃借人は契約の解除を為すことを得（財１３１，２項，１４６）

　本条は天災によりて賃借物の一部が滅失したる場合に付いて規定せり。元来借賃なるものは賃借物の使用の対価なるが故に借賃の額は大抵賃借物の大小多少に応じてこれを定むるものとす。故に賃借物の一部が既に滅失したるに拘わらず約定の借賃の全部を払うべきものとせば当事者の結約当時の意思に反すること多かるべし。これ本条第１項において先ず賃借人に与うるに物の滅失したる部分の割合に応じ借賃の減額を請求する権利をもってしたる所以なり。例えば１町歩の田地を年５石の借賃をもって借受けたる場合においてその１反歩が震災，水害等により崩壊したるときは賃借人は爾後４石５斗の借賃を払いて可なるが如し。但し借賃減額の程度は必ずしも土地の広狭の割合のみによることを得ず。土地の部分によりその価を同じうせざるときはその価に応じて減額を為さざるべからず。例えば宅地の賃貸借において表坪は裏坪より貴きを常とす。故に１０００坪の地面を月２０円の地代にて借受けたる場合において裏坪２００坪が崩壊したるも必ずしも借賃の２割即ち４円の減額を請求することを得ず。仮に表坪２００坪ありてその借賃３銭坪とせば裏坪２００坪に相当する借賃は３５０銭なるが如し。

　右の規定は未だ充分に賃借人を保護するに足らず。何となれば賃借人は初め一定の面積を有する土地，家屋等の需要ありてこれを賃借すること稀なりとせず。この場合においてはもしその一部が滅失するときはたとい借賃を減額するも全く契約の目的を達すること能わざることあり。殊に滅失したる部分が大なるときは残部のみにては契約の目的を達すること能わざる場合最も多かるべし。これ等の場合においては賃借人はその契約を継続するも初めに予期したる利益を得ること能わざるをもって速にその契約を解除することを得ずんばあるべからず。これ本条第２項の規定ある所以なり（５６３ないし５６６参看）。

第６１２条　賃借人は賃貸人の承諾あるに非ざれば其権利を譲渡し又は賃借物を転貸することを得ず

　賃借人が前項の規定に反し第三者をして賃借物の使用又は収益を為さしめたるときは賃貸人は契約の解除を為すことを得（財６８，１３４，１３５）

　本条においては賃借人の権利は果たしてこれを譲渡することを得るや否や又賃借人は賃借物を転貸することを得るや否やを定めたるものなり。旧民法においては外国の多数の例に倣い譲渡及び転貸を許すを本則とせりといえども新民法においては我が邦の多数地方の慣例に倣い原則としてこれを許さざることとせり。けだし物の使用，収益を為すには自ら巧拙あり又注意に精粗の別あるをもって甲をして使用，収益を為さしむるため物を賃貸したる場合においてその権利を乙に譲与し又は乙をしてその物の使用，収益を為さしむるは我が邦の慣習において当事者の意思に反すること多しと認めたるなり。殊に田畑に至りては往々収穫の一部をもって借賃に供するが故に小作人の勉不勉，才不才によりて収穫の額を同じうせざるが故にこの場合においては外国にても譲渡又は転貸を許さざる例多し。

　本条の規定は本款の大多数の規定に同じく当事者の反対契約を許すこと勿論なり。又初めよりその特約なきも賃借人が譲渡又は転貸を為さんと欲するにあたり特に賃貸人の承諾を得るときはその譲渡又は転貸の有効なることは本条第１項に明らかなる所なり。

　本条の規定に違反したる制裁は先ず譲渡又は転貸の無効に在ることほとんど言うをまたず。しかれども本条はこの制裁をもって足れりとせず。更に第２項をもって賃貸人に与うるに契約の解除権をもってせりこれ他なし。一たび賃貸人の承諾なくしてその権利を他人に譲渡さんと欲し又は賃借物を他人に転貸せんと欲するが如き賃借人は将来復同様なる不法の所為に出づるのおそれあり。故に賃貸人は直ちに契約を解除して賃借物を返還せしむることを得るものとせり。但しこの制裁は単に譲渡又は転貸を約したるのみによりてその適用あるものにあらず。必ず賃借人が第三者をして物の使用，収益を為さしむるをまちて始めてこれを適用すべきのみ。けだし単に契約を為したるのみにては第三者のために如何なる権利をも生ずることなきが故にもし実際賃借人がその第三者をして物の使用，収益を為さしめざる以上は敢えて賃貸人の権利を侵したるものと言うことを得ざればなり。

第６１３条　賃借人が適法に賃借物を転貸したるときは転借人は賃貸人に対して直接に義務を負う此場合に於ては借賃の前払を以て賃貸人に対抗することを得ず

　前項の規定は賃貸人が賃借人に対して其権利を行使することを妨げず（財１３４，３項，担１５０，２項）

　本条は賃借人が適法に賃借物を転貸したる場合即ちその初めより特約によりて転貸の権利を得たる場合又は特に賃貸人の承諾を得たる場合に付いて規定せり。この場合においてはもし本条の規定なくんば賃貸人は賃借人に対してのみ契約上の権利義務を有し転借人は賃借人に対してのみこれを有すべきこともとより疑いを容れず。しかりといえどもこれ時として不便なきにあらず。けだし賃借人は賃貸人に対してその義務を尽くさずしかれども転借人は賃借人に対してその義務を履行すること稀なりとせざるべし。この場合においては賃借人唯り利益を専にして賃貸人は大いに損害を被るのおそれあり。しかしてその所有物は転借人これが使用，収益を為しもってその物に関する利益を収むるものなり。これ豈に公平と言うべけんや。これにおいてか本条は賃貸人に与うるに転借人に対する直接の権利をもってせり。即ち転借人が賃借人に対し賃貸借契約によりて負担せる義務は賃貸人の請求に応じこれに対してその義務を為すの責あり。例えば転借人はその借賃を賃貸人に払うべくもし又転借人が負担せる修繕あるときは賃貸人の請求に応じその修繕を為さざるを得ざるが如きこれなり。但しこの転借人の義務は第１にはその賃借人に対する義務の範囲に限られ第２には賃借人の賃貸人に対する義務の範囲に限らるべし。何となれば転借人が適法にその権利を取得したる以上はその契約によりて負担したる債務より多くの債務を負担すべき言れなく又賃貸人は会々賃借人が転貸を為したるに乗じその賃借人に対する権利より多くの権利を取得するの理なければなり。例えば転借人が月１０円の借賃を払うべき場合においてはたとい賃借人は１２円を払うべき場合といえども単に１０円を払い可なり。又転借人は１２円の借賃をもって借賃を為すももし賃借人にして賃貸人に対し１０円の借賃を払うべきときは転借人はまた１０円を払いて可なり。しかして残額２円は必ずこれを賃借人に払わざることを得ず。又転借人が一切修繕の負担を引受けざりし場合においてはたとい転借人は修繕の全部又は一部を負担する場合といえども敢えて修繕を為すの義務なきの類これなり。

　あるいはいわわんたとい本条の規定なきも第４２３条の適用により賃貸人は賃借人に代わりて転借人に対しその債務の履行を促すことを得べし。しかるに特に本条の規定を設けたるもの如何といわく題２３条の間接訴権によれば賃貸人は自己の権利を行うにあらざるが故に（第１）その転借人より得たるものは己独りこれを専にすることを得ず。必ず賃借人の他の債権者とこれを分たざることを得ず（但し３１４の規定あるが故に賃貸人は転借人が払うべき借賃の上に先取特権を有ししかれどもその先取特権は最も強力なるが故に本文にいえる所はほとんど理論のみに属するが如し。ただ（１）動産の賃貸借に在りては先取特権あることなし。（２）果実をもって借賃と為す場合においては３３０，３項の規定により賃借人よりも強力なる先取特権者少なしとせず。故にこれ等の場合においては本条の規定の必要あることもとよりなり。）。（第２）転借人は往々にして賃借人に対抗することを得べき事由を有することあり。この場合においてもし賃貸人が間接訴権によりて請求を為すときは転借人はこれにその事由を対抗することを得べきはもとよりなり。しかるに本条の規定によりて請求を為す場合においては（第１）賃貸人は自己の権利をもって転借人に請求を為すが故にこれより得たるものは全く己の有に帰すべし。ただこれによりて賃借人はその債務の全部又は一部を免るるに過ぎざるべし。（第２）転借人はその賃借人に対抗することを得べき事由をもって賃貸人に対抗することを得ず。例えば転借人が賃借人に対し債権を有しこれとその借賃の義務と互いに相殺することを得る場合においてももし賃貸人より請求を受くるときは敢えてこれを対抗することを得ざるが如きこれなり。

　以上述ぶる所に拠れば賃貸人は転借人に対し直接訴権を有するに相違なしといえどもその権利の範囲は決して賃借人の転借人に対する権利の範囲を脱すること能わず。ただこれに１の例外あり他なし。転借人は借賃の前払いをもって賃貸人に対抗することを得ざることこれなり。けだし転借人が賃借人にその借賃を支払いたるときはその義務消滅するが故に更に賃貸人より請求を受くべきの理なし。しかして転借人が約定の時期（又は慣習上もしくは法律上の時期，以下同じ，次条参看）に借賃を支払いたるときはもとよりこの原則を適用すべしといえども前払い即ち約定の時期前に為したる支払いはこれを賃貸人に対抗することを得ざるものとせりこれ他なし。既に本条において賃貸人に直接訴権を与えたる以上は転借人は濫にその意思をもって賃貸人の権利を左右することを得べからず。殊に前払いは往々にして賃貸人に損害を加うるため賃借人と転借人と通謀してこれを為すことあるをもって特にこれを賃貸人に対抗することを得ざるものとしたるなり。あるいはいわわんこの場合においては賃貸人は第４２４条の規定によりその前払いを取消すことを得べしとしかりといえども通謀のこと実は実際これを証明すること極めて難きをもって本条においては断然その詐欺の路を塞ぎたるなり。

　本条の規定は特に賃貸人に与うるに転借人に対する直接訴権をもってしたるに過ぎずして敢えて賃借人の権利を奪いてこれを賃貸人に与えたるにあらず。故に借賃前払の場合を除く外賃借人は転借人に対してその義務の履行を求むることを得べくしかして転借人はその履行を拒むことを得ず。しかして後日に至りもし賃貸人が転借人に対しその義務の履行を求むるときは転借人は既に賃借人に対しその履行を為したるによりその義務を免れたりと答えて可なり。これ本条第１項末文においては特に借賃の前払いをもって賃貸人に対抗することを得ざる旨をいい暗に前払いにあらざるときは借賃の支払をもって賃貸人に対抗することを得る旨を示せるをもってなり。

　本条はもともと賃貸人を保護せんがために設けたるものなるが故に本条の規定あるがため賃貸人は敢えてその賃借人に対する権利を失う者にあらず。けだし賃貸人は賃借人を信じてこれにその所有物を賃貸したる者なるが故に本条の規定あるに拘わらずもし転借人に対し請求を為すことを止めて依然賃借人に対して請求を為さんと欲せばもとよりその随意なり。しかして賃借人が資力に乏しからざるとき，近傍に住するとき，特に担保を供せるとき等においては賃貸人は概して転借人に請求を為すよりも賃借人に請求を為すに利あり。又たといこれ等の点においては差異なきももし転借人の支払うべき借賃が賃借人の支払うべき借賃より少なきときは一部は転借人より受取り一部は賃借人より受取るが如きは聊か煩労たるを免れず。況や賃貸人の転借人に対する権利は賃借人の権利と共に消長すべきが故に賃貸人が転借人に対し請求を為すにあたり転借人は既に有効に賃借人に対して履行を終えたる場合稀なりとせざるにおいてをや。これ本条第２項の規定ある所以なり。

　本条は特に賃貸人に権利を与えたるに過ぎずして敢えてこれに義務を負わしむるものにあらず。故に転借人は賃貸人に対して直接に義務を負うに拘わらず敢えてこれに対して直接にその権利を行うことを得ず。ただ第４２３条により賃借人の権利を代わり行うことを得るのみ。

　本条は転借の場合のみに付いて規定せり。故に譲渡の場合にはこれを適用することを得ざることもとよりなりこれ他なし。賃借人が賃貸人の承諾を得て（しかして初めより特約あるときは総括の承諾を与えたるものといいて可なり）その権利を譲渡したる場合においてはこれと牽連したる義務もまた共にこれを譲りたるものと言うべし。故に本条の規定をまたずして譲受人は賃貸人に対し譲渡人と同一の義務を負うべきのみ。但し特約により譲渡人が賃貸人に対し借賃の支払いその他賃借人の義務の履行を担保すること稀なりとせざるべし。この場合においては賃貸人は譲受人に対する権利の外なお譲渡人に対してもその権利を留保するものと言うべし。

第６１４条　借賃は動産，建物及び宅地に付ては毎月末に其他の土地に付ては毎年末に之を払うことを要す但収穫季節あるものに付ては其季節後遅滞なく之を払うことを要す（財１３８）

　本条は借賃の支払時期に付いて規定せり。けだし借賃の支払時期は通常契約をもってこれを定むべくもし契約をもって特にこれを定めざるときは大抵一定の慣習ありてこれに従うべきこと最も多かるべし。しかりといえども契約の明文及び確たる慣習なき場合においては果たして何れの時にこれを払うべきかこれ本条の規定する所なり。

　本条においては先ず動産，建物及び宅地とその他の土地とを分ち甲は毎月末にその借賃を払うを原則とし乙は毎年末にこれを払うべきものとせりこれ他なし。動産，建物，宅地の賃貸借は多く市中に行わるる所にして慣習上毎月その借賃を払うべきものとすること最も多くこれに反して宅地以外の土地の賃貸借は多く田舎間に行わるる所にしてその借賃は年１回これを支払うこと最も実際に多きが如きをもってなり。しかして月末又は年末にこれを払うべきものとしたる所以は他なし。借賃は物の使用の対価なるが故に先ず使用してしかる後これを払うを通例とす。故に使用の前に借賃を払うが如きはむしろ異例に属すればなり（家屋の賃貸借に在りては往々１ヶ月分の借賃を敷金として前払いせしむることありといえどもこれむしろ敷金にして借賃にあらず）。以上は一般の規定なりといえども本条においては更に土地の賃貸借に付きその収穫季節あるものに関し特例を設けこの場合においてはその収穫季節後遅滞なく借賃を払うべきものとせりこれ他なし。田畑等の如き一定の収穫季節あるものはその収穫をもって借賃を払うべきこともとよりなるが故に収穫季節前に在りては借賃を払うことを要せざるは勿論なりといえども一旦収穫を終わりたる後は賃借人に在りては通常直ちに借賃を払うも後にこれを払うもほとんどその利害を異にせず。時としては却って直ちにこれを払うを便とすることあるべくしかして賃貸人に在りては速にその支払を受くるを便とすることもとよりなるが故に慣習上においても大抵収穫季節後速に借賃を借賃を払うを常とするが如し。これ本条但書きを設けたる所以なり。例えば米の収穫は大抵１０月ないし１１月にこれを終わるべきをもって田畑の借賃は１１月ないし１２月にこれを払うべきものとし畑地に在りては多少の疑いなきにあらずといえども一切の収穫を終わるは大抵田地と同時期に在るべきをもって又１１月ないし１２月にその借賃を支払うを例とするが如し。

第６１５条　賃借物が修繕を要し又は賃借物に付き権利を主張する者あるときは賃借人は遅滞なく之を賃貸人に通知することを要す但賃貸人が既に之を知れるときは此限に在らず（財１４２，２項）

　賃借人は返還の義務を負うが故にその結果として善良なる管理者の注意をもって物を保存すべきこともとよりなり（４００）。ただ普通保存の義務を負う者は自ら修繕を為さざることを得ずといえども賃貸借に在りては修繕の義務は賃貸人これを負担するを本則とせるが故に賃借人は自ら修繕を為すことを要せざるを常とす。しかりといえどももし物が修繕を要する場合においてこれを放棄するときは物の破損を来すのおそれあり。故に善良なる管理者たる者はたとい自らその修繕を為さざるも必ずこれを促さざるべからず。故に賃借人は遅滞なくその旨を賃貸人に通知すべきものとせり。けだし賃借人は自己の利益のため本条の規定なきもその修繕を促すこと通例なるべきもあるいは修繕が一時物の使用を妨ぐるためあるいは賃借人の懈怠なるがためあるいは賃貸借の将に終了せんとするに臨んでは修繕が賃借人の利益と為らざるがため敢えて賃貸人に対しその修繕を促さざることなしとせず。この場合においてもし修繕を怠りたるがため物に破損を生じたるときは賃借人は賃貸人に対し損害賠償の責を辞することを得ず。

　善良なる管理者の義務としてもし賃借物に付き権利を主張する者あるときは賃借人は遅滞なくこれを賃貸人に通知すべきものとせり。けだし賃借人は賃借物を占有せるが故に第三者がその物に付き権利を主張せんと欲するにあたり賃貸人の許に行かずして賃借人の許に行くこと稀なりとせず。この場合において賃借人自らその者と談判を為さんが賃借人は賃貸人の権利を知悉せざるをもって充分にその利益を保護すること能わず。殊に法廷に出づるの必要ある場合においては占有訴権を除く外賃借人自ら当事者と為りて法廷に出づること能わず。しかして荏苒久しきにわたるときはために賃貸人の権利に回復すべからざる損害を生ぜしむることなしとせず。故にこの場合においては遅滞なく賃貸人に通知し速に相当の処置を施さしむべきは実に善良なる管理者の当然の義務と言わざることを得ず。これ本条第２段の規定ある所以なり。

第６１６条　第５９４条第１項，第５９７条第１項及び第５９８条の規定は賃貸借にこれを準用す（財５１，５８ないし６６，６９，３項，７０，１２６，１３３，１４１，１４３，１４４）

　本条においては賃借人の使用収益権，その返還の義務及びこれに伴える付属物の収去の権利を定めたるものなり。しかしてこれ等の事に付いては敢えて賃貸借と使用貸借とを分つの理なきが故に本条においては単に使用貸借に関する第５９４条第１項，第５９７条第１項及び第５９８条の規定を準用するに止めたり。しかして第５９４条第２項，第５９７条第２項及び第３項は自ら使用貸借に特別なるものなるが故に敢えてここに準用せず。もしこれ第５９４条第３項の規定を同条第１項の規定の制裁として準用すべきはもとより言うをまたざる所なり。

　　　　　　第３款　賃貸借の終了

　本款においては賃貸借に特別なる終了原因を規定し併せてその終了の効力に付き賃貸借に特別なるものを規定せり。しかして本款に規定せざる終了原因はなお少なしとせず。例えば目的物の全部滅失の場合の如きもとより賃貸借終了の一原因なりといえども特にこれが明文を掲げざるものは他なし。賃貸人は賃借人をして物の使用，収益を為さしむる義務を負えるにその物が天災によりて滅失したるときはその義務の履行不能と為れるをもって当然その義務を免るべきものとす。しかして賃貸借に在りては題５３６条第１項の規定により賃貸人は反対給付即ち借賃を受くる権利を有せざるものとす。但し普通の契約に在りては債務者は反対給付の全部を請求することを得ずといえども賃貸借に在りては当事者の意思日々の使用，収益に対し借賃を払うに在るを常とするが故に賃貸人は賃借物の滅失の日までの借賃を請求することを得べくただ将来に向いて借賃を請求することを得ざるなり。しかれどもこれ当事者の意思解釈なるが故にもし当事者がこれに異なりたる意思を有せしこと判然せる場合においてはもとよりその意思に従うべきは論をまたざる所なり。なお立法論としてはあるいは特別の明文を置くを可とすべきか。

　賃貸借はなお約定の期間の満了によりて終了すべく又不履行によりてこれを解除すべきはもとより論をまたず。この他，他の契約にも通ずる普通の終了原因は一々ここに掲出せず。

第６１７条　当事者が賃貸借の期間を定めざりしときは各当事者は何時にても解約の申入を為すことを得此場合に於ては賃貸借は解約申入の後左の期間を経過したるに因りて終了す

　　一　土地に付ては１年

　　二　建物に付ては３ヶ月

　　三　貸席及び動産に付ては１日

　収穫時期ある土地の賃貸借に付ては其季節後次の耕作に着手する前に解約の申入を為すことを要す（財１４５，１項５号，１４８，１４９，１５１）

　本条は当事者が賃貸借の期間を定めざりし場合において賃貸借は如何なる時期に終了すべきかを定めたるものなり。けだしこの場合においては純理よりこれを言えば当事者の一方より何時にても物の返還を促し又はその返還を為して直ちに契約を終了せしむることを得るが如しといえども元来賃貸借なるものは一方においては賃借人が物の使用，収益を為すことを得るため他の一方においては賃貸人が借賃を受くることを得るためにこれを締結したるものなるが故に一方の意思によりてたちまち契約関係の終了を来すものとせばその相手方は不慮の損失を被ることなしとせず。しかしてこれ当事者が当初契約を締結したる時の意思に反することもとより多かるべし。これ本条において先ず各当事者何時にても解約の申入を為すことを得る旨を規定しなおこの場合においては賃貸借は解約の申入によりて直ちに終了することなく更に相当の期間を経過したる後始めて終了すべきものとせる所以なり。しかしてこの期間は土地，建物及び動産に付き各々同じからずこれ他なし。物の種類により更に他人に貸与し又は他人より借受くるに難易あればなり。建物に付いては東京その他大都会の慣習に従えば３ヶ月は頗る長きに失するの感なきにあらず。故に政府案にはこれを１ヶ月とせしも衆議院において短きに失せりとしてこれを３ヶ月に延長せり。なお貸席は理論上建物の賃貸借に相違なしといえどもこれ容易に貸借を為すことを得るものなるが故に動産に同じくその期間を１日とせり。

　土地に付いては右の期間のみをもって未だ足れりとすべからず。何となれば収穫季節あるものは未だ収穫を終わらざる中に賃貸借の終了するが如きことありては実際の不便少なからざるをもって必ず収穫季節後次の耕作に着手する前に終了することをつとめざるべからず。これがためには解約申入の時期をもって右の季節後次の耕作に着手する前たることを要するものとせざるべからず。けだし解約申入の後１年にして賃貸借終了すべきものとすればなり。

　あるいはいわわん使用貸借もまた物の使用，収益を目的とするものなるもこれは貸主の意思により何時にても終了することを得るものとせるに（５９７，３項）唯り賃貸借は何をもって解約の申入より直ちに終了せざるかとこれ他なし。使用貸借は無償なるが故にその目的に反せざる以上はつとめて貸主の利益を保護せざるべからず。これに反して賃貸借は有償なるが故に双方の利益を平等に保護せざるべからず。これ二者の異なる所以なり。なお賃貸借に付いては第５９７条第２項の如き規定なきことを思うべし（耕地の使用貸借に在りては５９７，２項の適用により借主が収穫を終わらざる前には貸主より土地の返還を請求することを得ざるべし）。

第６１８条　当事者が賃貸借の期間を定めたるも其一方又は各自が其期間内に解約を為す権利を留保したるときは前条の規定を準用す（財１５４）

　当事者が一旦賃貸借の期間を定むるもその便宜に従い半途にして解約を為す権利を留保することあり。例えば貸主が一旦３年の期間をもってその家屋を貸与したるも３年以内に自らその家屋を使用する必要を生ずることあらんことを慮り特に解約権を留保することあり。これ等の場合において当事者が特にその条件を定めざるときは立法者は当事者の意思を推測し前条の規定に従い相当の期間前に解約の申入を為すべきものとせり。けだし前条において論じたる理由により当事者の一方は解約の申入を為すと同時にその義務を免るることを得るものとするときは相手方は不慮の損害を被ることあるべければなり。

第６１９条　賃貸借の期間満了の後賃借人が賃借物の使用又は収益を継続する場合に於て賃貸人が之を知りて異議を述べざるときは前賃貸借と同一の条件を以て更に賃貸借を為したるものと推定す但各当事者は第６１７条の規定に依りて解約の申入を為すことを得

　前賃貸借に付き当事者が担保を供したるときは其担保は期間の満了に因りて消滅す但敷金は此限に在らず（財１４７，１４９ないし１５１）

　本条はいわゆる黙示の再賃貸借（tacite reconduction）に関せり。けだし賃貸借の期間満了の後賃借人が依然その物の使用，収益を継続する場合において賃貸人がこれを知りてしかれども異議を述べざるときは各当事者皆その賃貸借関係を継続せんと欲したるものと推定して可なり。ただこの場合においては果たして如何なる条件をもって賃貸借を為すの意思あるものと推定すべきか。これ多少疑いなきにあらずといえども大多数の場合においては従来の条件に甘じたるものと認定するは最もその当を得たるものなるべし。ただ期間に付いては更に前賃貸借と同一の期間賃貸借関係が継続すべきものとするは多数の場合において当事者の意思に反すべし。故にこの場合においては他の条件は総て前賃貸借と同一なるものとしただ期間に付いてはむしろ期間の定めなくして新賃貸借を為したるものと推定しすなわち第６１７条の規定により各当事者何時にても解約の申入を為すことを得るものとせり。

　前賃貸借に担保ありたるときはその担保は新賃貸借にも付着するものなるや否や。いわく新賃貸借に付着せざるものとす。何となれば担保は債権の従にして債権が消滅するときは必ず共に消滅せざることを得ざるものなるが故に初めの賃貸借が終了したるときはその終了の瞬間において担保は既に消滅したるものと言わざることを得ず。しかしてたとい同一の条件をもって新賃貸借が直ちに成立せるもこれ自ら新たなる債権を生ずるものなるが故に前債権の担保の当然これに付着すべきいわれなし。殊に保証人の如きは一定の期間内義務を負うべきことを約したる者なるにその期間終了の後前賃貸借より生じたる債務は総て履行せられて既に全く消滅したるに拘わらず新賃貸借より生ずる債権に付きなお義務を負うべきものとせば当初保証契約を為したる目的以外の義務を負うに至るべくその不当もとより喋々をまたず又抵当権，質権等はたとい第三者がこれを供したる場合にあらざるも他の債権者その他の第三者の権利に影響を及ぼすこと莫大なるが故に単に賃貸人と賃借人との意思のみによりて旧債権よりこれを新債権に移すこと能わざるは理の当にしかるべき所なり。ただ敷金もまた担保の一種なりといえどもこれ当事者の意思においてもし賃借人が前賃貸借終了の時にその返還を促さざる以上は依然新賃貸借のためにこれを賃貸人の手に存せんと欲したるものなること明らかにしてしかれどもこれもともと賃貸人が賃借人に支払うことあるべき金銭たるに過ぎざるが故にこれに付いて第三者が物権を取得することなきは勿論その上に如何なる権利をも取得すること極めて稀なるべし。故に本条においては敷金に付き特別の例外を設けたり（再訂２巻３２９頁）。

第６２０条　賃貸借を解除したる場合に於ては其解除は将来に向てのみ其効力を生ず但当事者の一方に過失ありたるときは之に対する損害賠償の請求を妨げず（財１４５，２項）

　契約の解除の効力に付いては既に第５４５条にその原則を定めたり。これに拠れば解除の効力は第三者に対しては単に将来に向いてのみ生ずるといえども当事者間においてｈは既往に遡りて生ずるものとせり。しかるに賃貸借の解除に在りてはこの総則を適用し難きものあり他なし。賃貸借の目的たる一方においては継続して物の使用収益を為し他の一方においては定期に借賃を受取るに在るをもってもし解除の効力をして既往に遡しらむるときは賃貸人はその受けたる借賃に利息を付してこれを返還し賃借人はその収取したる果実を返還せざることを得ず。これ既に頗る煩雑なる所ならずや。なお一歩を進みて論ずれば解除の通則としては物の使用の対価を払わしめずといえども賃貸借に在りては元来借賃は物の使用，収益の対価なるが故にもし賃借人が自ら物の使用を為したるときはたとい果実を収めずといえども既に借賃に相当する利息を付してこれを返還するに拘わらず賃借人は物の使用により受けたる利益を償還するに及ばざるものとせばその不公平最も甚だしきものと言わざることを得ず。しかりといえどもその使用の対価を評定してこれを賃貸人に償わしむるはただに煩雑なる手続きを要するのみならず動もすればまた不公平の結果を生ずるのおそれあり他なし。賃貸借の当事者はその双方間においてはぶつの使用，収益の価あたかも借賃に相当するものとしてその契約を締結したるものとみなさざることを得ず。しかるに解除の場合に在りては賃貸人はその受取りたる借賃に利息を付したるものを返還し賃借人が実際収取したる果実もしくはその価額及び多少不確実なる方法をもって評価したる物の使用の対価を受くべく従ってあるいは借賃より多くあるいは借賃より少なき金額を受くるに至るべし。この如くんば当事者の一致により物の使用，収益の価額を評定して借賃を定めたるに拘わらずこれに異なりたる標準に拠りて物の使用，収益を評価しためにただに当事者の意思に反するのみならず実際不公平なる結果を得ること最も多かるべければなり。これ本条において特に賃貸借の解除は将来に向いてのみその効力を生ずべきものとしたる所以なり。外国においてはかくの如き明文を置ける例少なしといえどもしかれども実際においては必ず本条の如きものとせるはほとんど疑いを容れざる所なり。旧民法においても往々賃貸借の解除に付いては終了なる文字を用いもって暗にこの意を示せるが如し（財１４５，２項）。

　一旦賃貸借の解除は将来に向いてのみその効力を生ずるものとするときは従来生じたる損害の賠償を為すことを要せざるかの疑いを生ずべし。しかりといえどもその損害は依然存するものなるが故に将来その損害を消滅せしめんがためには必ずその賠償を為さざることを得ず。故に本条但書においてもし当事者の一方に過失あるときはこれに対し損害賠償の請求を為すことを得るはもとよりなることを規定せり。

　本条の規定は一切の解除の場合に適用すべきものにして第３９５条但書，第６１７条ないし第６１９条及び第６２１条の場合は勿論不履行による解除の場合においても（５４１，５４３）第６０７条，第６１０条，第６１１条第２項及び第６１２条第２項の場合においても皆本条の規定を適用すべきものとす。

第６２１条　賃借人が破産の宣告を受けたるときは賃貸借に期間の定あるときと雖も賃貸人又は破産管財人は第６１７条の規定に依りて解約の申入を為すことを得此場合に於ては各当事者は相手方に対し解約に因りて生じたる損害の賠償を請求することを得ず（旧商９９３）

　賃借人が破産を為したるときは賃貸人は将来借賃の全額を受取ることを得ざるを常とす。又破産管財人は賃借権を財団中に存するもこれを利用し難きこと多く従ってたとい借賃の全部を払わざるもなお破産財団のために賃貸借関係を継続するを不利とすること多かるべし。これ本条において賃貸借に期間の定めあるときといえども賃貸人又は破産管財人は解約の申入を為すことを得るものとしたる所以なり。但し賃貸借直ちに終了するものとするときは相手方は不慮の損害を被るべきが故に第６１７条の予告期間を遵守すべきものとせり。ただこの場合においては法律が特に各当事者にこの解除権を与えたるものなるが故にたとい相手方がこれによりて損害を被るもその賠償を為すことを要せざるものとせり。けだしその損害の賠償を為すべきものとせば往々にして本条の権利を利用すること能わざる者あるあるべければなり。

第６２２条　第６００条の規定は賃貸借に之を準用す

　本条は使用貸借に関する第６００条を準用したるものにして損害の賠償及び費用の償還は賃借物返還の時より１年内にこれを請求すべきものとせり。

　　　　　第８節　雇用

　雇用（Locatio　operarum　louage　de　services，Dienstvertrag）と請負とは勤労の賃貸借なることは既に之を論じたり。しかして雇用は勤労其物を目的とし請負は勤労の結果をもって其目的と為すによりて差異あり。しかして古来教師，医師弁護士等の勤労の如き無形の価値を有する勤労に付ては之を金銭に見積ることを得ざるものとしもって契約の目的と為すことを得ざるものとせる者多しと雖も其取るに足らざることは既に之を論じたり（３９９）。故に新民法においてはてはこれ等の勤労の賃貸借もまたこれを雇用とせり。従ってこれに本節の規定を適用すべきものとす。

第６２３条　雇用は当事者の一方が相手方に対して勤労に服することを約し相手方が之に其報酬を与ふることを約するに因りて其効力を生す（取２６０，１項，２６５，２６６）

　本条は雇用の定義を掲げ併せてその成立の時期を定めたるものなり。これによりて生ずる雇用の性質左の如し。

第１　諾成契約なること

　雇用は物の賃貸借と同じく諾成契約なることはローマ法以来ひとの疑わざる所なり。故に双方の意思の合致あるときは労務者は使用者に服する義務を負い使用者は労務者に対し報酬を与うる義務を負うべし。

