底本：末弘嚴太郎『末弘著作集�U・民法雑記帳上巻〔第2版〕』（日本評論社，1980）

１　民法の独自性

　民法は一般に私法的普通法だといわれている。民法的法律関係の単位者たる「人」は法律方の標準人であり，彼ら相互の間に結成される「法律関係」が最も標準的な合理的な法律関係だと考えられている。そうして「商人」は「人」のうち特に商的なものであり，商法は商人の行為または「人」が特に商的に行為する場合に関する特別法であると考えるのが従来一般の考え方である。

　ところが現在の私法原理を心静かに省察してみると，かくのごとき原理をそのままあてはめて差支えない標準人は商人であって，商人こそそのまま民法上の「人」として取り扱われる資格をもつもののように思われる。商人およびその商的行為は私法原理によって割り切れる。これに反して非商人たる一般人は「人」として取り扱わるべくあまりにも多種多様である。したがって民法こそかえってその多種多様性に応じて特別法原理を多分に具備する必要があるように思われる。

　資本主義はすべての人をして商人たらしめる傾向をもつ。したがって資本主義的私法のもとにおいては，商人こそかえって標準人であって，さればこそ民法が漸次「商化」するのである。

　マルクスは資本主義社会における標準人の性格について「諸商品は自身で市場へ出かけかつ自身で自分を交換することはできない，だからわれわれは彼らの保護者を，商品所有者を，みつけねばならぬ，諸商品は物であり，かつそれゆえに人間に対して無抵抗である，もしそれが従順でなければ，人間は強力を用いることができる，いいかえればそれをつかむことができる」との説明を与えているが，パシュカーニスはこれに法学的説明を与えて「資本主義社会はまず第一に商品所有者の社会である，この事は生産過程における人の社会的関係がここでは労働の生産物の中に物質的なる形態を獲得し価値として互いに関係しあうことを意味する，商品——これは有要なる本質の具体的なる多様がその中において，一定の比例で他の商品と交換せられる手段たる・価値の抽象的性質のただ簡易なる物質的な外被となるところの対象である，この本質は人の意思からは全く独立してその背後に存在する自然法則によって物自体として存在するものである」といっている。そしてこの「人の意思からは全く独立してその背後に存在する自然法則によって物自体として存在するもの」，それこそは資本主義的私法の想定する「人」にほかならないのである。このゆえに資本主義社会では有償的行為のみが合理的であって，義理人情その他寛容的なものはすべて不合理として排斥される。

　ところが実際社会における——商人にあらざる——普通人は「商品所有者」としての性格のほかにもっと複雑な「人間」としての性格をもっている。彼らは商品所有者としての「人」である以上にもっと複雑な性格をもっている。

　さればこそ権利濫用の法理，公序良俗の原理，信義誠実の原則等が民法の世界において特にその価値を発揮するのであって，これこそ資本主義原理に反抗して人々の人間的要求を認容せんとする民法的原理にほかならないのであると私は考える。この原理を学理的に組み立てる仕事こそ今後の民法学者に課せられた重いそして興味ある責務なのではあるまいか。

２　民法の商化と民法の将来

　かつて「民法の独自性」という標題のもとに，現在の民法および民法学がその基礎的概念と認めている「人格」についての私の平素抱懐している疑いの一部を述べておいた。ところがその後，当時私が同文によっていわんとしていた趣旨が読者によって十分に理解されなかったらしい事実を発見したので，ここにかさねて同じ問題を取り扱っておきたい。

　従来の通説によると，民法一般私法である，商法が商人もしくは商取引に関する特別法であるのに対して，民法は一般人の一般私生活に関する一般私法であると考えられている。すなわち民法のいわゆる「人」が一般私法関係の単位者であって商人は「人」プラスαであると考えられている。しかるに実際上いつのまにか「人」と「商人」とが置き換えられてだんだんに「商人」的なものが一般私法の標準人として考えられ，その結果，従来商人にのみ妥当すと考えられた私法原理がだんだんに普通の「人」一般に適用されるようになる傾向がある。学者の「民法の商化」と称する現象がすなわちそれである。そしてこのことは資本主義社会においてはすべての人がだんだんに商人化し，商人的にふるまうことが人として合理的にふるまうゆえんであると考えられるようになる傾向に対応するものである。ところが実際の人間社会を事実について観察すると，なるほど人間が一般にだんだん商人化する傾向はこれを否定しえない，したがって従来商人社会にのみ妥当すと考えられた私法原理を押しひろげて一般人にもこれを適用する必要が漸次増大する傾向はたしかにこれを認めなければならないけれども，しかも商人ならざる一般人は結局かくして商化した私法原理をそのまま受け入れるに適しない人間性をもっており，したがって民法が「商化」すればするほど商人ならざる一般人は彼らの性格に適合するように私法原理が修正されることを要求するようになるという傾向を見逃しがたい。

　すなわち民法の商化という現象は資本主義社会においては一般人がだんだんに商人化する傾向があるという事実に基礎を置く法律変化の傾向を表わすものにほかならないのであって，しかも現実においては一般人は法学者が普通に考えるほど一般に商化しない，したがって商化した私法原理をそのまま適用されるに適しない性格を多分にもっている。したがって民法が商化すればするほど一般非商人は彼らに適用せらるべき私法原理に「人間」的モディフィケーションの加えられることを要求するに至り，かくして事を極端に考えると民法がだんだんに商化すると結局商法が一般私法になって民法がかえってとうてい商人になりきれない一般普通人のための特別私法になるのではあるまいかという疑いを私は抱いているのである。現在でも公序良俗，権利濫用の法理，信義誠実の原則等の修正原理が商法におけるよりはるかに民法において必要とせらるるのは，現在の民法原理すらすでにあまりに商化しすぎており，したがって一般普通人はその適用に堪えないという事実を物語るものではないかと考えられるのである。

　商法の適用に堪えることができない商人はよろしく商人をやめるがいい。商人をやめてもなお活きる道がある。民事訴訟法の適用に堪えない弁護士はよろしく弁護士をやめるがよろしい。弁護士をやめても別に活きる道はいくらでもある。ところが民法の適用に堪えない人間は人間をやめるわけにゆかない。人間をやめることは死ぬことである。いかに民法が商化するのが当然であるとしてもそれがために人間を殺すわけにゆかない。さればこそ権利濫用や信義誠実の原則が商法や民事訴訟法におけるより民法においてはるかに意義をもつと私はいうのである。

　むろん民法がいかに商化する傾向にあるにしても身分法がその傾向のそとに立つことはいうまでもない。また物権法は財に関する一般私法であって，財に一定の法的定型を与えることを目的とする法律にほかならないから，それが民法・商法の別なく同様に妥当するのは当然である。これに反して民法総則中法律行為に関する規定および財産的取引に関する債権法の規定は，その内容が商化すればするほど，かえって商人にのみ妥当するものとなり，一般普通人のためにはかえってある修正原理を必要とするようになる。ところが現在ではその修正原理がどうもめのこ算的にしか適用されず，商化された民法に民法的な独自な修正を加える原理とその適用とがいまだ全く科学的に整備されていない。

３　予防法学としての民法学

１

　あらかじめ法の何たるかを明らかにして争いを事前に防ぐことが法学の大理想でなければならないことは今さらいうまでもない。ところが在来の民法学は争いの存在を前提としつつそれに適正な法的解決を与えることを主たる目的としており，予防的方面は第二次的にしか考えないのが今まで一般の傾向である。

　このことは，現在の民法を構成している法規の多数が裁判規範であることと密接に関係している。民法法規の多数が直接社会に構成的作用を与えることを目的とせずして，社会関係の構成はむしろこれを自然に放任しつつ，単にその間に発生すべき争いを裁断する規準を用意するという考えで作られている以上，これを材料とする民法学が対訟法学的になるのは自然であるけれども，裁判規範たる法規にも間接的には社会構成の作用あること，および民法法規の中にも裁判規範たると同時に直接社会構成の作用を目的とするものまたは主として社会構成的作用を目的とするものが多々あることを考えに入れてみると，在来の民法学が主として対訟法学的であって，予防的方面を閑却していることはたしかにはなはだしい欠点であるということができる。

２

　民法的法規の中でも，物権法および身分法上の諸法規は社会構成的作用の顕著な法規である。債権法の諸法規は自由に放任せられたる社会関係を前提としつつその間に発生すべき争いを裁断する規準として用意されているのに反し，物権法は現実の物権関係をすべて民法の用意した形式に従って構成せしめることを理想としており（１７５条参照），身分法もまた現実の身分関係をすべて民法の規定する形式に従って構成せしめることを理想としている。そうしてその関係の現実的存在を明確ならしむる道具として前者のためには登記，後者のためには戸籍の制度が用意されている。現実の物権関係を登記簿に記入せしめ，現実の身分関係を戸籍簿に記入せしむるによってこれを明確ならしめ，もって争いの発生を事前に予防すべき用意がなされているのである。

　したがって学者がこの種の法規を解釈法学的に取り扱うにあたっては，その法源として単に判例に注意するのみならず，司法当局によって与えられた指令・通牒・回答等行政的の解釈ないし取扱例にも注目する必要がある。法曹界決議のごとき半官的解釈さえ軽視することが許されないのである。この種の法規においては行政的解釈が登記簿ないし戸籍簿の実際的構成を支配する。これにより法律関係の記帳が正確になることによって，法的安全が確保され，争いの発生が予防されるのである。このゆえにこの種法律の研究においては，学者も従来よりはいっそう行政的解釈例の重要性に留意すべきであって，判例の研究のみをもって足れりとすべきではない。

　裁判所が裁判を与えるにあたっても，行政的解釈例のごときは理論上なんらの法源的価値がないなどと軽く考えて，登記簿ないし戸籍簿をとおして確立されている現実的秩序をみだりに破壊するがごとき態度をとるべきではない。むろん制度上裁判所には独自の解釈権能があるけれども，その解釈にあたってはそれによって与えられる裁判がかくして一応確立されている現実的秩序の上にいかなる影響を及ぼすかを十分に考慮する必要がある。

　このことはもとより当然，いまさらいうを要せざる事柄のようであるが，今までのように対訟法学的にのみ民法を考えると，とかくこの種の考慮が怠られやすいから，特に注意を促すしだいである。

　かつて大審院が工場法の解釈にあたって内務省社会局年来の解釈例と矛盾した判決を与えたため無用に実際上の不都合を生ぜしめたことがあるが（昭和７・３・３１民１判決，民集１１巻５６５頁），かくのごときは工場法その他労働法上の法規が一般に裁判規範たるよりはむしろ主として社会構成的作用をめざす法規であり，したがって物権法・身分法におけると同じく，ここでも実際上は行政的解釈例ないし取扱例が法源として重要性をもつことを忘れた不当の態度であると私は考えている。

　ただし裁判所をしてかかる過誤におちいらしめるについては，従来対訟法学的にのみ事を考えがちであった学者の法源論にも責任があるし，また行政官庁の解釈がややもするとその場その場の特殊事情にとらわれすぎて慎重な一般的考慮を忘れることになりやすい欠点があることも同時に１つの原因として考えることができる。予防法学的見地から考えると，なお大いに研究を要する重要問題がこの間に伏在していることを指摘せざるをえないのである。

３

　債権法ことに契約法のごとき主として裁判規範たることを使命とする法規に関しても，予防法学的見地からみると大いに考えねばならないことが非常に多い。

　まず第１に，現在わが国では証拠法の価値が非常に軽くみられているけれども，予防法学的に考えると法定証拠主義的の考え方を加味して事前に争いを予防する方法をもっと完全にする必要がある。事を合理主義的に簡単に考えると，法定証拠主義の価値を軽視する弊におちいりやすい。法定証拠主義によって許さるべき証拠を限定することがいかにも不合理であるように考えられるけれども，予防的見地よりすれば証拠の限定によって証拠の自然的保全をはかり，ひいては契約の定型化をはかり，これにより法律関係を明確ならしむるによって争いを予防することの価値を重視せざるをえないのである。

　次にまた法的実践においても現在では，弁護士の対訟的作用が公証人の予防的作用にくらべてはるかに重くみられている傾向があるけれども，弁護士の仕事についてすらわれわれは今後ますますそれが予防的方面に向けられることを希望するし，実際にもまたその傾向があるように見受けられる。ことにわれわれが最も望むのは公証人の予防的職能が今よりいっそう重要視せられ，大いにこれを利用して現実的法的安全を樹立するような各種制度の改革が行われることである。

　従来でも学者はしばしば法的安全を口にするけれども，対訟法学的考え方によって作られる法的安全は抽象的であり観念的であるにすぎない。それの現実社会に及ぼす効果は間接的にすぎない。今後われわれのめざすべきは予防法学的見地よりする具体的現実的の法的安全を樹立することであって，われわれは民法学者の注意が今後いっそうこの方面に向けられることを希望してやまないものである。

４　民法学と民事政策

１

　刑事に刑事政策があると同じように，民事についても民事政策があっていいはずである。否あるべきと私は考えている。

　しかるに従来の民法学は，争いの存在を前提としつつ，それに適正なる法的解決を与えることを主たる目的としており，予防的方面は第二次的にしか考えていない。この弊を矯むるの必要あることを私はかつて「予防法学としての民法学」と題して多少論じたことがあるが，ここにその考えをさらにいっそう推しひろげて民事においても民事政策的考慮の必要なるゆえんを明らかにし，それを可能ならしむべき方法につき多少の意見を述べてみたいと思う。

　民事法窮極の目的が民事的法秩序の社会的実現を期するにある以上，われわれが一面において極力民事に関する争いの発生を予防することに努力せねばならぬのはもちろんであるが，同時に他面において発生したる争訟に対して法的解決を与えるにあたっても，その解決が事件の実質に対していかなる影響を与えるかを考えて，当該の生活関係に正しき法的調整を与えることに最大の注意を払わねばならず，ひいてはその解決が社会に及ぼす影響をも考えて同種紛争の発生を一般的に予防することにも留意せねばならぬわけである。しかるに従来民事の裁判官は与えられた争訟に対して具体的に妥当するや否やを多く意としないようにみえる。むろん刑事においても実際の裁判がすべてそうした意味において理想的に行われているや否や大いに疑問であるとしても，少なくともそこでは裁判の理念として特別予防ならびに一般予防的効果を考慮に入れることが要請されているのである。これに反し，民事についてはただ単に当面の争訟に対して合法的な裁断を与えることのみが要求されているだけで，現行の民事訴訟法ももっぱらその目的に合うようにできており，民法および民法学もその線に沿うて作られまた考えられている。

　しからば，これは民事裁判の本質上当然のことであって，必要やむをえざる事柄なのであろうか。否私は決してそう思わないのである。民事においても裁判窮極の目的が当該事件そのものに実質的に法的調整を与えて民事的法秩序を社会的に実現するにあらねばならぬのはもちろんであって，民法および民事訴訟法をその目的に沿うように改革する必要も絶対的であると私は考えるのである。

　しからば，かかる改革は可能であろうか。それを可能ならしむべき条件は何であろうか。

２

　何よりもまず第１に注意せねばならぬことは，現行の民法が法的安全の要請を尊重するのあまり，簡単な少数の原理によって機械的に万事を律しようとしていることである。

　かかる民法の基本的機構が，いかに民事の裁判を民事政策的にみて不当なものにおちいらしめているかを，人々は一般に認識してないのであるが，それは結局現行制度のもとに住みなれてわれわれ一般の法的感情が麻痺している結果にほかならないのであって，も少し視界をひろくし法史学的にもしくは比較法学的に事を考えてみれば，われわれは容易に現行民法におけるこの種の欠陥に気づくことができるのである。

　手近な例をとってみても，法律時報第１５巻１１月号に掲げられたスポモ氏の論文は，インドネシアの村落裁判がわれわれの場合にくらべてはるかに複雑な原理のもとに行われていることを教えている。そうして，かかる裁判がわれわれのそれにくらべてはるかに民事政策的に妥当なものであることはわれわれの容易に気づきうる事柄である。われわれの場合どうしてそのような裁判を行うことが不可能なのであろうか。社会的諸条件が互いに相当違うということはむろんこれを無視しがたい。しかし，それを考慮に入れてみても，彼において可能なものが必ずしもわれにおいて絶対に行われえないとは考えないのである。スポモ氏の論文の一節に次のようなことが書かれている。

「ヨーロッパ体系に於ける『物権的権利の法』と『対人の法』との区別をアダット法に適用することは困難である。何故かと云ふに，物に対する或人の権利の擁護は，アダット法に依れば，特に裁判官に委せられてゐるのであるが，裁判官は権利に関するすべての争ひを『利益法学』（Interessenjurisprudenz）のやり方で審理するからである。」

　「例へば，Ａがすべてのアダット法規を考慮した上で，Ｂからサワー（水田）を買ったとする。Ａはそのサワーを実際にＢの所有物であると信じ，さうして村長の承諾を得てそれを買った。後になって，そのサワーの所有者はＢではなく，Ｃであることがわかった。ヨーロッパ的体系によればＡはそのサワーを自分の物にすることが出来ない。何故かと云ふに，Ａの権利は『物的な』或は『絶対的な』（完全な）性質を有するＣの権利に対抗して主張することが出来ないからである。アダット法の体系に於てはそうはならない。この法律体系に於ては裁判官は一方では買主（Ａ）の利益を，他方ではサワーの持主（Ｃ）の利益を判断しなければならない。サワーに対するＣの権利は保護されねばならない。然しアダット法に従って誠実に行動し，且アダットの酋長の助力を信頼したAも保護されなければならない。この様な争に於ては裁判官はその土地とこれを所有する人（C）との関係如何を審査しなければならないであらう。仮にその土地がCの祖先伝来のものである場合——さうしてC及びCの親族がそれを非常に尊重している様な場合——には，勿論その土地を永久に持つについてのCの利益は，例へば其の土地を単に売買の目的物として買入れたAの利益よりも重要である。他方に於て，若し両人にとって，CにとってもAにとっても，そのサワーが単に売買の目的物に過ぎないならば，Aの誠実が保護されるであらう。そしてサワーはAの手中に維持されるであらう。CはただBから賠償を得る為めの方法を探すだけである。」

　これを読んで私がただちに思いおこしたのは，かつてわが大審院によって取り扱われた次の古い案件である。ある村が小学校を建築する敷地としてAから土地を買った。ところが後に至ってA家に相続争いが起こり，裁判の結果Bが正当の家督相続人であることが明らかとなり，それがため真実の相続人，したがって所有者ならざりしAから土地を買った村はBの請求によってその土地を返還せねばならないことになった。村はAの所有名義になっている土地の登記を——あたかもインドネシア人がアダットの酋長の助力を信頼すると同じように——信頼して買ったのである。その上その土地を村の小学校敷地としたのである。それにもかかわらず，民法によると不動産登記には公信力がないという一理由だけから，Bの所有権は絶対に保護され，村はその土地を返還せねばならぬことになったのである。それのみではない。かりに村が小学校を建築して村の学童たちがそこに学ぶこと幾十年の永きに及んだ後に至っても，Bの権利が所有権であるという一理由によって，村はその土地を取りもどされ，校舎はこれを取りこぼたねばならぬことになるのである。そうしてBがその土地を取りもどすにつき具体的にどれほど考慮に値すべき個人的利益をもっているかのごときは全く顧慮されないのである。

　かくのごとくにして与えられる裁判が一般道義の観念から考えていかに不当であるかはなにびとも容易に気づきうることであるにもかかわらず，現在学者はこれを当然のことと考え，現行民法の仕組み全体から考えて，この結果を避けることは絶対に不可能であるというのである。

３

　しからばわが民法の上ではどうしてかかる結果を避けえないのであるか。それは畢竟法的安全の名のもとに裁判に際して考慮される要因がいちじるしく単純化され機械化されているためにほかならない。

　まず第１に，われわれが比較考量する利益は当該事件における当事者の有する具体的利益にあらずして，抽象化された客観的利益である。取引の安全とか所有の安全というようなことをいっても，それは畢竟抽象化された利益にすぎずして当事者にとっての具体的利益ではない。具体的利益のごときは個人的ないし主観的事情にほかならずとしてこれを考慮に入れないことが法的安全の要求に合致していると考えられているのである。

　第２に，われわれは，物的要因を重んじて人的要因を軽視する。われわれが多くの場合考えるのは取引の安全と所有の安全との調節であって，人的要因を考慮に入れない。実をいうと，財産関係の事件においてさえ実際的には多く人的利害関係がからまっているのであるが，われわれはそれらを除外して物的要因のみを考慮するのが当然だと考えているのである。しかし，静かに考えてみると，かくのごときは民法の不当なる「商化」にほかならないのであって，それこそ民法と社会とを乖離せしめ，民事裁判に対する民衆の不信用を誘起する原因にほかならないのである。

　民法の本質からいうと，この種の考え方は決して民法にとって必然的なものではなくして，単に現行民法と民法学とが不当に法的安全を過重視すると同時に，不当に人的要因を軽視していることを表現するものにほかならない。そして民事裁判を非道義的たらしめ，民事裁判に関して民事政策的考慮を介入せしめることを不可能ならしめている原因がまさにこの点にあることを考えてみると，民事政策的に考えて民法に加うべき改正要点の第１はここにあると私は信ずるのである。

５　判例の法源性と判例の研究

１

　判例法の重要性が認められるにつれて判例の研究が日に日に盛んになりつつある。しかるに，現行法上の問題として判例がなにゆえに法源性をもつかの問題は今までのところほとんどなにびとによっても十分理論的に究明されていない。また判例研究の重点をどこに置くべきかの問題も十分検討されていない。ただ判例は事実上拘束力をもっているから，これに関する知識をもたなければ，裁判所を中心とした法運用の実際を知りえないというきわめて卑近な実用的の考えから研究が行われているにすぎないように見受けられる。

　大正の中葉頃までは，「判例批評」の名のもとに判決がその理由づけとして使っている理論的説明に対して理論的批判を加えることが，多くの学者によって行われていたが，それらはいずれも判決の理論的説明を学者の学説と同一視して，これに抽象的の批判を加えたにすぎなかった。もちろん判例から法が生まれるというようなことを考えていなかったから，判例の法源性を問題にするわけもなければ，判例中のどこに真に実質的の判決理由があり，将来に対して法として先例たるべき価値あるものがあるかを研究するがごときことは全く考えられなかった。ただ判決理由中に或る理論が述べられているのを機会に，それに批評を加えながら自己のその点に関する見解を述べるにすぎざるものが当時の判例批評であった。

　これに反し，今日の学者の判例研究は一般に判例法を肯定する立場から出発しているのであるから，なにゆえに判例から法が生まれるかの問題について，研究者みずから一定の理論をもっていなければならぬのはもちろん，判例をいかなる態度，いかなる方法をもって研究すれば法を見出しうるかについても一定の意見をもっていなければならぬわけである。しかるに一方において判例法を肯定しながら，研究態度が全くそれに適応していない判例研究が今なお多く見出されるのははなはだ遺憾であって，これではいかに判例研究が盛んになっても，これによって判例法を闡明しえざるはもちろん，判例法の確立に貢献することもできない，と私は考えるのである。

２

　判例が事実上拘束力をもつことはなにびともこれを認める。その事実上拘束力をもつゆえんを説明して，穂積博士は「或裁判所が或判決をすると，同一裁判所は以後同実質の事件には同趣旨の判決を繰返す傾向があり，又他の裁判所も特別の反対理由がない以上其判例を踏襲するであらう。殊に上級裁判所の判例があると，下級裁判所は反対判決をしても上級審で破毀されるであらうと考へて，好んで異を立てないのが先づ普通である。そこで人民は同実質の事件には同趣旨の判決があるだらうと云ふ予期の下に行動を規律する様になる」（民法総論４４頁）といっているが，裁判所が事実上先例を尊重する理由も，また人民が判例に信頼する理由も，まさに博士のいわれるとおりであると思う。

　しかし裁判所が「同実質の事件には同趣旨の判決を繰返す傾向」は，法的安全を重んずる司法の本質にもとづく政策的考慮からおのずからに発生すべき傾向にすぎないのであって，事実上この傾向があるということだけからは，判例から法律的に拘束力ある法が生まれるゆえんは説明されえないのである。もしも法秩序が一定の内容をもった静態的の存在として客観的に存在し，裁判所は単にその存在するものの内容を明らかにすることを任務とするにすぎないとすれば，正しい解釈はただ１つのみありうるわけであるから，前の判決が後の判決を束縛することは理論上許されがたい。なぜなれば前の判決が既存法秩序の解釈として常に必ず正しいはずはない。裁判所を束縛するものはひとり客観的に存在する正しい法であって，前の判決ではないといわねばならぬからである。したがってこの考え方に従えば，裁判所も学者と同じように解釈上——正しい法の探究者として——全く自由でなければならず，判例の一貫性を求めるがごときもそもそも誤りであるということにな

る。ただその理を貫いて各裁判所の自由を無制限に許すことは，法的安全保護の見地から考えて，司法政策上おもしろからざるはもちろんであって，これ裁判所構成法第４９条が「大審院ノ或ル部ニ於テ上告ヲ審問シタル後法律ノ同一ノ点ニ付曽テ一若ハニ以上ノ部ニ於テ為シタル判決ト相反スル意見アルトキハ其ノ部ハ之ヲ大審院長ニ報告シ大審院長ハ其ノ報告ニ因リ事件ノ性質ニ従ヒ民事ノ総部若ハ刑事ノ総部又ハ民事及刑事ノ総部ヲ聯合シテ之ヲ再ビ審問シ及裁判スルコトヲ命ズ」（現行法上これに対応する規定は裁判所法１０条および最高裁判事務処理規則９条である）と規定しているゆえんである。この規定は法規解釈の統一を求める司法政策的考慮から設けられたものであって，法秩序そのものを一定の内容をもつ静態的存在と考えながら，ただ大審院における解釈をなるべく統一し，これによっておのずから下級裁判所にも解釈上の指針を与えることを目的とするものである。しかし法秩序を一定の内容をもつ静態的存在と考えるかぎり，法規の正しい解釈はただ１つのみありうるわけであるから，この規定の本質はあくまでも司法政策的のものであると考えざるをえないのであって，この政策の実施から生まれてくるものは法規解釈の事実的統一であり，事実的統一から生ずる「事実上の拘束力」にすぎないのである。

　したがって本規定が判例法理論の根拠となりえないのはもちろんであり，真に法律的にも拘束力をもつ判例法が判例から生まれることを主張するがためには，さらに別途に理由を求める必要がある。

　同趣旨の判決がしばしば繰り返されるによって慣習法が発生するという意見は従来多数学者のいうところである。しかし繰り返されたる判例から慣習法が生まれることと判例それ自体が法源性をもつや否やとは全く別箇の問題であって，前者が肯定されても，それによって後者までが理論的に肯定されるわけはない。判例が法源性をもつならば１回の判決もなお法源性をもつといわねばならぬ。むろん同趣旨の判決が繰り返されるによって実際上その法源力が強くなることはもちろんであるが，法源性の存否と法源力の強弱とは別問題である。だから穂積博士が「判例に法律上の拘束力はなくとも事実上の拘束力があるのであって，此拘束力に基づき同趣旨の判決が繰返されるによって判例法を生ずる」（前掲４４頁）といわれても，それによって判例そのものが法源力をもつことは毫も理論的に説明されたとはいいがたいのである。

　そこで穂積博士は，さらに三権分立論にもとづいて，裁判所は法を創成せずと主張する判例法否認論に答えるために，「今日の裁判官は成文法によって頗る自由裁量の能力を制限されて居るが，しかし裁判によって法律が発生確定する作用はなほ留保されてゐるのである。且又裁判官は単に其事件限りの便宜的仲裁人ではないのであって，その是非曲直の判断は一般的原則に立脚するのであるから，一事件の裁判によって後の同実質の事件に適用するべき規範が発生確定することは決して不合理ではないのである。更に換言すれば，裁判官が法律を作るのではない，裁判によって法律が出来るのである」（前掲４５頁）といわれているが，この意見は当面の問題を解決するにつききわめて重要な点に触れている。しかし，この理を明らかにするためにはいっそう詳細な説明がいるし，またかくして発生する法が法律上法として拘束力を有し，したがって後の裁判を拘束するゆえんを理論的に論証するためには，博士の説かれている以上に特別の理論が必要であると思う。

３

　裁判官は——穂積博士のいうとおり——「単に其事件限りの便宜的仲裁人ではない」「その是非曲直の判断は一般的原則に立脚」せねばならぬ。およそ裁判官がある具体的の１事件につき裁判をする場合には，その事件に適用せらるべき法規範を脳裡にえがきながらそれを適用するのである。そして法規範を脳裡にえがくということは，必然もし別に当該事件と「同実質の事件」あらば，その法規範をその事件にも適用して差支えないという意識を伴うことを意味するから，裁判官みずから主観的には当該事件を裁断することだけを考えているとしても，客観的に観察すると，そこに必ず他の「同実質の事件」にも適用しうべき法規範の伏在しているのを見出しうるわけで，博士が「裁判官が法律を作るのではない，裁判によって法律が出来るのである」といっているのもその意味にほかならないと思う。

　しかしこの理を認める前に，も１つ考えておかねばならないのは，博士のいわゆる「一般的原則」は裁判より以前にすでに存在するものと考うべきか，または裁判のつど各裁判官が一々作るものと考うべきかである。法秩序の完全無欠性を信ずる通説に従えば，答えはむろん前説でなければならないが，この説に従うかぎり裁判官は既存の法を見出すにすぎずして作るのではない。したがってまた「裁判によって法律が出来る」という結果も認めがたいわけである。そこで上のごとき理論を認めるためには，法秩序は完全無欠なる既存者にあらずして，裁判官は裁判のつど一々当該事件に適用せらるべき法規範を作らねばならぬものだと考えざるをえない。裁判官の前に現われる具体的事件の実質は千差万様であるから，それにそのままきっちりと適用せられるに適する法規範が前々から用意されているはずはない。むろん事件の種類によりいろいろ程度の差はあっても，必ずある程度までは法規範の創造を必要とする。これは裁判のできあがる過程を実証的に研究すれば必ず認めらるべき事実であると思う。通説は「法律ニ依リ」裁判するということを文字どおりに機械的に考えるから，「法律」は必ず裁判の前に存在せねばならぬと考え，その結果，法秩序の完全無欠を仮説せざるをえないような立場に置かれているのであるが，かかる考え方は事実に立脚しない架空の論にすぎない。およそ裁判官が「法律ニ依リ」裁判せねばならぬのは法治の根本原則であるが，それがため「法律」はつねに必ず裁判の前に存在せねばならぬというのは無理な話であって，穂積博士のいわゆる「一般的原則」によって裁判をしさえすれば，それが「法律ニ依リ」たる裁判であり，法治の原則の要求に合うのである，換言すれば当該事件限りの便宜処置をなすことなく，もし別に「同実質の事件」あらば，それにも適用して差支えないと信ずる法規範を脳裡にえがきつつ，それを適用して裁判すれば，「法律ニ依リ」たる裁判なりといいうるわけである。

　かくのごとくに考えれば，条理を法源の一つと考え条理法の充塡によって法秩序が結局完全無欠になっているというような自己欺瞞的説明も無用となるわけで，条理は畢竟裁判官が法規範を創造するための一道具にすぎないといわねばならない。またドイツ・パンデクテン法学の遺産として古くからわが国に行われている「類推は法の解釈なりや否や」の問題も，かく考えるによって容易に解決されるのであって，類推もまた裁判官が法規範を創造するための一道具にすぎない。裁判官によって創造せらるる法規範は既存の法規全体と調和均衡のとれたものであることを要するのは理の当然であるから，類推が法規範創造の具として有用であり，裁判官がそれを使用する権利もあり義務を負うのも理の当然であるといわねばならない。

４

　しからば，かくして裁判官によって創造せられたる法規範がなにゆえに後の裁判官を拘束するのか。それが法規範であるというだけではその拘束力の法律的根拠は説明されえないのであり，それを説明しえないところに従来の判例法論の根本的弱点が存在するのである。

　しからばなにゆえに従来の学者がその点を十分理論的に説明しえずにいるかというと，以上に述べたように，およそ裁判官が裁判をする場合には——程度の差こそあれ——必ず当該事件に適当せらるべき法規範を創造するという事実を見逃しているからだと思う。裁判官が裁判のつど一々法規範を創造せねばならぬものであるとすれば，その際裁判官が考慮に入れるべき事柄はいろいろあるわけで，既存の成文法規に従うこと，法規全体との調和をとること，条理の要求に従うこと等のほか司法全体との調和をとることもぜひ考慮せねばならない。各裁判官は制度上それぞれ独自の判断をもって裁判をなしうるとはいえ，彼ら畢竟司法全体の一部にほかならないのであるから，極力全体との調和をはかることに留意すべきは彼ら当然の職責なりといわねばならない。したがって彼らが極力先例を重んじ好んで異を立つるがごときことなかるべきはまさにその職務上当然の責任であって制定法上この点に関してなんらの規定なしといえども，その故をもってこの理を否定すべき理由はない。およそ法的安全の確立に努力することが司法に対する政治的要請の根本義たることは自明の理であって，裁判官が先例を重んじ，司法全体の動きに留意して，それとの調和をはかることに努力すべき義務はこの要請にもとづいておのずから発生するのである。

　むろん各裁判所はそれぞれ独自の判断をもって裁判する権限を持つ。判例に盲従するの義務なきはもちろんである。しかしながら与えられたる具体的事件を裁断するにつき，それに適する法規範を創造するにあたり，上述したるがごとき諸事項を全体的に考慮することなく，もっぱら既存の成文法規に関する自己の——学者としての——解釈的意見にのみとらわれて，他の同時に考慮すべき多くの事柄あるを忘れ，ことに判例を無視し司法全体との調和関係を忘れて裁判するがごときは善良なる司法官の注意義務に違反するものといわねばならない。

　ただし判例を重んずるというのは，決して他の裁判所がその裁判の理由づけとして使用した法的技術，ことに成文法規に与えた解釈的意見に追従すべきことを意味するのではない。法的安全確立の要請からいって最も重要なるは，「同実質の事件」になるべく同様の法規的取扱いを与えることである。重要なるは理論の一貫にあらずしてむしろ事件の実質的取扱い方の一貫である。したがって裁判官が先例たる判例を検討するにあたっては，その判決において取り扱われている事件がいかなる実質のものであるかに注意し，それと今彼に与えられている具体的事件とが類型的に同種のものなりや否やを究明することが大切であって，それが同種なりと考えられる場合に初めて前の判決の先例力を尊重する義務を生ずるのである。従来，わが国においては判例法理論が一般に十分研究されていないため，学者の間にも判決中判例として真に先例力を持つものが判決のうちのいずくに存するかを各事件の実質について具体的に研究することを忘れて，ただ判決理由中に使われている法技術のうちから抽象的原理を見出すことが判例研究の目的であるかのごとくに考えている向きが少なくない。大審院でさえも，自院の判決を援用するに際し，単に旧判決中に使われている技術的理論に留意するのみであって，旧判決のもつ実質的先例力を検討してそれを当面の——みずから同実質なりと考える——具体的事件の裁判に対する実質的理由づけとして利用するの用意を欠いていると考えられる場合が少なくないのははなはだ遺憾である。

５

　判例とは何か。判例法が法律的拘束力をもつとはいかなる意味であるか。これらの問題を以上に説明したように考えうるとすれば，学者が判例法を研究するにあたって，その重点をどこに置くべきか，またその研究方法をいかにすべきかもおもずからその線に沿うて決定されねばならない。

　判決の実質的本体は——上記のごとく——裁判所が当該事件を裁断するために創造した法規範にある。裁判所は当該事件の実質を類型的にとらえて，それを類型を同じうする他の事件にも適用しうべしと考えられる法規範を創造した上，それを適用して当該事件に裁断を与えているのであるから，判例研究者の何よりもまず努力すべきは，その法規範が何であるかを当該判決全体のうちからよみだすことでなければならない。それは例えば大審院（もしくは上告審裁判所）判例集作成者が「要旨」として摘記している部分に現われているのでもなければ，判決理由のうちに技術として使用されている理論的説明そのものでもない。それをよみだすためには，まず第一に当該事件において具体的に問題になっている事実関係の実質が何であるかを判決全体について研究確定する必要がある。なぜなれば裁判官はその事実関係の実質を類型的にとらええたればこそこれを規律すべき法規範を創造しえたのだからである。そして研究者はその事実関係の実質を確定した上，裁判官がそれを規律するものとして創造した法規範が何であるかを，さらに判決全体のうちからよみだす必要があるのであって，かかる研究的操作を通じて見出された法規範のみが正しい意味における判例であり，後の裁判官に対して法律的拘束力をもつ判例である。

　判例研究の目的は過去の判決中に現われたる——かかる意味における——判例すなわち法規範を探究するにある。そして判例研究の効用はかかる法規範が後の同実質の事件にも適用せらるべき必然性もしくは可能性あることを前提として，将来発生すべき具体的事件が裁判上いかに裁断せらるべきかにつき「予言」をなすに必要なる知識を与うにある。過去の事件が法律上いかに取り扱われたかを知るによって，将来の事件がいかに取り扱わるべきかを知る。これこそ実用法学最大の任務であるといわねばならない。

６　法源としての条理

１

　ほとんどすべての民法書が条理を法源の１つとして認むべきや否やにつきなんらかの意見をかかげている。そうして昔は条理を法源と認めることに強く反対する意見も相当ひろく行われていたが（例えば松本・註釈民法全書第１巻１８頁以下），今では反対にこれを法源と認める意見がむしろ有力である。もっともこれを法源と認める理由の説明に至ると，学者によって説くところが区々である。これを大別すると，条理をもって法なりとし，制定法中に必要なる法規を見出しえざるときは，条理法を適用して裁判すべきが当然であるとする説と，条理は法律ではないけれども裁判所は裁判の本質上条理を適用して裁判しうるとする説とに分かれるが，実際上はどちらの説をとってもたいした差異は生じないように考えられる。

　したがって，ここではそれらの説の批判に立ち入ることをやめて，むしろこの問題について一般には多く説かれておらず，しかもぜひとも考えねばならぬと思う事柄を，１，２雑感ふうに書き記しておきたい。

２

　学者は一般に，当該事項に関し適用すべき法規が制定法中にもまた慣習法中にも存在せざるときは，条理を適用して裁判すべきであるといっているが，いったいその法規が存在しないとは何を意味するのか，問題の核心はむしろここにあるのだと私は思う。

　裁判所が法の不存在を理由として裁判をこばみえない以上，いよいよ法規が存在しないとなれば，条理を適用するなりなんなりして裁判をするのほかはない。ただその際かくして与えられた裁判を「法律ニ依リ」たるものとして説明するにはどういう説明を与えればいいのか，そこに理論的説明の必要が残るのは当然で，一般民法書の議論ももっぱらこの点に集中している。

　しかし私の考えでは具体的にいかなる場合を法規の不存在と考えるかがむしろ大事な問題であると思う。そもそも条理が裁判に関連して問題となる場合を仔細に考えてみると，ほぼこれを次の３つに分けることができる。第１は条理の解釈的作用であって，およそ法の解釈は条理に従って行われねばならぬかということである。第２は条理の補充的作用であって，法が存在しない場合には条理によって裁判すべきであるかということである。第３は条理の修正的作用であって，存在する法が条理に適合しない場合，条理によってこれに修正を加うべきであるかということである。そうしてこのうち第１の解釈的作用についてはなにびとも異存なく，また第２の補充的作用についても人によって説明方法こそ違え，ほとんどすべての人がこれを肯定する。これに反し第３の修正的作用に至ると，大いに議論がある。条理の法源性を否定する学者の注意ももっぱらこの点に集中されているのであって，この点を解決しえざるかぎり条理の法源性に関する問題は実質的にはなんら解決されないといわねばならない。しかるに一般民法書の議論はもっぱら補充的作用の点にのみ限られ，修正的作用の問題に触れているものはほとんど見当たらない有様であって，読者としてはなはだ物足りなさを感ぜしめるものがある。

　私の考えでは，法の不存在とはそもそも何を意味するかを十分に検討してみさえすれば，おのずから問題は解決されるのではないかと思う。すなわち学者が一般に条理をもって法を修正すると考えている場合も，実は存在する法を修正するにあらずして法が存在しない場合の一態様にほかならないと考えさえすれば，修正と考えられている場合も実は補充にほかならないことに気づくと私は考えるのである。以下にその理を多少説明してみたい。

　そもそも法規はすべて一定の事項に適用せらるべきことを予定して定立されているのであるから，一定の法規を具体的事項に適用すべきや否やが問題になった場合には，その法規と当該事件とを対照して厳密にその法規の妥当範囲を検定する必要があるわけである。そうすれば，一見当該事項に適用せらるるがごとくにみえる妥当範囲が実はそこまで及ばず，したがってそこに法の欠陥が見出されておのずから補充の必要を感ずるに至るのである。しかるに学者は一般に当該の具体的事項が法規の規律対象として予定している事項に該当するや否やを厳密に考査することを怠り，法規の外見だけから漠然その妥当範囲をひろく考えるから，本来妥当範囲外にある事項に対して法規を適用せねばならぬ立場に置かれ，しかも条理に照らしてその不合理を感ずる結果，条理による修正の必要を感ずるに至るのだと私は思う。

　むろん法規がその規律対象として予定している事項は１つの理念型として仮定されたものにほかならないから，実際法規を適用するにあたっては多少ゆとりをつけてほぼその型に該当する事項に対してはその法規を適用してしかるべきであるが，そのゆとりを許しうる範囲にはおのずから限度があるわけで，それを越えてみだりに当該法規の妥当範囲をひろく考えるのは誤りである。裁判その他実際の必要から考えると，法規の妥当範囲をなるべくひろく考えて裁判その他法的判断の基準を直接既存の法規に求めるほうが便宜でもあるために，従来の解釈法学は実際上一般にその方針をとっており，裁判官その他実際家も便宜的考慮からそれを歓迎する傾向にあるが，それがそもそも法規の妥当範囲を不当にひろく考えすぎて，時にみずから条理による修正の必要を感ずるようなことになる原因であると私は思う。

　厳密に法規の妥当範囲を考査しさえすれば，現在問題になっている具体的事項が法規の予定した型に該当しないものであることを見出す場合が少なくない。例えば組合に関する民法６６７条以下の規定は民法みずからが予定した組合型に該当するものにのみ適用されるのであって，外見上組合なるがごとくにして実は社団の類型に属するものにはその適用なしと考えねばならぬ。そうすれば組合に関する規定に条理による修正を加えて適用の結果を妥当にするというような必要は起こらず，むしろ社団の本質を考えて条理の補充的作用を働かす必要を感ずることになるのである。すなわち学者の一般に条理の修正的作用と考えているものが実のところ補充的作用にほかならぬという結論に到達するのではないかと私は考えるのである。

３

　次に問題となるのは，学者が条理を適用して裁判するとか，条理によって裁判するとかいう，その条理を「適用」するとか条理に「よる」というのはいったいいかなる意味をもっているかである。

　条理を法なりとする学者は，条理が制定法等と同様客観的に存在するものと考え，制定法的法規を適用し，それを規準として裁判すると同じように，条理法規を規準として裁判するものと考えているらしい。

　ところが条理を法にあらずとしながら，なおこれによって裁判すべきことを主張する学者は，その「条理による」とは具体的に何を意味するかにつき説明を与える義務がある。もしも彼らが「条理は法にあらず」といっている意味が，条理は国家法ではないけれども，なおなんらかの意味において法規範的性質を有すというのであれば，これによりこれを適用して裁判するのは——制定法規を規準として裁判すると同様——これを規準として裁判するの意なりと解することができる。これに反し，条理はいかなる意味においても法にあらずとすれば，これによって裁判するとはそもそも何を意味するかにつき特別の説明がいる。しかるに，論者は一般にこの点につきなんらの説明をも与えていない。

　私は条理をもって客観的に定立されている法規体系であるとは考えない。したがって制定法規を適用して裁判すると同じ意味において，条理を適用して裁判するということはありえない。さればこそ明治８年の太政官布告も条理によるとはいわずに「条理ヲ推考シテ」と規定しているのだと思う。スイス民法第１条が裁判官がみずから立法者なりせば制定したるべき法に従って裁判すべきことを命じているのは，この「条理ヲ推考」する趣旨をさらにいっそう具体的に立言したものであって，裁判官としては現に問題になっている事項の本質にかんがみ条理に照らしてみずからそれに適用せらるべき法規範を創成し，別に他日当面の事項と類型を同じうする事項が発生したならば，それにも適用して差支えないかどうかを考えた上，その法規範を規準として裁判すべきことを命じたものであると考えている。

　すなわち裁判官は客観的に存在する条理を規準として裁判すべきではなく，みずから条理に照らして法規範を創成した上，それを規準として裁判すべきである。裁判官に対して特にかかる法規範創成作用を命ぜんとすればこそ単に「条理に依り」といわずして「条理ヲ推考シテ」裁判すべきことを命じているのだと私は考えている。

７　理論と立法者の意思

　法令の起案者がどういう考えで法文を書いたか，政府委員が議会でいかなる説明を与えたか等が法文の解釈上有力な資料であることはいうまでもないが，それがまた決して解釈に関する唯一の決定的資料でないこともひろく人々の知るところである。法令はしばしば立法者の意思を無視し，また時にはそれに反してまでも解釈される。解釈による法律進化の事実はこのことに関する幾多の実例を教える。

　ところが実際法律解釈の仕事をしていると，われわれはしばしば学者のいわゆる理論よりも，立法者が事実起案に際して考えていたと想像されるものを尊重せねばならぬ多くの場面に逢着する。そうした場合に学者はとかく理論にとらわれて自縄自縛かえって解釈を誤ることになりやすい。この理を明らかにするため，以下に１，２の実例をあげてみよう。

　物権・債権もしくは支配権・請求権のほかに形成権なる特殊の権利があるということは今では通説になっているが，このことがわが民法の解釈上学者によって初めて指摘されたのは明治の末葉であって，ドイツ私法学の影響にもとづくのである。ところが民法が梅・穂積・富井等諸先生の手で起草された当時のわが学界にはまだ全く形成権というようなことは知られておらず，物権にあらずんば債権であるというのが財産権分類に関する当時の通説であった。したがって，例えば民法第１６７条は「債権」の消滅時効期間と「債権又ハ所有権ニ非ザル財産権」の消滅時効期間とについて規定を設けているのみであって，形成権に関してはなんら一般的の規定を設けていない。ただ，例えば第１２６条が取消権について特別の規定を設けているようなことがあるにすぎない。このことは起案者が今日一般に形成権なりとせられている権利を債権の一種と考え，その消滅時効に関しては第１６７条第１項を適用するを原則とし，取消権のごとき特殊の形成権についてだけ特に短期の時効期間を設けんとする意思をもっていたことを推測せしめるのである。

　しかるにその後，財産権中に形成権なる特殊の権利あることが発見せられ，それと債権とは理論上全然別個の権利なることが学界一般の通説となるや，一時学者の間に形成権は債権にあらず，したがって第１２６条のごとき特別の規定なきかぎり，形成権は「債権又ハ所有権ニ非ザル財産権」であるから，理論上当然に第１６７条第２項の適用を受け，その時効期間は２０年でなければならぬという解釈論が行われるようになった。しかしかくのごときはいわゆる理論にとらわれて形式論理の末に堕した誤れる解釈であること明らかである。起案者は形成権なる特殊の権利を知らずして，これを債権の一種にすぎずと考え，したがってその時効期間を「債権又ハ所有権ニ非ザル財産権」のそれが２０年なるに比し，１０年に短縮しているものと考えるのが合理的である。大正４年７月１３日の大審院判決（民録２１輯１３８４頁）が「民法第百六十七条一項ハ厳格ナル意義ニ於ケル債権ノミナラズ再売買ノ予約者ノ相手方ガ売買完結ノ意思ヲ表示シテ売買ヲ成立セシムル権利ノ如キ所謂形成権ニ対シテモ其適用アルモノトス」といっているのは，この理を言明したものであって，その正しい解釈態度であることなにびともこれを否定しえないと思う。

　次にもう１つの例をあげると，法人に関する民法の規定と法人学説との関係である。法人学説に関する現在の通説は実在説である。もっとも同じく実在説といってもそのうちにはさらにいろいろの考えがあるけれども，少なくとも学者は一般に擬制説をとらない。法人と理事との関係を機関関係なりとし，機関関係と代理関係とを理論上全然別種のものなりとし，機関原理によって法人の行為能力および不法行為能力の問題を説明せんとするのが，多数学者に共通の態度である。ところが民法の規定をみると，そこには擬制説的の痕跡が随所に残されている。民法起案者は主として擬制説的の考えにもとづいて法人に関する規定を起案したのであろうと推測すべき根拠が法規のそこここに見出される。擬制説を信奉した起案者は機関関係をもって代理関係の一種もしくは変態にすぎずと考え，したがって法人に関する規定中に別段の規定なきかぎり，代理に関する第９９条以下の一般規定が法人の代表関係にも当然補充的に適用せらるべきことを予期していたに違いないと思われるふしぶしが至るところに見受けられるのである。

　ところが現在，学者間の通説をなしている実在説，殊に機関関係と代理関係とを全然別個のものなりとする理論を貫くと，代理に関する民法の規定を法人に適用する余地は理論上なくなるといわねばならない。そうなると民法は法人の代表関係に関し重要なる事項につき規定を設けずして幾多の欠点を残していることになるのであるが，かくのごときは決して起案者の予期したところとも考えられないし，また合理的の解釈態度でもないと思う。起案者としてはおそらく法人の代表関係をもって代理関係の一種なりと考え，性質の許すかぎり代理に関する規定をこれに適用せんとしていたものと想像されるのである。むろん代理の規定を適用せずとも，機関関係の性質を考えてそれに関する諸問題に与えらるべき特殊の法的取扱いを与えることも理論的には可能である。しかし実際上の便宜からいうと，代理の規定を補充的に適用してそれらの問題に対する解決を求めるほうがはるかに合理的である。

　まず第１に例えば，第５５条は理事に「特定ノ行為ノ代理ヲ他人ニ委任スルコト」を許しているが，いかなる場合にそれを委任しうるかを規定するのみであって，理事がその場合負担すべき責任如何については何事をも規定していない。しかし起案者はおそらく復代理に関する規定をこの場合に適用するつもりであったと私は想像するのである。次にまた「法人ト理事トノ利益相反スル事項ニ付テハ理事ハ代理権ヲ有セズ」したがって理事が法人とかかる事項につき取引をなさんとする場合には「特別代理人」を設け，これをして法人を代表せしむべきであると規定している第５７条は，自己代理を禁止している第１０８条と同一の精神にもとづく規定である。したがって理事が事実上，特別代理人の選任を求むることなく，みずから理事として法人を代表しながら自己と取引した場合にも，それを終極的に無効と考うべきではなく，当該法人内部の定めに従い，あとから適法の追認が与えられさえすれば，なおそれを有効として取り扱ってしかるべきものと考えられる。なおその他代理に関する規定にして法人に関する諸問題に適用せらるべきものはほかにも少なくないと私は考えるのである。

　なお第７０９条にいわゆる「権利」の意義に関する判例法発達の経路はひろく人々の知るとおりであるが，大正４年３月１０日（刑録２１輯２７９頁）および３月２０日（民録２１輯３９５頁）の大審院判決をもって第三者の債権侵害もまた不法行為となる旨が判示されるまでは，一時ドイツ私法学の影響によって不法行為の客体たるべき権利は絶対権に限るという理論が学界に勢力を占め，それがおのずから判例にも影響を与えていたのである。民法起案者の脳裡には権利をかくのごとくせまく解せんとするがごとき思想は全く存在しなかったと想像されるのであるが，その後に発生した理論のため不当にも一時権利の意義をせまく解し，したがって不法行為の成立しうべき場合をはなはだ狭隘ならしむるがごとき不都合の結果が生まれたのである。大審院が前掲判決において第三者の債権侵害を不法行為なりとし，さらにその後大正１４年１１月２８日の判決（民集４巻６７０頁）において「第七百九条ハ故意又ハ過失ニ因リテ法規違反ノ行為ニ出デ以テ他人ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生ジタル損害ヲ賠償スル責ニ任ズト云フガ如キ広汎ナル意味ニ外ナラズ，其ノ侵害ノ対象ハ或ハ夫ノ所有権地上権債権無体財産権名誉権等所謂一ノ具体的権利ナルコトアルベク，或ハ此ト同一程度ノ厳密ナル意味ニ於テハ未ダ目スルニ権利ヲ以テスベカラザルモ而モ法律上保護セラルル一ノ利益ナルコトアルベク，否詳ク云ハバ吾人ノ法律観念上其ノ侵害ニ対シ不法行為ニ基ク救済ヲ与フルコトヲ必要トスト思惟スル一ノ利益ナルコトアルベシ」といい，これによって権利の意味をいちじるしく拡大したのはいわゆる理論の影響を脱しておそらくは民法起案者の予想したところに復帰したものであると私は考える。

　これに反し，生命侵害による不法行為に関し今なお奇怪きわまる法律技巧が判例を支配しているのは，大審院が今なおこの点において無用に理論にとらわれている証左であって，後に指摘するとおり（「不法行為としての殺人に関する梅博士の所説」続編），梅博士が考えられていたところに復帰しさえすれば，事はきわめてすなおに解決されると私は考えるのである。理論というものは一面指導的進歩的の作用をするものであるが，また他面しばしば阻止的の働きをするものであることを考えねばならぬ。立法者が法として実質的に何を規定せんと欲していたかをすなおに考えてみると，案外容易に正しい解釈に到達しうるものだということを忘れてはならぬ。

８　事実たる慣習

１

　学者は一般に「慣習法」と「事実たる慣習」との区別を認めている。そうして前者は「社会に於ける慣行によって発生した社会生活の規範が不文の原形のまま社会の中心力に依って法律的規範として承認強行されるもの」（穂積・民法総論４０頁）または「国民ガ慣習ヲ以テ法的社会則ト認ムル」もの（鳩山・日本民法総論６頁），すなわち法たる効力を有する慣習であり，これに反して後者は「法律として承認強行される程度にならぬ慣習」（穂積４３頁）または「唯事実上ノ慣例ト認ムルニ止マル」もの（鳩山６頁），すなわち同じく慣行によって生じた「社会則」ではあるが「法的社会則」と認めらるるに至らざるものであるというのが普通一般に行われている見解である。

　ところが周知のごとく，現行法上特に「慣習法」たることを明記しているのは商法第１条に限り，その他は法例第２条においても民法の諸規定においても単に「慣習」と記しているのみであって，それが慣習法であるかまたは事実たる慣習であるかを法文上明らかにしていない。それにもかかわらず通説は，法例第２条の「慣習」，民法中土地に関する諸関係につき適用を認められたる「慣習」（２１７条，２１９条，２２８条，２３６条，２６８条，２６９条，２７７条，２７８条，２９４条）は慣習法なるに反し，民法第９２条の「慣習」のほか第１４２条及び第５２６条のそれは事実たる慣習なりと解するを通例とし，この点につきほとんど異論あるを聞かない。

　かくのごとく民法の規定する「慣習」中，いずれが慣習法であり，いずれが事実たる慣習であるかは解釈上ほぼ確定されているが，実際上社会に存在する具体的の慣習が二者いずれなりやを判別することは必ずしも容易でない。その困難さを示す実例として最も顕著なるは地代値上げの慣行に関する大審院判例の変遷であって，明治３０年代から明治末期にかけての判決は多くこれを慣習法といえるに反し，大正以降の判決は事実たる慣習なりとするを例とし，さらに昭和年代に至ると再び慣習法なりとする判決が現われている。この変遷の詳細および批評については昭和１３年８月１日判決（民集１７巻１５８５頁）に対する四宮和夫氏評釈（判例民事法３８１頁以下）参照。

　以下に，私は主として民法第９２条を中心として通説のいわゆる事実たる慣習の何たるかを検討し，それに関連して同条の適用上起こるべき１，２の問題につき多少の意見を述べてみたいと思う。

２

　通説によると，事実たる慣習もまた「社会則」である。「社会則即チ社会規範ノ存在ヲ認メ得ル程度ニ於テ同型行為ノ反覆」があると，事実たる慣習が成立する。したがって事実たる慣習は単に「同型行為ノ反覆」なる事実にあらずしてその事実をとおして認めらるる「社会規範」である，ただそれに国民の「法的認識」——すなわち「国民が慣習ヲ以テ法的社会則ト認ムルコト」——が加わらないか（鳩山），または「社会の中心力」によって「法律として承認強行される程度にならぬ」（穂積）ために，慣習法にはなりえないが，しかもなお社会規範たる点において慣習法と性質を同じうするところに事実たる慣習の特色があり，それと慣習法との差異は畢竟「程度」の差にすぎぬと解されているわけである。

　そうして通説が民法第９２条の「慣習」を事実たる慣習なりと解する主なる理由は，法例第２条が「慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ビ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法律ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定しており，したがって法令に規定ある事項に関する慣習法には，「法律ト同一ノ効力」を認めない，強行法規はもちろん，任意法規によって規定された事項についても「法律ト同一ノ効力」を有する慣習法は成り立ちえないわけであるが，もしも民法第９２条にいわゆる「法令中ノ公ノ秩序ニ関セザル規定ニ異ナリタル慣習」を慣習法なりと解することにすると，「公ノ秩序ニ関セザル規定」すなわち任意法規によって規定せられたる事項につきその規定と異なる慣習に法的効力を認むることとなって法例第２条の趣旨に反するというにあるらしい。そこで学者は一般に第９２条をもって法律行為解釈の準則を示したる規定にすぎず，そこにいわゆる「慣習」は事実たる慣習であって，任意法規と異なる慣習ある場合に「当事者ガ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムベキ」ときはその慣習に従って法律行為を解釈し，任意法規を適用せずして「其意思ニ従フ」の意なりと解している。

　ところが周知のごとく，判例が永年にわたりここにいわゆる「当事者ガ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムベキトキ」を解して，事実たる習慣ある場合に「普通之ニ依ル意思ヲ以テ為スベキ地位ニ在リテ取引ヲ為ス者ハ特ニ反対ノ意思ヲ表示セザル限リハ之ニ依ルノ意思ヲ有スルモノト推定スルヲ当然トス」となし，その結果実際上は「特ニ反対ノ意思ヲ表示セザル限リ」慣習が当然適用されることになり，表面上事実たる慣習であるといわれているものの，実質的には任意法規たる性質を有する慣習法が，反対の意思表示なきかぎり当然に適用されるのと同一の結果を認むるに至っている。そこで穂積博士のごときはこの判例の態度を是認したい考えから——解釈論としてはともかく——「立法論としては第９２条の第２句を『法律行為ノ当事者ガ之ニ異ナル意思ヲ表示セザルトキハ』と改めることを提議したい」と主張し，そうなると「今までは事実たる慣習と見たものを任意法たる慣習法」とみることになるわけだと説明している（民法総論３０５頁）。

　しかし，これでは法例第２条によると「法律ト同一ノ効力」を認められない慣習法に「任意法」たる性質を認めることになって，たとえ立法論としても論理のつじつまが——穂積博士みずからも認めるとおり——はなはだ合わなくなるのみならず，博士が別の場所で「慣習法と事実たる慣習とは区別するべきである。事実たる慣習といふのは法律として承認強行される程度に至らぬ慣習である」（４３頁）と説明していることと理論的にも矛盾し，いったい「法律として承認強行される程度に至らぬ慣習」にたとえ任意法なりとはいえ法的効力を認めるのはおかしくはないかという非難が生まれる。もっとも博士が「承認強行」というのは強行法として承認されることを意味し，したがって事実たる慣習も規範的性質をもっているから，任意法としてならばそれに法的効力を認めて理論的におかしくないというのであれば一応筋のとおるわけであるが，どういうものであろうか。ちなみに鳩山博士は穂積博士のこの提案に反対して「余ハ慣習法タルベキ事実上ノ要件（法的認識）ヲ具備セザル慣行ガ実際上存在スルコトニ鑑ミ，之ニ慣習法ト異ナリタル効力ヲ認ムルヲ正当ト信ズ」といい，第９２条を法律行為解釈法規として存続せしむべき根拠あることを主張している（３３７頁）。

３

　かくのごとく理論的にははなはだ徹底せざるにもかかわらず，大審院判決は穂積博士の立法論として提議せらるるところとほとんど同一の結果を第９２条の解釈として認めているわけであるが，他の一般学者も理論的の説明こそ多少違うものの，結果においてほとんど例外なしに判例を支持していることはこの際特に注目に値する。

　一般学者が第９２条にいわゆる「当事者ガ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムベキトキ」を判例の主張するがごとき意味に解する根拠は，もしもこの文句を「厳格に解して慣習に依るという意思が積極的に表示せられることを要すとなすときは第９２条は第９１条と重複し，解釈の標準たる意義を失ふ，蓋しかかる意思の表示あるときは慣習は法律行為の内容となるからである」（我妻・民法総則２４８頁）というにある。そこでその当然の結果として第９２条は当事者が特に慣習による意思を表示せざる場合に初めてその適用をみるものと考えねばならず，さらばといってかかる意思を表示せざる場合には常に慣習によるものと解するのも極端であるため，結局中間をとって「事実タル慣習ニ従ヒテ法律行為ノ意義ヲ決定スベキ合理的ノ事情アル場合ニ之ニ依ルベキモノト解ス」というような見解が生まれ（鳩山３３５頁），したがって「慣習が法律行為の内容を決定するといふ理論は当事者の意思を俟たず法律行為の内容自体から離れた標準として作用することを意味する」といわざるをえざるに至り，第９２条を適用するためには「慣習が両当事者の職業階級等に普遍的なものでないといふやうな特殊の事情の存在する場合」を除くのほか「当事者が慣習の存在を知る必要もない」という結論が生まれる（我妻２８４頁）。

　ところがそうなると，「事実たる慣習は実際上慣習法に近き効力を有し，法律行為の解釈に関する限り慣習によって任意法規が改廃せらるる結果となる」（我妻２８４頁）わけであって，ここでは違った理路をとおりながら，結局解釈論としてまで穂積博士の立法論と同じ結果を認めることになる。

我妻教授がみずからこれを称して「注目すべき現象である」といっているのは，教授みずからもこの結果を理論的にみてなんとなく奇異に感じているためではあるまいか。

　ともかく，かくのごとくにして通説は「法例第２条により慣習法は任意法規の存する場合には成立しえない，これに反し事実たる慣習は任意法規に優先する」という結論を認めるわけであるが，もしも通説のいうように，事実たる慣習と慣習法とが範疇を同じうする概念であり，前者は後者と性質を同じうしながら「社会の法的確信によって支持されない」という点だけが異なる，いわば後者より程度の低い法規範であるとすれば，右の結論を認めることはすなわち法としてむしろ高度の性質を有するものは任意法規に反して成立しえざるに反し，低度のものがかえって任意法規に優先するという奇異なる「注目すべき」現象を認めることになる。われわれの理論欲ははたしてそれで十分満足されるのであろうか。

　そこで私はどうしてもいわゆる「事実たる慣習」なるものの本質をさらに別途から考えなおしてみる必要を感ぜざるをえないのである。

４

　以上のごとく通説が民法第９２条の解釈上一見はなはだ奇異な結論に到達するに至っている原因を考えてみると，次の２点をあげることができる。

　第１に，通説は「慣習」が法例第２条その他において法律上問題になっている意味と第９２条において問題になっている意味とを十分区別して考えていない。第１の場合においてはいうまでもなく慣習法が法として問題になっている。それらの規定の適用にあたっては「同型行為の反覆」なる外形的事実にもとづいて法と認むべき程度の社会規範が成立しているかどうかを探究せねばならぬ。そうしてかかる法的規範の存在を認めうる場合に初めてそれらの規定の適用があり，これに反してその存在を認めえざる場合には単なる「事実たる慣習」が存在するにすぎざるものとしてそれらの規定の適用をみるに至らないのである。したがって慣習法と事実たる慣習との区別は実際上これらの規定の適用に関してのみ問題となりうるので，慣習法成立の要件如何に関する理論的論議のとごときもここにおいてこそ問題になりうるのである。

　これに反し，第２の場合にはただ「同型行為の反覆」なる外形的事実が法律行為解釈の資料として役立つのみであって，それに伴って法的規範が成立しているかどうかのごときはここでは全く問題にする必要がないのである。かかる事実としての慣習が存在する場合には，取引上人々がそれによるの意思を有すと認むべきが常識的であり合理的であるから，その慣習的事実を資料として法律行為を解釈し，意思表示の不明もしくは足らざる点を補足するのである。したがってこの場合には，かかる慣習に伴って法的規範が成立しているかどうかを全く問題にする必要なく，かかる法的規範が存在するや否やに関係なく，慣習的事実そのものが事実として問題になるにすぎない。穂積博士の提唱するように，かりに第９２条の第２句を「法律行為ノ当事者ガ之ニ異ナル意思ヲ表示セザルトキハ」と改正するとしても，それによって「今までは事実たる慣習と見たるものを任意法たる慣習法」と見る必要は毫もなく，その場合でも事実たる慣習を事実として問題にすれば足りるのであって，「任意法たる慣習法」のごときは全く問題にならないのである。

　我妻教授が「事実たる慣習は実際上慣習法に近き効力を有し，法律行為の解釈に関する限り慣習によって任意法規が改廃せらるる結果となる」といっているのも，事実としての慣習によって法律行為を解釈した結果，任意法規に異なる意思表示ありと認められ，それによって任意法規の適用が排除されるという当然の理を説いているにすぎないのであって，そこになんら「注目すべき現象」も存在しないのだと私は考える。それがいかにも「注目すべき現象」のように考えられる原因は，当事者が存在を知らず，したがってそれによる意思を有せざる慣習もなお法律行為解釈の資料となることを認め，しかも事実たる慣習は慣習法より低度のものと考えるからであって，さればこそ慣習としてむしろ高度の性質を有する慣習法は法例第２条の存在する結果，任意法規に優先しえざるに反し，むしろ低度のものと考うべき事実たる慣習がかえって任意法規を「改廃」するという一見奇異な現象が生まれるという錯覚におちいるのである。ここで問題になるのは，慣習なる事実であって法的規範ではない，その事実が法律行為解釈の資料として問題になるのみであって，その事実を当事者が知らざる場合にも解釈の資料とすべきや否やの問題のごときは，後に述べるとおり，全く別事である。

　ドイツのパンデクテン学者中，取引慣習（Geschäftsgebrauch, Geschäftsübung, Verkehrssitte）のことを最も詳細に論じているレーゲルスベルガーは，この当然の理を説明して「取引慣行（表示せられざる）当事者意思として任意法規に先立つ，慣習法が法律によって排除されている場合でもまた同じである」といい，その例として商法に規定ある場合には商慣習法適用の余地なきことドイツ商法第１条の規定により当然なるも，この場合でもなお商慣習はこれを顧慮せざるをえないという説明を与えている（Regelsberger, Pandekten, S. １０２）。取引慣行を事実として法律行為の解釈資料にすぎずと考えさえすればきわめて当然のことであって，そこになんら異とすべきものも存在しない。

５

　次に学者が事実たる慣習が任意法規を改廃するという理を認むるに至れる第２の原因は，当事者が特に慣習に従う意思を表示せざる場合にもなお第９２条によって慣習に従うべしとする判例の態度を肯定し，さらに進んでは当事者の知らず，したがって，特に従うことを欲せざること明らかなる慣習にもなお第９２条の効力を認めようとするからである。

　ところが第９２条は本来「当事者ガ之ニ依ル意思ヲ有セルモノト認ムベキトキ」と規定しているので，これによると慣習が法律行為の解釈資料として役立つにすぎないものと考えられていることはきわめて明瞭である。大審院は解釈上一歩を進めて，取引慣行ある場合に「普通之ニ依ル意思ヲ以テ為スベキ地位ニ在リテ取引ヲ為ス者ハ特ニ反対ノ意思ヲ表示セザル限リハ之ニ依ルノ意思ヲ有スルモノト推定スルヲ当然トス」といっているけれども，ここではただ意思の存在を「推定」するによって事を妥当に解決せんとしているだけであって，事を法律行為解釈の問題とする考え方の範囲を逸脱していない。ところが学者がそこからさらに飛躍して意思の存在を推定する以上，意思不存在の場合にも「慣習ニ従フ」べきであると考え，そうなると理論上事が法律行為解釈問題の範囲を逸脱するから，自然「今まで事実たる慣習と見たものを任意法たる慣習法」とみねばならぬと考えたり，事実たる慣習が「実際上慣習法に近き効力を有」するというようなことを考えるに至るのであるが，かくのごときはおよそ「推測」の有する法律技術的妙味を無視するものといわねばならぬ。

　上述のレーゲルスベルガーは，「推測」からすすんでさらに意思を「擬制」しているが，ここでもまだ事を法律行為解釈の問題なりとする態度から逸脱していない。彼は取引慣行が任意法規に優先するのは「（表示せられざる）当事者意思として」（als [unausgesprochener] Parteiwille）であるといっている。その上この理を詳説して「一定の取引をなした者は，彼と取引する人々が彼の取引慣行を知れることを正当の理由をもって前提としていたかぎり，後からその不知を主張しえない，ここでは知るべきこと（Wissensollen）が知れること（Wissen）と同一に取り扱われる」といっている。すなわち事を法律行為解釈の問題と考えるかぎり，利用しうべき最後の武器は「擬制」である。それを使って彼は実際上妥当の結果を求めようとしているのである。

　第９２条の文字から考えると，わが民法の解釈としてわれわれの到達しうべき限度もたかだかこの辺にあると考うべきが当然であり，そうしてその限度を守るかぎり事実たる慣習を「任意法たる慣習法」とみねばならぬというようなことにはならないのである。「推測」の技術的妙味を解せずして理屈一点張りの飛躍をすればこそ自縄自縛的に「注目すべき現象」に当面することになるのである。

　わが第９２条の規定に相当するドイツ民法第１５７条は「契約ハ取引慣行ニ鑑ミ信義誠実ノ要求ニ従ヒテ之ヲ解釈スベシ」と規定している。わが民法と立言方法が異なっているから，解釈上当事者の意思を離れてもなお取引慣行を顧慮すべしとする議論を許す余地が残されている。けだし法律行為解釈論の進歩を反映しているものにほかならないのである。このゆえにドイツ民法の解釈としては現に当事者の知らざる取引慣行もなおこれを顧慮しうべきや否やについて学者の見解が分かれており，そうして積極論者はその結果取引慣行を知らざる当事者の受くることあるべき不測の不利益を緩和するためには錯誤に関する第１１９条を適用すればいいといっている。すなわち当事者の知不知に関係なく取引慣行を顧慮して契約を解釈するが，そうなると当該慣行を知らざりし当事者が全くその予測せざりし意思表示をなしたものとして取り扱われることになって気の毒である。しかしそれから生ずる苛酷の結果は錯誤による取消を許すによってこれを避けうるというのである（Oertmann,§１５７, ２b）。

　わが民法は初めから立言方法を異にしているから，意思の推測による大審院の方法が解釈上最も適当しており，実際上の必要も十分それで満たされるのである。そうしてこの限度にとどまるかぎり，慣習法は任意法規に反して成立しえざるに反し，事実たる慣習は任意法規を改廃するというがごとき「注目すべき現象」の幻想に悩まされる必要もないと考えている。

　もしそれ将来当事者の知らざること明らかなる取引慣行をも法律行為解釈上顧慮するにあらざれば実際法妥当の結果に到達しえない場合があるとすれば，その場合には第９２条にかかわらず，かかる解釈を許すべき余地が十分にある。わが国の法律行為解釈理論も今ではその境地まで発達していると私は考えている。

９　目的ある権利と目的なき権利

　権利はすべて目的を持つ。権利はすべて一定の目的を達する手段として認められる。したがってその行使もその目的の範囲内においてのみ許されるべきである。外観上，権利行使の形をとる行為といえども，その権利の目的範囲を逸脱するものは違法である。これが今日普通に行われている権利濫用の理論である。

　ところが各種の権利を個々別に観察すると，そのうちにおのずから比較的目的の明瞭なものと然らざるものとの区別があることに気づく。例えば民法が戸主権の内容として規定する諸種の権利義務（現行民法では廃止された），婚姻の効果として夫婦の取得する権利義務等は前者の例であって，ここでは根底にまず「家」があり夫婦関係がある。法律の規定する上記の権利義務はこれら根底の関係を保持する手段として認められているのであって，関係の内容がそれらの権利義務によって全部的に構成しつくされているのではない。換言すれば，それら権利義務の総和がそのまま関係の内容をなすのではなくして，個々の権利義務は関係保持の目的のため法律的に規定するを必要ないし適当と考えられるもののみが特に権利義務として規定されているにすぎないのである。

　これに反して，例えば所有権は特にこれという具体的目的のために認められた権利ではなくして，まず第１段においては無目的の権利である。むろん，すべての権利は窮極において無目的ではありえない。所有権もまたもちろん目的をもつ。しかし，これを上記親族法上の諸権利にくらべると，直接の目的関係をもっていない。近頃では，例えば「所有権は義務づける」（Eigentum verpflichtet.）というようなことをいって，所有権の赤裸々な没目的な作用を極力緩和せんとする主張が相当強く法律家の間に行われているけれども，これによって達成しうべきものはたかだか緩和的制限にすぎずして，「義務を尽くす手段としての権利」にまで所有権を変質せしめることはできない。

　賃貸借・雇傭等にもとづく権利にしても，現行民法の考えによると，まず根底に地主・小作人の関係，大家・店子の関係，雇主・雇人の関係等の関係ありとし，これを保持する手段として諸種の権利を認めているのではない。これらの契約によって権利義務を内容とする法律関係が成り立つ。賃貸人・賃借人の関係，使用者・被用者の関係はすなわちかくのごとき法律関係であって，その内容は権利義務をもって全部的に構成されている。実際社会における実在の地主・小作人の関係等は必ずしもすべてかくのごときものだとは考えられない。しかし民法はかくのごとき実情の顧慮の上に規定を設けているのではなく，初めから権利義務を内容とする法律関係としてこれを規定しているにすぎない。むろん民法も地主・小作人の関係等の内容がかくのごとき権利義務のみをもって尽きねばならぬものと考えているわけではない。しかし権利義務以外の部分はこれを情誼道徳に任すという考えをとっているので，これをひとまず法律と切り離して考えているのである。この点はむろん民法の改正に関して今後大いに考慮せらるべき重要な事柄ではあるが，少なくとも現行民法の考え方は右に述べたとおりである。したがってここでも権利は第１段において無目的である。

　以上に述べたような区別は権利濫用理論の適用上重要な価値をもつ。すなわち第１の権利においては権利の奉仕する目的が明確であるから，一定の行為がその目的範囲を逸脱するや否やを判定することが比較的容易なるに反し，第２のものにおいては困難であるから，前者においては権利濫用の成立を認めることが比較的容易なるに反し，後者においてははなはだ困難である。大審院の判例においても，親族法上の権利については民法施行後まもなくすでに権利濫用の法理を適用しているのを見出す。例えば戸主の居所指定権については明治３４年すでに３つの判決があって，「戸主ガ之ヲ行フニハ相当ノ理由アルコトヲ要スルモノニシテ絶対無限ニ行使スベキモノニ非ズ」というような趣旨が述べられている。その後，財産法的関係についても権利濫用を認めた判例が多少はあるけれども，そのうち例えば相隣関係に関するもののごとき事案を精細に観察すると権利濫用理論以上の何物かをもってするにあらざれば適当に解決しえない場合が無理に権利濫用をもって論ぜられているのではないかと考えられる場合が少なくないように思われる。

１０　法律関係と道義則

１

　制定法上の権利義務の厳格性から生ずる苛酷な結果を緩和するために調節ないし修正原理としてひろく公序良俗，信義誠実，権利濫用等の道義的原理の介入を認めんとする傾向はい今やわが国私法学上の通説をなしている。ただ学者によってこれを認むる程度に濃淡強弱の差等があるのみである。

　ところが，この点について従来学者の説いているところをみると，まず第１に法定の結果が苛酷である場合になにゆえにこれら道義的諸原理による調節ないし修正が許されるか，その理論的根拠が必ずしも十分に闡明されていない。第２には，具体的にいかなる場合にこれら諸原理の適用を許すのであるか，換言すれば，これら諸原理の介入を認める条件が何であるかを理論的に探求しているものがほとんど見当らない。多くはただ具体的の諸場合につき，結果の苛酷を理由として，いわばめのこ算的にこれら諸原理の介入を認めているのみであって，その間に処する一般的の指導原理を説いているものはほとんどない。

　その原因は，私の考えるところ，主として法律関係の本質に関する通説的見解の欠陥にある。もしくは学者一般がこの点につき無関心であることに原因しているように思う。したがってこの通説的見解に対して理論的検討を加えることがこの問題を解決する唯一の鍵であって，これを怠るかぎり問題はいつまでも解決しない。また道義的諸原理の介入がいかなる条件のもとに許されるかの問題も法律関係の種類に連関するのであって，各種法律関係の特質を類別的に究明してみれば，問題解決の端緒が見出されるものと考えている。

２

　学者は，従来一般に制定法の規定する権利義務の関係がそのまま実存の社会関係の本体をなすものと考えている。信義誠実その他の道義則が生活規範の中心として実存の社会関係を規律し成り立たしめている現実を無視し，その結果社会関係の法的規整に関しては制定法上の権利義務を主として万事を考えるのが本格的であり，道義則の要請は単に補足的もしくは従属的に斟酌せらるべきものと考えている。

　これと正反対に，私は実存の社会関係は道義則を中心とする「生きた法」によって規律されながら成り立っているものと考えている。「生きた法」の具体的構造上，制定法の重要なるゆえんを認めながらも，制定法の役割は主として法技術的理由よりする法的規整の作用をなすにすぎずして，その道義則に対する関係は質的にはむしろ従属的にすぎないものと考えている。

　複雑な政治機構のもとに万事を組織し規律している，近代的中央集権国家にあっては，制定法の規整作用はきわめて大きい。制定法の裁判規範としてもしくは組織規範として現実の社会関係を規整している作用は量的にきわめて大きい。しかし，それが量的に大きいことは決してその質的地位を変更せしめるものではない。人々はややもすると，この量的大きさに眩惑されて制定法中心の法律観におちいりやすいけれども，静かに日常生活の体験を本として素朴に事を考えてみると，われわれ日常の生活関係を規律し成り立たしめているものはむしろ道義則を中核とする生活規範であり，道義則が中心をなしつつ制定法規範をも包摂しながら，渾然一体をなした「生きた法」が社会の具体的法秩序として社会を規律し成り立たしめている事実に気づくのである。

　そしてかくのごとくに考えてみると，人々が一般に実存の社会関係の本体をなしているものと考えている制定法上の権利義務を内容とする法律関係は，実は制定法的フィルターをとおして現実の社会関係から映出された観念的の映像にすぎず，したがって赤裸々な制定法上の権利義務はその映像の上においてこそそのまま完全な価値を主張しうるけれども，一度実社会の具体的法秩序を全体的に眺めることになるととたんに技術ないし道具としての役割を果たすにすぎないものであることが見出され，したがって制定法上の権利義務が質的には道義則に従属するものとなることが見出されるのである。

３

　実存の社会関係の本体を，制定法上の権利義務の集合たる法律関係にあらずして，道義則を中心とする「生きた法」によって規律された関係なりと解する考え方が最もよくあてはまるのは身分関係である。けだし単に常識的に考えても，「財産法は財産法関係を全部的に規律するが，身分法は身分法関係の一部より支配し得なく，他の大きな部分は道徳や習俗の規律に委ねられた形になっている」（中川・身分法の総則的課題３頁）ことをなにびとも容易に理解しうるからである。正確にいうと，財産法も決して財産法関係を全部的に規律しているのではない。ただここでは法的安全性の要請が強いために法技術的の面のみが表面に現われて道義的の面がいちじるしくその陰に後退しているため，かくみえるだけのことだと私は思う。このことについてはなお別の機会に説きたいと思うが，それはともかくとして，現実の身分関係を単なる制定法上の関係と考うべきではないということは誰しも容易に考えうることである。なるほど民法の身分関係に対する規整作用は特に戸籍制度の力をかりてひろく民間に及んでいる。しかし，その滲透度は物権法したがって不動産登記精度の規整作用にくらべるといちじるしく浅薄であって，事の実質にまで深く及んでいない。例えば結婚の大部分は現に戸籍の届出をしている。しかし戸籍の届出をすることによって，特に民法所定の効果が賦与せらるるに至ることは実際上一般人によってほとんど意識されていない。一般人にとっては届出をしようとしまいと夫婦は要するに夫婦であって，結婚式をあげてから届出に至るまでの夫婦関係と届出後の夫婦関係とを異別のものとは考えていない。それを異別と考えるのは法律家だけのことである。一般人にとっては，届出をしないと，いわゆる籍がはいらない。その結果夫婦の間に生まれる子が嫡出子になりえないということが一番の関心事であって，結婚式をあげた以上，たとえ届出前といえども立派な夫婦であるというのが一般の常識である。したがって夫婦間の情愛・貞操等道義の関係は届出の有無にかかわらず同様に成り立っているのであり，ただ届出をすると，民法所定の効果が附加されるということが法律上定められているだけのことである。

　しかるに法律家は婚姻は「届出ヅルニ因リテ其効力ヲ生ズ」という規定にとらわれて，現実の夫婦関係そのものまでが届出によって初めて成立するものと考え，その結果，届出前には夫婦関係がないものと考えたり，届出によって成立する婚姻関係は民法の規定する権利義務のみから成り立つ法律関係であるというような考えにおちいるのである。

　大正４年以来の大審院判例が，内縁の夫婦関係にある程度の保護を与える態度をとるに至れるにかかわらず，今なお内縁関係を婚約状態と解し，実は離婚による損害賠償の問題として取り扱うべき事柄を婚約違反と解するによってわずかに賠償請求権発生の法律的根拠を説明しうると考えているがごとき，この種法律家的妄想の典型的なものである。この場合のごとき，いやしくも内縁の夫婦関係に保護を与えることを意図する以上，直截に夫婦関係の存在を認め，したがって夫婦相互の間に信義の義務あるを認め，夫婦の一方が故なく相手方を見捨てる行為は，それ自体ただちに信義違反の故をもって不法行為を成立せしめるものと解すべきが，最も事理に適したすなおな考え方であると私は思う。

　次に，かつて夫に貞操義務ありとした大審院判例に関連して，夫に貞操義務ありやの問題が学者議論の的となったことがあるが，その際の議論のごときも貞操義務の法律的根拠を民法ないし刑法の規定に求めればこそ事がむずかしくなるのである。私の考えをもってすれば，夫に貞操義務ありや否やは習俗的道義則がこれを決定するのである。なるほど刑法は夫の姦通を罰せず，民法はまた夫の姦通を裁判離婚の原因と認めていない。しかしこれは夫の貞操義務違反に対しては制定法上かかる制裁が加えられないことになっているというだけのことであって，貞操義務の存在そのものを否定しているのではない。したがってその他の関係において裁判所が夫の貞操義務を認めてその違反を問題にすることはなんら差支えないわけであって，貞操義務の根拠を夫婦関係を規律する道義則に求めずして，制定法上の制裁規定に求めればこそ，この自明の理が理解しがたくなるのだと私は考えている（現行法にあっては妻についても同じことがいえる）。

　かくのごとく身分関係の本体を道義則を中心とする「生きた法」によって規律された関係と解し，制定法は単にそれらの関係に法定の型を与えてその整備をはかるとともに，各種の権利義務によってそれら関係の機能を整序し，もしくは強化する作用を営むにすぎずとする考え方をとれば，身分法上の諸問題はむしろなだらかに解決しうるものが多い。それをしいて制定法上の権利義務を主とし，それらの総和がすなわち法律関係としての身分関係であるという考え方にとらわれればこそ，考えのすべてに無理ができるのである。中川教授は戸主の居住指定権についてつとに権利濫用理論の適用を認めた大審院がその後同理をその他に身分権一般に推し及ぼす態度を示さないことを，「理由が判らない」と非難しているけれども（前掲１０頁），それは要するに大審院の身分関係そのものの本質に関する考え方が今なお一般に間違っており，その結果権利濫用のごとき道義原理はきわめて例外的にかつひかえめに修正原理としてしか適用すべきでないという通説的の考え方にとらわれているためであると私は考えている。

１１　技術の貧困

１

　法律家は複雑多岐な形で発生する社会事象をとかく既成の原理ないし概念の中に押しこみたがるものである。無理にも押しこんで形の上だけ解決がつけばそれで満足する傾向におちいりやすいものである。

　しかし，かくのごとき方法ではとうてい実質的に正しい法律的解釈には到達しえない。既成の原理ないし概念にはそれぞれその妥当しうべき限界がある。したがって実質的にその限界内に入りうる事柄はよくこれを処理しうるけれども，その限界を越えた領域に対しては適用力をもたない。無理にその領域にまで適用を推しひろめれば不当の結果におちいるべきは当然である。

　このゆえに既成の原理ないし概念をもって処理しえない事柄に当面した場合に，われわれのとるべき態度は，まず第１に当該の原理ないし概念を再検討してその適用力の範囲を明確にすることであり，その結果もしも当該の事柄がその範囲内に入りえないことが発見されたならば，新たにその事柄を処理するに適する原理ないし概念を創造することでなければならない。

　例えば以前にはわが国の民法学者は一般に人的集団に関する事柄を処理する法的技術としては社団法人及び組合の２種類を知るにすぎなかったから，人的集団にして社団法人にあらざるものはすべて組合にほかならずと独断し，当該集団の性質を実質的に検討することなしに，すべてこれに組合に関する民法の規定を適用せんとする有様であった。ところが，それでは本来社団的にして組合的ならざる集団を無理に組合原理のもとに押しこむことになるから自然不当の結果におちいるべきは当然である。そこでその後人々はおいおいとこのことに気づいて新たに人格なき社団なる概念を利用するに至り，これによってようやく人的集団の問題を事物の性質に適するよう適当に処理しうる端緒が開かれたのである。

　しかるに法条と判例との研究にのみ没頭して，法的処理の対象たる事物を法律社会学的に討究することを怠りがりな法学者は，社団と組合との概念的差異に気づきながら，さらに進んで社団そのものの本質，ことに法学的見地よりみたその特質を究明することを怠り，それがため今なお人格なき社団に関する諸問題を処理するに適する法的原理に関してほとんどまとまった研究を見出しえない状態にある。

２

　船員法第２８条に，「相続其ノ他包括承継ノ場合ヲ除クノ外船舶所有者ノ変更アリタルトキハ海員ノ雇入契約ハ終了ス」「前項ノ場合ニ於テハ雇入契約ノ終了ノ時ヨリ海員ト新所有者トノ間ニ従前ノ雇入契約ト同一条件ノ雇入契約存スルモノト看做ス，此ノ場合ニ於テハ海員ハ第二十六条第一項乃至第三項ノ規定ニ従ヒ雇入契約ヲ終了セシムルコトヲ得」（現行船員法４３条がこれに対応する）との規定がある。この規定の実質的意味は船舶所有者が変更しても海員の労働関係はただちに消滅することなく，従前の船舶所有者の代りに新所有者が当事者となって関係がそのまま継続するを原則とするも，当事者希望するにおいては予告解約をなしうるという趣旨である。しかるに法律がこの意味をそのまま率直に規定することなく一面において「船舶所有者ノ変更アリタルトキハ海員ノ雇入契約ハ終了ス」といいつつ，他面において「前項ノ場合ニ於テハ雇入契約終了ノ時ヨリ海員ト新所有者トノ間ニ従前ノ雇入契約ト同一条件ノ雇入契約存スルモノト看做ス」云々なる規定を設けているゆえんのものは，船舶所有者変更の場合に旧所有者と海員との間に存する労働関係が所有者の変更によって法律上当然に新所有者との間に移転するゆえんを理論的に説明し理解する法的技術を欠いているからであると私は思う。

　在来の民法的理論によれば，旧所有者と海員との間の労働関係は彼らの相互に締結した契約によって成立した個人法的債務関係であるから，船舶所有者の変更によって旧所有者の地位が法律上当然に新所有者に移転することは理論上どうしても考ええないわけである。かりに旧新所有者の間に移転に関する明示もしくは暗黙の合意があるとしても，海員の承諾なきかぎり債務関係の移転は理論上全くこれを考ええないわけである。それにもかかわらず事物の性質はその当然移転を絶対に要求しているから，法律は窮余，一面において在来の契約終了すと規定すると同時に，他面「海員ト新所有者トノ間ニ従前ノ雇入契約ト同一条件ノ雇入契約存スルモノト看做ス」なる規定を設けてわずかに事のつじつまを合わせているのである。

　しからば，この間の関係をそのままとらえてそのまま規定することは不可能であろうか。否，元来労働法上の労働関係は個人としての雇主と個人としての労働者との間の個人法的債務関係とみるよりは，むしろ個々の労働者が当該企業においてもっている地位と考えらるべきものであり，彼らと企業主との間に発生する権利義務は彼らと企業主との間に締結せらるる契約直接の効果として発生するものではなく，彼らが雇入契約によって当該企業における労働者たる地位を取得した結果，その地位に関し当該企業の内部的規則によって定められているところが自動的に発動して彼らに所定の権利を得しめ義務を負わしめることになるにすぎないのである。かくのごとくに考えると，企業主と個々の労働者との関係は個人法的の債務関係ではないから，企業の同一性が保たれている以上，企業の所有者の変更はただちに労働者の地位に影響を与えないのがむしろ当然であって，在来労働者が旧企業主に対してもっていた権利義務はすべて当然に新企業主との間に移転すべきが当然である。すなわち労働法上の労働関係の特質を如実にとらえてその本質を理解し，これをそのまま法的に処理する原理と技術とを案出しさえすれば，右に掲げたようなまわりくどい規定は全く無用となるのである。

　さいわい船員法の立案者は技術の貧困にもかかわらず，事物の本質からくる要求を無視することなく，擬制を技術としてわずかにその要求に適合する解決に到達しているが，世上にはこれと反対に技術の貧困のために事物の本質からくる要求までをも蹂躙している例が非常に多いのではあるまいか。私はこのことを大いに憂慮しているのである。

１２　法定の型と実在の事実

　民法の規定している型のうちに，強制型・任意型の２種類がある。前者は一定の目的を達するために必ず法定の型によることを強要するものであって，例えば法人・物権・婚姻等がこれに属する。

後者は社会上実際に起生した事実にしてたまたま法定の型に該当するものあらば，あらかじめその型について設けられている法規の適用を受けしめることを目的とするものであって，例えば売買その他民法債権編の規定する各種の典型契約がこれに属する。

　任意型は消極的補充的の性質を有するにすぎずして，その型を社会に強行することを目的としない。たまたまその型に該当する事実が発生すると，その型に関する法規の適用を受けるけれども，社会に向かってその型によるべきことを強要しない。契約自由の原則を基本としつつ，ただ実際上しばしば発生すべしと予想せらるる種類の事項につきこれを一定の型としてとらえながら，これに関する特別の補充的法規を設けているにすぎないのである。

　したがって社会の実際に法定型のいずれにも属しない事項が発生するのは当然であって，それを無理に法定型のいずれかに分類して押しこむ必要もなければ，また押しこもうとするのも誤りである。例えば民法債権編の規定する各種の契約のいずれにも属すと考ええない契約が社会上実際に発生するのは当然であって，それらには法律行為および契約に関する総則的規定を適用するのほか，その契約の特殊性に応じて適当なる法的処理の方法を考案して適用すればいいのである。

　また法定の型と社会上発生する現実の事実とは別物であるから，現実の事実にして法定の型に該当しないものが多いからといって型そのものを事実に合うように解釈説明しようとするのは誤りである。型は型として初めからそれに該当する事実にのみ適用せらるべきことを予想して作られているのだから，それに該当しない事実が多いことは当該の型が実用性をもたないことを示すだけのことであり，立法上その型に改変を加える必要のあることを物語るものであって，解釈上型そのものを無理に事実に合うように説明しようとするのは任意型の本質を理解しないものといわざるをえない。

　例えば懸賞広告が契約であるか単独行為であるかの議論のごときも型と事実とを観念的に混同しているから容易に解決できないのであって，社会上実際になされる懸賞広告の多数が契約としてよりはむしろ単独行為として説明せらるるに適する性質をもっているならば，民法の規定する型としての懸賞広告が契約として規定されていることには全く関係なく，単独行為としての法的取扱いを

与えればいいのである。社会上実際の懸賞広告が多く単独行為なるがゆえに，民法の規定を改正すべしという議論は成り立つけれども，それがため解釈上型としての懸賞広告を無理にも単独行為として理解しようとするがごときは不合理にして，しかも無用な試みであると私は思う。

１３　人格概念の中毒

１

　現在の法律学は，「人」という平等者を構成単位とする法的社会を想定し，その人と人との間に権利ならびに義務を内容とする法律関係が成り立つという考えを基礎として組み立てられている。ところが実在社会の構成単位は「人」のみではない。法律上「人」と認められざるものも実際上社会の構成単位をなし，したがって社会関係の当事者となっている。しかるに法律家は従来かくのごとき社会的現実の前に目をとじて，「人」のないところに社会なく，権利義務のないところに社会関係なしと考え，「人」にあらざるものの社会関係を法的に規律する道を知らず，しいてその規律を求められれば直ちに人格概念を借り用いようとする。人格概念を使わなければ何事も理解することができず，また反対に社会関係の実相をきわめずとも人格概念を使って事が形式的にかたづけばそれで法律的解決がついたように思う。そしてこの傾向はローマ法系統の法律学において最もはなはだしい。近時わが国の状況は多少改善されてきたけれども，依然としてローマ法的な人格本位の考え方の制するところとなっている。

　人格概念の利用によって適当に処理しうべき事柄はむろんその利用によって処理するがいい。しかし人格概念にとらわるるのあまり，実際的必要を感ずるにもかかわらず，事物の性質に適合した法的処理をなしえざるがごときは非常な誤りであって，私は今なお民法学上その過誤がかなり数多く存在するのを非常に遺憾とする。以下，２，３の例を挙げて私見を述べよう。

２

　同一所有者に属する２個の土地相互の間に地役の関係が成り立つことは可能であるか。この問に対する答えは一般的に「否」である。民法上地役権は「設定行為ヲ以テ定メタル目的ニ従ヒ他人ノ土地ヲ自己ノ土地ノ便益ニ供スル権利」である（２８０条）。甲乙２地の所有者が同一人なる場合には契約たる設定行為の成立が不可能である（自己契約の不能）。要役地・承役地が同一人に帰属すれば混同（１７９条）によって地役権の消滅をきたす。これがこの答えの根拠であって，今日わが国の学者は例外なくこの考えを支持している。