第２　有償契約なること

　これまた物の賃貸借とその性質を同じゅうする所にして勤労の賃貸借の名ある所以なり。但しこの報酬は必ずしも金銭に限らずいわんや定期にこれを与うることを要せざるは勿論なり。故に一時に一定の金額を支払いもって相手方をしてある労務に服せしむるの雇用なるはもとより言うをまたず労務をもって労務に代わうるもまた雇用なり。故に技術師がその技術を教うると同時に相手方の労務をもって自己の利益に供するが如きもまた雇用なり。即ち商工業見習契約の如きもまた雇用の一種たること疑いなし（６２６，１項但書旧民法には特に之が規定を設けしも新民法においては第１６２条に１つの特別規定ある外総て雇用の通則に従うべきものとし別に之を規定せず。あるいは問わん。労務をもって労務に代わうる場合においてはいずれが使用者にしていずれが労務者なるとこれもとより事実問題にして一定の標準を示し難しといえども見習契約においては見習者は師匠の命に従労務に服する者なるが故に師匠が使用者にして見習者が労務者たることけだし疑いを容れず。ただ甲が乙に英語を教え乙が甲にフランス語を教えもって互いに報酬と為せる場合の如きはそのいずれが使用者にしてそのいずれが労務者たるかを定むること極めて難し。ただ当事者間において主とせるものをもって雇用の目的たる労務と為し他をその報酬と為すべきのみなおこれらの場合においては当事者の特別意思により必ずしも本節の規定を適用し難きこと多かるべし。

第３　双務契約なること

　これまた物の賃貸借と同じき所にして一方は労務に服する義務を負い他の一方は報酬を負うか故にその双務契約たること飄然火を見るが如し。

第６２４条　労務者は其約したる労務は終わりたる後に非ざれは報酬を請求することを得す

　期間を以て定めたる報酬は其期間の経過したる後之を請求することを得

　本条は労務者が請求することを得る時期を定めたるものなり。けだし雇用の双務契約たる結果としてもし本条の規定なくんば第５３５条の通則に依り労務者は使用者が報酬を提供するに非ざればその労務に服せずといひ使用者は労務者がその労務を提供するに非ざればその報酬を与えずといふことを得べしといえどもこれ当事者の普通の意思に反すること論をまたず。しかして普通の慣習によれば労務者まず労務に服してしかる後その報酬を請求するを常とするが如し。これ本条第一項の規定を設けたる所以なり。

　しかりといえども雇用がある時期の間継続しその間定期に報酬を払うべきものとする場合においては当事者の各期の報酬をもって一期の労務に応ずるものとせること固より疑いを容れざるが故に各期の労務を終わりたる後直ちにその期の報酬を請求することを得べきものとせり。２項例えば毎月給料を払うべき僕碑は毎月末にその月の給料を請求し又は毎月初めにその前月の給料を請求することを得べく年若干の報酬をもって雇入れたる雇人は毎年末にその報酬を受くべき本則とするが如き是なり。但日本においてはたとい年をもって報酬の額を定むるもその支払いは毎月末にこれを為すこと稀なりとせず。西洋においても３月毎にこれを払うの例最も多きが如しこれ等は総て当事者の意思又は当事者の意思と認むべき慣習に従うべきは勿論にして本条は唯当事者の意思の明かならざる場合において適用すべき通則に過ぎず。

第６２５条　使用者は労務者の承諾あるに非ざれば其権利を第三者に譲渡することを得ず

　労務者は使用者の承諾あるに非ざれば第三者をして自己に代わり労務に服せしむることを得ず

　労務者が前項の規定に反し第三者をして労務に服せしめたるときは使用者は契約の解除を為すことを得

　本条は雇用より生ずる債権を他人に譲渡し又はその履行を他人に託することを得るや否やを定めたるものなり。けだし雇用なるものは当事者の身上に着眼してこれを締結するを常とするが故に甲の為に労務に服するの契約は敢えて乙の為に労務に服するの契約に非ず。甲の労務を目的とする契約は敢えて乙の労務を目的とするものに非ず。故に甲の為にする代わりに乙の為にせしめ甲の労務に代わうるに乙の労務をもってするときは契約の目的全く異なりてあえて当初の契約の履行と為すことを得ず。故に雇用契約において人違あるときは契約の要素に錯誤あるものにしてその契約は成立することを得ざるものとす（９５）。

以上の理由により本条においては（第１）「使用者は労務者の承諾あるに非ざればその権利を第三者に譲渡すことを得ざる」ものとせり。しかして労務者が当初に此承諾を与えたるときはこれ普通の雇用に異なり契約の目的某に対するに在らずして何人の為にか一定の労務に服するに在りたるものと見るべく若し後日労務者の承諾を得たるときは場合により当初の契約の解釈上必ずしも某に対する労務を目的とせざりしものと見るべく又は債権者と目的との変更による更改と見るべきものとす（第２）労務者は使用者の承諾あるに非ざれば第三者をして自己に代わり労務に服せしむることを得ざるものとせり。しかして若し当初より使用者の承諾あるときは雇用の目的某の労務に在ずして何人の労務にても唯一定の性質を有する労務を以て足れりとしたるものと見るべく後日その承諾あるときは前の場合に同じく場合により或は契約の解釈上必ずしもその労務を以て目的とせざりしものと見るべくあるいは債務者と目的との変更による更改と見るべきものとす。なお此更改は多くは直ちに履行せられ所有代物弁済たるべきことおおかるべし（４８２）。

　第３項は第２項の制裁を定めたるものなり。故に若し労務者が使用者の承諾を得ることなくして第３者をして労務に服せしめたるときは使用者は契約の解除を為すことを得るものとせり。これけだし純然たる契約不履行に非ずといえどもしかもその事情の酷似せること敢えて喋々を待たず。故に第５９４条第３項第６１２条第２項等の例に倣い使用者の解除権を認めたるなり。けだしこの場合においては現在第３者の労務は使用者の為に労務者の労務と同一の利益を与えざること多きのみならず将来においても此の如き労務者は動もすれば他人をして自己に代わらしめもって使用者の利益を害するの虞あればなり。

　あるいは問わん本条には第２項の制裁を定むるといえども未だ第１項の制裁を定めず。その理由果たして如何といわく第１項は単に使用者のその権利を第３者に譲渡すことを得ざることを定めたるものなり。故に若し使用者が此規定に反してその権利を譲渡すもその譲渡は法律上全く無効にしてその権利は決して第３者に移転することなく労務者は依然使用者に対して労務に服すれば可なり。故に他の制裁を要せざるなり。

第６２６条　雇用の期間が５年を超過し又は当事者の一方若しくは第３者の終身間継続すべきときは当事者の一方は５年を超過したる後何時にても契約の解除を為すことを得

　但此期間は商工業見習者の雇用に付いては之を１０年とす

　前項の規定に依りて契約の解除を為さんと欲するときは３ヶ月前に其予告を為すことを要す（取２６１，２６８，旧商５９，２項，５年１０月２日告２９５号）

　本条以下は雇用の終了に関する規定を掲げたるものなり。しかして雇用は通常契約をもって定めたる期間の満了によりて終了すべきものとす。ただ此期間が長きに失するときは当事者の自由を束縛し人の品位上及び経済上の理由により公益に反するものと認めざることを得ず。故に本条においてはその期間が５年を超過し又は当事者の一方若しくは第３者の終身間継続すべきときは当事者の一方は５年を経過したる後何時にても契約の解除を為すことを得るものとせり。ただ商工業見習契約は従来の慣習上１０年に渡るもの稀なりせざるをもってこの種の雇用は１０年間は之を解除することを得ざるものとせり。（明治５年以来之を７年に限れるも慣習により１０年以上見習を継続する者多きが如し）。

　右の規定は公益に基ずくこと既に述べたるが如きをもって５年を超過し又は終身間を期

する雇用は初より無効とするが又は５年を経過するときは当然終了すべきものとすべきが

如し。しかりといえどもこれ却って実際に不便なるべし。何となれば本条の規定あるは他なし。右に言えるが如き契約は当事者の自由を束縛しただに人の品位を傷ふのみならず此の如き束縛を受けたる者の労務はその自由なる場合に為し得る労務よりも劣等なるべく又雇主においても束縛を受けて人を使用する場合においては是をして充分の労務を為さしむることを得ず。従って経済上不利益なるをもってなり。しかるに５年を経過したる後といえども当事者双方共にその雇用契約を便とし敢えて之を解除することを欲せざるときは是れけだし当事者がその契約を利益ありとし任意にこれを遵守するものなるが故に少しもその品位を傷ふことなく又経済上においても不利益なることあらざるべし。特に僕碑の如きは多年之を雇ひ殆ど之を家族見ずるに至るときは雇主の為めにも僕碑の為めにもその雇用契約を継続するに利あること多く法律をもって強いて解除するはただに当事者の希望に反するのみならず却って公益に反すること多かるべし。故に本条においてはたとい５年経過するもその契約当然解除すべきものと為さず。ただ当事者の一方は何時にても之を解除することを得るものとしもってその契約を便ならずとするに至るときは直ちにその束縛を免るるることを得るの便を与ふるに止めたるなり。右の規定に従い当事者の一方が５年を経過したる後契約の解除をなす場合においても若し突然その解除を為すこと得るものとせば相手方の不利益少々ならざるべきをもって本条第２項においては３ヶ月の予告期間を設け解除の意思を表示したる後３ヶ月を経るに非ざれば雇用終了せざるものとしたるなり。

第６２７条　当事者の雇用の期間を定めざりしときは各当事者は何時にても解約の申入れを為すことを得。此場合に於ては雇用は解約申入れ後２週間を経過したるに因りて終了す

　期間を以て報酬を定めたる場合に於ては解約の申入れは時期以後に対して之を為すことを得。但申入れは当期の前半に於て之を為すことを要す

　６ヶ月以上の期間を以て報酬を定めたる場合に於ては前項の申入れは３ヶ月前に之を為すことを要す（取２６０，２項，旧商５９，１項）

　本条は当事者が雇用の期間を定めざりし場合に付て規定せり。此場合においては当事者　は必ずしも永久にその雇用関係の継続することを欲したるに非ず否法律は殆ど此の如き意思を有することを許さざるものなるが故に各当事者何時にても解約を為すことを得るものとせり。但し此の場合においても突然解約を為すときは相手方の不利益を被むること固よりなるが故にまた相当の予告期間を定めたりただその期間は場合によりて同じからず。

第１　定期に報酬を払うべきものとせず。あるいは一時に報酬を払いあるいは数回に之を分つも敢えて一定の期間に応じて一定の報酬を与ふるべきものとせざる場合においては予告期間は２週間とせり。

第２　期間をもって報酬を定めたる場合即ち毎日，毎月，毎３月，毎６月，毎年等若干の報酬を支払うべき場合においては先ず解約は一定の時期において之を為すべきものとす。即ち期間の半途にて解約を為すことを得ず。必ず一期完了の後においてすべきものとせり。しかして予告期間は一期の半たることを要するものとせり。例えば毎月報酬若干と定めたるときは（１）月の半途において解約を為すことを得ず。（２）解約を為すべき月の前月の前半即ち大の月は１６日正午まで小の月は１５日まで。しかして２月は平年１４日まで閏年１５日正午までに解約の申入れを為さざることを得ざるが如き是なり。但し６ヶ月を超ゆる期間をもって報酬を定めたる場合例えば毎年報酬若干と定めたる場合の如きは必ずしもその一期の前半において次期以後に対する解約の申入れを為すことを要せず。３ヶ月前に之を為すをもって足れりとせり。是れ他なし既に前条において５年を超ゆる期間を定めたる場合においてもなお３ヶ月の予告期間をもって足れりとせるが故に本条の場合の如く当事者が期間を定めざりし場合においてはその予告期間は３ヶ月より長きことを要せざるものとしもって前条と権衡を保たしめたるなり。なお多数の場合において予告期間が前条の場合におけるよりも短きは大に理由ある事にして前条の場合においては当事者が特に長き期間雇用の継続することを欲したるが故に一方の意思をもって之を終了せしむるには特に予告期間を長くするの必要あればなり。

第６２８条　当事者が雇用の期間を定めたるときと雖も已むことを得ざる事由あるときは各当事者は直ちに契約の解除を為すことを得。但其事由が当事者の一方の過失に因りて生じたるときは相手方に対して損害賠償の責に任ず（取２６２，２６３，旧商６１，６３，６４）

　本条は当事者が雇用の期間を定めたると否とを問わず又その期間が５年を越ゆると否とを論ぜず。およそ已むことを得ざる事由あるときは各当事者は予告期間を守らずして直ちに契約の解除を為すことを得るものとせり。是れ蓋し一方においては労務者の自由を重しその品位を保たしめ之をして経済上最も利益ある労務を為さしめんことを力めたるなり。「已むことを得ざる事由」とは固より事実問題なりといえども今１２の例を挙ぐれば雇人が父母の病に罹りたる場合において他に之を看護する者なきが為めその雇用契約を解除して家に帰りてその父母を看護せんと欲するが如き又は労務者が病に罹り数日月の間その労務を供すること能はざる場合において使用者が雇用契約を解除し他人をもって之に代えんと欲するが如き是なり。是等の場合においては元来已むことを得ずして契約を解除するものなるが故にたとい相手方に損害を生ぜしむることあるも敢えて之を賠償することを要せざるを原則とせりただ「其事由が当事者の一方の過失に因りて生じたるときは相手方に対して損害賠償の責めに任」ぜざることを得ざるものとせり。例えば雇人が病に罹り雇用の解除を為す場合においても若しその病の原因が放蕩，暴飲，暴食等に在るときは是れ自己の過失によりて病を生ぜしめたるものなるが故に雇主に対して相当の賠償を為さざることを得ず。又雇人が病に罹りたる為雇主より契約を解除する場合においても若しその病が雇主において不良の食物を与へ又は不健康なる場所において労務に服せしめたるによりて生じたるときは是れ雇主の過失によりて生じたるものなるが故に雇主は雇人に対して損害賠償を払はざることを得ざるが如き是なり。

第６２９条　雇用の期間満了の後労務者が引続き其労務に服する場合に於て使用者が之を知りて異議を述べざるときは前雇用と同一の条件を以て更に雇用を為したるものと推定す但各当事者は第６２７条の規定に依りて解約の申入れを為すことを得

　前雇用に付き当事者が担保を供したるときは其担保は期間の満了に因りて消滅す。但身元保証金は此限に在らず

　本条は賃貸借に関する第６１９条と全くその精神を同じうするものなり。即ち労務の黙示再賃貸借の場合なり唯賃貸借においては賃借人が使用，収益を継続するを知りて賃貸人が異議を述べざる場合において黙示再賃貸借あるものとせるも雇用の場合においては労務の賃貸人たる労務者が労務を継続するを知りて使用者が異議を述べざるときは黙示再賃貸借あるものとせり。是れ一見奇異の観なきに非ずといえども賃貸借に在りてはその契約関係は賃借人が物の使用，収益を為すによりて見はれ雇用においてはその契約関係は労務者が一定の労務に服するによりて見はるるが故なり。しかして前には敷金即ち賃借人が賃貸人に供したる担保に付て規定する所あり今は労務の賃貸人なる労務者が供したる担保即ち身元保証金に付て規定する所あり是れ他なし賃借人は動もすれば借賃を払わざるの虞あり労務者は動もすれば使用者の財産を費消しその他その過失によりて使用者に損害を加ふるの虞あり。しかして賃借人は物を占有せるが故に賃借人が之をして物の使用，収益を為さしむるの義務を尽さざること少なく又使用者は概して言えば労務者よりも資産に乏しからざる者なるが故にその報酬を払わざること少なきをもってなり。

第６３０条　第６２０条の規定は雇用に之を準用す

　雇用関係も賃貸借関係の如く否労務の賃貸借関係なりということを得るが故に甚だ複雑なるものなることは論をまたず故に之を解除するに方りて其効力をして既往に遡らしむるときはその不便少からざることは多弁を費さずして明かなり故に本条においては第６２０

条の規定を準用し雇用の解除も賃貸借の解除の如く将来に向てのみ其効力を生ずべきもの

とせり。

第６３１条　使用者が破産の宣言を受けたるときは雇用に期間の定めあるときと雖も労務者又は破産管財人は第６２７条の規定に依りて解約の申入れを為すことを得此場合に於ては各当事者は相手方に対し解約に因りて生じたる損害の賠償を請求することを得ず（旧商９９３）

　本条もまた賃貸借に関する第６２１条と全くその精神を同じうするものにして若し第６２１条において第６１７条の規定を引用することなくんば直ちにこれをここに準用することを得たるなり。故に本条の説明は第６２１条の説明に譲り更にここに成せず。

　　　　　第９節　　請負

　請負（Locatio operas faciendi, louaged` ouvrage, Werkvertrag）なる文字は日本においても西洋においても必ずしも一定の意義を有せず。しかして日本においては従来多く予定の報酬をもって仕事を完成するを目的とするものを云えるが如しこの定義は旧民法採用せる所にして外国においてもまたこれを採用せるもの少なからずといえども新民法においてはその意義を拡張したとい予定の報酬をもって仕事を完成することをやくせざるも卑も仕事の結果を目的としこれに対して報酬を払うべきことを約するときは請負あるものとせりけだし法律の規定は報酬の確然予定せると否とにより異なるべきの理由なければなり。

第６３２条　請負は当事者の一方が或仕事を完成することを約し相手方が其仕事の結果に対して之に報酬を与ふることを約するに因りて其効力を生ず（取２７５）

　本条は請負の定義を掲げ併せて其成立の時期を定めたるものなり。本条によりて生ず

請負の性質左の如し。

第１　諾成契約なり。

　是れまた雇用，賃貸借等と同じき所にしてまた説明を要せずと信ず。

第２　有償契約なり。

　是れまた雇用，賃貸借等と同じき所にしてまた説明を要せずと信ず。

第３　双務契約なり。

　是れまた雇用に同じき所なりといえどもただ雇用は一方が労務に服することを約し他の一方が報酬を与ふることを約するによりて成立するも請負は労務其物を目的とせず其結果に対して報酬を与ふることを約するものにして是れ両者の異なる所なることは既に述べたるが如し。例えば僕碑が雇主の命を奉じて労働すれば雇用なること疑なしといえども請負師が家屋の建築を請負う場合の如きは其請負なること慨し疑いを容れざる所なり。ただ場合により果して雇用なるか又請負なるか峻別し難きことなきに非ず。例えば運送契約はあるいは雇用なるかを疑う者なきに非ざるべし何となれば運送人は運送人の命を奉じて運送を為す者なればなり。しかりといえども余は其請負いなることを疑わず慨し運送契約は単に船を行り車を走らするをもって目的と為さずして一定の地に荷物を到達せしむるをもって其目的と為すが故に契約の目的は荷物を到達地に達せしむるに在ればなり。しかして最も疑わしき場合を言えば人力車を雇うが如き是なり。此の場合においては余の信ずる所に拠れば甲地より乙地に至り又は甲地より乙地を経て丙地に至るべきことを約したるときは請負にして単に乗客の命に応じ其欲する所に行くべきことを約するときは雇用なり他は類推すべし。

　請負は売買と之を混ずることあり法律又は学説により請負人が仕事の材料を供する場合においては是れ真の請負に非ず。売買なりとせり旧民法の如き即ち是なり。新民法においてはあえて此説を取らず。専ら当事者の意思に従い当事者の意思卑しくも本条に規定する所に在るときは仕事に材料あると否とを問わず又其材料は当事者の何れより之を供するを論ぜず（稀には第３者より其材料を供することあるべし）。

　皆請負あるものとせり。しかして余は其最も当れるを信ず。慨し売買なるものは単に売主より買主に権利を移転するを目的とするものなり。之に反して請負は請負人が注文者の為に仕事を完成するを目的とするものなり。故に其仕事の性質により請負人より其材料を供すべき場合といえども注文者はあえて其材料の所有権を取得するをもって目的とするに非ず。請負人が之に仕事を施して自己に引渡すことを目的とするものなり。例えば製靴師をして靴を製せしむるに方り皮其他一切の材料は製靴師より之を供するを常とするいえども注文者はあえて皮其他の所有権を取得するをもって目的とするに非ず。唯製靴師をして自己の足に適応する靴を製せしむるをもって目的とするものなり。故に其契約は売買に非ずして請負なり。但場合により其性質の何れに属するかを判別し難きことなきに非ず。例えば陸軍省より一定の品質，形状，大小等を有する靴若干足を製靴師に注文する場合の如きは新に一定の条件によりて靴を製造せしむるを目的とするよりは寧ろ一定の条件を具えたる靴の所有権を取得せんと欲するものなるが故に是れ請負に非ずして売買なりしかれとも実際においては此場合と前の場合とを別つこと極めて困難なること多かるべし。唯執法家は当事者の意思を探求して其問題を決するの他あらざるなり。

第６３３条　報酬は仕事の目的物の引渡と同時に之を与ふることを要す但物の引渡を要せざるときは第６２４条第１項の規定を準用す

　本条は報酬支払いの時期を定めたるものなり。慨し請負は仕事の結果に対して報酬を与ふるものなるが故に仕事完成の後に非ざれば之を請求することを得ざるは固より論を待たざるところなり。ただ仕事の目的物の引渡を要する場合においては(而して此場合最も多し)単に仕事を完成するのみにては未だ報酬を請求することを得ず。必ず之を引渡すことを要す。慨し請負の目的は原則として単に仕事の完成に在りと雖もしかも其仕事が目的物を有する場合においては之を引渡すに非ざれば未だ全く履行を終えたるものと謂うべかをす。故に第５３３条の適用によるも請負人は其目的物の引渡しと同時に非あらざれば報酬を請求することを得ざるべくもし引渡し前に其物が滅失したるときは第５３６条の適用により敢えて報酬を請求することを得ざるべし。

　物の引渡しを要せざるとき即ち人の運送を目的とする契約，家屋の修繕を目的とする契約などに在りては右の規定を摘要することを得ず。しかして此場合において請負人は何れの時に其履行を終えたるものと謂うべきかと云うに其運送を終わりたる時，其修繕を終わりたる時等是なり。故に此の場合においては雇用に関する第６２４条第１項の規定を準用し其運送，修繕等を終わりたる時直ちに報酬を請求することを得るものとす。

第６３４条　仕事の目的物に瑕疵あるときは注文者は請負人に対し相当の期間を定めて其瑕疵の修補を請求することを得。但瑕疵が重要ならざる場合に於て其修補が過分の費用を要するときは此限に在らず

　注文者は瑕疵の修補に代え又は其修補と共に損害賠償の請求を為すことを得。此場合に於ては第５３３条の規定を準用す（取２７８，１項）

　本条以下第６４０条に至るまでは総て仕事の瑕疵の担保に関する規定なり。而して本条は其原則を定めたるものなり。慨し請負の目的は一定の仕事を完成するに在るをもってもし其仕事に瑕疵あるときは是れ未だ其履行を終えざるものなり。故に本条において先ず請負人は注文者の請求に応じ其瑕疵を修補すべきものとせり。しかして修補を為すには多少の時日を要するが故に此場合においては注文者は相当の期間を定めて其修補を請求すべきものとせり。唯其定めたる期限の相当なるや否やに付き争いあるときは裁判所において之を決すべきものす。

　右の原則によれば修補か如何に困難にして如何に多額の費用を要するも之をなさざるべからざるが如しと雖も是れ経済上不利益なる所にして請負人の為めにも酷に失するものと謂うべし。故に本条第１項但書において其瑕疵が重要ならざる場合においては過分の費用を要する修補は之を為すことを要せざるものとせり。例えば煉瓦造の家屋において一枚の煉瓦が他の煉瓦と品質を異にする場合の如きは是れ固より瑕疵なりと雖も其瑕疵重要ならずしてしかも之を修補するには往々にして家屋の全部を取崩さざることを得ず。故に此場合においては其瑕疵を修補することを要せざるなり。又例えば織物中些細の瑕疵ある場合において之を修補せんと欲せば全く之を織直さざることを得ざることあるべし。故に是れまた修補を要せざるものなり。

　請負人をして単に修補の義務のみを負わしむるも未だ足れりとすることを得ず。慨し瑕疵を修補するもあるいは其物をして完全ならしむることを得ず。あるいは修補を為すが為め時日要し為に注文者に損害を加ふることあり。特に本条第１項但書の規定により修補を要せざる場合においてもし請負人に何等の義務なきものとせば不当是より甚しきはなし。故に本条第２項において請負人に損害賠償の責を負わしめたり。なお瑕疵の修補すべき場合と雖も若し注文者にして之を欲せず寧ろ損害賠償を請求せんと欲せば請負人において敢えて修補を強ふることを得ず。例えば節なき板をもって天井を張るべきことを注文したる場合において請負人が節ある板を用いたるときは注文者は固より節なき板をもって天井を張替えしむることを得ると雖も注文者にして張替えを要求せず単に之によりて生ずる損害即ち節なき板をもってしたる天井の値と節ある板をもってしたるものとの差額を請求するときは請負人は其支払いを拒むことを得ず。是また本条第２項の規定する所なり。

　凡そ請負人が損害賠償を払うべき場合において未だ報酬を受取らざるときは第５３３条を準用し双方同時に其義務を履行すべきものとす。即ち実際においては報酬の中損害賠償を引去り其残額を請負人に払うべきなり。慨し第５３３条の規定は双務契約より生ずる双方の義務に関するものなるが故に特に明文をもって之を本条の場合に準用せしなり。しかして其精神に至りては第５３３条におけると少も異なることなく専ら公平を旨としたるものなり。

　本条以下常に「仕事の目的物に瑕疵ある」場合を予想せり。是れ他なし仕事に目的物なき場合においてはたといあるも到底之を修補すること能わず。故に本条以下の規定を適用せずして単に一般の規定に従い賠償又は解除を請求することを得るに止まるべし。（４１５及至４２２，５４１及至５４７）。

第６３５条　仕事の目的物に瑕疵ありて之が為めに契約を為したる目的を達すること能派ざるときは注文者は契約の解除を為すことを得但建物其他土地の工作物に付ては此限に在らず（取２７８，１項）

　前条の規定により注文者は請負人に対し瑕疵修補及び損害賠償を求むるの権ありと雖もしかも前条の規定のみにては往々にして未だ充分な保護を受けざることあるべし。何れとなればあるいは修補したる物が到底初に予期せし用を為さざることあり。あるいは修補の為め莫大の時日を要し為めに注文者の目的を達すること能はざることあればなり。裁縫師をして上等の衣類を裁縫せしむるに方り裁縫師が誤て其最も見え易き個所を断裂したるときは之を縫合すれば全く用を為さざるに非ずと雖も注文者は上等の衣類として之を著用すること能はず。故に更に同一の切地をもって衣服を造らしめんと欲するも其切地なきことあり。此場合においては注文者は其契約を解除することを得べし。又例えば同一の場合において更に同一の切地をもって衣服を造ることを得ると雖もしかも注文者は其衣服を一定の時期に用いんと欲したる場合においては更に其裁縫を為すも其時期までに之を終わること能はざることあり。此場合においてもまた注文者は契約の解除を為すことを得べし。

　右の規定は第５４１条の原則によれるものにしてただ催告の必要なきが故に直ちに解除を為すことを得るものとせるの差あるのみ。故に此規定は如何なる場合においても之を適用すべきが如し。しかりと雖も請負が建物其他土地の工作物を目的とする場合においては若し契約の解除を為すときは請負人は不要なる建物其他の工作物を引受けざることを得ず。しかして其土地は注文者の所有地又は其借受けたる土地なるべきが故に請負人は其建物其他の工作物を取除かざることを得ざるべし。是れ唯に請負人の為めに莫大の損失を醸すのみならず国家の経済上より論ずるも甚だ不利益なる所なり。特に建物の構造其他工作物の性質により之を取除くときは其値什が１に滅すること稀なりとせざるをもって本条但書において是等の場合には契約の解除を許さざるものとせり。故に前条の規定に従い修補と賠償を請求することを得るのみ。

第６３６条　前２条の規定は仕事の目的物の瑕疵が注文者より供したる材料の性質又は注文者の与えたる指揮に因りて生じたるときは之を適用せず。但請負人が其材料又は指揮の不適当なることを知りて之を告げざりしときは此限に在らず（取２８１，３項）

　前２条の規定は請負人に完全なる仕事を為さざるの過失あるをもって之に其責任を負わしむるものなり。故に若し請負人に過失なきときは敢えて之を責むることを得ず。しかるに仕事の目的物の瑕疵が注文者より供したる材料の性質又は注文者の与えたる指揮によりて生うじたるときは請負人には小末の過失なきものなるが故に敢えて其責に任せざるものとするは固より至当と謂わざることを得ず。例えば家屋建築の請負において注文者が一切の材料を供したるに其漆喰が品質不良なる為め地震の際忽ち崩壊したりとせんに請負人は敢えて其責に任ぜざるは固より論を待たざる所なり。又例えば同一の場合において注文者が請負人に命ずるに不良なる漆喰を用うべきことをもってしたるときは請負人はまた其責に任ぜざるものとす。但是等の場合と雖も若し請負人が其材料又は指揮の不適当なることを知りながら敢えて之を注文者に告げざりしときは亦其責に任ぜざることを得ず。是れ慨し注文者は仕事に付き必要の知識を有せざるを常とするが故に如何なる材料を用い如何なる設計に従うときは果たして瑕疵を生ずべきかを詳にせず。之に反して請負人は是等の事を熟知せるをもって其材料又は指揮の不適当なることを知りてしかも注文者の命に黙従し敢えて其不適当なる事を告げざるときは請負人に過失あるものと認むるべければなり。

第６３７条　前３条に定めたる瑕疵修補又は損害賠償の請求及び契約の解除は仕事の目的物を引渡したる時より１年内に之を為すことを要す

　仕事の目的物の引渡を要せざる場合においては前項の期間は仕事終了の時より之を起算す（取９９，２７８，２項，３項）

　瑕疵の修補，損害の賠償及び契約の解除は速に之を請求せざるときは唯に其瑕疵の有無，大小，性質などに付き確証を挙ぐること極めて困難にして為めに不明の訴訟を惹起するの虞あるのみならず契約履行の後長歳月を経て其請求を受ける者は意外の時に意外の請求を受けるの感を為し為めに其者の経済上の位置を撹乱する虞あり。故に是等の権利は極めて短期に之を行使せしむることを要す。即ち本条においては契約履行の後１年内に其請求を為すべきものとせり。唯何れの時をもって履行の時と為すべきかは第６３３条におけると同じく仕事の目的物を引渡すべき場合においては其引渡の時仕事の目的物の引渡を要せざる場合においては仕事終了の時とせり。

第６３８条　土地の工作物の請負人は其工作物又は地盤の瑕疵に付ては引渡の後５年間其担保の責に任ず。但此期間は石造，土造，煉瓦造又は金属造の工作物に付ては之を１０年とす

　工作物が前項の瑕疵に因りて滅失又は毀損したるときは注文者は其滅失又は毀損の時より１年内に第６３４条の権利を行使することを要す（取２７９，２８０）

　本条は土地の工作物に関する特例を定めたるものなり。先ず土地の工作物の請負人は其工作物又は地盤の瑕疵に付き引渡の後５年間其担保の責に任ずべきものとせり。是れ前条の規定に対する例外にして土地の工作物又は地盤の瑕疵は容易に之を発見すること能わず。多くは其瑕疵によりて工作物が滅失又は毀損するに至り始めて其瑕疵あることを発見するものなるが故に僅々１年の後請負人其責に任ぜざるものとせば請負人は殆ど無責任なりと云いて可なり。故に其責任期間を５年とせり。但此期間は木造家屋其他の工作物に付ては則ち可なりと雖も石造，土造，煉瓦造又は金属造の工作物に付ては其瑕疵を発見すること一層困難なるが故に５年にては未だ足れりとせず。特に之を１０年に延長せり。

　以上は土地の工作物に関する原則なりと雖も亦之に例外なき能わず他なし工作物が瑕疵によりて滅失又は毀損したるときは其瑕疵あること最も明白なるが故に注文者は直ちに担保の請求を為すべきものとするも可なり。故に此場合においては其滅失又は毀損の時より１年内に第６３４条の権利を行使すべきものとせり。但此規定は本条第１項の期間の範囲内において行わるべきものなるが故に若し第１項の期間を経過したるときはたとい未だ第２項の期間内に在るも復担保の請求を為すことを得ざるものとす。例えば木造の工作物に在りて引渡の後４年１１ヶ月にして瑕疵により工作物が滅失又は毀損したるときは注文者は必ず１ヶ月内に担保の請求を為すべく然らずんばたとい滅失又は毀損の時より１年内に在るも復第６３４条の権利を行使することを得ざるべし。