　ところが地役権は元来或る土地が他の或る土地の便益に供せられる関係に立つ点にその本質的特色を有する権利であって，各都度の要役地および承役地所有者はたまたま所有者たるがため便益を受くる権利を有し，便益を供すべき義務を負担するにすぎない。すなわち実質的にいうと土地と土地との間に要役・承役の関係が存在するのであって，人と人との対人的権利義務関係たることをその本質としないのである。したがって必要あらば，同一人の所有に属する２つの土地相互の間にも地役関係を成立せしめうべく，地役関係に立つ２つの土地が同一人に所有に帰しても地役権はそれがため消滅せざるものとするのが，最も地役権の本質に適する取扱いである。

　しかるに人格概念にとらわれた在来の民法学はこの本質に適合した法的取扱いを与えることを躊躇する。おもうに人格のないところに権利義務の存在することを考ええない人々は，土地と土地との間に権利義務的の関係が成立することを不可能なりとするのである。かつてドイツ普通法上の論争として地役権の主体は各都度の要役地所有者なりやまたは要役地そのものなりやが問題になったことがあった。そして当時，後説を主張した人々は要役地そのものを法人なりとする考えによって自説に理論的構成を与え，これによって地役権が土地と土地との関係であることを説明せんとしたのである。この考えは結局，土地それ自体を法人なりと考えることの理論的無理のため，およびローマ法によると地役権もまた混同によって消滅したという法律解釈論が勝ちを占めたため，ついに通説をなすに至らなかったけれども，今から考えると要役地を法人視せんとするがごとき―――理論的にはかなり無理だと考えられるような―――構成を用いてまでも，地役権を土地と土地との関係として理解しようと努力した学者が当時すでに存在したことはきわめておもしろいことで，このことは一面，地役権が性質上，土地と土地との関係として理解せらるるを要するものであることを物語るものであると同時に，他面かくのごとき必要に迫られても容易に人格概念の利用を断念しえないほど在来の法律学が一般的に人格概念にとらわれていたことを暴露するものである。要役地を法人と考える，それは今日から考えると実に奇抜な思いつきである。しかし人格なきところに権利の存在を考ええなかった当時の人々は，かくのごとき無理な方法を用いてまでも，地役権を土地と土地との関係として理解しようと試み，これによって地役権が混同によって消滅せざるゆえんを説明主張しようとしたのである。当時の論争についてはWindscheid, Pandekten Bd. I, §５７, Anm. １０参照。

　かくのごとき伝統をもつドイツにおいても，大審院はついに１９３３年１１月１４日の決定をもって同一人に属する土地相互の間に地役権の成立しうべきことを認むるに至った。このことを気仙沼区裁判所の大竹判事が法曹会誌上に紹介報道している（第１３巻第２号）。そしてその判旨は，地役権成立の要件として２個の異なる土地の存在は必要であるけれども，両土地の所有者が別異であることは必要でない，そして所有者を同じうする２個の土地の間に地役権を設けるためにはこれを目的とする所有者の一方的意思表示および登記をもって足るというのであって，その理由の一節において「土地の目的自身は其所有者その人の目的を凌駕す，されば要役地及承役地が偶然同一所有者に属する場合に，此偶然なる状態が双方土地間の法律上の関係の相当なる整理を妨ぐるは法律の精神及目的に適合せざるべし」（大竹判事の訳による）といっているのは非常におもしろいと思う。そして事のここに至った実質的原因は実際の経済的必要にあるのであって，例えば建築用土地の分譲に際しあらかじめ分譲地の一部に地役権の設定を許すことが分譲遂行上便宜である場合が少なくない，また抵当に差し入るべき土地のためあらかじめ地役権の設定を許してその土地の担保価値を保持もしくは騰貴せしめ，これによって抵当差入に便宜を与える必要を感ずる場合も少なくない。これらの実際的必要に応ずるため同国大審院は多年の伝統を破って所有者地役権（Eigentümergrunddienstbarkeit）を認めたのである。

　わが国でも同様の必要は従来実際上しばしば感ぜられた。ただ学説が厳として確立しているため，人々はその必要を感じつつも，その実現をはかることを躊躇していたにすぎない。今日学説が改められるならば，おそらくは実際的需要に対して満足を与える効能が少なくないであろう。

　現行法上の最大の障害と考えられる民法第２８０条の文字からくる支障でさえも，手形における当事者の意義を思い合わせて考えさえすれば，容易にこれを克服することができのであろう。そこではなるほど「他人ノ土地」「自己ノ土地」というような文字を使っている。けれどもこれは要するに通常普通の場合を標準としてなされた立言にほかならないのであって，これだけからわが民法が所有者地役権を絶対に排斥する考えをとっていると論断するのは早計である。地役権は実質的には土地と土地との関係であるというその本質に気づきさえすれば，その関係における当事者は手形における当事者と同様形式的意義を有するにすぎざるものなることを理解しうると思う。具体的には同一人である人が，要役地の所有者であると同時に，承役地の所有者であることを認めても，地役権の本質上なんらの不合理もないことを理解しうると思う。

　不動産登記法第２６条にいわゆる「登記権利者」および「登記義務者」も要するに形式的意義を有するにすぎざるものと解しうるのであって，実体法上所有者地役権の可能が論証されさえすれば，

登記法上の問題は容易に解決しうる。すなわち要役地の所有者と承役地の所有者とが同一であっても，登記法的にはこれを異別の人として考えてもなんら不合理でないと私は考える。

３

　人格概念にとらわれさえしなければ楽に説明のつく事柄を，人格概念にとらわれるためうまく説明することができずにいると思われる場合の例として，も１つの例を与えよう。

　民法第７２２条第２項の規定する過失相殺の原則の適用に関して，従来の通説は被害者が責任無能力者なるときはその過失を斟酌すべきでないのみならず，監督義務者の過失もまたこれを斟酌すべからずと説いている。その理由は，同規定は「被害者ニ過失アリタルトキ」云々と規定している，そして被害者は責任無能力者自身であって，監督義務者にあらず，というにある。

　ところが実質的に事を考えると，父母その他監督義務者は明らかに被害者である。例えば子供が自動車にひかれた場合に父母がどうして被害者でないといえるであろう。右過失相殺の規定は要するに「被害者側にも過失あらば」というほどの意味にすぎないのであって，たとえひかれた子供は無能力者であっても，その子供を不用意に危険な場所に放置した親に過失があると考えられるならば，それを斟酌すべきが当然であると私は思う。しかるに人格概念にとらわれた法律家はこの場合の被害者はひかれた子供その人に限ると考えたがるのである。

　こういう法律家は，例えばある人が猫を籠にいれたまま道路に放置して用足しをしている間にその猫が自動車にひかれたような場合には，わけもなく猫の所有者の過失を斟酌すべきことを認めるであろう。しからば幼児を籠に入れて道路に放置したため同じような事件が起こった場合にも考え方は同じでなければならないわけである。しかるに法律家は猫は物であり飼い主の所有物であるが，幼児は人格者であり親の所有物にあらずと考えて，親を被害者なりと考えることを躊躇するのである。

１４　死亡の認定

１

　生死不明者を法律上死亡者として取り扱う方法が現行法上３とおりある。その１は失踪宣告であり，その２は戸籍法第１１９条（現行戸籍法８９条）による死亡認定の手続であり，その３は戸籍訂正による除籍である。この結果，民法の規定する失踪宣告手続が相当多数の場合に実用せられることなく，実際には第２もしくは第３の手続によって事が処理されていることは注目に値すべき事柄である。

　これらの方法中，第１については一般の民法教科書中にも詳しいことが書かれているから，いまさら特に書くべきこともないが，第２については一般にただその存在が記されているのみであって，その手続ならびに効力等について記したものがほとんど見当らない。第３に至るとその方法の存在をさえ記しているものが全くないから，以下にこれらに関して多少のことを書いてみたいと思う。

２

　戸籍法第１１９条（現行８９条）による死亡認定について，問題となることの１つはその効力如何である。これは戸籍の記載が一般的にいかなる効力をもつかの問題として考えることができる。すなわち同条によって「取調ヲ為シタル官庁又ハ公署」から「死亡ノ報告」があると，市町村長はそれにもとづいて戸籍に死亡の記載をする，そうすると利害関係人はその記載を証拠として死亡に関する諸般の手続をなしうるに至るわけであるが，それは単に死亡に関する一応の証明となるにすぎないから，反証があればただちにくつがえされる。失踪宣告の場合のように特に宣告取消のごとき特別の手続をとることによって初めて効力を失うのではない。戸籍の記載はそのままであっても利害関係人は反証をあげて記載と反対の事実を主張しうることもちろんである。この点ドイツ民法の死亡宣告（Todeserklärung）が死亡の推定を生ぜしめるにすぎないのとはなはだ類似している。すなわちわが国においては，特別の危難によって死亡の確率がきわめて大なる場合には，特に失踪宣告の手続を経るの要なく，戸籍法第１１９条によって死亡の戸籍記載をなし，これによって死亡の推定を生ぜしめることができるのである。

　なおこの種の手続をとった後本人が生還した場合にも，戸籍の訂正を行うのほかなんら特別の手続を要せずして初めから生存していたものとして取り扱わるべきこともちろんであるから，例えばそれ以前利害関係人が死亡を前提としてなしたる行為は行為者善意の場合といえどもすべて当然に初めより効力を生ぜざりしこととなり，したがって場合によってはいちじるしく取引の安全を害することが起こりうるわけである。立法論としては失踪宣告取消の場合と同様，取引の安全を保護すべきなんらかの規定を設ける必要あることもちろんである。この場合，死亡報告の基礎たるべき取調ならびに認定は法規上官庁または公署に一任されているが，事が本人ならびに多数利害関係人の利益に関するところの多大なるがゆえに，事情を十分慎重に調査した上，死亡確実なりと認むべ場合に限り死亡の報告をなしうべきものなることもちろんである。この趣旨を表わすため，例えば昭和１０年の陸軍戦時死者及生死不明者報告手続第４条は「戦地又ハ事変地ノ死亡者ニシテ死体ヲ発見セザル場合ニ於テ部隊長ガ死亡ヲ確認シタル者」なる文字を用い，また昭和１２年民第１３９９号民事局長通牒においては「死体ヲ発見セザルモ海軍官庁ガ戦死ト確認シタルモノ」なる文字を用いている。

　なおいかなる官庁または公署が死亡報告の権限を有するか，換言すればいかなる官庁または公署から死亡報告があると，市町村長はそれを受理せねばならぬかにつき戸籍法第１１９条には単に「取調ヲ為シタル官庁又ハ公署」とあるのみであって実際上疑いを生ずる場合がありうる。それがため，例えば前記陸軍報告手続においては留守部隊長または留守業務担任部隊長が現地から通牒を受けると市町村長に対して報告すべき旨を規定し，また前記昭和１２年民事局長通牒によると海軍軍人軍属に関しては「当該取調ヲ為シタル官庁ノ報告ニ基キ海軍省人事局長又ハ海軍人事部長ヨリ戸籍法第百十九条ニ準ジ死亡報告アリタルトキハ之ヲ受理」すべき旨が定められている。ただし実際上は相当便宜の取扱いが許されているらしく，例えば昭和１５年民甲第４５４号民事局長回答は満州国において戦死したる関東軍司令部所属兵につき関東軍司令部附満州国軍事最高顧問のなしたる報告に関し，右最高顧問は「留守部隊長ニ準ズル手続ヲ為スモノ」なりとの見解のもとにその受理をなすべき旨の指示を与えている。

３

　戸籍訂正の手続により生死不明者を死亡したるものと認めて除籍するについては，戸籍法第６４条第３項（現行法４４条３項）および第１６４条（現行法１１３条）の規定が活用される。

　まず第１に，ある人が条理上死亡したりと考えらるべきにもかかわらず届出義務者よりその届出なきときは，市町村長は第６４条第３項（現行４４条３項）および第３９条第２項（現行２４条２項）の規定により監督区裁判所の許可を得て職権的に戸籍訂正の手続をとり，これによってその者を死亡者として除籍しうる。この点に関しては大正５年１１月民第１７８４号地方裁判所区裁判所宛法務局長通牒として「人口静態統計調査ニ依レバ年年高齢者ノ数ヲ増加スルノ傾向アリト雖，客年大礼ニ際シ特ニ調査シタル所ニ従ヘバ，高齢者ノ数ハ戸籍簿ニ現ハレタルモノト著シキ差異アリタルニ鑑ミ，是等人口統計上ニ現ハルル虚数ヲ消滅セシムルガ為其ノ処理方ニ付内閣書記官長ヨリ照会ノ次第モ有之候ニ付テハ，従来所在不明者ニシテ事実調査ノ結果死亡ノ事実ヲ確認シ得ベキ場合ニ於テハ戸籍法第六十四条第三項，同第三十九条第二項ノ規定ニ従ヒ市町村長ヲシテ監督区裁判所ノ許可ヲ得テ除籍ノ手続ヲ為サシムル様御取計相成度此段及通牒候也」なる通牒が発せられていることに注意すべきであって，これによると，「事実調査ノ結果死亡ノ事実ヲ確認シ得ベキ場合」には市町村長みずから進んで職権的に除籍の手続をとるべきことが命令されているのである。

　なお同理により，一定の人が条理上死亡したりと認めらるべき場合には，利害関係人が自発的に第１６４条（現行法１１３条）により「区裁判所ノ許可ヲ得テ戸籍ノ訂正ヲ申請」し，これによってその者を戸籍より除籍しうるわけであるが，実際上の取扱いにおいては生死不明者が１００歳以上なる場合に限りこの種の取扱いが許されているのだと伝えられている。

　かくのごとく，現在１００歳以上の生死不明者については職権的に，もしくは申請によって，特に失踪宣告の手続を経ることなく，死亡者として除籍する手続がとられつつあるのであって，ここでもまた失踪宣告制度の実用が制限されていることは注目に値する。もっとも生死不明者の死亡時期如何によって親族法上または相続法上重大なる利害関係を有する者がある場合には，失踪宣告手続によって死亡の時期を確定するの必要あることもちろんであって，かかる場合にはすでに除籍の手続がとられた後においても失踪宣告が許されねばならぬこともとよりである。

　なお統計によると，かくのごとき方法によって除籍された者が，昭和１１年東京市のみで５８名――失踪宣告による死亡の戸籍記載は４５名――であったといわれている。このことは，１には生死不明者を生じた場合に利害関係人が実際上失踪宣告の手続をとることなしに事をそのまま放置する事例がいかに多いかを物語るものであり，２にはまた実際人が死亡した場合にも遺族が死亡届をなさずにすましてしまう場合が相当多いのではあるまいかという疑念を起こさしめる材料となるのであって，法律社会学的に考えると特に研究を要すべき興味ある事実がここらに相当あるのではないかという感を禁じえない。

１５　法人学説について

１

　詳しく説かれているある学説の趣旨を簡単に解説紹介するのは非常にむずかしい仕事である。かりに解説者みずからは原著を正しく理解しているとしても，その文字によって解説しているところのみをとおして原著のいわんとしているところを正しく理解することは多くの場合はなはだ困難であるかもしくは不可能であって，しばしばかえってはなはだしい誤解をひきおこしやすい。しかるに偉大なる学説は従来しばしば原著について読まるることなく，単に解説書をとおしてのみひろく読まれる傾向があり，その結果原著の味い――それが実をいうと後学者にとっては最も貴重な教育的価値をもっている――が全く度外視されて，原著中に使われている文字もしくは論理のみが形式的に伝えられ，かくしてはなはだしい誤解が一般に流布するおそれが非常に多い。

２

　サヴィニーの法人学説は法人擬制説の典型的なものだとして一般に伝えられ，そうして批評されている。その所説はたしかに擬制説の名にふさわしいものであって，法律上の人格を自然人本位に考えている結果一面において「すべての権利はすべての人間に内在する倫理的自由のために存在する，したがって法律上の人（Person）もしくは権利主体の原始的概念と人間（Mensch）の概念とは一致する」といっているにもかかわらず，他面法人については法人格を与えられる社会的実体と法人とを「一致する」ものと考えず，法人は畢竟かくのごとき社会的実体が私法的財産法的関係においてその関係の当事者たりうべき資格を――その限りにおいてのみ――擬人的に構成するための法律的思想的存在にすぎないと説いている点において，たしかに擬制説と名づけらるるに適する特色をもっている。

　しかし従来しばしばわが国の学者によって説かれているように「自然人以外に権利義務の主体となりうるものは法律の力によって自然人になぞらえられたものに限る」というようなことはいかなる場所においても決していっていないのであって，法人格づけらるるものが社会的実体として前法的に存在する事実を最も明瞭に認め，それが私法的財産法的関係以外においても社会的したがって法律的意味をもつことを十分に認めつつ，その私法的財産法的関係のみをその他の関係と引き離して取り扱うために法人格概念を構成し，これによってそれらの社会的実体と自然人とを私法的財産法的に相関係せしめることを法律上可能ないし容易ならしめようと考えているのである。そうしてかくのごとく私法的財産法的関係とその他の関係とを引き離して取り扱う理由は，それを引き離して取り扱わないために生ずべき混乱を防ごうとする法律技術的考慮に存するのであって，要するにサヴィニーによると人間以外の社会的実体の各種の社会的作用中私法的財産法的的部分のみを法律的統一的に把持するためその作用をまとめる拠点として法人格概念が利用されているにすぎないのである。

　例えばサヴィニーの主著 System des heutigen römischen Rechts, Bd. III, S. ２３９ にはIndem nun hier das Wesen der juristischen Personen ausschliessend in die privatrechtliche Eigenschaft der Vermögensfӓhigkeit gesetzt wird, soll damit keineswegs behauptet warden, dass an den wiklich vorhandenen juristischen Personen nur allein diese Eigenschaft zu finden oder doch von Wichtigkeit wäre. Im Genenteil setzt sie sets irgend einen von ihr verschiedenen selbständigen Zweck voraus, der eben durch die Vermögensfähigkeit gefördert werden soll, und der an sich oft ungleich wichtiger ist als diese. Nur für das System des Privatrechts sind sie durchaus Nichts als vermögensfähige Subjekte, und jede andere Seite ihres Wesens liegt völling ausser dessen Grenzen. という一節があるのであって，われわれはこれを読んだだけでもサヴィニーの本意が自然人以外には法律的意義をもつ社会的実体が存在しないというようなことをいおうとしているのではなくして，かくのごとき社会的実体の財産法的関係を法律的にとらえる法律的技術としてのみ法人格を擬人的に存在すと説いているにすぎないことを容易に理解しうるのである。

３

　このゆえにサヴィニーは国家の法人格についても，それを財産法的関係のみに関する法律技術的のものにすぎずと考えているのであって，今日多くの人々が考えているように，国家は国民全体によって構成せらるる社団であるというような意味において国家を法人であるといっているのではなくして，国家は国家としてその独自の存在と作用とを有することを認めつつ，その財産法的関係のみを法律的に把握する技術として国庫（fiscus）なる概念が必要であることを主張しているにすぎないのである（前掲書２４５頁参照）。

４

　もしもサヴィニーが自然人についても，そのいわゆる人格は要するに人間の私法的財産法的関係を法律的に把握するための技術的存在にすぎずと説いたとすれば，彼の法人論は理論的にも一貫した立派なものであると考えうるのであるが，実際上彼は自然人に関するかぎり社会的実体としての人間と法律上の人格とを同一視するにもかかわらず，法人に関するかぎり法人格を認めらるる社会的実体と法人格とを引き離して考え，法人格は要するにかくのごとき社会的実体の私法的財産法的関係を法律的に把握するための技術的思想的仮設物にすぎずと考えているところに，彼の所説の理論的不徹底が存在するわけである。しかし彼は決して――従来多数の人々が誤解しているように――自然人以外には社会関係の当事者たるべきものが実在しない，法人はすべて法律上の仮設物にすぎないというようなことをいっているのではない。その意味において彼の説いているところは今なお大いに傾聴に値すべき一面を十分にもっていると私は考えている。

１６　実在としての法人と技術としての法人

１

　われわれは２つの異なった意味において法人が実在するという。その１は，法人格は法律によって与えられたものであり，したがって法人は法的実在にほかならないという意味である。この意味においては，自然人の人格もまた法律によって与えられたものであるから，自然人もまた法的実在であって，この点自然人と法人との間になんらの区別もないといわねばならない。穂積博士が「法律に基づいて人格を有する点から云ふと自然人も亦法人である，即ち自然人と法人とは異なる実質に同一の形式を与へられた対等の観念と云ふべきである」（民法総論１９１頁）と説いているのはまさにこの意味である。

　その２は，法人格づけられたる実体が観念的の仮設物にあらずして社会的実在物であるという意味である。自然人の場合に人格づけられたる実体は人間なる実在物である。同じように法人の場合にも法人格づけられたる実体が社会的に実在する。社会的に実在しつつ人間と同じく社会構成の単位者として他と社会的に関係するがゆえに，それに法人格をつける価値と必要とが認められるのである。法人学説中いわゆる実在説が法人の実在を主張するのはこの意味においてである。

　かくのごとき意味における実在としての法人に関しては，従来学者のこれを説くもの少なしとしないが，法人概念を１つの法律技術と考えて，その技術としての特徴が何であるかを考えながら，その実用的価値の限界を研究しているものはきわめてまれである。およそ技術の価値はそれが一定の目的を達成するに役立つや否やによって定まるものであるから，技術としての法人概念についても，それがいかなる目的には役立ち，またいかなる目的には不適当であるか等の問題を考える必要があると私は考えるのである。

２

　技術概念としての法人は，法律上権利主体を作るための技術である。現行民法は人格なきところに権利なし，主体なき権利なしとの仮設の上に規律機構を作り上げているから，権利のあるところに必ず人格者ありとせねばならない。

　しかるに社会には現実個々の自然人に属せざる財産が多数に存在する。あるいは一定の目的にささげられたる目的財産があり，あるいは多数人の団体に属する団体財産がある。かかる財産は社会的には個々の自然人に属せざる独立の財産であるが，それが権利として民法の規律機構のうちに組み入れられるためには，法律上その財産のために権利主体たりうべきものを考える必要がある。そしてこの必要に応ずるために案出された法律技術が法人にほかならないのである。

　法人概念の技術性を最も赤裸々にあらわしているのは，相続人あること分明ならざる相続財産を法人としている民法第１０５１条以下（現行法９５１条以下）の規定である。相続開始したるにかかわらず，相続人なきときは，相続財産は権利主体なき状態におちいる。遺族が事実上それを保管していても，それは単に事実上のことであって，法律的には本人たるべき権利主体がないから，かかる管理人に代理権を認めることも法律上不可能である。本人のないところに代理人はありえないからである。そこで民法は相続人なき相続財産を法人となし，管理人をしてその法人の機関として相続財産につき管理行為を行わしめることとし，もって論理のつじつまを合わせているのである。単に論理のつじつまを合わせるための技術として法人概念を利用しているにすぎないから，後に至って「相続人アルコト分明ナルニ至リタルトキハ法人ハ存在セザリシモノト看做」され（１０５５条）（現行法９５５条），相続人が相続開始の時にさかのぼって相続財産の主体たりしことになる。しかしそうなると，それまで管理人が相続財産のためになしたる行為は無権限者の行為とならざるをえないから，民法はその結果を避けるために「但管理人ガ其権限内ニ於テ為シタル行為ノ効力ヲ妨ゲズ」との規定を設けたのである。

　ところが従来学者は多く法人格づけられる実体に即して法人の問題を考え，法人格づけられたる実体として有機体もしくは組織体の存在することを前提としてのみ法人がありうるとか，法人格づけられる実体が社会構成分子として法人格づけられるだけの価値をもつや否やを標準として法人格を与うべきや否やの問題を考うべきであるというようなことを主張する。すなわち社団法人とか財団法人とかいうような社会的活動を行う法人を作る場合だけが法人なる技術を利用しうべき正規の場合であるようになんとなく考え，その結果相続財産を法人とするがごときははなはだ異例に属するもののごとくに考えるのである。例えば法人一般は実在なるも相続財産法人は擬制にすぎぬと主張するがごとき（鳩山・日本民法総論１３７頁），またこれに反対して「成程これを便宜準用の規定に過ぎないと説明しても根本概念に障りはないであらう，しかしこれも亦他の社会構成分子に従属しない故にといふ消極的意義ながら且又一時的ながらも独立の社会構成分子と観念されるから法人であるとも説明し得ようか」（穂積・民法総論１９５頁）と主張しているがごとき，すべて法人格づけられたる実体が社会的機能を営みながら社会構成分子として実在する場合だけが，技術としての法人を利用しうべき正規の場合であるように考え，その結果，相続財産法人をなんとなく特異体のものと考えているのである。しかし元来技術としての法人観念は権利主体なきところに権利主体あらしむるための技術にほかならないのであるから，必要にしてかつ適当なるいかなる場合にそれを利用しても差支えないわけであって，その利用を社団・財団等に法人格づける場合にのみ限定せねばならぬ理由は少しも存在しないのである。

　ただあとに残る問題は，相続財産の法的取扱いにつきかくのごとく法人概念を利用することが技術的に合目的なりや否やであるが，それは単なる技術的適否の問題にすぎずして本質的の事柄ではない。例えば同じ目的を達するために，相続財産そのものを法人とする代りに，直接管理人をして相続財産の信託的権利主体たらしめる方法も考えられる。この方法によると，第１０５５条（現行９５５条）の規定するがごとき技巧を用いずにすむから，技術としてはおそらくこのほうが適当であるかとも考えられるが，さらばといって相続財産を法人とする方法もはなはだ不合理なりと考えねばならぬ理由も全くないと私は考える。したがって民法相続編中改正要綱（第１３の２）がわざわざ提議しているように何もしいてこの方法をやめる必要もないと私は思うのである。

　技術としての法人は権利主体なきところに主体あらしめるための技術として欧州大陸法系において発達したものであるが，英米法では同じ目的を達するためにしばしば他の技術を用いている。例えば欧州大陸法系においては，目的財産の権利主体として財団法人を設けるが，英米法においては同じ目的を達するために信託法理を利用する。わざわざ財団法人を作ってその機関たる理事をして財産を管理せしめる代りに，直接その理事に相当する自然人を信託的に目的財産の権利主体たらしめ，受託者としてその財産の管理にあたらしめる。いわゆるcharitable trustがすなわちそれであって，わが信託法（６６条以下）の公益信託はこれをを模倣したものにほかならない。したがって相続財産についてもそれを法人とする代りに信託法理を利用する方法を考えてもいいわけであるが，公益信託が信託法制定以来いまだ１回も利用されていない実情から推して考えると，大陸法系の法人思想がすでに深く人々の心の中に根をおろしている今日，いまさら相続財産を法人とする代りに，管理人を受託者とする技術を使っても実際上ははたしてどれだけ効能があるのか，私にははなはだ疑わしく思われるのである。

３

　わが国の学者は従来一般に法人格づけられる実体が社会的に実在することとそれが法人格づけられることとの間になんらか理論的に必至の関係があるように考えるのであるが，上述のとおり，技術としての法人概念は，要するにかくのごとき社会的実在に権利主体たる資格を与えるための技術の１種類にほかならないことを理解できれば，一面もっと自由に法人概念を技術として利用する道も開かれるし，また法人概念を利用する代りに他の技術――例えば信託法理――を利用することも考えられるのである。社団法人・財団法人を理解しうる人々が，人格なき社団・財団の法律的取扱いに多少とも困難を感ずるのは，法人概念の技術的価値を過重視するからである。法人概念の技術的性質を十分に理解して，それを適所に利用し，不適所に利用せざらんとする用意こそ，この種の問題を考えるにつき学者にとって最も大切な心構えであると考えるのである。

１７　公法人・私法人の区別

１

　現在わが国の通説は法人に公法人・私法人の区別ありとし，各種の法人をなんらか一定の基準によって画然公法人・私法人のいずれかに区分しうべしとの仮定のもとに，その規準を求めている。そうして何をもってその規準とすべきかについて学説が分かれている。

　ところが実際に存在する各種の法人を具体的に観察すると，一方において国家その他府県市町村のごとき公共団体が公法人であることはなにびともこれを疑わないし，他方においてまた純然たる商事会社や公益法人が私法人であることも明瞭であるけれども，その中間に国家その他公共団体に近い比較的公法人に近いものから私的色彩の濃厚なものに至るまで，種々様々の法人が公的より私的への濃度的変化段階をなして存在しているのが実情である。したがって，その中間に位いするものを画一的規準によってしいて公法人・私法人のいずれかに区分し，そのいずれに属するかによって異別の法律的取扱いをしようとすると自然無理が出てくる。私はそういう無理をおかしてまでもこの区分を固執せねばならない理由がいずこに存在するかを疑うものであって，従来この区分の規準如何について学説の帰一をみるに至っていないのもこの事情に原因しているのだと考えている。

　私はかつて昭和４年８月２７日の大審院判決（刑集８巻４２３頁）に対する評釈において「公法人なりや否やと言ふやうな成法上に確固たる判定規準を求めることの困難な事柄を唯一の規準として，本来問題の性質によってそれぞれ適当に解決せらるべき各種の問題を一律に解決せんとしてゐる判例従来の態度に対しては私は根本的の疑をもってゐる」と主張したことがある（判例民事法昭和４年度２４４頁以下）。その後，我妻教授も『民法総則』（１５６頁以下）において同旨の主張を詳しく説いている。それにもかかわらず通説はいまなお旧を守ってなんら改まるところがない。

　この頃のように，政府の行政事務が数量的にも種類的にも繁多になって，一方においては在来私的企業に放任されていた事業の経営に政府が関与するようになり，他方においてはまた従来政府の事務に属していた事項が――従来は私的と考えられていた形態の――各種民間団体に委譲されるような傾向が顕著になってくると，万事について公私の区別はいよいよ困難となり，公法人と私法人とを画然区分し，一切の事項に関してこれに異別の取扱いを与えようとする通説の考え方はだんだんと現実の要求に適応しないものになるおそれがある。今こそこの伝統的の考え方を一擲して，問題のより合理的なる処理方法を案出せねばならない時期であると私は考えるのである。

２

　元来一定の法人が公法人なりや否やの問題は――国家その他公共団体のごとき――典型的な公法人に与えられている各種の法律的取扱いをどの程度までその法人に与えうべきかに関して起こるのである。

　例えば官吏が国家権力の発動としてなしたる行為によって人民に損害を加えても，別段の規定なきかぎり，国家は賠償責任を負わない。そこで通説はこの原則を国家以外のあらゆる公法人――公共団体はもとより水利組合等――にも一様に推し及ぼし，同じく公法人といわれるもののうちにも権限・組織等においていちじるしく公的色彩の濃いものから薄いものに至るまでいろいろの種類があるにもかかわらず，それを無視して国家無責任の原則をそのまますべての公法人に適用せんとしている。

　ところがこの考え方を無制限に適用すると，官公吏の行為によって事実損害をこうむった一般人民が法律上救済を受けえずに終る場合が多きにすぎるから，従来判例・学説ともに実際上はいろいろ工夫して公法人の責任を除外する場合をなるべくせまくしようと努力している。

　その方法の第１は，国家その他の公法人が免責されるのは官公吏等の加害行為が公法人の権利行動としてなされた場合に限るとなし，かつその権力行動たる場合をなるべくせまく解せんとする方法であって，判例も学説もこの方法をひとり国家についてのみならず市町村等公共団体はもちろん普通水利組合のごときにまで適用し，その結果具体的に何が権力行動であるかを決定することに議論を集中している（この点については昭和１６・２・２７大判民衆２０巻１１８頁に対する宗宮氏の批評，民商法雑誌１４１号１２５頁以下，特に１３０頁参照）。私は国家についてさえもこの方法がどの程度まで妥当するかにつき深い疑いを抱いているものであるが，ことに――例えば水利組合のごとき――同じく公法人といっても公的色彩のはるかに少ないものにまでこの方法を適用することの当否をはなはだ疑わしく考えているのである。この種の法人もある関係においては公法人として国家その他公共団体と同様に取り扱わるべき性質をもっているけれども，一般人――水利組合からみれば第三者にすぎない一般人――に対する不法行為についてまで，権力行動を理由としてこの種法人の責任を免除する理由は――国家その他公共団体がそれに属する臣民市民等に損害を加えた場合にくらべて――はなはだ乏しいといわねばならない。例えば国家についていえば，官吏が国家権力の発動としてなしたる行為がかりに不法であるとしても，特別の規定がないかぎり，臣民は無救済のままがまんせねばならないという理窟も成り立つ余地があるけれども，その同じ理窟を単に公法人であるという理由だけでそのまま水利組合が第三者に損害を加えた場合に推し及ぼそうとするのは無理である。たとえ形式上は組合として当然になしうべき行為であっても，実質上組合として国家から課せられた公的任務の遂行上必要にしてやむをえない行為でないかぎり，その行為は違法性を帯ぶるものとして組合の責任を生ぜしめると考えねばならない。大正１２年６月２日の大審院判決（民集２巻２６１頁）は水力電気会社と契約を締結し，それにもとづいて不当に水門を閉塞して他人に損害を加えた水利組合の行為につき「公共組合ニシテ公共利益ヲ目的トスルニ非ズ，専ラ私人ノ利益ヲ目的トスル契約ヲ同人トノ間ニ締結シ，契約ニ基キ事務ノ執行ヲ為スガ如キハ公法人トシテ為スベキ行政行為ニ非ズ」との理由によって，表面上は通説と同じく組合の当該行為が公法人としての権力行動なりや否やを標準として裁判を与えているけれども，そこで実質的に裁判の理由になっているのは当該行為が水利組合としてその公的任務遂行上必然になさねばならぬ行為ではない，すなわち違法の行為であるという点にある。もしも判決のいうように「公法人トシテ為スベキ行政行為」でないとすれば，当該の加害行為は組合役員の権限外の行為であり，したがって組合に責任を生ずべき組合の行為であるとはいいえないわけである（民法４４条参照）。当該の行為が組合の責任を生ぜしむるゆえんのものは，それがなお組合の行為だからであり，組合の行為にしてしかも違法だからであって，さもなければ役員個人の責任は生じても，組合みずからの責任は発生するわけはない。ところが国家の官吏――例えば警察官吏――がなにびとかに頼まれて故なく不当にある人を逮捕し拘留処分に附したとしても，現行法上国家は責任を負わない。かくのごとき行為は警察官吏個人の行為として，彼の個人的責任を発生せしめることはあるとしても，国家の責任を生ぜしめることはない。右判決の論旨を類推すれば，必然国家の責任を生ずべきであるにもかかわらず，その理が国家について否定され，しかも水利組合について肯定されるのはなぜであるか。これこそ国家と水利組合とを公法人なる同一範疇内において同一法理をもって事を律せんとする通説の考え方の不当なるゆえんを，最も雄弁に物語るものといわねばならない。

３

　以上に述べたとおり，大審院は，国家その他公法人が免責されるのは官公吏等の加害行為が公法人の権力行動としてなされた場合に限るという原則を認めているが，さらに第２の原則としてたとえ権力行動としてなされた加害行為といえども，それが「土地ノ工作物ノ設置又ハ保存ニ瑕疵アルニ因」って行われた場合には，民法第７１７条によって責任を負うということを永年にわたる多数の判決において主張している。

　その最初の例は明治３９年７月９日の判決（民録１２輯１０９６頁）であるが，そこで大審院は水利組合がその事業のために設けた隧道工事に瑕疵あるによって他人に損害を加えた事件につき，次のごとき理由によって水利組合に賠償責任ありとしている。「水利組合ガ其ノ目的ノ為メニ工作物ヲ設置スルハ権力行為ニ起因スレドモ，其権力行為ニ基キ設置セラレタル工作物ヲ占有スルハ必ズシモ一般ノ人ヲシテ其権力ニ服従セシムルガ如キ関係ニ於テスルモノニアラズシテ，寧ロ一般ノ人ニ対シ平等ノ関係ニ於テスルモノト謂フベシ，故ニ其工作物ノ占有ハ私法上ノ関係ニ於テ有スルコトアルヤ疑ヲ容レザルヲ以テ，其占有者ハ公法人タリトモ民法第七百十七条ノ規定ニ従ヒ一般ノ人ニ対シ工作物ニ存スル瑕疵ニ因ル損害ノ発生ヲ防止スルニ必要ナル注意ヲ為ス可キ責任ヲ免ルルコトヲ得ズ」云々。

　そうしてその後これと同じ理論を使って大正５年６月１日（民録２２輯１０８８頁）には小学校における遊動円木の瑕疵による損害を賠償する義務を市に負担せしめ，大正７年６月２９日（民録２４輯１３０６頁）には市をして水道工事の不備による損害の賠償をなさしめ，同年１０月２５日（民録２４輯２０６２頁）には国をして築港工事の不備による損害の賠償をなさしめ，さらに，大正１３年６月１９日（民集３巻２９５頁）には市をして下水道施設の不備によって他人に加えた損害を賠償せしめ，また大正１４年１２月１１日（民集４巻７０６頁）には水利組合をして他人の「水利権ニ対スル侵害ヲ防止スルニ足ルベキ設計ニ適合セザル樋管設備」による損害の賠償をなさしめている。

　この判決理論についてまず第１に注目すべきは，土地の工作物の設置または保存に瑕疵あるによって他人に損害を加えた場合には，その工作物の設置が当該公法人の権力行動としてなされた場合でもなお賠償責任ありとしていることである。この趣旨を明らかにするために，例えば明治３９年判決は「水利組合ガ其ノ目的ノ為メニ工作物ヲ設置スルハ権力行為ニ起因スレドモ」云々，大正５年判決は「小学校ノ管理ハ行政ノ発動タルコト勿論ナレドモ」云々といっている。すねわち大審院は例えば国家が鉄道を経営するごとく公法人が純然たる私的企業者と同様の立場で行動している場合でなくとも，換言すれば，加害が公法人の権力行動としてなされた場合でも，土地の工作物の設置または保存上の瑕疵による以上，賠償責任ありとしているのである。

　次にしからば，なにゆえにこの場合に限り，権力行動であるにもかかわらず，なお公法人の責任を生ずるのか。判例の一貫して主張する理由は左のとおりである。「市ガ下水道法ノ規定ニ依リ内務大臣ノ認可ヲ受ケテ為シタル下水道設備ハ市ノ営造物ニシテ，其ノ設置管理ガ行政行為ニ属スルコト論ヲ俟タズト雖モ，同時ニ其ノ設備ニ対スル市ノ所有権又ハ占有権ハ純然タル私法関係ニ於テ之ヲ有シ，私人ガ土地工作物ヲ所有シ又ハ占有スルト同様ノ地位ニ立ツ」云々。すなわち公法人の権力行動による損害に対しても，土地の工作物の所有者または占有者としての責任は免れえない。土地・工作物の所有者または占有者たる点においては公法人も私法人その他一般私人となんら区別せられるべきではなく，公法人無責任の理論をもってしても所有者または占有者としての責任はこれを免れえないというのが判例の考え方の骨子である。

　この判例理論は一見はなはだ巧妙である。けだし「土地の工作物の所有又は占有」という事実は１つの中性的事実として，その「所有又は占有」をなすに至れる原因と一応引き離して考えることができるから，それが公法人の権力行動のためになされている場合でも「所有又は占有」という点だけを引き離してそれに起因する損害の賠償責任を別箇に考えうるようになんとなく思われる余地があるからである。しかしよく考えてみると権力行動による加害が直接「人の行為」という形で行われたか，または「土地の工作物の瑕疵」という形で行われたかによって，公法人無責任原則の適用に差異を設ける理由がはたしてどこにあるのであろうか。もしも公法人の権力行動は責任を生ぜしめないという大原則があるのだとすれば，例えば消防署職員が消防自動車の試運転中あやまって他人を殺傷した場合のように加害行為が「人の行為」の形をもって行われたか，または上記多数判決の事案におけるがごとく「土地の工作物の瑕疵」という形で現われようとも，それらは同じく公法人の権力行動の現われにほかならないのであるから，その理由によってすべて公法人に責任なしとい

う結論が生まれねばならぬわけである。もしも消防自動車の運転による加害が「国家警察権ノ一作用トシテ該消防署ノ消防事務ヲ遂行スルモノ」にほかならぬという理由で国家の責任を生ぜしめないことが正当であるとするならば（昭和８・４・２８民判，法律新聞３５７１号参照），「普通水利組合ガ其ノ基本事務タル灌漑排水ニ関スル事業トシテ為ス行為ハ公権作用タル行政行為ニ属スル」から，その灌漑排水の設備不良なるがため他人に損害を与えた場合にも同じく「公権作用」の故をもって水利組合の責任を生ぜしめないという結論に到達せねばならぬわけである。たまたまその「公権作用タル行政行為」が土地の工作物の設置という形で現れわている理由のみで彼此取扱いを異にすべき理由は全くないといわねばならない。

　上記諸判決の事案はすべて――例えば官庁用の建物の瓦が落ちて通行人を傷つけたというように――公法人の所有または占有する工作物の瑕疵によって偶然に他人に損害を与えたというのではなくして，公法人がその目的を遂行するため権力行動として土地の工作物を設け，しかもその設置方法が不良であるために他人に損害を与えた場合なのである。すなわち工作物設置という形でなされた権力行動が損害の直接の原因をなしているのであるから，もしも公法人の権力行動による加害は賠償義務を生ぜしめないという原則があるとすれば，まさにその適用を受くべき場合に該当するといわねばならない。

　しからば，かくのごとき理論的欠点にもかかわらず，われわれがなんとなくこれら判決の結論を実質的に妥当と考えたい気持になるのはなぜであるか。それはおそらく，国家その他公法人の権力行動による加害は公法人をして賠償責任を負わしめないという原則があまりにひろきにすぎてわれわれの法律常識にぴったり適合しないことに起因しているのである。われわれは国家の行為中特にいわゆる「権力行動」の故をもって無責任の原因たりうべきものが数多くありうることを考えうるけれども，例えば「水利組合ガ其目的ノ為メニ工作物ヲ設置」するのを「権力行為」だと考えるようなことをわれわれの法律常識は許さないのである。水利組合が事務用の文房具を買う行為と「其目的ノ為メニ工作物ヲ設置」する行為とは法律上たしかに別種のものであって，後者はたしかに公的性質をもっている。けれどもその公的性質の故をもって特にこれを「権力行為」と名づけ，これを国家の場合における権力行動と同一範疇内において彼此同一の取扱いを与えようとするところにそもそものあやまりがあるのだと私は考える。判例は工作物の所有者または占有者たることに理由を求めて責任の根拠を説明しているけれども，実をいうと判例の称して「権力行動」なりとしている事実それ自体が免責を結果するだけの公的性質をもっていないのである。換言すれば，国家と水利組合のごときものまでを公法人なる同一範疇内に置き，国家の権力行動が免責事由となるの理をただちに水利組合のごときにまで適用せんとするところにそもそもの間違いがあるのであって，ここにもまた従来通説の主張する公法人理論の不当さが暴露されていると私は考えるのである。

４

　法人に公法人・私法人の区別ありとし，各種の法人を一定の規準によって画然公法人・私法人のいずれかに区分しうべしとする従来通説の考え方はさらに次のごとき大きな欠点を包蔵している。

　すでにこの文の冒頭において述べたとおり，従来通説によって公法人の範疇に属すと考えられている法人のうちには，上は国家公共団体のごとき公的色彩がきわめて濃厚にしてなにびともその公法人たることを疑わないものから，下は例えば水利組合・畜産組合のごとき公的色彩が比較的稀薄であって普通に私法人なりといわれているものときわめて近似しているものに至るまで，公的色彩の濃淡にいちじるしい差等がある。それにもかかわらず通説はしいてそのすべてを公法人なる一範疇内に押しこもうとするために，理論上無理が起こるのみならず，実際上もかえって無用の混乱を生ぜしめている。

　この理を以下判例に現われた実例によって説明する。一定の法人が公法人に属するや否やは訴訟上次のごとき諸事項に関して実際上問題になるのである。

　（１）　ある法人が公法人なりとせば，その職員は刑法第７条にいわゆる「公務員」であり，したがって瀆職が成立しうる。瀆職罪は成否如何がその法人の公法人なりや否やによって決定されるというのである。例えば大審院は水利組合を公法人なりとし，したがって組合会議員は公務員なるがゆえに収賄罪が成立しうるとしている（昭和５・３・１３刑集９巻１８０頁）。

　（２）　公法人名義の文書を偽造行使する行為は公文書偽造行使罪を構成するも，私法人なるときは私文書偽造行使罪を構成するにすぎぬ。大審院は耕地整理組合は私法人なるがゆえに組合もしくは組合長名義の文書を偽造行使するも私文書罪を成立せしむるにすぎずとする（大正５・２・２５刑録２２輯３１６頁）。

　（３）　ある法人が公法人なりとせば，その法人内部の選挙は旧刑法第２３３条（刑施２５条参照）にいわゆる「公選」であり，したがって「公選ノ投票ヲ偽造」する罪が成立する。そうして大審院は畜産組合は公法人なるがゆえに，その総代会議員の選挙は公選なりとしている（昭和４・８・２７刑集８巻４２３頁）。

　（４）　ある法人が公法人なりとせば，その法人内部の会議の決議無効確認を求める訴えは司法裁判所の権限に属しない。私法人たる株式会社の総会決議無効の訴えは司法裁判所の権限に属するが，公法人たる市会の決議無効確認を司法裁判所に訴求しえない。この理によって大審院は畜産組合は公法人なるがゆえにその総会における組合長および評議員選任の無効確認を求める訴えは司法裁判所の権限に属せずとしている（昭和５・４・７民集９巻３３９頁）。

　（５）　ある法人が公法人なりとせば，その法人が会員に対して会費等を請求する訴えは司法裁判所の権限に属しない。国税の滞納に対しては国税徴収法による滞納処分を行うべきであって，司法裁判所への訴求を許すべきでない。同理によって，すべて公法人の会費取立はこれを司法裁判所に訴求しえないというのである。そうして大審院が重要物産同業組合を私法人なりとし，その組合員に対する組合経費および過怠金の徴収につき司法裁判所に訴求しうべしとしているのはこの理によるのである（大正３・５・２民録２０輯３６３頁）。

　（６）　なおすでに上述したとおり，公法人の権力行動としてなされた加害行為は不法行為を成立せしめない。この理を説いた判例については前掲参照。

　かくのごとく大審院は一定の法人が公法人に属するや否やを規準として民事刑事を通じ各種の問題を解決せんとしている。そうして１つの問題に関してある法人を公法人なりとする以上，他の一切の問題に関しても同じく公法人なりとせねばならぬ，としているのである。しかし私の考えでは，同じ公法人に属すといわれている法人のうちにも，国家のごとき公的色彩の濃厚なものから比較的稀薄なものに至るまで多くの段階をなして存在しているのであって，国家に――その公的性格の故をもって――与えられる各種の特殊なる法的取扱いをすべての他の公法人にも同様に与えようとすることそれ自体がそもそも初めから間違いではないかと思う。例えば国家に与えられる特殊の法的取扱いが１０種類あると仮定した場合に他の公的色彩の比較的稀薄なものにまでその１０種類をすべて与えようとするのが間違いであって，そのうち比較的国家に近いものには９種類を与えるとか，さらにいっそう国家から遠いものには５種類のみを与えるというような具合に，同じ公法人のうちでも公的色彩の濃淡如何に応じて取扱いに差等をつけてしかるべきだと思う。そうして，最も公的色彩の稀薄な最下の段階のものに至ると，それと一般に公法人にあらずと解せられているものとの間に画然たる差等をつけうるほどの違いはないのであるから，前者に例えば上記の法的取扱中３種類を与えうると仮定すれば，後者にはその性質に応じて２種類を与えるとか１種類を与えるというようなことが考えられていいのである。しかるに判例は一方において，いやしくも公法人であれば，その種類如何を問わず，すべてに同一の法的取扱いを与え，他方において公法人にあらざるものは――それがたとえ公法人中最も公的色彩の稀薄なものの直下に位いするような――比較的公的色彩をもったものにも絶対に公法人に与えられる法的取扱いを与えざらんとしているのである。そうして，それがため公法人と否とを画一的に分別する統一的の規準を求めんとしているのであるが，私の考えでは判例によって公法人に属すとせられているもののうち最下位に位いするものと，私法人に属すとされているもののうち最上位に位いするものとの間には，決して一を公法人とし他を私法人として全く異別の法的取扱いを与えねばならぬほど画然たる差異があるのではなく，むしろ問題の種類によっては前者に私法人と同様の取扱いを与え，後者に公法人的の取扱いを与えねばならない――また与える余地があるのだと思う。

　このゆえに各種法人に関する法律もみずから当該の法人が公法人であるかどうかを明定することを避け，個々の問題について一々個々的に取扱い方を規定する方針をとっているのである。したがって大審院のように，それらの個々的に規定された取扱い方から帰納して一に当該法人が公法人であるかどうかを決めてしまおうとするよりは，問題の性質に応じ，特にそれに関して明文あるものについてはその明文に従って取扱い方を定め，特に明文なきものについては当該法人の性質と当該問題の性質とを考え合わせて理論的にその取扱い方を考案すべきである。法律は一般に明文をもって問題のすべてについて取扱い方を規定していない，特に明定を要すと考える２，３の問題についてだけ規定を設けているのが通例である。ところが大審院はその明定されている２，３の問題の取扱い方から帰納して，当該法人を公法人なりや否やに決めてしまい，それを根拠として逆に明定されていない問題のすべての取扱い方についての統一的指針を求めようとしているのであるが，その態度にそもそも不都合の生ずる根源があるのである。例えば大正３年５月２日の大審院判決（民録２０輯３６３頁）は，重要物産同業組合についても他の公法人におけると類似のことが少なからず規定されていることを認めながら，「水利組合商業会議所ノ如キニ在テハ之ニ関スル法律ニ於テ経費又ハ過怠金ノ滞納処分ニ付キ特ニ国税滞納処分法ニ依ルベキコトヲ規定シタルニ反シ，同業組合法ニ於テ組合経費及過怠金ニ付キ強制徴収ノ方法ヲ認メザルヲ見レバ立法者ノ意ハ寧ロ同業組合ヲ以テ公法人ト為サザルニ在ルヲ推知シ得ベシ」と論断し，その上でその論断を基礎として「既ニ之ヲ求メ得ベキハ論ヲ俟タズ」という結論に達しているが，私の考えでは同業組合がかかる訴えを司法裁判所に提起しうるものと認めなければならぬ実質的の根拠は，法律が別に特別の強制徴収の方法を規定していないから司法裁判所への出訴を認めざるかぎり組合は実際上組合員に対して組合経費および過怠金を強要する道がないこととなって不都合であるという点にあるのだから，そのことをそのまま率直に判決理由としさえすればいいわけで，かかる規定なきがゆえに私法人なりと断言した上，改めてそれを出発点として司法裁判所に出訴しうるという結論に達する必要もないし，またかくすることによってかえって不都合の結果を生ずるのである。現に重要物産同業組合法第２０条の２は同業組合の役員について収賄罪の成立しうべきことを規定しているが，もしも大審院が判例としているように公法人なりや否やによってその役員が公務員であるかどうかが定まるものだとすれば，この規定は同業組合の私法人たることと理論上矛盾するものといわねばならない。したがってもしも大審院が理論の筋をとおしたければ，この規定あるのゆえをもってかえって同業組合を公法人なりと断定せねばならぬわけであるが，そうすると同業組合が経費および過怠金を司法裁判所に訴求しえないという不都合な結論に到達せざるをえない。ここに判例理論の根本欠陥が存在するのである。

　このゆえに私は公法人・私法人の区別を単に無用なるのみならず，実際上有害なるものと考え，大審院がこの区別を規準として各種の問題を解決せんとしている態度を捨てんことを希望し，学者もこの区別をいかにすべきかの問題に腐心するがごとき態度を改めることを希望してやまないのである。

　＊　憲法の改正に伴い，昭和２２年度法律第１２５号「国家賠償法」の制定，その他多数の法令改廃により，本稿の解釈法学的意義がある程度修正されたことは認められる。しかし「公法人・私法人の区別」に関する末弘博士の見解は旧憲法時における重要な解釈学的産物であっただけでなく，現在でもこれをとおして公法と私法の区別，国家活動の限界規制の問題等につき，暗示性のはなはだ多いものがあるところから，原文のままこれを保存することにしておいた（戒能）。

１８　任意的記載事項の法律的性質

　公益法人の設立者または寄付行為者は，定款または寄附行為のうちに法定の強制的記載事項のほかに，それぞれ必要とする事項を任意に記載して差支えない。それらは記載してもよし，また記載しなくとも差支えない任意的記載事項であるが，いやしくも記載した以上，定款ないし寄附行為の一部となる。したがって制規の変更手続によるにあらざればこれを変更しえない。従来，民法教科書のすべてが任意的記載事項に関して記述しているのはだいたいこの程度の事柄である。

　ところが公益法人設立手続の実際においては，任意的記載事項は決してかくのごとく記載してもよし，また記載しなくとも差支えない，というように単純に任意的のものではなくして，ある事項はこれを記載するにあらざれば主務官庁がこれを許可しない。したがって実際上はその記載が強制的となっているのである。ただそれと強制的記載事項との差異は，後者の記載が直接民法によって強制されているに反し，前者は主務官庁がそれぞれの法人につきその設立の許否を決するにつき強制するにすぎざるの点に存するにすぎない。

　もちろん精確にいうと，任意的記載事項のうちには主務官庁の指示如何にかかわらず各法人の内部的都合だけから全く自発的任意的に定めたものもありうる。しかし，そのほかにその記載なしには実際上設立許可を受けえないほど事実的に強要されている事項が多いのであって，何がその事項であるかは主務官庁が各法人の設立許否を決するにあたり行政的見地から個別的にこれを決しうるわけであるが，実際には各官庁の内部に内規があって，だいたい同じような法人には同じような事項の記載が強要されているのである。そこで弁護士その他その間の事情に通じた者が法人設立の申請手続をなす場合には，従来の事務取扱慣例にもとづいて推知せられる右の内規に従って申請者の側から自発的にその種の事項を記載するのが通例となっているが，かくして記載された事項は実質的には官庁の指示によって記載された事項と全く同様の性質を有するものと考えねばならない。

　かくのごとく主務官庁の指示によって事実上記載を強制される事項は，それを記載するによってのみ設立許可を受けうるのであって，その記載は許可の条件をなすものといわねばならぬ。例えば財団法人がその寄附行為中に寄附行為変更に関する規定を設けることはなんら民法の強要するところではないが，実際上主務官庁はこの規定の記載なしには設立を許可しない。のみならず，その規定の内容についてさえ必ず一定の事項を強要し，例えば社団法人に関する民法第３８条第２項の「定

款ノ変更ハ主務官庁ノ認可ヲ受クルニ非ザレバ其効力ヲ生ゼズ」と同様の条項を寄附行為中に挿入すべきことを強要するのであって，これなしには設立許可が与えられないのである。

　しからば，そこに規定されている主務官庁の認可は，法律上民法第３８条第２項の規定する認可と同様の性質を有するものと解すべきであろうか。考え方によっては後者は直接法律の規定するところなるがゆえに行政行為なるに反し，前者は私法人内部の規定にすぎざる寄附行為にもとづくものなるがゆえに，法律に根拠なき事実上の行為にすぎずというような意見も成り立ちうるのであるが，公益法人にあっては設立許可に関し当該法人にいかなる定款ないし寄附行為を求むるかにつき主務官庁は自由の裁量権をもっているのであるから，任意的記載事項も畢竟はかかる権限の発動にほかならず，そこに規定されている認可も結局は民法が直接規定している認可と同一の性質を有するものと解せねばならないと私は考えるのである。

　任意的記載事項として寄附行為中に「理事の選任は主務官庁の認可によりその効力を生ず」という趣旨の条項が設けられている場合についても，その認可はもちろん行政行為たる性質を有するものと解せねばならぬ。かくのごときことは社団法人についても財団法人についても民法の直接なんら規定しないところであるが，主務官庁は設立許可の権限の発動としてかかる条項が要求されているのであるから，この認可もまた直接法律の規定するところでないにもかかわらず，法律上正規の行政行為と考えざるをえない。

　そしてこの認可は当該法人の性質にかんがみ理事に適任者を得ることを目的とするものであるから，例えばいったん認可した理事がその行跡にかんがみ不適任と考えられる場合には，官庁においてその認可を取り消しうべきは条理上当然であり，かかる認可取消もまた性質上行政行為たる性質を有するものと考えねばならない。

　公益法人については民法が許可主義をとっているのであるから，定款ないし寄附行為の内容が全体として許可の条件となっているのである。したがって公益法人の定款ないし寄附行為の内容は直接民法の明定せざる事項に関するものといえども，主務官庁の許可権の具体的発現であり，したがって公的性質を有するものと考えねばならぬ。準則主義による商事会社の定款における任意的記載事項と公益法人のそれとはこの点において全く異なるものであって，前者は会社内部の単なる私的規定たるに反し，後者は主務官庁の許可権に基礎を置く公的のものと考えざるをえない。

１９　機関関係の理論的考察

　法人の理事その他の役員を法人の代理人にあらずして機関なりとすることは現在通説のひとしく認むるところであり，民法第４４条にいわゆる「理事其他ノ代理人」も法人の代表機関を意味し，単なる代理人を含まずと解するのが通説となっている。

　ところが，しからば機関関係と代理関係との本質的区別はどこにあるかの問題に至ると，いまだ十分に理論的の考究が行われておらず，その結果民法の解釈上にも今なお幾多の疑問を残している。

　従来一般の説明によると，代理にあっては本人・代理人・相手方の３者がそれぞれ独立の存在を保持しつつ，代理人が本人の名において意思表示をなし，そうして代理権の作用によってその効果が本人に及ぶ，すなわち意思表示は代理人の行為であって本人の行為ではない，本人はただ意思表示の法律的効果を受くるものたるにすぎない。これに反し機関関係にあっては，機関を構成する自然人がその限りにおいて法人に帰一し，法人の一部となって法人のために意思表示その他の行為をする，その限りにおいて彼の行為は彼個人の行為にあらずして法人の行為である，したがってその行為の効果が法人について生ずるのは当然である。すなわちここでは代理の場合のように，法人，機関を構成する自然人，相手方の３者が独立の存在をもつことなく，機関を構成する自然人は法人に帰一してその機関をなし，したがって対立して存在するものは法人と相手方のみであって，法人と機関を構成する自然人との間には全部と一部の帰一関係があるのみであって，独立の対立関係は存在しない。

　この説明は特に初学者をして代理関係との区別において機関関係の性質を一応理解せしむるにつき大いに役立っている。しかし一歩進んで実定法的に具体的の諸問題を考えてみると，これだけの説明ではとうてい満足な解決を見出しえない場合が多い。それらに向かって適当な解決を与えるがためには，ぜひとも機関関係の本質についても少し立ち入った理論的検討を加えると同時に，民法の諸規定との関係を具体的に考えて，個々の問題を個別的に考究する必要がある。以下に１，２重要の問題を取り上げて卑見の一斑を述べ，もってこの種問題一般に関する私の考え方を明らかにしておきたい。

　まず第１に学者は，一般に理事その他の代表機関は法人の機関にして代理人にあらずといっているが，しからば代理に関する民法第９９条以下の規定は全く理事その他の代表機関には適用がないのか。もしも理事の代表関係に関する民法の規定がもっと詳細にあらゆる問題に対して解決を与えうるようにできていれば，この種の問題の起こる余地は全くないのであるが，この点につき民法はわずかに第５３条以下の数箇条を用意しているにすぎない。その結果，これらの規定のみでは解決しえない問題に逢着した場合，われわれはどうしても代理に関する規定をある程度まで適用もしくは少なくとも類推適用する余地はないかという問題を提出せざるをえないのである。すなわち理事の代表関係に関する規定と代理に関する規定とは全然範疇を異にするものにあらずして互いに特別法・一般法の関係に立つのではないか，したがって機関関係の特殊性はこれを認めつつもこれに関する特別法的規定が存在しない場合には，一般法たる代理の規定が補充的に適用されるのではないかということを問題とせざるをえないのである。

　さらに問題を具体化して考えると，例えば理事がその権限を越えて他人と契約を締結した場合に，その相手方が善意であれば，第５４条により法人においてその責に任ぜねばならぬのは明らかであるが，相手方が悪意であった場合に無権代理に関する第１１３条以下の規定を適用する余地はないのかが問題になる。例えば理事が初めから無権限なることを明示しつつ一定の価格で他人から物品を買い入れる契約をなしたる後に至り，法人は正規の手続により，それを追認しうるか。さらに実際問題を仮設して事を考えると，例えば契約締結の際における物価と追認当時の物価との間にいちじるしい開きがある場合に，法人側は必ずや追認の可能を主張して低価による買入の利益を収めようとするであろうし，これと反対に相手方は追認の不可能を主張して低価売却による損失を免れようとするに違いないのであるが，事の解決は結局代理に関する規定が理事の代表関係にも補充的に適用されるかどうか，すなわち代理に関する規定と機関関係に関する規定との間には一般法・特別法の関係にありや否やによって与えられるのである。

　現在通説を奉ずる一般学者のこの問題に関する考え方を忖度するに，おそらくは代理に関する規定の適用ないし類推を認めて追認の可能を主張するものと思われるのであるが，それならば代表関係と代理関係とは本質的に別物なりとする理論的解説との調和を解釈論としていかにすればよいのか，この点の理論的説明を一般の民法教科書は十分に与えていない。

　私の考えでは，民法の解釈論上代理に関する規定と機関関係に関する規定との間には如上の問題にのみ限らずひろく一般的に一般法・特別法の関係があるものと解するのほかないと思うのであるが，そうなると一面において機関関係の特殊性を理論的に厳密に検討しながら他面において代理に関する規定がどの程度まで補充的に機関関係に適用されるかを具体的に研究してみる必要がある。学者の研究がこの方面に向かって進められることを希望してやまない。

　ところが，かくして代理に関する規定と機関関係に関する規定との間に一般法・特別法の関係があるということを認めることになると，機関関係は代理関係の変種すなわち一場合にすぎないということを理論的に是認せざるをえないことになるのであるが，実際上それでいいのであろうか。私はそこに問題が残っているように思う。

　その問題は具体的には第４４条にいわゆる「理事其他ノ代理人」は理事・特別代理人（５７条）・清算人のごとき代表機関のみに限るのか，それともまた監事・社員総会のごとき代表機関以外の機関をも含むのかの問題となって現われる。例えば監事が理事に対する監督権限の行使に関し過失によって理事の名誉を毀損した場合に，理事は第４４条により法人に対して損害賠償を請求しうるか。また社員総会が法人の事務執行としてなしたる決議がたまたま第三者の名誉を毀損した場合に第三者は第４４条によって法人の責任を問いうるのであろうか。

　これらの問題に対し「理事其他ノ代理人」は法人の代表機関にほかならずとする通説的見解によれば，いずれも「否」の答えが与えられねばならぬことになるのであるが，実際上それでよいのであろうか，私はそこに問題があると思うのである。私の想像するところ，通説が「理事其他ノ代理人」は代表機関なりと解している原因は，みずから代理関係と機関関係とは理論的に別物なりと主張しながら，法律行為に関する場合の考え方にとらわれて，機関関係は代理関係の一場合にほかならずとひろく類推的に考えているところにあるように思われる。いったい理論的に考えて機関関係が代理関係と本質的に異なるという命題は，事を法律行為のみに限らず，ひろく法人の行為を――法律行為はもちろん，不法行為，その他例えば会社の小使が祝祭日に国旗を掲揚するがごとき事実行為までをも含めて――認めうるという理論的認識の上にその基礎を置いているのである。したがって，およそ法人の行為なるものを法律行為にのみ限らず，ひろく一般的に認めうることを理論的に要請するのである。

　かくのごとくに考えてみると，「理事其他ノ代理人」は代表機関に限るとする通説的見解は，一面において機関関係と代理関係とは本質的に異なるものなることを主張しながら，なお他面において機関関係は代理関係の一場合にほかならぬとする考え方にとらわれているものと考えざるをえない。私の考えによると，かくのごとき考え方は法律行為を主としつつ，不法行為その他法人の行為一般を類推的に考えようとする擬制説的の考え方の痕跡を残すものであって，機関関係の本質を理論的に考える考え方としては本道を逸しているように思われる。

　私の考えでは，機関関係と代理関係との関係，したがって機関関係に関する民法の規定と代理に関する規定との間には単に特別法・一般法の関係が存在するのみでなく，両者の間にはこれを図表にしてみると　　の一部重なり合いの関係があり，両者が重なり合っているかぎりにおいては，換言すれば法律行為に関するかぎり，代理の規定と機関関係に関する規定との間に一般法・特別法の関係を認めうるけれども，両者が互いに重なり合っていない部分についても機関関係，したがって法人行為の成立を認めうるわけであって，そこでは代理に関する規定の適用ないし類推適用はなく，代理を離れて全く別に法人の行為を認めうる。法人の不法行為その他事実行為はかく考えるによってのみ理論的に認めうる。「理事其他ノ代理人」の意義もかくするによってのみ正しく解しうると私は考えるのである。

２０　定義規定の解釈方法

　　――天然果実の意義について――

１

　民法の初学者にとって最も不可解に思われるものの１つは，おそらく「物ノ用方ニ従ヒ収取スル産出物ヲ天然果実トス」といっている第８８条第１項に関する学者の解説であると思う。

　試みにこの点につき最も詳細な説明を与えている三潴博士著『民法総則提要』の記述（２３１頁以下）を例にとってみると，

　（１）　天然果実は「産出物」なることを要するも，�@「有機物的産出物タルト否トヲ問ハズ又産出方法ガ天然ナルト人工ナルトヲ問フコトナシ。故ニ牛乳ハ牛ノ天然果実ニシテ桃実ハ桃樹ノ天然果実ナルコト勿論其他鉱石ハ鉱山ノ天然果実ト称スルヲ得ベシ。之ニ反シ庭園ヨリ発掘シタル埋蔵物ハ産出物ニ非ザルガ故ニ果実ニ非ズ」。�A「産出物ニ加工シタル物ハ天然果実ニ非ズ。例ヘバ牛乳ハ乳牛ノ天然果実ナレドモ之ヨリ製出セル牛酪ハ乳牛ノ天然果実ニ非ズ。雑林ハ山林ノ天然果実ナレドモ之ヨリ製出セル炭ハ山林ノ天然果実ニ非ズ」。�B「元物ガ天然果実ヲ産出スルニ当タリ他ノ力ガ加ハルコトアルモ妨グル所ナシ。例ヘバ米穀ハ種子又ハ肥料ノ果実ニ非ズシテ田畠ノ果実ナリ。犢ハ牡ノ果実ニ非ズシテ牝ノ果実ナリ。」

　（２）　天然果実は「用方ニ従ヒ収取スル」物，すなわち「物ノ経済的性質ニ適応シテ収取スル物」である。ゆえに，�@「我民法ノ下ニ於テハ本来ヨリ謂ヘバ庭ニ生ジタル樹木ハ庭ノ天然果実ニ非ズ。荷車用ノ牛ヨリ生ジタル乳ハ牛ノ果実ニ非ズト称セザルベカラズ」。�A「然レドモ用方ナルモノハ物自体ノ性質ニ因リテ定マルヲ常トスルモ，果実収取権ヲ有スル者ノ定ムル所ニ依ルモ妨ゲズ。故ニ例ヘバ荷車用トシテ買入レタル牛ヨリ乳ヲ搾取スルモ果実ト称スルヲ得ベシ」。�B「民法ハ又仏伊等ノ学説ト異ナリ定期ニ収穫サルル物タルコトヲ必要トセズ。故ニ定期ニ伐採セズトモ樹木ハ山林ノ天然果実ナリ。又元物ヲ消耗セズシテ収取シ得ル物タルコトヲ要件トセズ。故ニ石材ハ石山ノ天然果実ニシテ粘土ハ粘土山ノ天然果実タルコトヲ失ハズ」

と，きわめて豊富な例示をもって天然果実の何たるかを説明している。

　これに類似した解説と例示とは他の多くの教科書にも見出されるのであるが，これらはひとり初学者にとって難解なるのみならず，われわれ専門家の眼からみても無用もしくは無意味なものを多く含んでおり，はなはだしきに至ると一読思わず失笑を禁じえないような例さえ見出されるのである。

　しからばなにゆえに，かかる解説が一般に行われているか。それは結局天然果実の意味を定めることが法律上具体的にいかなることに役立つかを度外視し，ただ空に，抽象的に，もっぱら法文の文字を中心として事を考えることに原因しているのである。一定の物が天然果実なりや否やが具体的に法律上の問題になる各種の場合に即して当該の物を天然果実と解すると否とによって生ずべき結果を頭に入れながら事を考えれば，おのずから逆に第８８条第１項の規定の意味も合理的に理解されてくるのであるが，従来学者は一般にこれと反対に定義規定の文字から出発して抽象的に事を考えるから，結局かかる結果におちいるのだと私は考えるのである。

　およそ法律が一定の事項につき定義を与えている場合には，その定義を使って他のいろいろの規定を簡明に立言する便に供せんとしているのである。したがって定義が具体的に意味をもつのはそれらの規定のうちにおいてであって，定義規定の意味もそれらの規定に関連してのみ正しくこれを理解しうるのである。しかるに人々はとかくこのきわめて明白な理を忘れて定義規定だけを引き離して抽象的に理解しようとする。その結果，現在われわれが天然果実に関してみるがごとき事態が生まれるのであるが，実をいうとこれはひとりこの場合に限らずひろく定義規定一般の取扱いに関して見出される弊風にほかならないのである。

２

　試みに果実に関する規定の２，３を例にとって，一定の物が天然果実なりや否やの問題を具体的に考えてみよう。これによっておのずから第８８条第１項に関する学者従来の解説が一般にいかに無意味であるかが見出されると思う。

　まず第１に，第３７１条は「前条ノ規定ハ果実ニハ之ヲ適用セズ」と規定しているが，その意味は抵当権の効力は果実に及ばない，不動産所有者は抵当権設定後もひきつづき果実収取権を有するというにある。

　そこで，例えば山林を抵当に入れた場合に山林所有者は以後その山林につきいかなる行為をなしうるかを問題にしてみると，果実収取は許されるけれども，それ以上の行為は許されない，かかる行為は抵当物の価値を毀損するものなるがゆえに許されざるものと解せざるをえない。その許される行為と許されざる行為とを区別する規準として「天然果実」の定義が役立つのである。すなわち山林所有者は抵当権設定後といえども「用方ニ従」う収益行為はひきつづきなしうるに反し，それ以上の収益行為はなしえないこととなるのであって，具体的にいかなる収益行為が「用方ニ従」うものなりやは，必ずしも一律にこれを決定しえないけれども，例えば下枝・枯枝を採取するがごときはもちろん，自然に折損したり倒れた樹木を採取することも許されるし，合理的なる経営方法に従うかぎり適当の範囲において間伐を行うことも許されると思う。そうしてかくのごとくにして適法に採取しうるものが山林の天然果実にほかならないのであって，ただ漠然「定期ニ伐採セズト雖モ樹木ハ山林ノ天然果実ナリ」というがごときは全く無意味であるのみならず，これを第３７１条にあてはめてみれば天然果実の意義ひろきに失して明らかに誤りである。

　かく考えると，「立木ニ関スル法律」第３条の「立木ノ所有者ハ立木ガ抵当権ノ目的タル場合ニ於テモ当事者ノ協定シタル施業方法ニ依リ其ノ樹木ヲ採取スルコトヲ妨ゲズ」なる規定は，立木所有者の果実収取権の範囲を特に「立木」に関しては具体的に規定したものと解すべく，したがって同法による「立木」については「協定シタル施業方法」によって採取せらるる樹木は当該立木の天然果実の範囲に入るということができるのである。

　なお学者は漠然「石材ハ石山ノ天然果実ニシテ粘土ハ粘土山ノ天然果実タルコトヲ失ハズ」といっているが，現に石材ないし粘土を採取しつつある石山・粘土山を抵当に入れた場合には所有者はひきつづき採取行為をなしうるに反し，従来かかる採取をなしおらざりし石山・粘土山を抵当に入れた後に至り所有者が新たに石材・粘土を採取して売却するがごときは許されないと解すべきであり，かくして許される範囲において採取される石材・粘土が天然果実であるということになるのである。

３

　も１つ例を善意占有者の果実収取権にとってみると，「善意ノ占有者ハ占有物ヨリ生ズル果実ヲ取得ス」なる第１８９条第１項にいわゆる「果実」の意味も「占有物ガ占有者ノ責ニ帰スベキ事由ニ因リテ滅失又ハ毀損シタルトキハ（中略）善意ノ占有者ハ其滅失又ハ毀損ニ因リテ現ニ利益ヲ受クル限度ニ於テ賠償ヲ為ス義務ヲ負フ」といっている第１９１条との対比において初めてこれを正しく理解しうるのである。例えば山林の境界が間違っていたことが発見された結果，従来自己の所有なりと誤信して採取したる物のうち果実と認めうべきものはこれを返還することを要せざるに反し，果実と認めえざるものは占有物を滅失または毀損せしめたるものとして「現ニ利益ヲ受クル限度ニ於テ賠償ヲ為ス義務ヲ負フ」ことになるのである。換言すれば当該の採取物が「物ノ用方ニ従ヒ収取」せられたるものと認められざるかぎり返還もしくは賠償されねばならないのである。

　学者は漠然と例えば「雑木ハ山林ノ天然果実ナレドモ之ヨリ製出セル炭ハ山林ノ天然果実ニ非ズ」というようなことをいっているけれども，上記のごとき境界の間違いが原因となって善意に他人の雑木を採取し，さらにこれを木炭にしてしまったような場合に，雑木は天然果実なるがゆえに返還するを要せず，木炭は天然果実にあらざるがゆえに返還するを要すというのでは，全く無意味である。雑木といえども「用方ニ従ヒ収取」せられたるにあらざるかぎり果実にあらず，したがって返還するをを要するに反し，「用方ニ従ヒ収取」せられたるものは果実であり，したがって返還するを要しないのであって，その雑木が採取後木炭化されたか否かは全く問題に関係がないといわねばならない。問題は当該の場合における雑木採取が「物ノ用方ニ従ヒ収取スル」ものとして特に返還せしむるを要せざる程度にとどまるか，もしくは当該山林を毀損したものと認むべき程度に達しているかどうかにあるのであって，その判定は個々の場合について具体的になさねばならない。そしておそらくは，かかる場合に許される採取行為の範囲は，上記第３７１条に関する場合と第１８９条に関する場合とでは必ずしも同一でなく，例えば抵当権設定後，山林所有者のなしうべき採取行為の範囲は善意占有者のなしうべき採取行為のそれよりは相当ひろいと解すべきものと考える。

　かくのごとくに考えるとき，同じく第８８条第１項に定義せられたる「天然果実」の意味も，それが使用されている個々の実質規定の如何によって必ずしも同一でないことが見出されるのである。そうしてこの理はひとり天然果実に限らず，ひろく定義規定の解釈につきあてはまるのである。

２１　考え方の順逆

　民法は「天然果実」を定義して「物ノ用法ニ従ヒ収取スル産出物」なりと規定しているが，これに関する註釈書の説明ぐらい初学者にとって解りにくいものはあるまいと私は思う。例えば古いしかも今なお最も優れた教科書である川名博士の『日本民法総論』によると，ここに「産出物」とは「元物ヲ害セズシテ之ヨリ分出セラルル物」である。そうして「元物ヲ害スルヤ否ヤハ物理上ノ意義ニ於テ之ヲ定ムルニアラズ，世間ノ見ル所ニ依リテ定マル」がゆえに，「有機的ノ分出物即樹木ノ果実，穀物，雑草，牛乳，牛馬ノ子ノ如キハ産出物ナルハ勿論，石炭，鉱物，石材，砂利ノ如キモノモ亦土地ノ産出物」である。次に「物ノ用方」とは「物ノ効用」のことであって，これまた「世間ノ見ルトコロニ依リテ定マル，所有者ガ之ヲ定ムルニアラズ，吾民法ニ於テハ乳牛ヨリ生ズル牛乳ハ果実ナルモ，荷牛ノ牛乳ハ果実ニアラズ，牛馬ノ子必ズシモ果実ニアラザルベシ」と説明されている（１４７頁以下）。鳩山博士『日本民法総論』（２６６頁）の説明もこれと大同小異であって，ただ川名博士が「物ノ用方」は「世間ノ見ルトコロニ依リテ定マル」といっている点を「物ノ用方ハ其使用者ノ定ムル所ニ従フ，使用者之ヲ定メザルトキハ物ノ経済的性質ニ依リテ之ヲ決定ス」といっているくらいの差異しか見出されない。なお穂積博士『民法総論』（２７０頁），我妻教授『民法総則』（２５４頁）等の説明もほぼ同趣旨であって，いずれも「物ノ用方」云々という文字から「故に例えば盆栽の木の実や乗馬専用の馬の子は果実にあらず」というような結論を導き出している。

　私はこの種の説明方法は，ひとり初学者をして正しく天然果実の意義を理解せしめるゆえんでないのみならず，およそ民法解釈の方法として概念法学の最も悪い方面にわざわいされたものであると考えている。

　民法はまず第８８条第１項において天然果実を定義しているが，これはむろん後に出てくる天然果実の法律的取扱いに関する諸規定のために設けられた前提的規定にすぎないのである。第８８条第１項の規定するところはそれらの諸規定において初めて実質的意義を現わすのであり，したがってそれら諸規定との関係においてのみわれわれは天然果実の意義を理解しうるわけである。しかるにこれらの諸学者は第８８条第１項の規定のみについてもまず抽象的に天然果実の概念を定立した上，それを応用して後に出てくる天然果実の法律的取扱いに関する諸規定の意味を明らかにしようと企てている。形式論的にはいかにも正しい解釈方法のようであるが，実をいうと本末を顚倒した考え方であると私は考えるのである。

　例えば何が果実であるかが実質的に問題になる最も重要な規定である第３７１条と第３７０条とを対比してみると，そこで実質的に問題となっているのは抵当権設定後抵当物所有者がその物につきなしうべき収益行為の範囲如何である。例えば山林を抵当に入れた場合に，山林所有者は枯枝・落葉の類を収取しうるか，山林の合理的経営方法によって間伐・輪伐等を行ってそれに必要なる程度の収益をなしうるか，もしくはかかる収益行為は一切なしえないのか，またはさらに進んで立木をいくら伐採しても差支えないのか。これらの問題を解決するために「抵当権ハ抵当地ノ上ニ存スル建物ヲ除ク外其目的物タル不動産ト附加シテ之ト一体ヲ成シタル物ニ及ブ」けれども，この原則は「果実ニハ之ヲ適用セズ」との規定が設けられているのである。すなわち民法は一定の物を果実なりとするや否やによって，抵当物所有者の行為中あるものを抵当物の不当なる毀損行為なりとし，あるものを適法なる収益行為なりとせんとしているのであるが，これを逆にいうと適法に収益しうべきものは果実であり，しからざるものは果実にあらずということになるのである。民法が特に「物ノ用方」に従って収取する産出物に限って果実であるといっているのも，実はこの趣旨を言い表わさんとしているにほかならないのであるから，「物ノ用方」の意義如何もこの趣旨に従って解釈せらるべきである。しかるに上述のとおり，川名博士は「物ノ用方」の何たるかは「世間ノ見ルトコロニ依リテ定マル」といい，鳩山博士は「其ノ使用者ノ定ムル所ニ従フ，使用者之ヲ定メザルトキハ物ノ経済的性質ニ依リテ之ヲ決定ス」といい，穂積博士はまた「物の自然の性質と人意とが相俟って定まる経済上の目的」がすなわち「用方」であるといっているが，これらの諸学者ははたして上記のごとき具体的事例を眼中に置いてこの問題を考えられたのであろうか。

　同じ理をさらに別の例で説明すると，例えば工場財団抵当の目的物たる土地から良質の砂利を産出するを幸い，工場所有者がそれを掘り取って他人に売却した場合に，債権者は当該行為を「債務者ガ担保ヲ毀滅シ又ハ之ヲ減少シタル」ものとして第１３７条の適用を主張しうるか。この問題は当該砂利掘取行為を第３７１条による果実の収取にすぎずと解すべきかまたは抵当の目的物を毀損する行為を解すべきかによって定まるのであるが，この場合におよそ砂利堀取のごときは工場敷地の用方にあらざるがゆえに砂利はすべて当該土地の果実にあらずと一概に考えるのははたしてどういうものであろうか。第３７１条の精神からいうと，設例のごとく砂利を掘り取り売却する行為はこれを適法なる果実収取とは考えがたいけれども，例えば工場主が工場建物新築のためコンクリート用として自己敷地内の砂利を掘り取り使用することは許されてしかるべきであろうし，また例えば掘り取った砂利を国道より工場に至る村道の改修に利用するがごときもまた許されてしかるべきもののように考えられる。しからば，その区別を合理ならしむべき実質的の標準は何か。一は抵当物を毀損してその担保価値を減少せしむるがゆえにこれを許さず，他は実質的にかかる作用なきがゆえに許されるのだと私は考える。第８８条第１項の文字だけから，およそ砂利を収取するのは工場の用方にあらざるがゆえに，工場敷地の砂利は果実にあらずと，まず初めに抽象的に事を決めてしまった上，ゆえに第３７１条を適用すべきかぎりにあらずという結論を導き出すような考え方ではとうてい右の区別を合理的に説明することはできないのである。

　さらに別の規定についてこの理を説明すると，「善意ノ占有者ハ占有物ヨリ生ズル果実ヲ取得ス」(１８９条１項)るが，果実にあらざるものは取得しえない。果実にあらざるものをみだりに取得すると，「占有物ガ占有者ノ責ニ帰スベキ事由ニ因リテ滅失又ハ毀損シタル」場合に相当するものとして，善意の占有者といえどもなお「現ニ利益ヲ受クル限度ニ於テ賠償ヲ為ス義務ヲ負」わねばならない（１９１条）。しからば果実なると否とによってなにゆえにかかる取扱上の区別を生ずるのか。

　それは当該占有物の性質にかんがみ善意の占有者が常識上みずから収取処分して差支えないと考えるようなものが法律にいわゆる果実に該当し，そのしからざるものは果実でないからであって，第８８条第１項が「物ノ用方ニ従ヒ収取スル産出物ヲ天然果実トス」といっているのも，要するにこの理を言い表わさんとしているにほなならないのである。したがって，例えば境界の間違いにより善意に他人の土地を占有している者がその地上に生立する樹木について常識上通常みずからなしうる行為すなわち木の実を取るとか，落葉・枯枝の類を処分するとか，整枝をするとかいうような行為は占有者が正当になしうる行為であって，かかる行為によって収取されるものが天然果実なのであり，これに反しみだりに樹木を伐採するがごときは不当であって，占有者は第１９１条所定の賠償義務を負担せしめられるが，かかる伐採行為によって得られるものはまた，したがって天然果実ではないといわれるのである。

　これを要するに，私は第８８条第１項の規定だけから出発して天然果実の概念を決定した上，これをそのまま他の規定の解釈上に利用しようとするのが間違いであって，むしろそれとは反対に他の規定の精神から逆に各場合につき当該の諸物がその規定にいわゆる果実に該当するや否やを決定すべきであると考えるのである。したがってしばしば教科書に見出されるように抽象的に盆栽の木の実，荷馬の子，庭園の枯葉等は果実にあらずというように説明するのは，机上の空論としては必ずしも絶対に間違いであるとはいいえないとしても，実際的には無用もしくはむしろ誤解を惹起しやすい不当なものであると私は評したいのである。

　私がここに一般には比較的軽く取り扱われているこの種の事柄を仰々しく取り上げて通説に非難を加えているのは，決してしいて小異を立ててみずから快しとせんとするがごとき私念に出ずるのではない。わが国の民法学が今では全く概念法学の悪い方面から脱却しきっているようになんとなく一般に考えられていながら，実際一般に行われている法的思惟の主調が依然として概念法学的のそれを去ること決して遠からざるゆえんを比較的簡易の例をとって具体的に説明したいのが私の念願である。そうしてこの種の思惟方法が支配するかぎり，わが国民法学を概念法学の弊から根本的に救うことはとうていできないと私は考えるのである。

２２　法定果実

１

　前項において天然果実に関する民法第８８条第１項の規定につき従来行われている解説に対し多少の批判を加えたが，ひきつづき法定果実に関する第２項の規定に関する従来一般学者の解説に対しても同じ趣旨から検討を加えてみたい。

　ここでは第１項の場合と異なって学説の説くところ必ずしも多岐にわたっていない。その例示するところも家賃・利子・地代・小作料等を法定果実なりとする点においてすべて一致している。ただ実際上最も重要な問題である，利益配当は株式の法定果実なりやの問題に至ると，学者の意見が分かれている。まず第１に多数説は消極説をとる。その理由として書かれているところは学者によって必ずしも一致していないが，例えば穂積博士は法定果実は「物ノ使用ノ対価」でなければならぬ，しかるに利益配当は法律上払込株金を使用する対価といいがたいと説き（民法総論２７２頁)，鳩山博士は「株主ハ会社ニ対シ払込ミタル株金ノ返還請求権ヲ有セザレバナリ」と説く（民法総論２６４頁）等，要するに「物ノ使用ノ対価トシテ受クベキ金銭其他ノ物」なる文字にとらわれて事を考えているのである。鳩山博士が「返還請求権」云々を問題にするのも，法定果実の元物を借地・預金・社債のごとく一時使用を許すも結局返還されるものでなければならぬという考えにとらわれ，払込株金はその意味において一時会社に使用を許したものとはいいえないから，これを元物と考えがたいというにほかならないのである。

　右と反対に川名博士は積極説をとって「法定果実ハ物ノ使用ヲ許ストコロノ法律上ノ関係ニ基クモノナルコトヲ要ス，利息・土地ノ使用料・会社ノ利益配当ノ如シ」（総論１４９頁）との説明を与えているが，ここでは「物ノ使用ノ対価」なる文字をややゆるやかに解するによってこの結果に到達しているにすぎないのであって，もっぱら法文の文字解釈によって抽象的一般的に法定果実の意義を定めようとしている点においては消極論者と全くその態度を一にしている。これを要するに，結論や説明こそ異なるけれども，定義規定の意義をその定義が使用されている個々の実質的規定について具体的に考えようとしていない点において，ほとんどすべての学者は同じ傾向にあるということができる。

　この点において我妻教授の所見はやや趣きを異にしている。教授は直接第８８条第２項の解説においては法定果実の例として家賃・利子・小作料の３者をあげるにとどめ，利益配当が一般的に株式の果実なりや否やの問題には直接触れていないが，質権者の果実収取権に関する第３５０条(２９７条)の解釈として「配当をもって株式の果実となすことは少くとも株式を質権の客体として見るときは正当である」（担保物件法１８０頁）と述べ，問題を個々の規定について個別的かつ具体的に考えねばならぬとする態度の片鱗を示している。

２

　以下に法定果実が実際上問題になる主な場合２，３を例にとって，利益配当を株式の法定果実とみるを正当とするや否やの問題を考えてみる。これによってここでもまた在来一般学者のとり来れるがごとき解釈態度をもってしてはとうてい事理に適した解決に到達しえないことが明らかにされると思う。

　まず第１に，株式が質権の客体たる場合についていうと，ここでは我妻教授の主張されるとおり，記名株と無記名株とを区別し，無記名なるときは質権者は民法第３５０条（２９７条）によって利益配当を収取しうべきに反し，記名なるときは株主これを取得するを原則とし，質権者が特に商法第２０９条の手続をとりたる場合に限り質権者において配当金の支払を受けうるものと解せねばならない。けだし無記名株にあっては会社としては株式の所有者に配当金の支払をなすのほかないし，また記名株にあっては特に商法第２０９条の手続がとられていないかぎり，株主名簿に株主として記載されている者に配当受領書を送付し，それと引き換えに配当金の支払をするのほかないからである。もしも利益配当は果実にあらずとする多数説に従うとすれば，無記名株の場合，会社は現に株券を所有せざる株主に配当金の支払をなさざるべからざるに至り，実際の取扱上全く処置に窮するであろう。またもし反対に果実なりとする説に従い，記名株においても配当金はすべて直接質権者に支払わるべきものとするときは，特に商法第２０９条の規定が設けられている趣旨が全く没却される。同条はその規定する手続がとられた場合に限り，「質権者ハ会社ヨリ利益若ハ利息ノ配当（中略）ヲ受ケ他ノ債権者ニ先チテ自己ノ債権ノ弁済ニ充ツルコトヲ得」と規定しているのであるから，かかる手続のとられていない場合には反対に質権者にかかる権利なしといわねばならぬ。すなわち商法がこの規定を設けた理由は法定果実に関する民法第８８条第２項および質権者の果実収取権に関する第３５０条（２９７条）のみでは適当に解決できなかった当面の問題につき直接具体的の解決を与えんとするにある。したがってこれによって記名株を客体とする質権に関するかぎり，利益配当は法定果実なりやの問題が事実上解決されて疑問が残されていないわけである。このことは，前稿に記したとおり山林を抵当に入れた後山林所有者に立木の収取権ありやの問題が，民法第３７０条のみでは適切に解決できない欠点を補うために，「立木ニ関スル法律」第３条を設けて「立木」に関するかぎり事実上問題を解決しているのと趣きを同じうするものである。したがって商法改正前の古い著書ならばともかく，最近の著書（例えば岩田氏・民法総則新論３６６頁）にしてなお同条を無視して一般に「配当は果実ではない」というような説をなしているものがあるのははなはだ不可解なりといわねばならない。

３

　次に株式売買に関連して利益配当が株式の法定果実なりやの問題を考えてみると，まず第１に「未ダ引渡サザル売買ノ目的物ガ果実ヲ生ジタルトキハ其果実ハ売主ニ属ス」との民法第５７５条第１項はこの問題に関していかに解釈せられ適用せらるべきであろうか。例えば株式を売買したる後，いまだ株券の引渡をなさざる間に配当請求権が発生したならばその配当は本条によって売主に帰属するものと解すべきであろうか。

　問題は２つに分かれる。第１に，会社は売主買主のいずれに配当の支払をなすべきか。第２に会社がなにびとに支払うべきかとは別に，売主買主相互間において配当はなにびとに帰属すべきか。第１問については記名株にあっては株主名簿の記載が事を決する。たとえ名義書換前に株券がすでに買主に引き渡されていても，会社としては名簿上の株主たる売主に配当の支払をなすべきはもちろんである。また無記名株にあっては現に株券を所有し占有する者に支払うべきであるから，いまだ株券を引渡さざる売主が株券を提示して支払を請求すれば会社はもちろんこれに支払ってしかるべきである。

　第２問は，さらにこれを具体的にいいかえると，例えば記名株を売買しかつ引渡を了したるもいまだ名義書換をなさざる間に売主が会社から配当受領書の送達を受けたならば，それを買主に引き渡さねばならぬか，またみずから配当金の支払を受けたならばそれを買主に引渡すべき課かの問題となる。この問題は第１段においては当該売買契約の意思解釈によって決定せらるべきものなることもちろんであり，実際には多くの場合，当該売買の代金額から推してその意思を明らかにしうるものと思う。しからば，その意思全く不明なる場合には第５７５条第１項の規定に従い株券の引渡ありたりや否やを基準として事を決すべきであろうか。形式的に推論してゆくと，一応この結果を認むべきもののようにも考えられるが，株式売買の実情から考えると，むしろ反対に解せねばならぬのではあるまいか。おそらくは実際上は反対の商慣習があるに違いないと私は想像している。

４

　次に問題を民法８９条第２項について考える。たとえば１配当期と次期配当期との中間において株式が売買・遺贈等によって甲より乙に移転した場合に，その期の配当金は全部乙に帰属するものと解すべきか，または甲乙が本規定に従って「之ヲ収取スル権利ノ存続期間日割ヲ以テ之ヲ取得ス」るものと解すべきか。

　移転が売買によって行われた場合ならば，問題は第１段においては意思解釈によって解決せらるべきものと思うが，取引の実際においてはおそらく無記名株にありては配当期当時株券を所有し占有する乙が全部取得し，記名株にありては当時名簿上の株主であり，したがって配当受領書の送付を受けた者が全部取得することになっているのではあるまいか。この場合に，配当は株式の法定果実にあらざるがゆえに第８９条第２項を適用すべからずとか，または法定果実なるがゆえに適用すべしというがごとき議論をするのは誤りであって，事はむしろ株式売買に関する商慣習によって定めらるべきものと考えるのである。

　ところが特定の株式が遺贈された後遺贈者が配当期の中間に死亡した場合に，次期の配当は全部受遺者に帰属するものと解すべきか，または遺贈が効力を生じた時すなわち遺贈者死亡の時を標準とし「収取スル権利ノ存続期間日割ヲ以テ」一部は相続人に，他は受遺者に帰属するものと解すべきかの問題になると，遺言中に別段の意思表示なきかぎり，問題の解決は困難になる。なんとなれば，売買の場合と異なって，こうした場合についてはおそらくなんらの商慣習もないと想像されるからである。配当を法定果実にあらずとする学者は，おそらく受遺者において全部取得するを当然と考えるであろう。これらの学者は社債の利息は法定果実として日々に発生するがゆえに第８９条第２項に従って「日割ヲ以テ」分割せらるるを当然とするに反し，配当は法定果実にあらず株主総会の決議によって初めて発生するものなるがゆえに，その発生当時株主たる者において全部取得するを当然なりとするものと想像するが，かくのごとくに社債と株式とを区別することが実際上はたして実質的に合理的であろうか。私の考えでは株式の場合でも遺贈が効力を生じたる日以前の分だけは日割りをもって――それまでの株式所有者たりし遺言者の――相続人に帰属するものと解すべく，したがって事実配当を受領した受遺者はその分だけ相続人に償還する義務あるものと考えるのが社会通念に合するように思われるのであるが，一般学者ははたしてどう考えられるのであろうか。