第６３９条　第６３７条及び前条第１項の期間は普通の時効期間内に限り契約を以って之を伸長することを得

　前２条の規定は権利の行使期間を定めたるものにして其性質頗る時効に類し公益上の理由によりて設けたるものなること慨し疑を容れず。故に一般の原則に従えば特約をもって前２条の規定に従わざることを定むるも其効なきものとせざることを得ず。しかして前条第２項の規定は実に然らざることを得ざるものりと雖も前条第１項及び第６３７条の規定は主として請負人を保護せんが為めに設けたるものなるが故に若し当事者双方協議の上是より長き期間担保の責任あるべきものとするは其随意なり而して仕事の性質により特に長期の担保を必要とすることあり。例えば時計の如きは数十年間其機会の損傷せざることを保証することあり又建物も往往にして数十年間破損せざることを保証することあり。而して注文者は其保証を便とし為めに一層多額の報酬を払いて其報酬を得んことを欲することあり。是れ実に正当なる希望にして敢えて法律をもって之を妨ぐるの必要なし。唯其期間長きに失し殆ど際限なきに至るときは一般の時効を設けたると同一の理由により公益上弊害あるべきが故に本条においては普通の時効期間内に限り之を伸長することを得るものとせり。而して普通の時効は債権に付ては１０ヵ年なるが故に（１６７，１項）前条第１項但書の場合においては法定期間を延長することを得ずと雖も右の本文の場合においては５年間之を延長することを得べく第６３７条の場合においては９年間之を延長することを得べし初め政府案には普通の時効は総て之を２０年とせしが故に前条第１項但書の場合においても亦本条の適用ありたりと雖も今は衆議院の修正に遭いて右に述べたるが如くなりたり。前２条の期間は時効に類すると雖も敢えて真の時効に非ず。故に之に時効の規定特に中断停止等の規定を適用することを得ず。

第６４０条　請負人は第６３４条及び第６３５条に定めたる担保の責任を負わざる旨を特約したるときと雖も其知りて告げざりし事実に付ては其責を免るることを得ず

　本条は第５７２条と其精神を同じうせり。慨し第６３４条及び第６３５条に定めたる担保の責任は注文者の当然の権利を認めたるものなり。しかりと雖も権利は其全部又は一部をことを得べし。故に注文者は請負人と特約をしてあるいは法律に定めたる責任と異なりたる責任を負うべき旨是より少々の責任を負うべき旨を定むることを得べく。あるいは全く担保の責任を負わしめざることをも得べし。しかりと雖も契約の当事者は特約をもって自己の悪意に付き責任なきものとするは公の秩序に反し不法なるが故に悪意に付ては当事者は必ず責任を負わざることを得ず。是においてが無担保の特約を為したる請負人が其責任を生ずべき事実あるを隠秘して之を注文者に告げざりしとときは敢えて責任を免るることを得ざるものとせり。例えば煉瓦造の家屋において漆喰を各個の煉瓦の相接着せる部分の全面に塗附すべきは当然なるに単に其四方の縁辺にのみ塗附したるをもって地震等の場合には即ち崩壊すべきことを知れるに拘わらず請負人は之を注文者に告げずしかして無担保の特約を為すも若し１０年を出でずして注文者が其瑕疵を発見するときは請負人は其責を辞することを得ず。又例えば時計の機会中足らざる物ありて到底完全に運転すること能はざることを知れるに拘わらず之を注文者に告げずして無担保の特約を結びたるときは亦請負人は其責を免るることを得ざるが如き是なり。

第６４１条　請負人が仕事を完成せざる間は注文者は何時にても損害を賠償して契約の解除を為すことを得（取２８２）

　本条及び次条は請負契約の解除に関する規定なり。しかして本条は注文者の意思による解除に付て規定せるものなり。一般の原則より言えば請負契約も亦当事者双方の一致によりて成立したるものなるが故に一方の意思をもって其効力を滅却すること能はざるは固より言うを待たざる所なり。しかして請負人はたとい其契約を履行するに付き如何なる不利益あるも敢えて之を履行せざることを得ず。唯り注文者は本条の規定により何時にても契約の解除を為す権利をゆうするものとせり。是れ他なし。請負契約の目的たる仕事は専ら注文者の利益の為めに之を為すべきものなるが故に若し注文者にして之を欲せざるときは請負人は莫大の費用と労力とを加えて之を完成するも注文者の為めには何等の効用を為さざるか又は多少の効用を為さざるに非ずと雖も注文者が初に予期したる目的を達すること能はざるべし。しかも其仕事の多くは注文者の為めにのみ効用あるべきものなるが故に之を他人に譲ることを得ざることあり。又は之を譲るも他人の為めには何等の効用をなさざるか又は注文者の為めにするよりも僅少の効用を為すべきこと多かるべし。故に此場合において其仕事を完成せしむるは国家の経済上頗る不利益なり。故に寧ろ其仕事を中止して将来における費用と労力とを徒費せしめざるを可なりとし茲に注文者に与ふるに仕事の完成せざる間何時にても損害を賠償して契約の解除を為すの権をもってしたるなり。しかして請負人は損害の得れば敢えて損失を被ることあらざるべきをもって本条の規定は必ずしも注文者を偏愛するものと為すべからず。例えば家屋の請負人が単に地均を為したるとき注文者より契約を解除するときは請負人は注文者に対し（第１）地均の費用（第２）請負人が此工事によりて得べかりし利益の中より其請負人が将来他の工事を引受けて受くることを得べき利益を控除したるものを請求することを得べし。なお請負人が既に木材，石材等を買入れたるときは更に之を売却せざることを得ざるがた為めに其売却の為めに要する費用及び売却の代償が買入れの代償より低かるべき場合においては其差額も亦損害賠償として注文者に請求することを得べきものとす。

第６４２条　注文者が破産の宣告を受けたるときは請負人又は破産管財人は契約の解除をなすことを得此場合に於ては請負人は其既に為したる仕事の報酬及び其報酬中に包含せざる費用に付き財富の配当に加入することを得

　前項の場合に於ては各当事者は相手方に対し解約に因りて生じたる損害の賠償を請求することを得ず（旧商９９３）

　本条は賃貸借に関する第６２１条及び雇用に関する第６３１条の規定と其精神を同じうせり。唯請負の場合においては仕事の完成の後に非ざれば報酬を請求することを得ざるを原則とせるが故に（６３３）若し之に関し本条に特別の規定なきときは請負人は一切の報酬を請求することを得ざるものとせざることを得ず。しかりと雖も其不当なることは殆ど論を待たず。此の如くんば請負人に解除権を与えるも実際其権利を行使せざる者多かるべきのみ。故に本条においては「請負人は其既に為したる仕事の報酬及び其報酬中に包含せざる費用に付き」破産財富の配当に加入することを得るものとせり。例えば工事が既に其半を終わりたる場合において注文者が破産の宣告を受けたるをもって当事者の一方より契約を解除したるときは請負人は其報酬の半額を受くべし。しかして当事者が初め報酬を定むるに方りあるいは其中に材料の代償其他の費用を包含せしむることあり。あるいは之を包含せしめたることあり。之を報酬中に包含せしめたる場合においては報酬の他別に費用の請求を為すことを得ずと雖も若し之を報酬中に包含せしめざるときは其費用に付ても亦財富の配当に加入することを得べきは殆ど言うを待たざる所なり。例えば家屋の建築を請負いたる者が実費の他若干の報酬を受くべきときは既に為したる仕事の割合に応ずる報酬の外其仕事に関し出だしたる費用に付き財富の配当に加入することを得べきが如し。

　　　　　第１０節　委任

　委任（Manbatum，manbat，Auftrag）の範囲に付ては古来学説，立法例共に一致せず羅馬法においては原則として純然たる代理を認めざりしか故に委任か代理を目的とすることは殆ど之あらざりしなり。しかして其範囲は極めて広く殆ど一切の事項を包含することを得たるが如しと雖も実際法律行為以外において委任を認めたることあらざりしが如しフランス法系の国々においては羅馬法に反し代理を認むるの結果竟に委任は代理を目的とするものに限れることとし代理関係と委任より生ずる契約関係とを混同するに至れり。ドイツ法系の国々においては同じく代理を認むるに拘わらず代理関係と委任関係とを区別し。しかして委任は如何なる事項をも包含することを得るものとせり。ドイツ民法の如きは委任と雇用とを区別する為め委任は之を無償とし雇用は之を有償とし。しかして其目的とする事項は何れも極めて広範なるものとせり。旧民法においてはフランス法の主義に倣い委任と代理とを混同し契約の名義として代理なる文字を用ふるに至れり新民法においては之を改め明かに代理と委任とを区別し代理は既に総則編において之を規定し本節においては委任契約関係を規定せり。しかして其範囲は之を法律行為に限れり慨し委任の目的一切の事項を包含せるものとせば其有償なる場合においては之を雇用と分ち難きこと最も多かるべし。是れ法律に雇用と委任とを分ちて規定したる趣旨に反し動もすれば実際の争論招く虞あり。しかりと雖もドイツ民法におけるが如く委任は必ず無償なるものとするは従来使用に来りたる委任の文字の意味に違い雇用の範囲を過大にするの誹りを免れ難きが如し。しかしてフランス法系の国々において委任と代理を混同したるが如く古来委任の目的は法律行為のみ又は主として法律行為を為さしむるに在るが故に新民法においては委任契約の範囲を法律行為に限り唯法律行為以外の事務を委託する場合に本節の規定を準用すべきものとせり。之によりて一方においては委任の性質を明かにし他の一方においては実際に不便なかりしめたり。

　本節を分ちて左の五段と為す。曰く委任の定義（６４３）曰く受任者の義務（６４４及至６４７）曰く委任者の義務（６４８及至６５０）曰く委任の終了（６５１及至６５５）曰く準委任（６５６）是なり。

　　　　　　１　委任の定義

第６４３条　委任は当事者の一方が法律行為を為すことを相手方に委託し相手方が之を承諾するに因りて其効力を生ず（取２２９，旧商３４１，１項）

　本条の定義によれば委任契約は

第１　諾成契約なり是れ羅馬法以来既に然る所なり。

第２　通常無償契約なり。是れ本条において委任者に報酬を与ふる義務あることを云わざる所以なり。しかして第６４８条に至り委任者が此義務を負うことあるべきことを言へり。

第３　通常片務契約なり即ち報酬なき場合においては受任者のみ委任事務を処理する義務を負い委任者は何等の義務を負わざるなり。但是れ所為不完全双務契約にして委任契約成立の後若し受任者が委任履行の為め費用を出だしたるときは其償還を委任者に求むることを得べく。其他受任者は第６４９条及び第６５０条に定めたる権利を有すべきが故に此場合においては殆ど双務契約と同一の結果を生じ羅馬法においては之によりて重大の効果を生じたりと雖も今日においては殆ど之を認むるの必要なし。然れとも委任が有償なる場合においては是れ純然たる双務契約なり。慨し委任者は報酬を払ふの義務を負い受任者は委任事務を処理するの義務を負えばなり。但特別の条文なければ第５３３条の規定を適用すべしと雖も第６４８条第２項において之に対する例外の規定を設けたるが故に実際委任契約が片務契約たる場合と双務契約たる場合との間に適用すべき規定を異にすることあらざるなり。

第４　法律行為を目的とす。是れ既に説明したる所なり。唯代理以外において最も頻繁に委任契約の目的たるべき法律行為は保証（４５９，４６０）他人に金銭其他の物を貸与すること等是なり。但代理関係を生じ得べき場合において特に委任者の名をもって法律行為を為さずして受任者自身の名をもって之を為すべきものとしたる場合においては代理なしと雖も委任あるべく。しかして是れ実際に頻繁なる場合なるべし。

　　　　　　２　受任者の義務

第６４４条　受任者は委任の本旨に従ひ善良なる管理者の注意を以て委任事務を処理する義務を負ふ（取２３７，２３９，旧商３４１，２項）

　本条は受任者の義務の原則を定めたるものにして併せて其為すべき注意の程度を定めたるものなり。慨し受任者は委任の本旨に従い委任事務を処理すべきは其契約の目的によりて明かなる所なり。しかして受任者の義務を概括して言えば即ち委任の本旨に従い委任事務を処理する義務あるものと謂うべし。例えば受任者がある商品の買入れの委任を受けたるときは力めて廉価に瑕疵なき商品を買入るる義務あること殆ど言うを待たざるが如き是なり。唯受任者の如何なる注意をもって委任事務を処理すべきかは重要なる問題にして各国の法律必ずしも一様ならざる所なり。本条においては受任者は如何なる場合においても善良なる管理者の注意を為すべきことを定めたり。慨し新民法においては特別の例外を除く外債務者は其債務の目的に付き善良なる管理者の注意を為すを本則とせることは既に論じたる所なり。（１１項以下）。しかして有体物の引渡に付て既に第４００条の規定ありと雖も之を委任に適用し難きをもって特に本条において受任者は善良なる管理者の注意を為すべき旨を定めたるなり。例えば買物を為すには自己の知識の程度において注意深き者の通常為すべき注意をもって物品の選択，代償の取極め等を為すべきが如し。しかしてたとい受任者が平生自己の事務に付き不注意なる人なるも敢えて之をもって講義と為すことを得ず。必ず善良なる管理者即ち注意深き人の通常為すべき注意を要するものとせり。

　本条以下の規定は皆立法者が当事者の意思を推測して設けたるものなるが故に当事者が反対の意思を表示したるときは其意思に従うべきこと慨し疑いを容れざる所なり（９１）。

第６４５条　受任者は委任者の請求あるときは何時にても委任事務処理の状況を報告し又委任終了の後遅滞なく其顚末を報告することを要す（取２４０）

　本条の規定はあるいは前条の結果なりと謂うも可なり。慨し他人の為めに事務を処理する者は其顚末を本人に報告するに非ざれば本人は果して受任者が「委任の本旨に従い善良なる管理者の注意をもって委任事務を処理」したるや否やを知ること能はず。特に其事務に関し自己の心得の為め其顚末を知らんと欲するは至当の事と謂うべし。なお一歩を進みて論ずれば委任事務が多少の期間継続する場合においては委任者は委任事務の終了前は其事務が如何なる状況に在るかを知らんことを欲するはまた正当の希望にして受任者たる者は其請求に応じ報告を為すべきものとするは固より当然なる所なり。慨し委任者は唯に自己の事務が如何なる状況に在るかを知りて其心を案ずるの必要あるのみならず。その状況よりてはあるいは委任を解除して自ら其事務を処理し又は他の者をもって之を処理せしむるの必要を感ずることあるべし。其他其状況に従い適当の処分を為すべき場合稀なりとせざればなり。是れ本条の規定を設けたる所以なり。

第６４６条　受任者は委任事務を処理するに当りて受取りたる金銭其他の物を委任者に引渡すことを要す其収取したる果実亦同じ

　受任者が委任者の為めに自己の名を以て取得したる権利は之を委任者に移転することを要す（取２４１）

　前条においては受任者に報告の義務あることを定めたり。しかれとも是れ未だ足れりとせざることはほとんど言うをまたず。慨し受任者が委任事務を処理するに当り委任者又は第３者より受取りたるものは素と委任者の利益の為めに受取りたるものなるが故に尽況之を委任者に引渡すべきは固よりなり。ただ委任者より受取りたるものは通常委任事務の処理を終わりたる後に非ざれば之を返還すること能はざるを常とす。是れ他なし。委任者が委任事務を処理するに必要なりと認めて交付したるものなればなり。本条においては広く受任者が受取りたるものを委任者に引渡すべきことを定めたるに過ぎずして其他は総て契約の趣旨により定まるべきものとせしなり。しかして受任者が第３者より受取りたるものは卑も其物が委任の事務処理の為めに必要ならざる以上は速やかに之を委任者に引渡すべきこと慨し言うをまたざる所なり。なお受任者が受取りたるものより果実を生じたるときは其果実もまた之を委任者に引渡すべきこと固より明かなり。例えば受任者が委任者の為めに受取りたる土地より収穫を生じたるときは之を委任者に引渡すべく又受任者が委任者の土地，家屋等の借賃を受取りたるとき若しくは委任者の為めに預けたる金額の利息を受取りたるときは速に之を委任者に引渡すべきものとす。

　新民法においては委任をもって必ずしも代理を目的とするものとせざるが故に受任者が委任者の為めに為したる行為より生ずる権利は皆直ちに委任者に移転するものと為すべからず。受任者が自己の名をもって権利を取得したる場合においてはたとい委任者の為めに之を取得するも一旦受任者自ら権利者と為るべきこと固より論をまたず。しかりと雖も是れ元来委任の履行により委任者の為めに取得したる権利なるが故に速に之を委任者に移転すべきことは敢えて喋喋をまたざる所なり。例えば受任者が委任者の為めに自己の名をもって第３者と契約を取結し其契約によりて権利を取得したるときは其権利は速に之を委任者に移転せざることを得ざるが如き是なり。

第６４７条　受任者が委任者に引渡すべき金額又は其権利の為めに用ふべき金額を自己の為めに消費したるときは其消費したる日以後の利息を払ふことを要す尚ほ損害ありたるときは其賠償の責に任ず（取２４２）

　本条は受任者が前条の義務を履行せざる場合に関し一つの制裁を設けたるものなり。慨し受任者が委任者の為めに受取りたる金額は速に之を委任者に引渡すに非ざれば之を確実なる銀行などに預け其安全と利殖とを図るべきは善良なる管理者の注意として固より当然なる所なり。しかるに若し受任者が此義務を尽さざるときは善良なる管理者の注意を為さざりし者として義務不履行の結果を負担し相当の損害賠償を為すべきこと敢えて特別の明文を要せざる所なり（４１５）。しかりと雖も受任者が唯に其金額の利殖を図らざるのみならず自己の為めに之を消費したるときは不当もまた甚しきが故に委任者に対し充分の責任を負担せざるべからず。しかしていわゆる損害賠償なるものは既に屡論じたるが如く法官が不確実なる標準によりて之を認定するものなるが故に委任者が被むりたる真の損害額を賠償するに足ることは寧ろ稀なりとす。故に本条においては一つの特例を設け先ず受任者は委任者が其被むりたる損害の証明を為すと為さざるとに拘わらず否極端を言えば受任者において委任者が損害を受けざりしことを証明することを得るものとするも必ず其金銭を消費したる日以後の法定利息を払うべきものとしなお委任者が是より大なる損害を被むりたることを証明するときは更に受任者をして之を賠償せしむることとせり。是れ一見酷に

失するが如しと雖も元来金銭なるものは普通の利用方法をもってすれば常に法定利息に均

しき利益を生ずるものと見るべきが故に受任者は之を消費したるがため此利息に均しき利

益を受け委任者は之に均しき利益を失いたるものと見るべければなり。しかして本条の規

定は素と委任者を保護せんが為めに設けたる規定なるが故に若し委任者において法定利息

よりも多額の損失を被むりたることを証明するときは其全部を賠償せしむべきは固より論

をまたざる所なり（４１９，７０４参照）。

　之を要するに本条の規定は受任者が委任者の為めに第３者より受取りたる金額にして直

ちに委任者に引渡すべきもの及び委任者又は第３者より受取りたる金額にして委任事務処

理の為め必要なるものに関し之を委任者に引渡し若しくは委任者の為めに使用することを

為さずして自己の為めに之を消費したる場合の制裁を定めたるものなり。

　　　　　　３　委任者の義務

第６４８条　受任者は特約あるに非ざれば委任者に対して報酬を請求することを得ず

　委任者が報酬を受くべき場合に於ては委任履行の後に非ざれば之を請求することを得ず但期間を以て報酬を定めたるときは第６２４条第２項の規定を準用す

　委任が受任者の責に帰すべからざる事由に因り其履行の半途に於て終了したるときは受任者は其既に為したる履行の割合に応じて報酬を請求することを得（取２３１，２４５，２号，２４７）

　本条は委任者の義務の第１なる報酬を払う義務を定めたり。慨し委任契約は無償なるを原則とすると雖も若し報酬の特約あるときは此義務は契約より直接に生ずるものにして委任者の他の義務の如く契約成立の後始めて生ずるものと異なれり。是れ委任者の第１の義務として報酬に関する規定を掲げたる所以なり。

　本条は則ちまず委任契約の原則として無償なることを明かにしただ特約ある場合に限り受任者は報酬を請求することを得るものとせり。しかして受任者が報酬を受くべき場合においては果たして何れの時に其請求を為すことを得るが是れ本条第２項の定むる所なり。之に付ては雇用に関する第６２４条と同一の原則を採用せり。ただ「約したる労務を終わりたる後」というも果たして「委任履行の後」意味すべきや否や聊か疑いなき能わず。故に本条においては明かに委任履行の後にあらざれば報酬を請求することを得ざるを本則とする旨を規定せり。例えば第３者に対し貸金催促の談判を為すべきことを委任したる場合においては能く其談判を結了しあるいは第３者より貸金の返還を受け之を委任者に引渡したる後あるいは第三者と契約を取結び之が証書を作りて第３者に署名せしめ其証書を委任者に引渡したる後始めて報酬を請求することを得べきが如き是なり。

　期間をもって報酬を定め即ち月若干円，若干といえるが如く報酬を定めたるときは其報酬は毎期間の経過したる後之を請求することを得べし。是れ本条但書において第６２４条第２項を準用せるにおいて明かなり。

　委任は時として受任者の責に帰すべからざる事由によりて半途において終了することあり。例えば委任者若くは受任者の死亡，委任者の破産，受任者の禁治産又は委任者より契約を解除するによりて委任終了することあり。是等の場合において前項の規定を適用し委任履行の後始めて報酬を受くべきものとし未だ履行せざるに及び委任が終了したるをもって一銭の報酬を請求することを得ざるものとせば受任者に対し頗る酷に失するものというべく当事者の当初の意思にも反すること多かるべし。故に是等の場合においては受任者は既に為したる履行の割合に応じ報酬を請求することを得るものとせり。例えば受任者が履行の半を終えたる場合においては約定の報酬の半額を受くべく其三分の一を終えたる場合においては其報酬の三分の一を受くべきの類是なり。若し夫れ受任者の責に帰すべき事由によりて委任が終了したるときは例えば受任者が契約を解除したるとき及び多くの場合において受任者が破産の宣告を受けたるときは一銭の方報酬をも受くることを得ざるものとしたるは固より当然にして慨し説明を要せざるべし。

　あるいは問わん。雇用に関しては本条第３項の如き規定なし。しかりしかしてひとり委任に付き此規定あるは如何と曰く雇用に在りては期間をもって報酬を定むること最も多くしからずんば其労務の性質上多くは長日月の間継続することなく従て労務の半途において雇用終了し竟に其報酬を受くること能わざるも為めに労務者が莫大の損失を被るが如きことは慨し極めて稀なるべし。之に反して委任の場合においては期間をもって報酬を定むることは寧ろ稀に又其事務の性質は動もすれば長日月の間継続すべきものにして若し半途において委任終了し受任者が一銭の報酬をも受くること能わずとせば長日月の間空しく其時と力とを費し竟に莫大の損失を被ること敢えて稀ならざるべきをもってなり。

第６４９条　委任事務を処理するに付き費用を要するときは委任者は受任者の請求に因り其前払を為すことを要す（取２４６）

　本条及び次条は委任者の義務として委任事務に付き受任者をして一切の損害を被むらしめざることを要する旨を定めたり。しかして本条は委任者をして受任者の請求に応じ委任事務に必要なる費用の前払を為さしむるものなり。慨し次条の規定により委任者は受任者が出だしたる費用を償うべきは固よりなりと雖も特約なきに受任者をして立替を為さしむるは頗る其当を得ず。是れ本条の規定を設けたる所以なり。例えば受任者が委任時事務を処理する為め旅行を為すべき場合においては其旅費を委任者に請求することを得べく受任者が委任者の為めに物品を購買すべきときは其代償として若干の金額を引渡すべき旨を委任者に請求することを得るが如き是なり。

第６５０条　受任者が委任事務を処理するに必要と認むべき費用を出だしたるときは委任者に対して其費用及び支出の日以後に於ける其利息の償還を請求することを得

　受任者が委任事務を処理するに必要と認むべき債務を負担したるときは委任者をして自己に代わりて其弁済を為さしめ又其債務が弁済期に在らざるときは相当の担保を供せしむることを得

　受任者が委任事務を処理する為め自己に過失なくして損害を受けたるときは委任者に対して其賠償を請求することを得（取２４５，旧商３４８）

　本条においては委任者の義務として三つの事項を規定せり。

第１　費用の償還

　「受任者が委任事を処理するに必要と認むべき費用を出だしたるときは委任者に対して其費用及び支出の日以後における利息の償還を請求することを得」るものとせり。例えば受任者が委任履行の為め旅行を為すべき場合において其身分に相応する旅費を出だしたるときは其旅費の全額及び之を支払いたる日以後の法定利息即ち年５分の利息の償還を求むることを得べし。此費用は後日の結果より観察して真に必要なりしことを証明することを要せず。唯に当時の事情を考え普通の鑑識ある者が必要と認むべきものなるときは即ち可なり。例えば受任者が第３者に対して一つの談判を為すべき場合において其第３者を訪問したるに不在にして現に大阪に旅行し其家族の言に拠るときは数月の後にあらざれば帰宅せざる場合において受任者が直ちに旅装を整え大阪に至りたるに其第３者は急用ありて受任者と行違に大阪を発して帰宅したるとせんに後日の結果より之を観れば受任者の旅行は全く無益なりしと雖も当時の事情より之を言えば何人と雖も其旅行を必要と認めたるなるべし。故に此旅行の費用は委任者に対して其償還を請求することを得べし。

　あるいは問わん本条においては「必要と認むべき費用」といい第７０２条においては事務管理に関し「有益なる費用」といえり。しからば受任者は必要費に付ては償還を求むる権利ありと雖も有益費に付ては之を求むる権利なく却て任意に他人の事務を管理する者は有益費までをも請求することを得るが如し。如何と曰くしからず本条の規定によれば実際有益ならざりしも当時の事情により必要と認むべき費用なるときは総て其償還を請求することを得べしと雖も第７０２条においては真に本人の為めに有益なりし費用にあらざれば之を償還することを要せず。故に前条の場合の如きは若し事務管理の場合ならんには本人には償還の義務なかるべし。慨し受任者は委任の範囲内においては委任者の意思に従いて事務を処理する者なるが故に委任履行の結果と認むべき事項に付ては委任者総て其責に任ぜざるべからずと雖も事務管理においては唯に本人をして不当の利得を為さしめざるを主眼とするが故に卑しくも本人の為めに有益ならざる費用はたとい事務管理の当然の結果と認むべきものと雖もしかも本人をして其償還の責に任ぜしめざるなり。但事務管理者は元来本人の意思によらずして管理を為す者なるが故に如何なる事項に付ても有益の限度においては常に本人に対し償還の請求を為すことを得べきも受任者は委任の範囲内においてのみ委任者に対し契約上の債権を有する者なるが故に其委任の範囲内においては其事項の実際委任者に有益なりしと否とを問わず委任者をして一切の費用を償還せしむることを得ると雖も一たび委任の範囲を出ずるときは委任者に対し全く無関係の人たり故に不当利得の一般の規定若くは事務管理の規定に従いて委任者に対し債権を取得することは則ち之ありと雖も契約上の債権は決して之を有することなし。例えば委任者が唯に受任者をして一つの家屋を買取らしむる場合において若し受任者が縦に買いたる家屋に装飾を施し為めに莫大の費用を出だしたりとせんに是れ委任の範囲外なるをもって委任者は受任者に対し契約上何等の債務をも負うことなし。ただ受任者は委任者の為めに事務の管理を為したる者と見るべきが故に之に第７０２条の規定を適用し其費用によりて家屋の値を増加したる限度において委任者に対し費用の償還を請求することを得るのみ。なお其費用が家屋の値を増加すること其全額よりも多きときは委任者は唯に其費用の全額を払いて可なること固より言うをまたざる所なり。又例えば受任者が其家屋を保管する間自己の便利の為めに造作を加えたる如きは是れ敢えて本人の為めに為したるものにあらざるが故に唯に第７０３条に従い之によりて生じたる増値額が現存する場合に限り其限度において償還を請求することを得べし。之に反して若し家屋に装飾若くは造作を加えることが委任の範囲内に在るときは卑も相当の注意をもって其装飾若くは造作を加える以上は増値額の有無，多少に拘わらず常に其費用の全額を委任者に請求することを得べし。故に委任の範囲内においては受任者の権利の事務管理者の権利よりも広大なること多弁を費さずして明かなり。

第２　債務の弁済

　「受任者が委任事務を処理するに必要と認むべく債務を負担したるときは委任者をして自己に代わりて其弁済を為さしむ」ることを得るものとせり。是れ前項と同一の理由により固より当然なる所なり。例えば受任者が委任者の為めに物品を購買したる場合において若し現金にて其代償を払わざるときは代償支払いの義務を生ずること固よりなり。しかして受任者が自己の名をもって其売買を締結したるときは代償支払いの義務は受任者自ら之を負うべく売主との関係においては委任者は代償支払いの義務を負うことなし。しかりと雖も受任者と委任者との関係においては委任者必ず之を支払うべきものとす。又例えば委任事務を処理するに付き金銭の必要ありて無利息又は相当の利息をもって金銭を借入れたる場合においてはたとい其借主は受任者なるも委任者之に代わりて其弁済を為すべきが如き是なり。しかして其債務が真に実際に必要なりしことを証明することを要せず。ただ当時の事情のより常識をもって之を必要と認むべきときは則ち可なり。

　以上は債務が既に弁済期に在る場合においては則ち可なりと雖も若し債務が未だ弁済期に在らざるときは直ちに委任者をして弁済を為さしむることを得ざるは固より明かなり。しかりと雖も委任者は現在においては有資力なるも将来無資力と為ることなきを保せず。故に受任者は相当の担保を供せしめもって期限に至り委任者が弁済を為さざるときは受任者自ら弁済を為すも敢えて損失を被むらざることを図らざるべかざる。是れ本条第２項末文の規定ある所以なり。

第３　損害の賠償

　右の外「受任者が委任事務を処理する為め自己の過失なくして損害を受けたるときは委任者に対して其賠償を請求することを得」るものとせり。例えば受任者が委任履行の為め金銭の必要ありて自己の商業の資本たる金銭を使用し為めに商業上の利益を滅殺したるときは其滅殺したる限度において損害賠償として委任者に償還を求むることを得べし。但若し受任者が其金銭を使用せざるも委任者より容易に其払渡しを求むることを得たる場合においては其金銭を使用したるは受任者の過失なるが故に委任者は敢えて是より生じたる損害を賠償する責に任ぜず。又例えば報酬を受けざる受任者が日々其職業によりて若干の報酬を得べきに其職業を休みて委任事務を処理したる為め其報酬を得ざるときは損害賠償として之に相当する金額を委任者に請求することを得べし。但普通人が一日にして終わるべき事務に二日を費したる場合の如きは其一日は受任者の過失によりて之を費したるものなるが故に委任者は委任者はただ一日分の報酬に相当する賠償を払いて可なり。

　　　　　　４　委任の終了

　委任終了の原因は本節に定むるものの外普通の原則によりて明かなるもの少からず例えば当事者が委任の期間を定めたるときは其期間満了によりて消滅すべく，一定の事務の為めに委任を為したる場合においては其事務の結了によりて終了すべく，当事者の一方が其義務を履行せざるときは他の一方は契約を解除することを得べき（５４１）等是なり。

　委任契約に特別なりとして本節に規定する所の終了原因は（１）委任の解除（６５１）（２）委任者又は受任者の死亡又は破産（６５３）（３）受任者の禁治産（同上）是なり。

　本節においては唯に委任の終了原因を掲ぐるに止めず。其終了の結果に関し特別の規定を設けたり（６５２，６５４，６５５）。

第６５１条　委任は各当事者に於て何時にても之を解除することを得

　当事者の一方が相手方の為めに不利なる時期に於て委任を解除したるときは其損害を賠償することを要す但已むことを得ざる事由ありたるときは此限に在らず（取２５１，１号，２号，２５２，２５４ないし２５６）

　本条は任意の解除による委任の終了に関して規定せり。慨し当事者の一方が契約を履行せざるときは相手方において之を解除することを得るは一般の原則によりて明かなること既に論じたるが如し。又当事者が委任の期間を定めざりしときは必ずしも其契約永久に継続すべきものと観るべからざるは固よりにしてあるいは当事者の一方の意思によりて終了すべきものとすべきが如し。しかれどもたとい契約によりて委任の期間が確定し又は委任事務が未だ終了せざる場合と雖も当事者の一方は何時にても任意に契約を解除することを得るは是れ委任契約の特質というべし。しかして古来委任契約に此特質を認むるは他なし。委任は専ら当事者間の信用に基づくものなるが故に自己の信用せざる者をして其事務を処理せしむること能はず。又自己の信用せざる人の事務を処理するは受任者の人情として実に堪え難き所なればなり。但是には二つの制限なき能はず。（第１）外国には反対の立法例あるに拘わらず本条の規定はあえて公益規定と認むべきものに非ざるをもって当事者は特に一定の期間互に委任契約を解除せざるべきことを約することを得べし（第２）当事者の一方は何時にても契約を解除することを得るを原則とすると雖も若し相手方の為めに特に不利なる時期において解除を為したるときは之によりて生ずる損害を賠償すべきものとせり。慨し委任契約の性質上任意の解除を許すと雖もしかも是れ当事者の一方の便宜の為め其解除を為すものといわざるべからず。若ししからば之によりて特に相手方に損害を生ずべき時期において其権利を行いたるが為め生じたる損害は解除を為したる者より之を賠償せしむるをもって至当とすればなり。例えば訴訟の委任を受けたる者が其訴訟の中途において俄に其委任を辞したるときは依頼者は往々にして直ちに其者に代わるべき弁護士を得ず為めに其権利に大影響を被むること稀なりとせざるべし此場合においては委任を辞したる者は其損害を賠償する責任あるものとす。但当事者の一方が実に已むことを得ざる事由ありて解除を為したる場合においては之を適用すること能はず。例えば受任者は第１審の判決を甘受するを利益あるとせるに委任者は必ず控訴を為さんと欲する場合の如き即ち是なり。此場合においては受任者が自己の良心に反して訴訟を為すことを欲せざるは固より至当なるをもってたとい其者が委任を辞したるが為め委任者に損害を生ずることありとするも之をして其損害を賠償せしむること能はざるべし。

第６５２条　第６２０条の規定は委任に之を準用す（取２５３）

　本条は委任契約解除の効力を定めたるものなり。慨し契約の解除は一般の原則によれば各当事者をして現状に復せしむべきものとす（５４５）しかりと雖も若し之を委任契約に適用するときは往々にして錯雑したる計算を要し且受任者が従来既に委任者の為めに供したる勤労をして全く無報酬たらしめ却て其既に受取りたる報酬には利息を付して之を返還せざることを得ず（５４５，２項）。是甚だ不公平といわざるべからず故に賃貸借（６２０）雇用（６３０）等の例に倣い委任の解除は唯に将来に向てのみ其効力を生ずべきものとせり（なお６８４を参観せよ）。故に既に従来経過し来りたる事項に付ては更に既往に遡りて計算を為すことを要せず。受任者が受取りたる報酬の如きも敢えて之を委任者に返還することを須いず。ただ受任者が将来受取るべき報酬は之を受取ることを得ざるべく受任者が委任者の為めに処理すべき事務は将来其処理を停止することを得べく其他受任者が委任事務処理の為め委任者又は第３者より受取りたるものを委任者に還付するをもって足れりとす（６４５，６４６）なお第６５４条によれば将来に向ても受任者直ちに其義務を免るることを得ざることあるべし。

第６５３条　委任は委任者又は受任者の死亡又は破産に因りて終了す受任者が禁治産の受けたるとき亦同じ（取２５１，旧商４３，１項，３４６，新商２６８）

　本条は委任者又は受任者の死亡又は破産及び受任者の禁治産をもって委任終了の原因とせり。慨し委任は専ら信用に基けること既に論じたるが如きをもって委任者が死亡するときは其相続人は復受任者が信用して其委任を受けたる人に非ず。受任者が死亡したるときは其相続人は復委任者が信用して委任を為したる人に非ず。又委任者若くは受任者が破産の宣告を受けたるときは相互信用においても大に減却すべきは勿論なお此場合においては破産者は多くは其義務を履行すること能はざる者なるが故に委任の如く多少の期間継続すべき性質を有する契約に在りては相手方の破産せるに拘わらず依然其契約関係を保持するは極めて不利益なる所なり。故に此場合においては直ちに委任関係を終了せしむるを便とす。特に委任者又は受任者が破産したるときは財産上の関係においては破産者は殆ど死亡したるに均しく債権者の利益を代表せる管財人において破産者の権利義務を掌握せるが故に実際の状況より言えば委任者又は受任者の死亡の場合と隔ること遠からざるべし。又受任者が禁治産の宣告を受けたるときは其能力を失うべきが故に自ら委任時事務を処理することは実際に不能にして其法定代理人之に代わりて其処理を為さざることを得ざるべし。しかれども法定代理人は固より委任者が信用して之に委任を為したる者に非ず。故に委任契約をして当然終了せしむるを妥当とす。是れ本条の規定ある所以なり。

　あるいは曰ん第１１１条においては既に代理権の消滅原因として本人又は代理人の死亡及び代理人の禁治産，破産を列挙せり。故に其同じきものに付ては重複の嫌なき能はず。又其同じからざるものに付ては前後権衡を得ざるの観ありと曰くしからず（第一）代理権消滅するも委任契約必ずしも終了すべきものと為すべからず。慨し受任者は自己の名をもって委任者の事務を処理することを得ればなり。特に委任者と第３者との関係と委任者と受任者との関係とは自ら別事項にしてたとい甲の関係なきも乙の関係のみ存すること敢えて希なりとせず。（第２）代理の一般の規定としては本人の破産をもって代理権消滅の原因と為すこと能はず。慨し後見人の如きは被後見人の法定代理人にしてしかも被後見人の破産によりて其代理権を失うべきものに非ざればなり。是れ本条において特に委任終了の原因を規定し代理権消滅の一般の原因たらざる本人の破産をもって委任終了の原因と為したる所以なり（１１１，２項の規定により委任終了の結果代理権もまた消滅すべきは固よりなり）。

　商法第２６８条の規定によれば「商行為の委任による代理権は本人の死亡によりて消滅せ」ざるものとせり。是れ固より代理権に付て規定したる所なりと雖も慨し委任関係に付てもまた立法者は同一の結果を生ずべきことを前定せるが如し是れ商業上の必要により民法に対する例外を設けたるものなり。しかりと雖も民法の一般規定としては委任者又は受任者の死亡によりて委任終了するを本則とす。ただ当事者において之に反する意思を表示したるときは其意思に従うべきこと固よりなり。

第６５４条　委任終了の場合に於て急迫の事情あるときは受任者，其相続人又は法定代理人は委任者，其相続人又は法定代理人が委任事務を処理することを得るに至るまで必要なる処分を為すことを要す（取２５９）

　委任が如何なる原因によりて終了するに拘わらず卑も委任終了する以上は当事者は互いに何等の義務を負うことなきものとすべきは殆ど理の当然なり。しかりと雖も此理論に拘泥するときは委任者は往々にして不測の損失を被むるの虞あり。慨し受任者が委任者に其事務を委任せる場合においては全く受任者に依頼して自ら事を見ざること多く動もすれば其事務を処理するに必要なる財産，書類等総て受任者の掌中に在るべく特に受任者が遠隔の地に在る場合においては委任者自ら直ちに其事務を執らんと欲するも能はざることあり。しかるに若し受任者にして委任の終了を名とし一切委任者の利害を慮らず急迫の必要ある事項と雖も袖手傍観することを得るものとせばたとい現在は受任者が委任者の為めに事務を処理する義務なしとするも従来委任者に対して負いたる義務を完全に履行したるものということ能はず。慨し是れ既に着手したる委任事務の当然の結果なりということを得べければなり。例えば受任者が委任者の権利を行使せる場合において其権利の一つが委任終了の後忽ち時効に罹らんとせる場合において若し袖手傍観せば委任者は竟に救うべからざるの損失を被むるに至るべし故に此場合においては委任は既に終了したるに拘わらず受任者は時効中断の方法を取らざるべからざるが如き是なり。

第６５５条　委任終了の事由は其委任者に出でたると受任者に出でたるとを問わず之を相手方に通知し又は相手方が之を知りたるときに非ざれば之を以て其相手方に対抗することを得ず（取２５７）

　委任は他の契約と異なり特に容易に終了することあるべきは既に説明したる所によりて明かなるべし，然るに卑も其原因の存する以上はたとい相手方は之を知らざるもなお法律上既に委任なきものとせば善意なる相手方は動もすれば損失を被むることあるべし。例えば委任者が死亡したる場合において其相続人が之を受任者に通知せざるときは受任者は之を知らざること最も多かるべし。故に委任は未だ終了せざるものと信じ其権限内において委任者の為めに種種の行為を為すことあるべし。しかるに受任者は委任の終了によりて既に其権限を失いたるものとせばたとい其行為は委任の範囲内に在りて卑も委任にして終了せざる以上は第６５０条により之に関し委任者をして充分の責任を負わしむることを得る場合と雖も既に其権限なきものとせば唯に事務管理の規定により委任者の相続人に対し之が為めに有益なりし限度においてのみ責任を負わしむることを得べし（７０２）。又受任者が破産の宣告を受けたるときは特に委任者人通知せざる以上は委任者は之を知らざること多かるべし。故に委任者は依然受任者に依頼し自己の事務を顧みざるに受任者は破産の宣告を受けたるが為め其義務を尽すこと能はず為めに委任者の事務をして不利益なる状況に陥らしめたるときは委任は既に終了したるに拘わらず受任者は其終了せることを主張して其責任を免るること能はず。必ず委任者に対し恰も委任継続せるものの如く充分の責任を負わざるべからざるが如き是なり。

　　　　　　５　準委任

第６５６条　本節の規定は法律行為に非ざる事務の委託に之を準用す

　本条は既に説明したるが如く委任の規定を「法律行為に非ざる事務の委託」に準用せるものなり。例えば他人をして慶事の祝辞を述べしめ病人の慰問を為さしめ死者の弔詞を致さしむる等是なり。此場合においても其委託を受けたる者は善良なる管理者の注意をもって其事務を処理すべく又之が為めに必要なる費用を出だしたるときは其償還を委託者に求むることを得る等総て純然たる委任の場合に異なることなし。

　　　　　第１１節　寄託

　寄託（Depositum，Derot，verwahrung）は羅馬法以来践成契約の一に数えたるものにして唯に寄託を為すを契約は未だ所謂寄託契約を成すものに非ず必ず物の引渡しを為して始めて成立するものとせり瑞西債務法の如きは之を諾成契約とせりと雖も未だ他に同一の例あるを聞かず。故に理論上においては瑞西債務法の主義正当なるが如しと雖もしかも一般の立法例に倣い之を践成契約とせり。

　旅店，飲食店，浴場其他客の来集を目的とする場屋の主人は客より寄託を受けたる物及び客が場屋中に携帯せる物に付き特別の責任を負わしむる必要あるべしと雖も是れ自ら商法の規定に属すべきものなるをもって本節中には之を掲げず慨し商業たる営業の結果なればなり（新商３５４及至３５６）。

第６５７条　寄託は当事者の一方が相手方の為めに保管を為すことを約して或物を受取るに因りて其効力を生ず（取２０６，２０７）

　本条は寄託の定義を掲げ併せて其成立時期を定めたるものなり。本条の規定によりて寄託の性質を挙ぐれば

第１　践成契約なり。

　是れ既に論じたる所なり。しかして寄託の成立に必要なる実践行為（Res）は物の引渡し是なり。しかして物の引渡しは何れの時に成立するかは既に論じたる所なるをもって絃に贅せず（再訂２巻１５項）。

第２　有償契約又は無償契約なり。

　旧法典其他羅馬法以来欧州各国の法律においては大抵寄託をもって無償契約とせり。しかりと雖も今日に至りては特に報酬を求めて他人の物を保管すること稀なりとせざるが故に之をもって寄託に非ずと為すは頗る理由に乏しき所にしてしかも実際に不便なる所なり。故に新民法においては寄託は必ずしも無償なるものとせず。また有償なることをも得るもものとせり。ただ原則は委任におけるが如く無償なるものとせるが故に若し報酬の約なくんば受寄者は敢えて報酬を請求することを得ざるものとす（６４８，1項，６６５）。但商法においては商人に関し反対の原則を採用せり（新商２７４）。

第３　片務契約又は双務契約なり。

　寄託は無償契約なりとせる結果従来之を片務契約とせりと雖も新民法においては寄託の有償なることあるべきを認むるが故に報酬の約ある場合においては之を双務契約と為さざることを得ず。即ち受寄者は相手方の為めに物の保管を為し且寄託終了の後は其物を返還するの義務を負い寄託者は受寄者に対し報酬を払うの義務を負うべし。ただ報酬なき場合においては其片務契約たること固より論なく。しかして寄託は無償なるを原則とするが故にまた片務契約たるを原則とすべきは敢えて疑を容れざる所なり。即ち受寄者において相手方の為めに物の保管を為し且寄託終了の場合においては其物を返還するの義務を負うに止まり寄託者は何等の義務を負うことなきを原則とす。但羅馬法においては此片務契約は之を不完全なる双務契約といい多少他の片務契約に異なる所ありたり。是れ他なし。契約によりては一方にのみ義務を生ずるが故に片務契約なりと雖も契約締結の後若し受寄者が物に費用を加え又は物によりて損害を受けたるときは寄託者をして其費用を償還せしめ其損害を賠償せしむることを得べし。故に後には双方に義務を生ずるに至ること稀なりとせざるをもってなり。しかりと雖も既に論じたるが如く今日に在りては所謂不完全なる双務契約なるものを認むるの要なく唯に之を片務契約なりといいて可なり（７２７項）。

　寄託の目的物は必ず動産たることを要するものとする例最も多し。しかりと雖も是れ理由に乏しき所にして不動産と雖も他人をして是を保管せしむる必要なきに非ず。此場合において之を寄託と称せず。従て本節の規定を適用せざるは唯に権衡えお得ざるのみならず。又実際に不便なる所なり。故に新民法においては其目的物の動産たると不動産たるとを問わざることとせり。慨し旧法典及び外国の多数の法典において寄託を動産に限りたるは他なし。不動産に付ては唯に之を保管することは極めて稀に其保管を為すに付ては大抵本人の為めにある法律行為を為さざることを得ざるが故に寧ろ之を委任と称すべきをもってなり。しかりと雖も数日若くは数月間唯に土地若くは家屋の保管を為すに止まり敢えて其修繕，利用等を為すの委任を受けざることあり。いわんや稀には数年及至十数年間土地，家屋の保管を為すも敢えて本人に代わりて法律行為を為すの権限を有せざる者あるにおいてをや。

第６５８条　受寄者は寄託者の承諾あるに非ざれば受寄物を使用し又は第三者をして之を保管せしむることを得ず

　受寄者が第三者をして受寄物を保管せしむることを得る場合に於ては第１０５条及び第１０７条第２項の規定を準用す（取２１３，旧商６１８）

　本条以下第６６０条に至るまでは専ら受寄者の保管中の義務を定めたるものなり。此他は第６６５条により委任に関する規定を準用せり。しかして本条においては先ず受寄者が保管中受寄物を使用するの権なきことを定め併せて其保管は必ず自ら之を為すべく敢えて第３者をして己に代わりて之を為さしむることを得ざることを定めたり。慨し寄託の目的は受託者の利益の為めに物を保管するに在りて敢えて受寄者の利益の為めに物を使用するに在らず。若し唯に受寄者の為めに物を使用するを目的とするときは是れ寄託に非ずして使用貸借なり又寄託は受寄者其者を信用して是を為すものなるが故に寄託者が信用せざる第３者をして代わりて保管を為さしむることを得ざるものとするは寄託契約の性質に副うものというべし。ただ此規定は公益規定に非ざるが故に若し寄託者が初より之を許し又は後日に至り之を許すときは受寄者はあるいは受寄物を使用しあるいは第３者をして之を保管せしむることを得べし。ただ第１の場合においては常に保管をもって主たる目的と為すことを要す。しからずんば既にいえるが如く寄託に非ずして使用貸借たるべければなり。又第２の場合においては受寄者に代わりて保管を為す第３者は理論上は寄託者と何等の関係なきが如しと雖も是れ実際において種々の不便多き所なるが故に恰も復代理場合におけるが如く第３者は直接に寄託者に対し取寄者たる権利義務を有するものとせり（１０７，２項）。又第３者の行為に付き受寄者が負担する責任もまた復代理人の行為に関する代理人の責任と同じきのもとせり。即ち原則としては其第３者の選任及び監督に付てのみ責任を負うべきものとし例外として寄託者が保管を為さしむべき者を指名したるときは受寄者は唯に其者の不適任又は不誠実なることを知りて之を寄託者に通知し之を解任することを怠りたる場合にのみ責任あるものとせり（１０５）。

第６５９条　無報酬にて寄託を受けたる者は受寄物の保管に付き自己財産に於けると同一の注意を為す責に任ず（４００，取２１０，旧商６０７，６０８，新商３５３）

　受寄者の保管の責任に付ては無償寄託と有償寄託とを区別し有償寄託に在りては一般の原則に従い受寄者は善良なる管理者の注意を為すべきものとす（４００）。ただ無償寄託に在りては自己の財産におけると同一の注意をなすべきものとせり。是れ法律行為の有償なると無償なるとにより債務者の責任を区別せざる新民法の主義に反するが如しと雖も寄託に付ては自ら特別の理由あるをもって此区別を為したるなり。慨し寄託者は受寄者が平生注意深き人なるや否やを知り其人の平生に鑑み自己の財産を之に託したるなり。故に受寄者が自己の財産におけると同一の注意を為せば多くの場合においては是れ即ち寄託者の意思に副うべきのみ。しかりと雖も寄託が有償なる場合においては受寄者は保管に付て報酬を受くるが故に其報酬に対して自ら別段の注意を為さざることを得ず。故に此場合においては普通の原則により善良なる管理者の注意を為すべきものとするも敢えて酷に失するものと為すべからず。即ち自己の財産に付ては極めて不注意なる人と雖も受寄物に付ては注意深き人の為すべき注意を為さざることを得ざるものとせり。但本条以下皆反対契約を許すものなるが故に若し当事者にして右に述ぶる所と異なりたる意思を有するときは之を特約すれば則ち可なり。

　商法においては商人に関し本条の規定に反する主義を取れり是れ慨し商業上においては特に責任を重うするの理由あればなり（新商３５３）。

第６６０条　寄託物に付き権利を主張する第三者が受寄者に対して訴を提起し又は差押を為したるときは受寄者は遅滞なく其事実を寄託者に通知することを要す（取２１８，３号）

　第三者が寄託物に付き権利を主張し竟に受寄者に対し訴を提起し又は差押を為したるときは受寄者に遅滞なく之を寄託者に通知すべきものとせり。慨し受寄者は寄託者の権利を詳にせざるを常とするが故に若し寄託者に通知せずして自ら訴に答弁し又は差押に対し異議を述ぶることなきときは寄託者は竟に其権利を失うに至るべきこと稀なりとせず。之に反して速に之を寄託者に通知するときは若し其訴又は差押が不当なるときは寄託者は直ちに訴に参加し又は差押に付き異議を述べもって其権利を保存することを得べければなり（民訴５３及至５８，５４５）。

第６６１条　寄託者は寄託物の性質又は瑕疵より生じたる損害を受寄者に賠償することを要す但寄託者が過失なくして其性質若くは瑕疵を知らざりしとき又は受寄者が之を知りたるときは此限に在らず（取２１９）

　本条は受寄者が寄託物によりて損害を受けたる場合において其賠償を寄託者に求むることを得べきことを定めたり。慨し寄託は寄託者の利益の為めに之を為すを常とするが故にたとい特約なきも受寄者は寄託物によりて損害を受くべからざるを本則とす。ただ之に付き三つの制限を設けたり。

第１　其損害は寄託物の性質又は瑕疵より生ずることを要す。故に寄託物が爆裂し易き物にして受寄者が其爆裂によりて損害を受けたるとき（性質）又は寄託物が犬にして其犬に狂病ありて受寄者を噛みたるとき（瑕疵）は寄託者は賠償の責めありと雖も若し寄託物が重量ある物にして受寄者が之を高所に置きたるに地震によりて墜落し為めに受寄者に負傷せしめ又は受寄者の所有物を破砕したるときは寄託者は其損害を賠償する責なし。

第２　寄託者が寄託物の性質若くは瑕疵を知り又は過失によりて之を知らざることを要す。故に寄託者が新に他より買入れたる物にして其物に瑕疵あるや否やを知らず又は寄託者が一時に数多くの財産を一括して取得し直ちに之を寄託したる場合において其各財産の性質を詳にせざるときはたとい其瑕疵又は性質によりて受寄者が損害を受くるも寄託者に過失なきをもって之を賠償する責なきものとせり。之に反して寄託者が其性質若くは瑕疵を知れるときは勿論たとい之を知らざるも通常人の知り得べき性質若くは瑕疵を自己の管轄にて知らざる場合の如きは受寄者に対し之によりて生じたる損害を賠償する義務あるものとす。

第３　受寄者が受寄物の性質又は瑕疵を知らざることを要す。若し之を知れるときは其寄託を拒むことを得べく。若し之を拒まざるときは自ら其損害を甘じたるものといわざることを得ず。故に其賠償を寄託者に請求することを得ず。

　以上は本条の規定する所なり。しかりと雖も立法論としてはあるいは受寄者に対し聊か酷に失する嫌なきに非ず。特に第５７０条及び第６５０条第３項の規定と権衡を得ざるが如し。

第６６２条　当事者が寄託物返還の時期を定めたるときと雖も寄託者は何時にても其返還を請求することを得（取２０６，１項，旧商６１１）

　本条以下第６６４条に至るまでは受寄者の寄託物返還の義務を定めたるものなり。しかして本条においては先ず原則として寄託者が何時にても寄託物の返還を請求することを得ることを規定せり。しかして是れ寄託物返還の時期を定めたると否とを問わざるなり。慨し寄託は寄託者の利益の為めに之を為すを常とするが故にたとい寄託物返還の時期を定むるも是れ専ら寄託者の利益の為めに定めたる期限とみなし寄託者において何時にても之を放棄して物の返還を請求することを得るものとしたるなり。但是れただ当事者の意思を推測して設けたる規定なるが故に若し当事者が反対の意思を表示したるときは当に之に従うべきものとす。例えば受寄者において物を使用する権利を有する場合は勿論時としては意外の時に返還の請求に遭い其物を倉庫中より取出し又は他人をして物を保管せしむる場合においては其者より之を取返す為め少からざる混雑を来すことを厭いて特に寄託物返還の時期を確定し其以前においては其返還を為さざるべきことを定むることあるべし。

第６６３条　当事者が寄託物返還の時期を定めざりしときは受寄者は何時にても其返還を為すことを得

　返還時期の定めあるときは受寄者は已むこと得ざる事由あるに非ざれば其期限前に返還を為すことを得ず（旧商６１２）

　本条は受寄者が受寄物の返還を為すの権利を定めたるものなり。慨し寄託は通常受寄者の為めに一の負担たるに過ぎざるが故に其速に返還を為すことを希望するは固より当然なり。しかして受寄者は通常報酬を受けずまたたとい報酬を受くるも其額甚だ多からざるを常とするが故に卑も寄託物返還の時期を定めざりしときは何時にても其返還を為すことを得るものとしもって寄託者の権利と権衡を得せしめたり。

　之に反して当事者が返還時期を定めたるときは受寄者は原則としては其期限前に返還を為すことを得ざるものとしただ右に述べたる理由に基き已むことを得ざる事由あるときは其期限前と雖も返還を為すことを得るものとせり。例えば受寄者が大家に住めるをもって寄託を受けたりと雖も営業上の損失意外の不幸等により其住宅を売却するの已むことを得ざるに至りたるときは受寄者は寄託物を容るるの場所に苦しむことあるべし。此場合においてはたとい返還時期前と雖も受寄物の返還を為すことを得べし。

第６６４条　寄託物の返還は其保管を為すべき場所に於て之を為すことを要す但受寄者が正当の事由に因りて其物を転置したるときは其現在の場所に於て之を返還することを得（取２１７）

　本条は寄託物返還の場所を定めたるものなり。しかして其場所は物の保管を為すべき場所たることを要するものとせり。是れ他なし。寄託物は常に其場所に在るべきものなればなり。ただ受寄者が正当の事由によりて受寄物を転置したるときは現在の場所において之を返還することを得るものとせり。しからずんば受寄者の負担重きに過ぎあるいは実際保管を為すべき場所において返還を為すこと能はざることあるべきをもってなり。例えば寄託物は受寄者の倉庫に之を保管すべきときは其倉庫において返還を為すべきを本則とすると雖も若し受寄者が其倉庫の修繕を為す為め受寄物を他処に転置する必要あるときは其場所において返還を為すも可なり。但如何なる場所をもって保管を為すべき場所とすべきか又如何なる理由をもって物を転置するを正当の事由とすべきかは固より実際問題にして予め之を明定することを得ざるものとす。

第６６５条　第６４６条乃至第６４９条及び第６５０条第１項，第２項の規定は寄託に之を準用す（取２０６，２項，２１３，２１４，２１９，旧商６１０，６１４）

　本条は受任者又は委任者の義務に関する規定を寄託に準用したるものなり。即ち受寄者が受寄物の腐敗し易くして保存に耐えざるを見て之を売却したる場合においては其受取りたる代償を寄託者に引渡すべく若し未だ之を受取らざるときは其権利を寄託者に移転することを要す。又寄託物が果実を生じたるときは之を寄託者に引渡すべきものとす。又受寄者が右の代償を受取りて之を自己の為めに消費したるときは其消費したる日以後の法定利息を払うべくなお寄託者の為めに損害を生じたるときは其賠償を為すべきものとす。又報酬は既に論じたるが如く特約あるに非ざれば受寄者より寄託者に対し之を請求することを得ず。又之を受くべき場合においては寄託終了の後始めて之を請求することを得べし。但毎月若くは毎年若干園の報酬を受くべき約あるときは其毎期の終了後に之を請求することを得べし。又寄託が受寄者の責に帰すべき事由なくして期限前に終了したるときは受寄者は其期間の割合に応じ報酬の一部を請求することを得べし。又寄託物を保管する為め費用を要するときは寄託者は受寄者の請求により予め之を払渡すことを要す。又受寄者が予め其費用の払渡しを受けずして自ら之を立替え置きたるときは寄託者に対し其費用額及び支出の日以後における法定利息の償還を求むることを得べし。又受寄者が受寄物の必要なる修繕を為さしむる為め他人に対し修繕費の債務を負担したるときは寄託者をして其弁済を為さしめ又は相当の担保を供せしむることを得べし。

第６６６条　受寄者が契約に依り受寄物を消費することを得る場合に於ては消費貸借に関する規定を準用す但契約に返還の時期を定めざりしときは寄託者は何時にても返還を請求することを得（旧商６１５，６１７，６１９，６２０，６２２）

　本条は所謂消費寄託（Depot　de　consommation）即ち不規則寄託（Depot　irregulier）に関せり。慨し寄託の普通の性質としては受寄者は受寄物を消費すること能はず必ず現物の侭にて返還を為すべきものとす。しかれども特約あれば之を消費するも可なり。しかして是れ実際においては金銭米穀に付き多く其例を見る所なり。所謂預金如きは特約なきときは皆其消費を許すものなり。此場合における契約の性質に付ては学者間に議論あり。立法例もまた区々に渉れりと雖も余の信ずる所に拠れば契約の性質は依然寄託にして消費貸借に非ず。しかして其差異は当事者の意思によりて生ずるものなり。即ち消費寄託は其物又は其価額の保管を目的とし消費貸借は其使用を目的とせり。ただ法律の規定の適用に付ては二者同一なるべきこと多く従て本条において消費貸借に関する規定を準用すると雖もしかも寄託の性質を失わざる証拠として若し契約に返還の時期を定めざりしときは寄託者は何時にても返還を請求することを得るものとせり。慨し消費貸借は借主の利益の為めに之を為すものなりとを雖も寄託は寄託者の利益の為めに之を為したるものとみなせばなり（５９１，６６２，６６３対照）。但此点においても普通の寄託と異なる所は若し契約に返還の時期を定めたるときは寄託者は其到来前に返還を請求することを得ざること是なり（６６２参観）。

　　　　　第１２節　組合

　組合又は会社(Societas,societe,Gesellschaft)の意義に付いては従来種々の議論ありて未だ一定せざるものの如し。しかしてその重もなるものを言えば一は組合をもって利益配当を目的とするものに限れると一は共同の事業を目的とせるものを総称せるとの二あるべし。ローマの「ソシエタス」は明らかにこの第二の意義を有せしといえども近世の法律に在りては第一の意義を取れるもの頗る多し。旧民法は即ちこの意義を採用せりといえども(取１１５)利益の配当を目的として共同の事業を営むは他の目的をもってこれを営むと全くこれを区別し一は民法に特別の規定を置き一は単に一般の契約に関する規定に依らしむるは学理上その当を得ざるのみならず実際においても往々不便を感ずべき所なり。故に新民法においてはローマ法，ドイツ法等の主義に倣い共同の事業を営むを目的とするものを総称してこれを組合といえり。ただ本節の規定中利益の配当に関するものなきにあらずといえども(６７４)他は総て一切の場合に適用すべきものとす。

　ここに規定せるものは従来多くこれを会社といえり。故に初め政府案にはこれを会社と称せしも衆議院においてこれを組合と改めたり。余はほとんどその何の故たるを知ることを能わずといえども蓋し会社は商事会社の如く法人たるものを意味するの嫌ありというに過ぎざるが如し。しかりといえども従来の会社の悉く法人たりしに非ざることは人の皆知る所なり。又組合中には水利組合の如く法人を組成するものなきに非ず(多少議論あるも)。故に寧ろ組合なる文字が会社なる文字よりも立法者の嗜好に適したるによれりというべきか。

　組合又は会社なる文字は従来団体を意味せること多しといえども本節の標題においてはその団体を創設する契約の意味をもって組合なる文字を用いたり。但し条文中においては組合は団体を意味し契約は特に之を組合契約といえり。

　組合は往々にしてこれを法人とすることあり。しかしてその目的公益に在るときは民法第３４条に従うべく営利を目的とするときは同第３５条に従い商事会社に関する規定によるべし(この場合においては立法者は之を会社と称せんと欲するなるべし)。これ等の場合においては法人と第三者及び社員との関係は勿論社員間の関係に付いても民法中法人に関する規定又は商法中商事会社に関する規定を適用すべきものとす。但し商事会社に付いては本節の規定中これに準用するものすくなからず(新商５４)。本節は分て左の三段と為す。(第一)組合の定義(６６７)(第二)組合の効力(６６８ないし６７７)(第三)組合の終了(６７８ないし６８８)これなり。

　　　　　　１　組合の定義

第６６７条　組合契約は各当事者が出資を為して共同の事業を営むことを約するに因りて其効力を生ず

　出資は労務を以て其目的と為すことを得(取１１５，１１７，旧商７４，７７，新商４２，５４，７１)

　新民法においては組合の範囲を広くし総て共同の事業を目的とするものを網羅してこの中に包含せしめたることは既に論じたるが如し。故に組合契約の要素としては(第一)各当事者が共同の事業の成功を図ること(第二)出資を為すことこれなり。第一の要素の結果としてはただ契約の趣旨に従い直接又は間接に事業の成功をつとむると一切その成功を妨ぐべき行為を為さざるとをもって各組合員の義務とするのみ又第二の要素たる出資はあるいは第一の要素の結果なりということを得べきもしかもこれ各組合員をして常に積極の義務を負わしむるものなるが故に特にこれを論ずるの必要あり。しかして出資の目的は種々ありてあるいは不動産の所有権をもってしあるいは動産の所有権をもってしあるいは不動産の使用権をもってしあるいは金銭を出しあるいは版権，特許権，意匠権，商標権等の如き財産権を出たしあるいは労務を会社の用に供する等これなり。ただ信用は果たしてこれを出資の目的と為すことを得るや否やは従来頗る議論ある所なり。しかして新民法においては民法の一般の規定としては信用を出資と為すことを認むるの必要なきものとせり。しかりといえども新商法にはこれを出資と為すことを許せり(新商７１)。今単に信用を出資とするとは如何なる事をいうかを説明せんに世の信用を博せる者が組合員と為りその名を組合の名簿に列ね他の組合員と同様なる権利義務を有するといえどもただ普通の組合員は金銭その他の出資を納むるも右の組合員は単にその信用を出資と為し別に金銭その他の財産若しくは労務を組合に出すことなきをいう故にあるいは右の組合員は何等の出資をも為すことなく組合契約の一要素を欠けるものと為す者あり。甚だしきに至りてはこれをもって一の詐欺行為と為す者なきにあらずといえどもこれ未だ人の信用の如何なる価値を有するかを知らざるの愚論のみ。ただ商事会社等を除き単に本節の規定に従うべき組合に在りては信用を出資とすることを認むるの必要なしとし本条第二項をもって労務を出資とすることを組合の人員はすこしも制限なきをもって二人共同して農業，漁業等を営むも組合なり。数千人の会員を有する学会もまた組合なり。ただ人員の殊に多きものはこれを法人と為すこと最も多かるべし。

　組合契約の諾成契約，有償契約及び双務契約なることは古来かつて議論なき所なり。故に組合の全利益を挙げて一組合員に与うるの契約の如きはもとより組合契約にあらざるなり。

　　　　　　２　組合の効力

第６６８条　各組合員の出資其他の組合財産は総組合員の共有に属す(取１１５，旧商７４，９３，新商４４，１項)