２３　株式配当金と法定果実

　前項において，私は「法定果実」の意義に関し，従来学者が一般に民法第８８条第２項の解釈として説いているところに対して多少の批評を試みた。その主たる目的は，ここでもまた定義規定の意義を明らかにするにあたっては，その定義を使用している個々の実質的規定との関連を十分具体的に考える必要があることを説くにあった。それがため私はもっぱら株式配当金を例にとってこれを法定果実とみるや否やが第３５０条（２９７条），第５７５条第１項および第８９条第２項等の解釈適用上いかなる関係をもつかを具体的に考えてみた。その結果，結論としてだいたい（１）配当金を法定果実と解することは実際上無記名株の質権者が第３５０条によって配当金を収取しうることを説明するためには少なくとも必要であって，この点に関するかぎり配当金を法定果実にあらずとする多数説は不当なること，（２）株式売買の場合における配当金の帰属問題を決めるためにかりに配当金を法定果実なりと解して第５７５条第１項および第８９条第２項を適用してみると一応ある解決が得られるけれども，実際上はおそらく反対の商慣習があるに違いないと想像されること，したがってこの問題に関するかぎり配当金が法定果実であるかどうかを論じてみても結局何の役にも立たないことなどを述べておいた。

　ところがその後，未知の誌友大住達雄氏から私信として「株式配当金の実際」に関して懇切なる御教をいただき，これによって取引上株式売買の場合に配当金がいかに取り扱われているかの実情を明らかにすることができたから，１には前項の足らざるところを補正する意味において，２には私同様この種の実情に通じない読者も少なくなかろうと考え，それらの方々へ参考資料を供する目的をもって，その要旨を左に掲げさせてもらうことにした。

　１，第１に会社と株主との関係ですが，株式配当金はいかなる場合においても株主名簿に記載せられた株主に支払われております。ただ株券は盛んに転輾流通し株主名簿は毎日のように名義書換が行われておりますから，何時における株主名簿に記載された株主に支払われるかを極めなくてはなりません。

　　（イ）　一般の場合においては会社は「営業期末日に於ける株主名簿現在の株主に配当金を支払う」旨を定款に定めるのを普通とします。定款において「営業期末日の翌日から配当金支払に関する定時株主総会終了の日まで株式名義書換を停止する」旨を規定しておるのは，配当金を支払う株主を確定するの手段として行われている手続です。

　　（ロ）　会社の規模が大きくなると，営業期末から定時株主総会開催の日まで２ヶ月も３ヶ月もかかることは珍しくありません。この間株主の名義書換を一切停止することは株式の流通性をいちじるしく妨げますから，かかる会社においては定時株主総会開催の前月末日現在の株主に配当金を支払うことを定め，これを定款に規定しております。――例えば６月末日に営業期を終り９月下旬に株主総会が開かれる会社においては，８月末日現在の株主に対して配当金を支払うというように――この場合株式の名義書換停止は株主総会開催の日の属する月の１日――本例においては９月１日――から始まります。

　　（ハ）　無記名株式を発行した場合は商法２２８条により，株主総会開催前，株券を会社に供託し，株預り証と引換に株券の返還を受け，同時に配当金領収証の交付を受けることになりますから問題はありません。

　２，第２に株券の譲渡人（甲）と譲受人（乙）との関係ですが，これは株式の譲渡が，株式名義書換停止期間開始前に行われたか，開始後に行われたかにより，配当金受取の権利がいずれにあるかが定められます。換言すれば，株式の譲渡が書換停止期間開始前に行われれば配当金は乙に帰属し，書換停止期間開始後に行われれば甲に帰属します。――もちろん当該営業期における配当金です。

　ここに注意すべきことは，株式の譲渡とは譲渡債権行為を意味し，譲渡物権行為を指すのではありません。したがっていつ売買契約が成立したかが問題になるので，いつ株券が引き渡されたかは問題になりません。遺贈の場合もこの原則で解決できます。

　名義書換停止が近づいたとき株式の売買が行われると，株券の受渡を急ぎ停止期間開始前に名義書換を了することになっておりますが，売主の都合で株券の引渡が停止期間開始後になったとか，あるいは買主の都合で名義書換ができなかったとかいうような場合，会社側としてはもちろん株主名簿に記載された株主すなわち甲に対して配当金を支払う結果になりますから，甲は配当金領収証を乙に交付するか，または配当金を受け取ってこれを乙に引き渡すかせねばなりません。この場合甲は税法上配当金所得者としての認定を受けますから，配当金に相当する金額は自己の所有に加算され綜合所得税を課せられます。この甲に課せらるべき綜合所得税はさらに乙に転嫁されなければなりません。転嫁方法として配当金の３分の１ないし半分はこれを甲が留保し残額を乙に引き渡すというような仕組みになっております。

　３，株式の値段はこの名義書換停止期間開始を限界として，以前を「配当付」以後を「配当落」と称し，配当落になれば，株式の値段は配当金の額だけ安くなる勘定でありますが，株式の相場は財界のいろいろな事情により左右されるので，必ずしもこの原則どおりにゆきません。

　４，ついでに公社債のことを申します。公社債の利息は利札の所持人に支払われること当然でありますが，公社債の譲渡があった場合，その利息は公社債を所持した期間に応じて譲渡人・譲受人間において分割取得します。公社債の値段は「裸値段」と称し利子を含まないところで決定され，別に経過期間に応じて利子を計算します。例えば３月１日が利子支払期日として３月１１日に公債の売買が行われた場合，２日から１１日に至る１０日間の利子を計算して売買価格とは別に買主から売主に交付する慣例となっております。

　５，いつ現在の株主に配当金が支払われるかはすべての株式会社の定款の規定しているところであり，また譲渡人・譲受人間においては名義書換停止期間開始の日を基準として配当金の帰属が定まることは取引界に行われている不文律で，「当該売買契約の意思解釈」などはほとんど容れる余地もないくらいです。

　以上を熟読して私の感じたことは，およそこの種取引の実情を度外視して株式配当金が法定果実であるかどうかを論じたり，それがなにびとに帰属すべきであるかを考えてみても，結局それは机上の空論，無用の法律談義にすぎないということである。しかし今でも前項の末尾において論及した記名株式の遺贈と民法第８９条第２項との関係については議論の余地と価値がなお相当あるように思っている。なぜなれば，ここでは売買の場合と違って商慣習をもって事を決するわけにはゆかないように思われるからである。

２４　代理権授与行為の性質について

　ドイツ民法によると，代理権授与行為は本人の単独行為であり，かつ代理権授与の原因と離れた無因的な行為として取り扱われている。これは代理制度の信用を維持するため，代理人本人間の内部的事情のためなるべく代理行為そのものの効力が影響を受けないようにして取引の安全を期しようという目的で考え出された法律的技術であって，普通法時代の末期すでに通説をなしていた考えである。

　ところがこの点に関するわが国の解釈論をみると，代理についても，取引の安全を極力保護しようという気持は一般に行きわたっているにもかかわらず，授権行為の性質については依然として契約説が通説をなしている。それが私には不思議でたまらないのである。契約説によると，授権者の意思表示のみならず，代理人の意思表示もまた授権行為の構成要素をなす。したがって代理人の意思表示に欠点があると，それがただちに授権行為の効力に影響を及ぼす。それを単独行為説は取引の安全のため望ましくないと考えて，代理人の意思表示を授権行為のほかに置こうとしているのである。授権行為の効力如何は代理人その人にとっては全く無関係な事柄で，彼にとってはただ委任が問題になるだけである。したがって代理人の意思表示は委任についてこそ問題になりうるけれども，授権行為の効力については全然問題にすべきではないというのが単独行為説の論拠である。

　しかるに現在わが国の学説をみると，例えば穂積博士は「我民法の解釈論としても単独行為説を主張する学者がないでもないが，法文上の根拠がない。論者が或は其法文上の根拠として引用するかも知れない後述第百九条の規定の如きは，むしろ反対論の根拠たるべきものである。我民法の解釈としては，授権行為は委任其他の債権契約其ものではないが，それに付随する一種の所謂無名契約であると解するのが最も穏当であらう。而して基礎的債権契約の効果は対内的であり，附随的授権契約の効果はむしろ対外的と云ふべきであるが，我民法の解釈としては，右の附随行為の効力は基礎行為の効力を前提とするものと解せねばなるまい」といっている（民法総論３５６頁）。穂積博士にくらべるとさらにいっそう代理に対する動的安全保護の必要に注意している我妻教授さえもこの問題について「我民法の解釈としても単独行為なりと解する説がある。然し，民法は代理と委任とを必ずしも判然区別せざる立場にあるのだから，その解釈としては委任に類似した一種の無名契約なりとなすを穏当とするであらう。単独行為とすることの立法上優れたるものなることは認むるも一種の無名契約なりとなすも結果に於て不都合はないと思ふ」という意見を述べている（民法総則３４９頁）。

　しかし私の考えによると，委任と授権行為とを区別することと授権行為が単独行為であることとは不可分な事柄であって，２者を区別する以上，授権行為は必然単独行為たることを要し，これを単独行為とするにあらざれば２者を区別する趣旨が全く没却されるように思われる。したがって契約説をとるくらいならば委任と授権行為とは別箇の法律行為である，というようなことをいわないほうがいいのだと思う。なんとなれば，これを区別することは決して単なる概念的の必要から出た事柄ではなくして，なんらか実質的な必要から要求されたものと考えねばならないからである。しからばその実質的必要とは何か。委任は委任者受任者相互間の内部的関係であり，授権行為はもっぱら授権者（本人）と代理の相手方との間の関係に関する事柄である。したがって委任に関してなんらか問題が起こってもその処理はもっぱら委任者受任者相互の間においてこれをなすべきが当然であって，その影響をなるべく代理の相手方に及ぼしたくない，そこに委任と授権行為とを判然区別すべき実質的必要があるのだと考える。しかるに，もしも授権行為を契約なりとするときは，せっかくそれを委任と区別しても，その区別の趣旨が全く立たなくなるのであって，実質的にはこれを区別しないのとほとんど同じ結果におちいる。

　例えば禁治産者に委任しかつ代理権を授与した場合において，委任はもとよりこれを取り消しうるが，もしも授権行為もまた契約なりとするときはこれもまた取り消しうるものと考えねばならない。なんとなれば，この場合には禁治産者の意思表示もまたその契約の構成要素をなし，その意思表示が取り消されれば授権行為もまた遡及的にその効力を失うことになり，いったん有権代理として完全に効力を生じた行為が遡及的に無権代理として取り扱われねばならないことになる。そうしてこれではせっかく授権行為を委任と引き離した趣旨が全くとおらなくなる。

　おそらく論者は民法には「代理権ノ消滅ハ之ヲ以テ善意ノ第三者ニ対抗スルコト得ヲズ」（１１２条）という規定があるから，授権行為の効力を遡及的に消滅せしめても実際上の支障は起こらないというのであろう。しかし私の考えではこの規定の助けをかりて結果のつじつまを合わせようとするのはむしろ権道であって，そのくらいならば初めから授権行為を単独行為として取り扱い，これによって右のような結果の発生を防止する考え方をとるほうが正道であるように思う。元来授権行為の効力について利害関係を有するものは授権者と代理の相手方のみである。代理人の無能力者なるの故をもって授権行為の取消を許しても，代理人はなんらこれによって損益するところがない。損益はただ委任の関係について起こるのみである。したがってしいて授権行為を契約なりと考えて，その取消を許すがごときは無能力者制度の精神から考えてもはなはだ無意味である。

　民法第１０２条が「代理人ハ能力者タルコトヲ要セズ」と規定していることから考えても，民法は代理人が無能力者であるために上のごとき結果が生ずるようなことを望んでいないものと解するのが正当のように思われる。

２５　民法第１０１条と法人

　明治４４年２月１６日の大審院判決に「会社ガ悪意ナルヤ否ハ民法第百一条ニ準拠シ会社ノ機関ガ悪意ナルヤ否ニ依リテ決セラルベキモノトス」（民録１７輯５９頁）というのがある。この判旨は形式的には代理に関する民法第１０１条第１項の規定に「準拠」しているが，実質的には機関原理の応用により機関を構成する自然人の悪意なりや否やによって法人の悪意なりや否やを決せんとするものであって，その正当なることなにびともこれを疑う者はあるまい。

　次に最近大審院は昭和１２年１１月６日の判決において「本件債券及株式ハ上告村ガ其ノ経営スル公益質屋ニ於テ質ニ取リタルモノナルヲ以テ其ノ取得ノ善意無過失ナリシヤ否ハ其ノ質権設定契約ニ付上告村ニ代リ意思表示ヲ為シタル者ニ就テ之ヲ決スルコトヲ要ス」といっているが（民集１６巻１６２４頁），これは前の判決と異なって直接第１０１条第１項を法人に適用している例である。ここにいわゆる「村ニ代リ意思表示ヲ為シタル者」は村の機関の意味ではなくして村の代理人である。この判旨に対してもおそらくなにびとも異論を唱える者はあるまい。

　しかしこの判旨に関連して，第１０１条第２項を法人に適用する場合を考えてみると，同項にいわゆる「本人」の意義如何についての１つのむずかしい問題が存するのを見出す。そのいわゆる「本人」が法人であることはいうまでもないが，事を実質的に考えてみると，いったいいかなる自然人の指図が法人「本人ノ指図」と考えられるのか，またいかなる自然人の「知リタル」ことないし「過失ニ因リテ知ラザリシ」ことが法人本人の「知リタル」ことないし「過失ニ因リテ知ラザリシ」ことと考えられるのか，この点について従来学者は一般になんらの解説をも与えていない。

　事を簡単に考えると，ここにいわゆる「本人」に相当するものは法人の代表機関であると解すべきもののように思われる。なんとなれば，この場合代理人に対する関係において本人たるものは法人それ自身にほかならない，したがって法律上法人を代表する機関の構成者たる自然人こそこの場合における法人，したがって本人なりと考えるのが自然だからである。

ところが元来第１０１条第２項は，例えば代理人みずからが善意であってもこれに指図を与えて当該の特定行為をなさしめた本人が悪意である場合には，本人をして自己の利益のために代理人の善意なることから生ずる法律的効果を享受せしめまいとする目的のために設けられた規定であるから，これを法人にあてはめて考えると，例えば法人の代理人として現実に当該行為をなした者が善意であっても，彼に指図を与えてその行為をなさしめた者が法人内部の職務規程上その指図をなしうべき権限を有するものであり，かつ当該行為に関して悪意であるならば，法人をして代理人の善意より生ずる効果を受けざらしめるようにするのがこの規定の精神に適合するものと考えざるをえない。たまたま法人の代表機関たる者が善意であっても，その下にあって職務規程上指図の権限を有する者がみずから悪意なるにかかわらず善意の代理人に指図を与えて当該行為をなさしめたとすれば，法人をして代理人の善意より生ずべき結果を受けしめないようにしなければならない。第１０１条第２項は本人代理人ともに自然人である普通の場合を考えて立言されているのであるから，法人が本人である場合にこの規定の適用上代表機関すなわち本人なりと解するのは早計である。ここで問題になるのは対外的代表の関係ではなくして，内部にあって代理人に指図を与える者の権限如何でなければならない。

　内部的にかかる権限を有する者は，たとえ対外的に代表権限を有せずともなおこの場合「本人」と考えらるべきであり，また反対にたとえ対外的に代表機関たる者といえども内部的に指図の権限を有せざる者は「本人」として取り扱わるべきではあるまい。

２６　無効の時効

　無効は時効にかかるか。一定の法律行為が無効なるときはその無効を主張する権利は永久に存続するか。

　わが国民法学上の通説をなしている考え方によると，法律行為が無効なるときはその法律行為から全くなんらの法律的効果も発生しないという事実が確定的に成立するのである。したがってその事実を事実として主張することはなにびとにも許されねばならないと同時に，事実は事実として永久に存続するがゆえに，これが主張は何時にても許さるべく，取消権の行使のように一定の期間内に限って許されるものとは全く趣きを異にしている，と考えられるのである。したがって現行民法の解釈として無効が時効にかかることを認めないのはもちろん，現在のような考え方をもちつづけるかぎり，立法論としても無効を主張する権利を時間的に打ち切るがごとき制度を認めることは理論上絶対にできないのである。

　ところが無効はそれ自体が目的ではなくして法律的保護を与えるための手段にほかならない。無効を理由として権利の主張を許さず，また無効を理由として抗弁の主張を許し，これによって法律が保護せんとする者に必要なる法律的保護を与えるための法律的手段にほかならないのである。換言すれば，無効が事実として無目的に成立し，そしてその事実を法律の意図とは，無関係になにびとも自由に事実として主張しうるのではなくして法律が与えんとする保護の論理的源泉をなすものが無効なのである。さればこそ絶対的無効のほかにいわゆる相対的無効の可能をも理論的に考えることができるのであって，もしも無効が無目的の事実であるとすれば理論上相対的無効を認める余地は全く存在しないといわねばならない。

　かくのごとく無効を法律的保護の手段にすぎずと考えるならば，その手段の利用による法律的保護に時間的制限をつけることも理論上可能であって，現行民法の解釈としてさえも，法律行為の成立後，長年月を経過し，いまさら無効の主張を許すことがかえってすでに確立している事実状態を不当に破壊し，当事者相互の公正関係をみだるのおそれありと認められる場合には，これを許さずとする議論も成り立ちうるのである。

　現在わが国の通説をなしている考え方はおそらくドイツ普通法の時代に成立したドイツ法学上の無効概念を無批判に受け入れたために発生したもののように考えられる。しかし，この種の概念の構成に最も貢献したウィントシャイトさえもNichtigkeitとAnfechtbarkeitの区別を説明している章において「……法律行為がnichtigならざる場合にその行為の効力を排斥するためにはその行為に対する反対行為（Reaktion）が必要なるに反し，nichtigなる法律行為にあってはひとりかくのごとき反対行為の必要なきのみならず，これを考えることさえも不可能である」と述べた後，脚註においてこの点に関してかつてドイツに行われた反対説を紹介しているのみならず（Windscheid, Pandekten, I, §82, Anm. 6），時の経過によって無効の主張が許されざるに至る場合のありうることを認めている（§83, 3）。法学上だいたいドイツと同様の無効概念が認められているフランスでも判例法は裁判上における無効の主張が一定期間の経過後許されざるに至る場合のあることを認めている（Colin et Capitant, Cours, t.1, pp. 76-77）。これにくらべると現在わが国の通説を支配している無効概念は不当にもあまりに融通のきかないものになりすぎているという感を禁じえない。法律が無効と規定している場合についても，さらに各種の事情を考慮して無効の主張が一定の期間内に限定される場合を認める方向に向かうようになることを希望している。

２７　時効を援用しうる「当事者」

１

　判例および多数の学者は民法第１４５条にいわゆる「当事者」とは「時効に因って直接に権利を得義務を免るべき者」を意味すと解している。もっとも学者の中にはそれでは「当事者」の範囲が狭小に失して，「時効によって社会の法律関係を確定せんとする趣旨を破る虞がある」との理由から，「時効によって直接権利を取得し又は義務を免るる者及びこの権利又は義務に基いて権利を取得し又は義務を免れたる者をも包含する」ものと解し，これによって「当事者」の範囲を「多少拡張」すべしと説いている人もあるが（我妻氏民法総則４３９頁），実際判例および諸学者がそれぞれ提唱する標準によって「当事者」に属する者と否とを区別しているところをみると，結果ははなはだ区々であって同じ説をとるもの，必ずしも同一の結果に到達していない有様である。

　例えば「時効ニ因リテ土地ノ所有権ヲ取得スル者ヨリ地上権等ノ設定ヲ受ケタル者」は時効によって直接権利を得たるものにあらざるがゆえに「当事者」にあらずとするのは，「直接説」をとる学者の一致する意見であるのに反し（鳩山氏日本民法総論５９４頁，穂積氏民法総論４６２頁，三潴氏提要下４９０頁等），我妻氏は「多少拡張説」をとるの故をもってこれを当事者に加えているから，この例だけをみると論者の説くところが論理的に首尾一貫しているように考えられるけれども，その他の例をみると直接説をとるや否やによって必ずしも截然異別の結果に到達していないのである。

　例えば，「僣称相続人ヨリ相続財産中ノ或物ヲ譲受ケタル者」が民法第９６６条（現行法８８４条）所定の時効を援用しうべきや否やの問題について，「直接説」をとる大審院（昭和４・４・２民集８巻２３７頁），三潴氏（前掲４９０頁）等が消極説をとっていること，および「多少拡張説」をとる我妻氏がこれと反対に積極説を主張していることはひとまず納得できるが，同じく直接説をとっている穂積氏が我妻氏と同様に積極説を主張し「相続財産の転得者は前記大正８年の判決に所謂時効の直接受益者に含まし」むべきであると書いている（判例民事法昭和４年度１０６頁）のを読むと，いささか異様な感がする。

　次に例えば，物上保証人は債務者の債務の消滅時効を援用しうべきやの問題について，大審院（明治４３・１・２５民録１６輯２２頁以下）が消極説をとっていること，および我妻氏が積極説をとっていることはともにこれを理解しうるが，「直接説」をとる鳩山氏や三潴氏が積極説を主張しているのをみると――いかに人的保証の類推に理由を求めているとはいえ――これまたいささか異様の感を禁じえない。

　なおまた例えば，抵当不動産の第三取得者は当該抵当権によって担保されている債権の時効を援用しうべきかの問題について，大審院（大正１３・１２・２５民集３巻５７６頁）が消極説をとるに反して，我妻氏が積極説をとっているのは理解できるけれども，「直接説」をとっている穂積氏（民法総論４６２頁）が判例に反対して「再考を要する」といっているのはその理由を解するに苦しむ。

　要するに，実際の事例について具体的に問題を考えてみると，現在学者が理論上問題解決の標準なりとして主張しているところが実際的には無価値なものであるという感を禁じえない。通説に比して「当事者」の範囲を「多少拡張」している我妻氏の所説にしても，なにゆえに多少拡張しなければならないか，およびそのいわゆる「多少」の範囲如何を理論的に問いつめられると，とうてい十分に説明しえない難点を蔵していると考える。

２

　私の考えでは，まず第１に，第１４５条に「当事者ガ之ヲ援用スルニ非ザレバ」といっているのは，旧民法証拠編第９６条が「判事ハ職権ヲ以テ時効ヨリ生ズル請求又ハ抗弁ノ方法ヲ補足スルコトヲ得ズ」と規定しているその「職権ヲ以テ」といっているのと同じ意味をもっているものだと思う。フランス民法第２２２３条がLes juges ne peuvent pas suppléer d’office le moyen resultant de la prescription.　と規程している，そのd’office　も同じ意味だと思う。つまり第１４５条は少なくとも当事者が援用しないのに裁判所が職権をもって時効の結果を認めてこれを裁判の基礎としてはならないという消極的意味を言い表している規定であることは疑いないのであって，その点だけから考えればそのいわゆる「当事者」が訴訟当事者でなければならないことは全く疑いをいれる余地がないのである。

　しかるに従来学者は，第１４５条所定の「援用」を訴訟法的意義に解するものと実体法的意義に解するものとの区別なく，すべてこれを時効から実体法的に影響を受けるものであると解し，そうしてその影響が直接であるか間接であるかを区別して「当事者」の範囲を決定しようとしているけれども，私の考えでは第１４５条にいわゆる「当事者」とは当該訴訟の当事者の意味であり，したがってまず第１に本条は「当事者ガ之ヲ援用スルニ非ザレバ」すなわち「職権ヲ以テ」（d’office）時効を理由として裁判してはならぬという消極的規定をなしているものと解したい，そうしてその上で，そのいわゆる「当事者」がなにびとであるかは――従来学者が直接であるとか間接であるとかいっているのとは全く別の意味で――時効制度の精神にかんがみて特別にこれを考究すべきであると考える。

３

　時効の結果権利の取得があり義務の消滅があった以上，その直接権利を取得しまたは義務を免れたる者はもちろん，その他かくのごとき直接的結果を基礎として権利を得た者――換言すれば時効を否定されるとその主張する権利の基礎が崩れてしまうような立場にある人々――はすべて訴訟上時効を援用するにつき法律上正当の利益を有するものといわねばならない。彼らは時効を援用しなければその訴訟上主張しているところを貫徹しえない立場にあるのだから，彼らのすべてに援用を許すべきがむしろ理の当然であって，我妻氏のように理論上は直接の当事者のみと解すべきだが実際の必要上「多少拡張」して解すべきだと考えるのはむしろ事理を逆に解しているものといわなければならない。

　フランス民法第２２２５条は「時効が完成したことにつき利害関係を有する他のすべての人」（toute autre personne ayant intérêt à ce que la prescription soit acquise）を援用権者中に加えているが，こういう明文がなくとも，訴訟上時効を援用するにつき正当の理由を有する者は――特に反対の規定または理論的根拠がないかぎり――すべて援用権者たるべきが当然であって，通説が「当事者」を直接の当事者に限ると主張しているのこそかえって理由なき独断であると思う。

　むろん民法第１７７条にいわゆる「第三者」に解釈上制限を加えるように，解釈上「当事者」中のある者にはなんらかの理由で援用権を認めないというような議論は理論的に成り立ちうる。例えば大審院（昭和３・１１・８民集７巻９８０頁）は，詐害行為による受益者は「若シ債権者ノ債権ガ消滅時効ニ因リ消滅スルトキハ，其ノ債権者ガ詐害行為ノ取消権ヲ失フノ結果トシテ受益者ノ取得シタル権利ノ安固トナルベキ利益ヲ得ベキモ，其ノ利益タルヤ時効ノ直接ノ結果ニ非ザルヲ以テ其ノ債務ノ消滅時効ヲ援用シ得ベキ当事者ト謂フコトヲ得ズ」と判示しているが，私の考えではこの場合のごとき受益者を「当事者」中より除外する理由は彼が直接の当事者にあらざることにこれを求むべきではなくして，彼は詐害行為の加担者として信義誠実の原則上非難に値する，したがって時効制度の精神にかんがみ時効の恩恵を受けえざるものとすべきだというような点に求むべきであると思う。この点はかつて新井英夫氏が右判決に対する評釈（判例民事法昭和３年度４７３頁）中で簡単ながら指摘しているが，この種の考えから再出発して，従来と反対にまず当事者の意味をひろく解しつつ特に理由を求めてある種の者を除外してゆくようにすれば，おそらくこの点に関する評釈が漸次に正しいところに帰一するのではあるまいか。

４

　なお以上のように「当事者」を広義に解してゆくためには，時効の援用抛棄の効果の相対性を認める必要がある。すなわち援用権者２人以上ある場合に各自はそれぞれ独自的に援用ないし抛棄しうべく，１人の援用ないし抛棄は他の者を拘束せざるものと解してこそ――時効制度の必要と道義的要求との調節を目的とする――援用抛棄の制度の目的は最もよく到達せられるし，またかく解しさえすれば直接の当事者が援用せざる場合に間接の当事者が援用することを認めてもなんらの不都合も起こらないのである。例えば物上保証人を当事者中より除外している上記明治４３年判決がその理由中に述べているところのごときまさに相対性を認めざる考えと当事者を直接者に限らんとする考えとの間に密接の関係あることを物語るものである。なお上記フランス民法第２２２５条が右相対性の理を認めて直接当事者が抛棄した場合でも時効を援用するにつき利益を有するその他の者は援用しうると規定していることはこの際特に参考に値する。

２８　時効の「当事者」

　民法第１４５条にいわゆる「当事者」は直接の当事者に限るというのが現在の通説である。そうしてその直接の当事者が時効を援用するとその効力が確定的となり，これによってあらゆる関係において，あるいは権利が取得され，あるいは権利が消滅するというのが従来一般の考え方である。

　ところが私にはなにゆえにそのいわゆる「当事者」を直接の当事者とのみ解せねばならないのか，その理由がわからないのである。第１４５条を文字どおりに読めば，誰しも同条が「裁判」に関する規定であることに気づく。時効の効力は第１６２条，第１６７条等の規定するところによって確定的に発生する。しかし「当事者ガ之ヲ援用スルニ非ザレバ裁判所之ニ依リテ裁判ヲ為スコトヲ得ズ」と第１４５条は規定しているのである。このゆえにここにいわゆる「当事者」は裁判の当事者すなわち訴訟当事者であると解するのが最も自然であり，そうしてかく解すればすべてがなだらかに片づくように私は思うのである。

　例えば最近の大審院判決（昭和１０・１２・２４民５，法律新聞３９６６号）は，一面「裁判所ガ時効ニ依リテ裁判ヲ為スニハ当該訴訟ニ於テ直接時効当事者タル者ノ援用アルコトヲ要スト謂フガ如キ厳格ナル解釈ヲ採ランカ，永続セル事実状態ニ信頼シ，之ヲ基礎トシテ建設セラレタル多数ノ法律関係ヲ保護セントスル取得時効制度ノ主要ナル理由ハ大半没却セラ」るべしといって，いわゆる「当事者」を直接の当事者と解することの不当なるゆえんを認めつつ，同時にその当事者の援用は裁判上なると裁判外なるとを問わざるものとし，「少クトモ取得時効ニ付テハ直接時効ノ利益ヲ享クル者ハ裁判上タルト裁判外タルトヲ問ハズ，何時ニテモ之ガ援用ヲ為スヲ得ベク，一旦其ノ援用アリタル時ハ玆ニ時効ニ因ル権利ノ取得ハ確定不動ノモノトナリ，爾後ハ契約其ノ他ノ法律事実ト同ジク何人ト雖モ訴訟ニ於テ之ガ主張ヲ為シ得ルモノト解セザルベカラズ」との理由によって当事者を時効直接の当事者なりと解するために生ずる不都合の結果を避けようとしている。

　しかし私の考えでは，時効の効力は当事者援用の有無にかかわらず，第１６２条，第１６７条等の規定する要件を具備するによって確定的に発生し，ただ裁判上においては特に時効の効力を援用する当事者のためにのみその効力を認めて裁判をなすべく，その当事者は通説にいわゆる直接の当事者に限らざるものと解すべきであると思う。実体的には一般的かつ確定的に発生している効力を，裁判上は特にこれを援用する当事者――実体法上直接の当事者なると否とを問わず――のために認めようとするのが民法の精神であると私は考える。

　右判決は「例ヘバ甲ノ所有地ヲ乙ガ時効ニヨリテ取得シ，之ヲ丙ニ譲渡シ，丙ハ丁ニ地上権ヲ設定シ，更ニ其ノ上ニ抵当権ガ設定セラルル等諸種ノ法律関係発生シタル場合ノ如キ，其ノ後ニ至リテ甲ガ自己ニ所有権アリト主張シ，丙以後ノ各権利取得者ヲ被告トシテ其ノ権利ヲ争ヒタリトセバ，被告等ハ孰レモ乙ノ取得時効ヲ主張スルヲ得ズ，空シク手ヲ拱ネテ敗訴シ，正当ニ取得シタル権利ヲ喪失シ終ルノ外ナク，又仮令被告等ハ其ノ事実ヲ主張シ，原告亦事実トシテハ乙ノ取得時効ノ要件ヲ具備セル占有ヲ認メタル場合ニ於テモ裁判所ハ之ヲ無視シテ被告等敗訴ノ判決ヲ為スノ外ナカラン」といっているが，この判旨は一面登記面を無視して不用意に取引した丙以下の人々をむやみに保護しようとする過誤におちいっていると同時に，民法第１４５条の解釈に関して在来の通説と同じ誤りにおちいってみずから混迷しているのである。私の考えでは，設例のような場合には，取得時効直接の当事者たる乙が時効の援用をしないようなことがあっても，丙以下の人々いずれも自由に自己のために援用しうべく，そうして裁判所はその援用したる者についてのみ時効の効果を認めればいいのだと思う。例えば，乙時効を援用せず，そうして丙これを援用したる場合には，乙をとばして丙のために所有権を認めるようにすればいいのである。このことは以下丁等についても同理であって，例えば丁が自己の地上権を主張するため時効を援用している場合には，彼についてのみ時効を認めて裁判すればいいのだと私は考えている。

２９　時効期間の逆算

１

　時効利益の抛棄に関する判例を研究しながらいつも感ずることは，そこで使われている理論と技術とに何かしら無理があることである。ことに抛棄をもって既得利益を積極的に抛棄する意思表示なりと考える当然の結果として，抛棄者が時効の完成，したがって時効利益の存在を知ることが必要であるとされているにもかかわらず，その「知ること」を推測しているのはわれわれの常識上なんとしても無理である。「時効ノ抛棄ハ完成シタル時効ノ効力ヲ消滅セシムル意思ノ表示ナレバ既ニ時効ノ完成シタル事実ヲ知ルニ非ザレバ其抛棄ノ無効ナルハ勿論ナリト雖モ，普通債権ガ十年ノ時効ニ因リテ消滅スベキコトハ一般周知ノモノト認ムベキモノナルガ故ニ，右期間ノ経過シタル後ニ至リ，債務者ガ債務ノ承認ヲ為シタルトキハ，時効完成ノ事実ヲ知リテ其承認ヲ為シタルモノト一応推定スルヲ妥当ナリトス」といえる大正６年２月１９日の大審院判決（民録２３輯３１１頁）の趣旨は今なお判例として維持されている。しかしかつても私が書いたとおり，「時効の完成を知らざればこそ履行猶予を求むるのだと見るのが寧ろ普通の見方」であって時効の完成を知っていながら履行猶予を求めるようなことはむしろ普通にはないと考えるほうが常識的だと私は考えるのである（判例民法大正１０年４５頁）。

　この無理を除く方法として，穂積博士は時効の効力に関する停止条件説なるものを提唱し，例えば債務が時効にかかっても，援用があるまでは債務は存在する，したがってその弁済は有効である，また例えば「時効の完成を知らずに債務を承認した場合に付いては，停止条件的説明で行ってもまだ多少の疑問はあるが，兎も角債務がまだ消滅しないで居るのを承認するのだから，それが時効利益の抛棄かどうかと言ふ問題を惹起せず，時効完成前の承認に準じて時効中断と同じ様な効果を生ずると見るのが不当でなくなりはしまいか」というような説明を与えている（判例民法大正１０年４８頁）。

　しかしこの説明も――博士みずから認めているように――時効完成後の弁済についてはともかくとして，債務承認については十分筋がとおっているといいがたい。なぜなれば停止条件附であるにもせよ完成後における時効利益者の立場は時効進行中のそれにくらべてある程度まで確実であって，それに関し抛棄ということは考ええられても中断の観念をいれる余地はない。いやしくも中断を認める以上，時効はいわゆる完成後もなお進行していると考えなければ理論上筋がとおらないからである。

　そこで私は前々から，現在通説になっている時効期間の計算方法すなわち起算点から時効期間を計算して完成時点を定める方法の代りに，裁判上時効が問題になっている時点から逆算して少なくとも法定の時効期間が経過しており，しかもその間に中断事由がなければ時効の効果を認むることとし，したがって時効利益の抛棄ということはありえないというふうに考えてはどうかと考えているので，以下その考えを略説して読者の批判を乞いたいと思う。

２

　元来時効は，除斥期間と異なって，権利の存続期間を予定する制度ではなくして，一定の期間法律の規定する時効事由が存続すると，それを理由として時効の主張を許す制度にほかならないのであるから，裁判上その利益が主張されている時まで法定の時効事由が継続したことが立証されさえすれば，その事由が何時に始まったかを，必ず問題にせねばならぬ必要はないわけである。

　むろん法律の規定する期間，時効事由が存続したかどうかを明らかにするためには，全く時効の起算日を考えないわけにはゆかない。例えば普通債権の消滅時効が完成しているかどうかを明らかにするためには，まず「権利ヲ行使スルコトヲ得ル時」（１６６条１項）が何時であるかを明らかにした後，その時を起算点として１０年が経過しているかどうかを調べる必要がある。しかし，その期間が１０年以上に及んでいることが見出された以上，時効完成のために必要な期間は起算点から算えた初めの１０年にあらずして，裁判上時効が問題になっている時から逆算した後の１０年でなければならない。かかる場合には，当該の時効事由が何時から始まったかを問題にする必要はなく，要するに問題の時点からさかのぼって過去１０年間中断なしに時効事由が存続したかどうかを調べさえすれば足りるのである。

　取得時効にしても，それが何時から始まって何時に完成したかを問題にすればこそ，事がむずかしくなる。例えば甲所有の土地を乙が買い受けてその登記を了した後に至り，丙がその土地を前々から永きにわたり占有していたことを理由として時効取得を主張し，乙に対してその登記に協力すべきことを請求している場合に，通説は当該の時効が何時から始まったかを問題とし，その結果もしも乙の登記前に丙の時効が完成していたとすれば，先に登記を了した乙が勝つことになり，これに反して丙の占有が甲の所有期間から乙の所有期間にわたって経過し，したがって乙の登記後に至って時効が完成した場合にはかえって丙の請求を認めねばならぬことになる。すなわち時効のためにする占有が早く始まり，したがって時効事由が長くつづいた場合のほうが短い場合に比してかえって不利益に取り扱われるというきわめて不合理な結果におちいるのである。

　この場合，私の主張するように，時効期間を逆算することとすれば，占有が何時に始まったかを問題とすることなく，要するに問題の時点から逆算して時効事由が法定期間継続したかどうかを考えさえすればいいことになる。そうすれば，右２つの場合を同様に考えて，結局逆算した法定期間中に中断事由がなければ，占有の開始時期如何に関係なく，時効の主張を認めていいことになるわけである。

３

　かくのごとくに考えれば，時効完成後にその利益を抛棄するということは理論上全くありえないことになり，通説が抛棄と考えている場合も実は中断にほかならないと考えうるに至る。

　例えば普通債権が時効にかかっているかどうかが裁判上問題になった場合に，裁判所としてはただ過去１０年間にわたり債権不行使が継続したかどうかを調べればいいわけで，その間に請求･承認等中断事由がなければ，債権不行使がその１０年前何時に始まったかに関係なく，時効を認めていいことになる。その場合，通説のように，不行使が何時から始まったかを問題にすると，起算点から計算してある時点に時効が完成したことを認めざるをえざるに至り，したがってその以前には中断がありえてもその後にはありえないという結論に到達し，その結果抛棄の有無に関する難問に逢着することになるのである。

　通説は，中断と別に抛棄を認める結果，抛棄を法律行為と考え，したがってその法律行為をなしうるための能力が何であるかを特別に考えざるをえざるに至る。旧民法証拠編第１０２条が「成就シタル時効ヲ有効ニ抛棄スルニハ取得シタリト推定セラルル権利ヲ無償ニテ譲渡シ又ハ消滅シタリト推定セラルル義務ヲ無償ニテ負担スル能力アルコトヲ要ス」と規定しているのはまさにかかる考え方にもとづくのである。時効を起算点から計算してその成就を認めることにすると，理論上抛棄に要する能力はかくのごときものとならざるをえないわけであるが，常識的に考えると時効完成前の承認に要する能力と完成後の承認すなわち抛棄に要する能力とが別でなければならぬと考えることそれ自体がはなはだおかしいのであって，私の考えでは完成の前後に関係なく，「承認ヲ為スニハ相手方ノ権利ニ付キ処分ノ能力又ハ権限アルコトヲ要セズ」（１５６条），すなわち管理能力さえあれば処分能力はなくとも有効に承認をなしうるものと考えたいのである。例えば準禁治産者が保佐人の同意なしに債務を承認したならば，それが時効完成の前なると後なると関係なく，それに中断の効力を認めていいわけであって，前であれば中断となり，したがって時効利益の喪失となるに反し，後であれば抛棄とならず，したがって時効利益が喪失されないと考えるのははなはだ条理に反するといわねばならぬ。しかも通説がかかる不条理を当然事のように考えるのは，時効を起算点から計算して法的期間の満了とともに完成するものと考える理論的考察からくる理づめの帰結にほかならないのであって，事物の性質に即して事を条理的に考えた結論ではないのである。

４

　むろん「時効の効力」を「其起算日ニ遡」らしめて（１４４条），その利益を何時まで及ばしめるかを考えるにあたっては必然「起算日」を明らかにする必要がある。また第１６２条第２項は「占有ノ始善意ニシテ且過失ナカリシ」ことを要求しているけれども，それは要するに当該の時効に要する占有が権原上「善意ニシテ且過失ナカリシ」ものなることを要求しているだけのことであって，権原上悪意もしくは過失をもって始まった占有は２０年間経過するまで取得時効を生ぜしめない趣旨を規定しているにすぎない。

　かくのごとくに考えると，現行民法の解釈論としても，時効の効力を認めるについて常に必ずその起算日を問題にすることは無用であるのみならず，かえって有害であって，要するに特に起算日を問題にする必要ある場合のほかは，裁判上時効が問題になっている時点からさかのぼって法律の規定する一定期間時効事由が継続したかどうかを調べれば足りるという考え方が正しいという結論に到達せざるをえない。そうしてかく考えるによってわれわれは無用の理論構成を避けうるのみならず，条理の要求にかなった常識的の解決に到達しうるのである。

３０　土地法総合的研究の必要

　中華民国の土地制度，蘭印の土地制度，仏印の土地制度等々，南方諸地域の土地制度に関する調査研究が諸方面において行われつつある。この仕事は一見容易なるがごとくにして実はしからず，単に各国各地域の民法典その他の成文法規をひととおり調べるくらいのことではとうてい完璧を期しがたい困難なる仕事である。単に土地に関する成文法規を調べるだけにしても，全体を総合的に体系立てて理解し記述しようとなると仕事はなかなか容易でない。いわんや法的慣行までをも含めて１国１地域の土地制度が全体としていかなる機構をもち，いかなる内容をもつかを総合的に把握しようとなると，仕事はきわめて困難であり，しかもこの困難を克服せざるかぎり土地制度の調査研究はこれを完璧なりとは称しがたいのである。

　この見地から，わが国の土地制度に関する学者従来の研究調査がいかなる成果を生んでいるかを文献について検討してみると，遺憾ながらなおきわめて不完全なる状態にあることを見出す。なるほど民法学者は民法および不動産登記法の規定するところについて不動産物権に関する総則的原理を説き，各種物権に関する法規に解釈を与え，不動産賃借権に関する各種法令の規定するところを解説する等において相当詳密をきわめている。それにもかかわらず，私法的部分に関するかぎりにおいてさえ土地法だけを取り出してその全体を体系立てて研究記述した文献は皆無であり，その結果わが国土地私法を全体的に理解せんとする者は総則・物権・債権に関する多数の民法教科書を渉猟するのほかなく，しかもその結果得られるものは断片的の知識にすぎずして，それから土地法の全貌を組み立てて理解することは容易の仕事ではない。いわんや地租法以下土地に関する幾多の公法的法令の規定するところをも含めて成文化せられたるわが国土地法全体の姿がいかなるものであるかを一般の民法書に求めることは全く不可能であって，それがため例えば民法の規定する土地私法の内容を理解しえた者も，しからばその規定するところがいかなる土地に適用されるのか，すなわち土地私法適用の具体的範囲如何を問われると，必ずしも容易に解答を与ええない。また同じく民法の適用を受ける土地のうちにも，その種類により各種公法的法令の規定するところによって特殊の法的取扱いを受くるもの少なからざるにもかかわらず，普通の民法書にしてこの点を組織的に解説しているものはほとんどない。要するに従来民法学者の土地法に関する研究は主として単に民法および附属法令の規定するところを断片的に考究記述するのみであって，全体の総合的解説を与えたものもなければ，また土地私法の外延を明らかにして土地制度全体との関係を明らかにしたものも全くない実情にある。

　民法書のこの欠陥を補うものとして役立つのは行政法学者の公物に関する研究である。したがって，わが国土地制度を全体的に理解せんとする者は，民法書と同時にこれら行政法学者の研究を参看するによって一応その目的を達しうるわけであるが，この点について従来行政法学者のなしつつあるところは，主として公物の概念を定立すること，その分類をいかにすべきか，またかくして分類された各種公物に与えらるべき法的取扱い如何等を多数雑多の行政法規について通則的に研究することに限られている。その結果われわれはかかる教科書類をとおして，公物一般に関する理論的分析的の法原理を一応知りうるけれども，各種公法的法令の具体的に規定するところを互いに連関せしめながら土地公法全体の機構と内容とを知ることはきわめて困難である。元来土地法を組織的に研究するためには，まず地租法を中心として土地の概念と範囲とを定めた上，各種の法令について土地の分類を行い，かくして初めて各種の土地に与えられる法的取扱いの何たるかを考えうるに至るわけであるが，これら諸法令の具体的に規定するところならびに諸官庁におけるこれら諸法令の解釈例・取扱例等を文献的に調査してみると，その資料のいかに貧弱なるかを見出して驚かざるをえないのが実情である。

　かくのごとき実情であるから，公私両法を通じてわが国土地法を全体的に理解することは，これを成文化せられたる部分のみに限るとしても，きわめて困難な仕事であって，今後学者の研究にまつべきものが非常に多いと私は考えている。いわんや土地に関する法的慣行までをも含めて，わが国の生きた土地法が全体としていかなる構造をもち，またいかなる内容をもつかを明らかにしようとなると，多数学者の協力によって組織的に慣行調査を行う必要がある。土地に関する法的慣行のうち，従来すでに相当の程度まで調査研究されたものには入会に関するものおよび小作に関するものがあるが，これらもまだ決して完璧の程度に達しているとはいえない。のみならず土地慣行にして研究を要すべきものはひとりこれらのみに限るのではない。この種の調査研究が全国にわたりあらゆる土地関係について十分行われた上で，その成果をも取り入れて，成文土地法全体との組み合わせを考えるとき，われわれは初めてわが国土地法全体の総合的かつ体系的理解に到達しうるわけであるが，それには今後多数学者の個別的ならびに協力的研究を要することもちろんである。

３１　土地の概念

１

　「土地とは何ぞや」，この一見簡単にみえる問題が土地法研究者にとっての最初の課題である。

　民法その他多くの法律は「土地」の文字を随所に使いながら，１つとして明文上その意義を明らかにしているものがない。学者もまた自明の理として多くこのことを問題としていない。しかし事は決してしかく簡明ではなくして，法的概念としての土地と俗語にいう土地との間には相当大きな開きがある。この開きを検討して，土地の概念を明らかにせんとするのが，この小論の目的である。

２

　現行法上の概念として土地の意義を明確ならしむるがためには，第１に法律上土地として取り扱われている「もの」の本体が何であるかを考え，第２にかかる「もの」に土地としての取扱いを与える法的目的が何であるかを明らかにするとともに，さらに第３にかかる目的の達成を確保する手段としていかなる法的技術が使われているかを究明する必要がある。その用意なしに漫然俗語の意味に従って事を考えてゆくと，結局土地に関する各種の法律問題を解決するに適する正確なる法的概念に到達しえないと私は考えている。

　まず第１に，法律上土地として取り扱われている「もの」の本体は土地台帳その他の地籍簿上に一個の土地として登録せられた地表の区画である。地表にえがかれたる一定の区画によって成り立つ立体的空間が土地の本体であるが，同時にその区画の位置とひろがりとが一定不動のものとして地籍簿上に登録されていることがその本体的特質である。地籍簿上に土地として登録された地区でありさえすれば，その表面が陸地をなしているかまたは水面をなしているかに関係なく，すべて法律上土地であるとともに，たとえ永続的に陸地をなしている地域といえども地籍簿上に土地として登録せられざるものは土地ではない。したがって，例えば山崩れのため田畑が永続的に湖沼に化してしまっても，それのみでは法律上当然に土地たる性質を失わない。それが土地でなくなるのは特別の行政処分によって地籍を失った時である。また例えば「公有水面ノ一部ヲ区画シ――「水産物養殖場」のごとき――永久的設備ヲ築造スル場合」には，これによって必ずしも陸地ができるわけではないが，工事竣工の上はその区画せられたる――水面としての――地区が新たに土地として工事者の所有に帰せしめられるのである（公有水面埋立法５０条，同施行令３３条）。また天変地異によって従来公有水面に属した地区が陸地に変わっても，それのみでは法律上当然に土地ができるのではない。この地区が土地として地籍簿に登録されないかぎり，土地にあらず，したがって民法第２３９条にいわゆる「無主ノ不動産」として「国庫ノ所有ニ属ス」ることにはならない。