　本条は組合財産の総社員の共有に属することを定めたり。蓋し法人会社に在りては会社財産は法人の有に属するといえども普通の組合に在りては組合財産の共有たるべきことはほとんど言うをまたざる所なり。ただこれによりて暗に各組合員の出資が組合解散の時当然之を出たしたる組合員の有に復帰すべきものとせざることを示せり。但し特約をもって各社員の有に復帰すべきことを定むるはもとより妨なき所なり。

　本条の規定の結果として各組合員の出資はこれに関する一部の権利を他の組合員に譲渡したるものなり。故にこれに関しては譲渡に関する一切の規定を適用すべきものとす。即ち不動産に付いては登記を為すべく，動産に付いては組合の業務執行者に引渡を為すべく，債権については債務者に通知を為し又はその承諾を受くべくしからずんばもって第三者に対抗することを得ざるものとす(１７７，１７８，４６７)。

　本条の場合においては共有に関する一般の規定を適用し難きが如し。蓋し本節に特別の規定あればなり。ただ各組合員の出資の額が分明ならざる場合において第２５０条を適用すべきが如しといえどもこれむしろ机上の論にして実際各組合員の出資の額を知らざるが如きことは蓋しこれあらざるべし。

第６６９条　金銭を以て出資の目的と為したる場合に於いて組合員が其出資を為すことを怠りたるときは其利息を払う外尚お損害の賠償を為すことを要す(取１２１，２項，旧商９５，新商５５)

　本条は金銭の出資を怠りたる者の責任を定めたるものなり。蓋し一般の規定によれば金銭債務の履行を怠る者は損害賠償として単に法定利息を払うべきものとせり(４１９)。これ普通の場合においては即ち可なりといえども組合に在りては組合事業のため特に金銭の必要ありてこれを出資と為したるものなるが故に単に法定利息を払わしむるのみにてはもって組合の損害を償うに足らざること多かるべし。殊に営利を目的とする組合に在りては単に法定の利息を得んがために組合を組織することは稀なるべきが故に本条においては例外として法定利息の外なお損害賠償を払うべきものとせり(４４２，２項，４５９，2項，６４７，６６５，６７１，７０４参観)。

第６７０条　組合の業務執行は組合員の過半数を以て之を決す

　組合契約を以て業務の執行を委任したる者数人あるときは其過半数を以て之を決す

　組合の常務は前２項の規定に拘わらず各組合員又は各業務執行者之を専行することを得但し其結了前に他の組合員又は業務執行者が意義を述べたるときは此限りに在らず(取１２４，１２５，１２８，旧商８６ないし８９，９１，１０８ないし１１１，新商５６ないし５８，６１，６２)

　本条以下第６７３条に至るまでは組合の業務の執行に関するものなり。しかして本条はまず何人が如何なる権限をもって組合の業務を執行するかを定めたり。

第１　組合契約をもって業務執行者を定めざるとき

　この場合においては組合員の過半数をもって業務の執行を決すべきものとせり。蓋しこれに付いてはあるいは組合員の一致を必要としあるいは各組合員専断をもって業務を執行することを得るものとするの説ありといえどもこれ皆極めて実際に不便なる所にして又当事者の当初の意思に副わざること多かるべし。何となれば瑣々たる小事にも組合員の一致を要するものとせば組合の事務は常に渋滞して頗る事業の成功を妨ぐべくしかりといえども各組合員専断をもって何事をも為し得るものとせば各自の行為ややもすれば相矛盾しこれを決行すること能わざる場合多かるべきのみならず一組合員往々にして全く他の組合員の意思に反する行為を為ししかもその行為を有効とせざることを得ざるに至るべきをもってなり。唯り過半数決は最も実際に適し且つ最も当事者の当初の意思に副うこと多きものというべし。但し過半数決をもって為し得るものは組合の業務執行これのみ。即ち組合契約に定めたる事業の実行に必要なる行為のみなり。もしそれ組合契約を変更しあるいはその契約中に包含せざる事項を決せんには必ず総組合員の一致を要することは敢えて論をまたざる所なり(右の外比較多数決をもって業務の執行を為すの法なきにあらずといえどもこれ頗る危険なる所にしてややもすれば当事者の当初の意思に反することあるべし。故にその採用し難きことは言うをまたずとしてこれを本文に論ぜざりしなり)。

　本条にいう所の過半数決はもとより頭数によるものなり。外国の法律中あるいは出資の額によりてこれを定むるものなきにあらず。殊に商法においてはその例を見るといえども普通の組合に在りては必ずしも出資額によらざるを常とするが故に本条においてはこの主義を取らざりしなり。但し当事者が特約をもって出資額により多数を算すべきものとするはもとより妨なき所なり。

　過半数決は既に便法なりといえどもしかも毎事総員の過半数決によるべきものとするときは往々にして煩に堪えざることあるべし。殊に組合員の数夥多なるときは到底実際に行われざることあるべし。故に組合員はその過半数決をもって組合員中より又は組合員外より１名又は数名の業務執行者を選任しあるいはこれに業務執行に関する一切の行為を委任しあるいはその行為の種類を限りてこれを委任することを得べし。これ即ち業務執行に関する行為なるが故に本条第１項により過半数をもって決すべきものとす。

第２　組合契約をもって業務執行者を定めたるとき

　この場合においては業務執行者の過半数決をもって業務を執行すべきものとせり。これについても業務執行者総員の一致を要するものとし又はその各自専断をもって決行することを得るものとするの主義なきにあらずといえども新民法においては前段と同一の理由により過半数決の主義を取れり。

　以上は業務執行者の数人ある場合を想像せりといえどもその一人なることもまた稀なりとせず。この場合においては組合の業務執行は常にその者の独断をもってこれを決すべきはもとより論をまたざる所なり。

　業務執行者は必ずしも組合員たることを要せず。ただその組合員たると否とにより第６７２条を適用すべきと否との別ありといえどもその権限等に至りてはすこしも異なる所なきなり。旧商法においては必ず社員をもってこれに充つべきものとせるが如しといえども新商法においてはこれを取らず。ただ会社の代表者は必ず社員をもってこれに充つべきものとせり(新商５６，６１，６２，１０９，１１４，１６４，１６９，１７０，２４０)。しかれども組合一般の規定としてはこれを制限するは頗る不便多きをもって新民法においては旧民法におけるが如く一切の制限を設けざりしなり(旧民法は反対の主義を取れるが如く見ゆれともその実しからず)。

　以上は一般の原則なり。しかりといえども事々物々この原則によりて行うべきものとせばその不便実に言うべからず。故に本条第３項をもって組合の常務は組合契約をもって業務執行者を定めたると否とを問わず必ずしも右の原則によることを要せざるものとし業務執行者を定めざりしときは各組合員これを専行し業務執行者を定めたるときは各業務執行者これを専行することを得るものとせり。しかりといえどもこれややもすれば壇断に流るるの弊なきにあらず。故に本条第３項但書をもってその行為の結了前に他の組合員(第一の場合)又は他の業務執行者(第二の場合)が異議を述べたるときはこれを専行することを得ざるものとせり。故にこの場合においては原則に従い過半数の意見によりて処分すべきものとす。

　組合の常務とは果たして如何なる事務をいうか。これもとより事実問題なり。蓋し組合の事業を営むに付き日々行うべき小事をいえるなり。例えば漁業の組合に在りては日々漁船を出し又は漁獲したる魚を売却する等これなり。また学会に在りては定期に雑誌を発行しもしくは研究会を開くべき場合においてはその雑誌の発行，その研究会の開会等はいやしくも初めに定めたる規約に従いてこれを為す以上はこれを組合の常務とすべきは勿論なるべし。

第６７１条　組合の業務を執行する組合員には第６４４条ないし第６５０条の規定を準用す(取１３０ないし１３５，旧商９２，１０１ないし１０３，新商５４)

　本条は業務施行者に委任に関する規定を準用したるものなり。蓋し業務執行者の純然たる受任者なるや否やはいささか学者間に議論ある所なり。蓋し組合員以外の者をもって業務執行者と為したるときはその受任者たることは蓋し何人もこれを疑わずといえどももし組合員をもってこれに充つるときは往々にしてこれを受任者ならずとする者あり。現にドイツ民法の如きはこの理由によりて特に委任に関する規定を組合の業務執行者に準用すべきことを名言せり。今その理由とする所を尋ぬるに二あり。一は組合員が組合の業務を執行する場合おいては自己の事務と他人の事務とを兼ね行うものというべし。故に当然これに委任に関する規定を適用すること能わずというに在り。その一は組合成立の後特に組合中一人又は数人をもって業務担当者と為すときはその受任者たることもとよりなりといえどももし組合契約をもってこれを定めたるときは別に当事者間に委任契約の存することなく単に組合契約の結果としてその組合員は業務を執行する者なるが故に当然これに委任の規定を適用すべきものと為すことを得ずというに在り。第一の理由はもとより薄弱にして取るに足らず。何となれば組合の業務は自己の事務と他人の事務とを合わせたるものに相違なしといえどもその自己のためにする部分は委任によるにあらずして他の部分は委任によれるものと為せば可なり。たとえば甲の株主が乙の株主の代理を兼ねて株主総会に臨める場合おいては甲は自己の名義をもって一票を投じ又乙の代理の名義をもって更に一票投ずることを得べし。この場合においては一票は自己のためなりといえども他の一票は他人のためなり。故にこの投票に付いては委任の成立することもとよりなり。組合の業務執行者がその業務を執行するにあたりてもまたこれに異なることなし。唯一は二票を投ずるをもってこれを区別することを得るといえども一は同一の行為が同時に自己及び他人のために効力を生ずるをもってこれを区別し難きの差あるのみ。理論においてはすこしも異なる所なきなり。

　第二の理由に至りては多少味うべきものあり。余の信ずる所に拠れば理論上は組合契約をもって業務執行者を定めたるときは純然たる組合契約と委任契約との包合したるものなりというべきが如きも一旦委任契約と組合契約とを区別し各別にこれを規定する以上は組合契約の規定によりある組合員が組合の業務を執行する権利義務を有するは委任契約の結果にあらずしてまた組合契約の結果なりということ敢えて当たらずと為さずこれを要するに組合契約中に委任契約を包含せるや否やは一の疑問に属す。故に本条の明文を置くは最も実際に必要なる所なり。しかして「適用」といわずして「準用」といいたるは必ずしも組合契約中に委任契約を包含せるものと視ざりしなり。

第６７２条　組合契約を以て一人又は数人の組合員に業務の執行を委任したるときは其組合員は正当の事由あるに非ざれば辞任を為すことを得ず又解任せらるることなし

　正当の事由に因りて解任を為すには他の組合員の一致あることを要す(取１２６，１２７)

　組合の成立後選任したる業務執行者はその組合員たると否とを問わず委任の一般の規定に従い随意にこれを解任し又は辞任を為すことを得べしといえども(６５１)組合契約をもって業務執行者を定めたるときは必ずしもしかりと為すことを得ず。まず組合外の人をもって業務執行者と為したる場合に付いて論ぜんにその者が辞任を為すことを得るはもとよりなり。蓋しその者と組合との関係は組合契約によりて当然生ずるにあらず。更に組合契約の趣旨に基づきその者と組合との間に一の委任契約成立すべきのみ。故にその者と組合との関係は一にその委任契約によりて定まるものにして従ってその者が任意に辞任を為すことを得るを本則とするは第６５１条の規定によりて明らかなり。ただ組合よりこれを解任するに付いては業務執行者に対してはもとより何時にても解任を為すことを得るといえども組合員間においてはこれ契約の一条項を変更するものなるが故に組合全体の同意あるにあらざればこれを決行すること能わず。但し同じく組合契約をもって過半数決その他の方法により業務執行者を解任することを得るものと定めたるときはもとよりその規定に従うべきこと言うをまたざる所なり。

　唯り組合契約をもって組合員の一人又は数人を業務執行者と定めたる場合においてはこれ常に組合契約の一条項なるが故に理論に拠れば業務執行者及び他の組合員皆同意を為すにあらざればその業務執行者を罷むること能わず。しかりといえどもその業務執行者は如何なる事由あるも他の組合員全体の承諾を得るにあらざれば辞任を為すことを得ずとせばその者の自由を束縛すること甚だしくして文明国の近世の法律の主義に反するに至るべし。殊に組合の業務執行の如きは任意にこれを為すにあらざれば到底組合の事業をして満足なる結果を得せしむること能わず。又正当の事由によりて他の組合員全体が業務執行者を罷めんと欲するにあたりもしその者にして頑として業務の執行を継続せんと欲するときはこれを如何ともすること能わずとせば他の組合員の利益を害すること甚だしくしてついに組合の目的をして貫徹すること能わざらしむるに至らん。故に本条においては正当の事由あるときは(第一)業務執行者は他の組合員の意思如何に拘わらず辞任を為すことを得るものとし(第二)他の組合員全体が一致して業務執行者の解任を欲するときはその者はこれに抵抗すること能わざるものとせり。もしそれ正当の事由とはもとより事実問題にして法官の認定に任するの外なしといえども例えば業務執行者の意見と他の組合員の意見と甚だしく衝突せる場合又は業務執行者が疾病，公務等のためその業を執ること能わざるに至りたるとき又はその者が不正の所為を行いたるときの如きは必ず正当の事由あるものといわざることを得ざるべし。

　本条の規定も敢えて公益規定にあらざるをもって組合契約をもってこれに異なりたる規定を設くるはもとより妨なき所なり。

第６７３条　各組合員は組合の業務を執行する権利を有せざるときと雖も其業務及び組合財産の状況を検査することを得(旧商９０，２２２，２７３，新商５４，１１１，１９１，２項，３０４)

　本条は業務の執行に与らざる組合員を保護するために設けたるものなり。蓋し特に業務執行者を定めたるときは他の組合員はみだりに組合の業務に干与すること能わずといえどもしかも組合の事業は即ち各組合員全体の事業なるが故にその事業の成功すると否とはもとより各自の利害の関する所なり。故に常に業務の執行を監督するの権利なくんばあるべからず。しかして業務の執行を監督するにはよくその業務及び組合財産の状況を検査することを得ずんばあるべからず。これ本条の規定ある所以なり。

第６７４条　当事者が損益分配の割合を定めざりしときは其割合は各組合員の出資の価額に応じて之を定む

　利益又は損失に付いてのみ分配の割合を定めたるときは其割合は利益及び損失に共通なるものと推定す(取１３６，１３７，１４１，旧商１０５，２２１，２６９，新商５４，１９７)

　本条は各組合員の損益分配の割合を定めたるものなり。蓋し当事者が明らかにその割合を定めたるときはこれに従うべきこともとよりなりといえども当事者は往々にしてこれを定めざることあり。又あるいは利益もしくは損失の一のみの割合を定め他の割合を定めざることあるべし。本条においては(第一)当事者が何等の割合をも定めざりしときはその割合は各組合員の出資の価額に応ずべきものとし(第二)利益又は損失の一のみに付いて割合を定めたるときはその割合は利益と損失とに通ずるものと推定せり。故に当事者において結約当時の意思之に異なれりと主張するときは必ず反証を挙げざることを得ず。

　損益分配の割合に付いては各国皆本条の主義を採用せるにあらず。ローマ法及びドイツ法においては頭数割を原則とせり。これ組合契約をもって人に著眼せるものとする趣意より推すときは頗る穏当なるが如しといえども(第一)出資の高により組合のために利益を与うるの程度に多少あることは争うべからざる事実なるが故に全くこれを度外に措くは甚だその当を得ず(第二)人の著眼は世に開明に趣くに従って漸次にこれに重きを措くの程度をを減し大いに出資額に重きを措くに至れり。故に今日に至りてはむしろ原則として出資額をもって損益分配の割合の標準と為すを穏当とす。これ仏法の主義にして我が新旧民法の共に採用する所なり。なお商法においてもまたこの主義を取れり(新商５４，１９７)

第６７５条　組合の債権者は其債権発生の当時組合員の損失分担の割合を知らざりしときは各組合員に対し均一部分に付き其権利を行うことを得(取１４３，２項，旧商１１２，新商６３)

　組合はもともと契約関係を生ずるに止まるが故に組合員の外に組合の債権者に対して義務を負う者なし。しかしてその組合員間に連帯なきが故に原則としては組合契約によりて定まりたる割合に応じて組合の債権者に対し義務を負担すべきものとす。しかりといえども組合契約はもともと組合員間の行為にして第三者はこれを知るの義務なきものなり。殊に業務執行者がこれに告ぐるに実をもってせざるときはその債権者は往々にして欺かるることあるべし。しかも必ずしもこれをもって他の組合員に対抗することを得ざるべし(７１５参観)。故に組合の債権者がその債権を取得するの当時各組合員の損失分担の割合を知らざりしときは組合員は各自均一部分に付き損失を分担すべきものとみなしこれに対してその権利を行うことを得べきものとせり。

第６７６条　組合員が組合財産に付き其持分を処分したるときは其処分は之を以て組合及び組合と取引を為したる第三者に対抗することを得ず

　組合員は清算前に組合財産の分割を求むることを得ず(取１４２，１４８，２項，３項，１５３，旧商９９，１３２，１３３，２１６，２４９，新商５９，８５，９５，２３４)

　組合財産は組合員全体の共有に属することは既に第６６８条に規定する所なり。しかるに共有の一般の規定によれば各共有者は何時にてもその持分を処分することを得べし。しかりといえども組合に在りてはその共有財産はあたかも組合の事業のために使用すべきものなるが故にもし半途にしてこれを他人に譲渡すときはまた組合を継続すること能わざるに至るべし。故に組合員が組合財産に付きその持分を処分するは明らかに組合契約の目的に反するものなり。故に本条においては必ずしも絶対にその処分を禁ずるにあらずといえどももしこれを処分するときはその処分はこれをもって組合及び組合と取引を為したる第三者に対抗することを得ざるものとせり。故に組合の存続中はその財産をもって依然組合の用に供すべく又組合の債権者はその債権者はその財産に付き自己の権利を行うことを得べし。

　共有財産は又何時にてもその分割を求むることを得るを原則とす(２５６)。しかりといえども組合はあたかも共通の出資によりて一の事業を営まんがために締結したるものなるが故にもし組合財産を分割するときは全く組合の目的に反する結果を生ずべし。故に本条第２項をもって共有の一般の規定に反し組合員は組合の清算前に組合財産の分割を求むることを得ざるものとせり。

　各組合員の債権者はその各組合員の権利を行うことを得るといえども(４２３)しかもその組合員の有せざる権利を行うことを得ざるはもとよりなり。故に組合員に代わり組合に対し利益の分配を求むることはこれを為し得べく又組合清算の後は組合財産の分割をも求むることを得べし。しかりといえども組合の清算に至らざる前組合財産に付きその組合員の持分を差押えこれを公責に付してもって自己の弁済を受くること能わず。いわんや組合財産の分割を求むることをや。但し組合員の権利はもとより一の財産権なるが故にその債権者がこれをもってその弁済に充つることを得ざるの理なし。故にこの権利その物を公売に付して相当の代価を得。これによりて弁済を受くることを得るは蓋し疑を容ぜざる所なり。ただその権利は一は組合員に代わりて利益の配当を受くるの権利一は組合清算の時にあたり組合財産の一部を受くるの権利に外ならざるべし。なお破産の場合においては組合員は当然脱退すべきが故にその結果持分の払戻しに遭うべくしかして破産管財人は払戻しを受けたるものを破産財団中に算入すべきはもとより論をまたざる所なり(６７９，２号，６８１)。

第６７７条　組合の債務者はその債務と組合員に対する債権とを相殺することを得ず(旧商１１８)

　組合が法人を成さざる結果として組合の債権は即ち各組合員の債権にして組合の債務は即ち各組合員の債務なり(その一部に付き)故にその債権者が一組合員に対し債務を負うときはこれによりて相殺を対抗することを得べくその債務者が一組合員に対して債権を有するときはこれによりて相殺の対抗を受くべきが如ししかりといえどもこれ頗る組合のために不利益なる所なり。何となれば組合の事業のために用うべき財産をもって一組合員のために用うるの結果に至ればなり。これにおいてが本条は組合の債務者よりその債務と組合員に対する債権とを相殺せんと主張することを得ざるものとせり。

　本条においては組合員がその債権者たる組合の債務者に対し組合の債権を援用して相殺を主張することを得ざることをいわず。法律は果たしてこれを許せるものか。曰く否そのこれを許さざることは前条の規定によりて明らかなるをもって特にここに名言せざるのみ。それ組合の債権は一の組合財産なり。故にこれによりて相殺を対抗するは即ち組合財産を処分するものなり。これ前条の許さざる所なり。

　　　　　　３　組合の終了

　組合契約終了の原因に二あり。一は組合員の脱退にして一は組合の解散なり。甲はある組合員のために組合契約の終了するものにして乙は各組合員のために終了するものなり。ローマ法以来外国においては多く第一種の終了を認めずといえどもこれ頗る実際に不便なる所にして且つ我国の慣習においてもこれを認むるもの多きが如し。商法においては既に商事会社に付き欧州の一般の例を破り退社を認めたるが故に組合においてもまたこれを認むるは敢えて新民法の新発明なりということを得ざるが如し。余の信ずる所に拠れば法律の進歩は些細の事由のために組合を解散することを為さず。ある組合員が依然組合員たることを得ざる場合においてはむしろその者を脱退せしめ他の組合員のみをもって原組合を継続することを得るものとするに在るが如し。欧州においても特約をもってある組合員の脱退を認むるの例すくなからず。もって今日の社会の需要は脱退を認むるに在るを知るべし。もししからば特約なきも法律の原則としてこれを認めて可なり。これ新民法において一般に脱退を認めたる所以なり。

第６７８条　組合契約をもって組合の存続期間を定めざりしとき又は或組合員の終身間組合の存続すべきことを定めたるときは各組合員は何時にても脱退を為すことを得但已むことを得ざる事由ある場合を除く外組合の為め不利なる時期に於て之を為すことを得ず

　組合の存続期間を定めたるときと雖も各組合員は已むことを得ざる事由あるときは脱退を為すことを得(取１４５，２号，３号，旧商１２０，１２７，２７１，新商６８，３０１)

　本条以下第６８１条に至るまでは組合員の脱退に関するものなり。しかして本条においては組合員が任意に脱退を為すことを得る場合を定めたり。蓋し組合契約をもって組合の存続期間を定めたるときはその期間内はみだりに脱退を為すことを得ざるを本則とせざるべからず。ただある組合員の終身間組合の存続すべきことを定めたるときはこれその組合員のためには終身その自由の束縛を受くるものにしてまた多くは長歳月の間存続すべきのみならず。その組合は幾年間存続すべきかを予知すること能わざるをもってこの場合においてはあたかも組合の存続期間を定めざりしと同一にみなせり。即ちこの場合と組合の存続期間を定めざりし場合とにおいては各組合員は何時にても脱退を為すことを得るものとせり。蓋し組合の存続期間を定めざりしときは契約の性質上永久に組合の存続すべきことを欲したるものの如しといえどもこれ組合員を束縛すること甚だしきをもって欧州においては大抵組合の解散を請求することを得るものとせり。しかれども新民法においてはつとめて解散を避けて組合員の脱退に止むるの主義を取りたるが故に本条の規定により組合員の脱退権を認めたり。但し第６８３条に解散の請求を為すの権をも認めたりといえどもこれただ已むことを得ざる事由ある場合に限れり。

　組合員が脱退を請求するの権利は必要上これを認めたるに相違なしといえども脱退はもともと組合員の便宜に出たるものなり。故にこれによりて組合に大いなる損害を加うるが如きは敢えてこれを許すべからず。即ち組合のために不利なる時期においてはこれを為すことを得ざるを本則とせり。例えば決算期を定めたる組合に在りては決算期外において組合員が脱退を為すは大抵組合のために不利益なるものなり。故に原則としては決算期の終りにおいて脱退を為すべきものとす。又例えば組合の事業に慣れたる組合員が一人にて組合の業務を担当せし場合において突然脱退を為すときは直ちにこれに代わるべき人を発見すること能わざるがため組合の事業に大いなる不利益を醸すことあり。この如き場合においてはこれに代わるべき人を発見するまではしばらくその脱退を猶予せざるべからざるが如きこれなり。但し已むことを得ざる事由あるときは直ちに脱退を為すことを得べし。例えば脱退員と他の組合員と意見相衝突し脱退員は某の行為を為すをもって組合のため極めて危険なりとし他の組合員はこれを断行せんと欲する場合においては脱退員はすみやかに脱退を為すにあらざればその行為ややもすればわずらいを自己の財産に及ぼすのおそれありとして直ちに脱退を為さんと欲することあるべし。この場合においては時期の如何に拘わらず直ちに脱退を為すことを得べし。

　右は組合契約をもって組合の存続期間を定めざるとき又はこれに準ずべき場合において組合員が一般に脱退を為すことを得べき旨を定めたるものなり。しかれどもこれ未だ尽せりと為すべからず。蓋し組合の存続期間を定めたるときといえどもまた脱退を為すの已むことを得ざる事由なきにあらず。例えば某組合員と他の組合員と意見常に相衝突して到底円滑に組合の事業を継続すること能わざることあり。この場合においてはその組合員は組合契約をもって組合の存続期間を定めたるに拘わらず脱退を為すことを得ずんばあるべからず。又例えば某組合員がその労務を出資とせる場合において疾病，傷痍等のためその労務を組合の用に供すること能わざるに至りたるときは半途にして組合を脱退することを得ずんばあるべからず。これ本条第２項の規定ある所以なり。

第６７９条　前条に掲げたる場合の外組合員は左の事由に因りて脱退す

　　一　死亡

　　二　破産

　　三　禁治産

　　四　除名(取１４４，５号，１４７，旧商１２１，新商６９)

　本条は組合員が当然脱退すべき普通原因を掲げたるものなり。

第１　死亡

　組合はもともと信用をもって成るものなるが故に組合員の一人が死亡したる場合においいて他の法律関係におけるが如く相続人当然死亡者の権利義務を承継するものとすること能わず。故に外国においては大抵これをもって組合解散の原因とせり(旧民法またしかり)。しかれども既に論じたる理由により本条においては単にその死亡者を脱退せしめ残存者のみにて組合を継続すべきを原則とせり。なお死亡による脱退は敢えて公益に関せざるものなるが故にもし組合員が死亡者の相続人をもって組合員と為すべきことを特約したる場合においては死亡者の相続人当然組合員と為りもって先人の権利義務を承継することを得べし。

第２　破産

　破産者は財産上においてはほとんど死亡したるに均しきことは既に屡々論じたる所なり。故にこれをもって脱退の原因を為すは一旦脱退を認めたる以上は実に当然にしてほとんど言うをまたざる所なり(旧民法においてはこれまた解散の原因とせり)。

第３　禁治産

　禁治産者はほとんど行為能力の全部を失いたる者なるが故に信用に基づける組合契約の如きは社員の禁治産によりて当然その効力を失うべきものとするは極めて至当なる所なり.ただこれをもって組合解散の原因とせずしてその組合員の脱退に止めたるは死亡に付いて論じたる所に同じ。但しこの場合においても組合員の特約をもって後見人が禁治産者に代わりて組合員の権利義務を行うべきものとし敢えてその者の脱退を来さざるものとすることを得べし(同上)

第４　除名

　除名は除名せらるる者に取りては財産上の利益を害せらるるのみならずややもすればその名誉に汚辱を被るものなるが故に輙くこれを許すべからざるは敢えて論なき所なり。しかしてその条件は次条においてこれを定めたり。

第６８０条　組合員の除名は正当の事由ある場合に限り他の組合員の一致を以て之を為すことを得但除名したる組合員に其旨を通知するに非ざれば之を以て其組合員に対抗することを得ず(旧商９４，９５，１０４，１０６，１２７，２項，新商７０，８３)

　本条は組合員の除名に必要なる条件を定めたるものなり。除名は除名者のために財産上及び名誉上において重大なる損害を生ずるのおそれあることは既に論じたるが如し。故にその条件は特にこれを丁重にせり。

第１　正当の事由あることを要す。例えば一名の組合員が特に剛愎にして他の組合員と和熟せざる場合は一名の組合員が疾病のためその出資たる労務を組合の用に供すること能わざる場合の如き即ちこれなり。

第２　他の組合員の一致あることを要す。蓋し組合関係は契約によりて成りたるが故にこの関係を終了せしむるにはまた当事者全体の一致あることを要すべきの理なり。しかれども組合員中除名せらるべき原因を有する者は自ら組合を脱退することを肯せざること多かるべし。故に本条においては他の組合員の一致ある以上はこれを除名することを得るものとせり。しかして除名すべき組合員が同時に数名ある場合おいては他の組合員のみにてその数人を除名することを得べし。但し除名すべき組合員甚だ多きときは実際組合を解散するの已むを得ざること多かるべし(６８２，６８３)。

　以上の二条件具備するときは除名は法律上正に成立すべし。しかしてもし正当の事由の有無に付き争いあるときはこれを裁判所に訴え出てその曲直を判ぜしむべきのみ。しかして真に正常の事由ありたりと確定せば他の組合員一同がその意思を表示したる時において除名成立すべし。ただこれをもって除名者に対抗せんと欲するときは必ずこれを除名したる旨を通知することを要す。これもとより当然の事というべし。蓋し除名は除名者のためには重大なる利害ある所なればなり。これを要するに実際除名をして充分の効力を生ぜしめんと欲すれば勢いその旨を除名者に通知せざることを得ざるものとす。

第６８１条　脱退したる組合員と他の組合員との間の計算は脱退の当時に於ける組合財産の状況に従い之を為すことを要す

　脱退したる組合員の持分は其出資の種類如何を問わず金銭を以て之を払戻すことを得

　脱退の当時に於て未だ結了せざる事項に付ては其結了後に計算を為すことを得(取１４７，１項，旧商１２３，１２４，新商５４，７１)

　本条は脱退の効力を定めたるものなり。蓋し脱退は従来組合員たりし者をもって将来組合員たる資格を失わしむるものなり。故に脱退の原因発生後は脱退員は組合員たる権利義務を有せざることもとよりなり。しかれども従来組合員たりしをもって脱退前における組合員の権利義務は敢えて消滅することなし。故に理論上よりこれを言えば脱退の当時において清算を為し脱退者は利益あればその利益を受け損失あればその損失を償うべくなお組合財産はその権利の限度においてその分配を受くべきがごとし。しかりといえどもこの如くんば法律が脱退を許したる趣意はほとんど貫徹すること能わず。一旦前組合を解散して更に新たなる組合を組織するとほとんど異なることなし。故に本条においては単に帳簿上の計算を為すに止めしかして組合財産を金銭に見積り脱退者の持分に相当する金額をこれに払戻すをもって足れるものとせり。しかして脱退の当時未だ結了せざる事項あるときはこれに付いてはその結了後に至り始めて計算を為すことを許せり。例えば脱退の当時において組合が著手したる事業ありてその事業の成績未だ明らかならざる場合においてはしばらくその計算を延期しその成績の明らかなるに至るをまてしかる後計算を為すことを得るものとせり。故にこの場合においてはまずかりにその事業を度外に措き脱退者の持分を計算し後日利益あるときはその一部を脱退者に配当しもし損失あるときはその一部を脱退者の負担に帰せしむることを得べし。

　労務をもって出資とせる脱退員は果たして組合財産の分配に与ることを得べきが曰くしかり組合財産はもともと組合員の共有財産にして(６６８)殊に各組合員の出資の協合によりてこれを保存し又は増殖せるものなり。故に特約なき以上は労務を出資とせる組合員もまた組合財産の分配に与るべきはほとんど論をまたざる所なり。ただ通常の出資は組合成立の当時において全くこれを差入るるといえども労務は大抵組合の存続間漸次これを組合の用に供するものなり。故にその労務を供したる年数の割合に応じその出資額に多少あるべし。これ実際評定し易からざる所なりといえどももし当時者においてこれを評定せざりしときは百般の事情を斟酌してこれを評定せざることを得ず。しかして当事者がこれを評定したる場合においてもその評価は通常組合の存続すべき全期に付いてこれを為すべきが故にその組合員が半途にして脱退するときはその脱退まだの歳月の割合に応じてその価額を定むべきものとす。これ解散の場合においては第６８８条第２項に規定あるが故にほとんど言うをまたざる所なりといえども脱退の場合においてもまた同様ならざることを得ず。しかして第６８８条第２項の規定により暗に脱退の場合における脱退員の権利をも推知することを得べし。旧商法には反対の規定ありしといえどもその不当なることは既に論したるところによりて明らかなり。故に新商法には反対の明文を置けり。なお新商法においては信用を出資としたる者にも同一の規定を適用せり(旧商１２４，２項，新商７１)。

第６８２条　組合は其目的たる事業の成功又は其成功の不能に因りて解散す(取１４４，２号，旧商１２６，２号，１２７，１項，２３０，１号，４号，２７１，新商７４，２号，２２１，１号，３０２，１号)

　本条以下第６８８条に至るまでは組合の解散に関する規定なり。しかして本条及び次条はその原因を定めたるものにして本条は当然の解散の場合に関し次条は請求による解散の場合に関せり。蓋し組合解散の原因は本条及び次条に掲ぐるものの外ほとんど枚挙に遑あらずといえども概ね皆当然言うをまたざる所なるをもって敢えてここに規定せず。例えば組合契約をもって定めたる存続期間の満了，解除条件の成就，組合員全体の一致等これなり。本条に定めたる組合の目的たる事業の成功及びその成功の不能もあるいは明文を要せざるべしといえども多少疑なきにあらざるをもって特にこれを定めたるなり。例えば某地に一の鉄道を架せんがため某鉄道期成同盟会なる組合を設けたりとせんにもしこの組合の尽力によりついにその地に鉄道を架設するに至りたるときはその組合は既にその目的を達したるが故に仮に存続期間を定めたりとするもその存続期間の終了をまたず組合は解散すべきのみ。いわんや予め存続期間を定めざる場合においてをや又例えば一回日本の商品を外国に輸出し更にその国の産物を積み還りてこれを日本国内に販売するため組合を設けたるときはその航海を了わり外国より積み還りたる商品を売り尽くしたるによりて組合の目的を達したるものなるが故にその組合は当然解散すべきが如し。又西鶴全集数千部を出版するため組合を締結したる場合において内務大臣よりその出版を禁ぜられたるときは組合の目的たる事業の成功の不能によりその組合は当然解散すべし。又例えば組合が損失のため痛くその財産を耗失しその残額のみにては到底その事業の成功を望むこと能わざる場合においては組合はまたこれによりて当然解散すべきが如き即ちこれなり。

第６８３条　已むことを得ざる事由あるときは各組合員は組合の解散を請求することを得(取１４５，２号，３号，旧商１２７，１項，新商８３，３０１，２項)

　本条は請求による解散の場合を規定せるものなり。蓋し新民法においては第６７８条をもって組合員の任意脱退を許し又第６８０条をもって組合員の除名を許せるが故にほとんど一人の請求による組合の解散を許すの必要なきが如しといえどもしかも脱退と解散とはその効力を同じうせざるをもって場合によりては解散をも許さざることを得ざるなり。例えば組合員中不正の行為ある者多くしてたとい他の組合員が脱退するも容易に公平なる計算を得るの望なき場合においては全く組合を解散し公平なる清算を為すを必要とすることあり。またたとい組合員に不正の行為なきも組合の帳簿整頓せざるがため全くこれを解散して清算を為すにあらざれば組合の財産上の状況を明らかにすること能わざることあり。これらの場合においては組合員は単に脱退を為さずして組合の解散を請求することを得べし。しかしていわゆる「已むことを得ざる事由」は第６７８条におけると異なることなしといえどもただ脱退のやむことを得ざる場合において必ずしも解散のやむことを得ざるの事由ありと為すべからざるはもとよりなり。

第６８４条　第６２０条の規定は組合契約に之を準用す(取１４４，１号，１４５，３号)

　本条以下第６８８条に至るまでは解散の結果を定めたるものなり。しかして本条においてはまず解散は将来に向かってのみその効力を生ずべきことを定めたり。蓋し組合の解散は即ち契約の解除なり。故に一般の原則に拠ればその効力は当事者間においては既往に遡らざることを得ず(５４５)。しかりといえども組合の如き錯雑なる関係を生ぜしむるものに在りてはもしその解散の効力をして契約の初に遡らしむるときはただに錯雑なる計算を要するのみならずややもすれば不公平なる結果を生ずるのおそれあり。故に本条をもって賃貸借，雇用，委任等におけるが如く組合の解散は単に将来に向かってのみその効力を生ずべきことを定めたり。即ち組合の事業のため各組合員の出資として差出したる動産，不動産その他の財産が組合の事業の結果として減少したるときはその組合に差出したる物の全部の価額を返還することを要せず。又各組合員が利益として配当を受けたる金額は敢えてこれを返選することを要せず。いわんやこれに利息を付するの要あらんや。殊に次条以下の規定により清算を為すべきが故にその清算の結果各組合員は必ずしも自己が組合に差出したる財産を原物のままにて取返すことを得ざるべし。

第６８５条　組合が解散したるときは清算は総組合員共同にて又は其選任したる者に於て之を為す

　清算人の選任は総組合員の過半数を以て之を決す(取１５０，旧商１２９，２３２，２項，２３３，新商８５ないし８９，２２６，２３４，２４８)

　前条において述べたるが如く組合解散の場合においては清算(Liduidation)を為すべきものとす。清算とは組合の事業の結末を処理し組合の債権はすみやかにこれを履行せしめ，組合の債務はすみやかにこれを弁済ししかして残余の財産はこれを各組合員に分配するをいう(７８，６８８)。蓋し組合契約をもって予め清算を為さずして組合の局を結ぶべきことを定めたるときはもとよりその契約に従うべしといえどもいやしくもこの特約なき以上は必ず清算を為すべきものとす。しかしてその清算を為すに付いてももし組合契約をもってあるいは精算人を定めあるいは清算の方法を規定したるときはまたこれに従うべきこともとよりなりといえどももし組合契約をもってこれを定めざるときは総組合員共同にて清算を為すか又はその過半数をもって選任したる者においてこれを為すべきものとす。

第６８６条　精算人数人あるときは第６７０条の規定を準用す(旧商１３０，１３１，２４０，新商９３，２３４)

　総組合員が共同にて清算を為す場合においては精算人は必ず二人以上あるべく又特に精算人を定むるの場合といえどもその二人以上あることは敢えて稀なりとせず。この場合においては精算人は果たして一致するにあらざれば清算事務を執ること能わざるがはた過半数をもってこれを決すべきがこれ本条の規定する所にしてしかも組合の業務執行者が数人ある場合とすこしもこれを異にする理由なきをもって第６７０条の規定を準用し原則としては過半数をもってこれを決すべきものとしただ清算の常務は各清算人これを専行することを得るもその結了前に他の精算人が異議を述べたるときは過半数の同意あるにあらざればこれを決行すること能わざるものとせり。

　清算の常務とは果たして如何。いわく清算のために日常必要なる事務即ちこれなり。例えば組合の債権の履行を督促し又は争いなき債務の弁済を為すが如き即ちこれなり。

第６８７条　組合契約を以て組合員中より清算人を選任したるときは第６７２条の規定を準用す(旧商１３１，２４０，新商９６，２２８，２４９)

　前に論じたるが如く往々組合契約をもって予め精算人を選定することあり。この場合においては組合契約をもって業務執行者を選定したる場合と異なることなし。即ち組合員以外においてこれを選定したるときは委任の一般の規定により何時にてもこれを解任することを得。精算人もまた何時にても辞任を為すことを得るといえども組合員間においてはこれが解任を為すには組合員全体の一致あることを要す。これ他なし。契約の一条項を改むるものなればなり。これに反して組合員中よりその精算人を選定したるときは正当の事由あるにあらざればこれを改任することを得ず。精算人もまた辞任を為すことを得ず。しかして正当の事由あるときはこれを解任するに他の組合員の一致をもって足れりとせり。その理由に至りては組合契約をもって業務執行者を定めたる場合に同じきが故に再びここに贅せず。

第６８８条　精算人の職務及び権限に付いては第７８条の規定を準用す

　残余財産は各組合員の出資の価額に応じて之を分割す(取１４９，１５１ないし１５４，旧商１３０ないし１３３，２４０ないし２４２，２４９，新商５４，９１，９４，９５，２２７，２２９，２３４)

　本条は精算人の職務及び権限を定め併せて残余財産分割の割合を定めたるものなり。しかして精算人の職務及び権限に付いては法人の清算人に関する規定を準用せり。蓋し組合は法人を組成せざるが故にその性質大いに同じからざるものありといえどもしかも清算の目的に至りてはすこしも異なることなし。従って清算人の職務及び権限に付き差異を設くる理由なきなり。即ち清算人の職務は(一)現務を結了し(二)債権を取り立てかつ債務を弁済し(三)残余の財産を分配するに在り。しかしてその権限は右の職務を行うために必要なる一切の行為を為すことを得るに在り。ただ残余財産の処置に付いては大いに法人の場合と同じからざるものあり。蓋し法人の財産は社団に在りても敢えて社員の財産にあらず。いわんや財団に在りては法人の他にその財産の主体あるべからず。これに反して組合に在りては組合財産は即ち組合員の共有財産なるが故に清算の結果残余財産はこれを各組合員に分割すべきものとす。しかしてその分割の割合は各組合員は出資の価額に応ずるを本則とす。しかしてその公平なることは既に第６８１条に付いて論じたるが如し。ただ残余財産の分割の割合は勿論清算人の職務権限に付いても組合契約又は組合員の一致をもって本条の規定に異なりたるものを定むることを得べきはほとんど言うをまたざる所なり。

　　　　　第１３節　終身定期金

　終身定期金契約(Contrat de rente viagere , Leibrentenvertrag)は我国においてはなおその例に乏しきといえども欧米においては頗る頻繁なる所にして我国においても漸次その需要を生ずべきこと疑なし。蓋し従来我国においては家名を重するの余財産を有する者はこれを子孫に伝えんことを欲し実子なき者も養子を迎えてこれにその財産を譲らんと欲するを常とするが故に自己の財産の全部又はその大部分を他人に譲りもってその者より終身若干の年金その他の定期金を得。これによりて安楽に余生を送らんと欲する者はむしろ少数なりといいて可なり。故に終身定期金契約の如きは未だ発達すること能わずといえども個人独立の風ようやく行われ又生活の困難となるに従い勢い老後の計を為さざることを得ざるがため終身定期金契約の如きようやく頻繁に赴くべきは自然の勢にして現に今日においても既にこの種の契約を結ばんと欲する者なきにあらずという。故に民法中にこれが規定を設くるは決して蛇足とすべからざるなり。

　従来終身定期金といわずして終身年金というを常とす。蓋し外国においては大抵年々これを支払うべきものとするをもってなり。しかりといえども我国においては毎月若干金を払うべきの契約頗る頻繁にしてまた毎半年若干金を払うの契約もまた敢えて稀なりとせず。故に終身定期金といえり(１６８，３７４参観)。

　定期金には終身ならざるものあり。月賦金，年賦金の如きまた定期金にしてこれ我国においても頗る頻繁なる所なり。又西洋においては無期定期金といい子々孫々に至るまで定期金を払うの契約また甚だ稀ならずというしかり。しかして唯り終身定期金に付いてのみ特別の規定を置くもの如何。いわく月賦金，年賦金の如きは通常一の債務の履行方法を定めたるに過ぎず無期定期金は西洋においても公債を除く外漸次そのあとを収むるの傾向あり。いわんや我国においては従来この如き慣習なく又邦人の性質としてこの如く際限なき義務を負うが如きことはその欲せざる所なり。唯り終身定期金に至りては前に論じたる理由により今後漸く頻繁に赴くべくしかしてことさらに終身定期金の債権を得んがため契約を結ぶこと多かるべきをもって特にこれが規定を設けたるなり。但しこの契約は他の契約に牽連してこれを結ぶこともまた稀なりとせず。殊に売買の代価を終身定期金とすること西洋においては頗る頻繁なりといえり。故にあるいはこれを一種の契約とせずして債権の総則中にこれを規定するを可なりとする者なきにあらずといえども右に述べたる理由によりて特種の契約としてこれを規定するを妥当とすべきか。但し本節の規定は終身定期金の遺贈にも準用すべきことは第６９４条の規定によりて明らかなり。

第６８９条　終身定期金契約は当事者の一方が自己，相手方又は第三者の死亡に至るまで定期に金銭其他の物を相手方又は第三者に給付することを約するに因りて其効力を生ず(取１６４ないし１６８)

　本条は終身定期金契約の定義を下し併せてその諾成契約なることを示したるものなり。しかして本条の意義は極めて明瞭なるをもって敢えてこれを説明せず。ただ左に注意すべき２点を掲げん。

第１　終身定期金といえるも必ずしも金銭をもって目的と為すこと要せず。その金の字を用いたるは実際金銭をもって目的と為すこと最も多くしかして契約の名称としては終身定期金といわんこと簡にして了解し易きをもってなり。しかりといえども米穀をもって目的となす場合の如きはかならずもして稀なりとせざるべし。

第２　終身定期金はあるいは有償にてあるいは無償にてこれを為すことを得べし。例えば甲が単に乙の終身これに年年金若干円を与うべきことを約するときはその契約は無償なり。これに反して乙が甲にその所有の不動産を譲渡し又は稍々多額なる金額を与えこれに対して甲より年年金若干円を払うべきことを約するときはその契約は有償なり。西洋においては往々不動産を譲渡しその収益の中より年金を払うべきものとししかしてその不動産をもってその権利を担保すること頗る頻繁なるが如し。しかしてその無期なるものは往々これを一種の物権とせり。

第６９０条　終身定期金は日割を以て之を計算す(取１７２)

　終身定期金は年をもって期とすると半年又は月をもって期とするとを問わずその計算は日割をもってこれを為すべきを原則とせり。例えば明治３０年６月１日より債権者の終身を期して年金契約を結び債権者が明治３２年１月３１日に死亡したりとせんにたといその支払時期は毎年末と定めたるも明治３０年には年金の３６５分の２１４を払い明治３１年にはその全額を払いしかして明治３２年にはその３６５分の３１を払うべきが如し。但しこれ当事者の普通の意思を推測して定めたるものなるが故にもし当事者がこれに異なりたる意思例えば月割をもって年金を計算するの意思を有したりとせばその意思のよるべきはもとよりなり。

第６９１条　定期金債務者が定期金の元本を受けたる場合に於て其定期金の給付を怠り又は其他の義務を履行せざるときは相手方は元本の返還を請求することを得但既に受取りたる定期金の中より其元本の利息を控除したる残額を債務者に返還することを要す

　前項の規定は損害賠償の請求を妨げず(取１７３，１７５)

　本条は不履行による終身定期金契約の解除に関して規定するものなり。一般の原則によれば定期金債務者がその義務を履行せざるときは債権者はまず相当の期間を定めてその履行を催告しもそその期間内に債務者が履行を為さざるときはここに始めて契約を解除することを得べく(５４１)しかしてこれを解除するときは自己の受取りたる定期金の総額に利息を付してこれを返還すべくしかして相手方に与えたる元本が金銭なるときは同じくこれに利息を付して返還を為すべき旨を請求することを得べくもしその元本が他の動産もしくは不動産なるときは単にその返還を請求することを得るに止まりもし果実を生じたるときは僅かにその返還を請求することを得るに止まるべし。しかれどもこれ頗る不公平なる結果を生ずること多かるべし。何となれば(第一)元本が金銭なる場合においては定期金の中には自らその利息を包含せるものとみなさざることを得ず。しかるに定期金債務者よりは更に元本の利息を請求しもってその債権者受取りたる定期金の総額には更に利息を付してこれを返還すべきが故に定期金債務者は自己の義務を履行せざるため却って自己の払いたる利息の利息を受取ることを得るに至るべく(第二)元本が金銭以外の財産なるときは単に債務者が受取りたるものを返還せしむるのみにしてしかも債権者はその受取りたる定期金に利息を付してこれを返還すべきが故に不履行の責ある債務者は前段場合におけるよりも一層多額の奇利を博するに至るべし。これあに不公平といわざるべけんや。あるいはいわん本条の規定によるときは定期金債権者は定期金中に包含せる元本の利息に相当する利益を収むべしとこれ真にある者の言うが如し。しかりといえどもこの利息を計算せしむるは頗る繁に渉りしかして定期金債務者は元来不履行の責ある者なるが故にその煩雑を忍んでこれを保護するの要なしとして本条の如く規定せるものなり。

　本条に利息といえるはもとより法定利息即ち年5分の利息をいう(４０４，４１９)しかして元本が金銭以外の財産なるときは必ずこれを評価しその価額に付き5分の利息を計算すべきものとす。

　外国においては終身定期金契約は不履行によりてこれを解除することを得ざるものとせる例頗る多し。旧民法においてもまたこの主義を採用せり。今その理由を尋ぬるにいわく終身定期金契約は射倖契約(Contrat aleatoire, gewagter Vertrag)にして定期金債権者が利すべきやはた定期金債務者が利すべきやは予め知るべからざる所なり。しかるに定期金債務者が数年間その不利益の危険を践みたるに一たび不履行の責あるときは忽ち将来における利益の希望を奪われ従来践みたる危険をして無数に帰せしむるは頗る不公平なり。殊に定期金中には元本と利息とを包含せるをもってもし解除を許すときはその計算極めて困難なるべしとしかりといえどもこれ未だ解除を許さざるの理由と為すに足らず。蓋し不履行のため定期金債務者をして利益の希望を失わしむるは真に論者の言えるが如しといえどもこれ自ら為せる禍にして過失ある債務者は敢えて不平を鳴らすの権あるべからず。殊に如何なる契約に在りても当事者は多少の危険を践むべきを常とす。例えば普通の売買の射倖契約にあらざることは蓋し人の争わざる所なり。しかれども売主は物の相場の騰貴により代価の一部を失うの危険あり。しかも反対の事実によりて利益を受くるの希望を抱き売買契約を為すこと多し。しかるに一方の不履行の場合においては他の一方は売買を解除することを得るにあらずや。殊に条件付契約に在りては当事者の危険を践めること殊に甚だしといえどもしかもなお不履行による解除を許せり。しからば唯り終身定期金契約に限りその解除を許さざるの理なし。又定期金中に元本と利息とを包含せることは既に論じたるが如しといえどもこれに付いては本条の如く規定するときはその計算敢えて甚だ煩雑なりというべからず。故に新民法においては断じて終身定期金契約の解除を許せり。

　本条第２項はほとんど言うをまたざるが如しといえども第１項において契約の解除あるべきことを名言せざるをもって直ちに第５４５条第３項を適用し難きをもってこの明文を置けり。

第６９２条　第５３３条の規定は前条の場合に之を準用す

　本条の場合においては定期金債務者は定期金の元本を返還するの義務を負い相手方は定期金中の元本に相当する額を返還する義務を負えり。なお相手方が損害を受けたる場合においては定期金債務者はこれを賠償するの義務あり。しかるに一方がその義務を履行するも他の一方が自己の義務を履行せざることあらばその結果の不公平なることもとより言うをまたず。故に本条の規定により一方がその義務の履行を提供するまで他の一方もまた自己の履行を拒むことを得るものとせり。蓋し前条の場合が解除の場合なること明らかなるときは第５４６条を適用すべきをもって本条の必要なしといえども既に延べたる如く前条の規定はその実解除権を認めたるものに相違なしといえどもしかもこれを名言せざるをもって特に本条の規定を要したるなり。殊に前条の規定は第５４５条に定むる所と稍々同じからざる所あるをもって学理上あるいは純然たる解除権にあらずということを得べければなり。

第６９３条　死亡が定期金債務者の責に帰すべき事由に因りて生じたるときは裁判所は債権者又は其相続人の請求に因り相当の期間債権の存続することを宣告することを得

　前項の規定は第６９１条に定めたる権利の行使を妨げず(取１７７)

　本条の場合もまた債務不履行の場合なりというも可なり。故に第６９１条の規定を適用することを得るはもとよりなり。しかりといえどもこれ未だ十分の充分の制裁と為すに足らず。蓋し本条の場合は定期金債務者がその責に帰すべき事由により即ち時としてはその故意の所為により定期金の債権の繋がれる生命を短縮したるものなり。故に単にこれに第６９１条の規定を適用するときは直ちに定期金の元本の返還を求め債権者が既に受取りたる定期金中元本に相当する額を返還するに止まるべし。故にもし既に受取りたる定期金が多額に上れる場合においては債権者のために利益すくなかるべし。しかるにもしその死亡が天命によりて生じたりとせばなお数歳月の間債務者より定期金を払うべきが故に第６９１条の規定によりて債権者が得べき利益はややもすれば契約の履行によりて得べき利益よりも少なきこと稀なりとせず。しかして理論上においては損害賠償の名義をもって将来受くべく定期金の額を見積もり債務者をしてこれを償還せしむることを得べしといえどももし本条の規定なくんば法官はややもすればこの損害賠償を命ずるに躊躇すべし。故に本条をもって定期金債権者は解除権を有するの外なお天然の死亡に至るまでの期間を測定しその間その人がなお死亡せざるものの如くみなし依然定期金を払うべき旨を請求することを得るものとせり。

　以上は定期金債務者が定期金の元本を受取りたる場合に付いて論じたりといえども本条は無償にて為したる契約にもまたこれを適用することを得べし。この場合においては第６９１条の解除権なきが故に債権者は単に本条によりてのみ保護を受くべきものとす。

　人の生命を測定するは蓋し裁判所の難しとする所ならんといえどもその体格の強弱，年齢の老少その他の事情を斟酌してこれを測定するの外なきものとす。

第６９４条　本節の規定は終身定期金の遺贈に之を準用す(取１６４，２項，１７３，２項，１７５，２項，１７７，２項，３項)

　本条は本節の規定をもって終身定期金の遺贈に準用すべきことを定めたるものなり。これ既に論じたる所なり。蓋し遺贈は契約と大いにその性質を異にするといえどもしかも本節に規定せる所は遺贈に付いてもまた同じからざることを得ず。これ本条の規定を置きもって更に相続編において本節の規定に同じきものを置くの労を避けたり。

　　　　　第１４節　和解

　和解(transactio, transaction, Vergleich)は裁判と同じく争いを決するの方法なり。しかして裁判によって争いを決するは戦闘の方法にして和解によってこれを決するは平和の方法なり。故に相当の条件をもってこれを為す以上は裁判を請うよりも利益あるものとせざることを得ず。殊に訴訟は莫大の費用と少なからざる時日とを要すること多きをもって和解の条件多少不利益なるも裁判によって争いを決するよりも利益あること多し。殊に裁判によって争いを決したるときは永く当事者間に怨恨を遺すの患ありといえども和解は互いに相反目せる当事者を和合して再びその交誼を滑にするに利あり。故に当事者の権利不明なる場合においては殊に和解を為すを利ありとす。蓋し訴訟の結果全然一方の敗訴に帰すること多ければなり。故に一旦訴を起こさんと欲する者もまず和解を試むるため相手方を区裁判所に召喚せしむることを得べし(民訴３８１)。又一旦訴訟と為りたる後も法官は和解を試むることを得べし(２２１)。これ法律において特に和解のために一節を設けてこれを規定する所以なり。

第６９５条　和解は当事者が互に譲歩を為して其間に存する争を止むることを約するに因りて其効力を生ず(取１１０)

　本条は和解の定義を下し併せてその諾成契約なることを示せり。蓋し和解の要素にあり(一)争いを決すること(二)互に譲歩をなすことこれなり。ローマ法以来和解の定義各国一様ならず。学者またその説を同じうせずといえども本条においてはその最も正確なる定義を採用し右の２要素を具えたるものにあらざれば和解にあらずとせり。蓋し争いなきに互いに譲歩を為すは普通の有償契約大抵皆これなり。例えば債務者が期限に至り弁済を為さざる場合において一の担保を債権者に供し債権者は若干の猶予期限を与えたるときはこれ互いに譲歩を為したるものなりといえどもしかも当事者間に争いなきが故に敢えて和解にあらざるなり。又たとい争いを決するも当事者双方互いに譲歩を為すにあらざればまた和解あることなし。例えば原告が一旦訴訟を提起したる後これを取下げたるとき又は被告が原告の権利を認諾したるときは訴訟はこれによりて終局を告ぐべしといえどもしかも一方のみ出捐を為して互いに譲歩を為すものにあらざるが故にこれ取下認諾にして和解にあらざるなり。なお争いは必ず訴訟たることを要せず。法廷外において権利を争うもまた争いなり。しかしてこれを和解の目的と為すことを得べし。例えば甲が乙の占有せる不動産をもって自己の所有に属するものとし乙に対してその取戻しを請求したるに乙は自己の所有者たることを主張し敢えてその返還を肯せざる場合において両人一の契約を結び甲はその権利を放棄し乙をもってその不動産の所有者とすることを承諾しその報酬として乙は甲に金千円払うべきことを約したりとせんにこれ即ち和解なり。また甲が乙に対し千円の債権を有することを主張し乙は甲に対し一銭の債務を負わざることを主張しついに訴訟となりたりとせんに訴訟中甲乙間に一の契約を為し乙は甲に金五百円を払いこれによりて甲の債権消滅したるものとみなすべしとしたるときはこれまた和解なり。

　和解に似て非なるものは仲裁契約なり。仲裁契約は争いある当事者間において第三者を指定しその者の判断によりて当事者間の関係を定むべきことを約するものなり。例えば前例において当事者が自らその争いを決することなく第三者をしてこれを決せしめたるにその第三者が乙を所有者としただ甲に対し千円を払うべきものとし又は甲は乙に対し単に五百円を請求することを得るものとしたるときはその結果和解と異なることなしといえども敢えてこれをもって和解と為すべからず。蓋し必ずしも互いに譲歩を為すものにあらざればなり。それ前例において第三者が単に乙をもって所有者とし甲に対し一銭をも払うことを要せざるものとし又は甲の債権は全部有効に成立したるものにして乙はその金額千円を払うべきものとするもまた当事者はこれに従わざることを得ず。即ち仲裁契約は必ずしも当事者双方をして互いに譲歩を為さしめす。往々にしてその一方を全然理ある者とすることあり。これ和解とその性質を異にせる所なり。

　和解は有償契約にして双務契約なり。蓋し当事者互いに譲歩を為すをもってその有償なることほとんど疑を容れず又その双務契約なるや否やに付いては争いなきにあらずといえども余は断じてこれを双務契約とする者なり。蓋し当事者が互いに譲歩を為すにあたりては必ず互いに義務を負うべきことほとんど明らかなればなり。ただその義務は往々にして即時に履行せられ通常人の眼より見れば義務を生ずるの遑なきが如しといえどもしかも法律家よりこれを言えば一旦義務発生したるものといわざることを得ず。前例において甲が乙の所有権を認めその報酬として乙より金千円を受くべき場合においては次条の規定により乙は和解の結果直ちに所有権を取得することありといえどもまず甲は乙に対しこれを所有者と視るの義務を負いその義務直ちに履行せられて乙所有者と為りたるものといわざることを得ず。又甲が千円の債権を主張せるにあたりて乙にして５百円を払えばその権利を放棄すべきことを約せる場合においては同じく次条の規定により乙は和解の結果としてその債権の半を失いたる者といわざることを得ざることありといえどもしかも一旦乙に対しその主張したる債権の半額に付きこれを主張せざるの義務を負いその義務直ちに履行せられてついにその債権は半額に付いて消滅すべきのみ故に和解は常に双務契約なり。

第６９６条　当事者の一方が和解に依りて争の目的たる権利を有するものと認められ又は相手方が之を有せざるものと認められたる場合に於いて其者が従来此権利を有せざりし確証又は相手方が之を有せし確証出たるときは其権利は和解に因りて其者に移転し又は消滅したるものとす(取１１４)

　本条は和解の効力を定めたるものなり。蓋し和解の効力の認定的(declaratif)なるや付与的(attridutif)なるやに付き学者間に大議論ありといえども余の信ずる所に拠れば和解は必ずしも認定的なりとも付与的なりとも明言すること能わず。その性質は全く不明なるを原則とす。ただ後日に至り当事者の権利明らかなるに及びては和解の認定的なりしことと付与的なりしこととあるべしといえどももし当事者の権利の確証出ざるときはついにその性質不明に了わるべきのみしからばもしその性質を明らかにする必要あるときはこれに拠りて権利を主張する者より和解の認定的なりしこと又は付与的なりしことを証明することを要するものとす。これ本条の規定せる所なり。例えば前例において甲が乙の権利を認めたりといえども当時は自己に全く権利なかりしことを認めたるにあらず。ただ乙より金千円を受けこれによりその主張せし所を放棄せしに過ぎず。しかりといえども後日乙が真の所有者なりし確証出づるときは乙はあえて甲の権利を取得したるものと視ることを得ず。即ちこの場合においては和解は認定的なりしなり。これに反して甲が千円の債権を主張したる後五百円を受けてその主張を放棄したる場合において後日甲が一銭の債権をも有せざりし確証出づるときは甲は和解によりて五百円の債権を取得したるものといわざることを得ず。即ち和解は付与的なりしなり。これに反して第一例において甲が所有者なりし確証出づるときはその権利は和解によりて乙に移転したるものと認めざることを得ず。故に和解は付与的なりしなり。又第二例において甲が千円の債権を有せし確証出づるときはその半額五百円に付いてはその権利を放棄したるものなるが故に和解はまた付与的というも可なるものにしてその半額に付いては甲の権利和解によりて消滅したるものなり。この場合においては学者往々和解を消滅的(extinctif)なりといえり。

　　　　　第３章　事務管理

　事務管理(Negotiorum gestio, gestion d’ affaires, Gescbaftsfubrang ohne Auftrag)とは義務なくして他人のために事務を管理するをいう。蓋し契約により他人のために事務を管理する者は受任者なり。法律上の義務により事務を管理する者は法定代理人なり。これ等は委任，代理等の規定により権利義務を有する者なり。唯り事務管理者は契約によらずm又法律上の義務なくして任意に他人のために事務を管理する者なるが故に自ら他の受任者，代理人等と同じからざるものあり。今事務管理者の義務と本人の義務との概要を示せば左の如し。

第１　事務管理者の義務

１　事務管理者は最も本人の利益に適すべき方法をもって管理を為すことを要す。

２　事務管理者が一旦始めたる管理は本人が管理を為すことを得るに至るまでこれを継続することを要す。

３　事務管理者が本人のために受取りたるものを本人に引渡しその他その管理に付き本人に報告を為すことを要す。

第２　本人の義務

１　事務管理者が本人のために有益なる費用を出だしたるときは本人においてこれを償還することを要す。

２　管理者が本人のために有益なる債務を負担したるときは本人においてこれを弁済し又は担保を供することを要す。

　旧法典においては事務管理をもって不当利得の一の場合とし学者またこの説に従う者多し。これ学理上すこしも批難すべき所なし。蓋し管理者は本人のために受取りたるものをこれに引渡すにあらざれば不当の利得をなすべきが故にこの義務はその源を不当利得に取るものといいて可なり。また本人にして管理者が有益なる費用を出だしたる場合においてこれを償還せざるときはまた不当の利得を為すべきが故にこの義務もまたその源を不当利得に取れるものと為すことを得べし。ただ事務管理の場合においては普通の不当利得の場合と大いに結果を異にし通常の不当利得においては債務者は現に受くる利益を返還すれば足れるも事務管理に在りては本人は有益なる費用の全部を償還すべくしかしてその利益の現に存すると否とを問わず殊に管理者に至りてはその受取たるものの全部を本人に引渡すの義務あり。故に不幸にしてこれを失うことあるもいやしくも天災といい難き以上はその全部を本人に引渡さざることを得ず。且や管理者の義務は単にその受取りたるものを本人に引渡すに在らずして却ってその主たる義務と称すべきは一旦始めたる管理を適当の方法をもって継続するに在りこれあるいは不法行為の原理をもってこれを説明することを得べきも決して不当利得に関するものにあらず。これ新民法において特に事務管理のために一章を設けこれを不当利得と分かちたる所以なり。

　　　　　　１　管理者の義務

第６９７条　義務なくして他人の為めに事務の管理を始めたる者は其事務の性質に従い最も本人の利益に適すべき方法に依りて其管理を為すことを要す

　管理者が本人の意思を知りたるとき又は推知することを得べきときは其意思に従いて管理を為すことを要す(財３６２)

　本条は暗に事務管理の性質を示し併せて管理者の第一の義務を定めたるものなり。新民法においては他人のためにする普通の注意はいわゆる善良なる管理者の注意なりとせるに(４００，６４４)唯り本条においては最も本人の利益に適すべき方法といいなおこれに加えて事務の性質に従うといい本人の意思に従うべしといえり。これ果たして善良なる管理者の注意とその程度を異にするかいわくしからず引渡すべき物の保存に在りてはその目的極めて明瞭なるが故に単に善良なる管理者の注意といえば略々その注意の程度を知ることを得べく又委任の場合においては事務の目的契約によりて定まるをもってその契約の趣旨に従う以上はいわゆる善良なる管理者の注意を為すをもって足れりとす。これに反して事務管理の場合においてはその目的一定することなくしかして契約なきが故に法律上当然本人の意思明らかなるものと為すことを得ず。故に単に善良なる管理者の注意というもその意義頗る曖昧に渉るの恐れなきにあらず。これ本条においては特に詳細にこの注意の程度を定めたる所以なり。