　なお古い民法書にはしばしば不動産附合（２４２条）の例として寄洲をあげているのを見受けるけれども，法律上の土地は地籍簿上に一定した地区にほかならないのであるから，例えば川沿いの土地の外側に洪水の結果陸地ができても，その土地の所有権が法律上当然その陸地に向かって拡張するがごときことは現行法上ありえないのである。

３

　第２に，法律が一定の地区を特に土地として取り扱っている法的目的は何であるか。所有権その他私権の目的たるべき土地を単位化して，土地に関する私権関係を整備することを目的とするものと私は考えている。

　現行法上一定の地域を区別してそれに特別の法的取扱いを与えている事例はいろいろあるが，そのうち主なるものをあげると左のとおりである。

　（１）　地租法（現在は固定資産税として地方税法３４１条以下に統合）は地租賦課の対象を単位化する目的から「土地」を定めている。

　（２）　民法も所有権その他私権の目的として土地を単位化し，これによって物権関係の整備をはかっている。

　（３）　国有財産法その他国有財産に関する法令は主として会計法的目的から各種の財産台帳を設けて国有地を個別化して登録している。

　このほか河川法は治水の目的から「河川ノ区域」を特定して河川台帳に登録し，鉱業法は鉱業権の目的たる地区を特定して「鉱区」とする等，地域区画の目的は各種の法律においていろいろに違っているが，上記３つの場合，相互の間にきわめて密接の関係があり，その関係を検討するによって土地の概念もおのずから明らかになってくるものと私は考えている。

　地租法および民法が「土地」を定める目的は，本質的には全然別の事柄であるが，現行法は土地台帳上「一筆ノ土地」たるものを技術的理由から同時に民法したがって不動産登記法上の土地として取り扱う立前をとっているから，この２つの目的から出てくる結果は事実上一に帰し，地租法上の土地と民法上の土地とは同一物である。

　次に地租法は国有地に適用されないが（８８条）(現在は地方税法３４８条により若干修正された)，国有地もまた所有権その他私権の目的となり，したがってこれに関する物権関係は不動産登記法によって登記される。ただ国有地は一般の土地台帳に登録されずして，上記のごとく各種の国有財産台帳に登録されているから，それらの台帳に登録せられたる土地が同時に不動産登記法においても土地として取り扱われるわけであって，この意味からいうと国有地に関するかぎり国有財産台帳が土地台帳と同一の働きをなしているものと考えることができる。

　これと異なり，「河川ノ区域」内にある土地は私権の目的となりえず（河川法３条），したがって従来土地台帳その他の地籍簿に登録されていた土地が河川区域に編入されると，地籍簿から削除されるから，それと同時に法律上土地たる性質を失い，したがって不動産登記法の適用を受けざるに至る。

　かくのごとくに考えると，国有地･私有地その他すべての土地を通じてその特質の１つは，所有権その他私権の目的たるべきものとして特に区画された地区であるということにある。この意味において土地はその所有者が国家なると私人なるとその他なにびとなるかに関係なく種類を同じくするものと考えることができる。これに反し，公有水面が埋立法によって土地となる場合には，単なる国有地が私有地となるのとは異なって，新たに土地が成立するのであり，私有地が河川区域に編入される場合には単に私有地が国有地に変化するにあらずして，法律的には土地が消滅するものと考えねばならぬ。これによってみると，土地とは要するに所有権その他私権の目的たらしむる目的をもって特に区画せられたる地区であるということができる。

４

　以上に述べたように，「土地」は国有地･私有地のすべてを通じ所有権その他私権の目的たるべき土地の単位として定められたる実定法上の概念であり，かくして定められたる１単位の土地が一筆の土地として不動産登記簿上１用紙を占める。そして各土地につきその位置および区画を帳簿上に明定してその特定性を明確にする技術として役立っているのが，土地台帳その他の地籍簿であり，これらの帳簿上1単位の土地として記載されているものが，私法上も１単位の土地として取り扱われるのである。

　むろん前にも述べたように，現在ではすべての土地に共通する統一的の地籍制度存在せず，国有地以外の土地については土地台帳，国有地については各種国有財産に関する台帳が地籍簿としての作用を営んでいる関係上，例えば私有地が国有地となり，一官庁の管理に属する国有地が他官庁の管理に移るがごとき場合には，一の地籍簿よりこれを削除して新たに他の当該地籍簿に登録せらるることになるのであるが，それにもかかわらずその場合土地としての同一性は失わるることなく，したがってその上に成立せる所有権その他の権利も同一性を害せられない。地籍制度が統一を欠いているため，この種の場合，土地の種類によって不動産登記に関し多少取扱いを異にすることになっているけれども，それは単に手続上のことであって，実質的には登録せられたる地籍簿の種類に関係なく，いずれか１つの地籍簿上に１単位の土地として記載せられるものが，私法上もまた１単位の土地として取り扱われるのである。

　したがって一定の土地が不動産登記簿に登記されるためには，まず土地台帳その他の地籍簿上に登録されて地籍を取得することを必要とし，しからずしてただちに登記されることはありえないものと解すべきである。不動産登記法第１０５条が「未登記ノ土地所有権ノ登記」を申請するために「土地台帳謄本ニ依リ自己又ハ被相続人ガ土地台帳ニ所有者トシテ登録セラレタルコトヲ証ス」（現行法の文字はやや変わった）ることを要求しているのはこの理にもとづくものと解すべきであり，したがって第１１０条が「官庁又ハ公署ガ未登記ノ不動産所有権ノ登記ヲ登記所ニ嘱託スル場合ニ於テハ」かかる証明をなすことを要しないとしているのは，嘱託者が官庁公署であるため台帳謄本による所有権の証明を免除する趣旨にほかならないのであって，この場合にも実質的にはまずその土地が当該の国有財産台帳に登録されて地籍を取得し，それにもとづいて初めて登記の嘱託が許されるものと解せねばならない。

　ただし土地台帳に登録されることは法律上土地が成立するための実質的要件ではないのであって，登録前といえどもすでに土地は存在し，したがって実質的にはその上に所有権が成立しうる。すなわち未登録の土地，したがってその所有権は理論上ありうるのである。公有水面埋立法第２４条が「埋立ノ免許ヲ受ケタル者ハ其ノ竣工許可ノ日ニ於テ埋立地ノ所有権ヲ取得ス」と規定しているのはこの理を表したものにほかならない。しかしこの場合といえどもその所有権を登記するためには，まず土地台帳に登録した上，その謄本によって所有権を証明することを要するものと解すべきである。

５

　以上によって明らかなとおり，法律上土地は所有権その他私権の目的たらしむる目的をもって単位化せられたる地区であって，それが不動産登記簿上に現われる前には必ず土地台帳その他の地籍簿に登録されて一定の地籍を取得することを必要とする。

　したがって同じく国に属する土地といえども，例えば河川の敷地に編入せられたる土地のごとく，その後私権の目的たらざるに至るものは法律上「土地」ではない。不動産登記法第１０２条ノ３がかかる場合抹消登記の嘱託を受けたる「登記所ハ登記用紙中表示欄ニ河川ノ敷地ト為リタル旨ヲ記載シ，土地ノ表示，表示番号及ビ登記番号ニ朱抹シ，其登記用紙ヲ閉鎖スルコトヲ要ス」と規定しているのはこの理を表わしたものにほかならない。

３２　土地の種類

１

土地はその所有者の如何により，またその用途の如何によって私法上異別の取扱いを受ける。したがってこれらを標準とする土地の分類は私法的に重要な意義をもつ。

２

　従来国有地たりし土地が私有地に変わっても，土地，したがってその所有権の同一性には変わりない。すなわち従来国がその土地の上に有したる所有権がそのまま私人に移転されるのである。例えば国有林野払下げの場合に，登記の取扱上まず国において所有権保存登記の嘱託をなしたる上，移転登記の嘱託をすることになっているが，これは決して払下げによって初めて土地，したがってその所有権が発生することを意味するにあらざることもちろんであって，当該の林野が国有の間未登記であったため行われる手続にほかならない。この意味において所有者が国・私人その他なにびとであるかは土地なりや否やの問題には無関係である。しかしなにびとが所有者なるかによって所有権の内容その他私法上の取扱いに差別がある。

　まず第１に，国有地は地籍制度上その以外の土地と異別の取扱いを受けること上述のとおりであるが，なおそのほか左記のごとき特別の取扱いを受ける。

　（１）　境界査定権　　国有財産たる土地につき境界分明ならざるものあるときは，当該官庁は民事訴訟によることなく，直接国有財産法所定の手続によって一方的に境界査定を施行しうる（１０条乃至１４条，同施行令１４条以下）。「隣地所有者其ノ他境界査定ニ対シ不服アル者ハ訴願シ又ハ行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得」るも，査定そのものは一応の公定力をもつ。この査定はすべての国有財産たる土地につき認められ，ひとり公共用財産・公用財産・営林財産のごとき公物たる土地にのみ限る権利ではない。すなわち公物管理庁が河川法（２条），道路法（１９条）等によって与えられている区域査定権と異なり，特に公法的理由によるにあらず，単に所有者が国なるゆえをもって与えられている特殊の取扱いである。

　（２）　処分の制限　　「国有財産ハ雑種財産ヲ除クノ外之ヲ譲渡シ又ハ之ニ私権ヲ設定スルコトヲ得ズ，但シ其ノ用途又ハ目的ヲ妨ゲザル限度ニ於テ其ノ使用又ハ収益ヲ為サシムルハ此ノ限ニ在ラズ」（４条）。この制限は雑種財産以外の国有財産が公物たる性質を有することにもとづく。これに反し雑種財産は単なる私産なるがゆえに民法の規定に従って自由に処分しうるを原則とするも，国有財産法は会計法的理由からその譲与・貸付・売却その他の処分につき特別の制限を規定しており，国有財産法の特別法たる国有林野法もまた雑種財産たる国有林野の譲与等につき特別の制限を設けている。

３

　御料地も原則として一般の土地と同じく民法第１編ないし第３編の準用を受ける（皇室財産法３条）。しかし世伝御料たる土地については左記のごとき特別の取扱いが与えられる。

　（１）　　公示方法の特例　　土地が世伝御料に編入されると宮内大臣これを公告する。「登記シタル不動産ヲ世伝御料ニ編入シタル場合ニ於テハ宮内大臣ハ遅滞ナク其ノ登記ノ抹消ヲ登記所ニ嘱託ス」る。したがって「世伝御料ニ編入シタル不動産ニ関スル権利ハ登記ヲ為サズシテ第三者ニ対抗スルコトヲ得」。世伝御料たる土地の上に物権を設定したる場合にもこの公示方法は「公告」であって，公告が「登記ニ同一ノ効力ヲ有ス」る（１６・１７条等）。

　（２）　処分の制限　　「世伝御料ニ属スル財産ハ重大ナル事由ヲ生ジタル場合ニ限リ其ノ解除ヲ為スコトヲ得」（１条）。その解除あるまでは，譲渡が許されないのはもちろん「物権ヲ設定スルコト」も「公用又ハ公益事業ノ為ニ必要ナル場合ニ限」られ，かつその設定には枢密顧問に諮詢したる後勅裁を経ることになっている（１５条）。

４

　皇族所有の土地は原則として民法第１編ないし第３編の適用を受ける（皇室財産令２２条）。ただし「遺留財産」（３９条）に編入された土地は「之ヲ処分スルコトヲ得ズ」「地上権永小作権又ハ地役権ヲ設定セムトスルトキハ勅許ヲ受」けねばならぬ（５６条）。また「遺留財産ハ之ヲ執行行為ノ目的ト為スコトヲ得」ない（５７条）。

　なお華族世襲財産に属する土地は「之ヲ譲渡シ又ハ質権若ハ抵当権ノ目的ト為スコトヲ得ズ」，「地上権又ハ永小作権ノ設定又ハ変更ハ宮内大臣ノ許可ヲ受クルニ非ザレバ其ノ効力ヲ生ゼズ」，そのほか強制執行に対しても一定の制限あること周知のとおりである（華族世襲財産法１６条・１７条・１８条）。

５

　次に用途によって土地を分類する。

　国有財産法が国有財産をその用途によって４種に分類していることはすでに述べた。以下には国有地をも含めて土地一般に関し用途による分類を示す。

　まず第１に，現行法上最も特殊の取扱いを受けている土地は「森林」である。

　「森林」は森林法の適用を受ける土地であって，一般の土地と異なり以下のごとき特殊の取扱いを受ける。（１）森林はその経営に関して特別の制限を受ける（９条以下），（２）保安林に編入されて使用上特別の制限に服することがありうる（１４条以下），（３）森林所有者は森林の利用に関し必要あるときは他人の土地・水等を使用する権利を与えられる（３８条以下），（４）「共有ノ森林」は民法第２５６条の適用から除外され，その分割は「各共有者持分ノ価格ニ従ヒ其ノ過半数ヲ以テ」のみこれを請求しうる（６条），（５）なお森林の所有者に限って森林組合の組合員たる資格を有すると同時に，強制加入の義務を負担する（６７条）。

　しからば森林とは何か。森林法の原案には「本法ニ於テ森林ト称スルハ林叢地及現ニ造林ノ用ニ供スル土地ヲ謂フ」との定義規定があったが，議会において修正削除された結果，解釈によってこれを決定するのほかない。

　大審院はかつて「森林法ノ適用アルベキ森林トハ現ニ林叢ヲ為サザルモ其地目ガ山林ナルトキハ其土地ヲモ指称スルモノトス」といい，土地台帳に地目「山林」として登録されている以上，現在の使用状態如何に関係なく「森林」として上記森林法第６条の適用を受くべきである，との判決を与えたことがある（大正６・６・１１民録２３輯１０４０頁以下）。

　しかし森林の意義は森林法の精神にかんがみ同法の適用を必要とするや否やによってこれを定むべきである。地租法上「山林」であっても，現在すでに例えば田畑として使用されている土地に森林法を適用することは無意味である。かかる土地に同法第６条を適用してその共有分割を制限すべき理由は少しもない。同条が共有の森林につき特に分割請求を制限しているのは，分割によって森林の保護が害されることをおそれるからである。したがってすでに林叢状態をなしていない共有地についてまでかかる制限を加うべき理由は少しもないからである。

　そこで現在学者間の通説は，現在林叢をなしおる土地が森林であると解しており，山林当局もこの解釈に従っているといわれている。この説に対しては，伐木跡地は現状林叢をなさざるがゆえに森林にあらずといわねばならぬという非難がありうる。しかし「是は一時の変態であって，直ちに林叢状態に復帰すべきものであるから森林たるを失はない」というのがこの論者のこれに対する答えである（薗部博士，山林法，新法学全集８頁）。

　しかし私の考えでは，伐木跡地が常に必ずしも森林ではなくして，伐木後なお森林法を適用するの要ありと認めらるる状態にある場合にかぎり森林であり，もはや森林法を適用するの要なしと認められるものは森林ではない。森林法が森林の意義について特に定義規定を置いていないのは，同法を適用するの要ありや否やの実質的判断によって森林の意義を決定せんとするものであり，なまじ形式的定義を置くことによりかえって必要の場合に森林法を適用しえざるがごとき弊におちいることをおそれるからである。要するに林叢地はもとより伐木跡地といえどもなお森林法の精神にかんがみ同法の適用下に置くを適当とすと考えられる土地はすべてこれを森林と解すべきである。

　なお森林法は一方において「公園，社寺境内及命令ヲ以テ定ムル土地」については同法を適用せざることとしているから（７条），かかる土地はたとえ現状林叢をなすといえども森林にあらず，また他方において「主務大臣ニ於テ必要アリト認ムルトキハ原野，山岳其ノ他ノ土地」に対しても保安林に関する規定を準用することとし（３６条），またかかる土地を罰則規定の適用上「森林ト看做」すのほか（１０４条），森林組合に関する規定の適用に関しては「造林ノ用ニ供スル土地」をも「森林ト看做ス」こととしている（７３条）。すなわち上述の意義においては森林にあらざる土地もこれらの規定によって部分的に森林たる取扱いを受けるのである。

６

　森林に次いで現行法上特殊の取扱いを受ける土地のうち最も重要なるは「農地」である。

　農地は「耕作ヲ目的トスル土地」もしくは「耕作ノ目的ニ供セラルル土地」であって，農地調整法のほか，臨時農地価格統制令，臨時農地等管理令の適用を受け，その結果農地所有権は特殊の制限に服する。

　これらの規定の内容については一々ここに記すまでもないが，「農地ノ賃貸借ハ其ノ登記ナキモ農地ノ引渡アリタルトキハ爾後其ノ農地ニ付物権ヲ取得シタル者ニ対シ其ノ効力ヲ生ズ」（農調８条），「命令ヲ以テ定ムル自作農創設維持ノ事業ニ依リ創設又ハ維持セラレタル」農地は特に「自作地」として譲渡貸付に関し制限を受ける（同６条・７条）。そのほか農地の価格については特別の制限あり（統制令３条），農地の用途変更，耕作方法等についても特別の制限が規定されている（管理令３条・５条・１０条）等，一般の土地といちじるしく異なれる取扱いを受けていることは特に注目に値する。

　なお以上のほか，特殊の土地として特に考究を要するものに「墓地」があるが，これに関する解説は別の機会に譲る。

　＊　最近における法令の改正に伴って本項の引用条文はほとんど全部訂正を要するに至っている。それだけに，もし例えば大学院の民法演習などに本項を提出し，現行法によってこれを書き直すことを求めたら，おそらく学生諸君に対しても，現行法の検索と，鋭い論理に親しむ道が開かれるのではないかと考えた。学習者のためあえて問題を提出する（戒能）。

３３　物権的請求権理論の再検討

１

　ドイツ法学から継承された物権的請求権理論はわが国私法学上の通説となって今なおひろく一般に認められている。

　判例は実際の必要から，この理論の適用上これに拡張的ならびに縮小的修正を試みている。そうしてそれらの判例はいずれも具体的事案につき妥当なものであるといわれているにもかかわらず，それら修正の理論的根拠につき今までのところ学者にして十分徹底的にこれを検討したるものなきははなはだ遺憾である。

　判例が拡張的修正を試みた好適例はこれを大正１０年１０月１５日の大審院判決（民録２７輯１７８８頁）に見出すことができる。この判決は不可侵性は権利一般の通有性なりとする理論を認めて第三者の債権侵害を不法行為なりとした大正４年３月２０日の画期的判決（民録２１輯３９８頁）のあとを追うて権利一般の通有性を基礎としてただちに──従来は物権に特有のものだとされていた──妨害排除請求権を権利一般につき認むべきことを主張しているのであって，「権利者ガ自己ノ為メニ権利ヲ行使スルニ際シ之ヲ妨グルモノアルトキハ其妨害ヲ排除スルコトヲ得ルハ権利ノ性質上固ヨリ当然ニシテ其権利ガ物権ナルト債権ナルトニヨリテ其適用ヲ異ニスベキ理由ナシ」というのがその要旨である。この判決は漁場の賃借権に関するものであって，判旨は少なくとも賃借権一般に類推しうべき価値を有するものであるにもかかわらず，その後の判例はこの正道をとらずして，同じ目的を達するために債権者代位権に関する民法第４２３条を利用せんとする権道をとる傾向を示しているために，せっかく新しい道を開くべき契機を提供した画期的なこの判例もその後ほとんどなんらの発展も示さずして今日に及んでいる。

　次に判例の縮小的修正は土地所有権にもとづく原状回復請求権は常に絶対的無条件的に認めらるべきものにあらずして，権利侵害の具体的事情にかんがみ原状回復請求を是認することが社会観念上妥当と考えられる場合にのみ許さるべきであるとする趣旨の多数大審院判決中に現われている。もっともその際判決が理由として駆使している形式上の理論はある場合には権利濫用の理論であり（例えば昭和１０・１０・５民集１４巻１９６５頁），ある場合には不能論であるが（例えば昭和１１・７・１０民集１５巻１４８１頁，昭和１３・１０・２６民集１７巻２０５７頁等），実質的にはいずれも原状回復を許すによって得らるべき所有者の利益とこれによってこうむるべき侵害者の損失とを較量し，その他一般社会の受くべき利害得失等を参酌し，原状回復を許すことが社会観念上妥当と考えられるや否やを標準としてその拒否を決せんとしている点において明らかに一貫した傾向を示すものということができる。

２

　かくのごとくにして現在では権利侵害に対する救済手段としての現実の妨害排除もしくは原状回復の請求を許すべきや否やの問題はもはや機械的な物権的請求権理論によって一律的に取り扱わるべきにあらずというのが判例学説を通ずる一般的傾向をなすに至っているのであるが，事がここまできた以上むしろ物権的請求権理論そのものを根本的に捨てて，事をひとり物権に限局せず，ひろくすべての権利侵害に対する救済手段としていかなる条件のもとに妨害排除ないし現状回得の請求を許しうべきかを衡平法的見地から考究し，新たに積極的に統一的理論を樹立することがわれわれ学者に課せられた任務ではないかと私は考えるのである。

　不法行為に対する救済手段として民法の明定する損害賠償のほか，原状回復・妨害排除ないし予防等の請求をも許すべきではないかという問題はわが国においても明治・大正の交すでに一部学者の問題としたところであるが，その後前記大正１０年判決が妨害排除の請求を物権以外の権利についてもひろく認むべきことを判示してこのかた，実際上この拡張的修正の傾向はほとんどなんらの発展も示していない。しかし昭和９年の不正競争防止法が不正競争に対する救済手段として損害賠償のほか，別にこれに「代ヘ又ハ損害賠償ト共ニ其ノ行為ノ禁止ヲ命ズ」べき旨の請求を許すこととしたこと（現行法は不正競争行為の差止，損害賠償および営業上の信用回復に必要な措置をとりうることに拡張されている）は明らかにこの問題の解決に向かって一新生面を開いたものということができる。

　元来権利侵害に対する救済手段として，損害賠償のほか現実の妨害排除や妨害予防の請求を許すべきや否やの問題は，理論上まず第一に被害権利が物権なりや否やによって毫も異別に考えらるべき事柄ではない。いかなる権利の侵害についても妨害排除もしくは妨害予防の請求を許すことが被害者の救済上必要でありまたそれが法律的正義の見地からみて妥当なりと考えられるならば，ひろくこれを許すべきがむしろ当然であって，ただ問題はこれを許す条件をいかにすべきかの点に存するにすぎない。そうしてこの問題を解決するために考慮せらるべき事項は実質上英米法において差止命令（injunction）の許否を決するにつき考慮せらるべき事項が何であるかと同一でなければならないのである。しかるに従来の学説判例はなんら正当の理由なしにドイツ流の物権的請求権理論にとらわれて，物事をすなおに考えることなく，わずかに権利濫用理論等をかりて，実際上の不都合を個々の場合について防止しているにすぎない。私はこの傾向を不当なりとし，この態度を根本的に改めざるかぎり，問題の解決は今後永きにわたってはなはだ困難であろうと考えざるをえないのである。

３

不正競争防止法の規定する差止命令はひろく一般不法行為に対する救済方法として類推的にこれを認めることができる。

　もっとも不正競争防止のためにも常に必ずしも絶対的に損害賠償に代えまたは損害賠償とともに差止命令の請求が許されるのではなく，具体的事情の如何によりこれを許すことが事実必要であり，かつ法律的正義の見地からみて妥当と考えられる場合にのみ許さるべきは理論上当然であって，同法第１条第２項が「行為ノ差止ヲ命ズルコトヲ得」といっている「得」の意味はまさにその趣旨に解釈せらるべきものであると思う（現行法第１条は「其ノ行為ヲ止ムベキコトヲ請求スルコトヲ得」となっているけれども，その趣旨はここに書かれたと同意義であろう）。

　これを要するに，現実的な妨害排除または予防の請求は，被害権利が物権なると否とに関係なくひろく許さるべきであるが，それを許す条件はそれを許すことがはたして必要なりや否や，およびそれを許すことが法律的正義の見地からみて妥当なりや否やによって一般的に考究せらるべき問題であって，この問題を根本的に考えかつ解決するについては従来の物権的請求権理論から徹底的に脱却することが必要であるというのが，私の今考えているところである。

　現実的な妨害排除または予防を濫りに許すとかえって無用の犠牲を生ずるおそれがある。例えば著作権侵害を理由として音楽会の開催を差し止めることは一般的にはこれを許してしかるべきことであろう。しかし開催のまぎわになって突然差止めを行い，ひとり開催者に必要以上の損失を加うるのみならず，ひいては一般入場者に迷惑を与えるようなことは，いかに著作権保護のためとはいえ，これを許しえないであろう。このゆえに物権的請求権理論に対して縮小的修正を加えている上記の諸判例がなしているように，具体的事実について利益較量をなした上，社会的観念を標準として事の許否を決せんとするがごとき考慮は，被害権利の種類如何に関係なく，ひろく現実の妨害排除ないし予防を許すべきや否やを考えるについてもなさるべきであって，この点こそ当面の問題について考えらるべき核心的事項にほかならないのである，と私は考えている。私は従来の理論的ゆきがかりにとらわるることなしに，独自の立場からこの問題を解決するために新生面を開いてゆく学者の１日も速やかに出現せんことを希望してやまない。

３４　妨害排除請求権の問題

　わが国民法学上の通説は，所有権の侵害ありもしくは侵害のおそれある場合に所有権の効力として妨害除去もしくは妨害予防の請求権が発生することを認めている。

　しからば，この種の法律的保護は所有権（もしくは物権一般）にのみ限らるべきものであるか，それともその他の権利一般についても同様に認めらるべきものであるか。従来学者は一般にこれに対して否定的解答を与えているけれども，かつて大審院は「権利者ガ自己ノ為メニ権利ヲ行使スルニ際シ之ヲ妨グルモノアルトキハ其妨害ヲ排除スルコトヲ得ルハ権利ノ性質上固ヨリ当然ニシテ其権利ガ物権ナルト債権ナルトニヨリテ其適用ヲ異ニスベキ理由ナシ」との理論を述べ，これを理由として漁業権賃借権に妨害排除請求の効力を認めたことがある（大正１０・１０・１５民録２７輯１７８８頁）。当時私は一面この判決によって従来物権についてのみ認められていた妨害排除請求権が物権以外の権利を保護するためにもひろく認めらるべき可能性が判例上確認されたことを喜ぶと同時に，他面この理論の「活用を如何なる限度に止むるを妥当とすべきかは今後裁判所と学者とに依って慎重に研究されねばならぬ問題である」といって，この理論の濫用に対しある警戒を与えておいた（判例民事法大正１４年４９９頁以下）。

　その後この理論をひろく物権以外の権利に適用した判例はいまだほとんど見当らないけれども，社会の実情上権利侵害に対する救済手段として損害賠償請求権のほか別に妨害排除請求権を認むべき実際的必要のはなはだ大なるものあることは人々のひとしく認むるところであって，例えば昭和９年の不正競争防止法第１条が不正競争行為に対する救済手段として「損害賠償ニ代ヘ又ハ損害賠償ト共ニ其ノ行為ノ禁止」（現行法第１条ノ２はこれを修正拡大した）を請求しうべきことを規定せるがごとき，まさにこの種の必要が法律的に認められた例であると考えることができる。

　私の考えによると，これと同様の法律的救済を与えねばならないような事例が今後ますます増加し，特に立法をまたずとも裁判的にこれに解決を与える必要を感ずる場合がだんだん多くなると思う。そうしてその際必要に応じて適当な解決を与えうるためには今から十分な理論的準備をしておく必要があると思う。

　この点について私もまだみずから十分満足すべき定見を得るに至っていないけれども，だいたい次のような筋道で事を考えている。

　（１）　妨害排除・差止命令等の請求権はひとり物権のみ限らず，すべての権利に対する保護手段として認めらるべき理論的可能性がある。しかしこれを認むるについての法律要件は権利の種類，権利の目的物，侵害の種類態様，侵害の結果被害者のこうむるべき損害の程度態様，妨害排除を実現するため加害者に要求せらるる犠牲の程度等に応じていろいろに定めらるべきであって，従来わが国の通説になっている物権的請求権理論において認められているような要件をもって一律的にすべての場合に臨むべきではない。この点物権的請求権それ自体についてさえすでに学者の間に疑いを抱くもの少なからざるは特に注意に値する（例えば昭和７・１１・９大審院判決に対する内田力蔵氏評釈，判例民事法昭和７年６２２頁以下）。

　（２）　民法は債権侵害の一種たる債務不履行に対する救済手段として，損害賠償請求権（４１５条）のほか現実履行の請求権（４１４条）を認めているが，債務不履行におけるこの２種の救済手段は，例えば所有権侵害に対する救済手段として一面不法行為を理由とする損害賠償請求権が認めらるると同時に，他面物権的請求権としての妨害排除請求権が認められているのと同様の関係に立つものであって，われわれはこの２種の救済手段を広義の権利侵害一切の場合に通ずるものとして観察する必要がある。ただし実定法的には権利侵害の種類によって，あるいは甲の救済手段のみが認めらるることあり，あるいは乙の救済手段のみが認めらるることあり，またあるいは甲乙ともに認めらるることがありうるけれども，それは実際の実定法的政策的考慮から定められた事柄であって，理論的には２者のいずれもがすべての場合について認められる可能性があるのである。したがって例えばある種の権利侵害に対する救済手段として従来はただ甲のみが与えられていたが，社会事情の変化につれて甲のみでは十分の救済を与ええないと考えられるようになれば，立法的もしくは司法的手段によって乙を与えるようにすべきが国家の法律政策上当然であって，甲は理論上ある場合にのみ認めらるべく，乙は理論上ある場合には認むべからずというように固定的に考えるのは不当である。例えばイギリス法におけるspecific performanceや injunctionの発生発達した歴史，第１１４２条の明文をもつフランス民法のもとにおいて判例法的に発達した théorie des astreintesの歴史等を考えれば誰しも容易にこの理に気づくであろう。

　（３）　現在わが国には，物権侵害については金銭賠償および妨害除去の二救済手段が許されるに反し，その他の権利の侵害については理論上金銭賠償のみが許さるべきであるというようなドグマがひろく行われているけれども，この考えは２つの反対の方面において欠陥をもっている。まず第１に物権なるがゆえに無制限に妨害排除の請求を許すべしと考えるのは不当である。第２に物権ならざるがゆえに絶対的に妨害排除の請求を許すべからずと考えるのも不当である。この際すべての場合に通じて考うべき事柄は被害者に妨害排除的の救済を与える必要の多少とこれがため加害者に要求せらるる犠牲の大小との較量問題であって，例えば物権侵害においても妨害排除・原状回復等の請求を許すことが被害者救済の必要にくらべて不当に多大の犠牲を加害者に要求することとなるがごとき場合にはその請求を許さざることとなすべく，これと反対に物権以外の権利についても金銭賠償をもってしては十分被害者救済の目的を達しえず，しかも妨害排除請求・差止命令等を許すがため加害者が不当に多大の犠牲を要求されることがないような場合にはひろくこれを許すべきが当然である。なおまた権利の種類その他特殊の事情によって，たとえ加害者の受ける犠牲はいかに大きくとも妨害除去・差止命令等を許す必要のある場合もあるであろうし，またその反対の場合もありうるであろう。例えば不正競争防止法が特に差止命令を許すことを規定しているのは，同法第１条の規定するがごとき不正行為に対する救済手段としては一般に金銭賠償のみでは不十分なりと考えたからであって，同条の解釈においても具体的事情にかんがみ金銭賠償のほか別に差止命令を許すの必要なし，もしくはこれを許すことが不当なりと考えられるような場合にはこれを許さざるものと解すべきが当然であり，また同法のごとき特別の明文なき場合においても権利の種類に関係なく侵害に対する救済手段として，あるいは妨害除去の請求を許すことが正当と考えられ，あるいはこれを許さざることが正当と考えられるのである。例えば著作権侵害に対する救済手段として，一般的には違法なる出版・上場・演奏等の差止請求が許されうるとしても，例えば音楽会がすでに開始されており，したがって今さら演奏を禁止するとこれによって主催者のこうむるべき損害が不当にはなはだしく，聴衆の迷惑もまた大きいと考えられるような場合には，もはや差止請求を許さざるものと解するを正当と考える。

３５　占有権の効力，特に果実収手権について

１

　占有権の効力として民法の規定している諸事項中，第１８９条の規定する果実収取権，第１９１条の規定する賠償責任減軽および第１９６条の規定する費用償還請求権は，取得時効や占有訴権が占有権の効力であるのと同じような意味において，占有権そのものの効力なりと考えらるべきものであろうか。

　私の考えるところでは，これらの場合，占有は単に果実を事実上収取したり，占有物を滅失毀損せしめたり，またあるいは占有物につき費用を費やしたりする事実上の機会となっているだけのことであって，特に占有者たるのゆえをもって占有権の効力として特別の取扱いを与えているのではない。権利なくして収取されもしくは消費された果実の返還義務，滅失毀損に対する賠償責任および費用償還請求権の諸問題はいずれも本質的には不当利得・不法行為・事務管理等の一般原則によって処理せらるべきであって，たまたまそれらの問題が占有物に関して起こってもこれを特別に取り扱うべき理由は少しもない。ただ占有者が善意である場合にこれを一般原則によらしめるのは酷に失するから善意者保護の精神をもって特別の取扱いを与える必要がある。したがってこれらの諸条の規定するところのうち，善意者保護の精神に出ずる部分以外は，単に不当利得･不法行為および事務管理に関する一般原則を特に占有物に関連して書き表わしているだけのことであり，また善意者保護の精神も占有者の保護にのみ関する事柄ではなくしてひろく他の場合にも共通する。

２

　以下特に第１８９条を取り上げてこの理を説明しようと思う。

　「善意ノ占有者ハ占有物ヲ生ズル果実ヲ取得ス」（民法１８９条１項）。すなわち果実収取の本権なきにかかわらずこれありと誤信して元物を占有する者はその物より発生する果実を取得する権利を有する。そうしてこの規定は民法みずからも「占有権ノ効力」の条下にこれを設け，学者も一般になんとなくこれを占有権それ自体の効力として占有者に積極的に果実を収取する権利を認めたものであると解しているようであるが，私はむしろ次のように解すべきものと思う。

　この規定は占有者に積極的に果実収取の権利を認めたものではなくして，善意の占有者が占有中事実上収取しもしくは収取を怠って滅失毀損せしめた果実については，真実の収取権者から返還請求があっても返還の義務なく，もしくは代価賠償の義務なきことを規定したものにすぎない。本来ならば事実上収取したものはすべてこれを返還し，滅失毀損せしめｔものはすべて代価賠償をなさしむべきであるが，善意のゆえをもって特に義務が免除されるにすぎない。占有はただ事実上収取の機会を与えているだけのことであって，例えば取得時効の場合に占有権の効力として所有権取得の効果が発生すると同じように，占有権そのものの効力として果実収取の権利が発生するのではない。

　果実収得権なき者が事実上果実を収取してもその所有権を取得するはずがない。したがってその収取した果実を消費その他滅失毀損せしめれば，不当利得または不法行為の原理によって利得返還または損害賠償の義務を負担すべきが当然である。ところが果実は占有物から「物ノ用方ニ従」って産出する物であって，その価値も元物に比すれば軽小であるから，占有者が善意であるかぎり，一々これを保存せずして産出のつど収取してみずから消費しその他処分してしまうのがまず普通である。この果実の特質にかんがみて，善意占有者にまで一般原則による返還ないし賠償を命ずるのは酷に失するからその責任を免除したい，そうして真実の果実収取権者としてもそのためにたいした損失をこうむるわけではない，というところに本条の設けられた趣旨がある，と私は考えたいのである。

３

　したがって，例えば占有者が収取した果実をそのまま保存している場合には，純理論としてはこれを返還せしむべきが当然であって，本条の前身たる旧民法財産編第１９４条第２項はこの趣旨を明らかに規定しているが，梅博士はこの点に関して「占有者ガ未ダ消費セザル果実ト雖モ，其占有者ハ之ヲ自己ノ占有物ト信ズルガ故ニ，或ハ占有物ヨリ生ジタル果実ヲ消費セズシテ自己ノ固有ノ財産ヲ消費スルコトアルベク，或ハ未ダ之ヲ消費セザルモ占有物ヨリ生ジタル果実アルコトヲ思ヒ特ニ生活ノ程度ヲ高ムルコト多シ，故ニ若シ未ダ消費セザル果実ヲ返還セシムルトキハ，占有者ハ意外ノ損失ヲ被ムルコト稀ナリトセザルベシ，殊ニ消費ノ有無ノ如キ偶然ノ事実ニ因リ占有者ノ権利ヲ異ニスルガ如キハ頗ル穏当ヲ欠ケルガ故ニ，旧民法其他外国法ニ於テ消費ノ有無ニ因リ返還スベキト否トヲ区別スル例尠カラズト雖モ，新民法ニ於テハ敢テ之ヲ採ラザリシナリ」（民法要義２巻１８９条註）と説明している。しかし博士も本来ならば返還せしむべきすじあいであるが，果実の特質にかんがみ善意者保護の精神を徹底せんとする実際的動機から，収取された果実が保存されていると否とを区別せずしてその返還義務を免除したといっているだけのことであって，決して占有者に果実収取権を積極的に認める趣旨から右の議論をしているのではない。もしも占有者に積極的に果実を収取する権利があるのだとすれば，果実が保存されていると否とは理論上返還義務と全く無関係であるといわねばならないが，本条は単に善意者保護のため特に返還義務を免除しているにすぎないのであるから，返還義務の範囲も実際的見地から適当に規定しうるわけで，梅博士の解釈は理論上ここに根拠を置いているのである。

４

　しからば次に善意占有者が占有中に収取を怠った果実に対して占有喪失後なお権利を主張しうるであろうか。この問題も，もしも第１８９条が積極的に果実収取権を認めているのだとすればもちろん肯定的に解せらるべきであるが，善意者保護の精神から単に返還義務を免除しているにすぎないとすれば否定的に解すべきが当然である。占有中に収取を怠った果実に対してはなんらの権利もないのであって，占有喪失後その引渡を請求するがごときは，本条の精神から考えて全く許されないのである。

　なお本条の趣旨が善意者保護の精神から本来ならば適用せらるべき不当利得ないし不法行為の一般原則の適用を排除するにあるとすれば，例えば占有者が善意なるも過失あり，そうして収取した果実を消費した場合には，本来ならば過失によって違法に他人の物を滅失せしめたものとして不法行為の責に任ぜねばならないわけであるが，特にそれが免除されるのだというふうに考えらるべきであって，占有権にもとづいて果実収取権を有するから理論上当然に不法行為を構成しないというように考うべきではない。そうしてかくのごとく不法行為の責任を免除される理論的根拠も目的物が果実であることに存するのであって，善意占有者が占有物そのものを滅失せしめた場合の賠償責任（１９１条）にくらべて本条がいっそう善意占有者を保護しているのは全くそれがためである。

＊ 民法の占有権に関する諸規定は，占有訴権を中心とするローマ法的占有（possessio）と，占有による権原推定を中心とするゲルマン法的占有(Gewere)の統合されることによって成立したといわれている。しかるにもかかわらず民法第１８９条は，そのいずれにも含まれるものでなく，その結果本条のあることは，占有制度に多くの混迷を与えていたことは明らかである。末広博士が同条をもって占有に特有な規定でないといわれたことは，その意味で占有制度の本体を明らかにする上にきわめて重要であるだけでなく，また歴史的沿革にも合致しているようである。本書を演習テキストとして使用する学生諸君がこのことを念頭に置きながら，占有に関する民法の規定中どの条文がローマ法的占有から生まれ，どの条文がゲルマン法的占有から生じたか，分類してくれることを望みたい（戒能）。

３６　立木の売買と民法第１９２条

１

　民法第１９２条は動産取引の安全をはかるがため前主の占有に公信力を認め，これによって善意無過失の承継人を保護することを目的とする。したがって同条は取引による動産物権の承継，すなわち動産の売買もしくは質入のごとき場合にのみ適用されるのであって，動産以外の物に適用されないのはもちろん，原始取得に適用なく，承継取得といえども例えば相続による取得のごとく取引によらざる場合には適用されない。これが今日学者一般によって認められている同条の解釈である。

　しからば土地に生立せる樹木を買い取ってそれを伐採した後に至り，該樹木が売主以外の第三者の所有に属することが判明した場合に，買主は第１９２条を援用してその返還を拒みうるか。

　上記の解釈論によると，まず第１に土地に生立せる樹木は土地の一部もしくは土地の定着物なるがゆえにその売買は動産の売買にあらず，したがって第１９２条を適用すべきかぎりにあらず，第２にまた買い取りたる後樹木を伐採して動産となす行為は承継取得にあらざるがゆえに，この時点をとらえて動産の承継的取得ありとし，それを理由として第１９２条を適用することもできないわけである。

　ところが立木法の適用を受けない一般の樹木については，今なお全く公示方法の規定なく，判例法によって認められている公示方法もきわめて不完全であるため，土地に生立せる樹木を買わんとする者にとって，それがはたして真実売主の所有に属するや否やを確かめることが非常に困難である。そしてこの欠陥に原因して実際上しばしば不都合が起こっているのである。

　事を実質的に考えてみると，売買の目的たる樹木がすでに伐採されているかもしくはまだ土地に生立しているかによって，その法律的取扱いにかくのごときいちじるしい差異をつけることの合理性がいちじるしく疑われるのであって，前の場合には動産なるがゆえに第１９２条の適用を受けるに反し，後の場合には動産にあらざるがゆえに同条の適用なく，したがって善意無過失の買主といえども保護を受けないというような微妙な区別を認めることは，木材取引の実情に即しない形式論であると考えざるをえないのである。

２

　この問題に関する大審院判例を研究してみると，まず第１に明治４０年１２月６日判決（民録１３輯１１７４頁）は「動産ノ取得ガ継受取得ナルヤ否ヤハ素ヨリ問フ所ニアラズ」との理由により土地に生立せる樹木を買い受けたる後伐採してそれを動産化した場合にも第１９２条を適用して善意の買主に保護を与えている。

　次に大正４年５月２０日判決（民録２１輯７３０頁）は「民法第一九二条ノ規定ハ現ニ動産タルモノヲ占有シ又ハ権原上動産タルベキ性質ヲ有スルモノヲ其権原ニ基キテ占有シタル場合ニ付キ適用スベキ規定ニシテ本来不動産ノ一部ヲ組成スルモノヲ事実上ノ行為ニ因リ動産ト為シテ占有シタル場合ニ適用スベキ規定ニ非ズ」との理由により，他人の土地を９箇年の長きにわたり善意無過失に占有せる者がその土地に生立せる雑草木を採収したる事案につき，彼の所有権取得を否定して不当利得返還を命じている。この判決は第１９２条の適用を動産の承継取得の場合にのみ限るべしとする点において，その後今日に至るまで多く学者によって賞讃されているのであるが，この判決を研究するにあたって，われわれのまず第１に注意すべきは，この事案においては雑草木が土地に生立せる間にもなんら承継取得と認むべきものはなかったことである。明治４０年判決の事件においては土地に生立せる樹木が売買された後伐採されたのである。したがって伐採によって樹木が動産化した瞬間をとらえてみれば，そこになんらの承継取得も存在しないけれども，売買の瞬間をとらえて考えれば，その時なお土地に定着していたとはいえ，ともかく樹木が承継的に取得されているのであって，取引の安全を保護する上から取得者の保護問題を考慮すべき余地は大いに存在するのである。これに反し，この事案においては前後を通じなんら承継取得と認むべきものは存在しないのであるから，そもそも第１９２条を適用すべきや否やの問題を生ずべき余地は初めから全く存在しない。したがってこの判決が同条を適用しなかったのは理論上もちろん正当であるけれども，事案の実質に即して事を考えてみると，雑草木採収者の保護はむしろ善意占有者の果実取得権に関する第１８９条もしくは占有物毀損者の賠償義務に関する第１９１条によって与えらるべきである。すなわち雑草木の採収は時にはこれを天然果実の収取と認めうるべき場合がある。その場合には採収者は善意の占有者として返還義務を免れる。またもしそれが果実の収取と認められないとすれば，採収者の賠償義務は善意の占有者として「現ニ利益ヲ受クル限度」に限られることになるのであって，要するに第１９２条を適用せずとも，必要なだけの保護はこれを採収者に与えることができるのである。

　したがって学者がこの判決を例として，第１９２条と第１６２条との間に不合理なる間隙ありとし，一方においてこの判決の採収者を保護するために第１９２条を適用するの余地なく，しかも他方において第１６２条第１項を適用すとせば，２０年の時効期間は長きに失し，不動産に関する同条第２項所定の１０年間にくらべて権衡を得ずと論じているのは明らかに間違いであって，上述のとおり善意の採収者を保護するためには第１８９条なり第１９１条の規定を適用しさえすればいいのである。

　ともかく，この判決は当面の問題には全く無関係であることに注意する必要がある。

３

　大正１０年２月１７日判決（民録２７輯３２９頁）は，甲の所有地上に生立せる甲所有の小松６００本を，乙が自己の所有物なりと称して丙に売却し，丙がこれを伐採したる後に至り，甲より返還請求を受けたる事件につき，まず第１に第１９２条の適用ありとする見地から出発しつつ，しかも次の理由によって丙は善意無過失にあらず，したがって第１９２条によって保護を受けえないと説いている。「立木ノ所有権ガ何人ニ属スルヤニ関シ一般的公示ノ方法ヲ欠クト雖モ，特別ノ場合ニアラザル限リ立木ノ所有権ハ其地盤ノ所有者ニ属スルヲ普通トスルヲ以テ，地盤ノ所有者ガ何人ナルヤヲ認知スルコトニ依リ一応立木ノ所有権ノ何人ニ属スルヤヲ知リ得ベク，而シテ地盤ノ所有権ハ既登記ノ場合ニ在リテハ登記簿ヲ調査スルコトニ依リ容易ニ之ヲ知リ得ルト同時ニ，之ガ調査ヲ為スヲ以テ取引上必要ナル注意ト謂ハザルベカラザルヲ以テ，之ガ調査ヲ怠リタル場合ニハ立木ノ所有権ガ地盤ノ所有者以外ノ者ニ属スルモノナリト信ジタリトスルモ其善意ナルコトニ付キ過失アリ」云々。

　この判決について何よりもまず注意すべきことは，伐採を目的として立木を売買した場合につき，その立木が動産であるとかないとかいうような細かいことをいわずに，第１９２条を適用して買主の保護をはかりうる余地ありとしていることである。この議論は同条の解釈に関する現在の通説といちじるしく背馳しているけれども，立木の公示方法が今なおきわめて不完全であることを考え合わせてみると，前主の占有を中心として買主の保護を考えようとするこの考え方には大いに首肯に値するものがあるといわざるをえない。立木が土地の定着物であって動産ではないちうような形式論にとらわるることなしに，立木に関する公示方法が実際上きわめて不完全なることを考え合わせつつ，一面占有を基礎としながら，他面立木の生立せる土地の登記を１つのよりどころとして買主保護の道を考えようとしているのはたしかに立木の性質に適した一見識である。学者が今まで――私もその１人であったが（判例民法大正１０年度１２事件評釈参照）――十分この点に気づかずして，大審院のこの考え方の完成に協力することを怠ったのはむしろ非難に値するものと考えざるをえない。