第６９８条　管理者が本人の身体，名誉又は財産に対する急迫の危害を免れしむる為に其事務の管理を為したるときは悪意又は重大なる過失あるにあらざれば之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ぜず(財３６２，３項)

　本条は前条に対する例外にして特別の場合に在りて事務管理を奨励するため大いに管理者の責任を軽くしたるものなり。蓋し「本人の身体，名誉又は財産に対する急迫の危害」あるときは何人かその事務を管理しもってその危害を免れしめんこと極めて必要なり。しかるにもしこの場合においてもなお管理者をして前条の責任を負わしむるときは甘じてその事務を管理する者は蓋し稀なるべし。しかして本人の身体，名誉又は財産はついに回復すべからざる損害を受くるに至るべし。故に本条においてはこの場合に限り管理者はその悪意又は重大なる過失に付いてのみ責任を負うべきものとせり。例えば本人が急病に罹れる場合においてこれを介抱するためその依頼を汚損したる者ありとせんにいやしくも悪意又は重大なる過失なき以上はこれに付いて損害賠償の責を負うことなし。又例えば本人の不在中にその名誉を損すべき記事を新聞紙に掲げたる者あるをもって任意にその財産を管理せる者がその財産の一部を費やし詳細なる反駁文を新聞紙に広告したりとせんにいやしくも悪意又は重大なる過失なき以上はこれに付いて本人に対し損害賠償の責を負うことなし。又例えば火災の場合において本人の家屋が類焼により灰炉に帰せんとするにあたりその家屋の一部を毀壊しもって類焼を免れしめたる者はたといこれがために本人が莫大の損害を被りたりとするもいやしくも悪意又は重大なる過失なき以上は敢えて損害賠償の責を負うことなきが如き即ちこれなり。

第６９９条　管理者はその管理を始めたることを遅滞なく本人に通知することを要す但本人が既に之を知れるときはこの此限りに在らず

　事務管理はもともと事やむを得ざるに出づるものにして法律は特にこれを保護し時としてこれを奨励するといえどもしかもその本人の意思に反すること稀なりとせず。故に管理者がその管理を始めたるときは遅滞なくこれを本人に通知しもしその管理が本人の意に適せざるときはすみやかに適当の管理者を定むるの便を得せしむること極めて必要なり。しかして本人がこの通知を受けたる後更に適当の管理者を設けざるときはこれ即ち事務管理者の管理をすでに利益ありとするが又は他にこれより良き管理者を発見せざればなるべし。これ本条の規定の必要ある所以なり。但し管理者の通知をまたず本人が既に事務管理の事実を知れるときは敢えてこれに通知することを要せざるはもとよりなり。

　本条の制裁は蓋し損害賠償に在らん。即ち管理者が本条に定めたる通知を怠るときはこれによりて本人のために生じたる損害を賠償する義務あるべし。ただその適用に至りては極めて稀なるべきか。例えば本人がもしその通知を受けたらんには直ちに事務管理よりも一層適任なる代理人を定めこれによりて若干の利益を得たらんということを証明するときは事務管理者は右の利益額に相当する損害賠償を払うの義務あるべし。

第７００条　管理者は本人，其相続人又は法定代理人が管理を為すことを得るに至るまで其管理を継続することを要す但其管理の継続が本人の意思に反し又は本人の為に不利なること明らかなるときは此限に在らず(財３６２，２項)

　本条は管理者の第二の主たる義務を定めたるものなり。即ち本人，その相続人又は法定代理人が管理を為すことを得るに至るまでその管理を継続するの義務これなり。蓋し管理者は敢えて管理を為すの義務を負える者にあらざるが故に初めより管理を為さざれば即ち可なり。しかれどもいやしくも管理を始めたる以上は半途にしてこれを放棄するときは本人は一層の損害を被ること多かるべし。何となればもしその者にして管理を為さずんば他人がこれを管理したるやもまた知るべからず。又時としては初めより管理に著手せざれば却って損害少なきももし一旦著手したる管理を半途にて放棄するときは一層大なる損害を生ずることあるべければなり。

　右は一般の原則なり。これに二つの例外あり。

１　その管理の継続が本人の意思に反するときはこれを放棄せざることを得ず。例えば本人が管理者の管理を始めたることを知り即刻にその管理を放棄すべき旨を命じたるときはこれに従わざることを得ず。

２　その管理の継続が本人のために不利なること明らかなるときはすみやかにこれを放棄せざることを得ず。例えば本人の不在中その債権者が本人の家族に対し厳重の督促を為すにあたりその友人が好意をもってその中に立入り債権者をして本人の帰宅まで猶予を為さしめんと計りたる場合において債権者がその友人の干渉を快とせず益々厳重なる処置に及ばんとする形勢あるときはその友人はむしろ談判を中止し本人の帰宅に至るまでこれを傍観するを愈れりとすることあり。

第７０１条　第６４５条乃至第６４７条の規定は事務管理に之を準用す(財３６２)

　本条は管理者の計算の義務に付き委任に関する規定を準用せるものなり。即ち管理者は本人の請求に応じ何時にてもその事務管理の状況を報告し又管理終了の後は遅滞なくその顛末を報告することを要す(６４５)。又管理者は本人のために受取りたる金銭その他の物をこれに引渡し本人のために自己の名をもって取得したる権利をこれに移転することを要す(６４６)。又管理者が本人に属すべき金銭を自己のために消費したるときはその消費の日以後の法定利息を払いかつこれより大いなる損害ありたるときはこれを賠償する義務を負うものとす(６４７)。

　　　　　　２　本人の義務

第７０２条　管理者が本人の為に有益なる費用を出たしたるときは本人に対して其償還を請求することを得

　管理者が本人の為に有益なる債務を負担したるときは第６５０条第２項の規定を準用す

　管理者が本人の意思に反して管理を為したるときは本人が現に利益を受くる限度に於てのみ前２項の規定を適用す(財３６３)

　｢管理者が本人の為に有益なる費用を出だしたるときは｣本人はこれを償還する義務を負う。例えば管理者が本人の家屋を適当に修繕したるときは本人はその修繕の費用を償還することを要す。しかれどももし管理者が過分の費用を出たしてその修繕を為したるときはその適当なる金額の範囲内においてのみ本人に償還の義務あるものとす。もしそれ管理者が無益の費用を出たしたるときは本人は一切償還の義務を負わざることもとより論をまたざる所なり。

　あるいは問わん。本条においては｢本人のために有益なる費用｣といえり。しかるに委任に関しては「委任事務を修理するに必要と認むべき費用」といえり(６５０，１項)。しからば受任者は必要費のみに付き償還を求むるの権利を有ししかも管理者は却って有益費に至るまでこれを償還せしむることを得るかといわく否(第一)「委任事務を処理するに必要と認むべき費用」とは事実必要なることを要せず。ただ当時の事情により通常人の必要と認むべき費用は委任者において皆これを償わざるべからず。故に中には後日の結果よりこれを観れば有益ならざる費用をも包含すべし(第二)受任者はその費用の利息をも請求することを得るといえども管理者は単に費用額を請求することを得るに止まるが故に法律が受任者を厚遇して管理者を冷遇すること一目にして瞭然たり。

　あるいは又問わん。本条においては単に「有益なる費用」といえるか故に必要費は却ってこれを償還せしむることを得ざるかと。いわくしからずこれを出たさされば物の滅失，毀損を招くべきが故にこれ有益中の有益なる費用というべし。故に本条においては特に必要費の事をいわず本条にいう所の「有益なる費用」はこれをいわゆる有益費と混ずべからず(１９６，２項，２９９，２項，５８３，２項，６０８，２項)

　これを要するに既に論じたるが如く委任の場合にいては事務の性質契約によりて自ら定まるが故にその事務に必要なる事項にあらざればその契約の範囲に属せず。しかりといえどもその必要は必ずしも結果の上において必要なることを要せず。普通の知識をもって必要と認むることを得るをもって足れりとせり。事務管理の場合はこれに異なり。管理の目的は敢えて契約によりて定まるにあらず。ただ管理者が本人のために為さんと欲する所のもの皆その管理の範囲に属すべし。故に一定の目的に必要なるをもってその権利の区域を定むることを得ず。これ即ち単に本人のために有益なるをもって標準とする所以なり。もしそれ受任者が委任事項に必要と認むべからざる有益費を出たしたるときはこれ契約以外の事項なるが故にその意思の如何によりあるいは事務管理者として本条の適用を受くべくあるいは占有者として第１９６条の適用(即ち７０３の適用)を受くべきことは既に論じたるが如し(７４４頁以下)。

　「管理者が本人のために有益なる債務を負担したるときは」委任に付き第６５０条第２項に定むるが如く委任者をして弁済を為さしめ又その債務が未だ弁済期に至らざるときは相当の担保を供せしむることを得べし。ただ有益と必要との関係に付いては前段述うる所に同じきがゆえに再び贅せず。

　以上は本人が反対の意思を表示せざる場合において管理を為したる者に付いて定めたる所なり。これに反して管理者が本人の意思に反して管理を為したるときは同一の保護を受くべき理由なきをもって本条第３項においては単に不当の利得を為さしめざるため本人が現に受くる利益の限度においてのみ右に述べたる所を適用すべきものとせり。例えば管理者が費用を出たしたる時に在りてはその費用有益なりしといえども管理者が本人に対し償還を求むる時にあたりてはその費用を加えたる物は既に天災によりて滅失したりとせんに本人はすこしも現に受くる利益なきが故にまた一銭の償還をも為すことを要せず。又右の費用を出たすため管理者が借財を為したりとせんに本人はまた同じくこれを弁済する責なきものとす。

　あるいはいわく右の場合においては単に不当利得の問題のみありて敢えて事務管理なしと。これ非なり。事務管理とは初めに述べたるが如く義務なくして他人のために事務を管理するの謂なり。故にたとい本人の意思に反するも事務管理なしということを得ず。ただ法律がこれを保護する点において自ら厚薄の差あるのみ。

　　　　　第４章　不当利得

　不当利得(Enrichissement indu, ungerechtfertigte Bereicherung)とは「法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受け之が為めに他人に損害を及ぼ」すをいう。この場合においてはローマ法によれば利得賠償訴権(Actio de in rem verso)を生じなお他に非債権取戻訴権(Condictio indebiti)なるものを認め事務管理もまた不当利得を生ずることは既に述べたるが如し。外国においては事務管理と非債取戻との外一般に利得賠償訴権を認めざる例なきにあらずといえどもこれもとより欠点といわざることを得ず。しかして事務管理は別に前章にこれを規定せるをもって余す所は非債権取戻及びその他一切の不当利得賠償の場合即ちこれなり。しかして非債取戻の場合に関する特例なきにあらずといえども原則としてはこれを他の不当利得の場合と区別するの理由なきをもって本章においては事務管理を除く外一切の不当利得の場合を網羅せり。

第７０３条　法律上の原因なくして他人の財産又は労務に因り利益を受け之が為めに他人に損失を及ぼしたる者は其利益の存する限度に於て之を返還するの義務を負う(財３６１，３６４)

　本条は不当利得に関する原則を掲げたるものなり。即ち受益者は「其利益の存する限度に於て之を返還する義務を負うものとせり。蓋したとい他人に損害を及ぼすも敢えて不当利得なき以上は本条の適用を受くべきにあらず。例えば自己の所有地に建物を築造したるため隣地の眺望を害し従ってその価額を損することあるべし。しかりといえどもこれ不当利得にあらざるをもって敢えて賠償の義務を生ぜざるものとす。ただ故なく他人に損害を及ぼしこれによりて利益を受けたる者はその利益を保有するときは法律上の原因なく即ち不当に利益を受くる者と為しその利益を返還すべきものとせり。これもとより公平なる所にして仏国の如く本条の原則を法文に掲げざる国においても学者は往々本条の原則を採用せんことをつとめたり。もってこの原則の公平にして至当なるを知るべし。但したとい利益を受くるも他人に損失を及ぼさざるときはまた本条の適用を受くべきものにあらず。例えば隣地において下水道を設けたるため利益を受くる者あるも隣地にの所有者はためにこれをして費用の一部を負担せしむることを得ず。これ他なし。隣地の下水道によりて利益を受けたる者はために隣地の所有者を害することなければなり。

　余は通常の場合を想像し受益者がその受けたる利益の全部を返還すべきことをいえりといえども往々にしてしからざることあり。蓋し不当利得によりて債務を生ずるものとする所以は他なし。その利益を返還せしめざれば故なく甲を害して乙を利するの結果を生ずべきをもってなり。しかるに一旦受けたる利益といえどももしこれを失いたるときはまたこれを返還すること能わず。もし受益者が現にその利益を受けざるに拘わらず初めに受けたる利益の全部を返還すべきものとせば勢い自己の財産の一部を出たしてこれを償わざることを得ず。この如きは普通の受益者に対しては頗る酷に失するものにして又不当利得の原則に合わざるものなり。故に本条においてはその利益の存する限度においてのみ返還の義務あるものとせり。例えば受益者が物を受取りたる当時の相場をもってすれば百円の価あるものもその返還を為すにあたり価額を減し九十円の価格のみを有するときは九十円を賠償して可なり。但し本条の適用は必ずしも第１２１条但書に同じきものにあらず。法律は特に無能力者を保護するために取消を許すをもってその取消の結果無能力者に毫末の損失を被むらしめざるを要するものとす。殊に未成年者，禁治産者又は準禁治産者はその知能の発達せざるため又は多少不完全なる所あるをもってややもすれば自己に不利になる行為を為さんことを恐れて特に法定代理人又は保佐人を付するものとす。故に一旦受けたる利益はたちまちこれを失いついに利益を存せざるに至ること最も多し。例えば未成年者が借財を為したる場合の如きは一時貸主より金銭を受取りたるためその財産を増加することもとより言うをまたずといえどもしかももしこれを浪費し尽くしたるときはその貸借を取消すにあたりてはすこしも利益の存するものなし。故にその貸借を取消すに拘わらず未成年者は貸主に対し一銭の返還を為すことを要せざるものなり。これに反して普通の場合に在りては一旦受けたる利益は直接又は間接に留存するものと視るべし。例えば未成年者が故なく他人より金銭を受取りたる場合の如きはその者が直ちにその金銭を浪費するも敢えて返還の義務を免るることを得ず。これ他なし。その受けたる利益は直ちにこれを浪費してまた残存するものなきが如しといえどもいやしくもその者が成年者なる以上はもしその金銭を浪費せざるときは必ず自己の有せし他の財産を浪費したるならんと信ずべきが故にその受けたる金銭は間接にその者に利益を与えしかしてその利益はなお存するものと視ざることを得ず。これ本条においては原則として利益の存する限度においてのみ返還の義務あるものとせるに拘わらず第７０５条以下において非債の取戻に付いては最初債権者と称する者が受取りたるものを返還すべきことを規定せり。しかれども原則としては利益の存する限度においてのみ返還の義務あるものとせざることを得ず。今本条の適用の疑なきものを示せば受益者が米百俵を受取たるもその受取りたる米の一部は火災によりて焼失し現に残存する俵数は七十俵に過ぎずとせばその七十俵を返還すれば足れりとすべきが如し。

　本条は単に他人より所有権の移転を受け又は物の引渡を受けたる場合にはこれを適用すべからずとする者ありといえどもこれ謬れり。もし所有権が一旦受益者に移転したるときは受益者は再びこれを原主に移転するにあらざれば不当の利得を為すべし。故にその者は本条の規定に従い義務を負うものといわざることを得ず。，もしそれこれ等の場合においては本条の規定により債務あるものとみなさざるも所有物取戻の訴により適当の保護を受くべしという者あらんには余はこれに答えていわん。もし受益者がその所有権もしくは占有を留存するときは不当の利得を為すべきか。故に所有権もしくは占有権の外別に一の債務を生ずるものとするを妥当とすと之次条において特にその必要を感ずべき所なり。

　本条においては「他人の財産又は労務により利益を受け云々」といえり。故にたとい直接に他人の財産を減ぜさるも他人の労務によりて利益を受けたるときはこれを返還せざるべからず。例えば甲が乙の依頼を受くることなく又乙のためにこれを為すの意思なくして乙の財産に労力を加えもってその価を増加したりとせんに乙は甲に対してその労力によりて生じたる価額を返還せざるべからず。蓋しその労務はこれを他事に用うるときは必ず相当の報酬を受くべかりしものなるをもって乙が利益を受けたるにより甲に損失を及ぼしたりということを得べければなり(１９６，２４６，２４８)。

第７０４条　悪意の受益者は其受けたる利益に利息を付して之を返還することを要す尚お損害ありたるときは其賠償の責に任ず(財３６４，３６７，１項，３６８)

　本条は悪意の受益者に関するものなり。蓋し悪意の受益者は不当利得の外に不法行為をも為したる者なるが故に単にその受けたる利益を返還するをもって足れりとせず。必ず生ぜしめたる損害を賠償することを要す。これ不法行為に関する第７０９条の規定より当然生ずる所なりといえども単に損害賠償というべきは判事はややもすればよるべきの標準なく実際の損害額を賠償せしむることはむしろ稀なりとす。しかるに本条の場合においては不法行為の根本たる不当利得即ち一定の財産上の利益あるが故にこれによりてすくなくも法定利息即ちその価額の年五分の利息に相当する損害を生ずるものとみなしなおこれより多額の損害ありたることを証明し得る場合においてはこれを賠償すべきものとせり。例えば他人の金千円を盗みたる者はその千円に年五分の利即ち一年の後これを返還するものと仮定せば五十円を加え都合千五十円は必ずこれを返還せざるべからず。しかれども被害者がその金を失いたるためあるいは商業上の損失を醸しあるいは自己の債務の履行を為すことを得ずして違約金その他の賠償を払わざることを得ざりしときはなおこの損害を賠償すべきこと他の場合に異なることなし。又例えば自己の債務者にあらざることを知れる者より債務の履行として米百俵を受取りたるものはその米を返還せざるべからざるのみならず仮にその価格を四百円とせば半年の後これを返還したりとせんにその利息として十円は必ずこれを払わざるべからず。なおその外に弁済者が損害を受けたるときはこれを賠償せざるべからず。

第７０５条　債務の弁済として給付を為したる者が其当時債務の存在せざることを知りたるときは其給付したるものの返還を請求することを得ず(財３６５，５６３)

　本条以下第７０７条に至るまでは専ら非債取戻(又不当弁済取戻という)に関せり。しかして本条は債務なきことを知れるに拘わらず弁済としてある給付を為したる者はその返還を請求することを得ざる旨を定めたり。蓋しこの場合においてはいやしくも喪失者にあらざる以上は新にその給付より生ずる利益を相手方に与えんと欲したること疑なし。しかるに新民法においては原因をもって契約の要素とせざるが故にこの場合においていわゆる弁済は純然たる弁済にはあらずといえどもしかも一の新なる契約として効力を生ずべし。即ち無償なるが故に一の贈与を構成すべし(弁済者が反対給付を受けていわゆる弁済を為す場合なきにあらざるべしといえどもこれ極めて稀なるべきをもって本文においては常に無償なることを仮想して論ず)。故に弁済者は債務なかりしことを理由としてその給付したるものの返還を請求することを得ざるものとせり。

第７０６条　債務者が弁済期に在らざる債務の弁済として給付を為したるときは其給付したるものの返還を請求することを得ず但し債務者が錯誤に因りて其給付を為したるときは債権者は之に因りて得たる利益を返還することを要す(財３６６，２項)

　本条は債務者が誤って弁済期前に弁済を為したる場合に付いて規定せり。これに付いては古来勢力ある学説に拠れば債務は正に成立せるをもって敢えて非債の弁済にあらず。従ってその返還を請求することを得ずといえり。しかりといえども余の信ずる所に拠ればこの説は謬れり。債務は本旨に従いてこれを履行するにあらざれば真の弁済にあらず。故に期限の定めある場合において期限前に為したる履行は弁済にあらず。即ちその時に弁済すべき債務は存せざりしをもって非債の弁済なりというも可なり。故に債務者が誤って期限前に弁済を為したるときはその返還を請求することを得ずんばあるべからず。あるいはいわん債務者が期限前に弁済を為したるときはこれその期限を放棄したるものなりと。いわく債務者が期限の未だ到来せざることを知れるに拘わらず弁済を為したるときは論者の言の如しといえども(１３６)もし債務者が錯誤によりてその弁済を為したるときは決して期限の利益を放棄したるものと為すべからず(債務者が期限の未だ到来せざることを知れるにかかわらず弁済を為したるときはその期限の利益が債権者のために存する場合においては敢えてその期限を放棄することを得ざるが如しといえども債権者が異議なくその給付を受けたるが故にこれ債権者において期限の利益を放棄したるなり。故にこの場合においては非債の弁済あることなし。)。

　あるいはまたいわん債務者が誤って期限前に弁済を為すはその疎漏といわざることを得ず。しかるに債権者は債務者がその期限を放棄したることを信じて弁済を受くるを常とすべきが故に後日その返還の請求に遭うときは往々意外の損失を被ることあるべしと。これ債務者をして損害の賠償を為さしむる理由とは為るべしといえども敢えてこれに拠りてその返還を拒むことを得ず。しかして債務者が誤って期限より数年前に弁済を為したる場合の如きはたとい些少の賠償を債権者に払うもその給付したるものを取戻すに利あることあるべし。殊に次条の規定あるをもって債権者は畢竟損失を被るのおそれなし(債務者の無資力と為ることはこれあるべしといえどもこれ債権者が初より予期せざるべからざる所なりしなり)。

　以上は立法論として余が本条の規定に賛成の意を表せざる理由に過ぎず。本条においては不幸にして反対の主義を採用せり。即ち弁済期前の弁済は弁済として有効にして誤ってこれを為したる者も敢えてその返還を請求することを得ざるものとせり。ただ但書をもって債権者の直接の不当利得を妨ぐるに止めたり。即ち債務者が錯誤によりて期限前の弁済を為したるときは債権者はこれによりて得たる利益を返還することを要するものとせり。例えば金銭債務の債権者が期限より一年前にその弁済を受くるときは一年分の利息を利すべきが故にその法定利息五分を債務者に返還せざることを得ざるべく又期限より六ヶ月前に不動産の引渡を受けたる債権者はもしその引渡を受くる後直ちにこれを他人に賃貸したりとせば六ヶ月分の借賃を債務者に支払うべきが如きこれなり。

　本条は期限付債務に在りてその期限到来前に弁済を為したる場合に付いて規定せり。故にこれを条件付債務に適用することを得ず。それ条件付債務は条件の成就までは未だ成立せざるものなり(１２８ないし１３０に定めたる事項は別段なりとす)。故に条件成就前に弁済を為したるときはこれ真の非債弁済なり。故にこれを取戻すことを得るは敢えて論をまたざる所なり。

第７０７条　債務者に非ざる者が錯誤に因りて債務の弁済を為したる場合において債権者が善意にて証書を毀損し，担保を放棄し又は時効に因りて其債権を失いたるときは弁済者は返還の請求を為すことを得ず

前項の規定は弁済者より債務者に対する求償権の行使を妨けず(財３６５，２項，３項)

　非債弁済の場合においていやしくも債権者が善意なる以上はその過失は寧ろ債務者に在るが故にために債権者に損害を加うべからざるやもとよりなり。しかるに債権は正に存在するも債務者にあらざる者が誤ってその弁済を為したるときは債権者は往々にして既に証書の不用なることを思いこれを毀損し又担保も当然消滅すべきものと思い保証人に保証契約書を返還しもってその義務を免除し，質物を返還し，抵当の抹消を承諾し又は債権が時効に罹るべき場合においても既に有効なる弁済を受けたりと信じ敢えて時効の中断を為さず。ついにこれをして完成することを得せしめたる後弁済者がその弁済の無効なりしことを主張しその返還を請求することを得るものとせば債権者はために真の債務者に対する証拠を失い，必要なる担保を失い又は債権その物をも失うべきが故にその損失を被るべきやもとより論なし。しかるに元来弁済者の疎漏によりてその弁済を為したるものなるが故に債権者をして損失を被らしむるは不当なり。故に本条においては弁済者は返還の請求を為すことを得ざるものとせり。

　以上は債権者と弁済者との関係を定めたるものにして真の債務者はこれがために利益を受くべからざるやもとよりなり。故に弁済者は債務者に対し求償を為すことを得るはほとんど言うをまたざる所にして本条第２項の規定する所なり。即ち弁済者の弁済によりて債務を免れたる債務者はその債務の価額を弁済者に償還すべきものとす。これまた第７０３条の適用というべし。

第７０８条　不法の原因の為め給付を為したる者は其給付したるものの返還を請求することを得ず但不法の原因が受益者に付いてのみ存したるときは此限に在らず(財３６７，２項)

　本条は不法の原因のために為したる給付を取戻すことを得ざることを定めたるものなり。その理由を尋ぬるにいわくこの給付を為したる者はもしこれを取戻さんと欲すれば必ず債務が不法の原因のため成立せざることを証明せざるべからず。自ら不法の事を為ししかも敢えてこれを法廷に主張するは鉄面皮もまた甚だしからずや。故に法律はこの者を保護せざるなりと。しかして本条の原則はこの理由に基づけるが故にもし不法の原因が受益者に付いてのみ存するときはその返還を請求することを得るものとせり。例えば二人賭博を為して輸者が贏者に賭物を引渡したるときは不法の原因双方に存するが故に敢えてその返還を請求することを得ず。これに反して甲が人を殺さんと欲するを知り乙がこれに金銭を与えもって殺人の意思を絶止せしめたるときは不法の原因はその金銭を受けたる者のみに存しこれを与えたる者は単に悪事を防止せんと欲したるに過ぎざるが故にこれに付いて不法原因ありと為すことを得ず。ただ債務はこの場合においても無数なることはかつて論じたる所なり(３訂１巻３０９頁)。故にこの場合においては乙はその支払たる金銭を取戻すことを得べし。

　右は本条に規定する所にして外国の立法者及び学者中これを可とする者すくなからず。旧民法においてもこの主義を取り我裁判例においても彼の有名なる角石事件においてはついにこの説を採用せり。しかりといえども余はこれに同意すること能わず。それ不法債務の無効なることは蓋し人の争わざる所なり。故に理論よりいえばこの場合には非債の弁済あること明らかにして第７０３条の原則に従いこれを取戻すことを得ずんばあるべからず(稀には弁済の名義をもってせずして給付を為すことありといえどもこの場合においても非債弁済に異なることあらず)。ただ不法の事を企てたるものが自らこれを法廷に主張して法律の保護を仰ぐば鉄面皮なりというに拠りついに本条の主義を生じたるなり。しかりといえどもこの如きことは法律上その例に乏からざる所にして甲が乙に対し金千円を与うべき証書を交付し敢えてこれを履行せざるをもって乙が法廷に訴えたりとせんに甲はその千円は全く賭博上の債務なることを証明しもってその履行を拒むことを得べし。しかもこれ自己の不法行為を主張して法律の保護を仰ぐものにあらずして何ぞや。しかるに未だ履行を為さざる間は法律の保護を仰ぐことを得べきも一旦履行を為したる後はこれを仰ぐことを得ずというは実に了解に苦しむ所なり。なお一歩を進みて論ずれば本条の場合においては返還を請求する者不法の原因を主張せずして却って相手方においてこれを主張すること稀なりとせず。即ち原告は単に被告に対し債務なかりしに誤って給付を為したることを証明するときは却って被告において不法の原因を証明しこれによりて給付を受けたることを主張するに至るべし。例えば甲が乙に対しかつて金銭を借用したることなくその他これに対し如何なる債務をも負いたることなきに誤って金銭を払いたることを証明するときは乙はこれに対してその千円は賭博の結果によりて受取たるものなることを証明しもってその返還を拒むに至るべし。故にこの場合においては被告却って原告よりも鉄面皮なりといわざることを得ず。これを要するに本条の規定は立法論としては余が取らざる所なりといえども法律論としては文意明瞭なるをもってまた如何ともすること能わず。

　ただ余が疑訝に堪えざるは後の第７０９条においては共同不法行為者間に連帯あることを規定し従って一人が弁済を為したるときは他の者に対し求償権あるべきものとしたること蓋し疑を容れざるに在り(４４２)これもとより当然の事というべし。何となれば法律が共同不法行為者連帯の義務を負わしめしかもその間に求償を許さざるときはたとい不法行為者に対するにもせよ法律の規定頗る不公平たることを免れざればなり。しかりといえどもこれを本条の規定に対照するときは頗る不権衡の謗なきを得ず。何となれば数人が共同の不法行為によりて他人に損害を加えたるときはその間において不法行為に拠り法律の保護を仰ぐことを得て他の場合においては同一の保護を受くること能わざるものとすればなり。

　仮に余が主義を採用するも第７０５条の規定あるをもって不法の原因を主張して一旦為したる給付の返還を求むる場合は蓋し甚だ多からざるべし。何となれば給付の当時弁済者が債務なきことを知りたるときはその返還を請求することを得ざるものとすればなり。但し本条は第７０５条の規定と相重複するものにあらず。何となれば(第一)債務の弁済とせずして不法原因のため給付を為すことあり。例えば債権者を害する意思をもって自己の財産を他人の名義と為してこれを引渡すことあり。(第二)たとい弁済としてこれを給付するも当時その原因の不法なることを知らざることあればなり。彼の法律は何人といえどもこれを知らざるものとみなさずといえる格言はこの場合に適用すべきものにあらざるなり(３訂１巻１９８頁)。

　　　　　第５章　不法行為

　不法行為（unerlaubte Handlung）は１に犯罪又は準犯罪（Delit ou quasi-delit）という。債権発生の原因としてローマ法以来つとに認めらるる所なり。

　民事上の犯罪と刑事上の犯罪と相混すべからず。刑事上の犯罪にして民事上の犯罪たらざるものあり。又民事上の犯罪にして刑事上の犯罪たらざるもの多し。例えば未遂犯の如きは大抵未だ損害を生ぜざるが故に民事上の犯罪たることほとんど稀なり。しかも刑事上の犯罪として処刑を受くべきことあり。又例えば故意又は過失によりて他人の権利の行使を妨げために莫大の損害をかもすことあり。この場合には民事犯罪ありといえども刑事犯罪なし。故に刑事上処罰を受けずしてしかも民事上の責任を負うべきことあり。

　犯罪は故意をもって他人に損害を加うるをいい準犯罪は過失，怠慢により他人に損害を

加うるをいう。例えば故意に他人の所有物を毀壤するは犯罪にして自己の不注意によりて

他人の財産を毀壤するは準犯罪なり。

第７０９条　故意又は過失に因りて他人の権利を侵害したる者は之に因りて生じたる損害を賠償する責に任ず（財３７０）

　本条は不法行為によりて生ずる債権の原則を定めたるものなり。これに関しては大凡２主義あり１つはイギリス法の主義にしていやしくも他人の権利を侵害するの事実ある以上はたとい実際損害を生ずることなきもなお加害者は損害賠償の責を負うべしとするに在り１つは欧州大陸の主義にして損害あるにあらざれば賠償を為さしめざるに在り。しかして我新旧民法皆第２の主義を取れり。けだし他人の権利を侵害するは不法行為なることもとより論なしといえどもこれには自ら他に制裁あり。いやしくも金銭をもって賠償を為さしむるには被害者が損害を被るにあらざれば何を賠償すべきかほとんど了解に苦しむなり。これ本条において断然権利侵害と損害との２者を要するものとせる所以なり。

　明治３２年法律第４０号は失火の場合に関し本条に一つの例外を認めたり「但し失火者に重大なる過失あるときは此の限りに在らず」とせり。

第７１０条　他人の身体，自由又は名誉を害したる場合と財産権を害したる場合とを問はず前条の規定に依りて損害賠償の責に任ずる者は財産以外の損害に対しても其賠償を為すことを要す

　前条においてはひろく「他人の権利を侵害したる者いい」といえり。しかしてその権利は敢えて財産権といわざるが故に一切の権利を包含すべし。しかして人の身体，自由又は名誉を害したる場合は勿論財産権を害したる場合においても単に財産上の損害に止まらず財産以外の損害に対してもまたその賠償を為すべきものとせり。例えば不法に他人の自由を拘束したるときはたといこれによりてその者が金銭の損害を受けざるもまた賠償を為すべきものとす。故にその者が自由を奪われたる間その職業を休むのやむことを得ざるに至り従って賃金を損するが如きは則ち財産上の損害なりといえどもなお他にその自由を奪われたるにより生じたる不愉快の感情を金銭に見積もりもってこれを賠償せしむることを得べし。なお直接には他人の財産権を害したるといえども敢えて財産上に損害を及ぼさざることあり。しかもその無形の損害に対してはその賠償を為さざることを得ず。例えば窃盗が必要なる書籍を奪いたる場合においてはもしその書籍を返還するときは所有者は財産上一銭の損害をも受けざることありといえどもしかもその書籍なき為めあるいは公務を欠きあるいは必要なる研究を為すことを得ず為めに無形の損害を被ることあり。この場合においてはこの損害をも金銭に見積もりもってその賠償を為さしむることを得べし。

第７１１条　他人の生命を害したる者は被害者の父母，配偶者及び子に対しては其財産権を害せられざりし場合においても損害の賠償を為すことを要す

　人は自己の生命に付き権利を有するはもとよりなりといえどもしかも他人の故意又は過失によりその生命を殞したるときはその者は死亡せるをもって敢えて加害者に対して損害の賠償を求むること能わず。しかも相続人は被相続人生命に付き権利を有する者にあらざるが故に死者に代わりて損害の賠償を請求することを得ず。故にこの場合においては加害者は一切賠償の責めを負わざるが如し。しかりといえども被害者の死亡は往々にして父母，配偶者，子等に対し有形又は無形の損害を加うることあり。例えばこれ等の者が死亡者より扶の損害を被ることあり。この場合において加害者に対しその損害を賠償せしむることを得るはほとんど言うをまたざる所なり。ただ父母，配偶者及び子はこの如き財産上の損害を受くることなきもなお加害者に対し損害賠償を請求することを得ずんばあるべからず。何となればこれ等の者は被害者の死亡により大いに悲哀に沈むべきをもってその悲哀より生ずる損害もまた加害者これを賠償せざることを得ず。名づけてこれを慰籍金という。けだし悲哀は無形上大いに損害を醸すことはほとんど論をまたざる所にしてその賠償として金銭を得るときはあるいはこれによりて他の快楽を買いもって僅かにその憂悶を遣ることを得べければなり。

　以上は明文なきときは往々にして疑惑を惹起するおそれあり。殊に生命権の存在に付いては学者間頗る異論なきにあらず。これ本条の明文を設けたる所以なり。

第７１２条　未成年者が他人に損害を加へたる場合に於て其行為の責任を弁識するに足るべき知能を具へざりしときは其行為に付き賠償の責に任ぜず（財３７６）

　本条以下第７２０条に至るまでは不法行為の責任者に関する特別の規定を掲げたるものなり。しかして本条は未成年の責任に関するものなり。けだし未成年は法律行為に付いては無能力なるにあらず語を換えてこれを言えば未成年者が法定代理人の同意なくして法律行為を為したるときはその法律行為はこれを取消すことを得るといえども未成年者が他人に損害を加えたるときはこれによりて生ずる責任を免るることを得ず。ただ行為は必ず意思を要するが故に医師なき行為は真の行為にあらず。従いてその行為が他人の権利をけだし他人に損害を加うるも敢えて不法行為と為すことを得ず。故に未成年が甚だ幼稚にして未だその行為の責任を弁識するに足るべき知能を具えざるときはその行為に付き責任を負わざるものとす。なおこの場合における責任者は第７１４条にこれを規定せり。

第７１３条　心神喪失の間に他人に損害を加へたる者は賠償の責に任ぜず但故意又は過失に因りて一時の心神喪失を招きたるときは此限に在らず

　本条は心神喪失者に不法行為の責任なきことを定めたるものなり。けだし前条に付いて言えるが如く行為は必ず意思を要するが故に心神喪失者の行為は真の行為にあらず。従いてその行為が他人の権利をけだし他人に損害を加えるももって不法行為と為すべからず。故に心神喪失者はその行為に付き責任なきものとす。しかしてその心神喪失の原因は疾病によると他の原因によるとを問わず。例えば治療の為め麻酔剤を用い為めに心神を喪失したる者が他人の権利を害し他人に損害を加えたる場合においてはこれに付いて責任を負うことなし。しかりといえどももしその心神喪失がその者の故意又は過失によりて生じたるものなるときは既に自己の心神を喪失したるに付き責任ある者なるが故にその心神喪失中に他人に損害を加うることあるべきはその予期せざるべからざる所なりしをもってこの場合においては充分の責任を負わざることを得ず。例えば一時の心神喪失を招く為め特に多量の酒を飲みまたはこの如き意思なきも多量の酒を飲みたる結果として一時心神喪失したるときはその心神喪失間において他人に加えたる損害はこれを賠償せざることを得ず。但し初めは故意又は過失によりて心神の喪失を招きたるもその心神喪失が一時のものにあらずして長く継続する場合においてその間に他人に損害を加えたるときはこれその故意又は過失の直接の結果と為すことを得ざるが故にこれに付いてはまた責任を負わざるものとす。例えば大酒の結果全く心神を喪失し純然たる狂者と為りたるとき又は阿片煙を喫したる結果ついに心神を喪失したる場合の如き即ちこれなり。

　禁治産者といえども本心に復したる間において為したる行為に付いては十分の責任を負わざるべからず。又未だ禁治産の宣告を受けざるも心神を喪失したる者が為したる行為は総て本条の適用を受くべきものとす。

第７１４条　前２条の規定に依り無能力者に責任なき場合に於て之を監督すべき法定の義務ある者は其無能力者が第三者に加へたる損害を賠償する責に任ず但監督義務者が其義務を怠らざりしときは此限に在らず

　監督義務者に代はりて無能力者を監督する者も亦前項の責に任ず（財３７１，３７２）

　本条は前２条の場合において監督者が責任を負うべき旨を定めたるものなり。けだし未成年者は親権を行なう父もしくは母又は後見人の監督の下に在るべく又禁治産者は常に後見人の監督の下に在りこれ等の場合において弁識力なき未成年者又は全く心神を失える禁治産者が他人に損害を加えたるときはその父母又は後見人はこれを監督して他人に損害を加えざらしむるの義務ある者なるが故に自ら損害賠償の責めに任ぜざることを得ず。但しこれ元来監督の義務を怠りたるによりて負う所の責任にして敢えて無能力者の不法行為に付き責任を負うものにあらず。従いて右の監督義務者がその義務を怠らざりしことを証明するときはもとより賠償の責めなきものとす」監督義務者は往々にして自ら無能力者を監督せずして他人をして之を監督せしむることあり。例えば未成年者を学校に入れ又は禁治産者を瘋癲病院に入るる場合においてはその校長又は院長は監督義務者の依頼を受けてその者を監督する者なり。しかるにこの者がその義務を怠りたるにより無能力者が他人に損害を加えたるときは監督義務者に同じく損害賠償の責任を負わざることを得ず。但しこの場合においてももし監督義務者が校長又は院長の監督を託するに足らざる者なるに拘わらずこれを託したりとせば監督義務者は未だその義務を尽くしたる者ということを得ず。故に監督義務者もまた本条第１項の責任を負わざることを得ず。この場合においては監督義務者と校長，院長等との間においては校長，院長等は監督義務者に対して契約上の責任を負うべきはもとよりなりといえども被害者に対しては両人孰れも責任を負わざることを得ず。故にこの場合においては被害者はその選択に従い監督義務者又は校長，院長等に賠償の請求を為すことを得べし。しかしてもし一人が全部の賠償を為したるときは復損害なきが故に更に他の者に対して賠償の請求を為すことを得ざるはもとより言うをまたざる所なり。但し一人が損害の一部のみを賠償したるときはその残部に付き他の者に請求を為すも可なり以下皆同じ。

　以上は民法に従い法定の監督義務ある者に付いてのみ論じたりといえども他の法律により監督の義務を負うものもまたこれなきにあらざるべし。例えば未成年者は父又は母の請求によりこれを懲戒場に入るることあるべし。この場合においては懲戒場長はその未成年を監督すべき義務ある者と定むべきことほとんど疑うを容れず。又は禁治産の宣告を受けざる瘋癲者もこれを瘋癲病院に入れることは極めて多かるべし。しかして瘋癲病の特別法が制定せらるるに至らばその場長，院長は法定の監督義務ある者というべし。しかしてこれ等の場合において場長，院長の命を受けて実際無能力者を監督する者には本条第２項の規定を適用すべきこともとより論をまたざる所なり。

第７１５条　或事業の為めに他人を使用する者は被用者が其事業の執行に付き第三者に加へたる損害を賠償する責に任ず但使用者が被用者の選任及び其事業の監督に付き相当の注意を為したるとき又は相当の注意を為すも損害を生ずべかりしときは此限に在らず

　使用者に代はりて事業を監督する者も亦前項の責に任ず

　前２項の規定は使用者又は監督者より被用者に対する求償権の行使を妨げず（財３７１，３７２，４項，５項，３７３，３７７）

　本条は前条の規定と略略その性質を同じうし他人の不法行為に付き責任を負うべき者を定めたり。即ちある事業の為め他人を使用する者は被用者がその事業の執行に付き第三者に加えたる損害を賠償すべきものとせり。例えば車夫が車をひくの際その不注意によりて路人に損害を加えたるときはその車夫が被害者に対して賠償の責めを負うべきはもとよりなりといえども主人もまたこの如き不注意なる車夫を選任しかつその車をひくに際し路人に損害を加うるのおそれあるときは特に注意を行なうべきにこれを為さずして遂に第三者に損害を加えるに至りたるが故に自己の不注意に付きまた賠償の責めを負わざることを得ず。但しこれまた車夫の不法行為に付き責任を負うにあらずして自己がその選任を誤り又は監督を怠りたるに付き責任を負うものなるが故にもしその選任及び監督に付き相当の注意をなしたることまたは相当の注意を為すも損害はなお生ずべかりしことを証明したるときはその攻めを免れるべきものとす。例えば主人が車夫を雇入るるにあたりその性質，技術に付き充分の取調べを為したるにすこしも欠点なきが如くなりしをもってついにこれを雇入れたりとせばその選任に付き相当の注意を為したるものというべし又車夫が車をひける間稠人中を走るをもって路人に損害を加うべからず旨を注意しかつその路人に損害を加えんとするにあたりその危険を告げ速やかに車を止むべき旨を命じたるも遂にその損害を生じせしむるに至りたるときは敢えて監督を怠りたる者と為すことを得ず。又雇人をして荷車に貨物を積載し他人の許に運搬せしむる場合においてその雇人が途中にて誤りて路人に負傷せしめたる場合においては仮に使用者がすこしも監督を為さざりしとするもこれ等の事は監督に付き相当の注意を為すも生ずべき事項なるが故にいやしくも雇人の選任に付き相当の注意を為したる以上は敢えて損害賠償の責めを負わざるものとす。

　主人が番頭を置ける場合においてその番頭が丁稚の監督を怠りたる為めその丁稚が不法行為を為すに至るときはその番頭もまた責任を負わざることを得ず。故にこの場合においては主人と番頭と共に賠償の責めを負うこと稀なりとせざるべし。ただ前条において述べたるが如く被害者が一人より賠償の全部を受けたるときは更に他の一人に対して賠償を請求することを得ざるはもとより言うをまたざる所なり。なお主人と番頭との関係においては番頭は主人に対し責任を負うべきことはまた疑うを容れざる所なり。

　前条の場合においては無能力者に責任なきが故に監督義務者又はその委任を受けて監督を為す者は全く損害賠償を負担せざることを得ず。これに反して本条の場合においては被用者もまた責任を負うべきが故に（第１）被害者が被用者より損害の賠償を得たるときは更に使用者又は監督者に対し賠償を求むることを得ざるは勿論なり（第２）被害者が使用者又は監督者より損害賠償を受けたるときはその使用者又は監督者は被用者に対し求償を為すことを得べし。しかしてこれ委任その他の契約関係より生ずる所の権利に属す。故に明文をまたざるが如しといえども本条において特に使用者又は監督者をもって責任者と為すが故にあるいは被用者はこれ等の者に対して責任なきかを疑わしむる嫌あるをもって本条第３項の規定を置きたるなり。

第７１６条　注文者は請負人が其仕事に付き第三者に加へたる損害を賠償する責に任ぜず但注文又は指図に付き注文者に過失ありたるときは此限に在らず

　前条の被用者は使用者の命を受けてある事業を為す者にして請負人の如くその事業の執行に付き独立の地位に在る者にはこれを適用すべからざるはけだし論をまたざる所なりただ「被用者」なる文字は字義上「請負人」までをも包含するの嫌あるをもって特に本条の規定を置きたるなり。殊に本条但書きにいえるが如くもし仕事の注文又は指図に付き注文者に過失あるときは注文者はその責めに任ぜざることを得ざるをもって特に本条の要あるなり。例えば路傍の車夫を雇い甲の場所より乙の場所に車をひかしむる場合においては一つの請負なりといえどももし初めより乗客にして稠人中を疾走すべき旨を命じ又は途中にて稠人中を通行すべきにあたり極めて疾走してその通行を為すべき旨を命じたるときは乗客はこれに付き責任を負わざることを得ず。但しこの場合においても車夫はもとより責任あるをもって被害者は両人の中一人に対し賠償を求むることを得べし。

第７１７条　土地の工作物の設置又は保存に瑕疵あるに因りて他人に損害を生じたるときは其工作物の占有者は被害者に対して損害賠償の責に任ず但占有者が損害の発生を防止するに必要なる注意を為したるときは其損害は所有者之を賠償することを要す

　前項の規定は竹木の栽植又は支持に瑕疵ある場合に之を準用す

　前２項の場合に於て他に損害の原因に付き其責に任ずべき者あるときは占有者又は所有者は之に対して求償権を行使することを得（財３７５，３７７）

　前数条は他人の不法行為に付き責任を負うべき場合とこれを負わざる場合とを定めたりしか本条においては土地の工作物又は竹木に付き責任あるべき場合を定めたりけだし占有物又は所有物が他人に損害を加うるもこれがために当然その占有者又は所有者に損害賠償の責めを生ずることなしといえどもし占有者もしくは所有者にして過失あるときはその過失の責めに任ぜざることを得ず。本条においては土地の工作物の設置又は保存に瑕疵ありてこれによりて他人に損害を生じたるときは原則としてその工作物の占有者は被害者に対し損害賠償の責めに任ずべきものとせり。これ工作物の設置又は保存に瑕疵あるは直接又は間接に占有者の過失なるをもってなり。しかりといえどももし占有者に過失なきときは敢えて責任を負うことなし。即ち損害の発生を防止するに必要なる注意を為したるときはその損害は占有者之を賠償せずして所有者之を賠償すべきものとす。けだしこの場合においてはもともと所有者が工作物を設置するにあたり充分の注意を為さざりしをもってその損害を生ずるに至りたるものなればなり。例えば家屋の基礎脆弱にして些細の地震に崩壊し遂に他人に損害を加えたるときはその占有者は偶然の占有者たると賃借人使用借主等の如き権限によりて家屋の占有を為す者とを問わず皆被害者に対し損害賠償の責めに任ぜざることを得ず。又家屋の建築は堅牢なりしも既に腐朽して退廃に垂とする場合において支柱その他適当の予防工事を施さざるときはその家屋は動もすれば崩壊して他人に損害を加えるのおそれありしかるにこの注意を欠きたるがため遂に他人に損害を及ぼすに至りたるときはその占有者はまた賠償の責めに任ぜざることを得ず。しかりといえども前２例において占有者が支柱その他適当の予防工事を施したるに拘わらずその家屋の基礎の脆弱なるため又は既に腐朽せるため遂に他人に損害を及ぼしたるときは占有者には少末の過失なしといえども所有者は元来基礎の脆弱なる家屋を建築し又はその腐朽に至らざる前適当の修繕を為すを怠りたる過失あるをもってその賠償の責めに任ずばきものとす。

　以上は土地の工作物に付いて論じたりといえども竹木に付いてもまた同じからざることを得ず。即ちこれを植うるの法其の宜しきを得ず。又はその傾倒せんとするにあたり適当なる支柱を施すことを為さずために他人に損害を及ぼしたるときは原則として占有者その責めんい任しもし占有者に過失なきときは所有者その責めに任ずべきものとす。

　以上は被害者に対する占有者又は所有者の責任を論じたるものなりといえども占有者又は所有者は自ら工作物を建築し又は竹木を栽植しその他これ等の物の保管を為さざること稀なりとせざるが故にこれ等の場合においては他に占有者又は所有者に対し責任を負うべき者あるべし。例えば請負人をして家屋を建築せしめたる場合においては請負人がその工事に付き充分の注意を為さざりしためその家屋の基礎脆弱なることあり又竹木は槖駝師をしてこれを植えしむること多し。しかるに槖駝師がその栽植に付き注意を欠きたるためついにその傾倒を招くことあり。又雇人をして家屋及び竹木の保管を為さしむることあり。この場合においてその雇人の過失により建物に必要の修繕を施さず又は竹木に必要の支柱を施さざるためついに傾倒して他人に損害を加えたるときは占有者又は所有者は被害者に対して責任を負うこと既に述べたるが如しといえどもその占有者又は所有者は右の請負人，槖駝師又は雇人に対しその義務の不履行を責めこれをして自己に対し賠償を為さしむることを得べし。

第７１８条　動物の占有者は其動物が他人に加へたる損害を賠償する責に任ず但動物の種類及び性質に従ひ相当の注意を以て其保管を為したるときは此の限に在らず

　占有者に代はりて動物を保管する者も亦前項の責に任ず（財３７４）

　本条は動物に付き責任を負うべき場合を定めたるものなり。けだし単に動物が他人に損害を加えたるのみによりてその占有者又は所有者は必ずしも責任を負うことなしといえどももし相当の注意を欠きたるがため他人にお損害を加えたるときはその賠償を為さざることを得ず。しかして占有者は特に「動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその保管を為したる」ことを証明するにあらざれば常に過失ある者とみなせり。例えば虎が人を噛みたる場合の如きは虎はもともと猛獣にして特にその保管に注意するにあらざれば人を噛むの恐れあることは三尺の童子といえども知る所なり。しかるにこれを粗造なる檻の中に容れしかも畫夜これを監視せざりしがため虎がその檻を破りて走出し遂に人を傷つけたるが如きは占有者に過失あること疑いなし。又犬は通常人を噛むものにあらずといえどもその狂疾あるものには特にその保管に注意するにあらざれば動もすれば人を噛むの恐れあり。しかるにこれを放置したるがため遂に路人を噛みたりとせんにこれまた占有者の過失たることもとより論なしこれ等の場合においては占有者は損害賠償の責めに任ぜざることを得ず。しかりといえどももし占有者が虎を堅牢なる檻の中に監禁しかつ時々その檻を巡視したりとせんにしかも檻中より人を傷つけたりとせばこれ敢えて占有者の過失と為すことを得ず。又狂犬を繋ぐに鉄鎖をもってしこれを通常人の入らざる場所に繋ぎ置きたるに会その処に至りたる者ありてその犬に噛まれたるときは敢えて占有者の過失と為すことを得ず。従いてこれ等の場合においては占有者は損害賠償の責めを負わざるものとす。

　前条においては時として所有者に責任あるものとせるに本条においては単に占有者のみ常に責任を負うべきものとしたる所以如何いわく前条の場合においては所有者が不堅牢なる工作物を設け又はその保存に注意せざりしため他人に損害を及ぼすことあるをもってこの場合においてはたとい占有者が相当の注意を為すもなお他人に損害を加うることあり。従いて所有者に損害賠償の責任あることなきにあらずといえども本条の場合においては動物は敢えて所有者がこれを造りたるにあらず。その他人に損害を及ぼすは専ら保管の注意その宜しきを得ざるに座すること多きが故にこれをもって専ら占有者の責任と為したるは理のしかるべき所なり。

　占有者は往々にして他人をして自己に代わりて動物の保管を為さしむることあり。この場合においてはその保管者もまた右の責任を負わざることを得ず。例えば前例において虎又は犬の占有者がその雇人をしてこれを保管せしめたる場合においてはその雇人もまた被害者に対して責任を負わざることを得ず。ただこの場合においては第７１５条により占有者もまた責任を負うべきは勿論なり。従いて被害者はその選択に従い占有者又はその雇人に対して請求を為すことを得べし。なお占有者と雇人との関係においては雇人は占有者に対し賠償の責めを負うべきことは第７１５条第３項の規定によりて明らかなり。

　本条の場合においてこの占有者が他人をして檻又は鎖を造らしめたるにその者が契約の主旨に反し不堅牢なる檻又は鎖を造りたるがためについにその動物を奔逸せしめたるときは被害者に対しては占有者その責めに任ずべしといえどもその占有者は更に転じて檻又は鎖の製造人に対し求償を為すことを得べし。これもとより言うをまたざる所なるが故に敢えて明文を置かず。もし夫れ前条第３項に類似の規定を置きたるはその適用最も頻繁なるをもってなり。

第７１９条　数人が共同の不法行為に因りて他人に損害を加へたるときは各自連帯にて其賠償の責に任ず共同行為者中の孰れが其損害を加へたるかを知ること能はざるとき亦同じ

　教唆者及び幇助者は之を共同行為者と看做す（財３７８）

　本条は数人が共同をして一つの不法行為を為したる場合において各自連帯の責任を負うべきことを定めたるものなり。例えば数人共謀して他人の家屋を毀ちたるときはその各自は被害者の請求に応じ家屋の代価及び他の損害の全部を賠償すべくその他総て連帯債務者の負うべき責任を負うものとす。これ他なしこの場合においては各加害者の行為皆損害の原因なるが故に被害者はその孰れに対しても損害の全部を請求することを得べきはほとんど論をまたざる所なり。しかして法律は特に被害者の便を計り加害者間に連帯の責任あるものとしたるなり。

　右は数人が共同の不法行為によりて一つの損害を加えたる場合に付いて論じたり。しかるに往々にして数人が同時に不法行為を為し他人に一つの損害を生ぜしめたりといえどもしかもその孰れの行為が之を生ぜしめたるかを知ること能わざることあり。例えば数人同時に他人の家屋に向かいて石を投じたるにその一つが家屋に命中してその一部を破壊したりとせんにその石は必ず一人の投じたるものなりといえども誰がその石を投じたるかを知ること能わず。しかして同時に石を投ぜし者数人ありとせば法律はあたかもその共同の行為によりて損害を生じたるものの如くみなし同じく連帯してその責めに任ずべきものとせり。これ理論上より見ればいささか解し難きものあるに似たれどもしかもこの場合において連帯責任あるものとせざれば被害者はついに誰に向いてかその賠償を請求することを得んや。故に立法者は特に被害者を保護し右の行為者全体をして連帯の責任を負わしめたるなり。けだしたとい実際はその一人の行為によりて損害が生じたるにもせよ各自皆その損害を生ぜしむるの石ありたるが故にこれをして連帯の責任を負わしめたるなり。けだしたとい実際はその一人の行為によりて損害が生じたるにもせよ各自皆その損害を生ぜしむるの意思ありたるが故にこれをして連帯の責任を負わしむるも敢えて酷に失するものと為すべからざるなり。

　教唆者及び幇助者は果して共同行為者と為すべきかこれ刑法においてはやや疑わしき問題に属しその制裁に付いてもまた一様ならずといえども不法行為より生ずる民法上の責任に付いてはこれを共同行為者とみなせり。けだし理論上においても純然たる共同行為ありというべき場合極めて多く又たとい純然たる共同行為と視るべからざる場合といえどもその行為は相連繋して密着離るべからざる関係を有するが故にこれをして連帯責任を負わしむるはもとより至当というべければなり。例えば前例において自ら石を投ぜずといえども他人にこれを投ずべきことを教唆したる者又はその投ずべき石を供給したる者は皆これを共同行為者とみなすなり。

　本条の責任は連帯責任なるが故に総て第４３２条乃至第４４５条を適用すべきものとす従いて第４４２条以下の規定により各債務者は他の債務者に対し求償権を有するものとす。これ第７０８条に採用したる主義と相容れざるものなきにあらずといえども本条の解釈上しからざるを得ざることは既に第７０８条に付いて論じたる所なり。

第７２０条　他人の不法行為に対し自己又は第三者の権利を防衛する為め已むことを得ずして加害行為を為したる者は損害賠償の責に任ぜず但被害者より不法行為を為したる者に対する損害賠償の請求を妨げず

　前項の規定は他人の物より生じたる急迫の危難を避くる為め其物を毀損したる場合に之を準用す

　本条は正当防衛の場合に付いて規定せり。けだし正当防衛は刑法においても不論罪の原因にして（刑３１４，３１５）民法上においてもまた不法行為の責めなきものとす。例えば甲が乙を打たんとするをもって乙はやむことを得ず甲を打ちたるときはために甲に負傷せしめ損害を生じたりとするも乙は敢えて責任を負うことなし。又例えば甲が乙に向かいて物を投じたるをもってその傍らに在りたる丙がやむことを得ず。その手にせる所の杖を揮いてその物を打ちたるにその物飛びて丁の器物を破損したりとせんに丙は丁に対して賠償の責めを負うことなし。ただ丁は甲に対し損害の賠償を求むることを得べし。けだしその損害は寧ろ甲の所為より生じたるものと視るべければなり。

　以上は他人の不法行為に対しやむことを得ず。損害行為を為したる場合に付いて論じたりといえどもたとい他人の不法行為なきも自己又は第３者の権利を防衛するためやむことを得ずして損害行為を為したる場合は総て同じからざることを得ず。例えば他人の家において地震に際し架棚上の器物が自己又は他人の頭上に墜落せんとするにあたりやむことを得ずしてこれを傍らに投擲したるときはたといその物が毀損してその所有者が損害を受くるも敢えてその賠償の責めに任ぜざるが如き即ちこれなり。

第７２１条　胎児は損害賠償の請求権に付ては既に生まれたるものと看做す（１，人２）

　民法第１条によれば「私権の享有は出生に始まる」ものとす。故にこの原則に従えば胎児が損害賠償の請求権を有せざるはもとよりなり。しかりといえども不法行為に付いては胎児の権利を認むるの必要なる場合あり。例えば甲が乙のために殺されたる場合において甲に遺腹の子ありとせばその子は乙に対し損害賠償の請求権を有するものと為さざることを得ず。けだしその子は生まれながらにして父なきの不幸を見るべきのみならず。これがために適当の不扶養者及び教育者なきため有形上及び無形上に莫大の損害を受くることあるべければなり。

　しかりといえども胎児はその胎内に在る間において既に損害賠償の請求権を有することなん盖し胎児が既に生まれたるものとみなさざるもこれ一つの仮定に過ぎずしてその真に権利を享有するは出生の後に在るべし。故にもし胎児が死体にて生まるるときはついにその権利を享有することなかるべし。ただ本条の規定なきときはその父が殺されたる場合においてその殺害後数月を経て生まれたる子は必ずしもその殺害によりて損害を受くるものと為すべからず。何となればたといその父が殺されざるもその子の出生に至るまでに死亡したるやも知るべからざればなり。加えてこれその殺害の行為が直接にその子に損害を及ぼしたるものといい難しということを得ればなり。

　以上は胎児の父が殺害に遭いたる場合を想像せるといえども単にその父又は母が他人の不法行為によりて負傷したるときもまた同じきことはけだし言うをまたざる所なり。

第７２２条　第４１７条の規定は不法行為に因る損害の賠償に之を準用す

　被害者に過失ありたるときは裁判所は損害賠償の額を定むるに付き之を斟酌することを得（財３７０，２項，３８６，３８７）

　本条は損害賠償の方法に付き規定したるものなり。しかしてまず第４１７条に規定せる債務不履行の場合の損害賠償の方法をここに準用すべきものとせり。即ち金銭をもってその金額を定むべきものとせり。第４１７条には別段の意思表示ある場合を除外するといえども不法行為の場合においては予め当事者の意思表示あるべきいいれなきが故にこれ自ら本条の場合に適用なきものとす。

　被害者が他人の不法行為によりて損害を受けたる場合において自己に過失ありたるときは裁判所は損害賠償の額を定むるに付きこれを斟酌することを得るものとせり。例えば甲が乙を罵詈したるをもって乙が甲を殴打しこれに負傷せしめたるときは乙はもとより損害賠償の責めを負うといえども甲に乙を罵詈したるの過失あるをもって裁判所は乙をして甲が受けたる損害の全額を償わしめずしてその一部は甲自ら負担すべきものとすることを得べし。余りは立法論としてはこれを取らずといえども本条の解釈としてはすこしも疑いを容れざる所なり。

　第４１８条によれば債権者に過失ありたるときは裁判所は単に損害賠償の額のみに関せずその責任を定むるに付いてもまたこれを斟酌すべきものとせり。これ他なし債務の不履行は必ずしも債務者の過失によらざるをもってもし債権者に過失あるときは債務者は全く責任なきものと為すべき場合なしとせず。これに反して不法行為の場合においては加害者は常に不法行為を為したる責任を免るることを得ざるが故にたとい被害者に過失あるも加害者をして全くその責めを免れしむることを得ず。又第４１８条においては必ず債権者の過失を斟酌せざることを得ずといえども本条においては単にこれを斟酌することを得るものとせり。盖し加害者の過失大いにして被害者の過失小なるときは必ずしもこれを斟酌することを要せざるものとしたるなり。

第７２３条　他人の名誉を毀損したる者に対しては裁判所は被害者の請求に因り損害賠償に代へ又は損害賠償と共に名誉を回復するに適当なる処分を命ずることを得

　本条においては名誉を毀損せられたる者が損害賠償以外の方法をもってその保護を受くることを得べき旨を定めたり。けだし名誉なるものはこれを金銭に見積もること極めて難く又何程多額の賠償を得るもために一旦傷つけられたる名誉を回復することを得ざることあり。故にこの場合においては他の救済法を許さざることを得ず。例えば法廷において謝罪を為さしめ新聞紙に謝罪の広告を為さしむるこれ等なり。しかしてこれあるいは単独に之を命ずることを得べく。あるいは損害賠償と共にこれを命ずることを得べし。しかして単独にこれを命ずるか損害賠償と共にこれを命ずるかは被害者の請求にもよるべしといえども既に名誉を傷つけられたるがため受けたる損害ありと認むべき場合においては被害者の請求により他の方法の外に損害賠償を命ずることを得べきももし未だ著しく損害を受けたると視るべからず。他の方法のみによりて充分の救済ありと認むべきときは敢えて損害賠償を命ぜざるべし。

　裁判所において被告に対し法廷に謝罪を為すべき旨を命ずるももし被告にしてこれを聴かざるときは果して如何すべきかこれ自ら民事訴訟法の問題にしてあるいは罰金を科するも可なるべきか。

　裁判所において謝罪文を広告すべき旨を命じたるも被告がその命に従わざるときは果して如何すべきかいわくこの場合においては原告は被告の費用をもってその広告を為すことを得べし。これ第４１４条第２項の適用なり。

　もし新聞社において其の広告を掲げ肯せざるときは果して如何すべきかいわくこの場合においては事不能に属するをもってその判決は終に執行を受けずしてやむべし。けだし裁判所の命令は当事者に対してのみ効力あるものなるが故に第三者たる新聞社に対しては敢えて強制の効力あることなし。故に新聞社はその営業の自由により自己の欲せざる広告を引受けざるもこれを如何ともすること能わず。但しこの如きことなからしめんがため新聞紙条例その他の特別法をもって新聞社を強制するもあるいは可ならん。

第７２４条　不法行為に因る損害賠償の請求権は被害者又は其法定代理人が損害及び加害者を知りたる時より３年間之を行はざるときは時効に因りて消滅す不法行為の時より２０年を経過したるとき亦同じ（財３７９，証１５０，刑訴８ないし１２）

　本条は不法行為による損害賠償の請求権の時効を定めたるものなり。この権利はもとより債権なるが故にもし本条の規定なくんば第１６７条第１項の通則により１０年によりて時効に罹るべし。しかりといえども果して不法行為ありたるや否や又その不法行為が何程の損害を生ぜしめたるかは歳月を経るに従いてこれを証明すること極めて困難と為り動もすれば曖昧なる訴訟を提起することあるべし。これ力めて避くべき所なるが故に本条においては特に３年の短期時効を置けり。ただその起算点は不法行為の時とせずして被害者又はその法定代理人が損害の事実及び加害者の誰たるを知りたる時とせり。けだし被害者又は法定代理人の知らざる間にその請求権を失うが如きことあらざらしめんがためなり。しかりといえども被害者又はその法定代理人が損害の事実と加害者の誰たるとを知るは不法行為の時より数十年の後に在ることなしとせず。この場合においてもなおその時より３年間損害賠償の請求権あるものとせば全く本条の精神に反すべきをもって不法行為の時より既に２０年を経過したるときはその請求権は時効によりて消滅すべきものとせり。但し第１６７条第１項において債権の普通時効を１０年としたる以上は本条末段の２０年はあるいはこれを改めて１０年とするを可とすべきか。

　刑事訴訟法第９条以下の規定によれば刑法上罪と為るべき行為に付いてはその私訴もまた公訴と同一の時効に罹るべきものとせり。即ちその期間は罪の軽重により１５年ないし６ヵ月とせり。（刑訴８）ただ公訴に付き既に刑の言渡しありたるときは民法の規定に従うべきものとせり。（刑訴９，２項）これもとより特別規定なるをもっていやしくも刑事訴訟法の改正なき以上は刑法上罪と為るべき行為に付いては既に公訴の判決ありたる場合を除く外宜しく刑事訴訟法を適用すべく敢えて本条を適用すべきものにあらざるなり。