　次に昭和７年５月１８日判決（民集１１巻１９６３頁）は甲が乙より乙所有の山林立木を買い受け，それに関してなんらの公示方法も施さずして放置しある間に，乙の債権者が債権保全のため山林の仮差押をなしたる後に至り，甲の立木を伐採搬出したる事件につき，上記大正４年判決を援用して甲の主張を第１９２条によって保護するの余地なきことを主張している。この判決は事案の性質上実質的に全く無関係な大正４年判決を援用している点において理論上はなはだしい過誤を犯している。ここで問題となるのは立木を買い受けながらその公示方法を施さなかった者が，その後に至り立木を仮差押した者に対し自己の買受，したがって所有権を対抗しうべきや否やであって，問題は全く第１９２条とは無関係である。したがって１９２条の問題として本判決を論評している東氏の評釈（判例民事法５２９頁以下）も明らかに見当違いである。

　以上判例の研究によって，われわれは大審院が永年にわたり学者一般の説くところと異なって，立木の善意取得者を保護するため第１９２条を適用しようと苦心していることを発見するのであるが，このことは木材取引の実情にかんがみ，学者としても大いに考えてしかるべきことであると思う。

　この点に関する従来学者の判例研究は一般にはなはだ表面的であったといえるように考える。

３７　相隣関係における「損害」と「償金」

　民法は相隣関係に関し一面において隣地使用権・隣地通行権等の権利を認むると同時に，他面において「隣人ガ損害ヲ受ケタルトキハ其償金ヲ請求スルコトヲ得」（２０９条２項）等償金支払の義務を規定しているが，ここにいわゆる「損害」とは何を意味するのか，また「償金」の法律的性質は何であるか。

　これらの諸規定中，第２３２条は牆壁設置権に関して「前条ノ場合ニ於テ隣人ガ損害ヲ受ケタルトキハ其償金ヲ請求スルコトヲ得」と規定しているが，ここにいわゆる損害は隣人が現実にこうむった損害を意味し，したがって「償金」もまた損害賠償の性質を有するものと解すべきもののように思われる。

　これに反し第２０９条第２項，第２１２条および第２２２条にいわゆる損害のうちには，例えば隣地使用のため樹木を毀傷したことによって現実に発生した損害のごとき第７０９条にいわゆる損害と同一範疇に属すと認むべき損害のほかに，隣地使用・隣地通行等に対する対価，すなわち隣人の土地を無償で使用したため隣人が受けた――第７０３条にいわゆる――「損失」をも含むものと解せざるをえない。すなわち使用・通行等のためなんら積極的に損害が発生せずとも，「ただで土地を使われた」という意味において隣人は第７０３にいわゆる「損失」を受けたと考えねばならない。そうしてその結果，これらの規定にいわゆる償金のうちには，損害賠償的なものと不当利得返還的なものとが含まれているとの結論に到達せざるをえないのである。

３８　不動産の加工と地下の所有権

　民法第２４６条の規定する加工原理は動産にのみ適用せらるべきものだというのがわれわれの常識になっている。しかしよく考えてみると，不動産について同様の原理を認めてはならないという理窟もないように思われる。私はこのことを昭和１１年７月１０日の大審院判決（民集１５巻１４８１頁）を読みながら考えさせられたのである。

　同判決は，水電会社が無断で他人の所有に属する土地の地下を掘鑿して発電用水路を作った場合においても，工事がすでに竣成した後には，土地所有者はもはやその所有権にもとづいて妨害排除すなわち復旧の請求をなしえず，ただ損害賠償を請求しうるにすぎぬという趣旨のものであって，物権的請求権の行使に合理的な制限を加うるものとして当時学者の間に賞讃を博した有名な判決である。

　ところが判決のいうように，土地所有者が妨害排除を請求しえないとすれば，水電会社はその後ひきつづき発電用水路をそのまま自己のものとして使用しうるわけであるが，その使用につき水電会社はいかなる権利を有するものと考うべきであろうか。この判決が与えられた結果もしも水電会社と土地所有者との間に，地上権設定もしくは賃貸借の契約が締結されるとすれば，問題は一応それで解決するけれども，土地所有者がその締結を拒否したならばどうなるのであろうか。妨害排除の請求をなしえずとする判決は同時に土地所有者に契約締結の義務を課せんとするものであろうか。それともまた妨害排除を請求しえずというのは特に改めて土地使用権を設定せずとも法律上当然に使用権があるという意味なのであろうか。私の考えではこの後者が最も合理的な解釈だと思うが，しからばその法律上当然に発生する土地使用権はいかなる性質を有するものと解すべきであろうか。判決は無論この点について何事をもいっていないが，学者も従来この点に関して何事をも書いていない。しかし問題はたしかに問題なのである。

　問題に対する具体的妥当の解決としては，水電会社をして判決にいわゆる損害賠償を支払わしめる代りに，水路存置に必要なる土地の部分はこれを水電会社の所有に帰せしめるのが最もよいように思われる。そうすれば土地所有者としても，土地の当該部分を失う代りに十分の損害賠償を得ることができるし，水電会社としても，相当の損害賠償をとられる代りに永久にかつ物理的に――換言すれば土地所有者がいかに変わろうとも――土地を使用することができる。だがこの結果を認めるために，われわれはいかなる法律的根拠を与えることができるのであろうか。

　この点についてわれわれが何よりもまず最初に思いつくのは加工原理である。加工原理は他人の所有物に工作を加えた結果「著シク材料ノ価格ニ超ユル」有価物が成立した場合にその物の所有権を法律上当然に加工者に帰属せしむると同時に，その代償として材料の所有者には償金を与えんとするものであって，附合をも含む添附一般の原理の一適用にほかならないものである。そうして法律上この原理が認められねばならない根拠は，せっかく工作の結果できあがった有価物を壊して材料の復旧請求を許すことが不合理であり社会経済上不利益なりと考えられる点に存する。当面の問題の場合にしても，水電会社が無断で他人の地下を掘鑿して発電用水路を作ったことそれ自体は一面において不法行為を構成するに違いないけれども，さらばといって，せっかくできあがった水路を今さら破壊せしめるのはいかにも不合理である。よって加工をも含む添附一般に通ずる原理として，公益上の理由からもはや原状回復の請求を許さず，工作の結果できあがったものすなわち発電用水路は――その存置に必要なる土地の部分をも含めて――水電会社の所有たらしめ，その代り水電会社から土地所有者に対して第２４８条所定の償金を支払わしめる。そうすれば土地所有者としても必要なだけの損害賠償を受け，水電会社としても水路を物権的にそのまま存置し利用することができる。判決は物権的請求権としての妨害排除請求権を排斥して一応当面の問題を解決しているけれども，その後における土地所有者と水電会社との関係を終局的に決定するためにはどうしても以上のような理論構成が必要であるように思われてならないのであるが，それともまた別にもっと適当な理論的解決がありうるのであろうか。

　ただし以上のような解決をもって満足するためには，なお別にもう１つ考えねばならない事柄がある。それは発電用水路を存置するために地下の一部のみを当該土地と引き離して水電会社の所有に帰せしめることが法律上可能であろうかということである。従来通説は一般に土地を上下に横切りにして異別の人々の所有に属せしめることを認めていないが，現在のように経済と技術との発達によって地下の利用がひろく行われるようになってきた以上，地下についてだけの独立の権利を認める必要は大いにある。現に建物について横に区分した所有関係を認めるのほか，縦に区分した所有関係を認め，１階は甲の所有，２階は乙の所有に属するというような関係を認めることになっている以上，土地についてもこれを上下に区分して異別の人々に属せしめることも決して理論上不可能な事柄ではあるまい。ただかくして地下の一部に独立の所有権を認めるについては，現在では土地台帳および不動産登記簿の関係上，技術的困難が存在しているけれども，その困難を除去することは技術的に不可能ではない。

　現在では地下の所有権のみを他人に譲渡し，地下の所有権のみを収用するがごとき必要を感ずる場合が少なくない。当面の事件におけるがごとき発電用水路を掘鑿するについても，もしも初めから地下のみの買収ないし収用が法律上可能であったとすれば，おそらく無断掘鑿のごときことも行われずにすんだのであろう。この意味においては私は将来土地台帳および不動産登記簿が如上の必要に応じうるよう適当に改正されることを希望してやまないものである。

　ちなみに，わが国において地下所有権の問題を取り扱った最も古い文献は明治４２年の京都法学会雑誌第4巻第７号の巻頭に掲げられた織田万博士の「地下ノ収用」と題する論文であるが，博士はその中で地下収用の実際的必要を認めつつ，しかも「地下ノ収用ハ土地所有権ニ対スル制限ニシテ地表所有権ト独立セル地下所有権ノ徴収ニ非ズ，而シテ我土地収用法ニ於ケル土地ノ使用ハ権利ノ制限ヲ包含スルガ故ニ，地下ノ収用ハ即チ土地使用ノ場合ノ一ト看做シテ該法ノ規定ヲ適用スルコトヲ得レドモ」云々と論じており，結局地下のみについて独立の所有権の成立を認めない通説の立場をとっている。

３９　共有物の分割請求権と分割の訴え

　民法第２５６条の規定する「共有物ノ分割ヲ請求スル」権利が請求権にあらずして形成権の一種たること，および第２５８条第１項にいわゆる「分割」を「裁判所ニ請求スル」とは「直接に共有物分割の効果を発生せしむべき判決を求むる形成の訴え」の意味であって，分割に協力すべきことを求むる給付の訴えにあらざることは，今では多数学者の一般に認むるところである。

　しかし分割請求権行使の効果に関する理論的説明に至ると，学者の所説は今なお一般に不鮮明であって，私がかつて旧著『物権法』（４３０頁以下）において説明したところと大同小異である。

　同書における私の説明は，第２５８条第１項の「請求」が給付の訴えにあらずして形成の訴えでなければならぬことから逆に「従って原告が其訴の原因として主張する――第２５６条所定の――『分割ヲ請求スル権利』も亦請求権にあらずして，形成権なりと謂はねばならぬ」そうしてこの「分割ヲ請求スル権利」行使の効果は「分割方法に付いて協議の成立することを条件とするもので，其『協議調ハザルトキハ』右の意思表示は何等の効力を生ぜぬ」という趣旨であるが，今日私の考えるところによると，この説明は形式上論理のつじつまを合わせているだけであって，事態を適切に説明していない。それがため実際的にも不当な結果を導き出すおそれがあると思う。そこで今ではむしろ次のように説明するほうがいいのではないかと考えるしだいである。

　分割請求は共有関係の解消を他の共有者に申し入れる形成権であって，その性質は第６８３条の規定する「組合ノ解散ヲ請求スル」権利に似たものである。両者はいずれも継続的共同関係を将来に向かってかいしょうすべきことを他の共有者に申し入れる権利であって，後者においてはこの申入れがあると組合関係について清算手続が開始するが，その手続終了まで組合関係はそのまま依然として継続する。同様に前者においても分割請求あるもただちに共有関係解消せず，単に共有関係について分割手続が開始するにすぎない。そうして第２５８条はその分割手続を規定したものである。

　組合においては組合員相互間の関係複雑であるのみならず，第三者との関係もあるから，法人解散の場合に準じて清算手続を行わしめる。これに反して共有者相互間の関係は比較的簡単であるから，まず当事者の協議をもって「分割」をなさしめ，協議調わざる場合に直接裁判所をして「分割」をなさしめることにしているが，そのいわゆる「分割」は実質上共有関係解消のためにする清算にほかならないのである。

　かくのごとく考えるによって，われわれは次のごとき結果を認めることができる。

　まず第１に，分割請求権が行使されると，共有関係は――清算状態に相当する――分割状態におちいるけれども，共有関係は分割手続が終了するまでそのまま存続する。したがって分割の目的と矛盾せざるかぎり，共有関係に関する規定はなおひきつづきその適用がある。例えば分割手続中といえども「保存行為ハ各共有者之ヲ為スコトヲ得」べく，そうしてこれに要したる費用の分担を他の共有者に請求しうる。これに反し「共有物ノ管理ニ関スル事項」を「各共有者ノ持分ノ価格ニ従ヒ其過半数ヲ以テ」決するがごときことは分割手続が開始した以上もはやこれをなしえないと解すべきであろう。

　第２に，分割の訴えは「分割」を裁判所に求める訴えであって，これに応じて裁判所のなすべき仕事は分割すなわち共有関係の清算である。したがって単に狭義の共有関係を終止せしむべき判決をなすのみならず，当該共有関係に関して共有者間に存した一切の関係を清算することが裁判所の仕事でなければならない。私はかつて分割の訴えは「分割請求権を基礎としてその目的を達せしむるため共有物分割なる法律状態を形成せんことを裁判所に訴求する公権である。換言すれば直接に共有物分割の効果を発生せしむべき判決を求むる形成の訴え（もしくは権利変更の訴え）である」と説明したが，この説明は狭義の共有関係を終止せしむべき判決を求める点だけをとってみるとあてはまるけれども，裁判所のなすべき分割は実質上共有関係の清算手続にほかならないという考えをとると，裁判所が分割上なすべき仕事は右の形成的判決のみに限らず，ひろく当該共有関係に関して共有者間に存した関係を清算することでなければならない。したがって分割の訴えもひろくかくのごとき関係を清算するに必要なる一切の裁判を求める訴えであって，形成判決を求める訴えのみをその内容とするものと解すべきではない。

　例えば「共有者ノ一人ガ他ノ共有者ニ対シテ共有ニ関スル債権ヲ有スル」場合において，その共有者は「分割ニ際シ債務者ニ帰スベキ共有物ノ部分ヲ以テ其弁済ヲ為サシムルコトヲ得」ること第２５９条の規定するところであるが，この「弁済ヲ為サシムル」権利は狭義の共有物分割が行われた後別にこれを行わしむべきではなくして，分割の訴えをもって同時に包括的にこれを行使しうべく，裁判所もまたこの「弁済ヲ為サシムルコト」をも含めて分割を行うべきである。すなわち分割の訴えの原告から同時に右弁済の請求があり，または被告の側から反訴としてその請求があれば，裁判所はこれをも含めて分割を行うべきであって，例えば共有物を持分に応じて現物的に分割する場合には右債権額に相当する分だけを余分に債権者側に与えるような方法で分割を行うべきであると思う。

　この考えは分割を清算なりとする見解から論理上必然的に導き出される結果であるが，実際上の便宜から考えても，分割とこの種の「弁済ヲ為サシムル」手続とを別途になさしめる必要は全くないのであって，この種の結果を認めるために理論上発生すべき分割の訴えの法律的性質論のごときはそもそも末であると思う。

　第３に，従来一般に考えられているように，分割の訴えをもって分割請求権の効果を実現する手段にすぎずと解するならば，例えば共有者甲分割を請求して分割手続に入り，しかも分割方法に関して協議調わざる場合に，分割の訴えを起こすものは甲でなければならないという結論に到達するが，以上に説明したように，分割請求は単に共有関係に関して分割手続を開始せしめる効果を生ずるにすぎず，そうして分割の訴えは分割に関して共有者相互間に協議調わざる場合のため補充的に設けられた裁判所の清算行為を求めるものたるにすぎないとすれば，協議調わざる場合に分割の訴えを起こしうる者を共有者甲に限る必要なく，他の共有者のすべてが訴えを提起しうるものと解せねばならない。

　以上の議論にはなお理論上多少洗練を加うべき点があると思うが，これだけでも従来一般に考えられているところにくらべて一歩を進めたものがあると考えている。

４０　収去権と買取請求権

　地上権に関する第２６９条，永小作権に関する第２７９条，使用貸借に関する第５９８条，賃貸借に関する第６１６条の諸規定はいずれも権利終了の際借主は借用物を原状に復して工作物・竹木その他借用物に附属せしめた物を収去しうべき旨を規定している。そうして学者は普通この収去権の根拠を説明して，これら借主の附属せしめた物は第２４２条但書にいわゆる「権原ニ因リテ」附属せしめたものであるから附合によって貸主の所有に帰することなく借主がひきつづきその所有権を保有しているためだといっている。

　ところがまず第１に，第２４２条の適用を受けるのは「不動産従之附合物」に限るがゆえに，附着したるもその附着が「附合」に必要なる程度に達せざる物および「附合」に必要なる程度に附着したるも「従トシテ」附合したるにあらざる物は，すべて同条の適用を受けない。したがってそれらの物の所有者がひきつづきその物につき所有権を有するのは当然であって，特に「権原ニ因リテ」附属せしめたるのゆえをもって所有権が留保されるのではない。「従トシテ」「附合」せざるがゆえに所有権の取得を生じないのである。ゆえに権利終了の際所有者がこれを収去する権利を有するのが当然であると同時に，みずから収去をなさずかえって不動産所有者に対して附着物の買取を請求するようなこともできないといわねばならない。

　これに反して「不動産ノ従トシテ之ニ附合シタル物」は不動産所有者の所有に帰するから，その物の所有者はまず第１に第２４８条によって「償金ヲ請求ス」ることができる。またもし附合が「権原ニ因リテ」行われたのであれば権利終了の際その物を収去することもできる。すなわち地上権者その他不動産の借主が「権原ニ因リテ」附合せしめた物は，彼らが希望するならばこれを収去することもできるし，また収去をなさずしてその代り「償金ヲ請求ス」ることもできるといわねばならない。従来学者は多く「権原ニ因リテ其物ヲ附属セシメタル他人ノ権利ヲ妨ゲズ」とは，その他人がひきつづきその物の所有権を保有するの意なりと解し，したがって権利終了の際収去の権利あるはもちろんであるが同時に義務もある。その結果「権原ニ因リテ」附属したる物については償金請求の問題を生ずるの余地なしと考えているらしい。けれども附合原理の公益性から考えると，「附合ニ因リ毀損スルニ非ザレバ之ヲ分離スルコト能ハザルニ至リタルトキ」または「分離ノ為メ過分ノ費用ヲ要スルトキ」はむしろ分離をなさしめないことが望ましいのであって，第２４２条但書は特に「権原ニ因リテ其物ヲ附属セシメタル他人」を保護するため，単に収去の権利を認めたものと解すべきではあるまいか。すなわち収去を希望するならばこれを許すが，その希望がなければむしろ分離をなさず，よって不動産所有者の受けた利得は「償金」としてこれを返還せしめることにするのが，附合原理の精神から考えて正当であるように考えられるのである。

　かくして私は従来一般に原則として否定されている借主の買取請求権を償金請求権の形で認める余地が相当ひろく残されているように考えるのである。ただし第２４２条にいわゆる「従トシテ」の意味をはなはだしく厳格に解すれば，同条によって附合原理の適用を受ける物の範囲がせまくなるから，以上の理論によって買取請求権を構成しうべき範囲もおのずからせまくならざるをえないが，さおないかぎり従来一般に困難とされていた買取請求権を実際上相当ひろく認めうる余地があるように考えるのである。

４１　抵当権と登記

　いまだ登記せられざる抵当権はこれをもって第三者に対抗しえない。しからばいまだ登記なしといえども当事者相互の内部関係においてはなお有効たるを妨げないか。

　大審院はこの問題に関して「抵当権ノ登記ハ其ノ権利ヲ第三者ニ対抗スルノ条件タルニ過ギザレバ，未登記ノ抵当権ト雖モ其対抗力ヲ有セザル点ヲ除キテハ特別ノ規定ナキ限リ既登記ノ抵当権ト同様ノ効力ヲ有スルモノト解スベキハ法理上当然ナリ」との判決を与えており（大正１２・７・２３民集２巻５４５頁以下），今までのところ学者も多くこの考えに賛成している。私もかつてこの判旨に賛意を表して「立法論として適当なりや否やは大に疑を容れる余地があるけれども，解釈論としては勿論単なる対抗要件と解するのが正当であって異論を挾むべき余地がない」と述べたことがある（判例民事法大正１２年度４１９頁）。しかし今にして考えると，かくのごとき解釈論は民法第１７６条および第１７７条の文字にとらわれた形式論にすぎないのではあるまいか。事をふかく実質的に考えてみると，所有権の移転，地上権・永小作権等の設定は登記なしといえども当事者相互の内部関係においてはなお効力を認めて差支えないけれども，同理をただちに抵当権にあてはめるのはどうも間違いであるように思われてならない。その理由を以下に述べておきたい。

　まず第１に考えねばならないのは抵当権の実行には競売なる手続を必要とすることである。債務者その他抵当不動産所有者の利益を保護する必要から考えても，また競落人のために取引安全を保障する必要から考えても，競売手続開始の要件を厳格にすることは法律上きわめて価値多き事柄であって，軽々しく競売を許すことは――たとえ別に事後の救済はありうるとしても――決して望ましい事柄ではない。しかるに判例および通説によると，単純なる私署証書によって設定された抵当権を根拠として特になんらの債務名義をも必要とせずして競売が許されることになるのであるが，これでは実際上いろいろの不都合が起こるおそれがある。

現行法上強制執行は確定判決その他一定の債務名義ある場合にのみ許される。しかるにもしも単なる私署証書による抵当権によって競売が許されるとすれば，この原則に対して大きな例外を認めることになるわけであって，実際上の不都合はもちろん，理論的に許すべからざる不均衡が生ずることになるのである。

　フランス民法は――ドイツ民法と異なって――登記を抵当権設定の要件とすることなく，わが民法と同様これを第三者保護の手段としてのみ考えているにすぎない。それにもかかわらず，抵当権の設定は必ず公正証書によって行われることを必要としている。すなわち公証人を介在せしめるによって抵当権の設定を確実にし，抵当権実行に必要なる債務名義をこの公証行為に求めようとしている。このことはわが国についても抵当権の実行を正確ならしむるため絶対的に必要な用意であると考えられるのであるが，わが国在来の判例学説は全くこの用意を忘れて，単なる私署証書によってただちに執行を行うことを許す結果を認めようとしている。しかし私は，わが国強制執行法全体の仕組みから考えて，かくのごとき結果を認めることをはなはだ不合理であると思う。比較法的に考えても，かくのごとく軽易な手続で強制執行を許している例は他に全くないのであって，この点から考えても在来の判例学説にはなんら合理的の根拠がないように思われてならないのである。

　なお以上のほか民法が不動産先取特権について保存登記を要求していること（３３７条・３３８条・３４０条）も，本問題を考えるについて大いに参考の価値がある。不動産先取特権は――性質上法定抵当権と考えらるべきものであるにもかかわらず――登記するによってのみその効力が保存される。しかるに抵当権は登記なしといえども効力を有すといわれている。私はここに見出される不均衡を黙過しえないのである。

４２　所有権抵当に関する多少の考察

１

　現行民法上所有者抵当権は原則として認められないというのが現在の通説である。

　その理由は，まず第１に抵当物所有者みずからが自己の所有物上に他物権としての抵当権をもつことは理論上不可能であるというにあり，第二には担保せらるべき債権なきところに抵当権なし，そうしてなにびともみずから自己の債権者たりえざるがゆえに，所有者抵当は理論上ありえずというにある。すなわち物権の混同に関する第１７９条および債権の混同に関する第５２０条の規定が現行法上所有者抵当を認める妨げとなっているのである。

　したがって現行法上，所有者抵当を認めうる唯一の場合は，２番抵当権の存する場合に，１番抵当権と物上保証人の所有権とが混同した場合である。この場合には２番抵当権存するがゆえに，第１７９条第１項但書の規定によって混同にかかわらず１番抵当権はそのまま存在しうる。また１番抵当権者と物上保証人とが同一人になっても，この場合には主債務者が別に存在して第５２０条の適用を生じないからである。これに反して債務者みずからの所有物が１番抵当権の目的物になっている場合には，第１７９条第１項但書の適用はあっても，同時に債権者と債務者とが同一人となって第５２０条の適用を受けるから，被担保債権消滅し，したがって抵当権も存続しえないことになるのである。

　これが所有者抵当に関する現行法解釈上の通説である。このゆえに解釈論として所有者抵当の可能性を論証するためには，この２種の混同原則に批判を加えてその適用に制限を加えねばならない。このことは理論上不可能であろうか。

２

　この点においてまず第１に注意すべきは株式会社が自会社の担保附社債を取得した場合であるが，この場合に実質上発生する所有者抵当の効力はなにびともこれを否定する者がない。この場合実質的には会社がみずから自己の債権者となると同時に，自己の所有財産上に抵当権をおつことになり，したがって明らかに上記２種の混同原則に反することになるのであるが，それにもかかわらず学者はひとしくこの場合における所有者抵当の効力を認めて疑わないのである。それははたしてなにゆえであろうか。

　要するに，この場合の債権関係が社債に体化されて抽象化し，抵当権の関係もまた抽象化して考えられることがその理由にほかならないのである。この場合には抵当権によって担保された社債が１つの財産として抽象的存在となり，その結果具体的のなにびとが債権者ないし債務者であり，抵当権者ないし抵当物所有者であるかを問題にすることが理論上不合理なりと考えられればこそかくのごとき結果が肯定されるのである。

　同様のことは抵当証券についてもこれを認めねばならない。この場合においても証券上の債権者ないし債務者は，手形における当事者と同じく抽象的存在であって，具体的のなにびとが債権者ないし債務者であるかを問題とすべきではない。抵当証券は抵当権によって物的に担保された約束手形のようなものであって，それ自体が１つの独立した証券的財産である。このゆえに債務者もしくは抵当物所有者みずからが抵当証券を取得しても混同原則のごときは全く問題とならないものと考えねばならない。

　しからばある人が初めから自己を債務者として抵当証券を発行することは不可能であろうか。抵当証券の性質を以上のように考えれば，これを不可能とすべき理由は少しもないわけであるが，以上の理を認める学者でさえこの点についてはなお不可能説に傾くのである。けだし抵当証券発行の前にはまず抵当権の設定がなければならぬ。そうして抵当権が設定されるためには抵当物所有者と抵当権者たるべき者との対立があり，かつ同時に被担保債権が存在せねばならぬとするのが在来の通説的理論だからである。

　しかし，すでに抵当証券の制度を認むる以上，かくのごとき対人信用的の債権したがって抵当思想にとらわれるのがそもそもの間違いではあるまいか。いったん発行された後においては，証券上の債権者となり，自己の所有物上に抵当権を有しうるのである以上，なにゆえに初めから自己の所有物に一定金額について抵当権を設けてこれを証券化し，必要に応じて臨時にこれを他に裏書譲渡することが許されないのであろうか。２者は全く性質を同じうする事柄であって，理論上一を許して他を許すべからずとすべき理由は全く存在しないのである。

３

　さてかくのごとく抵当債権が証券化されている場合について上記の理が認められる以上，さらに一歩を進めて所有者抵当の問題を全般的に新たな見地から見直す必要があるように思われる。

　例えば現在では一般に１番抵当権によって担保される債権が弁済によって消滅すると抵当権もまた消滅し，２番抵当権は自働的にその順位を上昇せしめられて１番抵当権になるといわれているが，この場合弁済をなしたる債務者をして１番抵当権を取得せしめることが実際取引の要求には最も適合しているのであって，２番抵当権者は初めから１番抵当権によって把捉されている担保価値を控除した残余の担保価値についてしか権利をもたないものであるから，偶然の事情によって自働的にその順位を上昇せしめるのは不当である。かえってこの場合には弁済をなしたる債務者みずからをして１番抵当権を取得せしめ，これによって把捉せられたる担保価値を彼の手中に留保せしめるのが経済上合理的である。

　しかるに従来通説は混同原則のゆえをもってこの経済的要求を満たすことが不可能であるというのであるが，元来混同原則は混同にかかわらずなお権利の併存を認めることが無意味であり不必要であるという実質的の理由にもとづいて設けられているのであって，権利の併存を理論上不可能なりとする考えにもとづくものではない。さればこそ第１７９条においてもまた第２５０においても例外を認めているのである。そうして混同にかかわらず権利の併存を認めるのが実質上むしろ合理的なりと考えられる場合はこれらの但書が規定する場合意外にもなお多く存在し，そうして特に彼此を区別して取り扱わねばならない合理的の理由を見出しえない以上，これら例外規定はこれを他の場合にも類推適用しうべきものと解するのがむしろ正当であるように考えられてならないのである。

　私には，抵当制度について相当進歩的の考えをもっておられる学者の間にさえ，今なお解釈論としてこの理を認めざらんとする者の多いことが，むしろ不思議に思われてならないのである。

附　　　録

解釈法学における法源論について

１

　解釈法学は１つの法律秩序を論理的に矛盾なき規範体系として理解することを目的とする学である。しかるに１つの法律秩序が論理的に矛盾なき規範体系として成立しうるためには，与えられたる多数の法律規範が互いに上下の関係をもって相関連しつつ，下位のものは上位のものによって法的妥当性を付与せられ，上位のものはさらにより上位のものによって法的妥当性を付与せられて，結局，すべての法律規範が同１１個の最上位の法律規範に窮極の妥当根拠を有するものとして理解されることを要する。ケルゼンはこの最上位の法律規範を「根本規範」（Grundnorm, norme fondamentale）と名づけ，個々の法律秩序の異別性は根本規範の異別によって決定されるのだといっている。そうしてこの根本規範を「法源」（Quelle）と名づけている〔註１〕。

〔註１〕　Kelsen, Das Problem der Souverӓnitӓt und die Theorie des Vӧlkerrechts, 1920, S. 26. なお根本規範の性質についてはKelsen, Les rapports de systéme entre le droit interne et le droit international public(Recueil des Cours, 1926 �W) pp. 254f. に詳細の説明がある。横田喜三郎氏「ケルゼンの純粋法学」３６頁以下参照。

なおサーモンドがきわめて類似の考えを述べていることは特に注意を要する。彼はまず形式的法源（formal sources）と実質的法源(material sources)とを厳格に区別し，後の意味における法源は法律規範に対してその実質内容を付与するものを意味するに反し，前の意味における法源は法律規範に対してその法的妥当性を付与するものであって，「一法律秩序の形式的法源は同１１個である（The formal sources of the whole body of the civil law is one and the same.）といっている。そしてこの形式的法源に窮極の妥当根拠を置きつつ多数の法律規範が上下に相関連して１個の実定的法律体系を形成するというのが彼の考えであって，この考えにおいてケルゼンとサーモンドとはいちじるしく類似している。ただし両者の間にはケルゼンが「根本規範」を「仮設的規範」（norme hypothétique）なりと解しているのに対して，サーモンドは「形式的法源」は「国家の意思および力」（the will and power of the state）なりとしてこれを歴史的規範と解している差異があるけれども，サーモンドが最上位の妥当根拠として「形式的法源」の次位に位する法律規範――彼はこれを「窮極法源」（ultimate legal sources）と名づけている――に対して与えている説明を読むと，彼が歴史的なりとして考えているところが実はすでにはなはだしく仮設的色彩を帯びたものであることを発見しうる。すなわち彼が「国会の法律が法的効力を有すとの法則はどこからくるか」の問に答えて「その起源は憲法史家がこれを知っている，法律家（lawyers）はただそれをself-existentのものとして受け取らざるをえない」といっているような点を考えると，彼の最上位規範はもちろんこれに次ぐ上位規範さえもすでにいちじるしく仮設的なものとして考えられているものと解せざるをえない（Salmond, Jurisprudence, pp. 164-170）。

かくのごときケルゼンの考え方は解釈法学の基礎をなすものと考えられねばならない。なぜなれば，解釈法学は１つの法律秩序を論理的に矛盾なき１つの規範体系として理解することを目的とするものである，したがって法律社会学的にみれば法律規範たる性質を有すと考えられるものといえども妥当関係上，当該規範体系に属すと解せられないものはその解釈法学においては法源たる価値を有しえざること理論上当然だからである〔註２〕〔註３〕。解釈法学は個々の法律秩序をそれぞれ論理的に矛盾なき規範体系として理解することを目的とするものであるから，個々の法律秩序についてそれぞれそれに奉仕すべき解釈法学が成り立つのである。したがって甲の法律秩序においてのみ妥当する法律規範は甲の解釈法学においてのみ法源性を有するものとして取り扱われうべく，乙の解釈法学においては決して同様の取扱いを受くべき性質をもっていないのである。

〔註２〕　法律社会学によって与えられた知識はそれ自体法学にとってきわめて価値が多い。われわれが今日「法」の概念を「国家」から解放しうるに至り，国家にあらずといえどもいやしくも「社会あるところ法あり」（Ubi societas ibi ius.）と考えうるに至ったのは実に法律社会学の賜物である。この故をもってわれわれは今日なんら躊躇するところなしに慣習法の法たるゆえんを主張しうる。また定款・内規・就業規則・労働協約等――従来一般に契約原理によってその拘束的性質が説明されていたもの――が実に法律規範たる性質を有することを認めうるに至った。国際法の法的性質や世界法の可能性に関するわれわれの知識もすべて法律社会学によって与えられた賜物である。

しかし，ある１つの法律秩序について成り立つ解釈法学にとってはその法律秩序において法的に妥当する法律規範のみが法源たる価値を有しうるのであるから，甲の根本規範を窮極の妥当根拠とする法律規範は――それ自体法律社会学的にみて法的性質を有するとしても――それが法源として価値を主張しうるのは甲の根本規範によって統轄された法律秩序について成り立つ解釈法学においてのみである。乙の根本規範によって統轄された法律秩序について成り立つ解釈法学においては全く法源としての価値をもたない。例えばドイツ民法第××条は法律規範に相違ないけれども，ただドイツ民法学においてのみ法源として取り扱われうるにすぎない。

〔註３〕　ここにいわゆる法源は上述したケルゼンのいわゆる法源またはサーモンドのいわゆる「形式的法源」とは異なる。当該法律秩序において妥当しつつその秩序を構成している個々の法律規範の意義である。

しかるに従来わが国に行われている解釈法学は一般に法律規範の妥当関係を精密に確定することなしに本来妥当系統を異にする各種の法律規範に法源たる価値を与えている。そうしてその理論的根拠について十分の説明を与えていない。例えば国家的制定によらざる慣習法が国家的法律秩序について成り立つ解釈法学において法源として取り扱われているのはいかなる理由によるのであるか。このきわめて重要な問題についてすら従来学者の与えている説明はきわめて不満足である〔註４〕。なおまた，例えば近来相当多数の学者は判例法の法源性を認めようとする傾向を示しているけれども，その根拠について十分な理論的説明を与えたものはほとんどこれを見出しえない〔註５〕。

これらはすべて在来の解釈法学が根本規範を規準として法律規範の妥当関係を論理的に構成することを怠って，いわゆる社会法学的な不論理に堕している結果にほかならないのであって，私が解釈法学はまず純粋法学的の立場から出発せねばならないというのはけだしこの種の通説的弊害を根本的に排除する必要ありと信ずるからである。

〔註４〕　例えば穂積重遠氏は慣習法が民法の法源たるゆえんを説明するにあたって，慣習法が社会的法律規範であることだけからそれ以上なんら特別の理由を示すことなしにそれが国家的に妥当すると説いている。その結果「此等の規定（法例第２条，商法第１条等）は法文の体裁上或は成文法の規定によって慣習が慣習法となるものの様に解されるが，さう云ふ作用も実際上行はれないではなからうけれども，此等の規定の根本の趣旨は既成の慣習法の効力確認に存するのであって法例第二条の如きは規定がなくとも理論上同一の結果になるべきであると信ずる」といっているけれども（改訂民法総論３９頁以下），もしも慣習法が単に社会的法律規範なるの故をもって国家的にもまた当然に妥当するものだとすれば，法例第２条が慣習のうち特に「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗に反セズ」かつ「法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ビ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノ」にのみ「法律ト同一ノ効力」を認めている理由は全く理解されない。慣習法が慣習法なるがゆえに当然国家的に妥当するものだとすれば，国家がその妥当について一定の制限を附しうるわけはない。氏はおそらく制定法が慣習法に対して優位にあるという原理（この原理に関するドイツ普通法学者間の争いについてはNeukampf, Das Gewohnheitsrecht in Theorie und Praxis des gemeinen Rechts, Archiv fürgerliches Recht, Bd. 12, S. 92f.参照）を認めて右の事実を説明しようと考えているものと想像されるけれども，もしもそうであるとすれば，その原理そのものがどこから出てくるのか，その理由についてなんらの理論的説明をも与えていない。のみならずかえって法例第２条が存在するにもかかわらず，なお制定法に反する慣習法が成立発生しうべきことを説いている（前掲書４２頁）。なるほど社会的には発生するであろう。しかしそれがなぜ国家的に妥当するのか，その理由について氏はなんら理論的説明を与えていない。

〔註５〕　私もまた判例法が解釈法学上法源たる価値を有することを主張するものである。しかしその主張を支持するためには一定の理論的解説を必要とすべきこともとよりいうをまたない。判例から社会的法律規範としての法が生まれるという事実のみからその法律規範が当然国家的にもまた妥当するという原理は決して生まれるはずがないからである。例えば穂積重遠氏は「或裁判所が或判決をすると，同一裁判所は以後同実質の事件には同趣旨の判決を繰返す傾向があり，又他の裁判所も特別の反対理由がない以上其判例を踏襲するであらう。殊に上級裁判所の判例があると，下級裁判所は反対判決をしても上級審で破棄されるであらうと考へて，好んで異を立てないのが先づ普通である。そこで人民は同実質の事件には同趣旨の判決があるだらうと言ふ予期の下に行動を規律する様になる。即ち此場合には判例に法律上の拘束力はなくとも事実上の拘束力があるので，此拘束力に基づき同趣旨の判決が繰返されるによって判例法を生ずるのである」という説明を与えているが，かくして発生する判例法がなにゆえに論理上当然に国家的に妥当するかについてなんらの理論的解説をも与えていない。氏の説くところはただ判例法発生の過程にすぎない。かくして発生した法が国家的に妥当する理由は少しも説明されていない。

最も典型的な判例法国なりといわれている英国についてすら，例えばサーモンドは「判決が法的効力を有するという規範は法律上窮極的かつ原始的であって，なんらの制定法もこのことを規定していない。それは幾多の判例によって認められたものに違いないが，いかなる判例もその権威の根拠を他の判例に求めることはできない」といって，判例の法的妥当根拠がほとんど歴史的には証明しえないと述べている（Salmond, Jurisprudence, p. 170）。判例の法源的性質がはるかにはるかに疑われているわが国においてその法源性を主張するためにはなおいっそうつっこんだ理論的説明を要するものと考えざるをえない。

２

　解釈法学はすべて個々の法律秩序について成り立つものであり，個々の政治に奉仕することを目的とするものであるから，何が個々の法律秩序であるかを決定することは解釈法学成立の基礎をなす必要事である。在来解釈法学と称せられるものは――いかに法律社会学の影響を多分に受けたものでも――ほとんどすべて国家的法律秩序について成り立ち，国家的政治に奉仕することを目的として存在するものである。したがってまず何がその学的対象たる国家的法律秩序であるかを決定することはその学の成立を可能ならしめる基本でなければならない。しかるに従来解釈法学は一般に国家の領土内に大小幾多の社会が錯雑して存在すること，したがってそれらの各社会についてそれぞれ特異の法律秩序がそれぞれ特異の根本規範を根拠として成り立っている事実を無視して，いやしくも国家の領土内に存在する法律規範はその妥当関係如何に関係なく，すべてこれに法源性を認める傾向を示している。けれども純粋法学的に精確に事を考えていると，かくのごときは全く理論的根拠を欠いた非科学的な態度といわねばならない。

　例えば――最も多数の学者によって法源性を認められている――慣習法について考えても，それは決して国家的制定によって発生したものでもなければ，国家的権力によってその実際的権威を保障されているものでもない。時には国家の禁圧的態度にもかかわらず，ある種の慣習法がそれに反抗して社会的に権威を主張する事例をさえ発見しうるのである。けだし慣習法の社会的権威を保障するものはその社会に特有な社会力であって，国家の権力ではない。したがって慣習法はその社会に特有な根本規範を窮極の妥当根拠としてその社会の法律秩序を構成すべきものであるけれども，毫も当然に国家的に妥当すべき性質をもたない。それは国家的法律秩序とは別個の法律秩序に属するものであって，国家的法律秩序について成り立つ解釈法学においては理論上毫も当然に法源性を主張しうべき根拠をもたないのである。

　このゆえに国家的解釈法学が慣習法に法源性を認めうるがためには，純粋法学的考慮のほか全くそれと違った特殊の理論的考慮を必要とするのであって，純粋法学的に考えるかぎり慣習法に国家法的妥当性を認めることは絶対に不可能である。ケルゼンがその純粋法学において慣習法の法的妥当性を理論上十分に論証しえないのはけだし当然であって，国家を中心として法律秩序を１つの規範体系として理解せんとするかぎり，慣習法は妥当関係上その体系のほかに置かれねばならぬ。それは国家内の社会において妥当するかも知れない。また超国家的社会において妥当するかも知れない。しかし国家的法律秩序において理論上当然に法源性を主張しうべきなんらの根拠も存在しないのである。

　いわんや慣習法が国家的法律秩序上の法律規範を廃棄する効力をもたないのは当然である。けだしこれら２つの法律規範は互いに規範体系を異にして異別に妥当するものだからである。従来一般に慣習法が制定法を廃棄するといわれている場合は，実は制定法が規定している社会関係と異なった異別の社会関係について新しい慣習法が成立した場合にほかならないのである。元来すべての法律規範は一定の典型的社会関係を想定しつつ，これを規律すべきものとして定立されているのであるから，本来一定の社会関係を想定して定立された法律規範といえどもその社会関係が変じて異種の社会関係に転化するとき，法律規範それ自体としてなんらその妥当性を失わないにもかかわらず，その規律の対象たるべき社会関係を有せざるに至るものである。そうしてかくのごとき場合には転化した新しい社会関係を規律すべきものとして新しい慣習法が成立するのであって，漫然と常識的に観察すると同一の社会関係について従来規律した国家的法律規範が新たに成立した慣習的法律規範によって廃棄されたようにみえるけれども，実をいうと在来の国家的法律規範はそれ自体毫もその妥当性を失わずして存続しつつただその規律の対象たるべき社会関係を失うと同時に，新たなる社会関係について別に新たにこれを規律すべき慣習的法律規範が発生したにすぎないのである。その結果国家は――後に述べるとおり――政策的にその新たに発生した慣習的法律規範を国家的に借用するを合目的的とするや否やを考慮すべき立場に置かれるわけであるが，その種の法律規範が制定法的規範を廃棄して当然に国家的に妥当するに至るようなことは理論上絶対にありえないのである〔註６〕。

　〔註６〕　慣習法が国家的制定法を廃棄するや否や（derogatorische Kraft des Gewohnheitsrechts）に関する論争についてはNeukampf前掲論文９４頁以下参照。

　　　従来学者のうちには国家的制定法の自然消滅を認めるものが少なくないけれども，この場合においても制定法がそれ自体自然的に消滅するものでなくして，制定法の妥当すべきものとして想定した典型的社会関係に相当すべき社会関係が事実上存在せざるに至ったため当該制定法がその適用せらるべき機会を失ったにすぎない。外観上同一性を保持しているようにみえる社会関係でも法的規律の対象としてはほとんどその同一性を認めえないほど根本的に変化を受ける場合が少なくない。この場合には在来その社会関係を規律すべきものとして定立された法律規範はその規律対象を失って実際上消滅したと同一の結果におちいるけれども，法律規範として当然にその法的妥当性を失うものではない。

３

　解釈法学はまずその対象たるべき法律秩序を論理的に整頓された１つの規範体系として形成することから出発せねばならぬことは上述のとおりである。しかるに歴史上存在した一切の解釈法学は，それ自体すべてある一国の国家的法律秩序の理解を目的とするものであるにもかかわらず，以上の考えかたによっては理論上とうてい国家的に妥当すと認めがたい幾多の法律規範に妥当性を認めており，また認めざるをえない立場に置かれている。しかもそれは解釈法学がすべていずれかの国の政治に奉仕することを目的とする実用科学であることから由来する当然の結果であって，解釈法学のこの性質を理解せざるかぎり解釈法学における法源の問題はとうていこれを解決しえないのである。

　歴史的事実としての法律秩序はすべていずれかの政治に法的規律を与えるものとして存在する。しかるにすべての政治は孤立的に存在し作用するものではなくして，常に必ず他の幾多の政治と交錯して存在し作用する。したがって社会上起生する1個の事実が甲政治上の法律事実であると同時に乙政治上の法律事実でもあることが可能であり，その結果その同じ事実が甲政治上の法律規範によって規律せらるると同時に，乙政治上の法律規範によってもまた規律されることが可能である。それはあたかも一点を横切る平面は無限に存在しうるが，その同じ一点が甲平面上の点としては甲平面の一部として考えられると同時に，乙丙等他の平面上の点としてはそれらそれぞれの平面の一部を成すものと考えられるのと似た事柄であって，同一の社会的事実が同時に２個以上の全く体系を異にする法律規範によって規律されるのである。この場合これら２個以上の法律規範は論理的には全く体系を異にし全然別個にして無関係なる根本規範を窮極の妥当根拠として法的妥当性を主張するのであるが，事実としての政治は互いに相交錯するがゆえに実際上互いに相関系せざるをえない。甲政治がそれと関係する乙政治を全然度外視することは事実ありえないし，また甲政治そのものの立場から考えても合目的的でない。甲政治は政策的理由から乙政治上の法律規範を借用して甲政治上に妥当せしめることを事実上強制されるのであって，この事実を正しく認識することこそ実に解釈法学上の法源論を正当に構成するについて絶対的に必要である〔註７〕。

　〔註７〕　このことは国家内の小社会に起生した事実が一面その小社会の法律規範によって規律せらるると同時に，国家的法律規範によっても規律さえるという事実をみるによって容易にこれを理解しうる。例えば一部落内のある事実がその部落における慣習的法規によって「村八分」なる法的制裁に値すと判断される場合に，その同じ事実に対して国家は理論上その独自の立場から全然別個の法的判断を与えることが可能である。この場合国家もまた部落もそれぞれ自主的にその規律を主張しうべきであるが，例えば国家といえども政策上部落規範の規律を認めることが国家的立場からみてかえって合目的的なりと考えられる場合が少なくない。例えば国家的実力の実際上及びえない部落において，しいて国家的規律を主張するよりは，事を部落それ自体の自治的規律に放任することが政策上かえって合目的的なりと考えられる場合が少なくないのである。

　かくのごとき異別の法律秩序上の法律規範を政策的に借用する関係はこれを大別して，国際的法律秩序と国家的法律秩序との関係，対立する２個の国家的法律秩序相互間の関係，および国家的法律秩序と国家内に存在する社会的法律秩序との関係の３とすることができる。

　まず第１に国際的法律秩序上の法律規範は国際政治上の法律規範であって，国家的法律秩序上の法律規範とは全然妥当根拠を異にする別個のものである。それにもかかわらず，ある一国がその政策的見地から考えて国際法上の規範を借用してその国家においてこれを妥当せしめることは可能である。しかしこの場合といえども，その借用関係は国家が全く自主的にこれを決定しうるのであるから，いかなる条件のもとに借用するかもまた国家が自主的にこれを決定しうべきは当然であって，ドイツ憲法第４条が「一般ニ承認セラレタル国際法上ノ法則ハドイツ国法ノ拘束的構成部分トシテ妥当ス」と規定しているがごとき，この種の借用関係を規定した法規として最も代表的なものである。

　第２に，国家的法律秩序相互間の借用関係は従来一般に国際私法と称せらるる法規によって規律されている。各国が渉外的事件に対して法律的判断を与えるについては，本来その国の法規を規準とすべきこともとより当然であるにもかかわらず，事件の渉外的性質にかんがみて一定の条件のもとに外国法を借用妥当せしめることが政策上合目的的なりと考えられる場合が少なくないのであって，その借用関係を規定したものが各国の国際私法的法規であって，わが法例第３条以下の規定のごときまさにその一例である。

　第３に，国家的法律秩序と国内の社会的法律秩序との間の借用関係は，国家と慣習法との関係，国家と定款･内規･就業規則・労働協約等との関係，国家と新附領土・占領地等における在来の法規との関係等において現われる。そしてわが法例第２条が「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗ニ反セザル慣習ハ法令ノ規定ニ依リテ認メタルモノ及ビ法令ニ規定ナキ事項ニ関スルモノニ限リ法令ト同一ノ効力ヲ有ス」と規定し，明治４３年政令第１号が「朝鮮総督府設置ノ際朝鮮ニ於テ其ノ効力ヲ失フベキ帝国法令及韓国法令ハ当分ノ内朝鮮総督ノ発シタル命令トシテ尚其ノ効力ヲ有ス」と規定し，また大正１１年勅令第４０７号「台湾ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」第５条が「本島人ノミノ親族及相続ニ関スル事項ニ付テハ民法第４編及第５編ノ規定ヲ適用セズ，別ニ定ムルモノヲ除クノ外慣習ニ依ル」と規定せるがごとき，すべてこの種の関係を規定したものであって，国家は政策的考慮から特にこれらの場合において国家的には当然に妥当しない社会的法律規範を借用して国家的に妥当せしむる旨を規定しているのである〔註８〕。

　〔註８〕　しかしこれらはすべて政策的の問題であるから，各政治はそれぞれ自己の政策的見地から異別体系上の法律規範を借用するや否やを自主的に決定しうるのである。このゆえにプロイセン普通国法（ALR）のように慣習法の国家法的妥当性を否認する態度も可能であり，また反対にわが法例第２条のようにある条件のもとにこれを是認する態度も可能である。これらの態度はいずれも政策学的批判の対象になりうる。しかもそのいずれの態度もが理論的に可能なのである。国家がこれらのうちいずれの態度をとるべきかはすべてその際における政治的事情に応じて各国がそれぞれ政策的かつ自主的に定めうる事柄である。

　第１９世紀全般を通じてドイツは慣習法の法源性に関して最も激しい論争を経験した国であるが，その論争によって与えられたものが結局慣習法が社会法律規範たる性質を有する理由を説明すること以上に及んでいないのは，要するに如上の理が理解されなかったためであると思う（ドイツにおける慣習法論の概観についてはNeukampf前掲論文参照）。

　　　もっともサヴィニーはつとに「法源に関する原則は公法的なものであるから，ローマ法におけるその原則もドイツには適用されない」という趣旨を説いている（Savigny, System, Bd.1, S. 165）。また上記のノイカンプは同様に法源論は憲法上の問題であることを強調している。彼らは未だ必ずしもこれを政策上お問題だとはいっていないけれども，しかもこれを公法的問題であるといっており，したがって何を法源と認むるかは各国がそれぞれ自主的に決定しうべき事柄であることを暗黙のうちに認めているのである。

４

　上述のごとく国家は幾多の場合において純粋法学的にはむしろ異別の法律秩序に属するものと解せらるべき法律規範を政策的考慮から特に国家的に借用妥当せしめる旨を規定している。しからばこの種の借用は特に明文をもって規定された場合にのみ認めらるべきものであろうか。

　例えばわが現行法は上述のとおり，慣習法の国家的借用に関して法例第２条の規定を設けているにもかかわらず，定款･内規・就業規則・労働協約等に関して起こりうべき同様の問題に関してなんらの規定をも設けていない。従来通説は契約法理によってこれらのものから生ずる拘束力を国家的に承認する態度を示しているけれども，本質的には法律規範であるものは国家もまたこれを法律規範として取り扱わねばならない。例えば就業規則は向上における法律規範であって，職工がその規律のもとに立つのは当該工場の職工たる身分を有する当然の結果である。特に職工がその規律に服すべきことを約したるがために生ずる結果ではない。はたしてしからば国家もまたこれらのものを法律規範として取り扱わねばならないのは当然であって，契約法理によってその拘束力を国家的に承認するゆえんを説明せんとするがごときは根本的に間違っている。

　しからば，これらの国家が特に借用関係を規定していない社会的法律規範は全然国家的に妥当するものと解すべき余地がないのか。否。すべて国家の法律政策においては同様のものは法律上同様に取り扱われることが合目的的である。それは法の性質から結果する当然の原理であって，法律政策においては司法政策はもちろん立法政策においてすらこの原理が政策的価値をもつのである。そうしてこの原理の司法政策的適用を名づけて学者は「類推」というのである。類推はそれ自体決して法の適用ではない。類推によって得られる結果は論理上決して法律規範を大前提とする法律的推論によって到達されるものではない。それにもかかわらず学者が一般に類推を当然の法律的原理として認めているのは，法そのものの性質がこれを要求しているからである。元来，法の権威はその規定する内容が「正義」に合致するということよりはむしろ同様のことに対しては同様の法律的取扱いを与うべきであるという「公平」の要素によって保持されているのであって，司法政策上類推が価値を有するのはそれがためである。

　はたしてしからば慣習法の国家的取扱いに関して法例第２条の規定を設けている国家は慣習法以外の社会的法律規範の取扱いに関しても同様の態度をとるべきが当然であって，われわれはこの理を根拠として定款・内規・就業規則・労働協約等の国家的に妥当するゆえん，およびその規準を理解しうるのである。けだし，いわゆる慣習法はこれを発生的に観察すると必ずしも常に社会永年の慣行によってのみ発生したものとは解しがたい。あるいは当該社会における権力者の命令によって発生し，あるいはその社会における有力者の協定によって発生することもありうる。発生過程の如何にかかわらず国家的権威を背景とせずしてしかも社会上法として権威を有するものが慣習法にほかならない。はたしてしからば，いやしくも社会上法として権威を有するものに対しては，それがいわゆる慣習法ではなくとも国家は慣習法に対すると同様の態度をもってこれに同様の取扱いを与うべきが当然であって，慣習法に関する法例第２条はすべてその他の社会的法律規範に対しても類推適用せらるべき合理的根拠を有するのである。

　なお法例第３条以下は一定の事項について外国法の国家的妥当を規定しているが，われわれはさらにこれらの規定の類推によって特に明文上規定せられざる事項についても同様の基準によって外国法の借用的妥当を認めうるのである。国際私法学が法例第３条以下の規定するところを越えて各種の渉外的事件について一定の外国的法律規範の妥当を主張しうるのはけだしこの原理にもとづくのである。

５

　判例法の法源性も「類推」の原理によって説明せらるべきものである。判決はすべて与えられたる具体的社会関係に妥当するものとして，創造された法律規範の適用として現われる〔註９〕。その法律規範は当該事件にのみ適用せらるべきものとして創造されるのであるが，裁判所が一度ある具体的社会関係を規律すべきものとして１つの法律規範を創造した以上，後に至ってその社会関係と精確に種類を同じうする他の社会関係に関して事件が起こった場合に，その法律規範を適用して同様の判決を与うべきは，法的安全の保持を最大の使命とすべき司法政策上の理由から考えてきわめて当然である。このゆえに「類推」がそれに関してなんら実定法的根拠をもたないにもかかわらず解釈法学上当然の原理として一般に認められていると同様の理由によって，われわれはまた判例の法源的価値を認むべきである。けだしかくすることによってのみ司法の基本的要請たる判決の不動揺（consistency of judicial decisions）すなわち法的安全の保持をはかることができるからである。

　〔註９〕　私の「法律解釈に於ける理論と政策」（民法雑考１頁以下ことに３４頁参照）。

　かくのごとく判例法の法源性は法したがって司法政策それ自体の本質に根拠を有するものであるから，その法源としての実用的価値も政策的考慮によって決定せらるべきである。その結果われわれは判例法に関して次のごとき諸原則を考えることができる。

　まず第１に，判例の法的価値はもっぱら法的安全の保持に存するのであるから，法的安全の要求と法的正義の要求との較量上，むしろ後者がいちじるしく感ぜられる場合には，判例を無視して新判例を与えることが可能である。けだしかくのごとき場合には法的安全の要求をきくよりはむしろ法的正義の要求に従うことが司法政策上合目的的なりと考えられるからである〔註１０〕。

　第２に，１回の判決もなお判例法を創成するに足りる。けれども同種の判決がしばしば繰り返されると，それによって創成された判例法がいよいよ大なる法的価値を取得するに至る。けだしかくのごとき判例法は法的安全の保持上いよいよ強い力を有するに至るからである。

　第３に，判決は下級裁判所のものといえどもなお判例法を創成する。全国の裁判所は政策上同一歩調をもって行動することが合目的的である。みだりに異を立て新を競うがごときは裁判所の最も慎むべき事柄であって，裁判所は常に全国一般の裁判所と歩調を合わせることに努力せねばならぬ。もちろん上級裁判所ことに大審院は審級の関係上同一事件における下級審判決を破毀しうべき権限を有しているけれども，この場合においてもいたずらに下級審判決を学理的に批判することにのみ専念するがごときは大審院の最も慎まねばならない事柄である。大審院は一面大審院みずからの判例を顧みる必要あると同時に司法の全国的統一に注目すべきであって，かくしてこそ初めて法的安全保持の最高責任者たる職責を十分に尽くしうるのである。裁判所構成法第４９条が「大審院或部上告審問後法律同一点付曽一若二以上部於為判決相反意見其部之大審院長報告大審院長其報告因事件性質従民事総部若刑事総部又民事及刑事総部聯合之再審問及裁判命」（現行裁判所法１０条および最高裁判所裁判事務処理規則９条参照）と規定しているのは，法的安全の保持上実際的に最も価値をもっている大審院判例の不動揺を保障することを目的とする政策的規定であって，この制度あるのゆえをもって大審院判決による判例はいよいよその権威を取得するわけであるが，大審院の特に注意すべきはこの規定の精神を実質的に実現することでなければならない。このゆえに大審院もまた常に判例法の全国的動きに注目する責任がある。そうして判例法をして全国的に統一あるものたらしむべく努力せねばならぬ。この規定が明文上ただ「判決」と記しているのゆえをもって「決定」に関して聯合部を開かざるがごときもまた明らかにこの規定の精神を無視するものといわねばならない。

　〔註１０〕　前判例をくつがえして新判例を樹立することは英国法の理論として認めざるところである。しかし実際的には行われているのであって，学者はこの現象を説明して，かくのごときは判例法の廃止にあらずして存在すと想像せらるる判例法の存在を有権的に否定（authoritative denial）するものにほかならないといっている（Salmond前掲書１９７頁）。

　なお従来判例の変更なりといわれている多数の場合を研究してみると，実は判例の変更ではなくして，判決の対象たる事実が前後相違しているため判決によって創成せらるべき法律規範がまたおのずから異ならざるをえないと考えられる場合が少なくない。判例法はすべて具体的事件について成立するのであるから，それと精確に種類を同じくしない事件に対してそのまま妥当しないのは当然である。かくのごとき場合には新事件に対してその事件の性質に相応して新しい判決が与えらるべきが当然であって，この結果生まれるものは新判例法であって，旧判例法の否定ではない。従来わが国の学者ならびに裁判官の間に判例法の取扱上この種の考慮を怠る傾向があるのははなはだ遺憾である。

６

　以上の考察によってわれわれは従来解釈法学によって一般に法源性を認められていたもののうちに完全に区別せらるべき２つの種類あることを知りうる。その１は当該解釈法学の対象たる法律秩序において当然に法的妥当性を主張しうべき法律規範であり，その２は当該解釈法学が奉仕する政治の政策的要求によって法源的価値を付与せられるものであって，この区別あることは実に解釈法学が本質上常に必ずなんらかの政治に奉仕し，それに対して司法政策的の指導原理を与えることを目的とする実用科学であることに由来するのである。

　従来の通説は解釈法学のこの本質を十分理解しないために，あるいは法律規範の妥当関係を明らかにして解釈法学の対象たるべき法律秩序を精確に規定することを怠り，またあるいは純粋法学的に法律秩序を論理的に矛盾なき規範体系として構成することにのみ専念して，解釈法学の実用科学であり，政策的要素を多分にもっていることを忘れる傾向を示している。前者の不可なるはもとより，後者もまた解釈法学の本質を精確に認識せざるものといわねばならない。私は解釈法学がこの互いに相反する２方面の欠点を脱却するとき，実用科学としてのその科学性を完全に発揮しうるに至るであろうことを信じて疑わないものである。

法源としての学説

１

　解釈法学上，学説はこれを法源の１つと考えることができるか。この問いに対するわが国通説の答えは「否」である。しかるに他方，法律解釈論として解釈の創造的作用を認むる傾向はむしろ漸次に強化しつつある。この２つの事柄の間になんらの矛盾なしといいうるであろうか。学説が実質的に法の創成に寄与することを認むる以上，その寄与はいかなる形式において行われるのか，レーゲルスベルガーの適切な言葉をかりていえば，学説は単に法的意見（Rechtsansichten）を述べるにすぎないのか，それともまた法的原則（Rechtssӓtze）を作るのであるか，「裁判官が法的意見によって裁判せずして法的原則によって裁判する」と同じように，法学者もまた「法の内容」（Regelsberger, Pandekten�T, S. 88）。学説が法の創成に寄与するという意味が単に法的意見によって間接に法の発展に貢献するというだけのことであればすなわちやむ，いやしくも学説から直接法的原則が生まれるというのであれば，そのいかにしていかなる形式において生まれるかの点を理論的に明らかにする必要がある。

　学説の法源性に関する問題を全般的に論ずるためには，法律史および学説史上の事実について特に叙説を要すべき事柄が少なくないのであるが，本稿においてはもっぱら現代においてはなにゆえに学説の法源性を否定する意見が通説をなしているかの点を理論的に討究して，この問題がいまだ決して窮極的に解決しつくされているものでないことを明らかにすることに論述を限局したいと考える。

２

　学説史上当面の問題が最も顕著な形で論議の対象となったのは第１９世紀前半におけるドイツ法学界であるが，当時同国法学界の大勢を制していた歴史法学派の法に関する見方から始まって，法を社会の所産と考え，法学の研究対象たる法を社会の内的秩序として現にその社会の社会関係を規律する法それ自体なりとする実証的社会学的法律思想が漸次に有力化したことが，学説の法源性を否定する考えを通説化するに最も力強い影響を与えたのである。

　実在の社会関係はすべて法によって規律されている，その法的規律あるによってのみ社会は成り立ちうる。この理が明らかにされたのは法の社会学的研究の結果であるが，もしも解釈法学的意味における法，すなわち裁判その他法的判断の典拠たるべき法がこの社会学的意味における法と同一物でなければならないとすれば，学説から直接法が生まれることを認めえないのはもちろん，立法から社会学的意味における法が生まれることさえ容易にはこれを説明しがたい。このゆえに法をもって民族精神（Volksgeist）の発現にほかならずと解し，法は習俗・言語と同じく一般的人間関係のひろい基礎の上に民族生活のうちから発展しかつ民族共同意識のうちに活きているという考え方を提唱したサヴィニーは立法からいわんや学説から法の生まれるゆえんを説明するについて相当の苦心をしているのである。

　サヴィニーはいう，「立法者は民族法（Volksrecht）の機関である」，立法者は民族のそとに立つものにあらずしてその中心に立つもの，したがって「民族の精神・意向・需要を自己のうちに集中」しているものである，このゆえにわれわれは立法者を「民族精神の真の代表者」（wahre Vertreter des Volksgeistes）と考えねばならない（Savigny, System des heut. rӧm. Rechts, Bd. �T, S. 39）。この考え方は当時一般に行われた素朴な代表原理による説明にほかならないのであるが，その後国家の異常なる発展に伴って，その間に理論の形式に多少の変化こそあれ，漸次に通説化して今日に及んでいる。

　次にサヴィニーは学説の法源性を説くについても同じ代表原理を利用している。いわく，法発生の当初においては民族それ自身のうちから直接に法が発生するけれども，文化の発展につれて民族のすべての活動が漸次に分化し，かつては共同的に行われていたことが各種階級に分属するようになると，法のためにも法曹（Juristen）なる特別の階級（Stand）が生まれることになる。かくしてかつては民族全体の意識のうちに生きていたものが法曹の意識に帰属するに至り，この点において民族が法曹によって代表されることになり，法は「その大綱においては民族の共同意識のうちに生存をつづけつつ，その個々の詳細なる仕上げおよび適用は法曹階級の特別の仕事となる」（Savigny, Vom Beruf unserer Zeit für Gesetzgebung und Rechtswissenschaft, S. 12 ff., System des heut. rӧm.Rechts Bd. �T, S. 14）。

　つまり本来は民族全体の精神の発現にほかならない法が，社会の複雑化，したがって社会的分業の発達につれて漸次に一部分民族の代表者としての法曹の手に移動し，かくて法曹の手に帰した法が代表（Reprӓsentation）の原理によって民族の法とみなされるというのがサヴィニーの説明であるが，この同じ考え方はプフタによっても述べられている（Puchta, Gewohnheitsrecht, �T. Theil SS. 165-166, �U. Theil SS.18-20）。

　このサヴィニーおよびプフタの解説に理論的無理があることは今日からみれば初学者といえども容易に指摘しうるところであるが，当時彼らにしてなおこの種の解説をなさざるをえなかったゆえんのものは，ドイツの当時の政治･法律･社会の諸事情が一面において法を民族精神の発現として解することを要求しつつ，同時に他面，学説の法源性を肯定する実際的必要が存在したからである。そうして彼らは当時の政治ないし法律思想として一般に力をもっていた代表の原理を利用してこの２つの要求の矛盾を解決せんと試みたものにほかならないのである。

　このサヴィニーおよびプフタの解説に対して当時ただちに有力な批判を加えたものはベーゼラーである。彼はサヴィニーが法曹階級の発生を社会進化の一般的過程として説明していることが歴史的事実に反することを主張し，特に法的知識を有する者が法の取扱上重用されたことはいかなる時代についても認めうる現象であると同時に，文化の発展とともに必ずしもすべての国に特別の法曹階級が発生したとも認めがたいと説き，ローマにおいて法曹階級が法律制度全体の上に支配的勢力をもっていたのは特に帝政時代の政治的特質と関連して発生した特異の現象にすぎないし，政治理論的にみても決して理想的な望ましい事柄ではないと主張する。かくして彼は真の法創成が法曹によって行われるのは，帝政ローマにおけるがごとく，特に法曹が意識的に法の創成に参加することを認められた場合か，またはローマ法承継時代のドイツにおけるがごとく，法曹によって承継され，そうして改造されたローマ法に対して慣習法が「法的裁可」（rechtliche Sanktion）を与えた場合に限ると説明している（Beseler, Volksrecht u. Juristenrecht, S. 67ff., S. 85ff.

）。

　そうしてこのベーゼラーのサヴィニーおよびプフタに対して加えた批判を遠く後代において再び取り上げたフランスのジェニーは，ベーゼラーの所説に対して一応の敬意を表しつつその所論の不徹底を指摘して，法曹階級それ自身に直接慣習法を創成する力なきことを指摘し，法は生きた生活からのみ発生するのであって，理論的思弁から発生するものでないこと，なお自然科学がその発明の資料として利用する自然的要素をみずから創成しえないのと同様であると説いている（Gény, Méthode d’interprétation, t. �U, p.62 et suiv.）。

　かくのごとく歴史法学派以降の法学者はすべて社会学的意味における法，すなわち社会の内的秩序としての法をおって法学的意味における法と同一物なりとする。その結果サヴィニー，プフタの主張するがごとき代表原理による技巧的解説をもってするのほか学説から法が生まれることを認めえない立場に置かれているのである。したがってかくのごとき理論的立場に立つかぎり，学説の法源性を認めることは理論的に不可能であって，この問題を論議の対象とするためには少なくともまず如上の立場を捨てて，解釈法学における法源の意味について別段の考慮を加える必要がある。

３

　次に当面の問題を考えるについて見逃しがたいのは，１つの国家その他政治社会（以下は事柄を簡単にするため単に国家という）における政治の一部として行わるる裁判その他広義の司法的作用はその国家ないし社会の内的秩序たる法を規準として行わねばならぬとする思想が現代法学上の通説をなしていることである。

　この思想によると，一国の裁判はその国の主権に妥当根拠をもってその国に妥当する法のみがその国における裁判その他法的判断の典拠となりうる。ところが一国がいかなるものをもってその国における裁判その他法的判断の典拠とするかはその国の法政策的考慮によって任意に定めらるる事柄であって，慣習法その他直接当該国家の主権に法的妥当の根拠を置かない法に典拠力を認めた事例も随所にこれを見出すことができる。

　例えばわが法例第２条は一定の条件のもとに慣習法に「法律ト同一ノ効力」を認めているが，元来慣習法はその行わるる社会それ自体の社会力に法的妥当の根拠を置くものであって，国家がそれに対していかなる態度をとるかに関係なく，それ自体として法的性質を有するのである。法例第２条あるの故をもって，法にあらざるものが法となるのでもなければ，国家法にあらざるものが国家法になるのでもない。国家のそとにおいて性質上法たるものを国家がその独自の法政策的見地から法源と認めて，これに国家的裁判その他法的判断の規準たるべき地位を認めているにほかならないのである。

　なお例えば，一国が新たに領有した土地の上に政治を行う場合において，その国がいかなる法によって裁判を行うかもその国みずからが法政策的見地から任意にこれを定めうるのであって，その国みずからの法によって裁判すべきことを定めることができるのはもちろん，従来その土地に行われた慣習法によると定めることもできれば，またそれまでその土地を統治した国の法をそのまま適用すると定めることもできる。「台湾ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」（大正１１年勅令４０７号）第５条が「本島人ノミノ親族及相続ニ関スル事項ニ付テハ民法第４編及第５編ノ規定ヲ適用セズ，別ニ定ムルモノヲ除クノ外慣習ニ依ル」と定めているがごときもこの１例であって，この場合にもこの規定あるの故をもってただちに慣習法が国家法となると解すべきではなくして，慣習法がそのまま社会の法としての性質を保有しつつ国家の裁判上典拠として利用せらるるにすぎないものと解すべきである。

　以上は国家の裁判所が当該国領土内に行わるる社会の法を規準として裁判を行う場合であるが，さらに進んでは一国の裁判所が当該国家ないしその領土内の社会において全く法たる性質をもたない資料に法規を求める実例さえも数多くこれを見出すことができる。例えば明治初年のわが国裁判所は条理の名のもとにしばしば外国法に法規を求めた。民法典の規定は施行前すでに法規として裁判所によって利用されている。小作法草案の定むるところが小作争議の調停上，法と同様に利用されたことも顕著な事実である。

　ユスチニアーヌス法典の西欧諸国への影響ないし継受，同法典の解釈なりとして学者の説いたところが法規として裁判上法源性を認められたこと等この種の事例をひろく世界に求めればほとんど枚挙にいとまがないほど数が多い。

　これらは要するに，法規の必要がるにかかわらず，自国の法律中にこれを見出すことができない場合に，政治的にいえば全くその国の法と認めがたい資料からまでも法規を求めることが法政策的見地から許されることを示すものであって，近代国家の発展に伴い法治主義的司法の思想が普及するにつれて，一国の裁判はその国の法令によってのみ行われるべきものなりとする考えが通説化し，その結果如上の事例をはなはだ異例視する傾向が有力になっているけれども，視野を現代国家の現実に限局せずしてひろく歴史を顧みれば，この種の考え方が結局単に現代国家に即した法政策的理想を物語るにすぎないことを見出しうるのである。

４

　以上に述べたとおり，現在の通説は一方において解釈法学上の法と社会学的意義における法とを同一視し，同時に他方一国の裁判はその国の主権に妥当根拠を置く法によってなさるべしと考えているから，学説の法源性を問題にすることさえ理論上不可能な状態に置かれているのである。

　ところが現実をみると，近代諸国の法についても至るところにスイス民法第１条にいわゆるbewӓhrte Lehre und Ueberlieferung (solutions consacrées par la doctrine et la jurisprudence)が法の根幹をなして力強く存在するのを見出す。学説判例をとおして伝統的に発生確立した法的原則が技術的自然法とも称せらるべき法的公理として，しばしば国境を越えてまで，法一般を支配し，単に過去より伝統して現在を支配するのみならず，さらに判例学説をとおして日に日にその生長をつづけてゆく事実を見逃しがたい。

　まず第１に，この法的原則と立法との関係を考えると，近代諸国の立法にして伝統的な法的原則を主要材料として構成されていないものはほとんどない。立法者はしばしば判例学説を排斥する。例えば１７９４年のプロイセンAllgemeines Landrecht 序章第６条には「今後ノ裁判ニ於テハ法学者ノ意見又ハ以前ノ判例ヲ顧慮スベカラズ」との規定がある。これらは畢竟過去の法的混乱を整理せんとする法典編纂者の法政策的見地から出た規定にほかならないのであって，これがため法典が実質的に過去の伝統から切り離されるのでもなければ，判例学説をとおして将来に向かって法的原則がさらに発生発展してゆくことをとどめうるものでもない。法典編纂の直後は一時学説の活動が停止して純粋に註釈的な仕事のみが学者の仕事であるがごとき観を呈するけれども，その間においても解釈の名のもとに日に日に新しい法的原則が創成されてゆくのであり，時日が経過するにつれてその傾向は漸次に強化するのである。

　次に判例と学説とは両々相俟って法的原則を創造する。判決はしばしば学説中に法的原則を求めるが，学説はまた判決中に言い表わされた法的原則に批判を加えてこれを純化し一般化し補足して一般的妥当性の強い上位の法的原則を形成し，かくしてbewӓhrte Lehre und Ueberlieferungが作られてゆくのである。

　なお慣習法が社会学的意味における法として現に社会を規律している事実はなにびともこれを否定しえないけれども，慣習法上の規範が解釈法学的意味における法的原則化してゆく過程を事実について観察すると，そこに必ず裁判官ないし法学者がその法則化に参加していることを見出す。社会の内的秩序としての慣習法がただちに自働的に自然に法的原則化するのではない。裁判官ないし法学者がこの内的秩序としての法を資料として法的原則を形成し，かくして初めて解釈法学的意味における法ができあがるのである。

５

　パウンドは「われわれは法規と並んで，そして法の一部として，技術のみならずさらに，理論および理想に関する教へられた伝統なる素因のあるのを認めざるを得ないのである。この教へられた伝統こそは，法規をして実効的にその機能を果さしむるものであり，また法規による正義達成を可能とならしむるものである。成熟または発達した法は，国家，すなわち権威的な立法機関と永続的な裁判所とを具へた政治的に組織された社会の存在を措定するのみではない。それはまた職業的な法律家，すなわち，弁護士および訴訟代理人のみならず，教へられた伝統を論理的に展開し，解説して，それを後世に伝へる理論的著作家および教師の存在をも措定するのである。法の歴史において重要な出来事は，法規のみならず，法がなんであるかを示してくれる専門法律家の興起なのである」（高柳氏訳Pound, The future of law, pp. 47-48）と述べているが，これこそ学説の法源性に関する最も率直な所説である。

　現在わが国の通説は一面において解釈の法創造性を認めんとする傾向に向かいつつ，そのいわゆる法を社会学的意味における法と同一視しているため，学説から解釈法学的意味における法が生まれるゆえんを理論的に認めえない立場に置かれている。その結果神学者がバイブルの教えるところを資料として神学的教理を形成したと同じように，ユスチニアーヌス法典の規定するところを資料として形成された法的原則が政治的権威と無関係にその実質的価値の故をもってそのまま法として権威を認められたるがごとき中世西欧諸国の事例を特異な例外的現象にすぎないと考えているけれども，特異なるものは当時これら諸国の政治事情であって，法それ自体ではない。元来，法源の問題は法政策的の問題であるから，政治事情が異なるにつれて法源に関する政策が変化を示すのは当然であって，法学者はその変化する政策の外形のみにとらわれて法源の問題を考えてはならない。今日わが国においても，bewӓhrte Lehre und Ueberlieferungは厳として法の一部をなしつつ日に日にその生長をつづけている。形式こそ違え，学説はこの意味において明らかに法源たる資格を保有している。レーゲルスベルガーがいうように，これに低位の法規（Rechtssӓtze mit minderer Geltungskraft）という名称を付すべきや否やのごときはむしろ末の問題にすぎない。

法律と慣習

１

　法律と慣行の関係いかんの問題をめざして各種の方法が学者によって提唱せられつつある。のみならず今ではそれら相互の間に批判が行われる段階にまで立ち至っている。必ずや近き将来それらの方法をとおしてそれぞれ相当の成果があげられるであろうことを私は期待している。

　しかし，それらの方法はいずれもある正しさをもちながら，しかもいずれか１つだけが排他的にその権威を主張しうるものにあらずして，いずれもその効用において局限をもっている。したがって，それらの各個についてそれぞれその局限を検討しながら，そのすべてを併用することがおそらくは目的達成の最も正しい仕方であるように私は考えている。

　したがって私は今まで諸学者によって提唱された方法のほかにさらに別途の方法を呈示して諸君のお考えを願うことが必ずしも無意味でないと考えるのであって，その意味において私はここにかねがね考える「慣行調査による方法」の骨子を説明して諸君の批判を乞うしだいである。この方法もむろんその効用においてある局限をもっているに違いない。しかし他の方法と並んで，他の方法ではとうてき得られないある特別の成果がこれによって得られる見込みがあると私は考えている。

　私がこの方法に思い至った主たる動機は，数年前東亜研究所の委嘱によって北支の農村慣行調査を開始するにあたり，まずその準備として従来各方面において行われた慣行調査の報告書類や，慣習法理論に関する多くの文献を渉猟している間に，だんだんと「社会秩序の力学的構造」なる構想が熟してきたことに関連している。

　よって以下にまずその構想の概略を説明するため，右調査準備書の一節を引用したい。

「法的慣行は如何なる態様に於て存在するか。」

　「本調査は現在の支那社会に実効性をもっている法規犯，即ち現在の支那社会諸関係を現に規律し成立せしめている法的慣行を，動きつつあるがままに如実に捉えることを目的とする。単に旧慣即ち既に死滅し若くは死滅せんとしつつある伝統的慣行を調査するのが吾々の目的ではない。しかし，調査の実施に当っては屢々一定の慣行が現に実効性をもつものなりや又は既に過去のものに過ぎざるやに付き疑いを生ずる場合少からざるべきことが予想されるから，凡そ法的慣行なるものが如何なる態様に於て存在するものなるかを理論的に考へて置く必要がある。」

　「法的慣行は所謂生きた法律に相当するものであるから，元来固定不動の形に於て存在するものではなくして，現実の生活と共に流動的に生きてゐるものである。伝統的にして従って固定的傾向をもつ在来の秩序と日に日に生成発展して已まない新しい社会形成力との接触面に不連続線的渦流の形で発生し動きつつあるものこそ法的慣行存在の実相に外ならないのである。殊に現在の支那に於けるが如く，一面に於て遠い過去に由来する伝統的要素が依然として力強く残って居り，而かも他面に於て政治的，経済的其他各種の原因から日々起生しつつある革新的要素が力強く働いてゐる場合に付いては，其処に発生する渦流の広さおよび動きも相当大きいものと考えねばならないから，それを記述的に捉へるについても不絶其点に留意し，伝統的なものと革新的なものと相争ふ様を画きつつ，実相を動きのままに画き出すことに全力を尽す必要がある。死滅しつつある法的慣行，起生しつつある法的慣行，それ等をその動きつつある方面に留意しながら画き出すことが吾々にとって最も重要なる任務であると言はねばならない。」

　すなわち実在の社会秩序は静止不動の形において存在するものにあらずして，各種社会力の力学的な相剋持ち合いによって成り立っている。一定の社会に規律を与えるために働きかけている政治力は，その社会に固有な伝統力ならびにその社会を支配する社会法則・経済法則と接触しながら，一定の秩序を形成しつつある。その状あたかも高気圧と低気圧とがその接触面に不連続線的の渦流を形成するに類似し，一見静的に安定していると思われるものも実は相剋する力の持ち合いにすぎず，多くの場合には力と力とが互いに働き合いつつ絶えず安定を求めながらも安定と動揺との連続のうちに動きながら秩序が形成されてゆく。比較的固定した社会においては力の平衡によって安定した秩序が継続的に定立されるけれども，ここでもその安定は力と力との持ち合いによって成り立っているのである。これに反し，多少とも変転期にある社会においては力と力との相剋による動揺が目立つけれども，この場合でもその動揺の間に絶えず安定を求めながら秩序が形成されてゆくことが見出される。

　生きた法律としての法的慣行は実にかくのごとき在り方において存在するのであって，この事実を認識しながら特定社会の法的慣行を調査するとき，われわれはその社会の特質を理解しうると同時に，その社会における政治力の現われとしての法律がその社会に働きかけている実相を機能的にとらえうるのである。

　中法政府の政治力の社会に対する滲透不充分な支那社会について，その特質を理解する１つの方法として，以上の観点よりする法的慣行の調査を行うべきことをわれわれが提唱したのは実にこの理にもとづくのである。

２

　しからばこの種の方法を用うるによって，われわれはいかにして日本法理の特質をとらえうるか。

　その理を明らかにするため，物理現象の比喩を用いる。一定の物に一定の力を加えると一定の抵抗がある。したがってその抵抗を測定するによってその物の性質を探知しうることは周知の事実である。最近地下資源を迅速簡易に探知する方法として大いに利用せられつつある物理深鉱法は実にこの理の応用にほかならない。またプリズムをもって特定の星が発する光を分析するによってその星を組成する物質を探知する方法もまたこの理を応用したものにほかならない。

　われわれはこの理を社会現象に類推して社会の特質を探知しようというのである。例えばわが国においては，明治維新このかた一方において欧米の文化が輸入されるとともに，それに特有な経済法則・社会法則が逐次に流入し，不可抗的の力をもって強くわが国社会を支配するに至った。それと同時に明治政府は欧米の法制に模倣して新たに各般の制度機構を立てたわけであるが，これらの新しい社会法則なり，政治力による新制度の実施に対して，わが国固有の伝統力ははたしてどの程度まで抵抗したであろうか。その抵抗の事情を事実について精確に測定しうるとせば，われわれはこれによってわが国固有の伝統力が何であるかを探知しうるわけであり，これによってわが国社会の特質を明らかにしうると同時に，ひいてはわが国社会に妥当する法の特質を考える基礎を与えられるわけである。

　以下に具体的に例をあげてその理を説明する。

　まず第１に，われわれは判例を研究するによって，裁判官がそこで駆使している法理念と法技術との実情を知ることができる。その裁判官はすべて欧米風の法学によって教育されたものであり，その運用する法令もまた主として欧米のそれに模倣して制定されたものである。それにもかかわらず，彼らがその運用の間に示している法理念は必ずしも欧米のそれと一致することなく，駆使する法技術にもおのずからわが国らしい特質が見出される。これらの特色を精確に蒐集し分析するによって，われわれは一面において裁判の対象たるわが国社会の諸事情がそれに固有なる特質のゆえにおのずから裁判官を動かして裁判の上にかかる特色を現わさしめる理を捕捉しうるとともに，他面においては日本人としての裁判官に特有な法的の考え方が何であるかを察知することができる。かくしてわが国の社会に固有なる伝統の力と日本人としての裁判官とが欧米風の法制と法学に対して不知不識のうちにいかに抵抗したかを知るによって，よかれあしかれ法学の日本的特質を科学的に測定しうるわけであって，この意味においてわれわれは明治このかたの判例を個々について具体的にしかも全体として組織的に研究する必要を痛感し，なにびとかの手によってその仕事が実行されることを希望してやまない。

　第２に，われわれはわが国についても民間の法的慣行を調査するによって法律が実際上どの程度まで行われているかを知り，これをとおしてわが国社会の国家的規律に対する抵抗力，したがってその特質を知ることができると考えている。およそ一国の法律が実際上をの社会に行われる程度は当該法律の社会的妥当性と当該国家の政治力の強弱とに比例して定まるべき理であるから，わが国のごとく政治力の滲透程度がきわめて高い国においては法律の実際に行われる程度も支那などにくらべてはるかに高いわけであるが，それでさえ法律は必ずしも立案者が企図したとおり完全には行われないのが実情である。例えば民法新続編およびそう続編のごとき，特に戸籍制度の力をかりて実際上かなりの程度まで民間に徹底して行われているけれども，それにもかかわらず民間には法律の規定と異なる習俗が今なお相当ひろく行われていることを否定しえない。したがって，かかる習俗を科学的に調査すれば，それをとおして身分的規律に関しわが国の社会がいかに国家の法的規律に抵抗するかを知りうるわけであり，これによってわが国社会の特質，したがってこの社会に適合する法原理と法技術とを見出しうるわけであると私は考えている。

　これを要するに，判例なり民間の法的慣行なりを組織的に調査研究すれば，必ずや明治このかたわが国の法制ならびに法学を圧倒的に支配している西洋風の法理念ならびに法技術に対してわが国の人および社会がいかに抵抗したかを知ることができ，これをとおしておのずからおよそ法に関して日本的な特色を明らかにしうると私は考えるのである。

３

　以上に述べた私の考え方を正しく理解してもらうためには，従来わが国の一般教科書に記されている慣習法理論に対して一応の検討を加える必要があるように思う。けだし，それらの教科書は多くそのいわゆる慣習法の本体を明らかにすることなく，ただ漠然法源の１つとして法律のほかに慣習法の存在することを認めているにすぎず，しかもその慣習法は私のいわゆる生きた法律としての法的慣行と本質的に全く別のものであるように考えられるからである。

　従来一般の教科書が記すところによると，政治的に組織された社会としての国家によって制定され強制される有権的規範としての法律に対して，国家の政治力とは無関係に社会における永年の慣行をとおして発生し，したがって組織せられたる国家の政治力の代りに興論その他社会的諸力によって支持されている慣習法の存在することを認める。しかも慣習法は常に法律に対して劣位の関係に立ち，わずかに法例第２条，商法第１条の規定するがごとき範囲においてのみ，法律と同一の効力を認められるにすぎない。したがってまた慣習法は法律を廃止する効力をもたない。

　慣習法に関するこの種の考え方は，明らかに第１９世紀末葉におけるドイツ私法学の所説を継承するものであるが，しかもドイツにおける当時の慣習法論がその形をとるに至るまでの沿革を説くものほとんどなく，ことに第１８世紀以降ドイツにおける慣習法論がまず法律優位論から始まって慣習法優位論に移り，やがてまた法律優位論に復帰した学説変遷の裏面に働いた政治的契機を全く見逃していることは，なんといっても科学的にみて覆いがたい欠点であるといわねばならない。

　ドイツにおける慣習法理論の歴史的動きを回顧してみると，まず初めに第１８世紀末葉における法律優位論は，自然法論を武器とする当時の革新的政治力が理性の法的表現としての法律をもってすでに崩壊にひんしていた旧秩序の擁護者たる慣習法を打破せんとする政治論にほかならなかったことを見出す。したがって，そのいわゆる慣習法は判例をも含む旧秩序的法規範全体にほかならないのであって，今日われわれがいう生きた法律としての法的慣行とは全く別物である。

　次にサヴィニー，プフタを頂点とする慣習法優位論は，自然法論に対する反動として行われた立法反対論にほかならないのであって，その際行われた法典論争も畢竟旧秩序に伝来するgemeines Rechtをもってドイツ統一法を形成せんとする主張と自然法論にもとづく立法をもってドイツ国法を統一せんとする主張との争いにすぎなかったのである。したがって，その論争の主たる契機は政治的であって，そのいわゆる慣習法もまた今日われわれのいう生きた法律としての法的慣行とは全く別物である。

　さらに１９世紀末葉にける法律優位論は，当時着々として制定法体系が整備しつつあった実情に即応して生まれた司法政策論にほかならないのであって，国家の制定法体系がかくのごとくにして整備されることになれば，もはや慣習法の力をかることなしに「法律による裁判」が可能となり，またそのほうが司法経済的に考えても便宜であるという実情を反映しているのである。したがって当時の論争はもはや法律と慣習法との優位争いではなくして，ロマニストとゲルマニストとが法典編纂上優位を争う論争となっていたのである。

　これを要するに，第１８世紀末葉以降ドイツに行われた慣習法をめぐる論争は主として政治論であって，そのいわゆる慣習法はわれわれのいう生きた法律としての法的慣行とは別物であり，これに関する議論はほとんどすべて法律学が社会学･民族心理学等の洗礼を受ける以前の独断論であって，一般にいちじるしく科学性を欠いている。むろんその間にも例えばベーゼラーの『民族法と法曹法』（Beseler, Volksrecht und Juristenrecht）のごとき著作をとおして早くからわれわれのいう生きた法律に注意を向ける傾向のあったことはこれを見逃しがたいのであるが，大勢はほぼ上述のごとき状態にとどまっていたのである。

４

なお終りに，以上の議論において私はしばしば国家の政治力と社会を支配する社会法則との対立・相剋，したがってそれら相互間に成立する力の均衡ということを述べているが，それに関連して国家と社会との関係に関して従来ひろく行われている考え方に対して一応の批評を加え，この点に関する自説の一端を述べて，あらかじめ誤解を解く用意をしておきたいと思う。

　国家に対して社会の独自的存在を主張する考え方の原生態はすでに第１９世紀における歴史派の法律家の間にもこれを見出しうる。彼らは分析派の法律家がもっぱら政治的に組織せられたる社会の機関によって設定強制せらるる有権的規範をもって法なりとし，かかる組織せられたる権力によって直接支持せられざるものは法にあらずと考えるのに対して，政治的に組織せられたる社会とは全然独立した起源をもち，したがって主として法規の背後に存する社会的圧迫──輿論，服従の慣習，同輩の不満等──によって支持せらるる慣習的規範をもって法の本体なりと考え，これによって社会が国家の政治力，したがって政治組織を離れて独自的に法を生み出すことを認めているのである。

　しかし国家に対して社会の独自的存在を主張する考え方が，第１９世紀以降今日にかけて有力化した主たる原因は，第１９世紀以降隆々たる勢いをもって世界を風靡した世界経済が国家を無視して各国に経済的自然法則を強要し，各国内部の政治に対してかかる法則が不可抗的の力をもって優位を示し，経済法則・社会法則の支配する社会が政治に対して不可抗的な権威をもつに至ったという事実にあるのだと私は考えている。したがって国家と社会との対立を認める考え方は，一面において世界主義的であると同時に，他面においては経済の政治，したがって法律に対する優位を主張する唯物論的傾向に傾く。しかもその種の考え方が有力化した理由は，第１９世紀における世界，したがって各国の実情にかかる考え方を裏づけるだけの客観的事実が厳として存在したからである。

　したがって世界経済秩序が破綻し崩壊しつつある最近において，特にかかる秩序の世界的支配を否定する諸国の内部に，政治の経済に対する優位を主張する考え方が有力に擡頭するに至ったのは当然のことであって，これが国家と社会との対立を肯定する考え方を邪道視する思想を有力化せしめた主な原因である。そうして，かかる国々における政治がこの線に沿うて導かるべきは勢いの当然であると私は考えている。

　しかし，この国家と社会とを区別する考え方は，およそ国家のことを考究する方法として１つの長所をもっているのであって，それを全的に拒否するがごときは，科学的の態度といいがたい。けだし経済秩序の世界的支配を否定して事を一国内の問題としてのみ考えうるとしても，一国内にもまたおのずから一定の経済法則が行われ，社会法則が行われる事実はこれを否定しえないのであって，それらの存在を一応肯定しながら，その本質を明らかにした上，それを政治的に利用するところにこそ政治本来の面目があり使命があると考えられるからである。物質文化の方面においては，まず物理化学その他のいわゆる基礎科学によって自然を支配する法則を明らかにした上，その法則の利用しうべきものを適当に利用して文化目的を達成してゆこうとするところに技術科学の使命があると考えられている。これと同じように，われわれが政治・法律のことを考えるにあたっても，一応はまず基礎科学的の見地から経済法則・社会法則を明らかにすることに努力した上，それを政治目的に利用する方策を考察すべきが当然であって，実際政治は，意識すると否とに関係なく，常にかかる方法によって行われているのであり，実用科学としての政治学・法律学はこの方法によって研究せらるるによってのみ科学の名に値するものとなりうるのである。さもないかぎり政治は独善におちいり，政治・法律の学は独断におちいって，実際上の支障に逢着しやすく，実用価値を発揮しえないことになるのだと私は考えている。

　もちろん経済ないし社会法則は絶対のものではなくして，政治の立前如何によってはこれに相当の変化を加え宇部着物なることもちろんであるが，それにもかかわらずこれら法則の支配を全然無視して，何事も政治力をもって自由自在に形成しうべしと考えるがごとき思想におちいることは厳にこれを戒めねばならぬ。そうしてかかる弊害におちいることを防ぐためには，政治力の表象としての国家と社会法則の表象としての社会とを一応分離し対立せしめながら，国家・政治・法律のことを考究することが科学的の方便として最も適当だと私は考えるのである。

　むろん国家と社会とを分離し対立せしめるといっても，科学的考察の方便にすぎないからそのいわゆる国家は政治・法律の面よりする観察のフィルターをとおして映出される仮像にすぎず，またそのいわゆる社会は経済・文化の面よりする観察のフィルターをとおして映出される仮像にすぎないのであって，実存するものはひとり社会的実在としての「国そのもの」にすぎない。この理をわが国を例として説明すれば，実在するものは日本国であって，これこそ「本体日本」ともいうべきものそれ自体である。しかし，この実在としての本体的日本を政治・法律の面から観察すると「法治国日本」が映出され，経済・文化の面から観察すると「社会日本」が映出される。そうして──上述した国家と社会とを分離対立せしめる考え方によると──前者が国家に相当し，後者が社会に相当するのであって，「法治国日本」はすなわち日本国の政治法律的に組織せられたる機構にほかならず，「社会日本」はまた日本国の社会法則によって支配せられる経済・文化の面にほかならないのである。すなわち２者いずれも科学的観察の方便によって映出される仮像にすぎないのであるが，しかもわが国の政治・法律を科学的に研究して正しきを求める上からいうと，「本体日本」に淵源する日本的原理にあくまでも最高最後の指導原理を求めながら，それを中心として一方に「法治国日本」を置いてその政治的要請を考え，他方に「社会日本」を置いてその社会的要請を考え，両者を対立せしめつつしかも交互の働き合いをとおして安定と秩序とが形成されてゆく理を正しく認識する必要があると思う。

　かくしてあくまでも本体日本の社会法則の支配を一応肯定しつつ，しかも同時にこれを理解し克服して政治的に利用することに努力してこそ，法治国日本の法秩序を合理的ならしむべき科学的の道が開かれるのだと私は考えている。